仕事の生産性を向上するには / How to increase work productivity

今日、お気に入りのカフェにて。通りから入ると、中庭があり、この空間がモスクワの中心で外界との別世界を作り出してくれています。青空のもと、心地よい風を感じながら、今年ももうわずかとなった最後の夏を楽しみました。甘い香りに惹かれて蜂が空になったレモネードのグラスにやってきました。

膨大な業務量に追われる毎日。生産性の向上についてもがいています。(この記事では、生産性と切り離せないIT技術の記載はせず、主に自らとの闘いについてです)

生産性を高める方法(いたって目新しいものはなく。むしろあったら教えていただければ嬉しいです)

週の初めに必ずその週にやるべき仕事のスケジュールを作成する。

一日の仕事の振り返り。自分のしてしまった失敗・こうすれば良かった点を記録すること

複数のことを同時にしてはいけない。一つの仕事に集中し終わらせる。(仕事の内容によります)

音楽はなし。繰り返しの仕事で単調作業であれば音楽が必要だと部下は言いますが、私の仕事はそのようなタイプではないので音楽はなし。

時間を区切って勝負するのが大切。やると決めたらその時間にやりきる。トイレに行きたくなってきてもやりきる。トイレに行きたければやりきれ!と自分に言い聞かせて。

仕事のイメージを作り上げるために、気分を入れ替えるために一つの仕事を終えた後に机の周りやオフィスの掃除をしてみたり。

確実に1つ1つの仕事をその日に終わらせる。明日まで延ばそうという考えは無し。

残業すれば大丈夫、時間がなければ週末にやればよい、という甘い考えが頭の中に巣食うことを絶対に許さないこと。この意識が頭の中で大きく占めてしまうと、その途端に仕事のスピードが落ちてしまう。

このような上記の点は、日本にいた時に大量に購入したノウハウ本を通して知識として持っていました。しかしながら、見聞きして知っていることと、自身の中に根差して理解し、実際の行動に移すことの差には、とてつもなく大きな違いがあることを今になってはっきりと認識することができました。

仕事の見積もり時間の精度を上げることはとりわけ重要

この記事の一番最後にあるLink先のブログ記事を参考にさせていただき、私自身もこの方のファイルに似せたマクロで動くExcel仕事管理リストを作成し、毎日更新しています。私の問題は、少しでも多くやらなければ、という意識で幾つものタスクを今日のやるべきこととしてしまい、その結果見積もり時間が24時間を越えてしまうことがあることです。つまり、寝ずにひたすら作業をしても今日やるべき仕事の完了時間は翌日の同じ時間、というわけです。無理です。優先順位を定めて、現実的にできることを見極めつつ、さらに一つ一つの作業時間の見積もり時間の精度を高めることが課題です。

ドラッカーは時間管理の大切さを説いています。私自身の経験からすれば、自らの仕事時間を管理することが習慣として定着した後、記録集計を継続し、データ集計をして、その結果を見て満足してしまう。つまり、その時間管理の行為自体が目的と化してしまうことの問題を感じました。原則として、自らの時間管理ができている、と納得できることは、時間の記録をせずとも自らの時間利用方法を客観的に観察できていること、正しい時間の用い方ができていることと言えます。そのため、時間管理が現時点で問題なくできていると判断した段階で、記録はストップして問題ないと考えています。 定期的に見直しの時期を設けることで十分なのかもしれません。

行為が目的化してしまう ― これはすべてのことにおいて当てはまりますね。毎月的敵に作成するレポート(それで?何に使うの?「いや昔から作成していて引き継がれたので・・・」、でもそれって本当に役立ってる?「いや誰も見ていない気がします」・・・であれば作成する意味ありますか?)

定期的な会議(集まりあうことが問題になっていませんか?「この会議は大切なんです。なぜならそれが課のターゲットですから。」…でも集まる理由はなぜでしょう。目的が明確ではない。議論の結果の結論が決まらない。議事録が作成されず共有されない。その結果次に集まったときに前回話し合った内容を忘れてしまっている。そんな会議に二度と取り戻せない自らの時間を捧げる必要があるのでしょうか…)

時間管理も大切ですが、本来の目的とその手段が目的化していないか、これこそ徹底的に棚卸しを継続してゆくべきだと考えています。会議を見ていると、なぜだか話に詰まったときに笑いが起こる。それで内容がごまかされてしまう。それで結論が何か曖昧になってしまう。これは忌み嫌うことの一つです。

集中できないとき

解決策 ― その日は止めて帰宅するのがよいでしょう。仕事を終える時間の目安となるときは?

それは集中できないとき。私の場合、それを感じるのは、誤字脱字が増えてきたとき。なぜだかYoutubeを見出してしまうとき。Excelの数式Inputにやたらと時間がかかり頭が混乱しだすとき。携帯電話をいじりだすとき。他のことを考え出してボーっとしてくるとき。

各自それそれに何かしらのサインがあると思います。その時には、よほど締め切りに終われていない限り、早く帰宅して翌日の早朝から仕事を開始するほうがずっと生産性が高いことを私の経験は物語っています。昨日さっぱり原因不明でエラーが出続けており意味不明であったExcelの計算式が、翌日に取り掛かるとわずか5分程度で解決したり。「あっ、なんだ、こんなことか」と。翌日朝起きてボーっとしていたら、「あれっ、これはいけるんやないか」というアイディアがポッと浮かんできたり。

でもやっぱり我々は人間

自ら、「ながら勉強」は絶対にダメだ、と分かっていても、今でも時にやってしまうのです。それが人間の弱さでもあるのかもしれません、悲しい。でもそこから残りの一日をどれだけ「まあ、何とかそれでもよくやったよな」と自分に言い聞かせられる一日でできるか。そんな自分のリカバリー力を見るときに、自らの成長を感じる機会かもしれませんね。また、「ながら勉強やってしまった…」と思うのですが、そんな弱さを許容しながら生きてゆくほうがより人間的だと思います。あくまで”時にやってしまう”程度に留める必要がありますが。

生産性を上げるための極端な方法は、締め切りぎりぎりに一気にやりとげる。それが一番スピードアップの理由の気がしています。毎回経験するこの苦々しい経験を避けるために計画を立てるのですが、どうにもそう簡単にいかないところが人間です。

周りに頼ることもとりわけ重要

最後に生産性向上にとりわけ重要なことをもう一つ。それは周りに頼ることです。部下に素直にお願いすること。自分の弱さを見せることです。部下も私がそんな完璧な人間ではないことをよく分かっています。「オルガ、お願いしますよ、もうあなたに頼むしかないんです、だって私ではできないので…。よろしく、ね」(顔色を伺いつつ)。「エレナ、ごめん、もう疲れた!帰っていい?あとはお願いします、あなたならできるから、信じてるよ」(そうは言っても後で受け取った資料はしっかり自分自身で確認するしかないのですが。何かあったときの責任は私ですので。)周りに頼れる人は素晴らしいと思います。自分の弱さを認める謙虚さを持ち、自分の出来ないことを周りに頼れる、つまり周りを信じる。それによって周りも彼らが信頼されていると感じることができる。良いことばかりです。やっぱりみんな不完全な人間ですから。

参考情報

Excelタスク管理で使っているExcelテクニック+マクロ

https://www.ex-it-blog.com/Excel-Macro-Task

9月―ロシアの新学期の時期に15年前に起こったベスラン学校占拠事件を想う / September – New school season – remembering Beslan school siege 15 years ago

9月は学校の新学期の始まり。ロシア人の子供を持つ親たちは、子供を学校につれて行き期の始まりをお祝いするために休暇を取ったり、遅れて会社に来るケースが多くあります。私の勤務する会社は比較的まだ年齢層も若いため、目立って多いな、という印象はありませんでしたが、4,5名の女性スタッフが実際に休暇を取ったり遅れて出社していました。実際にこんな記事がロシアの著名な新聞の一つ、Vedomostiにありました。

「9月2日(1日は日曜日のため、学校初日は2日)は従業員の1/3が休暇を取って学校の始業式に出かける ― この事実について雇用者は何を考えるか」

https://www.vedomosti.ru/management/articles/2019/08/28/809894-tret-rabotnikov-sentyabrya-poidut-shkolnuyu

こんなおめでたい日ですが、その一方で、15年前の9/1に北オセチア共和国のベスラン市で起こった悲惨な学校占拠事件があったことをロシア人スタッフに言われて思い起こしました。

Юрий Дудь (Yury Dud)というジャーナリストが特集した約3時間の長いビデオがYou tubeで公開されています。「これをぜひ見てください」と。ロシアでは有名なYoutuberのようですが、この中では当時を生き延びた人たちの話や、唯一占拠されていた建物に入って、話し合いの結果26人の人質を外に連れ出すことができた元イングーシ共和国大統領Руслан Султанович Аушев (Ruslan Aushev)氏の直接のインタビューが掲載されています。

教えてくれたロシア人スタッフによれば、いかにロシア政府が無能であったか、ロシア政府の要人が及び腰であったか、テロリストの攻撃情報を事前に入手していたにも関わらず行動しなかった、なぜこんな悲惨な事件が起こるのか・・・滔々と語ってくれたのですが、今となっては何が真実なのか、一方的な話だけでは分かりません。

目の前の自分自身のことに追われてしまい、どんなに悲惨な事件でありながらも、そのような事件も自然と風化してしまうことを恐ろしく感じます。過去を定期的に振り返ることの大切さを教えてくれました。

この事件があった体育館は、雨などによる老朽化を防ぐためか、その外側を覆う建屋が建てられ、当時のままで保存されています。その隣には亡くなった方々を弔うかのように教会が建築されていますが、そもそも、「なぜ神様がいるのであればあんなにも可愛らしい子供たちが幼い命を失わなければならなかったのか・・・」と考える人が多くいるのではないでしょうか。訪れる価値のある貴重な場所です。

大祖国戦争(第二次世界大戦)モニュメント”Перемиловская высота” / Peremilovskya Vysota

この週末、家族連れやカップルが訪れて高台から眺める美しい光景を楽しんでいました。

モスクワに住んでいると、2回の大きなモスクワ攻防戦について思い返す場面に遭遇します。Отечественная война 1812 года (ナポレオンとの祖国戦争)、Великая Отчественная война (ナチスドイツとの第二次世界大戦 ―大祖国戦争)。

主にナチスドイツとの大祖国戦争に関するモニュメントを目にする機会が多いのですが、モスクワ郊外(Подмосковье)にも有名なモニュメントが存在します。

“Перемиловская высота” / Peremilovskya Vysota

モスクワ市内の鉄道駅から北に電車で1時間。Яхрома(Yakhroma)駅で降りると、通りに出るためにプラットフォームから上った階段の上から遠くにモニュメントが見えました。”Перемиловская высота”の意味はPeremilovoという村の”Vysota”(直訳で「高さ」の意味)、高台という意味と解釈しました。

モスクワの良いところは、電車に自転車を積んで郊外に出かけてゆき、新鮮な空気、人気の少ない静かな空間の中でのサイクリングを楽しめることです。自転車で10分も走ることなく、モニュメントの下に到着しました。高台にあるモニュメントまでジグザグの道を上ってゆきます。

モスクワ中心の赤の広場からわずか北に約80km。自転車でもわずか6時間もあれば到着してしまうほどの距離。

このポイントは、モスクワ攻略を目指すナチスドイツが1941年冬に最もモスクワに近づいた場所だそうです。1941年12月5日、ソヴィエト軍は10日間の攻防の末、ナチスドイツの攻撃を撃退することに成功し、ここからナチスドイツ撃退の第一歩が始まった重要なメモリアルのポイントとなっています。町には決して横幅の大きくないモスクワ運河が流れています。この東西にソヴィエト軍とナチスドイツが陣取り攻防していたようで、今では非常にゆったりと静かに流れる運河。この町を巡って1941年に同じ場所で、この運河の場所でそのような血みどろの戦いがあったとはとても想像が難しいものがあります。訪れた時にはそれほど本当に平和な空間が広がっていました。モニュメントにたどり着く道の途中にあった詩:

駅から眺めるモスクワ運河

Запомните:
От этого порога
В лавине дыма, крови и невзгод,
Здесь в сорок первом началась дорога
В победоносный
Сорок пятый год.

電車でわずか1時間のところでこのような歴史があった、という事実。これほどの近距離(赤の広場から約80kmです)までナチスドイツがたどり着いた、という事実を知ったモスクワ市民の動揺。当時の市民の思いを想像すると非常に複雑なものがあります。本土への上陸が無く、空爆がメインであった日本での戦争とは違う、日本人の自分には分かりたくても分からないものがある…そんなロシアの大祖国大戦です。

帰る時には、路肩にある家からバーベキューの匂いが。みんな良い天気のもと、庭でお肉を焼いて家族、親族で楽しく週末の夜の時間を過ごす。日本での週末というと、平日の仕事に疲れ果てて土曜日は潰れる…日曜日は街中に出かけてショッピング、レストランで食事して帰ってゆく、そしてもう明日は月曜日、仕事だ…というのがイメージにあります。が、ロシアでは金曜日の夜から「さあ、ダーチャへ」。土曜日の朝から郊外の新鮮な空気の中で目覚め、日曜日までのんびりと過ごす。こんな時間の過ごし方がとても人間らしい素敵なあり方だな、とロシアに来て思うようになりました。(訪問日 2019年8月31日土曜日)

到着してから数時間ここで過ごし、帰る間際の美しい夕日の景色。多分、この自然の美しさは1941年から変わっていないのでしょう。

参考情報

https://mosregtoday.ru/rayony-kvartaly/bitva-v-kamne-znamenitye-podmoskovnye-pamyatniki-velikoy-otechestvennoy-voyny/

https://tourism.restexpert.com/russia/place/peremilovskaya-vysota/

ロシア人スタッフの時間管理-其の2 / Time management of Russian staff – part 2

赤の広場横に隣接する公園、Зарядье(Zaryadye)から眺める赤の広場の美しさ。先週訪れた際の一コマ、20時くらいの光景です。Zaryadyeの言葉の由来は「(12あるいは13世紀頃に構築された区画で)Behind the row(赤の広場に隣接する市場のお店の”列”の後ろにある場所)」だそうです(Wikipediaより)

以前に記載したロシア人スタッフの時間管理テーマの続きです。朝9時の始業時間に遅刻した時にスタッフに書いてもらっていた用紙一式を、部下から受け取りました。そのユーモアセンスのレベルの高さ、内容の面白さにただただ笑うしかありませんでした。そもそも朝の9時に全員が来なければいけない理由はなぜなのでしょう?会社制度の在り方を考えさせられます。

ロシア人の友人との会話 ―

「学生時代には時間管理が厳しくて、とても遅刻なんかできなかった。」

私「なぜ就職した途端に突然時間を守れなくなるの?学生時代には遅刻せずに学校に行っていたのに?」

「卒業するといろいろあるのよ…。家のことや家庭を持って忙しくなるし。」

私「学校と同じように、会社でも時間管理を厳密にしたらどうだろうか?」

「そしたら誰も居なくなるわよ。」

私「…」

Arrival time 9:08 “Я спала, потому что хотела спать!”(寝ていました。だってもっと寝たかったんだもん!)そうだよね。でも…頑張って来よう。

Arrival time 9:23 “Вышла к электричкам, не могла найти выход в город.”(電車の(出口の)方面に出てしまい、街への出口を見つけることができなかったの。)そんなアホな。

Arrival time 9:05 “Забыла перевести часы на зимнее время.”(冬時間に時計をずらすのを忘れてしまってました。)いやいや、2014年10月26(日)からはサマータイム制度は終わっていて一年中時間は同じですよ。

Arrival time 9:03 “Забалтать с продавцом роз”(ばら売りの売り子とおしゃべりをしてました)おしゃべりしている時間があったら遅刻せずにオフィスに来い!

Arrival time 9:23 “Не хотела приехать.”(会社に来たくなかったんだもの)なんと応えてよいのか…。私もそんな気持ちになること、あります。

Arrival time 9:03 “Monday morning :(“ (月曜日の朝だし。)うん、分かります。でも…頑張って来ようかね。

Arrival time 9:05 “Еще раз спросите – уволюсь.”(もう一度(遅刻した理由を)聞いてきたら辞めてやる)彼女は大切な人材だったので、この時に辞めることなく続けてもらってよかった…。

人生のどのタイミングで人はやる気を無くし得るのだろうか / In which timing a person could lose motivation in his life.

赤の広場につながっているNikolskaya streetにて。カラオケに合わせて突然路上で女性二人が踊りだしました。ロシアの有名な曲。体が自然と動き出すようで、とても楽しそうな様子。自由に自己表現して楽しんでいる様子は見ていてとてもよいですね。

人は一体いつ、どのタイミングでかつてのやる気をなくしうるのだろう。

ってここ最近いつも思う。

会社に入社した研修でお会いしたとある工場での工場長の話。「今、ここにいるみんなは全員同じ位置にいるけど、10年間我武者羅に仕事してみてください。きっと大きな違いになっているから。」

そんな言葉がけっこう印象に残っています。それはずっと昔のことで、それが実際にどう自分自身に生きているのかは分かりませんが、その言葉の重みをいつも感じます。当時の同期として入社したメンバーが実際に現在どのように仕事をしているかを見るとき。今、ロシアにいて、ロシア人スタッフを見ていてはっきりと分かること。それは、人によってどんなに同じ時間を過ごしても、その結果が実るのは1倍であったり、2倍になったり、10倍になる、ということ。

よく考えれば当たり前なのでしょうが、なんだか前までは、自分の期待するレベルまでできれば到達可能なんだ。だから「がんばれ、やればできる、何でも必要なことは終えてあげるから。」という意識で。できなければ、「なんで出来ないんだ?仕事時間集中してがんばろうよ、黙々と仕事をしてくれ!長い雑談はするな!」というふうに。その中でもどんなにこちらが努力して支えても、伸びる人伸びない人は明らかに分かれる ― これを頭の中でどこか否定しつつも、はっきり理解できたことは大きかったです。

伸びなくなる人 ― その原因はいろいろですが、その一つに仕事にやる気をなくすタイミングが訪れた、というのはあると思います。それが、もしかすると、自分で思っているようにできない自分がいることに気がついたとき、それを周りから指摘されたとき、いやもう少しはできるのではないか、と反骨心をもつことなく、もうどうでもいい、と思ったとき。そんなときがあるのだろうか、と。

つい先日、近畿大学での又吉氏の卒業記念講演を見て、このお話をYou tubeで聴いてから、自分が悩んでいることへの答えはこれなのだろうか、と。新鮮でした。とても重みのある言葉でした。自分で自分に対する期待が裏切られたことが分かったとき、人はどう行動するのか・・・ここが大きな転換点なのだろうか、と考えてみたり。自分の能力を把握し、それを認めて、自分のに合ったレベルでどれだけ自分で伸びてゆけるか。自分と定期的によく向き合うことの大切さ。

自分自身も素の自分に正直になって、変に期待しすぎること無しに有りのまま進んでゆこう、と。ロシア人スタッフのことを見ていてわが身のことを振り返る時間となりました。

ロシアのレシート / Fiskal’niy check (Фискальный чек)

この夏の時期、月曜日になるとスタッフが自分のダーチャで採れたフルーツを振舞ってくれることがあります。これは庭で採れたリンゴ。多少痛んでいますが、立派に生っています。美味しくいただきました。

レシート一つを取ってみても、たくさんの情報が詰まっていて深く、面白いです。

ロシアで立替払いをして、後で経理部門に精算をお願いすると、日本と同様に証拠となるレシートを提出します。これをКассовый чекや Фискальный чекと呼びます。支払いの際、このレシートとは別のタイプのレシート(Товарный чек。参考リンク https://www.audit-it.ru/terms/agreements/tovarnyy_znak.html?sphrase_id=3969143)と併せて2枚発行されることがあり、「どちらでもいいから片方を保存しておき、あとで経理に提出しよう。もう一枚は破棄。」なんて場合に、誤って重要なこのチェックを処分してしまうと痛い目に合います。税金の処理上、損金として費用計上が認められずに余分な法人税20%が課税されてしまいます。

レシートのデータから税務署はお店の売上額や、法律に則って営業しているのかモニターができる、この点は日本も同様だと思います。モスクワではアルコール販売は23時まで。この時間になると、レジ前は少々時に緊迫することに。お酒を持ったレジ待ちの人は時計を気にしてソワソワし出し、前に並ぶ人に「オレはお酒を買う必要があるんだ、先に会計させてくれ。」といって順番を飛ばして会計を済ませる光景に何ども出会ってきました。これまでで一番印象的だったのは、レジの前に栓を開けて飲みだした若者。「これでどうだ、販売しないわけにはいかないだろう」と。それも自慢げに。一方の周りはしらけた目を見つめる目の数々。そんなわけで、お店もレジの時間を気にしてアルコール販売を厳重に管理しています。これもレシートのデータが重要だから、ということですね。

このレシートに要求される情報は以下の通りです。

  • ИНН(Идентификационный номер налогоплательщика)納税者番号
  • 会社名称(会社登録証明書に記載されている会社名称。日本にいるときには考えもしなかったのですが、ロシアでは通常見る会社名称と、法的な登録会社名称が異なるケースが多々見られます)
  • レシートの番号
  • キャッシングマシン(Контрольно-кассовой техники 省略КПП)の番号
  • 購入した商品の支払い額
  • 購入年月、時間
  • Признак фискального режима これは、手元にあるレシートをチェックしても、いずれも”ФП” と省略形で記載されています

その他にも情報がレシートにあるのですが、まだまだ勉強が必要です。

2019年7月1日以降、個人のお客さんとの売買取引が合った場合には、取引があった翌日中に購入者に対して電子レシートを発行して相手に送る義務が生じています。例えば、演奏会のチケットを購入後、タクシーを利用してカードで支払った後には電子メールで支払い内容が届きます。その背景にはこんな法改正があるのだな、と理解できました。ではお店での購入の場合は電子レシートが発行されないのはなぜか?それは紙で、その場で提供されるからだと思いますが、そのような法律の背景にある理由を調べてみることも、ロシアを一層知る上で役立つのだろうなと感じているところです。

参照リンク:https://www.audit-it.ru/terms/accounting/kassovyy_chek.html?sphrase_id=3968693

先日、地下鉄環状線の西側、Kievskiy駅近くにあるEatalyにて食事をとった際のレシート。ロシアのチップ事情が勉強になりました。通常10%、というのがロシアでのチップの事情だと思っています。Eatalyのチェックを見ると、サービスが最高だったら10%、となっていました。これを見ると、5%でもサービスは良かったです。という位置づけであり、決して常に10%払う必要もないようです。
ロシア語でチップのことはчаевые(チャエヴィエ)といいます。

成長したいと思っていても出来ない人がいる、という衝撃の事実 / The shocking fact that there are people who say “I want to grow” but cannot

今日は久々にとてもよい天気の週末となりました。モスクワ川沿いをサイクリング中に発見したこんな建築中のアパート群。この”足”が魅惑的です。日本では見られないデザイン。ある意味、一歩先を行くデザインではないか、と思うのですが皆さんの感想はいかがでしょうか。

人材育成。ロシア現地法人で働くにあたって、駐在員に課せられた重要な任務の一つ。私にとって衝撃的だったのは、

「本人が成長したいと思っていても成長できない人がいる」この事実。

人は自分に意思があれって努力すれば成長できる、この信念を持っていただけにこれは衝撃的でした。

ロシアに来る前に勤めていた会社の総務スタッフにいた先輩男性社員。業務に関する質問1つを別部署の男性に電話で尋ねたあと、1時間もだらだらと仕事に関係の無い話を続ける男性。「別にいいじゃないですか~」「しょうもないっすね~」「なんで明日できるのに今日やんなきゃいけないんですか?」を口癖のように連発する人でした。その会話が終わったあとに「1時間も電話で会話する内容ですか?」とだけ一言発言したものの、当時はまだ強く言える勇気もなく会話途中で口を挟むことができませんでした。職場を離れる最後の時、タイトル「仕事の心得」と銘打ち、A4で3枚ほどの彼宛に書きました。封筒に入れて「これを読んでください」と言って渡しました。私の一方的な主張であり効果はなかったはず。もう随分昔の話です。この男性には、明らかに成長したい、との意思はありませんでした。あのときに「人を変えようと思ってはダメなんだ。逆に自分が人を変えられないことのストレスで病んでしまう…」と学習し、周りの友人からも諭されて納得した真実。ここロシアでは、成長したい、と本人が望んでいるのにできない。こんな真実があるのか、と。それを否定しようと一生懸命に取り組んできたのですが、どうやら真実のようです。

成長の阻害要因

・その人には硬い硬い信念が根付いており、それから外れることをアドバイスされても聞く耳をもたない

・その信念が自分の成長阻害の原因である自身の変えるべき点を認めたくない、認められない頑固さ(自分が何かしら人よりも上であることを認めさせたい)

・周りからのアドバイスに対して、その正しさよりも、その中の細かい点の誤りを逐一見つけては反論し、まったく先に進まない(アドバイスを行う側の私について言えば、完璧ではないので細かい部分でのいい間違いや不明確な点はあります。といっても伝えたい芯にゆらぎはないので、主要ポイントを掴んでくれればよいだけなのですが・・・)

・かといって自分の力だけでは成長するために何をしてよいのか分からず途方にくれる

・周りの人間も関わりを持ちたくないゆえにその本人の改善すべき点を伝えることを止めてしまう。本人は周りから指摘がないために自分に問題はないのだ、と思い込んでいる(周囲の中での自分の立ち位置や自分が回りとのコミュニケーションにおいて問題を抱えているとの自覚力の欠如)

あるいは

・ほんとうの馬鹿、

それとも

・「私は成長したい」と口だけで言っている、本心は別に成長しなくても、なんて思っている

のかもしれません。

大切なのは必要なポジションに必要な能力を備えた適切な人材を据えること

会社がポジションに任命したスタッフが必要な能力を持っているのかを判断するのは、かなり難しい。口で言うほど、頭で分かっているほどに簡単ではありません。日々起こる種々の課題への取り組みと結果を見る中で分かってくるもので、試用期間3ヶ月(マネジメント層、経理責任者は除く※彼らの試用期間は6ヶ月)の中ではっきりと分かるものではない、というのが私の結論です。だからこそ、試用期間中は出来る限りスタッフの能力を見極めるために深く関わってゆくことが大切なのだな、と過去の採用の痛い失敗経験を踏まえて学んでいます。

成長できるレベルは人それぞれに応じて違う – その判断を正確に、迅速に

同じ時間が皆に平等に与えられているのに人によって成長の度合いが異なる。これは事実。ただ、せめて各自のできるところで日々成長目指そうよ、って思います。でも、毎日オフィスに来て同じ仕事のパターンを繰り返し、お昼にみんなで楽しく笑って過ごし、終業時間がきたら“Пока~(パカ~:またね~)”といって帰っていく。みんな若いんだし、もっと自分の可能性を信じようよ、って思います。ただ、きっと皆持っているパイの大きさは同じとすると、そのような人は仕事以外のことにより多くの情熱を捧げていて、私の見えない部分で、その分野では飛び切りの成果を出しているのかもしれません。そうはいっても、昼食時間の1時間も含めると9時間も会社に人生を捧げるわけです。その取り返しのつかない時間を毎日何かしら1つでも新しいことを学ぼうという思いで過ごせればもっと充実した時間を過ごせるだろうに…と。

マネジメントに必要なことは、それぞれの部下の強さと弱さ、能力の限界に対する正しい判断力。それに応じて業務配分を行うこと。そして、その判断に至るまでの時間をいかに最小限にできるか。これが大切なスキルなんだと考えています。

自由とその許容範囲のレベルの狭間でもがくロシア人スタッフの管理 / Management of Russian staff – struggling between promising freedom and the limit of the freedom

立ち寄った食料品のお店入り口にて。ご主人の帰りをじっと待っていました。

会社では自由闊達な議論が行われ、どんなポジションにも関係なく自由な意見を言える、これが目指すべき会社の姿であることは一般的に言われています。しかし、私自身が実際に会社でマネジメントする中でそれが必ずしもうまく機能せず、良かれと思って行ったことが自分自身を苦しめることに繋がることも経験しています。

上の立場にいる私からすれば、部下がものを言えども、最終的には私自身の決定に素直に決定してくれることを望みますが、時にスタッフが一線を越えることがでてきます。それは日ごろから自由を尊重し、どんな点でも言ってね、むしろ言わないとダメだ、というスタンスでいるがゆえに、スタッフも(彼彼女からすれば)私の決定が間違っているのだ、と主張してくるわけです。最終的な決定に従ってもらうには、日ごろからの信頼関係の問題も出てくるため、どれだけ日常的に部下とのよい関係を築けているのかが問われる場面となっています。とは言っても、関係づくりもどれだけ強固なものが築けるのか、それまた難しい。どんなに考えて行動していても、お互いの一言、たった一つのメールが原因だったり、ただ朝から機嫌が悪いことから言葉はなくとも、自然と伝わってしまう態度、行動から険悪な雰囲気となってしまう、徐々に話す機会もなくなり、仕舞いには挨拶もせずに目をそらしてしまう…。そんなことが小さな会社の中で起こっているのを目にしてきました。

次元は違えども、国の政府も同様で、政府、民間企業の大小の規模関わらず、あらゆるところで同じことが起こっているのであろうと想像しています。おそらく、政府にしても会社の首脳陣にしても、国民や一般従業員が意思を持って政府、マネジメントの判断に対して公に声を上げる事を内心嫌がっているのであろう、と。国で言えば、国民に選ばれた人たちが、選んでくれた人たちの声を政府に届けるどころか、彼らの意思とは違う行動を取ることがある、そんなことがあるに違いありません。上の立場になると、一般の人が持っていない情報や人脈ができ、それによって将来を見据えた行動を取るべきであると認識する。その一方で一般大衆は自分の身の回りのこと、毎日の自分の生活環境内で起こる出来事を重要視する。将来の国民全体の利益や他の州や自治国で起こってることは関係ないわけです。そのため、国を治める側になると、将来を見据えた上で、自分を選んでくれた人たちにも一部犠牲を強いる必要がある。それを分かってもらうのがどれだけ大変なことか・・・。ロシアでの年金制度の改革で各地で大騒ぎとなったこともまだ記憶に新しい事です。

こういったことが自分の周りでも、ここロシアでの小さな会社でも起こっています。部下との関係の距離をどのように取るべきか、ここは人を管理する立場になって感じる非常に苦しい部分でもあります。自由を尊重し率先して薦めてゆく一方で、どこかに制限をかける必要性がある。その狭間で悩み、苦しむことがあります。何か素晴らしい解決策があるとは言えず、いつも飾らずに素の自分で接しています。それが自然ですし、自分も苦しくならずにいられます。そのうえで、話を聞き、意見に感謝しふさわしいところは相手の意見を取り入れたうえで最終的には自分の決定に従うように指示をする。おそらく当たり前のことなのでしょうが、なかなかこの当たり前のことをできるようになるには多くの時間と経験を要してきました。

情報の透明化について一言

情報の透明化がよい、という論調が勝っているように感じられますが、それもどうでしょうか。素直にその通りだ、とも言い切れないものがあります。会社のPLBSを見せて会社の財務諸表に関心をもってもらうとすると、駐在員に関係する経費の情報の取り扱い方の問題にぶちあたります。情報を公表して、会社の販売管理費、対売上比率にも目を向けてもらいたい一方、向けてもらってはいけない経費情報もその費用の中には含まれている。さてどうしたものか・・・、どんなに説明しても一向に基礎的な会計知識が身についてゆかない姿、しかし、とあるときに「販売管理費の具体的な内訳を教えてください。一体、Otherで集約されている経費の中には一体何が含まれているのですか?」なんて言われたらどう説明すべきか…。情報を公開すればするほど、むしろ自らの首を絞めることもある、という錯覚に陥ってきます。知らないほうが幸せであることも実際あるのは確かなようです。この狭間で苦しむことがあります。もちろん、言わずともロシア人スタッフも日本人とロシア人とでは待遇も異なる、というのは容易に理解している点ではありますが。

どんなに隠していてもどこからともなくいつの間にかロシア人スタッフに情報が広まっていると言って間違いありません。給与情報、ボーナスの金額もその日のうちにお互いになぜだか伝わっています。日本では考えられません・・・。(新入社員として入社した時の初めての給与明細を同期全員で同じ研修部屋で受け取り、皆で封を開けたとき。そんな時代がありました。人事教育担当者が笑いながら「こんなことできるのは最初だけだ、ありえないなぁ」と言っていたのを思い出します)逆に言えば、伝わってほしいことを意図的にスタッフに話して社内に広めることもテクニックです。

最良の独裁者 > 民主主義

ロシアでは、欧米諸国ほどに民主主義に対する支持が高くない、と聞いたことがあります。実際に今回インターネットでいくつかリソースを探してみたところ、以下の記事に出会いました。著者がロシア人に行ったアンケート結果から導き出された回答のまとめによれば、ロシア人は“imperfect democrats”である、と。個人の自由を重んじるが、民主主義の特質については疑問を持っている。とりわけ国の公的機関について信用していない。政府関係者、行政機関の役人については低い信頼レベルである、と。アンケートせずとも納得です。

民主主義こそが素晴らしい、皆の意見を聞いて多数決の意思を尊重する、という点については、会社のマネジメントを経験している上では諸手を挙げて賛成できず。むしろ誤った方向に向かってしまう危険性を大いにはらんでいます。一般市民のことも深く理解したうえであるべき、正しい決断を下すことができる独裁者。こんな方は滅多にいないでしょうし、これも危険がありますが、これこそが理想なのだろうな、と感じるところです。

https://www.jstor.org/stable/2697274?read-now=1&seq=1#page_scan_tab_contents

ロシア人スタッフの時間管理 / Time management of Russian staff

赤の広場から北方面に約2kmほどの距離に位置するHermitage Gardenにて開かれていたJazz festivalに出かけてきました。雨が降りそうで振らないぎりぎりの天候の中、このように一般市民が集まって楽しんでいました。一人で踊りだす男性もいたり。ソヴィエト時代にはサックスはアメリカ ― 敵 ― の楽器とみなされており、「 От саксофона до ножа – один шаг! (サックスからナイフまではたったの一歩」(サックスを吹いたら明日の命はないぞ)なんていう言葉があったようです。

朝の始業時間にスタッフが仕事の準備ができていない!そもそもオフィスにいない!いや、数分遅刻してやってきた!始業時間はオフィスに入ってくる時間ではなく、仕事をする用意ができている状態のことを言うんだぞ!朝の出社時間の管理については、多くの日系企業が悩んでいる点だと思います。

朝遅刻した場合には、必ずスタッフが通過する受付にて名前を遅刻した理由を書かせるメモを取り入れました。しばらくすると、その運用は受付スタッフの入れ替えと共に自然に終わってしまい、私もそのメモの存在を忘れてしまったのですが、オフィス内のキャビネットを整理していたところそのメモが出てきました。なんだかギャグを読んでいるかのような遅刻理由に思わず褒めてあげたいくらいになりました。

「次に私に遅刻の理由を訊いたらこの会社辞めてやるわ」(こんなメモがあったとは知らず。幸いにも彼女はその後も勤めてくれました。)

「遅刻する理由もないけれど、なぜだか遅刻してしまいました」とか。そのコメントセンスにあっぱれです。

ロシア企業に勤める友人に聞けば、彼らの会社では遅れてきた分は、遅れた分だけその日に働く運用にしている、とのこと。

同じグループ会社でヨーロッパのドイツで勤務する友人によれば、彼らの会社では週40時間の勤務時間の決まりがあり、その時間の裁量内で個人が調整して働いているとのこと。以前に出張ででかけた際、朝の早い時間から女性スタッフが一人で仕事をしていました。聞いてみると朝の7:30から出社しているとのことです。子供を迎えに行く必要もあって早めにオフィスを後にしなければならないために会社とこの勤務シフトで合意しているようです。ここまで個人の自己裁量の範囲が広くなってくると、大切なのは個人個人を信じることと、パフォーマンスの結果を正しく管理できる制度作り。小さな規模の私が働く会社では、まだまだこのような体制には至っていません。

全員が同じ場所で、同じ時間シフトで働くことだけが正しいことではない、大切なのは個人の多様性の尊重と生産性である。これは正しいことと分かっていながらも、この風潮をあるべき姿であると一辺倒に信じることには疑問です。その会社ごとに何が大切なのか、何を今の優先事項とすべきなのか、自らが勤める会社についてより深い理解が必要であろうと自らに言い聞かせているところです。

正直なところ、数分遅刻しようがほとんど問題はありません。多少遅れてこようとも概ね遅刻は数分で収まっている、それの何が悪い? ― よくよく考えればあまり悪いことではないと思います。ただ、組織で働く上でそのような小さなことを守れるか、守れないか。一つ一つの行動がその人自身の仕事や規則に対する態度を表していますし、その行動の積み重ねが周りからの信用を生んでゆくのではないかな、ということはスタッフに伝え続けてゆきたいと考えています。

昨年、「遅刻してくるという事実は、仕事に対するあなたの態度を表していて、そのこと自体が問題である」と部下全員に上期の総評としてメール一斉配信したところ、後から個別に「あれはショックを受けました、みんな謝ってもらいたいと希望しています」と部下からの逆パンチをもらってしまいました。明確な正解にはいまだ至っていないテーマ ― ロシア人スタッフの時間管理 ― です。

ロシア勤務で感じるMBOシステムの欠陥 / The defect of MBO system in my job career in Russia

この週末、街の中心部ではデモ行進があったようで、至るところに警察官が立ちゆく人々の動向を見守っている様子がうかがえました。夜もすでに21時を回っていましたが、このような随分と古めかしいモデルの警察車両が路肩に夜遅くまで止まっていました。管理を担当する身としては、この週末の警察官の動員により、一体どれだけの人件費負担がモスクワ市にかかるのだろう…と思わずにはいられませんでした。(休日の出勤日は通常勤務時の2倍の賃金支払い義務が発生)

今の会社で、ロシア人従業員のMBO(Management by Objectives目標管理)システムを構築しましたが、MBOシステムの根本的な弊害は、KPIが主な評価対象となり、その裏に日々起こるあらゆる日常業務が考慮されていないことだと考えるようになりました。きっと、日本のように人が定着し、ノウハウも蓄積されており、特段の問題もなく日常業務が滞りなく回る体制になっているのであれば、KPIをモニターしてゆけばMBOシステムは目論見通りに回るのでしょう。しかしながら、ロシアの企業で現場を管理してきた経験からすると、常に何かが起こる。スタッフも一定の期間で転職をしてゆき、スタッフの入れ替えが起こる。それが現実です。週次計画を立てても、自分のために時間が取れるのは皆が帰宅した終業後、ということも多々あります。スタッフも日常業務で起こる出来事に想像以上時間と労力を取られることがあります。このような現状を踏まえた時に、評価制度の運用を管理する立場として、KPIのみが部下の評価基準となってしまう、この問題を一層感じています。

世の中にはあらゆるMBOシステムが存在し、コンサルティング会社によって提供されていますが、評価システム自体は、言葉が悪いですが、何だってよいと思います。どんなに素晴らしい内容のMBOシステムを作り上げたところで、運用する人間が正しく運用できないのであれば意味がない。むしろシステムはシンプルであればあるほどよいのではないでしょうか。そして何よりも大切なのはそれを運用する人のMBOシステムに対する理解力です。

私自身は以下のように考えており、これをロシア人スタッフにも定敵に会話するたびに訴えているところです。

自分の人生における芯をもとう

一般的に容易に想像できることは、何千人もの正社員を抱える会社では、全ての社員の評価を適正に確認して相応しい評価をつける、そんなことは無理です。自身の上司が評価をプラス(マイナス)につけても、その上のライン、さらにその上のラインでの相対評価にて評価が下がることもあれば上がることもある。その一つ一つに対して「不公平だ、おかしい、私は過小評価されている」といったフィードバックを細かく指摘して、私は納得しない、と言い張ってもそれがかける労力ほどに良い結果に繋がるのかどうか・・・。個人的な意見では、人間が作り上げた制度、人間が管理するものに完全なものなどなく、したがって評価制度に完全な公平さがあるわけがなく、おかしいと思えることはあって当然です。評価は自分と直属の上司のコントロールが効かないところでどうしても動かざるをえない部分もあり、そんなものに一喜一憂して何になるのでしょう?

ここロシアの現地法人では、規模が小さいがゆえに直接の上司の評価がそのまま直接部下のボーナス・昇進に響く度合が高いことは事実です。部下は「納得できない。この評価はおかしい、私は過少評価されている!」と、一つ一つの評価にとりわけ注目するのは分かります。そのため、慎重に評価を熟考すべきなのは事実です。それであっても、昇進可能なポジションは限られています。どうしても違う部門であっても同じポジションのスタッフ同士で相対評価をする必要がでてきます。ボーナスとして支払える額も限られているために全員に満点をつけるわけにはいかない、というのがマネジメントとしての本音です。過小評価されている、というのは彼・彼女が自分自身を過大評価しすぎていることも否めないと思いますが・・・。

そんな中でも、被評価者に対して伝えたいのは、評価について過度に意識することがないように、自分の人生における価値基準を持とう、ということ。自分の人生における大切なことを持とう。そうすれば世の中に見られる不公平さや理不尽さに対して ― この評価制度についても ― やり場のない怒りを開放するのに役立つのではと考えています。そうは言ってもなかなか理解してくれる人がいないのですが…。ただし、この私のスタンスは自分の価値観が会社や上司の考えと相反することがあるために、局面に応じては注意が必要であろうと。それはある意味目先の評価を犠牲にすることになり、もしかすると将来に評価される可能性がある、ある意味会社の出世を願う人にとっては謝った考え方であるのかもしれません。

上司と定期的に会話をしよう 上司はきちんと部下に1対1ミーティングでフィードバックをしよう(私の経験上、Weeklyベースでのがベスト)

不公平なMBOシステムに少しでも公平さを与えるための努力が常に求められます。目標に関して上司と会話する機会が無く、半年(一年間)ごとの上司との面談で詳しく議論する時間をとるだけとすれば、もはや面談時間は大して意味がないものと言えます。そうなってくると、上司と部下の仕事以外での人間関係や、付き合いの度合いなどが評価に作用される事態も生まれてくるのでしょう。人間なので仕事以外の部下に対する感情が評価に与える影響、これはどうしても生じてしまうはずです。

目標に対する上司の希望、要求と達成状況をきちんと1対1で語り合う場を設けることが非常に重要です。私は毎週部下と定期的にKPIについて語り合う時間を、たとえわずかとしても自分の部下と設けることが大切だと考えています。決して毎週のはじめ、おわりに全員と行う義務はありません、一週間の中で日時をずらしてゆけば自分の負担にもならないと思われます。

ロシア人マネジャーの中には「いつも部下と近くに座って一緒に仕事をしているのだから仕事内容は分かっている。目標の達成状況だってクリアだ。なのでOne-on-one meetingなんて必要ない」という人もいます。しかしながら、目標に対して真剣に議論する場を個別に設けることは非常に重要です。時に厳しいことを言わなければいけないのに、皆のいる場では言えませんし、お互いの意見をぶつけ合うことも必要です。私自身、自分でできる努力を一生懸命にしていたものの上司の反応は芳しくなく。後から上司からは「自分の優先順位とXXXさんの優先順位は違うので・・・」と言われてしまいました。定期的なフィードバックは重要です。

会社以外の大きな枠組みで、もっと広い分野で自分自身を捉えよう

会社で上司のお気に入りで、社内政治をうまくできて評価されているからといって、それが他の世界でも通用するはずはありません。でも一方で、その重要性をよく認識することも大切だと思います。それをあからさまに否定する人もいるのでしょうが、これもやはり人間が運用するシステムであるがゆえに、その側面を理解して行動することも必要ではないかと考えています。

そんな中でも、大切なのは会社という小さなコミュニティの中だけで自分を捉えることなく、汎用的に通用するスキルと経験を持とう。そんな風に定期的にロシア人部下に言い伝えているのです。が、どうしても目の前のこと、自分の所属するコミュニティの中での自らの位置づけに目を奪われる傾向が強いのが人の常なのかもしれません。長年同じ会社で一つの部門を管理しているという自負が強すぎるがゆえに、こんな小さなコミュニティの中だけで自らの位置にこだわってしまう人がいるように感じられます。

給料が低い、と文句を言うのであれば、適正に自身を評価してくれる会社へ転職するのがよいのでは?と思ってしまいますが、日本と比べて転職がいたって普通に行われるロシアであっても、就職活動をすることはエネルギーを要することであり、そう簡単ではないのかな、とも思うことがあります。

最終的には直接の上司が、部下の日常業務で発生する種々の課題に対してどれだけの理解力を持てるか ― どれだけ時間と労力を要しており、どれだけ期のはじめに設定したKPIに影響を及ぼすのか ― この理解がすべてではないでしょうか?KPIはある種、挑戦。一方で日常業務で発生することはルーティン業務。しかし、それ無くしては挑戦もできない。目立たなくても非常に重要なルーティンです。日常業務に時間を割かざるをえないがゆえにKPIの進捗が滞ってしまう。KPIだけを見れば満足できない結果ですが、上司が部下の業務を理解しているのであれば、どうして目標に対する進捗が芳しくないのか、上司は理解してあげるべきです。そして、ふさわしい目標管理の着地点を一緒に見出すべきではないでしょうか。もちろん、部下ができることをしておらずにさぼっていないのであれば、の話です。