7月上旬、金曜日、土曜日と二件連続でロシア人の友人の結婚式に出かけきました。初めて参加するロシアの結婚式で勝手も分からず途方に暮れてしまった経験豊かそうな年配のロシア人女性に聞いてみると、「恰好は何でも大丈夫よ、ネクタイも不要でジャケットを羽織るだけでもいいのよ」と。お金の相場はあるのか?聞くと、一言、「望む分だけ包みなさい(по женанию)」とのこと。それでは欲しい答えになっていない…。一番良識のありそうな身近な同僚に尋ねると、彼女曰く、「親友であれば15K~20K RUB、一般的な友人であれば8K RUBくらい」と具体的な返事が返ってきた。この日は式の前日。直前の準備となってしまい少々焦りと共に24時間営業のロシア郵便局(Почта России)に出かけてポストカード、お金を包むための祝儀袋も合わせて購入した。
結婚式 其の一:
10.00 ЗАГС(Запись актов гражданского состаяние)と呼ばれる婚姻関係を合法的に登録するための場所に到着。すでに建物内ホールでは多くの友人たちが集まって二人を祝福していた。新郎はウクライナ出身で、キエフなどの都市から親戚も来ていた。新郎は以前の奥さんがすでに亡くなっており、今回の結婚は2回目。彼の娘さんご夫婦がキエフから、モスクワ近郊に住む息子さんも父親の結婚を祝福していた。だいぶ待ったが婚姻届にサインするセレモニー専用の部屋のドアが我々のために開かれる(予約に沿って各組順番でこの部屋でセレモニーをするようだ)。スタッフ女性は慣れた様子で式を盛り上げ、書類サインを完了後の参列者による祝福で最高潮に達して式典は終了。ここでも二人を祝福しプレゼントを手渡していた。自分は渡しそびれてしまい次のチャンスをうかがうことに。
12.00 このセレモニー自体は短いもので、その後近くの公園に出かける。今はモスクワでも広まっているカーシェアリング(каршеринг ロシア語では英語をそのままロシアアルファベットで表記)を使い、わずか30RUB(60円未満)程度で2,3キロほどを仲間と移動。公園では先ほどの参列者たちが順番に新郎新婦と記念写真。そして持ち寄りのサンドイッチ(бутерброд)やジュース(сок)などで小腹を満たす。公園では、他の街からやってきたゲストと会話し、知り合い、グループツアーの中国人観光客が興味本位で近づいてくるのに笑顔で答えながら時間が経っていった。その後披露宴会場へ移動。ここでもご祝儀袋を渡しそびれる・・・。
14.00 貸切のカフェへ到着。披露宴の準備にとりかかる。手作り感が満載で、自分も一緒になって子供たち、おばあちゃんと一緒にお手伝い。いつ来ても結婚式は素敵だな、と思う。なぜ人が一緒になるのか、改めて考える時間となるし、新郎新婦の周りであふれかえる親、親戚、友人たちの笑顔。こちらまで幸せな気分になってくる。仕事や日常生活の問題をひと時の間忘れて感じる幸せ。
15.00 予定より遅れて披露宴が始まる。聞くと、ロシアの披露宴は日本と同様にきっちりとしたプログラムに基づいて出し物が進行していくようだ。司会スタッフと音楽担当の息もぴったりで徐々に進んでゆきダンスタイム…が、大音量の音楽を流し続けることにオーディオ機器が耐えられないのか何度も何度も音楽が中断しブーイング。しまいには音楽無しでみんなで歌を歌い出す。こんなハプニングもあって時間通りに行かないものの、終始みんなで笑い、踊り、出し物で盛り上がり、同じテーブルのゲストと知り合いロシアや日本のことを語り合ったり。じっと静かに座っていたおばあちゃん(恐らく80歳近くだろうか)、この人は踊りとは縁が無さそう…そう思っていたけれど、ふと気が付いたら、何ともアクティブに立ち上がって踊っていたことには驚いた。時間が経つのはあっという間で、遠方から来ているゲストは深夜の夜行列車に乗るため、車で来ている人は何百キロも離れたところに帰るため少しずつ去り始める。
22.00 最終的に全員が帰途についたのは22.00を回ったころ。今日は食べて飲んで少しだけ踊って(残念ながら踊りは全くだめ。勝手に身体が動くままにすればいいのよ、と言われても身体が動かずどうすればよいのか…次回に備えて、といっても明日も結婚式がある…いつかに備えて少しは家で練習してみようと誓った)幸せな気分に。無事にご祝儀袋も渡すことができ、満足して帰宅。
結婚式 其の二:
13.00 会場に到着。ビジネスセンターの一室を貸し切って行われた披露宴は前日と違い、大変シンプル。皆顔見知りの仲である、すでに到着していた他のゲストと久しぶりの再会を喜んだ。この新郎新婦は面白くて、ロシア人なのに全く踊らない。どんなに周りが促しても頑なに断る。ダメダメダメ(“Нет Нет Нет”)と新郎は断り、会場の端っこで新婦は「靴はいているのが疲れた」といって靴を脱いでリラックスしている。どうやらすでに主役は参列者に移り、終始ダンス、ダンス、ダンス。気づいたのは、世代を超えて?好まれる歌が2曲ある。といってもこれは自分の周りにいる友人だけかもしれないが。
White Roses(Белые розы 1989年)
Black eyes(Черные Глаза 2005-2006年にヒット)
共に古い曲だけれど、これが流れ始めると歓声とともに大いに盛り上がる。世代を超えて愛される曲なんだろうな。曲のテンポも丁度よくて踊りやすいのだとか。
ダンスは自分を自己表現する一つの手段と思うが、昔から自由に自分の感情や考えを人前で素直に表現する機会が無かったことも影響するのか、どうも踊りはよく分からない。比較的長く接してきたクラシック音楽は、演奏中は静かに音を立てずに聞くもの。どんなに演奏家が自分の演奏に入り込んでいても観客はじっと見つめて静かに見守っている。ゲストとしてきていたアルメニア人の男性曰く、アルメニア人の結婚式では、食事と音楽があればそれでOK!あとはみんな勝手に踊っているから、とのこと。それぞれに人間が作り出したしきたりがあり、それによって音楽の楽しみ方も変わってくるけれど、慣習に縛られない、自由に音楽を感じるままに楽しむ、そんな自然な在り方が素晴らしい。今日もまた、70代以上の高齢者女性が自分のペースで楽しそうに踊っていた。
新郎のご両親も来ていたが、普段着で来ていて驚きであった。日本では結婚式となると厳粛なもので、しっかり着飾って失礼なことをしないようにしなければと。新郎新婦の家族はテーブルを回ってビールを注いで挨拶に回る、長いスピーチが延々と続き、一体いつ終わるのだろうかと思いつつ耳を傾けるが、しまいには脈略の無い話に耐えかねて食事に戻る…(「私の話は短くさせていただきます。え~それでは…」といって話し出す人こそ話が長い、と思うのは私だけだろうか)。そしてなんとまあ式のコストが高いことか…。というのがイメージ。
少なくとも今回の結婚式から分かったことは、祝福の仕方はいろいろあって良いこと、懐事情の差が主要因に違いないが、きっちりと着飾る人もいれば、一方では失礼の無い程度に着飾って参加する人もいる。共に幸せを共有するために厳密なプログラムはいらない、とにかくありのままでその場を楽しむ、あとは踊る!日本の良さはたくさんあるけれど、ロシアで過ごしていて大変居心地が良いと感じる一つの最大の理由は、自分のありのままでいられる、ということだろうか。もちろん、ロシアでも育つ家庭や小さな地方都市に行くと周り近所の目を気にするなど、日本と同様の観衆があるようなので、私のこの理解が当てはまらないことも事実かもしれないけれど。この式は17時を過ぎた頃に終わり、酔っぱらうこともなく皆が家路についた。
ЗАГС(Запись актов гражданского состаяние)について
ザックス、と呼ばれる国家機関は、出産・死亡・養子縁組(усыновление)・結婚・離婚の登録を管轄している。現在はこれ以外にも個人情報の変更も管理しているようです。ソ連時代以前は、これらの機能を教会が担っていたが、この機関の原型がピョートル一世の時代(在位1682年~1725年)に生まれたようだ。ソ連政府から宗教は「民衆のアヘン(опиум для народа)」と呼ばれ、司祭達が所有していた権利は街・地区の行政に移っていきました。1917年12月18日の法令によってЗАГСは正式に結婚、死亡、出生を特別な書類に記録するようになったようです。
ЗАГСでの合法的な登録がなければ、政府が提供するサービスの受給資格が無いことから苦労する場面が増える模様。例えば出産の際には出産手当の受給や医療機関への登録が出来ないこと。婚姻届がなければ親戚関係の証明ができないことなどのデメリットが挙げられています。
参照:www.mnogo-otvetov.ru/pravo/chto-takoe-zags-i-dlya-chego-on-nuzhen/