モスクワのアパートのルームツアー / Как живут другие

モスクワでアパートメントを借りる時には家具付きのアパートに入り、数限られた候補の中から間取りや、気に入った家具があるのか、最低限これを、あれを足してくれないかと交渉して追加してもらったり。自分好みにぴったりの物件に当たることは少ないのかもしれませんが着任してから1~2か月の間に決めてアパートに入居することになるのが一般的かと思われます。駐在している間に計3つのアパートに住んだ経験からすると、オーナーによっては日常生活の中で発生するトラブル対応が異なりますので生活のしやすさも変わってきますし、隣人は選べない。集合住宅ならではの難しさも感じました。きっとこれはどの国に行っても同じことかもしれません。

私がモスクワにいた時には日系企業でアパートメントを紹介、契約をサポートしてくれる仲介業者がいて日本語で対応するサービスを展開していました。ロシアにも同様の企業がいますし、インターネット上でアパートメントを探すのも非常に容易となっています。日系企業のサービスには残念ながら満足できず(アパートの契約延長時期が過ぎてしばらく経ってから「そろそろ契約更新の時期ですがサポート必要であればご連絡ください。」との手紙。こちらはすでに直接オーナーと連絡して契約更新済みなんだけど…。別の時には駐在員アパートを契約解除する際、契約書に明記されているにも関わらずデポジットの返却に一向に応じないオーナーとトラブルが生じました。期待していたサポートもいただくことができず、結局自らオーナーとやり取りすることに…。ドイツにいるというので、きちんと時差も考えて早朝を避けて電話したつもりが「こっちは朝の何時だと思っているんだ!いい加減にしろ!」と怒鳴れたことも思い出されます。こっちだってお金を返してくれと言ってるんだ、それだけだ、ちゃんと契約書に記載があるじゃないか!と言い返してみたり。ドキドキしながらも度胸試しの良い訓練となりました。)、結果的にアパートメントを探すのは、可能であれば自分で直接行い(どんな物件があるのだろう、と楽しみながら行うのが重要です)、会社スタッフのサポートを得ながら契約を進める。これが一番満足のゆく、効率的な方法であったな、と感じています。

モスクワに住んでいてのトラブルの例としては、以下のような出来事がありました。

すでに眠りにつこうとしてベッドに横になっていた23時過ぎ。いきなり上の階から部屋の中でバンドの練習か?!、と思われる音が。明らかにマイクを通した女性のボーカルの歌が聞こえてくる。しばらくすると別の隣人と思われる女性の怒り狂った声。どう考えてもこの時間にこのボリュームで遠慮なく…それは無いよな、と。ロシア人の友人宅に遊びに行った時には、上の隣人が夜中に大音量で音楽をかけていて、歌詞もとても子供に聞かせたくないようなものだったと。ということで数回警察を呼んだことがある、と言ってました。その家族はモスクワ生活にうんざりの様子で今ではすでに別の国に引っ越しましたが、同じロシア人と言ってもモスクワに憧れてやってくる者もいれば去る者もいる。モスクワに対する反応は様々です。引っ越した2件目のアパートメントでは部屋に入るには、まず隣人との共通の扉があり、それを抜けると左右にそれぞれの住人が住む部屋への扉がありました。お隣のおばあちゃんは、初めての挨拶で緑茶を渡すと大変喜んでくれて、いきなり自分の部屋の中をくまなく案内して見せてくれました。「ここはキッチン、こっちはリビング。いつもここの椅子に座ってゆったりしているのよ…」どんな会話があったか具体的には忘れてしまいましたが、ロシアではよく見かけましたが、冷蔵庫には旅行先の街で購入した(あるいはお土産でもらったであろう)マグネット、所狭しと並んでいるモノの数と少し匂うキッチン。そんなロシアの庶民的なといっていいのでしょうか、そんな生活を垣間見たものでした。その後はすっかり顔を合わせることもなく1,2年後だったか過ぎました。とある日、友人を連れて部屋に戻ると、いきなり「(共有の入り口の扉を指して)ドアが壊れた、どうしてくれるの、あんたがやったに違いない!どうしてくれるんだ!」といったすごい剣幕で罵倒されました。かつてニコニコして部屋の中を見せてくれたおばあちゃんとは思えないくらいに怒り狂った様子です。友人が「まあまあ落ち着いてください。」といって何とかなだめていましたが、こちらもいきなり言いがかりをつけられると怒りたくもなります。「気にしちゃダメだ、こういうのはどこにでもいるから落ち着け」と。私たちはその場をうまく切り抜けましたが、その次の更新時には次のアパートに出ることにした一つのきっかけともなりました。

新たな仕事に不慣れな中、同時並行でアパートを探すことは決して容易なことではありませんが、せっかくのロシア生活。可能であれば色々な物件をチェックしてみることはモスクワのアパート事情を知る上でも貴重な経験となるに違いありません。

私の勝手な見解ですが、街中で綺麗な恰好をしている男性、女性、スタイルも良いので普通に見てもとても素敵に見えますが、彼らの一体どれだけの人たちが本当に裕福に生活しているのかはいつも疑問に思っていました。劇場で綺麗に着飾った様子の人たちを見ても、その大半は家に帰ると貧しい部類の生活をしている人が多いのではないかと、そう思ってなりません。私も付き合っているロシア人の大半は決して裕福ではなく、仕事もない、という人も少なからずいましたが、それでもたくましく生きている姿が印象に残っています。むしろ裕福に生活している不自由のない日本人の生活よりもずっと彼らの毎日の生活がたくましく見えることもありました。

以下は時々チェックしているロシアのルームツアーのYoutubeチャンネル。

この動画は一例です。庶民的な内容でやり取りが面白くて見入ってしまう。なんだか微笑ましいです。限られた予算の中でどれだけ自分好みのスタイルに整えたかを伺えます。

一方、以下のYoutubeチャンネルはエレガントな様子。ここまでお金を出せる人は少ないに違いありません。果たしてこんなアパートメントを購入するにはどれだけの収入が必要なのか、どれだけのローンを組む必要があるのだろうか…限られた人に許された選択肢ではないかと想像しながら眺めています。

このチャンネルオーナーの夫婦のルームツアーの様子。とても素敵なアパートメントの様子が紹介されています。

駐車場に車を停める際に分かる、自分の権利と適度な人間関係 / Parking your car in the parking lot can tell you having the good balance between own rights and good relationships with others

小さな会社になればなるほど、そこで働く人たちの人間関係は時として辛いものとなることはご想像の通りです。駐在員であれば、小さな会社の中でさらに小さな小さな日本人社会という囲いの中で生きています。駐在してから初めての本社出張の際には、本社で子会社を管轄する部長に個別に呼ばれ、「人間関係は大丈夫?社長とはうまくいっている?いつも本社に出張する駐在員に必ずこの点を確認しているんだ」と。上手くゆかずに精神的に辛い思いをしてしまう人もいるようでした。幸いにも私は人間関係には恵まれており、また、営業系の駐在員が多い中で管理部門の責任を持つ立場である、という点で日本人の囲いから外れて自由に仕事ができていた気がします。日本人だからこその悩みを語り合い、耳を傾ける場も大切と思いますが、同じ人間といつも一緒に語っていても得るものは限られます。同じ日本人といっても適度に付き合いのバランスを取ることは大切だと思います、不要と思われる付き合いは断っていました。日本の階層社会で生きる会社員としてそれが正解なのかは分かりませんが…。自分の気持ちに正直でいる。それが心を病まない最善の方法だと信じています。

さて、ロシア人スタッフも狭いコミュニティの中で働いています。きっと、会社の雰囲気に合わない人間は自然に会社を離れていくからだと思いますが、社内で働いているロシア人スタッフはそれぞれに自分の居場所を見つけていたようです。毎回新しいスタッフが入社してくると、どのように既存の仲間と知り合い、自分の居場所を見つけてゆくのか興味深く観察していましたが、人それぞれ。一人でいることを好むスタッフはランチを社内の休憩スペースで取ったり、外に食べに行ったり。昼食の時間はフレキシブルでしたので、仲の良いスタッフ同士でランチを取る場合には時間を決めて皆でランチを楽しく取っていたり。朝から「今日はデリバリーのランチを食べよう!」といって「私は何を注文しようかなぁ」と仕事中に盛り上がっていたり。「(スタッフ共有の)冷蔵庫に入れていた、私のものを誰か勝手に取ったでしょ!ひどい!」なんて怒り心頭のメールが社内全員宛てに飛んできたこともありましたが…。小さな会社での人間社会を観察することも良い勉強となりました。

狭い世界での上手な人間関係を築くにはどうすればよいのか?駐車場で車を停める時、そのヒントがあった気がしました。私の駐車スペースは両側を別の住人の車に挟まれています。そのスペースに車を停める時、お隣の車がやたらとこちらのスペースに寄っていたり、別の日には離れていたり。お互いに白線の内側が自分のスペースなのでその空間をどう使うかは自由です。しかし、もしこちらと相手の車のスペースが白線を境に近づきすぎていればお互いに心地よいものではありません。車を乗り降りする時には窮屈になり、相手の車にドアをぶつけないかと神経を使います。そんな時には白線から離して車を停める。相手の車が今日は白線から離れていればこちらは白線に近づけて停めてもOK。線の中が自分の権利。でも、その日によって相手がこちらに近づきすぎている時もあればそうでないときも。そんな時には相手との距離感によってその白線の間の自分の立ち位置を調整する。人それぞれが白線の内側をどう利用するかは自分の権利であり、自由である。相手がどうであろうと関係ない。そう言ってしまうと、それは正論ですが、小さな人間社会で生きてゆくにはどこかで行き詰まってしまう気がします。権利ばかり主張してしまうと相手が車に乗る時に苦労する。自分が先に停めた場合、きっと相手も自分の停めている距離に合わせて調整してくれているかもしれません。

全く止まっていない時には逆にどうしよう、なんて思ってしまうことだってあります。基準がないから自分の権利を存分に利用することができる反面、合わせるところが無いから逆にそれに戸惑いを感じることも。人間は必ずしも完全な自由があるよりも、他人との関係から自分の在り方を探るほうが容易なのかもしれません。

こんなことを車を停める中で感じたものでした。

大都市モスクワの中でも近い距離で他社の様々な人と付き合えるメリット / The merit of getting to know various people who work at other companies in Moscow

モスクワならではの近い距離で他社の様々な経歴を持つ方たちと付き合える機会は駐在生活の中のメリットの一つです。他社の駐在員や現地採用で勤務している日本人との交流を通して得るものがたくさんありました。これはモスクワに限ったことではないのだろうと想像ができます。会社の業態は様々で顧客は多岐にわたるとはいっても、管理部門は同じ悩みを抱えるケースが多くあります。もしかすると、営業スタッフは各社固有の問題があり、他の会社と相談しても同じ土台で会話することが難しい場合もあるのかもしれませんが管理部門は違います。与信管理をどうするか、人材の採用はどうするか、どうしようもないスタッフに去ってもらうためにはどうすればよいか、人事制度はどうしているか、近々導入されることになった法律への対応方法はどうするかなどなど、会社の管理部門の課題はどの会社も共通して抱えている悩みでもあります。

日本に勤務していれば、勤めている会社事務所が東京に集中していないこともあれば、社内の付き合いが中心となることも多いはずで色々と制約が多く、他社の方々と広く付き合う場を得るには自らの努力が求められます。その一方で、モスクワでは多くの企業がモスクワ中心部に事務所を構えており、社内の立場上自らの仕事をコントロールできる権限も広まり、集まりあうことも容易になります。インドからそのまま異動して着任した方、中国、アジア地域その他の国々での駐在を経験してきた方々、ロシアに定住して10年以上もロシアビジネスを見ている方の話、ソ連時代から仕事をしてきてソ連、ロシアと国家の変遷を見てきた方の話などなど。ベテランの方たちが多い中で交流を通して自分自身の仕事の方法、考え方のずれを是正するよい機会ともなりました。なお、全く違う思考回路と出会い、自分自身の視野を広げ、もしかすると完全に考え方や価値観を変えるにはロシア人との交流がピッタリです。それは時に日本社会への適用能力が下がってしまう危険もはらんでいますが…。

会計事務所や銀行主催の管理系のテーマであるセミナーに出席すれば、概ね同じメンバーが揃う。そこに出ると、あぁこの会社の管理担当者もついに帰任して後任の方と交代する時期なのか、それにしても自分はここにいる顔ぶれの中でも随分と長くなったものだなぁと客観的に振り返ってみたり。中には、ほとんどそういった場に出てこない人もいるけれど、それは、毎年のように同じような内容でロシア駐在初心者向けの内容である場合もあり、出席しても無駄…と思う人がいても仕方がないのかもしれません。日本を代表する日系企業という一枚岩で考えるならば、自分の知識を新しくきた人に分かち合い、同じ問題で足踏みしてしまわないように助け合うことも大切な要素だと思っています。日本にいる時にはそういった意識はなかったけれど、世の中にはたった一人の行動でもって「日本とは」「日本人とは」というレッテルをいとも簡単に貼ってしまうしまう人間が存在する中、「日系企業はやっぱりすごい」そう思わせられるように、各企業が一人で苦しみ、闘うよりも、できる部分では皆で協力して毎日の仕事を少しでも楽しくできるほうがずっとよいではないだろうか。そんな風に思います。日本で仕事をしていても「自分が苦しんだこの経験を他の人にも理解してもらいたい。」そんなネガティブ思考に出会うことがありますが、自分が苦しんだこの経験を他の人が味わうことがないように知見を共有し、伝えてゆくことがポジティブな、あるべき姿であると信じています。

話が変わりますが、休暇でイギリスのロンドンに出かけてミュージカルを鑑賞したときのこと。私の購入したチケットの場所は左右の通路からちょうど真ん中くらいで鑑賞するには特等席。が、会場に入るのが遅く、既に席についている方々に申し訳なくも足元の狭い間隔を通してもらいながら自分の席にやっとたどり着く。ぱっと見たところ隣には中年の女性日本人二人組。「おっ、日本人だ」と思い、挨拶しようと思って構えたところ、「せっかくここまできて周りが日本人だらけ。ほんといやになっちゃうよね」と二人で会話している声が。こちらを意識しているとは信じたくないけれども、確かに周りには日本人らしき人が多かった。それでも、別に海外で同じ国の人と出会っても悪いことではないのではないかと思うですが、そこまで嫌悪する理由って一体何なのでしょう。情報交換できることもあるだろうし、大げさではあるけれども、同じ日本からやってきて異国の地で出会ったのだから、そこまで悪いことを言わないでもらいたい…少しばかり悲しくなりました。

良い関係の間柄にも適度な見直しが時には必要だ / Sometimes a good relationship needs a proper review

長らく新生銀行を利用しています。自身の所属ステージによってサービス内容が異なりますし、ずっと昔に比べてサービス内容は悪化しているようで、人によって評価は分かれる点と思われますが、近くにあるセブン銀行ATMから月に何度でも現金引き出しを行っても手数料が無料、という利点があり今も継続して利用してきました。現実的には現金を使う機会が減ってきており、今は現金を定期的に下ろす必要性も少なくなっている現状ではありますが…本題へ。

これはあくまで個人的な感想です。SBIホールディングスが新生銀行への敵対的買収を仕掛けてからと同じくして、あるいはその少し前からか、なんとなしに新生銀行からのサービス提供の案内メールが増えたように感じます。もしかして、これは今回の事態に至ったことも一つの要因だろうかと思ったり(あるいはそうでもないかもしれないのであくまで個人の見解です)。

ロシアに進出している企業の中には、債権保険に加入している企業も少なくないと思います。そして、きっと保険会社を変更する頻度は高くなく、長期的な視点で同じ保険会社との契約を継続しているのが一般的ではないでしょうか。

私がモスクワで勤務していた時には、世界的に有名な再保険ブローカーであるAON社と定期的に話を聞く機会がありました。債権保険や従業員向けの医療保険を提供するロシアの保険会社を選び際には、AONを仲介した相見積もりを行って、妥当な価格と適切な内容の提案してもらうことを勧められていました。複数の会社から提案を出してもらうことで、経験のあるブローカーによるチェックが入り、各保険会社社共に顧客に採択されるために不当な価格を提案するリスクは低くなるはず。そんなメリットがあります。

この話は自社で保険会社の見直しをした時の話です。ある時、経理スタッフから「間もなく債権保険の契約見直しの時期がくるけれども、ぜひ他社とも比較してみる良い機会。ぜひ自分たちで各社から提案を出してもらいのですがOKでしょうか?」という提案がありました。長年同じ保険会社と上手く付き合ってきた中で、いきなり「他の会社からも見積もりを取るので、お宅も次回の契約に向けて良い条件を出してもらえませんか?」と言い出すのはどうも躊躇したものの、「何年もの間、今利用している保険会社と価格交渉もしておらず、過去の条件のまま更新しています。今は他にも保険会社があって、たとえ同じ会社と契約を継続するとしても、今の条件より良い提案がくるかもしれません。」その言葉に押されて、実際に会社にて複数の保険会社にコンタクトして選定を進め、各社からの見積もり提示をもとに交渉を行いました。その結果は驚くもので、想像を超える金額のディスカウントが生まれました。ここまで金額が下がれば他社に乗り換える必要性も無く同じ会社と契約延長をしましたが、条件を定期的に見直すことの大切さを実体験として学ぶ機会となり、同時に会社の財務改善にも経理部門が貢献した機会となりました。

今回の新生銀行からのメールを受け取る時 ー 今回の買収問題の良し悪しには触れませんが ー たとえ現状のサービスに大きな不満は無いと言えども、時には外部からの働きかけにより現在のサービス内容を見直してみることの重要さを、あのロシアでの保険会社の選定を行った時のことと重ねて思い起こしています。ここに市場の相応しい競争が存在することの大切さを感じるところです。

#参考情報

ロシアの2021年における保険市場の動向

https://raexpert.ru/researches/insurance/1h_2021/

以下のリンクはロシアの保険ブローカー会社のHP。モスクワから東に1,700km離れた場所にある街、エカチェリンブルグの会社のようで全く知りませんが、色々なウェブサイトを探した結果、その中では一番分かりやすく保険に関する説明が記載されたように感じられたウェブサイトでした。リンク先の一番下に主要なロシアの保険会社のロゴマークが並んでいます。私の勤務していた会社が利用していた保険会社を含む、これらの保険会社が主に日系企業が契約を結ぶときの候補となる会社と思われます。

https://www.trialliance.ru/korporativnyim-klientam/straxovanie-finansovyix-riskov/straxovanie-debitorskoj-zadolzhennosti.html

母国語だからこそ相手に対する自分の気持ちを伝えづらい? / Is it difficult to convey your feelings to the other person because it is your mother tongue?

帰国して母国語で仕事をするようになり、1年以上経過してみてからなるほどなぁ、と思うことがあります。それは、同僚に対する「ここはこうしたほうがもっと成長できると思う」「この点はやめたほうがいいと思うんだけど」といった、相手に対するネガティブに捉えられかねない発言は控えがちなのは、ロシアでも日本でも同じ、ということ。

ロシアでは、日本と比べて人々は直接物事をはっきり話す傾向があるという事実があるのだから、部下のマネジャーから「あの子何とかしてほしいんですけど…」と聞くと、何となく腑に落ちない気持ちがありました。「なぜ日頃仲良くしゃべっているのにそういうことを直接伝えないの?友達なら相手のことを想っているのだから言ってあげるべきでは?」と回答していました。しかし、実ははっきりと相手に物事を言うのを避ける傾向があるのだということ。それって日本人でも一緒。結局、国が違えど皆一緒。

なぜなんだろう?と考えましたが、一つには、単に自分の意見を主張することは他人は関係のないこと、その一方で、相手について自分が考えることを伝えることは相手が関わってくること。自分の意見が原因で相手との関係に溝が生じてしまう可能性もある。だからこそ発言には慎重になるのでしょうか。(しかしながら、私の個人的な印象ですが、日本社会ではそもそも自分の意見や考えを主張することですら躊躇することもあります。「自分の主張をしたら相手がどう思うだろう…」「自分が先に決断をしたらどうだろう、相手はもしかしら逆の決定を望んでいるのではなかろうか…」と。日本人の思考回路はどうなっているのでしょうか…)

二つ目に考えられる点は、きっと母国語だからこそ、何をどのように言うと相手がどう感じるのか、それがはっきりと分かるからなのではなかろうかと、そんな風に考えています。この単語・フレーズを使ったら、このイントネーションで伝えたら、言葉には表れない雰囲気を感じる肌感覚など、母国語だからこそ感じ取ることができるものがあります。それらを自分ではっきりと掴めると、発言の際には言葉を発する前に自分の頭で考え、悩み、躊躇する。「なんではっきりとした物言いをするロシア人なのに、ロシア人同士だと遠慮しているのか・・・」という疑問に対する答えは、こんなところに理由があったのかも。相手に対する自分の考えを伝えることは、結局どこの国の人でも同じ難しさを感じるのだなぁ、と認識するようになりました。

ロシアにいる時には、日本人とロシア人、という一つの大きな国籍や文化の違いがあったことも重要な要素であったと思います。この壁があるからこそ、双方において「多少言葉の使い方が間違っていても仕方がない。相手に伝わればよい」(発言者)、「何となく発言が厳しいけれども、言葉が違うんだし仕方がないことなのかもしれない」(発言を聞く立場)といった心理的なバリアがあったのかもしれません。実際、自分自身もそんな風に(相手を否定するような発言は決して許されることではなく、そのような発言がないように注意を払っていましたが)「自分も母国語ではないので仕方がない、きっと自分の思いが伝わるだろう」と思って英語やロシア語で自分の発言を伝えていました。そう考えると、相手に対する自分の思いを率直に伝える際、日本人とロシア人という違いはポジティブな要素だったのかもしれません。相手のことを知りたいと思い、努力して学習して知れば知るほどに逆にそれがネックとなってしまい動けなくなってしまうこともある…。

ただ、何よりもクリアなのは、相手への評価を伝える・伝えない、それは本人次第。相手のことを想うからこそ相手のためになると思えることは、言葉とタイミングを慎重に選択しつつも伝えてゆく。それがあるべき形だと考えています。こちらが伝える内容を「面倒くさい奴だ、また言ってるよ。聞いていてあげればいつかは止む」なんて思いつつも、きっと将来に思い出してくれれば、自分の発言は決して無駄にはならなかったと想像の中で描きつつ…。

ロシアの道路事情 / Road condition in Russia

最近見つけたYoutubeのサイトで面白い動画がありました。ロシアの道路がいかにひどいかを映し出しているものです。1分以内の短い動画です。0:30頃から見ていただければ、ロシア側の悲惨な道路事情からベラルーシ領土に入った途端に綺麗に舗装された道路へ様変わりする様子が一目で分かります。ロシアが — あれだけの広大な国土を持つ国 — ロシア全国の道路を良い状態に整備し維持できるお金のゆとりがあるとも思えず、きっと日本と比較してはいけないのかもしれません。

モスクワの道路事情は地方と比べれば申し分ありませんが、車で移動しているときに、スタッフとドライバーが道路の話をしていて、「XXXの幹線道路はとても状態がよい。ドイツ人が整備したものだから今でも十分走れる」なんて話をしているのを何度か聞いた覚えがあります。(実際のところ、Yandexでも調べてみましたが、モスクワ近郊でそれらしき道路が存在する情報は見つかりませんでした。この会話の背景を確かめることができていないので本当のところは分かりません。もしかするとモスクワとは別の地域のことだったのかもしれません。)

第二次世界大戦でドイツ軍に勇敢に立ち向かい、英雄都市という称号を与えられたヴォルゴグラード(旧スターリングラード)を戦勝記念日に訪れたとき。タクシーに乗るとあまりにもひどい穴だらけの道路。タクシー運転手曰く「ボルゴグラードではまだ戦争が終わってない!」なんて冗談も。生活が苦しくても、街のインフラが決して恵まれているとは言えなくとも、それを笑い飛ばす冗談で盛り上がる。そこにまたユーモアを感じます。先ほどの動画のコメントの中には

「ロシアではアスファルトは定着しない、ロシアの大地はアスファルトをはねつけてしまうから…」

「どうして綺麗に舗装された路面を走れるかい、危ないじゃないか、眠ってしまうよ」

「自動車パーツを販売するお店で働いているけど、(このビデオを見て)なぜ部品パーツの注文が多いのかよく分かったよ」

なんてものがありました。

なお、国土交通省のウェブサイトで発見できた2012年時点の日本とロシアの道路事情データによれば、日本の道路の長さは1,207,867km。対してロシアの道路は982,000kmという。日本に存在する道路の距離の方がロシアの道路よりも長いということになりますが、ロシアの国土と日本のそれとをパッと頭に浮かべるとどうにも信じがたいものがあります。ロシア的な皮肉を交えて言えば、「ロシア人担当者は道路が存在しているのに、穴だらけの道を見て道路だと分からず集計に含めなかったので、結果的に実際よりもずっと低い数値を公式数値として発表してしまった」ということにしておきたいと思います。

参考資料:

https://www.mlit.go.jp/common/001381832.pdf

日本の安全性がなんだかんだ言っても高いことの素晴らしさ / It ’s wonderful that Japan ’s safety is still high.

(この体験は大都市から離れた郊外に住む私の生活環境を前提にしたもので、決して日本の全ての場所が同じ状況ではないことを前提に、あくまで私の体験に基づいた主観を書いています)
カフェに座っていてふと思うことは、周りの人がお店に入って席を取ると、自分の鞄を椅子に残して席を立ち注文をしにいったりトイレに行ったり。横に座っていた人が立ち上がり人の気配が無くなった。しばらく経つので帰ったのだろうという意識でいたが、ふと目を横のテーブル下にやると鞄が置いてある。そして持ち主は何事もなかったかのように戻って再び席についた。こんなことが自然に行われていることはきっと異常なんだと思う。モスクワで生活していて、席を離れる時に荷物を置いて席を離れたことは一度たりとしてなかったし、友人の誰もがそんなことをするところを聞いたこともない。一人でカフェに座っている人が席を立つときには荷物も一緒に離さずに立つ。これが世界的な標準なのかな、と。自然にこのように、自分のモノを身から離し、席においたまま離れても自然な感覚でいられる環境で育つのって素晴らしいと思う。

モスクワで勤務していたスタッフには、モスクワで生まれ育ってはいるものの、モスクワの常識が身についていないのか、この良き日本文化が行き渡った日系企業の文化に触れて感覚が日本仕様になってしまったのか、とあるカフェに一人座っていて、時間にして10分くらいだろうか、鞄を椅子に置いて席を外していたという。戻ってきたらパソコン、パスポートの入ったリュックが無くなっていた…。防犯カメラを確認すると犯人らしき人が映っていることを確認したものの、結局取り戻すことはできなかったようだ。仕事はとても優秀で、タスク管理にも秀でいた彼も自分の持ち物管理には長けていなかったのかも。

モスクワの常識を覆される出来事に心を救われることもありました。モスクワから休暇でソチに行く飛行機に乗った時のこと。ソチの空港に到着し、いつもの場所に財布がなく、鞄の中に手を突っ込んでごそごそと財布を探るも財布らしきものに当たる感覚がない。いつも財布とパスポートだけは絶対に紛失してはいけないと、常に鞄の中の場所場所を決め、意識して盗難にも注意していたにも関わらず、海外で初めて財布を紛失したことに愕然としたものだった。カードをストップして手続きを終え、モスクワを飛び立った時の陽気な気分がソチの快晴の空とは対照的に、心の中は一気に陰鬱な雨模様と様変わりの様子はご想像の通り。

…ところが、ホテルの部屋で仕事のパソコンを開くと、見慣れないロシア語のメールが見知らぬ人から入っていました。「あなたの財布を空港のチェックインカウンターで見つけたので、空港の落とし物預かり所に預けておきました。空港に戻ったらその場所に取りにいくように。」との内容です。どうやら、財布は空港のチェックインの際に忘れたようです。早朝で頭もあまり働いていなかったからか、財布を鞄にしまい忘れてその場を立ち去り気が付いたらソチにいた…。この方は財布の中に名刺をいれていたことから、仕事のメールアドレスにメールをくれたようです。ソチで気分はどん底に落とされていたところに、このような善人がいることを知り一気に晴れやかな気分へ再び舞い戻り。こんな想像していなかったことを経験し、善良な人がいることに深く感謝し、何とお礼を言ってよいのか…メールで感謝の返信。数日後、空港で落とし物預かり場所を訪れると、確かに財布が保管されていました。中には日本円に換算して1万円以上のルーブルがありましたが全額そのまま。この方にはオンラインバンクでお礼のお金を送金したことを覚えています。モスクワにはこのような善人に出会えることが非常に珍しい、というつもりはなく、どこにでも同じように善良な人がいて、悪い人もいる。人は自分が体験した経験に基づいて「モスクワは~」「日本は~」「東京は~」と決めつけてしまう傾向にあると思います。そうありたくないけれど、気が付けばこの傾向が出ていることがある。気を付けたいですし、一方でこういった傾向を人が持っているからこそ、海外では日本人ブランド向上のために自分の出会う人たちに善いことをする、そんな気持ちを一人ひとりの日本人が持って実践してゆけば、世界での日本ブランドはまだまだ輝き続けるはずです。

そういえばこんなこともありました。モスクワに駐在中に、新年の休暇を利用してアメリカに出かけ、空港のベンチでフライトを待っていた時のこと。まったく見知らぬアメリカ人女性がやってきて、「ねえちょっと、私の荷物見ていて。すぐに戻ってくるから」といって、自分のスーツケースを私に預けてどこかに行ってしまいました。私もまだその場所にいるので別に問題もなく、戸惑いつつも「OK」と返事。彼女の急ぎの案件と、万が一にもアジア人の見知らぬこの男性にスーツケースを持ってゆかれるリスクを天秤にかけて決めたのか、ただちょうど良いところに何だか問題なさそうな男性が座っていたので好都合だったのか。それはそれで信頼された、ということであれば嬉しいものですが、こんなこともあるんだなぁと面白い体験の一つとなりました。

これからもきっと善人との出会いに救われることもあればその反対もあるはず。私たち個人個人の”常識”は、その出会いの中で形作られて、変化してゆくのかもしれません。日本がなんだかんだ言っても安全性が高い、という”常識”も一人ひとりの行動が積み上げてきたもの。いつの時代でも、自分の荷物を気にせずにカフェの席を立って注文に行き、気兼ねなく荷物を置いてトイレに行ける国であったら…素晴らしいですね。

Todoリスト:消し込み方式 vs 積み上げ方式。ポジティブに生産性を高めてくれるのはどちら? / Todo list: erasing method vs stacking method. Which one will positively increase your productivity?

オフィスで会社で雇っているロシア人運転手と雑談していた時のこと、日々のタスクの管理方法について話題になりました。「何かで読んだんだけど、一般的な日々のTodoリストはその日にやることを書き出し、完了したら消してゆくものだけど、そうじゃなくて、完了したことを一つずつ書き出してゆくといいらしい。そうすると、自分の達成したことが目に見えて気持ちがポジティブになるんだって。」という。

Todoリストにやるべきことを書き出すと、いくら書いても終わらない。あれもこれもやりたい、と欲が出てきて、きりがない。そして一日の終わりに手を付けられずに残ったタスク一覧を見ていると気持ちも憂鬱になってくる。そうであれば、そんな方法は止めて、今日できたことを書き出してゆくほうが健康的というわけだろう。

「生産性をあげるためには、やることを減らせばよい。」これは聞けば当たり前だし、多く方がずっと以前から発言されている真実だと思いますが、初めて聞いた時には衝撃的でした。生産性を高めるためには、いかにできることを増やせないかと苦心して、早起きして、集中して取り組み、無駄(と思える)ことを削り、食事の時間も…と考えていた。けれども、生産性を高めるための答えは実はとてもシンプルな発想の転換。実際にやらなくてよいことは実は多い。不要と思われる事柄を削ってゆくと、必然的に残ったものにかけられる時間と気力が増える。

といっても、やるべきタスクの一覧表は何かしらの形で持っている必要があるわけで、何も考えずに今日やったことを書き出してゆけばよい、というわけではないけれど。実際、私自身はいまでもTodoリストの一覧表を見て、今日やるべき仕事に取り掛かっているので、ドライバーから勧められた方法を活用しているわけではありません。今日完了したことを書き出すのは日々の日記の中くらいです。

運転手との会話から学んだのは、日々の仕事の中でポジティブな状態にもってゆける自分に合った方法を試してみること。人によっては今日やる予定のタスクが一つずつ消えてゆくことに満足を覚える人もいれば、達成できたことを書き出して積み上げてゆくことを喜ぶ人もいる。何が正解なのかは人それぞれ。これまで考慮してこなかった方法にも先入観持たずにトライしてみて自分に合っているかどうか確かめる。日々出会う新たな考え方を学び、その方法を取り入れてみる。そんな風にしながら自らに合う生産性を高める自分なりの方法を生み出したいものです。

これだけは真実だと信じているのは、タスクを管理するツールやその高度な機能を活用することや定期的にメンテナンスすることに時間を取られないようにすることの大切さ。あらゆる種類のTodoリストのアプリが世の中に存在する中で、色々と試してきましたが、実は何の変哲もない「メモ帳」が一番シンプルで実用的では?と思ったりしています。起動もサクサク、中身も文字だけのシンプルさ。自分の脳ミソにヒントを与えてくれるキーワードを入れておくだけでも(あまりにも抽象的なものは後から見直しても助けてくれないかもしれませんが)やるべきことを頭の中にリマインドしてくれる。チームでプロジェクト管理するならば別ですが、個人のTodoを管理するには、そんなシンプルさが十分では、と。今日一日で達成したこと、感じたことや反省点は日記へと。そうすればポジティブな気持ちも保てます。反省点が多い日には早く寝てしまい、新鮮な気持ちの翌朝に昨日を振り返るほうが良いかもしれないですね…。

スタッフの採用決定、その前にもうワンステップを。/ One more step before deciding to hire staff.

ロシア人スタッフの採用を決定する際には、履歴書(CV / Resume)にある、その人が過去に勤務していた企業の同僚にコンタクトして、一緒に勤務していた彼らからの第三者の評価を得ること。これは欠かさずに行うことをお勧めしたいです。これは自分自身の失敗から得た反省点でもあり、他社に「なぜこちらに連絡してこなかったんだ…」という気持ちからでもあります。

特に、過去に勤務していた企業の中に日系企業があれば、ほとんどのモスクワにオフィスを構える日系企業が入会しているジャパンクラブにコンタクトリストがあるので、その企業に連絡してみる。たとえ面識がない人だとしても、知り合うきっかけにもなるし、聞くのは決して無駄なことではない、と思っています。

ロシアでは、大抵の場合、採用面接に来るスタッフは推薦状を用意しています。自社を退社する場合にも、良好な関係の下で退社するスタッフからは「将来のために必要となるかもしれないので、私の推薦状にサインをお願いします」といって、本人が作成してきたドラフトにサインをしたことが何度がありました。本来は私が内容を考えて書く必要があるのかもしれませんが、現実には本人自身が自分の行ってきた業務や能力を褒め上げる内容を書出し、それがあまりにも事実から外れていない内容であればサインをする、そんな流れでした。

クビにした人材が他の日系企業のマネジャーを務めていると人づてに耳にしたときにはただただ驚くばかり。どんなに口が達者で、履歴書には立派なことを書き上げ、MBAを取得しているからといって実際に仕事ができるか…それは別問題です。面談でも流暢な英語を話し、ロシアに来て間もない日本人駐在員にロシアビジネスを語り納得させ、私を雇えば必ず成果を出しますからご安心ください、と納得させ…いざ採用してみて、さあ仕事ぶりはどうか、と見ていたら、「ん?何か違わないか…でも、それは自分の勘違いだろうか」と自らを納得させようとして、気が付けば取り返しのつかないことに…。

まずはCV / Resumeでその人の経歴を判断し、能力をある程度確認したうえで面接に進むかを決定する。そして実際にロシア人スタッフの人事スタッフが面接で「OK、悪くない」と判断すれば、次のステップへ。英語で会話する時と母国語のロシア語でロシア人同士が会話するときの印象が大きく異なるケースも多々ありました。

さて、この人を真剣に雇用しようかという段階になると、本当にこの人で良いのだろうか、という迷いとの闘い。(厳密にいえば、迷った時点で採用を控えるべき、というのが人事の専門家のアドバイスかもしれません。実際のところ、絶対にこの人を取りたい、という人を採用できる場合は、非常に少ない、というのが事実ではないかと経験から感じています。その多くの理由は会社で出せる給与の条件に合わないケースがほとんどでした)でも、やっぱり「この人と一緒に働いてみたい。この人ならやってくれるのではないか。」という思いがあって次のステップがあるのは絶対です。もしかすると、今の会社の文化に合わないだろうかと思って採用してみたら、今は会社の中核人材になり、とっても貴重なメンバーになる人もいますし、会社が提示できる条件が決して本人の要求するレベルに達しないにも関わらず条件を飲んでくれたスタッフ。そのスタッフは本当に会社のために仕事を惜しまずにサポートしてくれて、休暇中でもチャットで対応方法を教えてくれたり。「私の携帯のバッテリーがなくなっちゃった!旦那の携帯で続けるから待ってね。」と言って、旦那さんの写真が入ったメッセンジャーアプリで会話を継続する何とも言えない違和感…(会社の社内情報をプライベートの携帯でやり取りしていたわけではありません、念のために。)、一方で3ヶ月間の試用期間中に騒ぎを起こし、そのまま去っていただくことになる人も。試用期間を終えるタイミングで契約を締結しないことを伝えると、会社の主要なデータを外付けハードディスクに全て移してしまい、スタッフが「XXXさん、大変です。彼女が会社のデータをすべて消去してしまって、サーバーからデータが消えています!」なんて慌てて状況の深刻さを伝えてきたこともありました。自分の仕事に自信を持っており、それでいてなぜ自分を採用しないのか、納得がいかない、という気持ちが背景にあったのだと思います。

採用は何度やっても難しい。見極める力が訓練されてきたと思いきや、毎回新たな課題と向き合い、失敗もすれば成功もする。もっともっと採用経験をこなせば掴めるのかもしれません。人事の本を読んで実践に移してみたり、経験者の話を参考にしてみたり。そんなことの繰り返しでした。もちろん、毎回ベストを尽くした結果です。

さて、本題に戻りますが、実際に一緒に働いたことがある人から聞く評価は貴重だと思います。日本での転職時の第三者からの客観的な評価をレビューすることはどれほど運用されているのか知りませんが、ロシアでは一般的と理解しています。それに、モスクワの日系企業のコミュニティは決して大きいものではありません。日系企業を好んで回るロシア人もいます。(他方で、日系企業では絶対に働きたくない、という人がいるのも事実)狭いコミュニティだからこそ、お互いに連絡を取り合って、日本企業を”カモにする”ジョーカー人材を引くことだけは避けたいものです。

現在日系企業に勤めていながらにして転職中であった人の勤め先に電話することはありませんでしたが、すでに退職した後であれば、その企業に問い合わせることは可能ですし、候補者が伝えてくれるコンタクト先がたとえその人のことを良いことしか言わないとしても、恐らく、一生懸命に、その人の課題を教えてくださいと言えば、言葉を選んででも伝えてくれるはず。ロシアでは、”お試し期間”が3ヶ月間(社長やマネジメント層であれば6か月間)与えられているからといっても雇用に関しては慎重に、慎重を重ねて慎重に判断を下すことの大切さをお伝えしたいです。

また、面接から得られる他社の状況はとても貴重でした。組織構造、会社のシステムは何を利用しているのか、それを目的に面接をしていたわけではないですが、管理部門とあっては悩みも組織の構造も似たようなものです。面接を通して得られる欧米系、ロシア企業の特徴も参考にする良い機会となっていました。単に人を採用する目的だけではなく、自分の会社の管理部門の在り方を客観的に観察するうえでも面接の時間は勉強となります。ぜひ、お勧めです。

他国と比べると日本の有難みが分かってくる ー 混沌としたベラルーシと比較して / Compared to other countries, you can see the value of Japan comparing to the chaos of Belarus

人が物事を判断する時、自分の知っている情報や、慣れ親しんだ環境を基準にするしかありません。この真実は駐在生活でよく学習した点の一つです。どんなに自分が経験が経験を重ねてきたからといって、どんなに多くを知っているからといって、新人スタッフのためになることをしてあげようと思って行動しても、それは相手にとってその時点では迷惑でしかないことも。その”迷惑さ”に有難みを感じてもらえる時期がいつやってくるのか、あるいは一生「面倒くさい人だったな」で終わってしまうのかは誰にも分かりません。折れずに続けられるかは、自分を信じれるかどうかにかかっていそうです。また、自分がどんなにたくさんの実務経験を積んで、ロシア企業での実務の実態を知っているからと思って行動しても、上司や日本の本社はそのような現場の事情ではなく、もっとロシアの域を越えて幅広い情報や、さらに高い視点から長期的な視点で物事を考えているケースだってあります。

そんなわけで、日本で生活していれば、文句言いたいところはたくさんあるけれども、世界に比べると、日本という国は今でも世界に比べるとずっと立派な国なのだ、そんなことをベラルーシのニュースを見ていて改めて感じました。マスメディアは一部を大きく見せる傾向があるかもしれず、この様子が全地で起こっているわけではないと思います。それでも、こんなことが起こっている国が他にあることを考えると、日本で生活していて日頃感じてしまう不満も考えすぎることなく、時として沸き上がる私たちの怒りを分散させることに役立つのかもしれません。

報道番組”Current time”(Настояшее Время)より(ビデオ 8:42~)

ロシア語で、Абсурд(アプスールドゥ=ばかげたこと)。英語のAbsurdと多少発音は異なりますが全く同じ意味です。とりわけ5つのばかばかしい理由でベラルーシ市民が逮捕されたことが取り上げられていました。ルカシェンコ大統領への抗議行動のシンボルとして掲げられる白赤白の旗。今ではこの色使いをしたものは、政府に反対する過激主義者として扱われ処罰されるという事件が起きているとのことです。

1.家の住所のプレートを赤と白で作成した家主が逮捕

通常、ロシアでも、道を歩いていれば必ず、通りの名称や通りの番地を示すプレートが掲示されています。ベラルーシのこの住民はこのプレートを赤と白で作成したようです(9:09~)。警察はこの行為を、家の主は正式に許可されていない抗議活動を、白赤白の旗をプレートの形で表示した̚かどで処分。約400ドルの罰金が科せられました。

2.娘の誕生日に花束をプレゼントした母親が350ドルの罰金を支払った(9:50~)

「これは花束の色が何色だったかは、容易に想像がつきますね。」とのこと。今のベラルーシでは花束の色を何色にするかも注意しなくてはならないという状況に。

3.赤と白のラインの飾りが入ったズボンを履いていた若い女性が拘束(10:10~)

一人の若い女性は、カフェから自分の車まで歩いているところを警察に拘束され、拘置所で過ごしたうえに罰金を科されたという。警察に「一体何の罪があって捕まえるの?」と尋ねると「つまり、自分のズボンについて何も言うことはないのか?」と答えが返ってきたとのこと。今では、どんなに赤と白の色合いが好きだとしても、家を出る前には自分の服装の色合いをよく観察して外に出る必要がありそうです。ベラルーシでは、白と赤のソックスを履いていた人が、その装いでもって反政府のデモ行動を行ったと見なされて逮捕されることが生じているようです。

4.ロシアでも有名なお菓子のパスチラによって年金生活の女性が罰金を科された(10:42~)

この女性は抗議活動としてパスチラを白、赤、白に色で作ったかどで罰金を科されたという

5.LG製のTVが入っていた白、赤、白の彩りの段ボールケースをバルコニーの窓に置いた男性が逮捕

窓辺に置いていたことで抗議活動に参加したと見なされ、15日間の拘束となった。(10:58~)

この5つのケースに続いて、ニュース番組内では”ばかげた”罪状で自由を奪われた人たちのケースが続いています。

上記のいずれの場合も、抗議の意図があって意識的に行った行為であろうことから、今の時世にこのような行動をとること自体が相応しくなかったのかもしれません。ただ、このようなことが理由で拘束され、罰金を科されるという理不尽な世の中が存在する、ということについて、日本に住んでいる感覚からすると想像がつきにくい事態です。

翻って今の日本。今はコロナのために旅行にも自由に行けず、外で飲み食いを自由にすることも憚られる時期。ストレスが溜まらないと言えばうそになります。そんな中でも、政治は回り、野党は元気に政権を批判し、国民は自由に首相に愚痴を言う。政府からの指示に従わない飲食店。日本はまだまだ捨てたものではありません。物事をポジティブに、あるいはネガティブに捉えるか、ほんのちょっとした考え方の違いから見方が良くも悪くも変わる。世界を見て経験すると、自分自身の幅もずっと広がりそうです。