「安定」それがどれだけ貴重で重要なものか。/ “Stability” how precious and important it is.

モスクワで勤務しているときの採用活動において、応募者に志望動機を尋ねてみると頻度高く返ってくる言葉がありました。「日系企業は安定しているから。」とのこと。そのことを上司と会話すると、「いや安定しないでしょう、ビジネスの先行きなんて実際にどうなるか誰にもわからないんだから…なんでこうも安定、安定というのだろうね…」と苦笑い。また、賃金の交渉の段階になって手取り額について交渉するときには、— これはあくまで私の経験上に基づく感覚ですが — ボーナスがおよそ何か月分は支払い見込みです、それも含めて月平均でこのくらいは保証できます。と伝えても、志望者は実際に幾ら保証されるのか(ボーナスは会社の業績次第でカットされる可能性もあるので信じられないということだろう)を特に意識していることを感じました。ロシア人の人事スタッフにその点を応募者に対して丁寧に説明してもらい、納得してくれたスタッフが会社の一員として加わってくれました。

今現在、ほぼ毎日のように連絡を取り合っている友人がウクライナに住んでいます。モスクワで知り合い、後に彼はキエフに移住。ロシアとの戦争が始まってからはキエフを逃れてウクライナ西部フメリニーツキー地区に逃れています。その彼と一緒にウクライナ国内で避難生活を強いられている人たちへのサポートを自分たちのできる範囲で行っています。その友人から入ってくる情報は大変な状況の中で何とか毎日を過ごしている人たちの様子です。毎日決まった時間に起きて、食べて、仕事して、また食べて。リラックスした時間を過ごし、風呂に入り眠りにつく。そして目が覚めたら再び翌日がくる…。そんな当たり前のことがどれだけ貴重なことなのかを考える機会になっています。

聞いた話によれば、爆撃により8歳のとても可愛らしい息子さんを亡くしたお父さんもいます。薬の高騰で財政的な苦しさ、大好きだったロシア語を学校で教えて26年、ずっと続けてきたものの戦争でロシア語の仕事を失い無職になってしまった女性。ガスが止まってしまったので差し入れを行ったガスコンロで調理を行う家の様子。生まれ育った思い出の詰まったアパートが今では無残な形に変わり果てた故郷。マリウーポリから脱出したのちキエフへ、そして海外に避難したものの現地の生活に馴染むことができずに再びキエフに戻った女性。空襲警報が鳴り始めて非難するための一番安全な地下鉄駅までは15分かかるとか。精神的に疲れ果ててしまう生活を強いられている女性。知る限りの情報から彼らの日々の生活を想像するだけでも、それらがどれだけ辛いものであるか。少なくとも想像することはできます。

安定、という言葉の響きはネガティブに捉えることもできるかもしれません。成長がない、変化がない、と言った感じで。当時モスクワで働いていた時には、とにかく新しいことにチャレンジするように、自らその姿勢を見せることが良い評価を得るために必要な要素だ、という点を私は強調しすぎていたかもしれません。物流部門で働く若い女性スタッフは毎日の商品の出荷手配に追われ、ミスなく確実に客先へ届けるために働いている。安定した仕事の質を保つことが大切であり、そのこと自体が高い評価に値する仕事である。IT化も満足に出来ていない状況の中、チャレンジしたくてもチャレンジする余裕がない。そんな中でチャレンジが足りない、なんて言われてしまうとそれはもうがっかりだろう…評価面談の時に彼女がぼろぼろと泣いてしまった時、ようやくその気持ちを理解できた気がしました。

安定という言葉の意味をじっくりと考えてみると、安定 — 心に安心が得られるしっかりとした土台 — があるからこそ次に向かうゆとりや力がが得られるのだろう。他方、そこに安寧としてしまいチャレンジすることを止めてしまう人もいるのは事実ですが。

以下のリンクは上記の友人が教えてくれたロシア軍による攻撃の動画です。彼の住む街の郊外に降ってきたという。突如として静寂を破る爆発の音。果たしてこんなものが家の近くに落ちたとしたら誰が平静でいられるのだろうか…まるで広島・長崎に投下された原子爆弾を思い起こさせるようなキノコ雲。

自分の境遇は人それぞれで生まれた瞬間にすでに決まっているものもある。文句を言いたいことはいくらでも見つかる。人と比べて自分の立場を意識することを推奨するわけではないけれど、自分自身が得ている今の安定(少なくとも空襲警報が突如として鳴り響くことはない)を生かさない手はない。意味もなくYoutubeを見たり、見終わったあとに一体今の時間は何だったのだろう…と思ってしまうテレビ番組に多くの時間を捧げることに意味があるだろうか。(それができる環境にあるということ自体がどれだけ幸せなことか!)

今年の元日。金融の世界で大いに名を馳せた山崎元氏、大江英樹氏の死去。これもまた2024年のスタートとしては北陸の地震、羽田空港での日本航空と海上保安庁の機体衝突事故と並んで衝撃的なニュースとなりました。大江氏による未投稿となっていた言葉が日経新聞に掲載されていましたが(マネーのまなびの水先案内人 追悼・大江英樹氏の遺稿)、そこには”自分が病気になり、一時は死を意識したこともあったが、その時に考えたことは「結局、人生の最後に残るのはお金ではなく、思い出しかないんだな」と。”ということでした。果たして2024年を振り返ったときにどんな思い出が心の中に残っているだろう。世界の様子を見ると事態が益々混乱してゆく様子しか見えてきませんが、コントロールが可能な自分について言えば、着実に成長した別の自分が2025年を迎えていることを願いたいものです。ロシア語は需要が無くなれど、語学に触れることは大好きです。生涯学習のテーマとして、限られた時間ではありますが毎日勉強してゆきます。

さて、どんなに苦しくても、いや苦しいことがあるからこそやっぱり冗談は大切。笑うと楽しくなるもの。ウクライナの友人から時々送られてくる笑える動画は一体どこから見つけてくるのでしょう。日々そんな動画でも見て笑ってみるとどんなに今は辛い状況にいる人たちも少しは明日への元気をもらえるのかもしれません。

Мама читает книгу анекдотов. Приходит маленькая дочка и спрашивает;(お母さんがアネクドート(滑稽な小話、Russian joke)の本を読んでいます。幼い娘がやってきて尋ねます。)

– Мама, а где ответы?(ママ、どこに答えがあるの?)

– Какие ответы?(何の答え?)

– Ну ответы к анекдотам.(ええっとね、アネクドートの答え。)

– Зачем к анекдотам ответы?(どうしてアネクドートに答えが必要なの?)

Мама, ну как ты не понимаешь? А если не знаешь, где надо смеяться?(ママ、じゃあどうやってアネクドートを理解できるの?もし答えを知らなかったら、どこで笑っていいのか分からないじゃない。)

まさに私の気持ちを代弁してくれている会話。これもロシアで購入した小話集から取り出した会話例です。

ロシアで食事をしていると大抵耳にするアネクドート(小話)。これを100%理解できるようになれば、あなたはすでに完全にロシア人。アネクドートを理解するには言葉の使いまわしを理解したり、ニュースで見聞きする世間の情報に通じていないといけないため高難度と思います。悔しいですが、皆が笑った後に丁寧に説明してもらってようやく理解できる、そんなことばかりでした。今でも覚えているけれど、昔にサンクトペテルブルクの語学学校でロシア語を習っていた時に先生が話してくれた小話:

ある夜、突然に電話がかかってきてこう尋ねました。

「もしもし、車のタイヤが欲しいですか?」

「いえ、必要ないです。(自分の車には4つのタイヤがすでに付いているので。)」

「わかりました。」といって電話が切れました。

翌日…、出かけるために自分の車のところにいくと、4つのタイヤが無くなっていたとさ。

という、そんなお話。ロシア語で聞くとこれまた面白く。”欲しい”という言葉をどう捉えるかでこうも話が何倍にも面白おかしくなる、言葉って面白いです。