お土産ばなし / Souvenir


つい二週間前まではモスクワはこんな綺麗な紅葉が広がっていたのだが…FIFAワールドカップの会場となったLuzhniki stadiumを向こうに見て。今は最低気温見込みにマイナスがみられるようになり、すっかり冬の様子に様変わり。どよんとした天気が続く、タフな季節がやってきた。


会社では、休暇や出張からスタッフが戻ってくると、「Dear colleagues, TurkeyからのSweetsを楽しんで!」、「ドイツからのチョコレートをどうぞ、早い者勝ち!」、「Japanからのお土産がみんなを待ってるよ!」といったメールが飛んでくる。そうすると、多くのスタッフが仕事の手をパタリと止めて、バタッと立ち上がり、ドタバタとお土産が置かれている方向へ向かってゆく。そして談笑が始まる。日頃うるさいことを言っている身でもあるゆえ、どんなお土産を買ってスタッフに喜んでもらえるか?これは自分自身にとって重要なテーマ。

社員向けのお土産
以前は日本に一時帰国の際には高級な和菓子とか、駅・デパートなどで販売されている有名なお菓子を購入していたけれど、今はそうではなく、自分の大好きなお菓子や一般のスーパーで売っているスナック菓子類を大量に買い込んでいる。日本のお菓子は安くていながら品質が高い。パッケージも可愛らしくて本当に素晴らしい。日本にいる時には好んで食べていたお菓子も多く懐かしい。スーツケースがかさばるのは難点だけれど、スタッフに喜んでもらえる顔を想像しながらわくわくしながらポイポイと買い物籠に放り込む。
どうしても距離が開いてしまう日本人とロシア人スタッフとの距離。ただ単に日本の美味しい食の文化を利用するだけではなく、そこに自分のStoryを織り込むことでよりスタッフとの距離感を縮めることに役立てると感じている。「いろいろと美味しいお菓子があるけれど、これは自分が子供の頃から特に好きで食べているもので、田舎のじいちゃん、ばあちゃんのところに出かけた時にはいつも買っていたんだ」「この駄菓子は子供のころ少ないお小遣いから出してよく学校帰りに帰っていて、何十年も日本で売られている有名なお菓子なんだよ」とか。以前は、何も言わずに酸っぱい梅干しを振舞ってみたところ、食堂からスタッフの悲鳴が聞こえてきた。この時には思わず「やった!」と心に中で叫んでいた。申し訳なかったけど、これもまた一つありかと。

”The noblest art is that of making others happy” ― Phineas Taylor Barnum

個人用のお土産
ロシア人スタッフがプライベートのお土産として日本から購入してくるものは人それぞれである中で、面白いなと思ったのはビニール傘。コンビニエンスストアで売っている540円(税込8%)ほどの傘を3本とかまとめて購入しているスタッフがいた。なぜ?と聞くと、ロシアではこれだけ品質の高い傘をこれだけ安く購入することはできないので、家族の分も含めて買ってゆくのだとか。日本では突発的な雨に降られてコンビニに駆け込み、ビニール傘を購入し、雨が止むと捨ててしまう人もいるけれど、そんな程度にしか価値を認められていないビニール傘がこれだけロシア人に認められているのかと知って新鮮な気持ちになった。
今度日本へ出張に出かけるスタッフの出張申請をチェックしたところ、同じ航空会社だが高いチケットを申請してきたので、なぜ?と。「日本に出張したら家族の分のお土産も購入しなければいけないので、スーツケースの持ち込みが多く許されるチケットが必要なんだ」だとか。
なんだかそんなことを素直に言ってくるスタッフの家族思いを知って、出張ルールをリマインドするどころか微笑んでしまった。

人事評価で一番大切なもの / The most important thing for Evaluation

仕事で出かけたモスクワ郊外の本日の様子。車窓から撮影した一光景。今日は仕事に戻るのが嫌になるくらいとても良い天気だった。


仕事に人事評価で一番大切なものは?と聞かれたらどんな答えが出てくるだろうか?しっかりとした人事評価システムの構築、評価制度の説明ガイダンスの設定、評価マニュアルの作成と対象者全員への配布、評価者研修による評価者のレベルアップ、スタッフとのコミュニケーション、信頼関係の構築などなど…いずれもが大切でどれかを一番、ということはできない。そもそも、ロシアでネットやアマゾンを眺めていても、今の世の中では評価制度自体の意義に疑いの目が向けられ、半年・年に一回の評価制度そのものを見直す、という動きが世界的に起こっていることを見ている。日本の大会社でガッツリと根付いた制度そのものを見直すことを考えると、その労力は想像を絶する。簡単ではない。今ある制度は決して悪いものではないのだから、それをいかに有意義にできるか?まずはそこから考えることが一番現実的で有効に違いない。

ロシアでの人事評価

ロシアに来てからの当初は毎回の評価でスタッフとお互いに理解し合えない終わり無き評価面談を繰り返してきた。それにしても、ロシアに来て早々に人事評価を担当。こんな30代で部下を持ったこと、人の評価すら人生で一度たりともしたことの無い人間によく評価をやらせるなぁ…と思った記憶がある。本社からすれば若手の訓練を積ませる実践の場。聞こえは良いけれど、日本人、ロシア人、同じ人間。彼らにだって大切な家族があり自分の将来を考えている。どんなに会社の規模が小さかろうと連結決算上の売上規模が0.1%であろうと、評価の重みはどこでも同じなはずで、自分の行う評価の重みをよくズシッと感じなければならないのだろう。日本での評価経験は課長でもその中でグループ長に就かなければ経験がつめないのだろうけれど、若くしてロシアでこの経験が積める機会があることにいつも感謝している。日本よりもロシア人スタッフの評価をするほうがずっとタフではないだろうか。おそらく、日本の大会社における人事制度はすでに大多数の人間が諦めているか、形式的にこなしている(?)ためか、それほど苦労もせずに淡々とこなすマネジャーが多いのでは…と失礼ながら想像している。こちらのロシアの会社では、「なんで私の評価がこれなんですか!?納得できません、ちゃんと説明してください!」「これはBだと思います、なぜCなんでしょうか、意味が分かりません。」、「どうしたら私のこときちんと評価してくれるんですか?どれだけ一生懸命やっているか分かっていますか?(そして泣き出す)」そんなやりとりがが繰り返されてきた。右も左も分からず、なんて申し訳ないことを当時してしまったのだろう…と今でも切なくなる記憶もある。時には意味のない長時間の話し合いがのらりくらりと続いたことも…10歳以上も上の相手に、お互い冷静だけど、皮肉たっぷりの笑顔と言葉で続いた冷戦。計3時間。相手になめられていたのだろう。今となれば良い勉強となった時間とプラス思考でいたい。

インターネットで見る多くの宣伝。「評価システムで困っていませんか?評価制度の解決なら私たちにお任せください!」という類の文句の裏には、御社にあった最善の評価システムを構築します、というものがほとんどと感じている。それも非常に大切で、自分自身も毎度日本に帰国する度にドサッと本を購入し、ロシアでもアマゾンKidleで本を購入し、色々と勉強してみるとあれま、これは役立つことばかり、と読みふけってしまう。…でも待てよ、と。最も大切な答えはもっと違うところにあり、ずっとシンプルなのではないか。それらの宣伝文句のポイントは的を外しているのでは、といつも感じている。

人事評価の成功=相互理解が日頃からどれだけ出来ているか

評価システムが基本的に最低限整備されているのであれば、何よりも大切なのは「相互理解」でしかない(自分の経験上、それ以外に答えが見当たらないのだ)。語弊を恐れずに言えば、評価システムはそんな重要ではない(むしろ立派なシステムを構築するよりもシンプルなほうがずっと良いのでは?)。相互理解のためにはやはりコミュニケーション(対話)。そのために自分自身はWeeklyでの1対1の面談が最も考えられる現実的な方法なのではないだろうか。今、1on1ミーティングの重要性が多くの媒体で推薦されており、それだけ日頃からコミュニケーションを取ることの重要性が叫ばれているのを見ると、だれしもがその真実を分かっているわけだ。

1対1の対話の大切さ

個人個人に目を配り、ケアをしてあげるのがマネジャーの仕事。自分の勤務する管理部門は経理、人事、法務、物流、ITとあり、各部門には多くても最大5名。各課にはロシア人マネジャーがおり彼らが部下の評価を見ており、十分に個人個人に気を配ることができるはず。この面談をマネジャーは欠かすべきではないと思う。Playing managerである管理職はどんなに努力したって月に一度の面談がやっと、というのが現実なのかもしれないけれど、それでも週に一度、個別に話す機会を必ずもつことが必要と経験を通して、自分の犯してきた失敗を通して自分は皆に伝えたい。評価で一番難しいところは、なぜ上司がCをつけ、部下はBを自己評価でつけるのか、そのお互いの認識の相違を埋めること。そのために上司は部下に対して自分の評価基準、期待していること、部下に現時点で不足している点などを日頃から定期的に伝えてゆくこと。これができるのは毎日の積み重ねでしか成しえない。だからこそ1対1の定期的な面談を継続してゆくしかないのではないだろうか。以前、日本にいた頃の評価で思い出すのは、年間を通して一切マネジャーと話す機会もなく、日常業務では仕事の相談のみ。上司はとても忙しそうに朝から晩までLaptopに悶々とうなっている。期末には1時間の面談が設定され、それが唯一上司と1対1で自らの業務について会話する機会。面談では「う~ん、そうですか、どうですか調子は?」など拍子抜け。評価結果のフィードバックもない形だけの評価面談。別の上司は毎回5分程度(!)「XXX君、特に何もないかな?よくやってるね、よし!」これも違うでしょう…。それでも、大会社で誰しもが制度に疑念を抱く気持ちはよく分かる。4-5次審査まであり、直属上司の評価は途中の段階で知らないところで調整がなされる。その説明は無く、上司からは「自分はXXX君に良い評点を付けたんだけど上で変えられてしまったようで…。」これでは制度を信じること自体難しい。少なくとも、自分たちでフルコントロールできるロシアの会社だけはそうあってはならない。

完璧な評価制度など無い

評価は人間が行うものである以上完璧なものはない。むしろ、評価制度に完璧を求めてくるスタッフがいると正直疲れるのも事実なわけで…。何度も読み返している本「戦略人事のビジョン」著:八木洋介氏、金井壽宏氏(光文社新書)の中で“人事評価は、組織のパフォーマンスについて最終的な責任を負う人が下すもの…ということは、最終責任者がどういう人かによって、評価される人材は変わってきます…ですから、上司と相性が悪く、そのため低い評価を受けてしまう部下がいたとしても、それはあながち不公平とは言えない…。言ってみれば「上司との相性も実力のうち」です。”とある。これに自分は賛成だ。上司は自分のパフォーマンス結果に責任を取り、それの一端を担うのが部下になるわけで、部下は上司の意思を理解し自分のパートを果たそうと努めることが要求されている。日々、すべてをきっちり整理したがるわが社のロシア人人事マネジャーとはなかなか理解し合えず毎回苦労している。どちらも正しいからこそお互いに見解の相違を埋めてゆくことに毎度時間がとられる。それでもそんな人間がいかに変わるのか、どうしたらもっとよく説明して理解してもらえるのだろうか、それを一生懸命に考え、実行し、それが目に見えてくる過程を時に恨めしく思いつつも面白がるしかない。

先日の人事スタッフとの会議では「日本人はエイリアンだ!」と断言された(笑)。何を考えているのかさっぱり分からないらしい。正直、自分も長くロシアにいて、たまに日本に帰るとそう思う。感情の表し方がどうも下手なのではないだろうか。周りに気を配る文化が行き過ぎると、周りの視線を気にしすぎて自らを抑制する結果となり、それが当たり前となる時に人間性が失われてゆくのだろうか?すべてがマニュアル化されており、それに逸脱した行為をする人間を敵とみなして攻撃態勢に入るのではと。日々ロシア人とバトルしつつ、自分の感情を自然に表現できるようになってゆきたい。

3 months calendar (excel)

Excelで、年と月を変更するだけで日付が自動更新される3か月分のカレンダーを作りました。ロシアでは12月に顧客向けにギフトカードとプレゼントを贈る習慣がありますが、その中でいただくカレンダーは3か月分のバージョンが多くあるように感じます。俯瞰的にスケジュールを見る上で3か月分のカレンダーは役立ち、自分自身好んでいます。(ただし、いただく3か月分のカレンダーは大概サイズが大きすぎて個人用としては使用していませんが…)

このExcelカレンダーの作成方法はネット上にたくさんあります。詳細はそちらを参照することで容易に作成ができます。

このファイルをダウンロードすることも可能です(以下Link)、ご関心があればぜひご利用ください。

Calendar-3months

グローバル人材=英語で堂々と喧嘩を / Global business person = can fight with anyone in English.

10月に入ってからめっきりと寒くなったモスクワ。名残惜しく夏のお気に入りの写真を一枚。犬が気持ちよさそうに飼い主の投げたボールめがけて池をスイスイと泳ぐ光景をパシャリ。

最近、約20か国の子会社のスタッフが日本に集まって開かれたかグローバル会議に出席して感じたこと。今の世の中、グローバル人事部、グローバル人材育成、グローバル人事制度…といった言葉を聞くようになり、世の中が我々はグローバルにならなければ、という風潮にあるようだ。けれども、そもそもグローバルな人材って何なのだろう。そんなことを考える機会となった。一言で表現すると“英語で外国人と喧嘩できるようこと”―そんな気がする。リベラルアーツを身に着けるなど、他にも大切なことはあるけれど、まずは喧嘩をしよう。

これはいろいろな意味を含んでいて決してシンプルではない。ずっと日本の文化に育ってきた自分にとってもとても難しいと日々感じる。失敗を繰り返し、学びながらまた一歩前へ。

英語力。
英語は世界の共通言語であり、国際ビジネスにおいて絶対に必須。喧嘩をする場合、自分の感情がそのまま表れる。母語で自分の怒り、思いの丈を表す際、何も考えず自然と言葉が続くように、英語で喧嘩となるとそれなりに言葉が自然と出てこなければならない。英語で話すこと、これ自体が一つのハードル。母語で言いたいことをまとめるのも大変なのに、英語で相手に物事を伝えるにはより頭が疲れる。あらかじめ準備をした原稿を頭に入れて流暢に話すのとは違う。その場で相手の出方に合わせて発言してゆかなくてはならない。

喧嘩ができること。
これが何よりも一番重要な気がしている。喧嘩することって簡単なことではない。自分をさらけ出す必要もある。自然とそうなってしまうことだってある。どんな人種、国籍の相手であろうと、相手に自分の意見をはっきりと伝えることができること、時には正当な怒りの感情も含めて。伝えたいときにすぐに行動できる瞬発力。これこそがグローバルな人材になる道なのかもしれない。小さい頃はあんなに喧嘩して泣いて悔しい思いをしたのに、振り返れば年を取るつれて“大人な”自分を自然と演じていた。人とぶつからることを避け、事なかれ主義を信奉し、自分の思いを内心に押しとどめ、仕舞いにはそれが無意識に当たり前になっていた数年前。

会議では、決して英語が得意ではないスタッフもいたけれど、たどたどしい言葉でもしっかりと自分の言葉を発言していた。「このプログラムでは内容が不十分ではないだろうか、せっかくみんながここに集まったのだからぜひこの機会を活用してXXXの情報も共有してくれませんか」と。時には聞いているこちらがこの方の上層部からの評価が心配になるような発言もあったのだけれど…。後で発言の要旨を聞くと「だってせっかくの貴重な機会なのだから海外から来てくれているスタッフのことを考えるたら情報を共有してもらうことは大切でしょう、そう思わない?」と。このように他人を思う人がこの会社にいてくれること、そして行動で模範を示してくれることを思うと自分もそうありたいと改めて動機づけられる。ところで、私が本当に嫌いなのは、議論が進んでゆくといきなり笑い出す人。最後は苦しくなれば笑いで濁せばよい、と思っているのだろうか、全く理解ができない。そして、少なからずこういう人を多くの日本人に見かけるような気がするのだけれど…議論の相手に失礼だ、と内心怒ってしまう。

さて、ロシアで仕事をすることは素の自分を出してスタッフとぶつかり合う機会が多い。それを自分で逃さずにいれば、がっつり組んで立ち向かってゆけば、きっと成長できる場となるはず。ロシアで日頃からスタッフと言葉の取っ組み合いの喧嘩を繰り返す毎日を送る中、自然と“喧嘩力”がつく訓練の場が与えられていることがありがたい。また別の機会に書き連ねたいのだけど、今日も人事評価制度の在り方について1時間半、人事スタッフと議論に議論を重ね、どっと疲れが…。でも、自分の反対意見を率直に語ってくれる相手に感謝。それだけ同僚のことを思ってくれている証拠なのだから。

そもそもグローバルな人材って?そもそもグローバルになる必要があるのだろうか?永遠のテーマ。最終的には周りに流されず、己の信じる道を貫くのみ、だろうか。