[ロシア法律]裁判所を訪問する人たちの裁判所における規則 / [Russian law] Court rules for people visiting the court

今回は、最近のロシア法律のアップデートについてのニュースをチェックしていて、ロシアにはこんな規則があるのか…という興味から調べてみた内容を書いたものです。以下のリンク先の記事をベースにしています。

Совет судей утвердил Типовые правила пребывания посетителей в судах с учетом замечаний Минюста (advgazeta.ru)

裁判官評議会は法務省の意見を考慮し、「裁判所を訪問する人たちの裁判所における規則」を承認した、という。裁判所にやってくる人たちの服装を含めて、裁判所での然るべき振る舞いを定めた規則が制定され、この中には総則、裁判所への訪問者の入場の組織、セキュリティ対策、裁判所を訪れる人の責任、裁判所への立ち入りを禁止する物品のリスト例の4つのセクションから成り立っているようです。

果たして日本の裁判所での振る舞いを定めた規定はというと…インターネットで裁判所のウェブサイトを検索してみたものの、以下のように注意を促すものが存在するのみかな、と思われます。きっと今のところはこのレベルのガイダンスで十分なのかもしれません。

見学・傍聴案内 | 裁判所 (courts.go.jp)

ふむ、ロシアでは何でこんな規則が制定されたのだろう?規則というのは何らかの理由があって整備されてゆく、というのが一般的と思うのですが、この規則もそのようです。詳細は下記のリンク先にある記事に経緯が説明されていました。

https://www.advgazeta.ru/diskussii/ugolovnoe-delo-v-otnoshenii-lidii-golodovich/

2018年7月、サンクトペテルブルクのネフスキー地方裁判所において、弁護士のリディア・ゴロドヴィッチ氏が民事事件の証人を入廷させようとしたものの拒否されました。この証人は半ズボンをはいていて、「裁判所における行動規準」によるとその服装が相応しくないことからでした。この弁護士は証人を中に入れる許可を得るため、弁護士は裁判所議長の応接室に押し掛け、そこで秘書が非常ボタンを押したために弁護士は手錠をかけられ、警察署に連行されたということです。結果として、権威を代表する人に対する暴行の罪、あるいは暴行をするという脅しに対する刑事事件の罪で起訴されて有罪となり、20万ルーブルの罰金支払いを命じられる、という結果になっています。

この2018年時点では、裁判所での服装に関しては規則として制定されていなかったため、この事件を経て今回の規則策定の検討が始まったことは確かのようです。そして、この規則は裁判官と裁判所職員の身辺の安全を向上させるなど、司法に関する体制と安全を確保するために作成されました。

この規則の中では、裁判所庁舎への入館を拒否する根拠が明確に説明されていて、特に身だしなみが公衆衛生の要件を満たしていない人、スポーツやビーチ用の服や靴を履いている人、膝より上のショートパンツを履いている人、人間の尊厳を傷つけるような服や靴を履いている人、社会や裁判所に対する明らかな敬意の欠如を示すような服や靴を履いている人、本人を特定できないような服装をしている人がその対象となっています。

広大なロシアでは地域によって気候も異なることから一律にルール化することは難しい要素もあるのかもしれません。(例えば、暑い夏の期間、多くの市民が夏の普段着(短パンや薄手のTシャツなど)で裁判所に来るロシア南部地方)

記事の中には興味深いコメントがありました。

”弁護士のマルティン・ザルバビャン氏は、法廷における行動規則の問題に対する統一的なアプローチを開発することは、非常に重要かつ意義深い取り組みであると指摘しています。「裁判所訪問者の適切な行動について話すのであれば、そのようなルールは普遍的かつ統一的であるべきです。統一されたルールは、裁判所の公の秩序を乱すことを防ぐだけでなく、司法が行われる場所での振る舞いに関する透明性は、市民の権利を保障する一種の保証となるからである。劇場がハンガーから始まるのであれば、司法制度は裁判所組織と訴訟手続き遂行のためのルール確立から始まるのです」と弁護士は言う。”

ハンガーから始まる - ロシアでの劇場に入れば、必ずГардероб(読み:ガルデェローブ、意味:クローク)があります。冬になると顕著ですが、来場者は必ずそこで上着を預かってもらいます。係員は預かった上着をハンガーに(フックにかけることも)かけて番号のついた預かり札を渡して…と、この光景が繰り返されています。それは徹底されたルール。それと同じように司法制度も普遍的なルールをそろえて始めるべきである、と。

余談ですが、ロシアで生活してみて良い印象を持ったことの一つに上着の取り扱いがありました。カジュアルなカフェやレストランは別ですが、どのオフィスでも一般的なレストランでも、必ず入口のすぐそばには上着をかけるコーナーがありました。ロシア人の友人の家にお邪魔した時も玄関を入ったらすぐの場所に必ず上着を置く場所がある。靴を脱いで部屋の中に入るのも然り、外と中とで区別していることは衛生的にも、マナーとしてもきっと良いことなのではなかろうか、と。また、ずっと以前にアメリカに住むウクライナ出身の方のところに遊び出かけたときに印象的だったのは、「アメリカの友人を家に招く時には、(靴を脱ぐことをお願いしていても)どうしてもそのルールを理解せずに家の中に土足のまま入ってきてしまう人がいる…。その場で言えない時には仕方がないので我慢して、後で部屋の中を掃除するしかないです…。」ということでした。文化が異なる背景を持つ人たちが共に生活することにはこんなところにも難しさが生じるのだな、という気づきを得た経験でした。

自分の好きを大切に。若宮正子さんの講演会を聞いて / Cherish what you love. From Masako Wakamiya’s lecture

プログラミングの勉強をちょこちょこしている中で知った世界最高齢のプログラマー若宮正子さん。私の住む街に本物がやってくる、ということでご本人から直接話を聞くことができるこんなチャンスは滅多にあるものではない!ということで出かけてきました。

講演会では撮影、録音は禁止だったのでメモだけとなりましたが、内容はYoutubeでも見聞きすることができる内容と概ね同じもの。そうはいっても、生の姿を直接見て、生の声を直接聞いてその熱意を感じることはYoutubeでは体験できないこと。とっても貴重な経験となりました。インタビュー記事にもありましたが、各地の講演会には一人で出かけてゆくそうです。実際に講演の後には一人でタクシーに飛び乗って帰ってゆく姿をみると、元気なおばあちゃんなんだなぁ、と。これだけすごい方だからこそ日本中で引っ張りだこであり、政府主催会議の有識者メンバーをも務める立場なのですが、面白かったのは、政府から有識者としてメンバーに招待されたときのエピソード。会議メンバーに連なる周りの方々の経歴は錚々たるもので、〇〇大学教授、経団連の〇〇など。「高卒の私が有識者メンバーなんていいんでしょうか?」と尋ねると、担当の方の答えは「時代が変われば有識者の定義も変わるのです」と。本当にそうだなって。自分が今行っていることが周りから見れば頓珍漢なものとしても、後から時代が付いてくるっていうことも。そして、学歴なんか関係ない。年齢を重ねても勉強し続けること。周りに振り回されず、自分の信じることを大切にこつこつと継続してゆくこと。きっとそれが将来に繋がる、自らモデルケースとなった若宮正子さんのように。

私がお聞きした内容もこのYoutubeに出てくるものと概ね同じ内容。各地の講演会では基本的なベースは同じ資料を利用していて、その時々で異なるものを差し替えているのかもしれません。

込み入った言い方をせず、シンプルで分かりやすい言葉がとっても良かった。聴衆の私たちの心にすっと入ってくる。メモした内容のいくつかを抜粋すると、

  • これから大切なのは”意地悪なお嫁さん”になることよ。(なんでも親のためにスマホを操作してあげることは本人のためにならない。むしろ本人にやらせることが本人のためになる、という意味で)
  • 短絡的な正解を求めない。
  • ベストではなくベター
  • 取り越し苦労をしない
  • 100点主義✖
  • 自分の考えを人に押し付けない
  • 頭を自立させる。=自分の頭で考える。人が言っているからではない。
  • 自分の好きを大切に。(私は特にこの言葉が気に入りました)
  • 携帯電話は万能電動小箱
  • AIとの付き合い方は、機長=自分。副操縦士=AI

常に新しいことにオープンで好奇心旺盛。まずはやってみることの大切さを説いている若宮さん。人生って年を重ねるほどに面白くもつまらなくもするのは自分次第。そんなことを生き方で示してくださっているのだろうなぁと思って聞いていました。

ふと後ろの方に座って講演会を聞いていて気になったこと。そしてこれは勝手な自分の思い込みかもしれないけれど。インターネットで調べてみると他の方々が述べているように、良い話を聞いても実際に行動する人は全体の20~25%くらい、そして継続できる人は4~5%くらいだとか。この数値の信憑性を証明する文献を見つけることができなかったのだけれど、ここで大切なことは実際に実践する人や継続できる人がどれだけ少ないかということ。会場から時折起こる笑いは、単に面白い話を聞けた、あるいは88歳にもなる高齢のおばあちゃんがこんなにも頑張っているんだ、という温かい笑いであってそこには88歳になっても学び続ける若宮さんの姿勢に対する倣いたいという気持ちがあるのかなぁ、と思えてきました。この会場に来るという選択をした時点でこの会場にいる方々の行動力は素晴らしいことだけれど、ただただ良い話を聞いたな、こんな年齢になってまで各地を飛び回っていてすごいな、もしそんなところで終わってしまっているとすれば勿体ない。会社の中でも退職の年齢が近くなってもまだまだ仕事や新しいことを学ぼうとする姿勢を持ち成長し続ける人っていうのは少ないように思えます。実際に私もこんな偉そうことを書いているけれど、成長し続けることがどれだけ大変なことか!そんな世界だからこそ常に学ぶことを楽しむ若宮さんの姿が光ります。果たしてそういう自分自身はどうなのか?…そんなことを思い巡らしながらちょっぴり冷や汗もかきつつ今このようにしてブログに書いています。自分の好きを大切に。成長しよう、ではなくて自分の好きなことを大切に、日々こつこつと継続してゆく。ふと気が付くと若宮さんのようになれるはず。そんな自然体でいようと思います。

ロシアのユーモアがあれば仕事での苛立ちも吹き飛ぶ? / Does Russian funny humor take away your frustration at work?

モスクワで勤務していた時、素直にロシア人スタッフを見てすごいと思い、彼らに教わったことの主な3つと言えば以下が挙げられます。

  1. 為替に対する意識の高さ。自国の通貨を信頼せず、自分の資産状況やUSDやEURの為替情報に敏感であったと思う。もしかすると長期休暇を海外で過ごすことを楽しみにしているが故に、為替レートが自身の旅行資金に直結することから必然であったのかもしれない。ロシア国内だけで生活している人にとっては大きな影響はないのかもしれないけれど、為替の暴落により簡単に自分の資産価値が3分の1になってしまうようなことを経験すれば、誰しもそうなるのかも。
  2. 「何で日本人の会議はそんなに長いのでしょうか?」…本当にそう思いました。果たして自分が今費やしている時間は投資なのか、いやいやただの消費なのか…。スタッフはよく見ています。一方で、「やります!」と約束した仕事が終わっていないにも関わらず、終業時間になったので帰ってしまったスタッフのいない机を見た時には「頼むよ…もっと時間を上手に使って仕事できなかったのだろうか。終わらなかったらせめて報告してから帰ってくれないものか…」と思ったものです。
  3. ユーモアのセンス(Русский юмор)。これは本当に素晴らしい。毎日をたくましく生きているスタッフ。笑いたいときに大いに笑い、悲しい時には大いに涙を流し。そんなストレートの感情表現は時に疲れましたが、そんな素の様子で冗談を言い合ったりしてわいわいがやがやのコミュニケーションを見るのが好きでした。

多くのスタッフがあまりにも就業規則で定める始業時間から遅れて出社するため、ある時に「始業時間の9時には業務開始できるように余裕を持って出社を」というお触れを出して、遅刻した時にはその理由を書いて受付スタッフに提出してもらったことがありました。ここではどのような勤務シフトが相応しいのかという人事システムの議論には入らず、あくまで笑ってしまったユーモアの話です。ロシア生活時代の書類を整理している中で発見したもの。全ての用紙は残っていませんが、何よりもモデルとなるべき人事部門のスタッフがこうも毎日のように遅刻していたのかと。そして、その彼女の書いた理由は怒ることも忘れてしまう思わず笑ってしまう内容でした : )

以下は手元に残っているものから。

「寝ていたかったから寝てました!」

「時計を冬時間に変えるのを忘れていました。」

ちなみに、ロシアでは通年同じ時間を利用しており、2014年に基準となる時間を冬時間とする変更があった。2017年はすでに3年が経過している…ありえない…。

(参考)ロシア/モスクワの時差と現在時刻

「もう一度(遅刻の理由を)質問してきたら私は辞めます。」

この彼女の言葉を受けてこの報告用紙の運用を止めたわけではありませんが、この後の日付のものは残っておらず。結果的に時間も全体的に改善されましたのでこの用紙の運用も自然に消滅してゆきました。人事も試行錯誤の連続。頭を抱えて真面目に取り組んでいたのにこんな風に返ってくるとは。一本取られてしまいました : )

その後も彼女はいつも楽しそうに仕事をして、自分のキャリアステップのために次の会社に転職してゆきました。幸いにも良好な関係を保つことができていたので笑って楽しく読むことができましたが、文面だけで判断すると挑戦的なコメントとも言えそうです。人と人との関係は時として緊張が走ることもあるけれど、そんな時にもユーモアを通じて緊張ももみほぐせると良いですね。

自分の持つすべてのものに感謝を。(ジャッキーチェン) / Jackie Chan’s words of wisdom – Нужно ценить все, что у тебя есть.

外国語を勉強する時、心に取っておきたい言葉を今勉強している言葉で覚えてみることも役立つかもしれません。

例えば、ウクライナに住む友人が送ってくれたジャッキーチェン(Джеки Чан)の言葉。短いフレーズですので繰り返し練習することできっと覚えることができそうです。その結果、この言葉が自分自身をポジティブな気持ちにしてくれることはもちろんのこと、ロシア語の単語、単語の変化やリズムを学ぶことができると思います。この短いフレーズの中に込められた意味も噛みしめながら、ウクライナで戦争が行われている今の世界に住むからこそ一層この言葉の重みを感じることができるのではないでしょうか。

Джеки, доволен ли ты своей жизнью?

Знаете, я как-то услышал очень мудрые слова:

Твоя сложная работа – мечта каждого безработного.

Твой непослушный ребенок – мечта каждого бездетного.

Твой маленький дом – мечта каждого бездомного.

Твой небольшой капитал – мечта каждого должника.

Твое неважное здоровье – мечта каждого больного неизлечимой болезнью.

То, что Всевышний скрывает твои грехи от глаз людей – мечта каждого опозоренного своими грехами.

Твое спокойствие в сердце, твой спокойный сон, твоя доступная еда – мечта каждого, у кого в стране война.

Нужно ценить все, что у тебя есть. Ведь никто не знает, что произойдет с тобой завтра.

(日本語訳)

ジャッキー、あなたは自分の人生に満足していますか? (という問いに対してジャッキーチェンが以下のように答えました。)

以前にとても素晴らしい格言を聞いたことがあります:

あなたが抱えているやっかいな仕事は、仕事を失ってしまったすべての人にとっての夢。

あなたの言うことを聞かない子供は、子供を持てないすべての人にとっての夢。

あなたが持っている小さな家は、家すら無いすべてのホームレスにとっての夢。

あなたの持つわずかな資産は、負債を抱えているすべての人にとっての夢。

あなたにとって当たり前の健康は、不治の病にかかっているすべての病人にとっての夢。

あなたの罪を神様が他人の目から隠してくれるのは、自分の過ちによって恥ずかしい思いをしているすべての人にとっての夢。

あなたの心の平安、安らかな眠り、何でもない食事は、自分の住む国に戦争があるすべての人にとっての夢。

自分の持つものすべてに感謝しないと。明日、あなたに何が起こるかは誰にも分からないのだから。

「安定」それがどれだけ貴重で重要なものか。/ “Stability” how precious and important it is.

モスクワで勤務しているときの採用活動において、応募者に志望動機を尋ねてみると頻度高く返ってくる言葉がありました。「日系企業は安定しているから。」とのこと。そのことを上司と会話すると、「いや安定しないでしょう、ビジネスの先行きなんて実際にどうなるか誰にもわからないんだから…なんでこうも安定、安定というのだろうね…」と苦笑い。また、賃金の交渉の段階になって手取り額について交渉するときには、— これはあくまで私の経験上に基づく感覚ですが — ボーナスがおよそ何か月分は支払い見込みです、それも含めて月平均でこのくらいは保証できます。と伝えても、志望者は実際に幾ら保証されるのか(ボーナスは会社の業績次第でカットされる可能性もあるので信じられないということだろう)を特に意識していることを感じました。ロシア人の人事スタッフにその点を応募者に対して丁寧に説明してもらい、納得してくれたスタッフが会社の一員として加わってくれました。

今現在、ほぼ毎日のように連絡を取り合っている友人がウクライナに住んでいます。モスクワで知り合い、後に彼はキエフに移住。ロシアとの戦争が始まってからはキエフを逃れてウクライナ西部フメリニーツキー地区に逃れています。その彼と一緒にウクライナ国内で避難生活を強いられている人たちへのサポートを自分たちのできる範囲で行っています。その友人から入ってくる情報は大変な状況の中で何とか毎日を過ごしている人たちの様子です。毎日決まった時間に起きて、食べて、仕事して、また食べて。リラックスした時間を過ごし、風呂に入り眠りにつく。そして目が覚めたら再び翌日がくる…。そんな当たり前のことがどれだけ貴重なことなのかを考える機会になっています。

聞いた話によれば、爆撃により8歳のとても可愛らしい息子さんを亡くしたお父さんもいます。薬の高騰で財政的な苦しさ、大好きだったロシア語を学校で教えて26年、ずっと続けてきたものの戦争でロシア語の仕事を失い無職になってしまった女性。ガスが止まってしまったので差し入れを行ったガスコンロで調理を行う家の様子。生まれ育った思い出の詰まったアパートが今では無残な形に変わり果てた故郷。マリウーポリから脱出したのちキエフへ、そして海外に避難したものの現地の生活に馴染むことができずに再びキエフに戻った女性。空襲警報が鳴り始めて非難するための一番安全な地下鉄駅までは15分かかるとか。精神的に疲れ果ててしまう生活を強いられている女性。知る限りの情報から彼らの日々の生活を想像するだけでも、それらがどれだけ辛いものであるか。少なくとも想像することはできます。

安定、という言葉の響きはネガティブに捉えることもできるかもしれません。成長がない、変化がない、と言った感じで。当時モスクワで働いていた時には、とにかく新しいことにチャレンジするように、自らその姿勢を見せることが良い評価を得るために必要な要素だ、という点を私は強調しすぎていたかもしれません。物流部門で働く若い女性スタッフは毎日の商品の出荷手配に追われ、ミスなく確実に客先へ届けるために働いている。安定した仕事の質を保つことが大切であり、そのこと自体が高い評価に値する仕事である。IT化も満足に出来ていない状況の中、チャレンジしたくてもチャレンジする余裕がない。そんな中でチャレンジが足りない、なんて言われてしまうとそれはもうがっかりだろう…評価面談の時に彼女がぼろぼろと泣いてしまった時、ようやくその気持ちを理解できた気がしました。

安定という言葉の意味をじっくりと考えてみると、安定 — 心に安心が得られるしっかりとした土台 — があるからこそ次に向かうゆとりや力がが得られるのだろう。他方、そこに安寧としてしまいチャレンジすることを止めてしまう人もいるのは事実ですが。

以下のリンクは上記の友人が教えてくれたロシア軍による攻撃の動画です。彼の住む街の郊外に降ってきたという。突如として静寂を破る爆発の音。果たしてこんなものが家の近くに落ちたとしたら誰が平静でいられるのだろうか…まるで広島・長崎に投下された原子爆弾を思い起こさせるようなキノコ雲。

自分の境遇は人それぞれで生まれた瞬間にすでに決まっているものもある。文句を言いたいことはいくらでも見つかる。人と比べて自分の立場を意識することを推奨するわけではないけれど、自分自身が得ている今の安定(少なくとも空襲警報が突如として鳴り響くことはない)を生かさない手はない。意味もなくYoutubeを見たり、見終わったあとに一体今の時間は何だったのだろう…と思ってしまうテレビ番組に多くの時間を捧げることに意味があるだろうか。(それができる環境にあるということ自体がどれだけ幸せなことか!)

今年の元日。金融の世界で大いに名を馳せた山崎元氏、大江英樹氏の死去。これもまた2024年のスタートとしては北陸の地震、羽田空港での日本航空と海上保安庁の機体衝突事故と並んで衝撃的なニュースとなりました。大江氏による未投稿となっていた言葉が日経新聞に掲載されていましたが(マネーのまなびの水先案内人 追悼・大江英樹氏の遺稿)、そこには”自分が病気になり、一時は死を意識したこともあったが、その時に考えたことは「結局、人生の最後に残るのはお金ではなく、思い出しかないんだな」と。”ということでした。果たして2024年を振り返ったときにどんな思い出が心の中に残っているだろう。世界の様子を見ると事態が益々混乱してゆく様子しか見えてきませんが、コントロールが可能な自分について言えば、着実に成長した別の自分が2025年を迎えていることを願いたいものです。ロシア語は需要が無くなれど、語学に触れることは大好きです。生涯学習のテーマとして、限られた時間ではありますが毎日勉強してゆきます。

さて、どんなに苦しくても、いや苦しいことがあるからこそやっぱり冗談は大切。笑うと楽しくなるもの。ウクライナの友人から時々送られてくる笑える動画は一体どこから見つけてくるのでしょう。日々そんな動画でも見て笑ってみるとどんなに今は辛い状況にいる人たちも少しは明日への元気をもらえるのかもしれません。

Мама читает книгу анекдотов. Приходит маленькая дочка и спрашивает;(お母さんがアネクドート(滑稽な小話、Russian joke)の本を読んでいます。幼い娘がやってきて尋ねます。)

– Мама, а где ответы?(ママ、どこに答えがあるの?)

– Какие ответы?(何の答え?)

– Ну ответы к анекдотам.(ええっとね、アネクドートの答え。)

– Зачем к анекдотам ответы?(どうしてアネクドートに答えが必要なの?)

Мама, ну как ты не понимаешь? А если не знаешь, где надо смеяться?(ママ、じゃあどうやってアネクドートを理解できるの?もし答えを知らなかったら、どこで笑っていいのか分からないじゃない。)

まさに私の気持ちを代弁してくれている会話。これもロシアで購入した小話集から取り出した会話例です。

ロシアで食事をしていると大抵耳にするアネクドート(小話)。これを100%理解できるようになれば、あなたはすでに完全にロシア人。アネクドートを理解するには言葉の使いまわしを理解したり、ニュースで見聞きする世間の情報に通じていないといけないため高難度と思います。悔しいですが、皆が笑った後に丁寧に説明してもらってようやく理解できる、そんなことばかりでした。今でも覚えているけれど、昔にサンクトペテルブルクの語学学校でロシア語を習っていた時に先生が話してくれた小話:

ある夜、突然に電話がかかってきてこう尋ねました。

「もしもし、車のタイヤが欲しいですか?」

「いえ、必要ないです。(自分の車には4つのタイヤがすでに付いているので。)」

「わかりました。」といって電話が切れました。

翌日…、出かけるために自分の車のところにいくと、4つのタイヤが無くなっていたとさ。

という、そんなお話。ロシア語で聞くとこれまた面白く。”欲しい”という言葉をどう捉えるかでこうも話が何倍にも面白おかしくなる、言葉って面白いです。

Бедность за порог / 貧困ラインを越えて

ここ最近、過去にファイルしていたロシア記事を整理していて見つけた興味深い記事の紹介です。情報元は2020年1月17日発行のРоссйская газета(直訳:ロシア新聞)に掲載されていた記事。2020年1月15日にプーチン大統領が行った年次教書演説に関するもので、これはすでに4年前のもの。今更…という声が聞こえてきそうですが、昨今の日本で議論されていることと似通った点を感じたのでした。なお、できる限り調べたものの一部誤訳の可能性もある点をご了承いただければ幸いです。

なお、大統領の年次教書演説の概要はJETROのサイトに分かりやすくまとめられていましたのでそちらをご参照することをお勧めいたします。

https://www.jetro.go.jp/biznews/2020/01/0738c2bc42877464.html

この年のプーチン大統領の演説での重点課題の一つとして、国民の実質所得の停滞に向けた解決策が挙げられていました。2020年1月1日から、一人当たりの所得が最低生活費を下回る世帯に対して、3歳から7歳の児童に毎月給付金を支払うことを提案。これには、ロシアという国を持続させるためにも人口の維持を支える政策が重要であることが演説の内容からも伺えます。

Послание Путина Федеральному собранию. Главное

«Судьба России и ее историческая перспектива зависят от того, сколько нас будет. Сегодня нас почти 147 млн человек. Но мы вступили в очень сложный демографический период — семьи сейчас создает малочисленное население девяностых годов. И показатель снова падает. Суммарный коэффициент рождаемости (количество детей, рожденных одной женщиной. — РБК) составил, по предварительной оценке, 1,5. Для нашей страны этого мало. Для сравнения: столько же было в 1943 году, то есть во время Великой Отечественной войны. Существующие сейчас негативные прогнозы не могут нас не настораживать. Наша обязанность — к середине наступающего десятилетия обеспечить устойчивый рост населения».

「ロシアの運命とその歴史的展望は、私たちの人口の数がどうなるかにかかっている。現在、私たちの人口はおよそ1億4700万人近くいる。しかし、私たちは人口統計上非常に困難な時代に突入した。家庭は今、90年代の少ない人口を生み出している。そして、その指標は再び低下している。合計特殊出生率(1人の女性から生まれる子供の数、RBC)は、事前の推計では1.5であった。これはわが国にとって十分ではない。比較すると、1943年つまり大祖国戦争中も同じ水準であった。今存在しているネガティブな予測を私たちは憂慮せざるを得ない。我々がすべきことは今後10年の半ばまでに持続可能な人口増加を確保することである。」

ロシア大統領直轄の経済評議会メンバーである経済専門家グループ責任者、エフセイ・グルヴィッチ氏によれば「貧困人口のかなりの部分が数人の子供を持つシングルマザーであり、手当を支払うことは出生率を上向きに促す可能性がある。」という説明からも給付金の支払いがロシアという国家存続に繋がる重要な施策であることが理解できます。

現在の任期の初めに、プーチン大統領は2024年までに貧困レベルを半減するという目標を設定したものの、実際にその実現は当初予定のようにはいっていないようです。

関連記事:”Кудрин допустил снижение уровня бедности вдвое раньше 2030 года”

演説の前日、国会議員のグループは、収入が最低賃金の2分の1未満の個人に対して所得税を免除する提案を提案。この案について、会計検査院のアレクセイ・クドリン長官(当時)は、個人所得税の支払いを取り消す代わりに補助金の支給により貧困層の人々をサポートすることを提案した。「とても低い給与に対する課税を低くすることは貧しい人々にとって直接に価値を感じられないものですが(もちろん、いかなる課税の削減は誰からも歓迎されますが)、この場合、貧困との闘いについて話しているのであれば、私は家族の一人当たりの所得に基づく補助金と、それに基づく適切な補助金の配分がより効果的であると考えています。」

⇒ 今年、日本でも低所得世帯への給付金が支給されますが、所得税の減税か補助金の支払いか効果的な方法は何か、という点についての議論やどの国でも同じように議論が交わされているようです。

Rosstat(ロシア政府の統計機関)によると、2019年には賃金の最低と最高の差が13倍に縮小した。 2013 年にはこの比率は 15.8 倍、2009 年には 14.7 倍でした。労働に対する報酬の不平等の縮小は、最低賃金、公務員の給与の引き上げ、および一連の産業の発展の結果です。専門家は賃金の格差が更に縮小することを予測している、とのこと。

公式統計によると、現在、賃金格差が最も高いのは養殖業(28.8倍)、科学活動(19.3倍)、IT(17.6倍)で、最も低いのは自動車生産(7.1倍)と繊維製造業(7.2倍)である。モスクワでは、最も賃金の高い労働者の10パーセントが33万7,800ルーブルを受け取り、最も賃金の低い労働者の10パーセントが2万6,000ルーブル。その差は16.4倍である。最低賃金(11.2千ルーブル)を労働者の1.2%が受け取り、最大給与(50万ルーブル超)は0.1%。最大の割合の従業員は33.9千〜4万ルーブルの給与を受け取ります (9.7パーセント)、5万〜6万ルーブル(8%) および 60千~75千 ルーブル(7.4パーセント)と続きます。

VTsIOM(”全ロシア世論調査センター”。ロシアで最も古く、最もよく知られた世論調査会社) によると、現在、国民の 14 パーセントが現在の経済状況に満足しているという。

回答者の半数以上 (61%) が「平均的」、4 分の 1 が「悪い」と評価しています。ロシア人の回答者のうち52%が自国の経済状況を「平均的」、29%が「非常に悪い」と考えており、14%が状況は改善したとのこと。

「個々人の経済状況に関しては、国民の 78 パーセントが自分自身は貧困層の人間だとは思っていない、という結果が出ている。これを「主観的貧困」というのだ。

と締めくくられていました。

⇒ これは皮肉のこもった表現に思えてならず苦笑いしてしまいますが…”主観的貧困”とは、自分自身が貧困に陥っていて困っている、という主観的な意見に基づく貧困だと理解しています。それを、「私は貧しい人間ではない。」という主観的”非”貧困の答えをもってそれを主観的貧困であると断言し、それが国民の78%にも上る…これをどのように捉えてよいのかは分かりません。富が上位の一握りの人々に偏り、大半の人々は苦しい生活を送っているのだとすれば、必ずしもこの記事の作者の意図するところは外れていないのかもしれません。

⇒ 言い換えれば、自分の現在の最低レベルであったとしてもあるもので満足している、ロシア人の素晴らしい特質なのかもしれません。明らかに西側諸国、日本にはモノが溢れています。モノを手に入れてあまり長続きすることのない幸福感を味わうのか、モノがなくても今あるものから幸福感を味わうことができるのか?人の幸福感はそれぞれ異なるため優劣をつけることはできませんが、金曜日ともなればモスクワ郊外に向かう車列の渋滞や電車の人々。ダーチャで週末を家族やペットとゆっくり過ごし、家庭菜園や家の手入れを楽しむ。そして再び元気を得て月曜からの仕事に戻る…そんな素朴な時間の過ごし方の中に、これまでとは違う幸福感の在り方も知ることができたモスクワでの生活でした。

参考資料:貧困から社会的排除へ 指標の開発と現状

ロシア語学習のすすめ ― Duolingoを約1年間継続して思うこと / Recommendations for learning Russian – Thoughts after using Duolingo for about a year

2023年を振り返ると、Duolingoでの学習継続が12/31(日)時点で連続340日となりました。この記事を書いている今日時点も引き続き継続しています。続けてDuolingoを利用する中での私の感じている点をまとめてみました。

ところで、比較的最近に偶然発見した素晴らしいロシア語学習Youtube番組”Russian with Dasha”の中で ― ロシア語を勉強している方の中では有名なチャンネルなのかもしれません。ロシアのサンクトペテルブルクを拠点に活動されている方のようですが、街の様子も知ることができて視聴者の興味を引き付ける良くまとめられた内容と感じます。登録者数がもっと増えてもよいのでは、とそう感じました。― Duolingoに関して評価がされていました。動画が作成された時期は古いものですが、本質をついた指摘事項は今でも有効だと思います。この動画で指摘されているDuolingoのPros & consに沿って書き出してみます。

Duolingoの良いところ

It’s very convenient. You can use it anywhere you want.

自分のペースで勉強できる。無料の学習オプションもあるけれども、Duolingoをしっかりと使い倒したいとなると、有料プランに移行せざるを得ないのかなと。実際に私も当初は無料で頑張っていましたが、広告も入ります。一定の数間違えるとHPが回復するまでに待つ必要があります。間違い無しでレッスンを進めてゆくことは実質不可能ではないかと。年間契約にするとディスカウントあり、という文句にそそられて有料契約プランに申し込み現在に至ります。

以前に勉強した点を繰り返し復習できるので、繰り返しによる学習効果を体験できること。

問題を間違えると、正解するまで繰り返し復習させられます。同じレッスンの中でもロシア語を聞いてその訳の回答を求められるケース、同じ文章で先ほどとは逆パターン(先ほど答えた回答をもとに今度はロシア語で文章を組み立てて回答を求められるケース)が出題されるため理解度が求められる、という工夫もされています。

毎日の達成感と世界中の”ライバル”たちとのランキング争い

シンプルにDuolingoの良い点を挙げるとすれば、毎日継続することによる達成感が得られること。そして世界中の”ライバル”達と各リーグの中で毎週ランキングを競い合うことで語学学習のモチベーションを維持する助けになることと思います。上のリーグに昇格することを目指し、あるいは下のリーグへの降格を避けるため時には締め切り時間ギリギリまでレッスンを行い勉強する、そんなことが繰り広げられています。

Duolingoの限界

Duolingoではロシア語のアルファベットを教えてくれないこと。そこまで求めるには難しいかもしれません。そんな時には、”Russian with Dasha”にある以下の動画はいかがでしょうか?丁寧に説明されています。

Duolingoでもアルファベットのページが用意されており、それなりに勉強できるコンテンツが用意されています。気軽に学ぶだけであればそれで十分なのかな?と思ったりも。真剣に語学の上達を目指すのであれば、ネイティブやロシア語の教師の方などに基礎から学ぶことは必須と思います。そこにDuolingoの限界を感じます。

Duolingo doesn’t explain how to make a Russian sentences

ロシア語の語順はとってもフレキシブルです。そんな言語を全く文法の学習を経ずにDuolingoだけで学ぶのはほぼ不可能と思えます。個人的に関心があって、ずっと中国語のDuolingoコースも欠かさずに練習していますが、上達には限界があることを認識させられます。むしろほとんど上達していないのでは…と悲しくなります。一方、基本的な学習を終えているロシア語については、今のところどんな文章構成にすべきか、ある程度自分で推測することが可能です。また、付随してウクライナ語コースにも挑戦していますが、ロシア語と似ている部分も重なるためにロシア語同様に自分の理解を土台として練習することができている点で中国語とは異なります。

他にDuolingoで気になる点として発音テストの答えが正しく認識されないことが時にあるのでは、というフラストレーションです。発音テストの練習問題において、どう考えても正しく発音できているのでは…と思ってもアプリで間違いとして判断されることがあります。時にイライラさせられることは否めません。このアプリを利用する目的は楽しく語学を学ぶこと。そのモチベーションを失いかねないかもしれません。

ロシア語上達のために必要なこと。

当たり前だ、と言われそうですが自分で工夫、追加の努力が必要。例えばこの動画では、「ロシア語入力キーボードをダウンロードし、Duolingoでは実際に自らタイピングして答えを入力すること」が勧められていました。それはさすがにレベルが高すぎるのでは…。実際にトライしてみて思いました。ロシアで勤務しているときにもロシア語しか話さないビジネスパートナーの方とのやり取りではロシア語でメールを作成していたものの、非常に苦労しました。今でもSMSで定期的にロシア語やり取りを続けているので携帯電話のディスプレイ上でロシア語アルファベットを探しながら練習中です。きっと良い頭の体操になっているのでしょう。一方でアルファベットの知識が十分でない方が自らタイピングするのはモチベーションは大抵の場合続かないはずです。気軽に学習する目的であれば、まずは自分で直接タイピングするよりは、正しい語群を選択できるところからスタートするほうが長続きするでしょう。個人的にはNHKラジオのロシア語講座はよくできているなぁと思うので、独学で勉強することを考えている方で15分の時間を取れるのであればまずはNHKラジオ講座がお勧めです。

大切なことは、

The goal is memorising the vocabulary and sentence structure and speaking. It is not a game, it is nota cometition. It is a language app. Duolingo is more powerful, if you use it as a pillar of a multi resource learning strategy.

語学学習のゴールは語彙、文章の構造を学習し、話すことを学ぶこと。言語の学習はゲームや競争ではない。Duolingoは言語アプリ。もし複数の学習リソースを柱として使うのであればDuolingoはもっとパワフルなツールになるでしょう。

言葉への抵抗感をなくすこと。少しずつ毎日触れること。

その他に私自身が感じるのは、とにかく言葉への抵抗感をなくすこと。少しずつ毎日触れること。冒頭で紹介した動画では”Even for 15-20 minutes”とありましたが、この15分という数値を毎日クリアすること自体もそれなりに大変な方もいると思います。Duolingoの一つのレッスンをクリアする場合3分ほどで行うことも可能です。どうしても気分が乗らない時にはわずか一つのレッスンをクリアすることで、少なくとも今日も連続して勉強したぞ、という達成感を維持すること。それが長期的に語学の勉強を続けることに大切なことに違いありません。

毎日の音読。

特に(周りに迷惑をかけない程度の)大きな声で実際に声を出して練習してみること。黙読で頭の中であったり、小さな声で読んでいる時には気が付かない、自分で出来ていない発音部分を自覚できます。

実際の生のロシア語を聞くこと。

実際のロシア語が奏でる”音楽”を聴いて、ロシア語のトーンやリズムを体感する。学生時代であればロシア語のニュースを聞いてロシアで報道されているニュースを知ると同時にロシア語学習を行うことであったかもしれません。しかし今の時代、ロシアのニュースを聴いていると、聴いていて気分が沈んでしまうニュースが多くなりました。そんなこともあって以前のように頻繁にロシア語ニュースを聞くことはすっかり減っています。その代わりに、語学学習の目的であれば、自分自身の好きなテーマのYoutube番組を見ることはお勧めです。そのYou tuber自身は語学の先生ではないため、その方の話し方の影響を受けてしまうリスクがありますが、楽しみながらロシア語に馴染めるのは重要かな、と思います。

何事も継続は力なり。でも同じことをずっとやっているだけでは次のレベルに行くことは難しい。どうも上達できていないと感じたらその時には何か工夫をしてみる。効果が出ていればそれは自分に合った方法だということが分かります。その繰り返しを継続すること。少なくとも、Duolingoでただ得点を取ること、リーグで上位ランクに名前を連ねることだけが目的となっているのであれば、きっとその学習効果は本来の語学学習の目的を逸している危険がある。1年間学習を継続してみてそう感じました。

年の初めに今得ている命と自由への感謝の気持ちを考えてみる / At the beginning of the year, think about gratitude for the life and freedom we have now.

皆さんは新たな年を迎える年末年始で必ず行うように心がけていることはあるでしょうか、NHK紅白歌合戦、除夜の鐘、年越しそば、初詣など…。

モスクワに駐在していた7年間を振り返ってみると、全ての年で出来ていたわけではありませんが、年の初めには今こうして持っている命や自由について感謝の気持ちを実感できる場所に足を運ぶようになっていた、ということがあります。

自分が置かれている今の環境は決して理想的でないとしても、命があり自由があることに感謝の気持ちを持つ機会を持つこと。それを新たな一年の初めに行うことをお勧めしたいです。― 私の周りにいる大変な家庭環境の中で一生懸命に逞しく生活している友人のことも考えると、生きていること自体が苦しいことがある、ということも事実です。死ねるものなら死にたい、という人もいます。― それでも、何かを行える命があること、自分の意思で行動できる自由があること。そんなことを考えると、毎日の生活で感謝できることを見つけ前向きに努力しよう、と思う気持ちが高まってきます。

私にとってのそれは第二次世界大戦での出来事、特にホロコーストに関係する博物館に出かけてゆっくり時間をかけて展示物を見て回ることでした。気が付けば駐在中に以下の場所を訪れてきました。まだまだ知らない、出かけたこともない場所が幾つも存在すると思われます。出かけてゆき、直接目にして手に触れることが一番良いと思います。しかし必ずしもそうはゆかないもの。それは博物館に出かけることでなくてもYoutube、本を通しても出来ることと思います。大切なことは何かを題材にして自分の頭で心で考え、感じること。そんな時間を年末年始に取ることができるのであればぜひお勧めしたいです。

米国ホロコースト記念博物館

Youtube channel => Link

ワシントンにあるアウシュビッツ博物館。合計3回は訪れました。初めて出かけた時には午前中に入り気がつけば閉館時間に。涙が頬を伝わって止まりませんでした。オンラインでも充実した内容が取り扱われているようですが、もしも、仮にワシントンに出かける機会があるとすれば、何卒この博物館に立ち寄ることをお勧めしたいです。人間とはいったい…?また、自分が今こうして自由に自分の意志で生活できることがどれだけ幸せなことなのか…そんな気持ちを感じることができる場所です。自分自身の記憶が正しければ、ホロコーストを生き残った生存者の中には、ついに自由を得た外の世界に戻れたにも関わらず、自分の場所を見つけることができず自殺をした人がいた、という事実に衝撃を覚えた記憶がずっと心に残っています。

常時展示(Link)が始まるフロアへ上がるエレベータを降りて扉が開いた、その目の前に広がる衝撃的な写真からこの博物館の見学が始まります。

ニューヨークにも実はちょっとしたユダヤ人に関する博物館があります。

ユダヤ人遺産博物館

ワシントンにあるホロコースト記念博物館と比較すると小規模であり、当時としては、ここに展示されているものは既に見たことがあるものが多いなぁ、そんな印象でした。ひっそり静まった館内。そこではこの建物にたどり着くために歩いてきたニューヨークの喧騒からは切り離され、静寂とした建物の窓からは青々とした空の下にニューヨークの海が広がっていました。ニューヨークにいるはずなのに、まるで別世界にいるかのような不思議な感覚に囚われる時間、空間でした。

Yad Vashem

Youtube channel => Link

イスラエルのエルサレムにあります。聖書のイザヤ書から取られている名前を持つこの記念館は、まさにホロコーストでナチスとその協力者達によって殺害された6百万人のユダヤ人たちを記憶に留めるために設立されたもの。エルサレムという場所にある、この場所で見るからこそ、また他の博物館とは異なる感覚に浸ることができたのかもしれません。隣にいた団体グループでは、”ナチスが収容所にいるユダヤ人たちに与えられた食事がどれだけ悲惨なもので、死んでも代わりはいるので問題なく、死ぬことを前提とした栄養レベルの食事が与えられていた”、と熱く語っているガイドがいたことを記憶しています。

″And to them will I give in my house and within my walls a memorial and a name (a ΄yad vashem΄)… that shall not be cut off.″

(Isaiah, chapter 56, verse 5)

Yad Vashemの名前が取られたという聖書のイザヤ書の言葉

モスクワにも規模は大きくありませんが、映像を駆使したユダヤ人博物館があります。アンネ・フランクに関する特別展示を行っているときもあり、駐在中は何度か訪れていました。

モスクワのユダヤ人博物館

モスクワにある他の博物館も訪れましたがいずれも設備が古い。そんなイメージだけが残っていますが、このユダヤ人博物館はそれとは異なり現代のIT・映像技術を駆使しているように思えました。内容は別として、設備は欧米の博物館にも匹敵するような、そんな印象があります。

ポーランドのワルシャワ蜂起博物館

これはホロコーストとはテーマが異なります。正直に言うと一つ一つの展示についてはほとんど記憶に残っていないのですが、ソ連赤軍がワルシャワ蜂起を傍観したままに蜂起が失敗に終わることを許していた、という事実も含め、戦争というものの残酷さ、人間とはいったいなぜこうも…そんな感情が沸き上がったことは心の中に残っています。

この他、学生時代に訪れたポーランドのアウシュビッツ=ビルケナウ強制収容所。これはホロコーストを語る上ではなくてはならない場所。…当時燦々と太陽が降り注ぐ晴天の中を歩いた敷地内。イスラエルの国旗を掲げたユダヤ人団体グループが静かに見学していた光景を覚えています。ここに詳細を書きませんが、他にも休暇を利用してでかけた場所 ― ロシアの都市スモレンスク近くで起こったカティンの森事件、北オセチア共和国にあるベスラン学校占拠事件、ウクライナのチェルノブイリ原発事故 ― このような場所一つ一つに足を運んで心に感じること。それもまたモスクワに駐在していたからこそ訪れることができた場所であり、人間とは…考えさせられる経験となりました。

広島の平和記念資料会館

今年の年末は広島に行き、幼い頃に一度だけ訪れたことがある平和記念資料会館に出かけてきました。わずか一つの原子爆弾だけで、1945年末までに約14万人もの命を奪ったという事実。ナチスによるユダヤ人虐殺とは異なる種類の残虐な殺戮。今の広島の街中に広がるゆっくりと流れる川、きれいに舗装された通り、たくさんの人、モノで溢れかえったアーケード街。街中を走っている路面電車のレールの所には、当時大やけどを負ったおびただしい被爆者たちがレールの上に頭を載せて横たえられていたそうです。川沿いを散歩していると、いくつもの記念碑が設置されていました。

スミソニアン航空宇宙博物館(エノラ・ゲイ)

広島の原子爆弾といえばエノラ・ゲイ。ワシントン中心街から離れた場所にあり、当時は公共バスでたどり着きました。この飛行機が1945年に広島上空から原子爆弾を投下したB-29爆撃機。この機体を実際に目の前にして当時のことを振り返ることができたことも貴重な経験です。

さて、すでに2024年1月2日。今年も自分に与えられた命、自由というものに改めて感謝の気持ちを感じ、自分の立てた目標を達成できるように一日一日を精一杯生きよう、努力しよう思いをもらって良いスタートを切ることができました。仮にこの文章を読んでくださる人がいれば、皆さん一人一人にとっても目指しておられる目標に向かって着実に前進できる素晴らしい年となりますように。

(なお、この記事では私の記憶に基づいた記載があります。歴史の事実と全てを正確に照らし合わせることができていないことをご了承ください。当ブログでは、万が一にも生じる掲載内容で生じた損害に対する一切の責任を負いません。)

基本ロシア語文法 イントネーション / Basic Russian Grammar – Intonation

イントネーションとは?「基本ロシア語文法」(著:佐藤純一氏)によれば以下のように定義されていました。

断定・疑問・感嘆・命令・ためらい・問い返しなどの意味をあらわすために、文は一定の声の調子をとります。これをイントネーションといいます。外国語を話すとき、イントネーションが正しくないと、意味が通じなかったり誤解されたります。

日本語で断定の意味の文章を話すときには文末を下げるし、同じ文章のままで疑問形にしたいときには文末を上げる。例えば、「あなたはロシア語を勉強している。」それをそのまま疑問形にするならば「あなたはロシア語を勉強している?」となります(きっと「~勉強していますか?」あるいは「~勉強しているの?」と言った方が自然なのかもしれませんが今回の内容はイントネーションに重きを置くということでご了承願います)。

こう考えると、基本的にロシア語も日本語も同じなのかもしれません?(この文章もイントネーションを利用した疑問形になっています)そして、ロシア語の会話を聞いていればロシア語としてのイントネーションは自然と身につくものだろうと思うと、イントネーションは教科書をじっくり読んで勉強するよりもとにかく実践あるのみ、ということなのかもしれません。

以下のような断定を表す文のイントネーションでは、文末の音が下がる。

Это Маша.(これはマーシャ(女性の名前)です。)

Маша здесь.(マーシャはここにいます。)

Маша гуляет в парке.(マーシャは公園の中をを散歩しています。)

同じ文章でもイントネーションが変わると疑問文になる。(疑問文にするためにイントネーションを変える、とも言えるのかもしれませんが)なお、以下で黄色でマークした部分は文章の中で強調される(イントネーションが高くなる)箇所ですが、厳密に文法ルールを調べて記載したものではありません。あくまで私個人の知識・経験に基づいて記述しています。ロシア語のイメージを掴む程度に利用いただければ幸いです。

Это Маша?(これはマーシャですか?)例えば、マーシャという女性を写真の中でどれかな、と探していて見つけたときの反応。

Маша здесь?(マーシャはここにいますか?)

Маша гуляет в парке?(マーシャは公園の中を散歩していますか?)

イントネーションの付け方を変えると、先ほどとは質問の意味が変わってくるのがまた面白い。

Это Маша?(これが(あの)マーシャですか?)例えば、昔の写真を見た時に、えっ!今の姿からは到底想像できない!これがあのマーシャなの?といった驚きを表す。

Маша здесь?(あのマーシャがここにいるの?!)何十年も会っていないのにまさかあのマーシャがここにいるなんて。信じられない!、そんな時に言えるかもしれません。

Маша гуляет в парке?(あのマーシャが散歩してるんですか?)ずっと病気で入院全く外を出歩くことがなかったのに、あのマーシャが外を散歩できるようになったの?もっと良い例があるかもしれませんが…こんな時にも使えるのかな、と思いました。

イントネーションの大切さを説明している動画を発見しました。この女性の説明自体も綺麗で明快なイントネーションで勉強になると思っています。

動画の中で例として取り上げられている例として以下の会話があります。イントネーションを正しい場所に正しい音程で使いこなすことで全く異なる意味の文章となることの良い例となっています。(イントネーションにどのようなな違いがあるのかについて、もし関心のある方がいらっしゃればぜひ動画の4:11~をご覧ください)

После сытного обеда бабушка интересуется у внука:

- Наелся?

А он ей отвечает:

(パターン1)- Еще бы – столько сьел!

Или

(パターン2)- Еще бы столько сьел!

(日本語訳)たっぷりと昼食をとった後、祖母は孫にこう尋ねました。

「お腹いっぱいになった?」

孫は祖母に答えました。

パターン1:「 これ以上食べれないよ、もうお腹いっぱいだ!」

パターン2: 「お腹いっぱいになればいいのに!(まだ食べたいな!)」

Логическое ударение (усиление голоса) - 上記の動画4:00

используется для того, чтобы подчеркнуть особое значение определенного слова в конкретном предложении

論理的なアクセント(音声強調)
特定の文における特定の単語の特別な意味を強調するために使用されるもの。

つまり「声で強調することは文章の意味を理解するために重要なこと」である、ということを理解できます。自分自身の反省点も交えながら振り返ると、言葉は自分が思っている以上に強弱をつけるほうが相手に伝わりやすいのかな、と思っています。とりわけ日本語での会話はロシア語に比べると音声の強弱が明快でないケースも多いでしょうか、どうしても伝わりにくくなりがちかもしれません。今回改めてイントネーションの大切さを認識することができました。

オープンイヤー型ワイヤレスヘッドフォンSHOKZ OpenComm vs OLEAP PILOTを使ってみて思うこと / Review Open-ear headphone SHOKZ OpenComm vs OLEAP PILOT

ロシアに駐在していた少なくとも今から4,5年ほど前のこと、休暇を利用してアメリカに出かけた時に現地の空港通路にあるショップで偶然に見かけたのがShokz(当時はAfterShock)でした。当時はまだ日本でも全然有名ではなかったと思います。自分の耳の中にイヤフォンを入れて音楽・音声を聞くことは自分の耳への影響を考えると極端に避けています。その点で骨伝導は以前から大変興味があるもので、空港で商品を試すことなく購入することはしないタイプですが、思わずその商品の魅力に惹かれて購入しその場で早速使用し始めました。非常に軽快な装着感に大変満足。きっと音質を気にする方であれば選択しないのかもしれませんが、当時は専ら英語やロシア語ニュースのポッドキャストを聞くためであり私にとっては十分でした。特に心配であったのは、柔らかいので簡単に壊れてしまわないかという点でしたが、今でも、現在は使用していないものの無事に形を残したままケースに保管しています。

時は流れて、帰国してからオンライン会議用にShokzが出している、ということを知り購入したのがShokz。ネット上で話題になっていましたが、ShockをTeamsで使うときの大きなマイナスポイントは、マイクをミュートにしているとずっとビープ音が鳴りやまないこと。ミュートになっていることを知らせてくれるその機能は必須ではないのですが。解決策が分からず、当時の対策は、自分が発言しないときにはマイクをパソコンのマイクに変更してミュートにしておき、発言のタイミングでマイクをShockに戻す、というもの。

そんな機能をついに改良されたというニュースを会社の先輩から教えていただきました。Teamsで使用する際には以下の設定方法に習うならば解決できるそうです。

https://qiita.com/minorun365/items/25185594ac85d03f5459

そんなわけで、現在は専らJabra社のヘッドフォンが自分自身のメインのツールとなってるためにOpenCommを利用する機会がありませんでしたが、久々に利用開始してみたところ、確かにかつてのビープ音が無くなっていることに驚きました。Teamsのデバイス設定を確認すると、確かに上記記事にて説明されている通りの設定になっていました。ついに何も問題なくOpenCommを利用できるではないか!?そう思うと一気に利用頻度も高まってきています。これまで在宅勤務の際には音量にあまり大きな注意を払うことなくスピーカー(YVC-200)を利用して会議を行ってきたものの、住宅事情もあって近隣住民へ迷惑となっている恐れもあるのではと考えるとワイヤレスのヘッドフォンを利用する価値があるのかもしれません。

このYoutubeの動画では、両者の違いが大変丁寧に説明されているな、と思いました。おすすめです。

技術的なことを書けるほどの見識はありませんが、ここではあくまで実際に使用したユーザーとしての視点で感じた点を書いてみます。

比較製品

  • SHOKZ OpenComm

(注)執筆時点での最新モデルはOpenComm2:ttps://jp.shokz.com/products/opencomm2

私が所有しているのは現在販売されているOpenComm2の前の世代のものでOpenCommです。仮にこの記事を参考にされる方がいらっしゃれば最新モデルの情報をよく確認されることをお勧めいたします。Youtube動画で確認したところ、大きな変更点として挙げられていたのは2つ。マイクの位置がOpenCommでは左であったものがComm2では右側に変更されたこと。そして、Comm2ではマイク上にミュートボタンが付いたこと。これにより、Teamsで会議の時にミュートのON/OFFを手元のボタンで操作が可能となったということです。この機能はきっとShokzファンの方にとっては嬉しい変更ではないだろうか、と想像します。後でも記述していますが、OLEAPにはオレンジ色のミュートボタンが装備されていて気に入っています。

装着感

耳の大きさは人それぞれでこの装着感の良し悪しは人によりますが、OpenCommのほうが断然上かな、と私は断言できます。1時間ほど装着した後では、徐々に耳のあたりから痛みを感じるようになります。私の頭の大きさにも依存しているものと思いますが…挟まれている頭が痛くなってきます。Oleapのイヤホンは耳珠の部分に被さるようで、何か耳が圧迫感を感じることも原因なのかな?と勝手に想像しました。それで、短時間の会議での使用であればOleapでもOK、しかし、長時間の装着であればOpenCommが絶対的にオススメというのが私の意見です。

音声

Shokzは骨伝導での音伝達。一方のOleapのイヤホンは耳孔に挿入することはありませんが、耳元で音声がスピーカーからダイレクトに届くもの。構造が異なります。

上記の通りOleapで聞く音声は耳元で音声が直接届くためクリアな音がします。Shokzの製品は骨伝導ということで少々こもったような音というのでしょうか、この製品を使う際に試しに自分の両耳の穴を指で塞ぐと頭の中全体に音が広がって聞こえるような、何とも面白い音響効果です。オープンイヤー型でもあるためどうしても外の音を耳から拾ってしまう。周りが騒々しい環境の中でOpenCommを利用する場合いには音声を聞き取ることが難しい状況もあります。

Oleapの良さと言えば充電口はUSB-C。他の機材でもUSB-Cを利用しているためわざわざOleapのための専用充電ケーブルを持参する必要がないこと。また、右側スピーカー側ついているオレンジ色のボタンはミュートボタン。ボタンを手元で操作するだけでミュートのON、OFFの変更ができるのは便利です。他方のShokzですが、ケーブルは専用開発された独自の接続デザイン。このケーブルが壊れてしまうと充電ができない、という問題が出てしまいます。大切に扱っているので今のところ問題はありませんが、この形状になっているのは何故なのでしょう…。新しいShokzのOpenComm2ではミュートボタンもついたとのことで、ますますShokz製品の魅力が高まりそうです。

収納ケース

両者共に特徴のあるケースです。もっとコンパクトでバッグに入れやすいケースにしてくれればよかったのに…と思うことも。持ち運び用のイヤフォンはどうしてもコンパクトに優れたものが勝ることとほとんど利用する機会も少ないことからノイズキャンセリング機能つきのイヤフォンをカバンに常備しています。代用できそうなもっとコンパクトなケースを見つけて利用しようかな、と思いつつも持ち運びの機会がほとんどないために今はオリジナルのケースを利用継続しています。