ロシア人スタッフの時間管理-其の2 / Time management of Russian staff – part 2

赤の広場横に隣接する公園、Зарядье(Zaryadye)から眺める赤の広場の美しさ。先週訪れた際の一コマ、20時くらいの光景です。Zaryadyeの言葉の由来は「(12あるいは13世紀頃に構築された区画で)Behind the row(赤の広場に隣接する市場のお店の”列”の後ろにある場所)」だそうです(Wikipediaより)

以前に記載したロシア人スタッフの時間管理テーマの続きです。朝9時の始業時間に遅刻した時にスタッフに書いてもらっていた用紙一式を、部下から受け取りました。そのユーモアセンスのレベルの高さ、内容の面白さにただただ笑うしかありませんでした。そもそも朝の9時に全員が来なければいけない理由はなぜなのでしょう?会社制度の在り方を考えさせられます。

ロシア人の友人との会話 ―

「学生時代には時間管理が厳しくて、とても遅刻なんかできなかった。」

私「なぜ就職した途端に突然時間を守れなくなるの?学生時代には遅刻せずに学校に行っていたのに?」

「卒業するといろいろあるのよ…。家のことや家庭を持って忙しくなるし。」

私「学校と同じように、会社でも時間管理を厳密にしたらどうだろうか?」

「そしたら誰も居なくなるわよ。」

私「…」

Arrival time 9:08 “Я спала, потому что хотела спать!”(寝ていました。だってもっと寝たかったんだもん!)そうだよね。でも…頑張って来よう。

Arrival time 9:23 “Вышла к электричкам, не могла найти выход в город.”(電車の(出口の)方面に出てしまい、街への出口を見つけることができなかったの。)そんなアホな。

Arrival time 9:05 “Забыла перевести часы на зимнее время.”(冬時間に時計をずらすのを忘れてしまってました。)いやいや、2014年10月26(日)からはサマータイム制度は終わっていて一年中時間は同じですよ。

Arrival time 9:03 “Забалтать с продавцом роз”(ばら売りの売り子とおしゃべりをしてました)おしゃべりしている時間があったら遅刻せずにオフィスに来い!

Arrival time 9:23 “Не хотела приехать.”(会社に来たくなかったんだもの)なんと応えてよいのか…。私もそんな気持ちになること、あります。

Arrival time 9:03 “Monday morning :(“ (月曜日の朝だし。)うん、分かります。でも…頑張って来ようかね。

Arrival time 9:05 “Еще раз спросите – уволюсь.”(もう一度(遅刻した理由を)聞いてきたら辞めてやる)彼女は大切な人材だったので、この時に辞めることなく続けてもらってよかった…。

人生のどのタイミングで人はやる気を無くし得るのだろうか / In which timing a person could lose motivation in his life.

赤の広場につながっているNikolskaya streetにて。カラオケに合わせて突然路上で女性二人が踊りだしました。ロシアの有名な曲。体が自然と動き出すようで、とても楽しそうな様子。自由に自己表現して楽しんでいる様子は見ていてとてもよいですね。

人は一体いつ、どのタイミングでかつてのやる気をなくしうるのだろう。

ってここ最近いつも思う。

会社に入社した研修でお会いしたとある工場での工場長の話。「今、ここにいるみんなは全員同じ位置にいるけど、10年間我武者羅に仕事してみてください。きっと大きな違いになっているから。」

そんな言葉がけっこう印象に残っています。それはずっと昔のことで、それが実際にどう自分自身に生きているのかは分かりませんが、その言葉の重みをいつも感じます。当時の同期として入社したメンバーが実際に現在どのように仕事をしているかを見るとき。今、ロシアにいて、ロシア人スタッフを見ていてはっきりと分かること。それは、人によってどんなに同じ時間を過ごしても、その結果が実るのは1倍であったり、2倍になったり、10倍になる、ということ。

よく考えれば当たり前なのでしょうが、なんだか前までは、自分の期待するレベルまでできれば到達可能なんだ。だから「がんばれ、やればできる、何でも必要なことは終えてあげるから。」という意識で。できなければ、「なんで出来ないんだ?仕事時間集中してがんばろうよ、黙々と仕事をしてくれ!長い雑談はするな!」というふうに。その中でもどんなにこちらが努力して支えても、伸びる人伸びない人は明らかに分かれる ― これを頭の中でどこか否定しつつも、はっきり理解できたことは大きかったです。

伸びなくなる人 ― その原因はいろいろですが、その一つに仕事にやる気をなくすタイミングが訪れた、というのはあると思います。それが、もしかすると、自分で思っているようにできない自分がいることに気がついたとき、それを周りから指摘されたとき、いやもう少しはできるのではないか、と反骨心をもつことなく、もうどうでもいい、と思ったとき。そんなときがあるのだろうか、と。

つい先日、近畿大学での又吉氏の卒業記念講演を見て、このお話をYou tubeで聴いてから、自分が悩んでいることへの答えはこれなのだろうか、と。新鮮でした。とても重みのある言葉でした。自分で自分に対する期待が裏切られたことが分かったとき、人はどう行動するのか・・・ここが大きな転換点なのだろうか、と考えてみたり。自分の能力を把握し、それを認めて、自分のに合ったレベルでどれだけ自分で伸びてゆけるか。自分と定期的によく向き合うことの大切さ。

自分自身も素の自分に正直になって、変に期待しすぎること無しに有りのまま進んでゆこう、と。ロシア人スタッフのことを見ていてわが身のことを振り返る時間となりました。

成長したいと思っていても出来ない人がいる、という衝撃の事実 / The shocking fact that there are people who say “I want to grow” but cannot

今日は久々にとてもよい天気の週末となりました。モスクワ川沿いをサイクリング中に発見したこんな建築中のアパート群。この”足”が魅惑的です。日本では見られないデザイン。ある意味、一歩先を行くデザインではないか、と思うのですが皆さんの感想はいかがでしょうか。

人材育成。ロシア現地法人で働くにあたって、駐在員に課せられた重要な任務の一つ。私にとって衝撃的だったのは、

「本人が成長したいと思っていても成長できない人がいる」この事実。

人は自分に意思があれって努力すれば成長できる、この信念を持っていただけにこれは衝撃的でした。

ロシアに来る前に勤めていた会社の総務スタッフにいた先輩男性社員。業務に関する質問1つを別部署の男性に電話で尋ねたあと、1時間もだらだらと仕事に関係の無い話を続ける男性。「別にいいじゃないですか~」「しょうもないっすね~」「なんで明日できるのに今日やんなきゃいけないんですか?」を口癖のように連発する人でした。その会話が終わったあとに「1時間も電話で会話する内容ですか?」とだけ一言発言したものの、当時はまだ強く言える勇気もなく会話途中で口を挟むことができませんでした。職場を離れる最後の時、タイトル「仕事の心得」と銘打ち、A4で3枚ほどの彼宛に書きました。封筒に入れて「これを読んでください」と言って渡しました。私の一方的な主張であり効果はなかったはず。もう随分昔の話です。この男性には、明らかに成長したい、との意思はありませんでした。あのときに「人を変えようと思ってはダメなんだ。逆に自分が人を変えられないことのストレスで病んでしまう…」と学習し、周りの友人からも諭されて納得した真実。ここロシアでは、成長したい、と本人が望んでいるのにできない。こんな真実があるのか、と。それを否定しようと一生懸命に取り組んできたのですが、どうやら真実のようです。

成長の阻害要因

・その人には硬い硬い信念が根付いており、それから外れることをアドバイスされても聞く耳をもたない

・その信念が自分の成長阻害の原因である自身の変えるべき点を認めたくない、認められない頑固さ(自分が何かしら人よりも上であることを認めさせたい)

・周りからのアドバイスに対して、その正しさよりも、その中の細かい点の誤りを逐一見つけては反論し、まったく先に進まない(アドバイスを行う側の私について言えば、完璧ではないので細かい部分でのいい間違いや不明確な点はあります。といっても伝えたい芯にゆらぎはないので、主要ポイントを掴んでくれればよいだけなのですが・・・)

・かといって自分の力だけでは成長するために何をしてよいのか分からず途方にくれる

・周りの人間も関わりを持ちたくないゆえにその本人の改善すべき点を伝えることを止めてしまう。本人は周りから指摘がないために自分に問題はないのだ、と思い込んでいる(周囲の中での自分の立ち位置や自分が回りとのコミュニケーションにおいて問題を抱えているとの自覚力の欠如)

あるいは

・ほんとうの馬鹿、

それとも

・「私は成長したい」と口だけで言っている、本心は別に成長しなくても、なんて思っている

のかもしれません。

大切なのは必要なポジションに必要な能力を備えた適切な人材を据えること

会社がポジションに任命したスタッフが必要な能力を持っているのかを判断するのは、かなり難しい。口で言うほど、頭で分かっているほどに簡単ではありません。日々起こる種々の課題への取り組みと結果を見る中で分かってくるもので、試用期間3ヶ月(マネジメント層、経理責任者は除く※彼らの試用期間は6ヶ月)の中ではっきりと分かるものではない、というのが私の結論です。だからこそ、試用期間中は出来る限りスタッフの能力を見極めるために深く関わってゆくことが大切なのだな、と過去の採用の痛い失敗経験を踏まえて学んでいます。

成長できるレベルは人それぞれに応じて違う – その判断を正確に、迅速に

同じ時間が皆に平等に与えられているのに人によって成長の度合いが異なる。これは事実。ただ、せめて各自のできるところで日々成長目指そうよ、って思います。でも、毎日オフィスに来て同じ仕事のパターンを繰り返し、お昼にみんなで楽しく笑って過ごし、終業時間がきたら“Пока~(パカ~:またね~)”といって帰っていく。みんな若いんだし、もっと自分の可能性を信じようよ、って思います。ただ、きっと皆持っているパイの大きさは同じとすると、そのような人は仕事以外のことにより多くの情熱を捧げていて、私の見えない部分で、その分野では飛び切りの成果を出しているのかもしれません。そうはいっても、昼食時間の1時間も含めると9時間も会社に人生を捧げるわけです。その取り返しのつかない時間を毎日何かしら1つでも新しいことを学ぼうという思いで過ごせればもっと充実した時間を過ごせるだろうに…と。

マネジメントに必要なことは、それぞれの部下の強さと弱さ、能力の限界に対する正しい判断力。それに応じて業務配分を行うこと。そして、その判断に至るまでの時間をいかに最小限にできるか。これが大切なスキルなんだと考えています。

自由とその許容範囲のレベルの狭間でもがくロシア人スタッフの管理 / Management of Russian staff – struggling between promising freedom and the limit of the freedom

立ち寄った食料品のお店入り口にて。ご主人の帰りをじっと待っていました。

会社では自由闊達な議論が行われ、どんなポジションにも関係なく自由な意見を言える、これが目指すべき会社の姿であることは一般的に言われています。しかし、私自身が実際に会社でマネジメントする中でそれが必ずしもうまく機能せず、良かれと思って行ったことが自分自身を苦しめることに繋がることも経験しています。

上の立場にいる私からすれば、部下がものを言えども、最終的には私自身の決定に素直に決定してくれることを望みますが、時にスタッフが一線を越えることがでてきます。それは日ごろから自由を尊重し、どんな点でも言ってね、むしろ言わないとダメだ、というスタンスでいるがゆえに、スタッフも(彼彼女からすれば)私の決定が間違っているのだ、と主張してくるわけです。最終的な決定に従ってもらうには、日ごろからの信頼関係の問題も出てくるため、どれだけ日常的に部下とのよい関係を築けているのかが問われる場面となっています。とは言っても、関係づくりもどれだけ強固なものが築けるのか、それまた難しい。どんなに考えて行動していても、お互いの一言、たった一つのメールが原因だったり、ただ朝から機嫌が悪いことから言葉はなくとも、自然と伝わってしまう態度、行動から険悪な雰囲気となってしまう、徐々に話す機会もなくなり、仕舞いには挨拶もせずに目をそらしてしまう…。そんなことが小さな会社の中で起こっているのを目にしてきました。

次元は違えども、国の政府も同様で、政府、民間企業の大小の規模関わらず、あらゆるところで同じことが起こっているのであろうと想像しています。おそらく、政府にしても会社の首脳陣にしても、国民や一般従業員が意思を持って政府、マネジメントの判断に対して公に声を上げる事を内心嫌がっているのであろう、と。国で言えば、国民に選ばれた人たちが、選んでくれた人たちの声を政府に届けるどころか、彼らの意思とは違う行動を取ることがある、そんなことがあるに違いありません。上の立場になると、一般の人が持っていない情報や人脈ができ、それによって将来を見据えた行動を取るべきであると認識する。その一方で一般大衆は自分の身の回りのこと、毎日の自分の生活環境内で起こる出来事を重要視する。将来の国民全体の利益や他の州や自治国で起こってることは関係ないわけです。そのため、国を治める側になると、将来を見据えた上で、自分を選んでくれた人たちにも一部犠牲を強いる必要がある。それを分かってもらうのがどれだけ大変なことか・・・。ロシアでの年金制度の改革で各地で大騒ぎとなったこともまだ記憶に新しい事です。

こういったことが自分の周りでも、ここロシアでの小さな会社でも起こっています。部下との関係の距離をどのように取るべきか、ここは人を管理する立場になって感じる非常に苦しい部分でもあります。自由を尊重し率先して薦めてゆく一方で、どこかに制限をかける必要性がある。その狭間で悩み、苦しむことがあります。何か素晴らしい解決策があるとは言えず、いつも飾らずに素の自分で接しています。それが自然ですし、自分も苦しくならずにいられます。そのうえで、話を聞き、意見に感謝しふさわしいところは相手の意見を取り入れたうえで最終的には自分の決定に従うように指示をする。おそらく当たり前のことなのでしょうが、なかなかこの当たり前のことをできるようになるには多くの時間と経験を要してきました。

情報の透明化について一言

情報の透明化がよい、という論調が勝っているように感じられますが、それもどうでしょうか。素直にその通りだ、とも言い切れないものがあります。会社のPLBSを見せて会社の財務諸表に関心をもってもらうとすると、駐在員に関係する経費の情報の取り扱い方の問題にぶちあたります。情報を公表して、会社の販売管理費、対売上比率にも目を向けてもらいたい一方、向けてもらってはいけない経費情報もその費用の中には含まれている。さてどうしたものか・・・、どんなに説明しても一向に基礎的な会計知識が身についてゆかない姿、しかし、とあるときに「販売管理費の具体的な内訳を教えてください。一体、Otherで集約されている経費の中には一体何が含まれているのですか?」なんて言われたらどう説明すべきか…。情報を公開すればするほど、むしろ自らの首を絞めることもある、という錯覚に陥ってきます。知らないほうが幸せであることも実際あるのは確かなようです。この狭間で苦しむことがあります。もちろん、言わずともロシア人スタッフも日本人とロシア人とでは待遇も異なる、というのは容易に理解している点ではありますが。

どんなに隠していてもどこからともなくいつの間にかロシア人スタッフに情報が広まっていると言って間違いありません。給与情報、ボーナスの金額もその日のうちにお互いになぜだか伝わっています。日本では考えられません・・・。(新入社員として入社した時の初めての給与明細を同期全員で同じ研修部屋で受け取り、皆で封を開けたとき。そんな時代がありました。人事教育担当者が笑いながら「こんなことできるのは最初だけだ、ありえないなぁ」と言っていたのを思い出します)逆に言えば、伝わってほしいことを意図的にスタッフに話して社内に広めることもテクニックです。

最良の独裁者 > 民主主義

ロシアでは、欧米諸国ほどに民主主義に対する支持が高くない、と聞いたことがあります。実際に今回インターネットでいくつかリソースを探してみたところ、以下の記事に出会いました。著者がロシア人に行ったアンケート結果から導き出された回答のまとめによれば、ロシア人は“imperfect democrats”である、と。個人の自由を重んじるが、民主主義の特質については疑問を持っている。とりわけ国の公的機関について信用していない。政府関係者、行政機関の役人については低い信頼レベルである、と。アンケートせずとも納得です。

民主主義こそが素晴らしい、皆の意見を聞いて多数決の意思を尊重する、という点については、会社のマネジメントを経験している上では諸手を挙げて賛成できず。むしろ誤った方向に向かってしまう危険性を大いにはらんでいます。一般市民のことも深く理解したうえであるべき、正しい決断を下すことができる独裁者。こんな方は滅多にいないでしょうし、これも危険がありますが、これこそが理想なのだろうな、と感じるところです。

https://www.jstor.org/stable/2697274?read-now=1&seq=1#page_scan_tab_contents

ロシア人スタッフの時間管理 / Time management of Russian staff

赤の広場から北方面に約2kmほどの距離に位置するHermitage Gardenにて開かれていたJazz festivalに出かけてきました。雨が降りそうで振らないぎりぎりの天候の中、このように一般市民が集まって楽しんでいました。一人で踊りだす男性もいたり。ソヴィエト時代にはサックスはアメリカ ― 敵 ― の楽器とみなされており、「 От саксофона до ножа – один шаг! (サックスからナイフまではたったの一歩」(サックスを吹いたら明日の命はないぞ)なんていう言葉があったようです。

朝の始業時間にスタッフが仕事の準備ができていない!そもそもオフィスにいない!いや、数分遅刻してやってきた!始業時間はオフィスに入ってくる時間ではなく、仕事をする用意ができている状態のことを言うんだぞ!朝の出社時間の管理については、多くの日系企業が悩んでいる点だと思います。

朝遅刻した場合には、必ずスタッフが通過する受付にて名前を遅刻した理由を書かせるメモを取り入れました。しばらくすると、その運用は受付スタッフの入れ替えと共に自然に終わってしまい、私もそのメモの存在を忘れてしまったのですが、オフィス内のキャビネットを整理していたところそのメモが出てきました。なんだかギャグを読んでいるかのような遅刻理由に思わず褒めてあげたいくらいになりました。

「次に私に遅刻の理由を訊いたらこの会社辞めてやるわ」(こんなメモがあったとは知らず。幸いにも彼女はその後も勤めてくれました。)

「遅刻する理由もないけれど、なぜだか遅刻してしまいました」とか。そのコメントセンスにあっぱれです。

ロシア企業に勤める友人に聞けば、彼らの会社では遅れてきた分は、遅れた分だけその日に働く運用にしている、とのこと。

同じグループ会社でヨーロッパのドイツで勤務する友人によれば、彼らの会社では週40時間の勤務時間の決まりがあり、その時間の裁量内で個人が調整して働いているとのこと。以前に出張ででかけた際、朝の早い時間から女性スタッフが一人で仕事をしていました。聞いてみると朝の7:30から出社しているとのことです。子供を迎えに行く必要もあって早めにオフィスを後にしなければならないために会社とこの勤務シフトで合意しているようです。ここまで個人の自己裁量の範囲が広くなってくると、大切なのは個人個人を信じることと、パフォーマンスの結果を正しく管理できる制度作り。小さな規模の私が働く会社では、まだまだこのような体制には至っていません。

全員が同じ場所で、同じ時間シフトで働くことだけが正しいことではない、大切なのは個人の多様性の尊重と生産性である。これは正しいことと分かっていながらも、この風潮をあるべき姿であると一辺倒に信じることには疑問です。その会社ごとに何が大切なのか、何を今の優先事項とすべきなのか、自らが勤める会社についてより深い理解が必要であろうと自らに言い聞かせているところです。

正直なところ、数分遅刻しようがほとんど問題はありません。多少遅れてこようとも概ね遅刻は数分で収まっている、それの何が悪い? ― よくよく考えればあまり悪いことではないと思います。ただ、組織で働く上でそのような小さなことを守れるか、守れないか。一つ一つの行動がその人自身の仕事や規則に対する態度を表していますし、その行動の積み重ねが周りからの信用を生んでゆくのではないかな、ということはスタッフに伝え続けてゆきたいと考えています。

昨年、「遅刻してくるという事実は、仕事に対するあなたの態度を表していて、そのこと自体が問題である」と部下全員に上期の総評としてメール一斉配信したところ、後から個別に「あれはショックを受けました、みんな謝ってもらいたいと希望しています」と部下からの逆パンチをもらってしまいました。明確な正解にはいまだ至っていないテーマ ― ロシア人スタッフの時間管理 ― です。

ロシア勤務で感じるMBOシステムの欠陥 / The defect of MBO system in my job career in Russia

この週末、街の中心部ではデモ行進があったようで、至るところに警察官が立ちゆく人々の動向を見守っている様子がうかがえました。夜もすでに21時を回っていましたが、このような随分と古めかしいモデルの警察車両が路肩に夜遅くまで止まっていました。管理を担当する身としては、この週末の警察官の動員により、一体どれだけの人件費負担がモスクワ市にかかるのだろう…と思わずにはいられませんでした。(休日の出勤日は通常勤務時の2倍の賃金支払い義務が発生)

今の会社で、ロシア人従業員のMBO(Management by Objectives目標管理)システムを構築しましたが、MBOシステムの根本的な弊害は、KPIが主な評価対象となり、その裏に日々起こるあらゆる日常業務が考慮されていないことだと考えるようになりました。きっと、日本のように人が定着し、ノウハウも蓄積されており、特段の問題もなく日常業務が滞りなく回る体制になっているのであれば、KPIをモニターしてゆけばMBOシステムは目論見通りに回るのでしょう。しかしながら、ロシアの企業で現場を管理してきた経験からすると、常に何かが起こる。スタッフも一定の期間で転職をしてゆき、スタッフの入れ替えが起こる。それが現実です。週次計画を立てても、自分のために時間が取れるのは皆が帰宅した終業後、ということも多々あります。スタッフも日常業務で起こる出来事に想像以上時間と労力を取られることがあります。このような現状を踏まえた時に、評価制度の運用を管理する立場として、KPIのみが部下の評価基準となってしまう、この問題を一層感じています。

世の中にはあらゆるMBOシステムが存在し、コンサルティング会社によって提供されていますが、評価システム自体は、言葉が悪いですが、何だってよいと思います。どんなに素晴らしい内容のMBOシステムを作り上げたところで、運用する人間が正しく運用できないのであれば意味がない。むしろシステムはシンプルであればあるほどよいのではないでしょうか。そして何よりも大切なのはそれを運用する人のMBOシステムに対する理解力です。

私自身は以下のように考えており、これをロシア人スタッフにも定敵に会話するたびに訴えているところです。

自分の人生における芯をもとう

一般的に容易に想像できることは、何千人もの正社員を抱える会社では、全ての社員の評価を適正に確認して相応しい評価をつける、そんなことは無理です。自身の上司が評価をプラス(マイナス)につけても、その上のライン、さらにその上のラインでの相対評価にて評価が下がることもあれば上がることもある。その一つ一つに対して「不公平だ、おかしい、私は過小評価されている」といったフィードバックを細かく指摘して、私は納得しない、と言い張ってもそれがかける労力ほどに良い結果に繋がるのかどうか・・・。個人的な意見では、人間が作り上げた制度、人間が管理するものに完全なものなどなく、したがって評価制度に完全な公平さがあるわけがなく、おかしいと思えることはあって当然です。評価は自分と直属の上司のコントロールが効かないところでどうしても動かざるをえない部分もあり、そんなものに一喜一憂して何になるのでしょう?

ここロシアの現地法人では、規模が小さいがゆえに直接の上司の評価がそのまま直接部下のボーナス・昇進に響く度合が高いことは事実です。部下は「納得できない。この評価はおかしい、私は過少評価されている!」と、一つ一つの評価にとりわけ注目するのは分かります。そのため、慎重に評価を熟考すべきなのは事実です。それであっても、昇進可能なポジションは限られています。どうしても違う部門であっても同じポジションのスタッフ同士で相対評価をする必要がでてきます。ボーナスとして支払える額も限られているために全員に満点をつけるわけにはいかない、というのがマネジメントとしての本音です。過小評価されている、というのは彼・彼女が自分自身を過大評価しすぎていることも否めないと思いますが・・・。

そんな中でも、被評価者に対して伝えたいのは、評価について過度に意識することがないように、自分の人生における価値基準を持とう、ということ。自分の人生における大切なことを持とう。そうすれば世の中に見られる不公平さや理不尽さに対して ― この評価制度についても ― やり場のない怒りを開放するのに役立つのではと考えています。そうは言ってもなかなか理解してくれる人がいないのですが…。ただし、この私のスタンスは自分の価値観が会社や上司の考えと相反することがあるために、局面に応じては注意が必要であろうと。それはある意味目先の評価を犠牲にすることになり、もしかすると将来に評価される可能性がある、ある意味会社の出世を願う人にとっては謝った考え方であるのかもしれません。

上司と定期的に会話をしよう 上司はきちんと部下に1対1ミーティングでフィードバックをしよう(私の経験上、Weeklyベースでのがベスト)

不公平なMBOシステムに少しでも公平さを与えるための努力が常に求められます。目標に関して上司と会話する機会が無く、半年(一年間)ごとの上司との面談で詳しく議論する時間をとるだけとすれば、もはや面談時間は大して意味がないものと言えます。そうなってくると、上司と部下の仕事以外での人間関係や、付き合いの度合いなどが評価に作用される事態も生まれてくるのでしょう。人間なので仕事以外の部下に対する感情が評価に与える影響、これはどうしても生じてしまうはずです。

目標に対する上司の希望、要求と達成状況をきちんと1対1で語り合う場を設けることが非常に重要です。私は毎週部下と定期的にKPIについて語り合う時間を、たとえわずかとしても自分の部下と設けることが大切だと考えています。決して毎週のはじめ、おわりに全員と行う義務はありません、一週間の中で日時をずらしてゆけば自分の負担にもならないと思われます。

ロシア人マネジャーの中には「いつも部下と近くに座って一緒に仕事をしているのだから仕事内容は分かっている。目標の達成状況だってクリアだ。なのでOne-on-one meetingなんて必要ない」という人もいます。しかしながら、目標に対して真剣に議論する場を個別に設けることは非常に重要です。時に厳しいことを言わなければいけないのに、皆のいる場では言えませんし、お互いの意見をぶつけ合うことも必要です。私自身、自分でできる努力を一生懸命にしていたものの上司の反応は芳しくなく。後から上司からは「自分の優先順位とXXXさんの優先順位は違うので・・・」と言われてしまいました。定期的なフィードバックは重要です。

会社以外の大きな枠組みで、もっと広い分野で自分自身を捉えよう

会社で上司のお気に入りで、社内政治をうまくできて評価されているからといって、それが他の世界でも通用するはずはありません。でも一方で、その重要性をよく認識することも大切だと思います。それをあからさまに否定する人もいるのでしょうが、これもやはり人間が運用するシステムであるがゆえに、その側面を理解して行動することも必要ではないかと考えています。

そんな中でも、大切なのは会社という小さなコミュニティの中だけで自分を捉えることなく、汎用的に通用するスキルと経験を持とう。そんな風に定期的にロシア人部下に言い伝えているのです。が、どうしても目の前のこと、自分の所属するコミュニティの中での自らの位置づけに目を奪われる傾向が強いのが人の常なのかもしれません。長年同じ会社で一つの部門を管理しているという自負が強すぎるがゆえに、こんな小さなコミュニティの中だけで自らの位置にこだわってしまう人がいるように感じられます。

給料が低い、と文句を言うのであれば、適正に自身を評価してくれる会社へ転職するのがよいのでは?と思ってしまいますが、日本と比べて転職がいたって普通に行われるロシアであっても、就職活動をすることはエネルギーを要することであり、そう簡単ではないのかな、とも思うことがあります。

最終的には直接の上司が、部下の日常業務で発生する種々の課題に対してどれだけの理解力を持てるか ― どれだけ時間と労力を要しており、どれだけ期のはじめに設定したKPIに影響を及ぼすのか ― この理解がすべてではないでしょうか?KPIはある種、挑戦。一方で日常業務で発生することはルーティン業務。しかし、それ無くしては挑戦もできない。目立たなくても非常に重要なルーティンです。日常業務に時間を割かざるをえないがゆえにKPIの進捗が滞ってしまう。KPIだけを見れば満足できない結果ですが、上司が部下の業務を理解しているのであれば、どうして目標に対する進捗が芳しくないのか、上司は理解してあげるべきです。そして、ふさわしい目標管理の着地点を一緒に見出すべきではないでしょうか。もちろん、部下ができることをしておらずにさぼっていないのであれば、の話です。

憂鬱な月曜日を迎えるにあたってのロシア人と日本人の違い / How to meet Gloomy Monday – the difference between Russian and Japanese

”Работа & зарплата (Job & Salary)” より(1-7 July 2019)

街のスタンドで見つけた仕事広告冊子”Работа & зарплата (Job & Salary)” (Link: http://rabotamedia.ru/)の見開きページにこんな面白い記事がありました。月曜日が憂鬱に感じるのはどこの国でも同じなのかもしれませんね。「仕事に行く気にならない時、あなたはどうしますか?」とのアンケートへの回答結果には日本では想像できない回答結果が。日本で同様のアンケートがされたらどんな結果が出るのか分かりませんが、インターネットで幾つか検索してみてもロシア人の回答にあった、「仕事を休む」という回答は、見つかりませんでした。回答にあたってのそもそものマインドに両国民の間で違いが見られるのは興味深い特徴ではないでしょうか。

月曜日 つらい日

1.仕事日に向けて早めに準備を始めること

金曜日。明日は休日だ、ということで気が緩んでしまい、終えられる仕事を後にしてしまう人が多くいるけれど、これは誤った選択です。月曜日には新しいタスクが現れます、金曜日に終えられることは月曜日に持ち越さないようにしましょう!

2.早めに寝ること、例えば23時までに就寝すれば、翌日はより気持ちよく起床できるでしょう。爽やかな気持ちで起床でき、朝食を楽しみ、ゆとりを持って出発ができます。渋滞や地下鉄のうんざりする人ごみもなんのその、気持ちよくオフィスに到着できます。

3.月曜日の朝を気分を盛り上げてくれることから始めてみませんか。同僚と最近のニュースを話してみたり、お茶やコーヒーを飲みながら5~10分ほど同僚とちょっとした会話を楽しんでから(послетничайте с ними)仕事を始めるのはどうでしょうか。

4.仕事中に何回か短い休息をとること。オフィスを出て外で新鮮な空気を吸うことほどよいことはありません。身の回りを楽観的に、ポジティブに見てみましょう。きっと憂鬱な気持ちも軽くなるでしょう。

8時間?もしくは5時間?

英国のJohn Ashton教授によると、勤務日数は週4日に短縮されるべきである、ということ。それが仕事上の成果と家族生活、ストレスの影響を最小限に抑えるために、近しい人との関係をより良くするためのバランスを保つ上で大切だ、という。仕事のアウトプットが高い人は業務時間のうち、5時間以内に結果を出している、というデータがあるようです。

(参照Link)

https://www.theguardian.com/society/2014/jul/01/uk-four-day-week-combat-stress-top-doctor

アンケート結果 「仕事に行く気にならない時、あなたはどうしますか?」

面白いなぁ、と感じたのは「仕事に行く気が起こらない時、あなたはどうしますか?」との質問に対して、26%もの人が、「仕事に行かない」と答えていること。きっと冗談も交えて回答した人も含まれていると思うので、この数字を正直に信じてはいけないのだと思います。それにしても、13%「オフィスに行かなくてもよい、それらしき理由を考え出して仕事に行かない」、8%「無給休暇あるいは有給休暇を取得する(ロシアの給与計算は複雑です、別の機会に記述予定です)」、5%「誰にも言わず、ただ仕事に行かない」(ひどすぎます)

モスクワで働いていて、ロシア人スタッフからすると私自身も含めて多くの日本人は業務の開始時間にとりわけ厳しいようで、この点でお互いに理解し合うことは難しさを感じます。多少遅れる分には許されるもの、との暗黙の理解があり、遅れる人は数分~10分以内の範囲で遅れてやってきます。すごいのは、それ以上遅れてくることはない、ということ。遅刻はしているのですが、決してひどい遅刻ではないのです。その数分の遅れに対してどれだけ厳しく接するべきか?この点は多くの日系企業マネジメントが格闘しているテーマだと思います。

業務時間に関して、日本的美徳の意識を変える

始業時間になっても共同スペースでスタッフ同士がコーヒーやお茶を飲みながら歓談している様子を今でも見ます。かつての私であれば、この点に目を尖らせていましたが、今では「この時間も大切な仕事時間の一部なんだ」という思いを持つようになりました。よく聞いてみると、彼らもただ世間話をしているだけではなく、イベントの情報交換や、お客さんとの仕事上のハプニングなど、業務に関係あることで盛り上がっているようです。ただデスクにいないから、別の場所で話をしているからさぼっている、そんな風に形だけで判断することがないように気をつけたいと思います。形から入るというのは正しいことでもあり、間違っていることでもあるのかもしれません。

今のモスクワの若い世代も日本の若い世代も考え方が我々とは異なっており、仕事に対して柔軟な考えを持っています。仕事は一日8時間労働の契約、勤務時間が終わればオフィスを出て友人と遊ぶ、家族との時間を楽しむ。そんな当たり前を犠牲にしてきた我々日本人は、私たち日本人の働き方そのもののあり方を考える必要があるのでしょうか。ロシアに来て有りのままに生活しているロシア人スタッフと一緒に働く中で多くのことを学ぶことができています。

さて、先週の金曜日。ロシア人スタッフと週末の過ごし方を会話したところ、ダーチャで過ごすとのこと。その彼女と金曜日の午後から一緒に外出の用事がありました。彼女曰く、「XXXさん、オフィスを出る出発時間が遅すぎる。モスクワの金曜日は大変なんです。みんなダーチャに出かけるから渋滞もすごいの。私もダーチャで過ごすことがとても大切なんです、ダーチャに出かけるのが遅くならないように早めに出ましょう」と急かされました。結局長引いてしまい、ご主人から「まだか?」の電話にも「こっちはまだ忙しいの!仕事が終わっていないのよ!」と一蹴。そんなこともあって外出先では、「もうそろそろ終業時間だし、ダーチャの出発しないといけないのでは・・・?」と気を利かせたのですが、彼女が仕事モードに入ってしまったのが原因で、外出先での用事が終わったのは19時過ぎでした。「いいの、いいの、大丈夫」とのことで、金曜日はなんとも彼女のペースに周りの皆が苦笑しながら振り回されてしまいました。そんな事態を経験できるのもまたロシアでの勤務の楽しさの一つです。

モスクワの職探し・給与事情 / Job searching, Salary in Moscow

今年の5月に地下歩道にて撮影したマクドナルドの人材募集広告。時給200 RUBです。外資系企業を好んで応募してくる理由として比較的聞くことが多いのは「外資系企業は安定しているから。給与がきちんと支払われるから」だとか。ロシア企業では給与がきちんと支払われないこともある、と聞くこともあります。ただし、それは母数自体が絶対的にロシア企業のほうが多く存在するために、そのような企業は必然的にロシア企業の中に存在するからだとも思われます。それにしても200 RUBといえば、本日のレートで換算すると約326円/時間です。ロシア人の若い人たちが働いています。安すぎると思うのは私だけでしょうか…。

モスクワでの給与構造は今もって理解できません。家族・親戚同士での助け合いがなければモスクワで生活してゆくことは難しいのではないかと感じます。昨年、監査対応のために大学生にアーカイブから書類探しのアルバイトを頼んだ際、とにかく非常に安かったことに驚きを覚えたのを覚えています。確か500円/時間も払っていなったはずです。その学生はその金額でまったく問題ない、とのこと。賃金というのは、単なる市場平均だけではなく、会社が持つ無形価値とそれを認める被雇用者側の合意のもとで成り立つものであり、標準化して語ることができないと思いますので、難しいテーマです。ロシア人スタッフはそんなことお構いなしに、「私の給与は低すぎる。適切に評価されていない!」なんて平気で言ってきます。何も言わずに去ってゆくのではなく、このような話を直接言ってくれる人には感謝しないといけない、なんてアドバイスも受けたことがありますが、どうでしょうか・・いなくなっても困らない人間もいますので。 

 モスクワでの職探しは、概ねインターネットが主流です。多くのリクルートエージェント会社が存在し、その中で複数の会社と契約をして採用活動をするのが一般的ではないでしょうか。

以下に挙げるサイトが主流と思われます。私自身も人材採用を担当する中でよく見るウェブサイトはHeadhunterですが、それ以外のサイトも見聞きすることのあるサイトです。

  • Headhunter (hh.ru) – https://hh.ru/
  • Indeed – https://ru.indeed.com/
  • Avito (avito.ru) – https://www.avito.ru/moskva/rabota
  • «Яндекс Работа» – https://rabota.yandex.ru/
  • Rabota.ru - https://www.rabota.ru/

モスクワの平均給与は直近のデータによれば89,045RUB(参照:ロシア統計局の公式サイトより。なお、ロシアの企業は毎月、毎四半期、毎年とそれぞれ定められた統計を提出することが義務付けられてます。今回のようにデータを調査する中で、定期的に提出しているデータがこのように統計データの一部として集計されているのであろうことを理解できました)

実際、モスクワで生活する者としての感覚では、一般的な給与レベルはこれほど高くありません。どこかのウェブサイトでは、【この平均給与には高い給与を得ているマネジメントクラスの金額が含まれており、その高い給与のために平均が上振れしているのであろう」とのコメントがありました。私も同意見です。食料品購入のために日頃出かけるお店の人材募集を見ていると、店頭スタッフは概ね40,000RUBというのが一つの目安なのかな、と勝手に思ってます。オフィススタッフについては50,000 ~ 60,000 RUBではないかと。その中でもIT業界の平均給与の高騰には目をみはるものがあり、200,000RUBを超えることは珍しくありません。他のスタッフとの給与バランスを考えると、小さな会社ではITスタッフにこれだけ払える会社はそう多くないのではないでしょうか。いかにITスタッフにその他の分野でのベネフィットを感じてもらえるか、いかに本人が葉たらやきやすい環境を作ってあげることができるか、そういったお金以外の分野での福利厚生の整備が重要になってきます。この点はまだ会社規模がまだ決して大きくない日系企業にとっても給与バランスの取り方に苦労する場面であろうと想像します。

参照したリンクでは、職探しをしている信仰心の熱い人は、St. Spyridon(Святой Спиридон Тримифунтский)―  仕事での成功に力のある方だそうです ― へ祈ることもアドバイスされていました。ロシア正教会の国らしい情報です。 祈りも大切でしょうが、それに合わせて行動することが重要ですね。

 今回の記事の参考Link

https://hiterbober.ru/work/kak-ustroitsya-i-gde-najti-rabotu.html

http://moscow.gks.ru/wps/wcm/connect/rosstat_ts/moscow/ru/statistics/indicators/?id=149eea00477480468b81fb6923df9336

自分自身の立ち位置を知ることの大切さ – 実はそんな大したことないもの / Understand own place in the Company (not so big as you imagine)

7月最終日。友人宅に呼ばれて夕食をご馳走になりました。彼らのダーチャで取れた新鮮な野菜と創作料理(そばと卵。うん、美味しかったです)と、そして日本のお酒。昨年、一緒に一週間日本を一緒に旅行した大切なロシア人家族の友人です。今でもいつも昨日のことのように思い出し、「温泉、刺身、富士山… 日本はとっても良かった。 」といつも話してくれます。

自分自身の立ち位置を客観的に意識して行動することの重要性を学んでいます。社内で自分自身のポジションは重要な位置にいる自分自身。本社にいる時とは違って権限の幅も広がり、スタッフにちやほやされることも。なんだか自分自身が偉くなったような錯覚にとらわれることも。可愛らしいロシア人女性スタッフからお願いもされれば心が揺らぐこともあるかもしれません。

自分自身の社内での存在を必要以上に過大に考えないように意識し続けることが必要です。むしろ、いかに自分の存在感を消すことができるか?会社の実務が流れている中で、空気のようになれればなれるほどに現地会社における自分の仕事の成功度合いを測れるのかな、と感じています。

どんなに自分自身で注意をしていても、心のどこかで「自分は日本の本社から派遣されてやってきた人間で、日本の会社のしきたりを知っていて、自分自身も仕事の経験は積んできた。自らがこの企業をよくしてみせるんだ。そのためにもできるだけロシア人スタッフの輪に入ってゆこう」という意気込みがあるかもしれません。少しでもロシア語を喋ってもっとロシア人スタッフと交流し、気に入ってもらうことが第一歩なんだ、なんてかつては思ったりしていました。

仕事を通じて作り出す信頼関係に言葉なんて関係ない

大切なことは必ずしもロシア語を話せることであったり、スタッフに近づいてより親近感を持ってもらうことではないのです。本当の信頼関係や親近感は仕事を通して自らが見せるロシア人スタッフへの誠意から自然と積み上げられるもので、最初から慣れ親しもうとスタッフに近づいて得られるものではないと思っています。駐在としてきた当初は、一生懸命にロシア語でメールを書こうとしたり、ロシア語で話そうとしてスタッフに認めてもらうと努力していたことを思い出します。スタッフを連れて食事をふるまってみたり。あくまでそれは仕事での信頼関係が出来ているからこそ一つの交友のための手段であって、食事そのものだけでどこまで自分自身の評価がスタッフ間で高まるのかは疑問です。食事で楽しく時間を過ごした翌日、何事もなかったかのようにいるスタッフの様子を見てから、日常業務でどれだけ信頼を勝ち得るているか、それには仕事を通じてスタッフから評価されることが重要であること学習しました。ロシア語を使うこと、食事をご馳走すること、日本の文化を伝えようと仕事以外の部分でのロシア人スタッフとの交流にいそしむ、そのような補足的なものが主要部分にきてしまうと失敗です。(表面的には喜んでもらえるし、自分自身も彼らに喜んでもらえるのをみると嬉しくなりますが、これだけでは長続きしないものです)

信頼を得ることができ、個別の会話の中で日本人に対する不満や愚痴も言ってくれるようになればしめたもの。そこからは仕事の進め方も容易になってきます。お願いに対するレスポンスも早く、丁寧に対応してくれる。そのサポート力のもとに自分自身の仕事も進めやすくなってくる。良いスパイラルに入ってくるタイミングです。

会社でのポジションなど大したことない ― 柔軟さと謙遜さ

ロシアで仕事をしていると、たとえ自分がそれなりの立場にいたとしてもスタッフがはっきりと自らの主張を言い張るケースに出会うことが珍しくなく、こちらも自分の意見を持つこと、議論を堂々とすることの当り前さを学べます。その過程を経て、自分自身のポジションには何ら特別なことがないこと ― 自分自身は偉い立場にあるのだから、自分の考えが正しいのだから誰もが俺の言うことを聞くべきだ、という先入観を持つことの危険性 — を教えてくれます。あらゆる考えが正解であることの可能性を認められる柔軟性の大切さ。そのためにはどんな考えも受け入れる姿勢や、最終的なゴールは全体にとって相応しい回答を見つけることで、自分の意見を押し通すことではありません。そうすると柔軟さに加えて謙遜であることも重要な要素になってきます。

どんなにロシアが好きで、どんなにこの会社が好きとしても、大切なのはロシア人スタッフが自らの手で会社を大きくしてゆくこと。日本の会社の子会社だからといっても、ロシアの子会社はロシアの会社。その顧客はロシア人。ロシア人の心を真に掴むのはロシア人スタッフでしかありません。日本人駐在員は現地企業に彩りを与えるアクセントであり、それは、あたかもお寿司に欠かすことのできないガリやワサビのような役割を担っているのではないだろうか、と考えたりするようになりました。

聖書から学ぶロシア人スタッフのマネジメント / Learning from Bible how to manage Russian colleagues

ロシアで美術館の絵画を理解するためには、聖書を知る必要がある、と聞いたことがあります。絵画の題材に聖書の中の話が多いからです。実際に勉強のために聖書を読んでみると、仕事に役立つことが多くあるなぁ、と考えさせられる点が多くあります。

何度でも人を許すこと

ペテロ「主よ、兄弟が私に対して罪をおかした場合、何度まで許すべきか?七回まででしょうか?」

イエス「七回までとは言いません。七十七回までです」

どれだけスタッフが失敗をしても、何度でも許してあげることの大切さを学べます。しかし、どんなにこちらが何度教えてあげても同じ間違いを繰り返すスタッフ、どんなに本人が頑張る意思を持って本人なりに努力しても要求基準に達しない場合…対応方法にいつも苦しみます。自分自身としては温かく許したい、と思っても、毎日の業務にほころびが生じ、日々自らがカバーに入り、周りへの迷惑を感じながら過ごすこと。会社全体への悪影響を考えると、こういったスタッフについては必要な対策を講じざるを得ないと考えています。スタッフに首を言い渡すのは全く嫌なことですが、時期を逃すことなく、決断を長引かせることない行動が必要です。不要で無意味な優しさは会社、自分自身、首になる本人にとっても誰にとっても不幸です。いずれにせよ、自分自身も数多くの失敗をおかしてきた人間ですので、スタッフが不慣れな仕事で失敗をしてしまうとしても、何度も許す心の大きさを持ち、何とか本人の強みを見つけてそれを有効活用できる努力を失いたくない、そう願っています。

自ら相手の立場になって物事を考えて行動すること

何事でも人々からしてほしいと望むことは、人々にもそのとおりにせよ。

これはとても有名な言葉で、ロシア人スタッフも誰もが知っているはずです。なぜ人はこの言葉を知っていながらにして、「相手が改善しない限り、私も変わらない」「私は悪くなくて相手が悪い」― こうも自己中心的な人が多いのか…知識として知っていることと実際に行動に表すことの難しさを痛感しています。多くの人は、週末に教会で立派な話を聞いて、その通りにしよう、と思いつつもいざ教会を離れて日常生活に戻ると何事もなかったかのようにすべてを忘れ去ってしまうしまうのでしょうか…。この原則を実行できる人は、仕事でもプライベートでも重宝されること間違いありません。でも、この当たり前のことがいかに難しいことか、よく実感しています。

部下のことをよく考えているがゆえに、部下に正しいフィードバックを日頃から与えること

わたしが悪人に向かって、悪人よ、あなたは必ず死ぬと言う時、あなたが悪人を戒めて、その道から離れさせるように語らなかったら、悪人は自分の罪によって死ぬ。しかしわたしはその血を、あなたの手に求める。
しかしあなたが悪人に、その道を離れるように戒めても、その悪人がその道を離れないなら、彼は自分の罪によって死ぬ。しかしあなたの命は救われる。

このフレーズを見つけたとき、これはとても深いな…と素直に感じました。人事評価の際、1年間の部下の業績についてほとんど適切なフィードバックを期中にしてくることなしに、期末時に「あなたのXXが足りなかったですね、この点には不満があります。そのため評価はとてもAをつけられません。」と上司に言われたらどうでしょうか?「いや、私はそんな風に思っていなかったし、なぜ上司はそう感じていたのだろう?なぜ期中に言ってくれなかったのだろう?」と思っても自然ではないでしょうか。マネジャーには定期的なフィードバックを年間を通して行うように、少なくとも1か月に1度は1-on-1 meetingを部下と行うように、と言っていますが実際に出来ている人は残念ながらほとんどいません。フィードバックは部下にもっと成長してもらいたい、もっとこうしたらパフォーマンスが上がるのでは、という愛の感情から行うもの。言うべきことを知っているのに行わないとすると、それは結果的に我々マネジャー自身の責任であり、その罪は重いのだな、とこれを読んで納得しました。

多くのスタッフが自分はキリスト教徒だと答えたとしても、きっちりと聖書の教えに沿って生きている人は少ないと思っていますが、少なくとも教養はあるはず。そんな彼らに聖書のフレーズを使って仕事に励んでもらえるきっかけにできないのだろうか、そんな風に考えています。