人事評価で一番大切なもの / The most important thing for Evaluation

仕事で出かけたモスクワ郊外の本日の様子。車窓から撮影した一光景。今日は仕事に戻るのが嫌になるくらいとても良い天気だった。


仕事に人事評価で一番大切なものは?と聞かれたらどんな答えが出てくるだろうか?しっかりとした人事評価システムの構築、評価制度の説明ガイダンスの設定、評価マニュアルの作成と対象者全員への配布、評価者研修による評価者のレベルアップ、スタッフとのコミュニケーション、信頼関係の構築などなど…いずれもが大切でどれかを一番、ということはできない。そもそも、ロシアでネットやアマゾンを眺めていても、今の世の中では評価制度自体の意義に疑いの目が向けられ、半年・年に一回の評価制度そのものを見直す、という動きが世界的に起こっていることを見ている。日本の大会社でガッツリと根付いた制度そのものを見直すことを考えると、その労力は想像を絶する。簡単ではない。今ある制度は決して悪いものではないのだから、それをいかに有意義にできるか?まずはそこから考えることが一番現実的で有効に違いない。

ロシアでの人事評価

ロシアに来てからの当初は毎回の評価でスタッフとお互いに理解し合えない終わり無き評価面談を繰り返してきた。それにしても、ロシアに来て早々に人事評価を担当。こんな30代で部下を持ったこと、人の評価すら人生で一度たりともしたことの無い人間によく評価をやらせるなぁ…と思った記憶がある。本社からすれば若手の訓練を積ませる実践の場。聞こえは良いけれど、日本人、ロシア人、同じ人間。彼らにだって大切な家族があり自分の将来を考えている。どんなに会社の規模が小さかろうと連結決算上の売上規模が0.1%であろうと、評価の重みはどこでも同じなはずで、自分の行う評価の重みをよくズシッと感じなければならないのだろう。日本での評価経験は課長でもその中でグループ長に就かなければ経験がつめないのだろうけれど、若くしてロシアでこの経験が積める機会があることにいつも感謝している。日本よりもロシア人スタッフの評価をするほうがずっとタフではないだろうか。おそらく、日本の大会社における人事制度はすでに大多数の人間が諦めているか、形式的にこなしている(?)ためか、それほど苦労もせずに淡々とこなすマネジャーが多いのでは…と失礼ながら想像している。こちらのロシアの会社では、「なんで私の評価がこれなんですか!?納得できません、ちゃんと説明してください!」「これはBだと思います、なぜCなんでしょうか、意味が分かりません。」、「どうしたら私のこときちんと評価してくれるんですか?どれだけ一生懸命やっているか分かっていますか?(そして泣き出す)」そんなやりとりがが繰り返されてきた。右も左も分からず、なんて申し訳ないことを当時してしまったのだろう…と今でも切なくなる記憶もある。時には意味のない長時間の話し合いがのらりくらりと続いたことも…10歳以上も上の相手に、お互い冷静だけど、皮肉たっぷりの笑顔と言葉で続いた冷戦。計3時間。相手になめられていたのだろう。今となれば良い勉強となった時間とプラス思考でいたい。

インターネットで見る多くの宣伝。「評価システムで困っていませんか?評価制度の解決なら私たちにお任せください!」という類の文句の裏には、御社にあった最善の評価システムを構築します、というものがほとんどと感じている。それも非常に大切で、自分自身も毎度日本に帰国する度にドサッと本を購入し、ロシアでもアマゾンKidleで本を購入し、色々と勉強してみるとあれま、これは役立つことばかり、と読みふけってしまう。…でも待てよ、と。最も大切な答えはもっと違うところにあり、ずっとシンプルなのではないか。それらの宣伝文句のポイントは的を外しているのでは、といつも感じている。

人事評価の成功=相互理解が日頃からどれだけ出来ているか

評価システムが基本的に最低限整備されているのであれば、何よりも大切なのは「相互理解」でしかない(自分の経験上、それ以外に答えが見当たらないのだ)。語弊を恐れずに言えば、評価システムはそんな重要ではない(むしろ立派なシステムを構築するよりもシンプルなほうがずっと良いのでは?)。相互理解のためにはやはりコミュニケーション(対話)。そのために自分自身はWeeklyでの1対1の面談が最も考えられる現実的な方法なのではないだろうか。今、1on1ミーティングの重要性が多くの媒体で推薦されており、それだけ日頃からコミュニケーションを取ることの重要性が叫ばれているのを見ると、だれしもがその真実を分かっているわけだ。

1対1の対話の大切さ

個人個人に目を配り、ケアをしてあげるのがマネジャーの仕事。自分の勤務する管理部門は経理、人事、法務、物流、ITとあり、各部門には多くても最大5名。各課にはロシア人マネジャーがおり彼らが部下の評価を見ており、十分に個人個人に気を配ることができるはず。この面談をマネジャーは欠かすべきではないと思う。Playing managerである管理職はどんなに努力したって月に一度の面談がやっと、というのが現実なのかもしれないけれど、それでも週に一度、個別に話す機会を必ずもつことが必要と経験を通して、自分の犯してきた失敗を通して自分は皆に伝えたい。評価で一番難しいところは、なぜ上司がCをつけ、部下はBを自己評価でつけるのか、そのお互いの認識の相違を埋めること。そのために上司は部下に対して自分の評価基準、期待していること、部下に現時点で不足している点などを日頃から定期的に伝えてゆくこと。これができるのは毎日の積み重ねでしか成しえない。だからこそ1対1の定期的な面談を継続してゆくしかないのではないだろうか。以前、日本にいた頃の評価で思い出すのは、年間を通して一切マネジャーと話す機会もなく、日常業務では仕事の相談のみ。上司はとても忙しそうに朝から晩までLaptopに悶々とうなっている。期末には1時間の面談が設定され、それが唯一上司と1対1で自らの業務について会話する機会。面談では「う~ん、そうですか、どうですか調子は?」など拍子抜け。評価結果のフィードバックもない形だけの評価面談。別の上司は毎回5分程度(!)「XXX君、特に何もないかな?よくやってるね、よし!」これも違うでしょう…。それでも、大会社で誰しもが制度に疑念を抱く気持ちはよく分かる。4-5次審査まであり、直属上司の評価は途中の段階で知らないところで調整がなされる。その説明は無く、上司からは「自分はXXX君に良い評点を付けたんだけど上で変えられてしまったようで…。」これでは制度を信じること自体難しい。少なくとも、自分たちでフルコントロールできるロシアの会社だけはそうあってはならない。

完璧な評価制度など無い

評価は人間が行うものである以上完璧なものはない。むしろ、評価制度に完璧を求めてくるスタッフがいると正直疲れるのも事実なわけで…。何度も読み返している本「戦略人事のビジョン」著:八木洋介氏、金井壽宏氏(光文社新書)の中で“人事評価は、組織のパフォーマンスについて最終的な責任を負う人が下すもの…ということは、最終責任者がどういう人かによって、評価される人材は変わってきます…ですから、上司と相性が悪く、そのため低い評価を受けてしまう部下がいたとしても、それはあながち不公平とは言えない…。言ってみれば「上司との相性も実力のうち」です。”とある。これに自分は賛成だ。上司は自分のパフォーマンス結果に責任を取り、それの一端を担うのが部下になるわけで、部下は上司の意思を理解し自分のパートを果たそうと努めることが要求されている。日々、すべてをきっちり整理したがるわが社のロシア人人事マネジャーとはなかなか理解し合えず毎回苦労している。どちらも正しいからこそお互いに見解の相違を埋めてゆくことに毎度時間がとられる。それでもそんな人間がいかに変わるのか、どうしたらもっとよく説明して理解してもらえるのだろうか、それを一生懸命に考え、実行し、それが目に見えてくる過程を時に恨めしく思いつつも面白がるしかない。

先日の人事スタッフとの会議では「日本人はエイリアンだ!」と断言された(笑)。何を考えているのかさっぱり分からないらしい。正直、自分も長くロシアにいて、たまに日本に帰るとそう思う。感情の表し方がどうも下手なのではないだろうか。周りに気を配る文化が行き過ぎると、周りの視線を気にしすぎて自らを抑制する結果となり、それが当たり前となる時に人間性が失われてゆくのだろうか?すべてがマニュアル化されており、それに逸脱した行為をする人間を敵とみなして攻撃態勢に入るのではと。日々ロシア人とバトルしつつ、自分の感情を自然に表現できるようになってゆきたい。