皆さんは新たな年を迎える年末年始で必ず行うように心がけていることはあるでしょうか、NHK紅白歌合戦、除夜の鐘、年越しそば、初詣など…。
モスクワに駐在していた7年間を振り返ってみると、全ての年で出来ていたわけではありませんが、年の初めには今こうして持っている命や自由について感謝の気持ちを実感できる場所に足を運ぶようになっていた、ということがあります。
自分が置かれている今の環境は決して理想的でないとしても、命があり自由があることに感謝の気持ちを持つ機会を持つこと。それを新たな一年の初めに行うことをお勧めしたいです。― 私の周りにいる大変な家庭環境の中で一生懸命に逞しく生活している友人のことも考えると、生きていること自体が苦しいことがある、ということも事実です。死ねるものなら死にたい、という人もいます。― それでも、何かを行える命があること、自分の意思で行動できる自由があること。そんなことを考えると、毎日の生活で感謝できることを見つけ前向きに努力しよう、と思う気持ちが高まってきます。
私にとってのそれは第二次世界大戦での出来事、特にホロコーストに関係する博物館に出かけてゆっくり時間をかけて展示物を見て回ることでした。気が付けば駐在中に以下の場所を訪れてきました。まだまだ知らない、出かけたこともない場所が幾つも存在すると思われます。出かけてゆき、直接目にして手に触れることが一番良いと思います。しかし必ずしもそうはゆかないもの。それは博物館に出かけることでなくてもYoutube、本を通しても出来ることと思います。大切なことは何かを題材にして自分の頭で心で考え、感じること。そんな時間を年末年始に取ることができるのであればぜひお勧めしたいです。
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ワシントンにあるアウシュビッツ博物館。合計3回は訪れました。初めて出かけた時には午前中に入り気がつけば閉館時間に。涙が頬を伝わって止まりませんでした。オンラインでも充実した内容が取り扱われているようですが、もしも、仮にワシントンに出かける機会があるとすれば、何卒この博物館に立ち寄ることをお勧めしたいです。人間とはいったい…?また、自分が今こうして自由に自分の意志で生活できることがどれだけ幸せなことなのか…そんな気持ちを感じることができる場所です。自分自身の記憶が正しければ、ホロコーストを生き残った生存者の中には、ついに自由を得た外の世界に戻れたにも関わらず、自分の場所を見つけることができず自殺をした人がいた、という事実に衝撃を覚えた記憶がずっと心に残っています。
常時展示(Link)が始まるフロアへ上がるエレベータを降りて扉が開いた、その目の前に広がる衝撃的な写真からこの博物館の見学が始まります。
ニューヨークにも実はちょっとしたユダヤ人に関する博物館があります。
ワシントンにあるホロコースト記念博物館と比較すると小規模であり、当時としては、ここに展示されているものは既に見たことがあるものが多いなぁ、そんな印象でした。ひっそり静まった館内。そこではこの建物にたどり着くために歩いてきたニューヨークの喧騒からは切り離され、静寂とした建物の窓からは青々とした空の下にニューヨークの海が広がっていました。ニューヨークにいるはずなのに、まるで別世界にいるかのような不思議な感覚に囚われる時間、空間でした。
イスラエルのエルサレムにあります。聖書のイザヤ書から取られている名前を持つこの記念館は、まさにホロコーストでナチスとその協力者達によって殺害された6百万人のユダヤ人たちを記憶に留めるために設立されたもの。エルサレムという場所にある、この場所で見るからこそ、また他の博物館とは異なる感覚に浸ることができたのかもしれません。隣にいた団体グループでは、”ナチスが収容所にいるユダヤ人たちに与えられた食事がどれだけ悲惨なもので、死んでも代わりはいるので問題なく、死ぬことを前提とした栄養レベルの食事が与えられていた”、と熱く語っているガイドがいたことを記憶しています。
″And to them will I give in my house and within my walls a memorial and a name (a ΄yad vashem΄)… that shall not be cut off.″
(Isaiah, chapter 56, verse 5)
Yad Vashemの名前が取られたという聖書のイザヤ書の言葉
モスクワにも規模は大きくありませんが、映像を駆使したユダヤ人博物館があります。アンネ・フランクに関する特別展示を行っているときもあり、駐在中は何度か訪れていました。
モスクワにある他の博物館も訪れましたがいずれも設備が古い。そんなイメージだけが残っていますが、このユダヤ人博物館はそれとは異なり現代のIT・映像技術を駆使しているように思えました。内容は別として、設備は欧米の博物館にも匹敵するような、そんな印象があります。
これはホロコーストとはテーマが異なります。正直に言うと一つ一つの展示についてはほとんど記憶に残っていないのですが、ソ連赤軍がワルシャワ蜂起を傍観したままに蜂起が失敗に終わることを許していた、という事実も含め、戦争というものの残酷さ、人間とはいったいなぜこうも…そんな感情が沸き上がったことは心の中に残っています。
この他、学生時代に訪れたポーランドのアウシュビッツ=ビルケナウ強制収容所。これはホロコーストを語る上ではなくてはならない場所。…当時燦々と太陽が降り注ぐ晴天の中を歩いた敷地内。イスラエルの国旗を掲げたユダヤ人団体グループが静かに見学していた光景を覚えています。ここに詳細を書きませんが、他にも休暇を利用してでかけた場所 ― ロシアの都市スモレンスク近くで起こったカティンの森事件、北オセチア共和国にあるベスラン学校占拠事件、ウクライナのチェルノブイリ原発事故 ― このような場所一つ一つに足を運んで心に感じること。それもまたモスクワに駐在していたからこそ訪れることができた場所であり、人間とは…考えさせられる経験となりました。
今年の年末は広島に行き、幼い頃に一度だけ訪れたことがある平和記念資料会館に出かけてきました。わずか一つの原子爆弾だけで、1945年末までに約14万人もの命を奪ったという事実。ナチスによるユダヤ人虐殺とは異なる種類の残虐な殺戮。今の広島の街中に広がるゆっくりと流れる川、きれいに舗装された通り、たくさんの人、モノで溢れかえったアーケード街。街中を走っている路面電車のレールの所には、当時大やけどを負ったおびただしい被爆者たちがレールの上に頭を載せて横たえられていたそうです。川沿いを散歩していると、いくつもの記念碑が設置されていました。
広島の原子爆弾といえばエノラ・ゲイ。ワシントン中心街から離れた場所にあり、当時は公共バスでたどり着きました。この飛行機が1945年に広島上空から原子爆弾を投下したB-29爆撃機。この機体を実際に目の前にして当時のことを振り返ることができたことも貴重な経験です。
さて、すでに2024年1月2日。今年も自分に与えられた命、自由というものに改めて感謝の気持ちを感じ、自分の立てた目標を達成できるように一日一日を精一杯生きよう、努力しよう思いをもらって良いスタートを切ることができました。仮にこの文章を読んでくださる人がいれば、皆さん一人一人にとっても目指しておられる目標に向かって着実に前進できる素晴らしい年となりますように。
(なお、この記事では私の記憶に基づいた記載があります。歴史の事実と全てを正確に照らし合わせることができていないことをご了承ください。当ブログでは、万が一にも生じる掲載内容で生じた損害に対する一切の責任を負いません。)