自分の持つすべてのものに感謝を。(ジャッキーチェン) / Jackie Chan’s words of wisdom – Нужно ценить все, что у тебя есть.

外国語を勉強する時、心に取っておきたい言葉を今勉強している言葉で覚えてみることも役立つかもしれません。

例えば、ウクライナに住む友人が送ってくれたジャッキーチェン(Джеки Чан)の言葉。短いフレーズですので繰り返し練習することできっと覚えることができそうです。その結果、この言葉が自分自身をポジティブな気持ちにしてくれることはもちろんのこと、ロシア語の単語、単語の変化やリズムを学ぶことができると思います。この短いフレーズの中に込められた意味も噛みしめながら、ウクライナで戦争が行われている今の世界に住むからこそ一層この言葉の重みを感じることができるのではないでしょうか。

Джеки, доволен ли ты своей жизнью?

Знаете, я как-то услышал очень мудрые слова:

Твоя сложная работа – мечта каждого безработного.

Твой непослушный ребенок – мечта каждого бездетного.

Твой маленький дом – мечта каждого бездомного.

Твой небольшой капитал – мечта каждого должника.

Твое неважное здоровье – мечта каждого больного неизлечимой болезнью.

То, что Всевышний скрывает твои грехи от глаз людей – мечта каждого опозоренного своими грехами.

Твое спокойствие в сердце, твой спокойный сон, твоя доступная еда – мечта каждого, у кого в стране война.

Нужно ценить все, что у тебя есть. Ведь никто не знает, что произойдет с тобой завтра.

(日本語訳)

ジャッキー、あなたは自分の人生に満足していますか? (という問いに対してジャッキーチェンが以下のように答えました。)

以前にとても素晴らしい格言を聞いたことがあります:

あなたが抱えているやっかいな仕事は、仕事を失ってしまったすべての人にとっての夢。

あなたの言うことを聞かない子供は、子供を持てないすべての人にとっての夢。

あなたが持っている小さな家は、家すら無いすべてのホームレスにとっての夢。

あなたの持つわずかな資産は、負債を抱えているすべての人にとっての夢。

あなたにとって当たり前の健康は、不治の病にかかっているすべての病人にとっての夢。

あなたの罪を神様が他人の目から隠してくれるのは、自分の過ちによって恥ずかしい思いをしているすべての人にとっての夢。

あなたの心の平安、安らかな眠り、何でもない食事は、自分の住む国に戦争があるすべての人にとっての夢。

自分の持つものすべてに感謝しないと。明日、あなたに何が起こるかは誰にも分からないのだから。

「安定」それがどれだけ貴重で重要なものか。/ “Stability” how precious and important it is.

モスクワで勤務しているときの採用活動において、応募者に志望動機を尋ねてみると頻度高く返ってくる言葉がありました。「日系企業は安定しているから。」とのこと。そのことを上司と会話すると、「いや安定しないでしょう、ビジネスの先行きなんて実際にどうなるか誰にもわからないんだから…なんでこうも安定、安定というのだろうね…」と苦笑い。また、賃金の交渉の段階になって手取り額について交渉するときには、— これはあくまで私の経験上に基づく感覚ですが — ボーナスがおよそ何か月分は支払い見込みです、それも含めて月平均でこのくらいは保証できます。と伝えても、志望者は実際に幾ら保証されるのか(ボーナスは会社の業績次第でカットされる可能性もあるので信じられないということだろう)を特に意識していることを感じました。ロシア人の人事スタッフにその点を応募者に対して丁寧に説明してもらい、納得してくれたスタッフが会社の一員として加わってくれました。

今現在、ほぼ毎日のように連絡を取り合っている友人がウクライナに住んでいます。モスクワで知り合い、後に彼はキエフに移住。ロシアとの戦争が始まってからはキエフを逃れてウクライナ西部フメリニーツキー地区に逃れています。その彼と一緒にウクライナ国内で避難生活を強いられている人たちへのサポートを自分たちのできる範囲で行っています。その友人から入ってくる情報は大変な状況の中で何とか毎日を過ごしている人たちの様子です。毎日決まった時間に起きて、食べて、仕事して、また食べて。リラックスした時間を過ごし、風呂に入り眠りにつく。そして目が覚めたら再び翌日がくる…。そんな当たり前のことがどれだけ貴重なことなのかを考える機会になっています。

聞いた話によれば、爆撃により8歳のとても可愛らしい息子さんを亡くしたお父さんもいます。薬の高騰で財政的な苦しさ、大好きだったロシア語を学校で教えて26年、ずっと続けてきたものの戦争でロシア語の仕事を失い無職になってしまった女性。ガスが止まってしまったので差し入れを行ったガスコンロで調理を行う家の様子。生まれ育った思い出の詰まったアパートが今では無残な形に変わり果てた故郷。マリウーポリから脱出したのちキエフへ、そして海外に避難したものの現地の生活に馴染むことができずに再びキエフに戻った女性。空襲警報が鳴り始めて非難するための一番安全な地下鉄駅までは15分かかるとか。精神的に疲れ果ててしまう生活を強いられている女性。知る限りの情報から彼らの日々の生活を想像するだけでも、それらがどれだけ辛いものであるか。少なくとも想像することはできます。

安定、という言葉の響きはネガティブに捉えることもできるかもしれません。成長がない、変化がない、と言った感じで。当時モスクワで働いていた時には、とにかく新しいことにチャレンジするように、自らその姿勢を見せることが良い評価を得るために必要な要素だ、という点を私は強調しすぎていたかもしれません。物流部門で働く若い女性スタッフは毎日の商品の出荷手配に追われ、ミスなく確実に客先へ届けるために働いている。安定した仕事の質を保つことが大切であり、そのこと自体が高い評価に値する仕事である。IT化も満足に出来ていない状況の中、チャレンジしたくてもチャレンジする余裕がない。そんな中でチャレンジが足りない、なんて言われてしまうとそれはもうがっかりだろう…評価面談の時に彼女がぼろぼろと泣いてしまった時、ようやくその気持ちを理解できた気がしました。

安定という言葉の意味をじっくりと考えてみると、安定 — 心に安心が得られるしっかりとした土台 — があるからこそ次に向かうゆとりや力がが得られるのだろう。他方、そこに安寧としてしまいチャレンジすることを止めてしまう人もいるのは事実ですが。

以下のリンクは上記の友人が教えてくれたロシア軍による攻撃の動画です。彼の住む街の郊外に降ってきたという。突如として静寂を破る爆発の音。果たしてこんなものが家の近くに落ちたとしたら誰が平静でいられるのだろうか…まるで広島・長崎に投下された原子爆弾を思い起こさせるようなキノコ雲。

自分の境遇は人それぞれで生まれた瞬間にすでに決まっているものもある。文句を言いたいことはいくらでも見つかる。人と比べて自分の立場を意識することを推奨するわけではないけれど、自分自身が得ている今の安定(少なくとも空襲警報が突如として鳴り響くことはない)を生かさない手はない。意味もなくYoutubeを見たり、見終わったあとに一体今の時間は何だったのだろう…と思ってしまうテレビ番組に多くの時間を捧げることに意味があるだろうか。(それができる環境にあるということ自体がどれだけ幸せなことか!)

今年の元日。金融の世界で大いに名を馳せた山崎元氏、大江英樹氏の死去。これもまた2024年のスタートとしては北陸の地震、羽田空港での日本航空と海上保安庁の機体衝突事故と並んで衝撃的なニュースとなりました。大江氏による未投稿となっていた言葉が日経新聞に掲載されていましたが(マネーのまなびの水先案内人 追悼・大江英樹氏の遺稿)、そこには”自分が病気になり、一時は死を意識したこともあったが、その時に考えたことは「結局、人生の最後に残るのはお金ではなく、思い出しかないんだな」と。”ということでした。果たして2024年を振り返ったときにどんな思い出が心の中に残っているだろう。世界の様子を見ると事態が益々混乱してゆく様子しか見えてきませんが、コントロールが可能な自分について言えば、着実に成長した別の自分が2025年を迎えていることを願いたいものです。ロシア語は需要が無くなれど、語学に触れることは大好きです。生涯学習のテーマとして、限られた時間ではありますが毎日勉強してゆきます。

さて、どんなに苦しくても、いや苦しいことがあるからこそやっぱり冗談は大切。笑うと楽しくなるもの。ウクライナの友人から時々送られてくる笑える動画は一体どこから見つけてくるのでしょう。日々そんな動画でも見て笑ってみるとどんなに今は辛い状況にいる人たちも少しは明日への元気をもらえるのかもしれません。

Мама читает книгу анекдотов. Приходит маленькая дочка и спрашивает;(お母さんがアネクドート(滑稽な小話、Russian joke)の本を読んでいます。幼い娘がやってきて尋ねます。)

– Мама, а где ответы?(ママ、どこに答えがあるの?)

– Какие ответы?(何の答え?)

– Ну ответы к анекдотам.(ええっとね、アネクドートの答え。)

– Зачем к анекдотам ответы?(どうしてアネクドートに答えが必要なの?)

Мама, ну как ты не понимаешь? А если не знаешь, где надо смеяться?(ママ、じゃあどうやってアネクドートを理解できるの?もし答えを知らなかったら、どこで笑っていいのか分からないじゃない。)

まさに私の気持ちを代弁してくれている会話。これもロシアで購入した小話集から取り出した会話例です。

ロシアで食事をしていると大抵耳にするアネクドート(小話)。これを100%理解できるようになれば、あなたはすでに完全にロシア人。アネクドートを理解するには言葉の使いまわしを理解したり、ニュースで見聞きする世間の情報に通じていないといけないため高難度と思います。悔しいですが、皆が笑った後に丁寧に説明してもらってようやく理解できる、そんなことばかりでした。今でも覚えているけれど、昔にサンクトペテルブルクの語学学校でロシア語を習っていた時に先生が話してくれた小話:

ある夜、突然に電話がかかってきてこう尋ねました。

「もしもし、車のタイヤが欲しいですか?」

「いえ、必要ないです。(自分の車には4つのタイヤがすでに付いているので。)」

「わかりました。」といって電話が切れました。

翌日…、出かけるために自分の車のところにいくと、4つのタイヤが無くなっていたとさ。

という、そんなお話。ロシア語で聞くとこれまた面白く。”欲しい”という言葉をどう捉えるかでこうも話が何倍にも面白おかしくなる、言葉って面白いです。

Бедность за порог / 貧困ラインを越えて

ここ最近、過去にファイルしていたロシア記事を整理していて見つけた興味深い記事の紹介です。情報元は2020年1月17日発行のРоссйская газета(直訳:ロシア新聞)に掲載されていた記事。2020年1月15日にプーチン大統領が行った年次教書演説に関するもので、これはすでに4年前のもの。今更…という声が聞こえてきそうですが、昨今の日本で議論されていることと似通った点を感じたのでした。なお、できる限り調べたものの一部誤訳の可能性もある点をご了承いただければ幸いです。

なお、大統領の年次教書演説の概要はJETROのサイトに分かりやすくまとめられていましたのでそちらをご参照することをお勧めいたします。

https://www.jetro.go.jp/biznews/2020/01/0738c2bc42877464.html

この年のプーチン大統領の演説での重点課題の一つとして、国民の実質所得の停滞に向けた解決策が挙げられていました。2020年1月1日から、一人当たりの所得が最低生活費を下回る世帯に対して、3歳から7歳の児童に毎月給付金を支払うことを提案。これには、ロシアという国を持続させるためにも人口の維持を支える政策が重要であることが演説の内容からも伺えます。

Послание Путина Федеральному собранию. Главное

«Судьба России и ее историческая перспектива зависят от того, сколько нас будет. Сегодня нас почти 147 млн человек. Но мы вступили в очень сложный демографический период — семьи сейчас создает малочисленное население девяностых годов. И показатель снова падает. Суммарный коэффициент рождаемости (количество детей, рожденных одной женщиной. — РБК) составил, по предварительной оценке, 1,5. Для нашей страны этого мало. Для сравнения: столько же было в 1943 году, то есть во время Великой Отечественной войны. Существующие сейчас негативные прогнозы не могут нас не настораживать. Наша обязанность — к середине наступающего десятилетия обеспечить устойчивый рост населения».

「ロシアの運命とその歴史的展望は、私たちの人口の数がどうなるかにかかっている。現在、私たちの人口はおよそ1億4700万人近くいる。しかし、私たちは人口統計上非常に困難な時代に突入した。家庭は今、90年代の少ない人口を生み出している。そして、その指標は再び低下している。合計特殊出生率(1人の女性から生まれる子供の数、RBC)は、事前の推計では1.5であった。これはわが国にとって十分ではない。比較すると、1943年つまり大祖国戦争中も同じ水準であった。今存在しているネガティブな予測を私たちは憂慮せざるを得ない。我々がすべきことは今後10年の半ばまでに持続可能な人口増加を確保することである。」

ロシア大統領直轄の経済評議会メンバーである経済専門家グループ責任者、エフセイ・グルヴィッチ氏によれば「貧困人口のかなりの部分が数人の子供を持つシングルマザーであり、手当を支払うことは出生率を上向きに促す可能性がある。」という説明からも給付金の支払いがロシアという国家存続に繋がる重要な施策であることが理解できます。

現在の任期の初めに、プーチン大統領は2024年までに貧困レベルを半減するという目標を設定したものの、実際にその実現は当初予定のようにはいっていないようです。

関連記事:”Кудрин допустил снижение уровня бедности вдвое раньше 2030 года”

演説の前日、国会議員のグループは、収入が最低賃金の2分の1未満の個人に対して所得税を免除する提案を提案。この案について、会計検査院のアレクセイ・クドリン長官(当時)は、個人所得税の支払いを取り消す代わりに補助金の支給により貧困層の人々をサポートすることを提案した。「とても低い給与に対する課税を低くすることは貧しい人々にとって直接に価値を感じられないものですが(もちろん、いかなる課税の削減は誰からも歓迎されますが)、この場合、貧困との闘いについて話しているのであれば、私は家族の一人当たりの所得に基づく補助金と、それに基づく適切な補助金の配分がより効果的であると考えています。」

⇒ 今年、日本でも低所得世帯への給付金が支給されますが、所得税の減税か補助金の支払いか効果的な方法は何か、という点についての議論やどの国でも同じように議論が交わされているようです。

Rosstat(ロシア政府の統計機関)によると、2019年には賃金の最低と最高の差が13倍に縮小した。 2013 年にはこの比率は 15.8 倍、2009 年には 14.7 倍でした。労働に対する報酬の不平等の縮小は、最低賃金、公務員の給与の引き上げ、および一連の産業の発展の結果です。専門家は賃金の格差が更に縮小することを予測している、とのこと。

公式統計によると、現在、賃金格差が最も高いのは養殖業(28.8倍)、科学活動(19.3倍)、IT(17.6倍)で、最も低いのは自動車生産(7.1倍)と繊維製造業(7.2倍)である。モスクワでは、最も賃金の高い労働者の10パーセントが33万7,800ルーブルを受け取り、最も賃金の低い労働者の10パーセントが2万6,000ルーブル。その差は16.4倍である。最低賃金(11.2千ルーブル)を労働者の1.2%が受け取り、最大給与(50万ルーブル超)は0.1%。最大の割合の従業員は33.9千〜4万ルーブルの給与を受け取ります (9.7パーセント)、5万〜6万ルーブル(8%) および 60千~75千 ルーブル(7.4パーセント)と続きます。

VTsIOM(”全ロシア世論調査センター”。ロシアで最も古く、最もよく知られた世論調査会社) によると、現在、国民の 14 パーセントが現在の経済状況に満足しているという。

回答者の半数以上 (61%) が「平均的」、4 分の 1 が「悪い」と評価しています。ロシア人の回答者のうち52%が自国の経済状況を「平均的」、29%が「非常に悪い」と考えており、14%が状況は改善したとのこと。

「個々人の経済状況に関しては、国民の 78 パーセントが自分自身は貧困層の人間だとは思っていない、という結果が出ている。これを「主観的貧困」というのだ。

と締めくくられていました。

⇒ これは皮肉のこもった表現に思えてならず苦笑いしてしまいますが…”主観的貧困”とは、自分自身が貧困に陥っていて困っている、という主観的な意見に基づく貧困だと理解しています。それを、「私は貧しい人間ではない。」という主観的”非”貧困の答えをもってそれを主観的貧困であると断言し、それが国民の78%にも上る…これをどのように捉えてよいのかは分かりません。富が上位の一握りの人々に偏り、大半の人々は苦しい生活を送っているのだとすれば、必ずしもこの記事の作者の意図するところは外れていないのかもしれません。

⇒ 言い換えれば、自分の現在の最低レベルであったとしてもあるもので満足している、ロシア人の素晴らしい特質なのかもしれません。明らかに西側諸国、日本にはモノが溢れています。モノを手に入れてあまり長続きすることのない幸福感を味わうのか、モノがなくても今あるものから幸福感を味わうことができるのか?人の幸福感はそれぞれ異なるため優劣をつけることはできませんが、金曜日ともなればモスクワ郊外に向かう車列の渋滞や電車の人々。ダーチャで週末を家族やペットとゆっくり過ごし、家庭菜園や家の手入れを楽しむ。そして再び元気を得て月曜からの仕事に戻る…そんな素朴な時間の過ごし方の中に、これまでとは違う幸福感の在り方も知ることができたモスクワでの生活でした。

参考資料:貧困から社会的排除へ 指標の開発と現状

ロシア語学習のすすめ ― Duolingoを約1年間継続して思うこと / Recommendations for learning Russian – Thoughts after using Duolingo for about a year

2023年を振り返ると、Duolingoでの学習継続が12/31(日)時点で連続340日となりました。この記事を書いている今日時点も引き続き継続しています。続けてDuolingoを利用する中での私の感じている点をまとめてみました。

ところで、比較的最近に偶然発見した素晴らしいロシア語学習Youtube番組”Russian with Dasha”の中で ― ロシア語を勉強している方の中では有名なチャンネルなのかもしれません。ロシアのサンクトペテルブルクを拠点に活動されている方のようですが、街の様子も知ることができて視聴者の興味を引き付ける良くまとめられた内容と感じます。登録者数がもっと増えてもよいのでは、とそう感じました。― Duolingoに関して評価がされていました。動画が作成された時期は古いものですが、本質をついた指摘事項は今でも有効だと思います。この動画で指摘されているDuolingoのPros & consに沿って書き出してみます。

Duolingoの良いところ

It’s very convenient. You can use it anywhere you want.

自分のペースで勉強できる。無料の学習オプションもあるけれども、Duolingoをしっかりと使い倒したいとなると、有料プランに移行せざるを得ないのかなと。実際に私も当初は無料で頑張っていましたが、広告も入ります。一定の数間違えるとHPが回復するまでに待つ必要があります。間違い無しでレッスンを進めてゆくことは実質不可能ではないかと。年間契約にするとディスカウントあり、という文句にそそられて有料契約プランに申し込み現在に至ります。

以前に勉強した点を繰り返し復習できるので、繰り返しによる学習効果を体験できること。

問題を間違えると、正解するまで繰り返し復習させられます。同じレッスンの中でもロシア語を聞いてその訳の回答を求められるケース、同じ文章で先ほどとは逆パターン(先ほど答えた回答をもとに今度はロシア語で文章を組み立てて回答を求められるケース)が出題されるため理解度が求められる、という工夫もされています。

毎日の達成感と世界中の”ライバル”たちとのランキング争い

シンプルにDuolingoの良い点を挙げるとすれば、毎日継続することによる達成感が得られること。そして世界中の”ライバル”達と各リーグの中で毎週ランキングを競い合うことで語学学習のモチベーションを維持する助けになることと思います。上のリーグに昇格することを目指し、あるいは下のリーグへの降格を避けるため時には締め切り時間ギリギリまでレッスンを行い勉強する、そんなことが繰り広げられています。

Duolingoの限界

Duolingoではロシア語のアルファベットを教えてくれないこと。そこまで求めるには難しいかもしれません。そんな時には、”Russian with Dasha”にある以下の動画はいかがでしょうか?丁寧に説明されています。

Duolingoでもアルファベットのページが用意されており、それなりに勉強できるコンテンツが用意されています。気軽に学ぶだけであればそれで十分なのかな?と思ったりも。真剣に語学の上達を目指すのであれば、ネイティブやロシア語の教師の方などに基礎から学ぶことは必須と思います。そこにDuolingoの限界を感じます。

Duolingo doesn’t explain how to make a Russian sentences

ロシア語の語順はとってもフレキシブルです。そんな言語を全く文法の学習を経ずにDuolingoだけで学ぶのはほぼ不可能と思えます。個人的に関心があって、ずっと中国語のDuolingoコースも欠かさずに練習していますが、上達には限界があることを認識させられます。むしろほとんど上達していないのでは…と悲しくなります。一方、基本的な学習を終えているロシア語については、今のところどんな文章構成にすべきか、ある程度自分で推測することが可能です。また、付随してウクライナ語コースにも挑戦していますが、ロシア語と似ている部分も重なるためにロシア語同様に自分の理解を土台として練習することができている点で中国語とは異なります。

他にDuolingoで気になる点として発音テストの答えが正しく認識されないことが時にあるのでは、というフラストレーションです。発音テストの練習問題において、どう考えても正しく発音できているのでは…と思ってもアプリで間違いとして判断されることがあります。時にイライラさせられることは否めません。このアプリを利用する目的は楽しく語学を学ぶこと。そのモチベーションを失いかねないかもしれません。

ロシア語上達のために必要なこと。

当たり前だ、と言われそうですが自分で工夫、追加の努力が必要。例えばこの動画では、「ロシア語入力キーボードをダウンロードし、Duolingoでは実際に自らタイピングして答えを入力すること」が勧められていました。それはさすがにレベルが高すぎるのでは…。実際にトライしてみて思いました。ロシアで勤務しているときにもロシア語しか話さないビジネスパートナーの方とのやり取りではロシア語でメールを作成していたものの、非常に苦労しました。今でもSMSで定期的にロシア語やり取りを続けているので携帯電話のディスプレイ上でロシア語アルファベットを探しながら練習中です。きっと良い頭の体操になっているのでしょう。一方でアルファベットの知識が十分でない方が自らタイピングするのはモチベーションは大抵の場合続かないはずです。気軽に学習する目的であれば、まずは自分で直接タイピングするよりは、正しい語群を選択できるところからスタートするほうが長続きするでしょう。個人的にはNHKラジオのロシア語講座はよくできているなぁと思うので、独学で勉強することを考えている方で15分の時間を取れるのであればまずはNHKラジオ講座がお勧めです。

大切なことは、

The goal is memorising the vocabulary and sentence structure and speaking. It is not a game, it is nota cometition. It is a language app. Duolingo is more powerful, if you use it as a pillar of a multi resource learning strategy.

語学学習のゴールは語彙、文章の構造を学習し、話すことを学ぶこと。言語の学習はゲームや競争ではない。Duolingoは言語アプリ。もし複数の学習リソースを柱として使うのであればDuolingoはもっとパワフルなツールになるでしょう。

言葉への抵抗感をなくすこと。少しずつ毎日触れること。

その他に私自身が感じるのは、とにかく言葉への抵抗感をなくすこと。少しずつ毎日触れること。冒頭で紹介した動画では”Even for 15-20 minutes”とありましたが、この15分という数値を毎日クリアすること自体もそれなりに大変な方もいると思います。Duolingoの一つのレッスンをクリアする場合3分ほどで行うことも可能です。どうしても気分が乗らない時にはわずか一つのレッスンをクリアすることで、少なくとも今日も連続して勉強したぞ、という達成感を維持すること。それが長期的に語学の勉強を続けることに大切なことに違いありません。

毎日の音読。

特に(周りに迷惑をかけない程度の)大きな声で実際に声を出して練習してみること。黙読で頭の中であったり、小さな声で読んでいる時には気が付かない、自分で出来ていない発音部分を自覚できます。

実際の生のロシア語を聞くこと。

実際のロシア語が奏でる”音楽”を聴いて、ロシア語のトーンやリズムを体感する。学生時代であればロシア語のニュースを聞いてロシアで報道されているニュースを知ると同時にロシア語学習を行うことであったかもしれません。しかし今の時代、ロシアのニュースを聴いていると、聴いていて気分が沈んでしまうニュースが多くなりました。そんなこともあって以前のように頻繁にロシア語ニュースを聞くことはすっかり減っています。その代わりに、語学学習の目的であれば、自分自身の好きなテーマのYoutube番組を見ることはお勧めです。そのYou tuber自身は語学の先生ではないため、その方の話し方の影響を受けてしまうリスクがありますが、楽しみながらロシア語に馴染めるのは重要かな、と思います。

何事も継続は力なり。でも同じことをずっとやっているだけでは次のレベルに行くことは難しい。どうも上達できていないと感じたらその時には何か工夫をしてみる。効果が出ていればそれは自分に合った方法だということが分かります。その繰り返しを継続すること。少なくとも、Duolingoでただ得点を取ること、リーグで上位ランクに名前を連ねることだけが目的となっているのであれば、きっとその学習効果は本来の語学学習の目的を逸している危険がある。1年間学習を継続してみてそう感じました。

年の初めに今得ている命と自由への感謝の気持ちを考えてみる / At the beginning of the year, think about gratitude for the life and freedom we have now.

皆さんは新たな年を迎える年末年始で必ず行うように心がけていることはあるでしょうか、NHK紅白歌合戦、除夜の鐘、年越しそば、初詣など…。

モスクワに駐在していた7年間を振り返ってみると、全ての年で出来ていたわけではありませんが、年の初めには今こうして持っている命や自由について感謝の気持ちを実感できる場所に足を運ぶようになっていた、ということがあります。

自分が置かれている今の環境は決して理想的でないとしても、命があり自由があることに感謝の気持ちを持つ機会を持つこと。それを新たな一年の初めに行うことをお勧めしたいです。― 私の周りにいる大変な家庭環境の中で一生懸命に逞しく生活している友人のことも考えると、生きていること自体が苦しいことがある、ということも事実です。死ねるものなら死にたい、という人もいます。― それでも、何かを行える命があること、自分の意思で行動できる自由があること。そんなことを考えると、毎日の生活で感謝できることを見つけ前向きに努力しよう、と思う気持ちが高まってきます。

私にとってのそれは第二次世界大戦での出来事、特にホロコーストに関係する博物館に出かけてゆっくり時間をかけて展示物を見て回ることでした。気が付けば駐在中に以下の場所を訪れてきました。まだまだ知らない、出かけたこともない場所が幾つも存在すると思われます。出かけてゆき、直接目にして手に触れることが一番良いと思います。しかし必ずしもそうはゆかないもの。それは博物館に出かけることでなくてもYoutube、本を通しても出来ることと思います。大切なことは何かを題材にして自分の頭で心で考え、感じること。そんな時間を年末年始に取ることができるのであればぜひお勧めしたいです。

米国ホロコースト記念博物館

Youtube channel => Link

ワシントンにあるアウシュビッツ博物館。合計3回は訪れました。初めて出かけた時には午前中に入り気がつけば閉館時間に。涙が頬を伝わって止まりませんでした。オンラインでも充実した内容が取り扱われているようですが、もしも、仮にワシントンに出かける機会があるとすれば、何卒この博物館に立ち寄ることをお勧めしたいです。人間とはいったい…?また、自分が今こうして自由に自分の意志で生活できることがどれだけ幸せなことなのか…そんな気持ちを感じることができる場所です。自分自身の記憶が正しければ、ホロコーストを生き残った生存者の中には、ついに自由を得た外の世界に戻れたにも関わらず、自分の場所を見つけることができず自殺をした人がいた、という事実に衝撃を覚えた記憶がずっと心に残っています。

常時展示(Link)が始まるフロアへ上がるエレベータを降りて扉が開いた、その目の前に広がる衝撃的な写真からこの博物館の見学が始まります。

ニューヨークにも実はちょっとしたユダヤ人に関する博物館があります。

ユダヤ人遺産博物館

ワシントンにあるホロコースト記念博物館と比較すると小規模であり、当時としては、ここに展示されているものは既に見たことがあるものが多いなぁ、そんな印象でした。ひっそり静まった館内。そこではこの建物にたどり着くために歩いてきたニューヨークの喧騒からは切り離され、静寂とした建物の窓からは青々とした空の下にニューヨークの海が広がっていました。ニューヨークにいるはずなのに、まるで別世界にいるかのような不思議な感覚に囚われる時間、空間でした。

Yad Vashem

Youtube channel => Link

イスラエルのエルサレムにあります。聖書のイザヤ書から取られている名前を持つこの記念館は、まさにホロコーストでナチスとその協力者達によって殺害された6百万人のユダヤ人たちを記憶に留めるために設立されたもの。エルサレムという場所にある、この場所で見るからこそ、また他の博物館とは異なる感覚に浸ることができたのかもしれません。隣にいた団体グループでは、”ナチスが収容所にいるユダヤ人たちに与えられた食事がどれだけ悲惨なもので、死んでも代わりはいるので問題なく、死ぬことを前提とした栄養レベルの食事が与えられていた”、と熱く語っているガイドがいたことを記憶しています。

″And to them will I give in my house and within my walls a memorial and a name (a ΄yad vashem΄)… that shall not be cut off.″

(Isaiah, chapter 56, verse 5)

Yad Vashemの名前が取られたという聖書のイザヤ書の言葉

モスクワにも規模は大きくありませんが、映像を駆使したユダヤ人博物館があります。アンネ・フランクに関する特別展示を行っているときもあり、駐在中は何度か訪れていました。

モスクワのユダヤ人博物館

モスクワにある他の博物館も訪れましたがいずれも設備が古い。そんなイメージだけが残っていますが、このユダヤ人博物館はそれとは異なり現代のIT・映像技術を駆使しているように思えました。内容は別として、設備は欧米の博物館にも匹敵するような、そんな印象があります。

ポーランドのワルシャワ蜂起博物館

これはホロコーストとはテーマが異なります。正直に言うと一つ一つの展示についてはほとんど記憶に残っていないのですが、ソ連赤軍がワルシャワ蜂起を傍観したままに蜂起が失敗に終わることを許していた、という事実も含め、戦争というものの残酷さ、人間とはいったいなぜこうも…そんな感情が沸き上がったことは心の中に残っています。

この他、学生時代に訪れたポーランドのアウシュビッツ=ビルケナウ強制収容所。これはホロコーストを語る上ではなくてはならない場所。…当時燦々と太陽が降り注ぐ晴天の中を歩いた敷地内。イスラエルの国旗を掲げたユダヤ人団体グループが静かに見学していた光景を覚えています。ここに詳細を書きませんが、他にも休暇を利用してでかけた場所 ― ロシアの都市スモレンスク近くで起こったカティンの森事件、北オセチア共和国にあるベスラン学校占拠事件、ウクライナのチェルノブイリ原発事故 ― このような場所一つ一つに足を運んで心に感じること。それもまたモスクワに駐在していたからこそ訪れることができた場所であり、人間とは…考えさせられる経験となりました。

広島の平和記念資料会館

今年の年末は広島に行き、幼い頃に一度だけ訪れたことがある平和記念資料会館に出かけてきました。わずか一つの原子爆弾だけで、1945年末までに約14万人もの命を奪ったという事実。ナチスによるユダヤ人虐殺とは異なる種類の残虐な殺戮。今の広島の街中に広がるゆっくりと流れる川、きれいに舗装された通り、たくさんの人、モノで溢れかえったアーケード街。街中を走っている路面電車のレールの所には、当時大やけどを負ったおびただしい被爆者たちがレールの上に頭を載せて横たえられていたそうです。川沿いを散歩していると、いくつもの記念碑が設置されていました。

スミソニアン航空宇宙博物館(エノラ・ゲイ)

広島の原子爆弾といえばエノラ・ゲイ。ワシントン中心街から離れた場所にあり、当時は公共バスでたどり着きました。この飛行機が1945年に広島上空から原子爆弾を投下したB-29爆撃機。この機体を実際に目の前にして当時のことを振り返ることができたことも貴重な経験です。

さて、すでに2024年1月2日。今年も自分に与えられた命、自由というものに改めて感謝の気持ちを感じ、自分の立てた目標を達成できるように一日一日を精一杯生きよう、努力しよう思いをもらって良いスタートを切ることができました。仮にこの文章を読んでくださる人がいれば、皆さん一人一人にとっても目指しておられる目標に向かって着実に前進できる素晴らしい年となりますように。

(なお、この記事では私の記憶に基づいた記載があります。歴史の事実と全てを正確に照らし合わせることができていないことをご了承ください。当ブログでは、万が一にも生じる掲載内容で生じた損害に対する一切の責任を負いません。)