人材へのトレーニングは本当に必要なのか? / Does Company really need training for employees?

これはその会社のレベル、置かれている状況によって答えが異なる…というのが正解でしょうか?会社でこれまで受けた研修は私にとっては一つ一つに収穫があったので意味がある、というのは間違いないです。ただ、人事部は体系的に入社XX年目研修、新任課長研修などの定例的に組織された、決まったレールに則って企画される研修後に、その効果の振り返りを行うべきでしょう。大半の人は、その場の雰囲気を楽しみ、その中で語られることをなるほどなるほど、と聞いて、何だか賢くなったように感じる…が、後になるとその気持ちも忘れてしまう…そんなもの。人事部がどのように人材教育を計画しているのか私には分かりませんが、これまで参加してきた研修は、いずれも研修後のフォローが無く、ただ参加しただけ、という印象でした。むしろ、研修の一番の目的と効果は、同期の仲間と久々に会って近況を報告しあうことなのではないか、と思ってしまいます。研修の中身は忘れてしまったとしても共に語り合ったことは覚えている、という。

あまりアイコンタクトもしない、積極的な姿勢がない講師の方でムムム・・・と想った研修がかつてありました。こんな講師もいるのかぁ…と思っていた二日間の研修。その最後に「私の経験から言えることは…何事も自分で判断した決定について、その判断した理由をきちんと自分で語れるようにしておくことが大切だ、ということです…。」という言葉は一生忘れません。毎日と言ってよいくらい、決断するときにこの言葉を思い起こします。

ロシアにいるために参加できず、その代わりに受け取ったDVD録画で代理参加した研修内容で語っていた講師の言葉、「人は何を言うかではなく、誰が言うか、が重要だ。」「自分のやりたいこと(Want)と、会社のやるべき仕事(Must)を近づけてゆく努力と行動をすること。」これも響いています。

研修、というのは1日から数日間詰め込んでも、結果としてほとんどのことを覚えていない人が大半。そんなものなのかもしれません。そして、人事部の目標として研修を開催することが目的化していないだろうか?というのはいつも念頭においておくべきだと感じています。私自身、ロシアに来てから初めて人事の仕事に従事し、今では主にその仕事に時間を費やしているのですが、ロシア人スタッフに対する研修プログラムを考える時に悩みに悩みます。(率直に部下から「こんな忙しい時期になんでそんなことを、人事の目標達成のために開催するだけでしょう?」と言われてしまいました。

研修とは、日常とは異なる場で、忙しい日常の中から隔離された場所で、日頃時間を取って考えることができないテーマについて時間を取って考え、お互いに意見を発言し、客観的に自分を振り返る。かつ、日頃仕事ではお互いに交流が少ないスタッフ同士がコーヒーブレイクやランチの時間を含めて一緒に語り合う場。それを提供できれば成功なんだろうか、という、前半にも書いた結論にたどり着きました。

みな、なぜ?という疑問が自分で起こらない限り、どんなに会社が教育しても意味がないと感じます。研修で心に残る言葉は、日頃からそのことを考えているからこそ引っかかる。考えていない人にとっては「そうなんだぁ。」程度で終わってしまう。会社として何としてもこの研修によってスタッフを成長させなければダメなんだ、成長しない人間は許さない、なんていう独りよがりの期待は逆効果ですし、そんなことに労力をかける必要もないのでしょう。

そのようなわけで、スタッフにとって必要だと思われる研修テーマを一生懸命考えて準備して提供をすることは必須ですが、その一方で、誤解を恐れずにいうと、その結果にまったく期待もしていません。わたしの人生ではなく、それぞれの人生、価値観に依存することもあるので、人事として考えた効果が決して想定した通りには上がらない。むしろそれが普通なのでしょう。これぐらい覚めていないと余計にギクシャクしてしまう気がする。それが今の私の至った結論です。

面白いことに、例えば、時間の効率化を必要としていない人に対して仕事の効率化の研修を企画しても意味がない、ということ。なぜこれだけExcelのショートカットを覚えなければいけないのか?それはそれだけカバーしなければならない業務が多いから。でも業務量もスキルも低いスペシャリストのレベルで、彼・彼女が特に何も不自由なく自身の仕事をカバーできているとすれば、なぜわざわざそんなショートカットを覚える必要があるのか?と言われてしまいます。そうです、決してショートカットを覚える必要がない、という彼らの理論も正しいです。

そして何よりも、自分自身で意欲のある人間は、人事部による研修制度などなくとも勝手に自ら教材を探し出し、自分の負担でどんどん勉強し成長してゆく、という事実。

それ以外の人々にとっては、成長する、というその必要性がなければ「なぜ?」という疑問がわかず、その疑問がわく人も実は全員ではない、という事実。期待をしすぎることは結局自分の独りよがりのわがままであって自己中心的な考え方なのだろうと、繰り返しになりますがそのように考えるに至りました。

採用コストと研修コストの費用対効果についても考えさせられる要素です。この点は採用に関する記事で後日書きたいところですが、この点については世の中の人事部のスタッフであれば必読書ではないかと思うGoogle人事の方による「Work Rules!!」(by Laszlo Bock)が考えるよい題材となりました。

ロシアでの仕事における夏時間と冬時間の上手な付き合い方 / Tips getting along with Summer and Winter time for work in Russia

夏はより大規模な仕事を、多少負荷がかかっても堂々と。たとえば、細かいストレスを感じる会社ルールの見直し、整備や古い会社設備のリノベーションなど。日光も多く、人の気分もおおらか。冬は寒く、日光も減り、心なしかオフィス内のスタッフも少しのことでぴりぴりしてしまうように感じます。精神的に負担がかかる仕事は、とりわけネガティブな感情を生み出しかねない後ろ向きの仕事は冬の到来までに可能な限り片づけておくこと。これは年間の仕事計画を考えるにあたって重要なことではないかなぁ、と実感しています。

また、冬になるとロシア人スタッフの病欠が増えることも事実です。2週間病欠でいなくなる、ということも決して珍しいことではありません。身体が弱い人が多い気がします。また、子供が病気になってしまい、共働きであることから夫婦のいずれかが子供のケアをしなければならない。そのために休暇を取るケースも見られます。以下参照URL先に病欠を取る場合のルールを説明した動画が掲載されています(ロシア語)。病欠になったスタッフは、病院にでかけ医師に診断してもらい、一定の日数を経た後に再度医師に診てもらった上で仕事に復帰してよいかの判断をしてもらう。そして専用の用紙を発行してもらい、それを会社の人事部に提出する、というのが一般的な流れです。

ロシア人の友人に「この時期になると、ロシア人スタッフがよく病欠で休むんだよなぁ」と話したところ、「日本人はロシア人と比べて良いものを食べているから身体が丈夫なんだ。ロシア人の食べているものは品質が悪く、その影響ですぐに病気になるんだ。」― 当たっている部分もあるかもしれません。それもあってロシアでは日本の食事が人気ですし、ロシアの食料品店でも健康志向の 食品が増えています。実際の売れ行きは分かりませんが、需要が無ければ増えないと思われますので、恐らく多くの人々がそれらの商品を購入しているのでしょう。病欠の話を聞くと、ー これも一度ならず発生するのですが、病欠の完了日を聞いており、その翌日から出社してくることを想定していたら、「医師の判断であと数日病欠が延期tなりましたのでもう少しお休みします。」…あります。-少ない人数で仕事を回しており、複数のプロジェクト(各部門の年間の達成目標)を抱えてその管理を担う私の立場としてはため息が出ること、あります。私の部下で病欠しているスタッフは働きぶりもしっかりしている人たちでずる休みすることはないようですので、このがっかり感をぶつける術もありませんが、病欠が起こることにより計画の変更を余儀なくされることは予め想定しておくこと。これは私の実体験からお伝えしたい点です。

スタッフからは「北欧では夏と冬とで日照時間が違うこともあって勤務時間の長さを調整している企業がある、うちもそうしないのか?」と尋ねられます。今の私が勤務する会社では季節別の勤務時間の変更に対応できるほど会社が成熟しているわけではありませんが、あらゆる可能性は考える価値があると思っています。私はまずはフレッスク勤務が第一歩であると考えていますが、その実現については、各企業の相手とするビジネスパートナーとの関係でどうしても相手の勤務時間に合わせる必要があること、トップマネジメントからのロシア人社員に対する信頼と社員の勤務実績と結果のコントロールバランスなどの要素を慎重に検討してゆかなければならず、そう簡単にはゆかなそうです。

なお、ロシアでは病欠をとると、その分ほぼ確実に収入が減ります。一定の分は法律により補填が保証されていますが、計算ロジックを見ると病欠にならないほうがよさそうです。

  • 100%が保証される場合…累計8年以上(同一企業である必要はなし)の勤務経験がある場合。
  • 80% — 5-8 年
  • 60% — 5 лет未満

病欠の間の給与計算にはルールがあります。過去2年間の収入額総額を730で割り(つまりカレンダー日数)、一日当たりの日当を計算し、それに病欠日数を掛けたものが支払われる、という計算です。この過去2年間の収入総額には基準額があり、毎年変動するので確認が必要です。この基準額に満たない収入額の場合は実際の本人の収入額を利用する。基準額を超える場合には同基準額を利用する、となっています。そのため、いずれにしても労働者にとっては収入が減る結果となります。しかし、具体的に把握しているわけではありませんが、この収入減を補填する制度(例えば、年間の病欠10日間までは会社が本人が本来出社していれば受け取っていた額を保証するなど)を取っている企業は少なからずあるように思われます。

参考URL

http://rabotnik-info.ru/bolnichnyj/

相手のことを想っているからこそ素直にフィードバックを。 / Being honest to provide feedback to Russian colleagues because we are taking care of each other

10月はじめに出かけたサンクトペテルブルクで子供たちによるバレー「白鳥の湖」を鑑賞しました。当日たまたま見つけたチケットで、約4,000円ほど。正直なところ、本物とは程遠いレベルでこれだけお金をとるのはどうかと…音楽の演奏レベルも決してよいとは言えないレベル…。途中で席をたちました。ほとんど中国人観光客で占められた客席。演奏前の「携帯電話での撮影禁止」アナウンスもしっかりロシア語、英語だけではなく、中国語で流されていました。といってもごらんのとおり、客席には私のこの写真も含めてビデオ撮影している人も何人も見られます。この禁止ルールは根本から考えて変えたほうがよいのではないか、と思ってしまいます。撮影を禁止するのではなく、逆に撮影をしてもらって世の中に広めてもらうことに利用すること、撮影してはいけない理由が何か他にあるのであればそれを説明し、その対策を取った人には撮影許可する(たとえばライトが邪魔になるのであれば、ライトが絶対につかないように設定を確認させ、それから開演するなど)、といった方法のほうが賢いのでは…と後ろから携帯ユーザーと、それをライトで注意する会場スタッフのバトルを見ながら考えてしまいました。みんな撮影したいです。

相手のことを想っているからこそ、素直に相手に直接フィードバックをする。当たり前のことがなかなか難しくてできない。それは世界共通のことかもしれません。

ロシア人スタッフとの定期的なミーティング ― 1週間に1度の定期的な頻度を保つようにしています ― を行っていると、話の内容がとある特定の人間であったり、とある課全体についての不平不満が聞かれることが幾度とあります。

「試用期間中の —(特定の人物)はひどい。みんな彼女のことをよく思っていません。採用活動を続けてもっとよい 別の人を採用するべきです。XXXさん(わたし)は表面的に彼女のよいところしか見ていないから、もっと周りのの意見を聞いて採用する、しないを判断したほうがよいです。 」

「— 課のみんなはひどい。ディーラーとのコミュニケーションのやり方も分かっていないし、私が手取り足取り教えてあげないといけない。あそこのマネジャーは一体どうしているのかしら。」

そのような感想を率直に伝えてくれることはとてもうれしいことです。わたしにそれを話しても大丈夫、と思ってくれているだろうから…一方で、それを伝えられたわたしは、逆に試されているのかもしれません。わたしに伝えてくれたスタッフはわたしにとって大切な戦力です。その人の信頼を失わないためにもその意見に従うべきなのか。いや、ぶれずにわたし自身の考えを貫くのか。

もちろん後者を選択しますが、その場合でもこのコメントを伝えてくれた本人に対して、相手の感想に感謝を示しつつ、それでもわたしがどう考えているのかを丁寧に説明することの大切さ。それは私自身の課題であって、以前は過度に感情的になってしまって気まずい空気を作り出してしまったこともありますが、どれだけ感情を抑えて、相手の意見を汲み取りながら自分の意見を伝えてゆくこと ― これは決してマニュアル化できないもので、経験を通して、そのケースごとに、その相手ごとに自分の言動を変えてゆけるスキルを培ってゆくことでしか得られないものと考えてます ― そんなことを反省しながら身に着けてゆく終わり無き途上にいます。

さて、そんな感想を言ってくれる人に伝えていることは ― 先週は同じ日に立て続けにこのような面談が連なったもので、素直に相手に私の思いを吐露しました ―

「なぜ、私に言って自分から本人に言わないの?相手のことを想っているのであれば、言葉を選んで率直に伝えることが本当に大切なことなんじゃないの?それが愛でしょう?」ということです。

必ず相手にとって大切と思えることがあれば、必ず私の思いを本人に言葉を選んで伝えること。これをいつまでも守り行ってゆこうと決めています。相手のことを想っているのだから相手にそれを言わずにいたら、それは私の責任に跳ね返ってくる。そのロシア人スタッフがひどい言動を改めずに他社に転職してゆく、その転職後の会社で引き続き相応しくない言動を改めないならば、「一体前の会社ではどんな教育をしていたのか…なんて会社だ…」と言われてしまうかもしれません。(言動を改めるのは本人次第なのでわたしにそれを強制する力はなく、あくまで指摘し続けることしかできませんが、それが自分にできることの最大限なのかな、と考えています。それでも変わらないことについて悩み苦しんだこともありましたが、それは自分を苦しめるだけで意味を成さない。それを実体験で噛み締めました)

伝え方には悩みます。どんな言葉を選んだらよいのだろうか、もしこういってこんな反応が返ってきたどうやって切り換えそうか。自分の想定している言葉が相手の人格否定となってしまうことはないだろうか…帰りの家路では「今にもメールで伝えてしまいたい」という苦々しい思いもありつつ、いや、そんなことしたら過去の二の舞だ。今日は我慢して、明日に直接伝えよう。こんな風に伝えたら本人に響くだろうか、など考えたりしながら。(考えていてもほとんどのケースで自分の予想していたように進むことはなく、その場での切り返し方を実際にその場で学んでゆくことが最善の勉強題材でしょう)

あとは、自らも周りからフィードバックを自然と得られる関係と雰囲気作りを心がけること。相手が何もいわなくとも顔の表情、振る舞いや空気から自らの至らない点を感じ取ろうと努めること。それも大切なことなのではないだろうか、と考えています。日本の文化で育ってきたわたしたちは、これはロシア人と比べて容易にしやすいのではないでしょうか。答えのない人事マネジメント。このやり方がよいのだ、と思ったことが、違うケースではひっくりかえされる。再び違う方法を模索する。この繰り返し。難しくもあり嫌になることもありますが、とてつもなく深い分野でいつも考えに耽ってしまいます。しまいには人間って一体どんな生き物なのだろう…と。

さて、私の気持ちを吐露した二人のロシア人スタッフからは「う~ん…」という納得とも拒否とも言えない反応が返ってきたのみで明確な答えは聞けませんでした。何か考えるきっかけになればよいなぁ、そしてロシア人スタッフ同士の中でお互いに、相手のことを想った温かみのある日常的なフィードバックをする文化が根付くこと、それを願っています。

Управление изменениями by Ichak Adizes in Synergy Global Forum 2019

地下鉄の駅を降りてから会場まで広がる大きな公園の中にある一本道にて。自己啓発に気合の入った?女性たちが足早に会場のゲートに向かって歩いている姿の一コマ。

Ichak Adizes氏の話は、一度聞いただけでは理解が難しい。英語で、かつ難しい英単語と話の組み立て方の複雑さゆえになおさら理解が難しかった。そして深い。インターネットで検索していた見つかったこの本の内容がおそらく今回聞いた講演の内容のようです。

https://www.adizes.com/wp-content/uploads/masteringchange_freechapter.pdf

Decision is not enough. Implementation is important! Make good decision and implement rightly, good luck, it is very difficult. 決断するだけでは不十分。実行しないと!みんな、Good luck、難しいですよ。

これを聞いた最初の印象はといえば、「なぜこんな当たり前のことをいうためだけにロシアにきて、きっと大きな報酬を受け取って・・・なんて不公平な世の中なんだ・・・」

The best decision becomes not not perfect. Because change, even god made mistake. flood after 40 days, rainbow. God regretted. どんなに今ベストの決定を下したからといって、それは完璧ではない。なぜなら”チェンジ”するからだ。ノアの方舟の話では、40日間の洪水のあとに虹が出た。神様だって後悔した。神だって完璧ではないんだ。

1st secret of managing is humility. Don’t try to be god, don’t accuse myself for mistake. マネジメントの秘訣のひとつは謙虚さ。神のようになろうとしてはいけない。

You need complementarity. 相補性が必要。 ― 日本語でも難しい言葉。お互いに支えあえる関係を相手と築きあげるように、ということか。

to make good decision, you need who disagrees a bit who you respect. よい決断をするためには、少しだけあなたと意見を異にする、あなたが敬意を払っている人が必要です。

Respect means to recognize that people is different 尊敬するというのは、人はそれぞれ異なるということを認識すること。

Be different.

What finger is important ? First finger (親指)– the most important finger. (なぜ親指が最も大切なのかの理由を聞き取れなかったのですが、親指がなければモノを挟むことができないから、他の指と唯一対になれるのが親指だから、ということだったと理解しています) this is the future. Women is the beginning of new civilization in the future. (会場の女性たちから拍手喝采)女性が親指の役割を担っているんだ、という応援の言葉なのかもしれません。

Change is accelerating, Problem is accelerating.

Why problem is changing? – because it is system, world, country, company, system is everywhere. System is composed of subsystems. Everything has sub sub sub sub………subsystem doesn’t have change.

All problem comes from disintegration. You cannot stop change. Integration causes problem and solution is integration. 融合が問題を起こす、そして解決策もまた融合。

Now we are in brain world, information, analytic, the power is brain, but now already next is coming, AI starts replaces. what is the future ?– Heart.(心臓を指して)。今の時代は脳の時代。体の大きさ、強さを競う筋肉の時代ではない。情報、分析すべてここ(頭を指して)。それでも、すでに次が来ている。それはAI。AIが脳にとって変わろうとしている。それでは未来はどうなのか?ここ、ハートです。(会場から拍手喝采)

Money is side effect. Love gives energy. The loving company lives more longer.

Listen to your wife. 奥さんの言うことをよく聞きなさい。

A lot of women try to be like men – Don’t. 多くの女性が男性のようになろうとしているけれど・・・やめておきなさい。(会場の男性たちから拍手が沸きおこる)

Complimentary team, mutual respect. How to make successfully implementation – difference, common interest お互いに補完し合えるチーム。お互いに尊敬し合える関係を。どのように上手に実行できるか ― それぞれが異なっていること、ただしお互いに共通の関心を持っていること。

Don’t expect utopia, There is conflict of interest, all the time. Because of change. conflict happens all the time. ユートピアを期待してはいかん。衝突はいつでも起こるもの。変化しているのだから。

In Turkey “Take and Give”  not give and take, Give and Trust. トルコではTake & Giveという言葉があるらしいが、それじゃあ駄目。Give & Trustだ。と。

Trust and respect – Secret of success. 信頼と敬意 ― 成功の秘訣

You find “(own) success” – how you define success? I don’t care. .

If you cannot respect, you waste your energy.

integrated > free energy > to fight together the world

Summary: Culture of trusting and respecting = Love. If the person has love, this person survive in this world. Change is accelerating.

参考URL https://adizes.com/

サンクトペテルブルクで開催のビジネスフォーラム、Synergy Global Forum 2019にやってきました。/ Business forum: Synergy Global Forum 2019 in Saint Petersburg

262,000 m2, 68,000人収容可能なGazprom arenaにて、Synergy Global Forum 2019が開催されています。日本でもほとんどこのような会場に出かけたことがないため比較感がないのですが、圧倒的なスケール。それと音響のうるささで頭が痛くなりました。

ただいまサンクトペテルブルクです。

https://synergyglobal.ru/

ここに来て、Synergy Global Forum 2019(Oct 4th Fri, Oct 5th, Sat)に出席しています。人材開発の分野での世界的な第一人者、ロシアで現在注目されている、いわゆるビジネスで成功していると言われる著名な方々が出る大規模なイベントとあって関心がありました。今回の会場で聞ける話が会社の今後の人材教育にも役立てるはず、と思っています。

そしてなによりも、これだけの人たちを生で、本物を見ること。リアルな声を聞くこと(残念ながらマイク経由だけど)、これだけの大きな会場で、これだけ多くの観客を前にしてどのようにプレゼンするか?身振り手振りは?とても勉強になります。

どうしても聴きたかった方 ― 私が日頃会社従業員の人材開発を本、雑誌、インターネットで勉強していると嫌でも(?)目にする、耳に入ってくる著名な方々はこちら。この分野を専門にされているビジネスパーソンにとってはきっと大変尊敬されている方々だと思っています。

Marshall Goldsmith (Маршалл Голдсмит)

Ichak Adizes(Ицхак Адизес) イスラエル系アメリカ人のビジネスコンサルタント

Michael Porter (Майкл Портер) アメリカの経済学者

更新されたプログラムに掲載されていなかったため、残念ながら出席キャンセルとなったのだろうか、と思ってあきらめていたのですが、Ichak Adizes氏の話を戻りに会場に戻るとマイケル・ポーター氏が精力的なプレゼンを行っていました。わずか5分足らずしか目にすることが出来ず・・・。残念です。

Andrey Trubnikov (Андрей Трубников)日本でも有名となったNatura Sibericaの創業者(残念ながら聴く事はできませんでした。プログラム通りに会場に出かけたのですがずっと別の人たちがプレゼンをしており、周りに聞いてもいったい彼が出てくるのか分からない、と。私もメイン会場でIchak Adizes氏の話を聴くために席を立ちました)

実際、会場が大変大きいこともあるのか、メイン会場の空席が目立ちました。人が少なくて話し手としてはさみしいな、と。でも、通路に立っている人も多かったですし、サブ会場などにも多くの人が詰め掛けていたので、トータルでいけばかなりの多くの人が実際には会場にいたのかもしれません。

一番の注目はアーノルド・シュワツェネッガー(Arnold Schwarzenegger)氏の参加でしょう。このイベントまでインターネットで街中でもシュワちゃんの顔写真付きのイベント広告が目に入ってきました。初日には、シュワちゃんとの、個別の写真撮影セッションがPlatinumチケット購入者向けにあったようです。そのお値段は500,000RUB!(82万円:直近の為替レートにて) ― このたった2日間のイベントで、このような写真撮影の特典のためだけにこの金額を出せる人たちはすでに世の中一般で言われる成功者。自己啓発とかそっちのけでただ有名人を見るためだけ、あるいはイベント関係者との関係もあって来ているのかもしれません。

今朝インターネットで検索すると(Yandex)、どうやら体調不良があったようで早々とシュワちゃんが会場を後にしたと。それについてチケット購入者からインターネット上でこの写真撮影セッションがあまりにも短く、Platinumチケット購入者からシュワちゃんと写真を取れなかったことに不満が出ている。イベント開催者がそれに対して「すべては予定通りに行われた。その会場で実際はどうであったのか、よく理解するよう十分努力します。」とのありがちな公式な見解が出されている、そんなニュースを目にしました。

あれだけのイベントで、あらゆる個性豊かな夫々の成功者の調整をしてコントロールすることの難しさ。私なんか、会社のわずか数十人程度のイベントでも各プレゼンテーターの時間管理に一苦労しています。ですので、このような大規模なイベントのの苦労は想像に絶します。

たしかに、メイン会場以外の場所では、そもそもサブ会場の案内も付いておらず、会場案内のスタッフも把握していないようで開催者側も至らない点があるなぁ、と。一方で、話し手の飛行機の都合もあってプログラム変更が急遽その場で行われたり、延々と話し続けるスピーカーが止まらず、かつ聴衆も「もっともっと!」あおるために、プログラムとまったく合わずに話が進展していました。いやあ、無茶苦茶な。それでも、みんな文句を言いつつも、この不測の事態に堂々と返している進行役のスタッフもすごい。尊敬します。暗に、プログラム通りに物事が進まないのは当たり前、そんな認識がロシア人の中に根差しているのでは?と思ってしまいました。もしそうだとすると、少なくともビジネスの世界においてそれは改善されるべきですね。長年ロシアにいると、そういう考えに自分自身も染まっている危険があって恐ろしくもあります。

ただ聞いたことをここに書くだけではなく、一つ一つの話を自分の中で整理しながら書いてゆくべく、少しずつ今後の記事にして残してゆきます。

ベテランのロシア人スタッフを見て感じるかっこいい年齢の重ね方 / how to become attractive with ages – thinking it from working with Russian colleagues

同じ会社で同じスタッフと長年勤務していると、ふとした瞬間に「老けたな~」とふと思うときがあります。そういっている自分も人のことを言えないのですが・・・

そもそも、ロシア人は日本人よりも見た目が大人っぽく、年上に見えますが、それを別にしても久々に再会したとき、朝にふと見たときに感じる、あっ、老けたなぁ・・・という瞬間。それも、いやあ、このまま老けていったらどんな将来が待っているのだろうか、大丈夫かな・・・と思うときと、自分もこうなりたいな、という年齢の重ね方。よい老け方とよくない老け方の違いって何だろう。かっこよい、クールな歳の取り方、というのでしょうか。

これはどこに行っても、どの国に行っても同じの真理と思いますが、今ここでこうしてロシア人スタッフと共に働いて感じること、日本でのことも振り返って感じる魅力のある年齢の重ね方を書いてみました。

仕事の約束を守る。そして必要なスピードを保てること

いたって当たり前のことですが、仕事としてこれは基礎の基礎。これが根本的になっていないスタッフがいます、お願いだから改善して、と言いたい。いや、言い過ぎるほど言ってます。ロジカルシンキングできっちり毎回課題を整理して資料にまとめて、なんて言いませんが、ただ単に、やるといったことはやる。それも時間をかけすぎずに一つ一つクリアすること。みんな苦しい中やっている。文句も言いたい。でもそれは皆同じ。言い訳はほどほどに、とにかく「やります」と合意したらやりましょう、と。そして、最低限の処理スピードが必須です。きっちり仕事をやってくれるとしても、あまりにも丁寧すぎたり、各々の仕事の重要度を考えずにどれにも同じように丁寧にアプローチしているのは問題です(もちろん自分自身も評価される側。毎日がチャレンジです)年齢の重ね方と直接関係がないようですが、まずはこれが基本の基本だと考えています。

素直、謙虚

仕事もできるようになってくると、素直に周りのことを聞くことが難しくなるケースがあります。それでも周りの意見をよく聞くこと。その中で自分の主張を相手への批判することなしに上手に織り込んでゆくことの難しさと大切さ。問題が起こったときに正直に自分の非を認めることができる強さ。その状況で最善解を見つけるために駆け回ってくれる。これができているベテランのスタッフを見ていると素晴らしいな、と思うばかりです。

柔軟さ

素直、謙虚とも繋がりますが、歳をとって衰えてゆき、若い人にかなわなくなる中、柔軟でいられることは重要な要素だと感じます。これも素直でないとできないことです。自らの主張と合わなくてもどんな意見、決定にも自分自身を合わせられる柔軟さ。会社の組織にいるとすべてが思った通りにはゆかず、どこかでそんな納得のゆかないことがあります。それでも柔軟でいることの大切さを学んでいます。柔軟に何でも受け入れる許容度があるからこそ、自らの価値観だけにとどまらず、新しいことも率先して受け入れ、取り組めるゆとりを持つ。周りにも柔らかいあたり方。

好奇心

柔軟に新しいことを取り入れてゆくには、自分の知らないことに対する興味を示す好奇心が必要。年齢を重ねるほどになかなか自分のスタンダードから逸脱する勇気と行動力がなくなるのを感じるようになりました。それにはエネルギーが必要です。それを継続できているロシア人スタッフをみると尊敬するばかりです。私も負けていられません。日本に一時帰国して入った牛丼のお店。出張で一時的に訪問した本社の食堂。一人でもくもくと死んだ顔で食事をせっせと口に無機質に運んでいる人たちを見て、この人たちは一体何のために食事をしているのだろうか、生きる目的があるのだろうか・・・なんて大げさに考えてしまいました。ロシア人スタッフは毎日楽しそうに大声で笑いながら、どんなに忙しくても食事の時間を大切にしている。そんな姿を見習いたいものです。

信用レベルを上げること

信用を持つことの大切さ。日頃から仕事で築き上げてきた経験があって、周りに実績を認めてもらい、素直で謙虚な人柄で周りからも好かれている。そうすると、自分の意見を相手に聞いてもらえる高いレベルの信用が得られます。相手にたとえ認めてもらえないとしても謙虚に受け止めて次の案をもってゆく。たとえ自分自身に全権限があって、全てを決定できるとしても他人と働く以上、自らの意見を完全に通すことは無理。どこかしらで相手の主張も織り込んで決定することがよい決断です。そして一層信用のレベルが上がってゆきます。

人間なのでミスをします。私も少なくない失敗を繰り返しています。やるべき仕事を漏らしてしまうこともあります。だからこそ、日頃の信用をどこまで持っているかが重要です。銀行はその人の信用レベルに応じてクレジットカードの利用制限額を設定します。この金額レベルをどれだけ上げることができるか?信用がなければ大きな借入れもできませんし、結果的に購入できるモノも限られる。管理される範囲が大きい。なぜならば信頼されていないから。 全く仕事も同じことが言えますね。一方で信用レベルが高いスタッフは自由にさせていても結果をもってきますし、本人も満足、雇用者としても満足。素晴らしい関係性です。

このような上記のサイクルが回りだす人は、仕事も周りの人間関係も円滑となり、自信が生まれ、それが行動にも現れているように感じられます。そんなベテラン社員の年齢の重ね方に私自身も憧れと目標を抱いて毎日歳を少しずつ取っている、いや、どっしりと重ねているところです。

会社のコスト削減と職場の衛生管理のさじ加減 / The delicate balance between cost-saving and hygienic management

とある、いたって庶民的なスーパーマーケットにて。野菜は自分で袋に詰めて重さを計測し、計測器から自動で出力されるラベルを袋に貼り付けてレジに持ってゆきます。トマトでも異なる種類が隣同士に置いており、こちらも分からなくなることがあります。レジでは何も言われずに通してくれますし、また、レジで測ってくれるお店では、「このトマトはどっち?」と客であるこちらに尋ねてきて、こちらが戻って確認してくることも少なくありません。なんともこのあたりのいい加減さが好きです。

コストを削減しようとすると、使い捨てのカップやフォーク、スプーンなどが目に付くものです。メンテナンスも不要で、使用後はゴミ箱へ。衛生的にもよく、決して悪くありません。しかし、毎日、従業員がプラスティックのカップを取り、ウォーターサーバーから水をぐいっと飲み、そのまま捨てる。ランチタイムにフォーク、スプーンが使用されては捨てられてゆく。それらが一日に繰り返される光景を目にし、ゴミ箱がプラスティックの山になってゆくのを見るのは切ないものです。そんなわけで全て購入停止。カップはマイカップを持参すること。フォーク、ナイフ類は会社で備品とし、それを皆で利用すること。そんな取り決めとなりました。必要なときのためにプラスティック製品を保管していますが、方針を変えると、それはそれとして上手くゆくようです。

直接関係のない話しですが、昔、大学の教授が言っていたこんな言葉が頭に残っています。「ロシアは一周遅れで世界の先を行っている。」

例として挙げられていたのが、ビンに入った牛乳。世界的に紙が主流になっている中、ロシアでは(教授の時代はソ連?)ビンがいまだに残っていたとか。その後世界が環境に意識を向け始めてリサイクルのビンに目を向け始めたとき、ソ連ではすでに一周遅れで世界に先駆けてビンが主流であった、ということでした。皮肉なのでしょうが面白いですね。

今回テーマにあげるのはペーパータオルナプキン。これも決して高いものではありませんが、毎月それなりの金額と量を購入して利用しています。ロシアに来て感じたのは、紙の文化。日本では会社でも家庭でも布製の布巾で台を拭き、洗って再利用するケースがあります。新入社員の頃、勤務していたオフィスでは毎朝ベテランの女性が布巾で全員の机を拭いてくれていた文化があったのを思い出します。小学生の頃には、学校では必ずハンカチとティッシュを持参するように、と教育を受けて育ったものです(あくまで私の経験に基づくものですが)。各家庭や状況によるので判断はできませんが、机の上を掃除する、というのは外部委託先の掃除担当者が行い、我々のようなオフィススタッフの行う仕事ではない、という意識もあるのでしょうか、オフィス内に机を拭くための布は、掃除道具を入れた部屋に収納されており、何かさっと拭く必要がある場合には何でもペーパータオルです。

ロシアの家庭でも紙ナプキン必ずといってもよいくらい備え付けてあるのではないでしょうか。はて、私が日本にいた時にこれほど紙ナプキンを購入したものだろうか?と振り返っても購入した記憶がほとんどありません。会社でも何かと会社の紙ナプキンを使用して洗った手を拭くことに抵抗を感じていました。自分のハンカチを利用すれば紙の消費を押さえることができるので、会社のコスト削減につながると思うからです。

ところが、インターネットで衛生に関するテーマでハンカチやペーパータオル、ハンドドライヤーに関する記事を読んでゆくと、ペーパータオルが一番衛生的だという。よく考えてみると、ハンカチは使用した後、塗れたままでポケットに突っ込み、またあとでそのハンカチを使用する。傍から見ればハンカチを持参していて素晴らしいと思えるかもしれないけれど、衛生面でみたらばい菌が繁殖しつつあるハンカチで洗った手を汚している行為とも言える。そんな観点からみれば、一度だけ使用して捨てるペーパータオルは一番清潔感がある。― そんなことを今になって認識して、自分自身の長年の固定観念の怖さ、当たり前のことでもハンカチがよいのだ、と思い込んでいるとそれを疑わずに調べることをしない怖さを感じました。そして、コスト削減と職場での衛生維持のバランスの取り方、その単純に数値化できない難しさに思いを巡らしたテーマでした。

いつまでも素直でいたいものです / Being always acceptable and flexible

人の成長にもっとも大切な要素は一体何だろう、とロシア人の部下と働いていていつもいつもどこでも考えてしまいます。

素直さ。

これが全てではないか、と。そして、細かいこだわりを持たないこと。これも素直さと繋がっているのだろうと。こだわりを持てば持つほどに自分と周りを苦しめる。自分と異なる価値観を持つ他人の見方を許容できる素直さ。

人にアドバイスされて言われたとおりにやってみる。すぐにやってみる。余計なことを考えずにやってみる。それが出来る人がどれだけ少ないことか。私も年を重ねるにつれてそうなりつつあるなぁ・・・と、時に振り返ってふと思うことがあります。己として、絶対に譲ってはならない芯を持つことは必要ですが、どのレベルでのこだわりなのか。自分として強いこだわりを持つものの、そのこだわりがどれだけ高い次元のものか?マネジメントを担う人間にはその高さが求められているのかもしれない、と。

オフィスの棚を入れ替えたい。そんな意見が部門から届きました。どんなデザイン、どんな大きさにしようか?そんなことでも女の子たちは細かいデザインの違い、サイズ、色にこだわって議論している様子を見て、う~ん・・・自分だったら違うかなぁ、という思いもよぎるのですが、本人たちが納得して購入する、それで仮に失敗してもたいした金額ではなければ、またやり直せばよい。そこに私自身の色やデザインの好みを強く主張する必要はないんだなぁ、と。たとえ自分の家ではこだわりがあるとしてもです。そこにあるべきマネジメントとしてのこだわりは、一人でも多くのスタッフは自由に自分の意見を発言し、議論をして自らで決めてゆくこと。会社の決定の中で、自身の主張が同僚との議論の間で考慮されていることを実感すること、なのかもしれません。

繰り返しになりますが、私ももちろん、人は年齢を重ねるほどに、自分のこだわりが強くなり、素直さを持つことが難しくなってゆくのが自然だと思います。以前にはすんなりと従っていたのに、次第に自分も“賢く”なってきたと感じ、自分のこだわりも増えて、それを他人にも強要し始める。まずい兆候です。

いつまでもどんなことでも受け入れられる素直さを持っておくためには、こだわりをもたないことは非常にプラスだな、と。どんなものでも受け入れられるので、進めてくれる相手から喜ばれるし、自分も新しいことを経験できる。良いことだらけです。

レストランでも、メニューを見ても何に決めてよいのか分からない時。サービススタッフに、「あなたのお薦めは何ですか?」と聞くと、「私はこれをおすすめです!」そう返ってくれば、喜んで「OK!ではそれを持ってきて」。そうすれば相手も喜ぶし、なぜ相手がこのお店でこれを薦めてくれるのか(結果のよしあしに関わらず)分かるものです。

スタッフの中には、経験を積んできて私が何もあなたから教えてもらうことはない、と考えているのか、どれだけアドバイスをしても聞き入れない部下がいます。目の前でノートにすべき仕事をメモしているのに、しばらくして進捗確認をすると全く進んでいない。しまいには” don’t know”ときます。本当の馬鹿なのか(いや決してそうではなさそう)、よほど喧嘩を売っているのか(これも違う)、私自身を単に気に入らずに分かっていてもやらないのか(口論になることは一週間に亜何度かありますが、だからといって決して私を嫌って何もしないわけではない)・・・。人はどんなに言っても変わらない。手を常に差し伸べる努力は欠かしてはならないものの、どこかのタイミングでその手を引っ込める時期があること。この決断が必要なことも感じています。

素直さの大切さを説いたノウハウ本が幾つも世の中には存在すると思われますが、果たしてどれだけの人が口では他人に「さあ素直に、謙虚にいましょう」と発言しても、実際の行動にそれが現れているだろうか ― そう考えると疑問が湧いてくるものです。これだけ世間に同じ内容のノウハウ本がありとあらゆる国に存在するということは、つまりそれだけ需要が絶えないわけなので・・・。いかに頭の中では知識として素直でいることの大切さを理解していても、心に到達していないことか。

素直でいること。簡単なようで非常に難しい、でも自分次第ですね。

ロシア人部下のマネジャーの権限を飛び越えて自ら全てを掌握したいと思うとき、我慢です。/ Patience – when you want to get full control of everything jumping over the responsibility of Russian managers

郊外に向かう列車の中で、民族衣装を着た高齢の女性が突然大きな音で音楽を流し、カラオケを始めました。くるくる回る踊り付きです。思わず車両に乗っているみんなも笑顔になるほかありません。こんな年配でもこんなにも活力があって、少しでも生活の足しにしようとお金を稼いでいる。こんな女性の姿を見て、どれだけ一生懸命に日々を生きているのだろうか、と考えずにはいられませんでした。

部門責任者として各課の業務に責任を持つ者としては、各スタッフの働きぶり、仕事の進捗状況がとても気になるものです。どうしてもやってしまう過ちは、各課のロシア人マネジャーを飛び越えて末端の部下と業務進捗を直接確認し、指示を出してしまうことです。会社規模も小さいがゆえすべてが見えること、自ら動いて指示を出すことが安心でもあるゆえ、課にはマネジャーがいることが分かっていてもその上に立つ者として、マネジャーの気持ちを考えずに行動してしまいかねない。そんな過ちをしばしば犯してしまいました。

課のマネジャーからすると、「私の部下なのに、なぜXXXさんは私に言わずに直接指示をするのかしら?私のことを信用していないのだろうか」と。マネジャーと私の間の関係の雲行きが怪しくなる瞬間です。

課のマネジャーとの会議で「じゃあ、あとは課の中で話し合って報告してね」「はい、分かりました」と。そう言ったあとで、よかれと思ってその課全体にマネジャーにお願いした内容を改めて私がメールで書き出します。そうすると「さっきは私に部下と話し合って報告してね、と言って合意したのに、なぜXXXさんは私の部下にも含めてメールをだすのかしら?」とマネジャーは疑問を持ってしまいます。

今年春にあったことです。スペシャリストの女性スタッフの給与昇給とポジションタイトルを変更することになりました。課のマネジャーには、この女性に給与とポジションの変更を一緒に伝えよう、と予め会話をしていました。このスペシャリストの女性はアウトソース契約であるため、彼女のポジションタイトルが変更すること自体、社内の人事に大きな影響を与えるものではありません。アウトソース、という認識が強く、私自身が深く考えていなかったことが原因ですが、彼女が私の席に別の用事でやってきた時に「ちょっと時間ある?話したいことがあるんだ」といって彼女と会議室に行き、待遇の変更を伝えました。課のマネジャーと私のスケジュールの調整がなかなか出来ず、頭の中では「はやくスペシャリストの彼女に待遇変更を連絡しないと、しなければ」という焦りの気持ちもありました。そんな時に彼女と話す機会が生まれ、咄嗟に「ちょっと時間ある?話したいことがあるんだ」となったわけです。それを後から知ったマネジャーは激怒。

「あなたは私との約束を裏切った。あなたは私が同席のもとで彼女に待遇の変更を伝えると約束したじゃないの。そんなことをする人だなんて思わなかった。失望しました」とのメール。「申し訳なかった、今さっきの話だから、まだやり直せる。もう一度あなたも入れて面談をさせて」と。「今更そんなことやっても無駄。あなたがすべて伝えてしまったのだから、今になって私が同席して同じ内容を繰り返しても意味がない。ひどすぎる」と続きます。あとはごめん、もう一度面談を設定しようよ、と言っても頑なに「あなたはすべてを台無しにした。」と返ってきます。マネジャーの彼女としては、自身の評価によってスペシャリストの彼女の昇給とポジション変更が叶ったことを本人の前で伝えてもらいたかったようです。そして、いくらアウトソース契約だからといって、マネジャーにとっては毎日接している部下で、日々自らが彼女の成長のために教育をしている身です。そんな彼女にとっては自らの提言によりマネジメントからの承諾を経て、自分の部下が昇給し、ポジションタイトルも上がることを大変誇りに思っている。それを伝える貴重な機会に自分が不在であった、自分に約束したことが反故にされたこと。それに深い失望を覚えたようです。マネジャーの彼女の気持ちを汲み取っていなかったことをその日は深く反省しました。

そのあとしばらくその彼女とのコミュニケーションが途絶えたのはご想像の通りです。後日、マネジャーの彼女からメールが届きました。「もし本当に先日のことを申し訳なかったと思っているのであれば、今日、ぜひ一緒に彼女に再度伝える場を設定しましょう」と。しっかりとマネジャーの彼女に絞られてしまいました。「今日の面談はどうだった?」と聞いたら「Не плохо(ネ、プローハ)悪くなかったわよ」と合格点をいただきました。これでも一応部門のトップなんですけど…と内心思ったのですが、人によってこの考えは千差万別とは思いますが、私は時に部下のマネジャーから怒られること、いじられること、そんなスキを与えることも円滑に部門を束ねるために必要な点なのだろうな、と考えているところです。

「日本人と仕事をするのは疲れる!」/ “Really feel tired of working with Japanese!”

モスクワ中心街の高層ビル群、Moscow Cityの85階にあるレストラン”Ruski”(ロシア料理店)からのモスクワ市街の眺め。世界が小さく見えます。自分の悩み事もちっぽけに見えてくる?写真左手に見える塔とその周りの広場は第二次世界大戦の勝利を記念して作られた”Victory Park”です。お気に入りの場所のひとつとなっています。

「日本人と仕事をするのは疲れる!」

これがずばりロシア人スタッフの本音ではないでしょうか。毎日ロシア人スタッフと働いていて、彼らの反応を見ていてそんな気がします。

我々日本人にとっては当たり前のような資料作りも「分かりました。」・・・その表情をみると、“まったく面倒くさいこと要求してくるな。分かったよ、上司だし・・・聞いておくか”なんて様子がちらっと見えることも。ロシア語には、”Ладно”という、何度となくロシア人スタッフから聞くスバラシイ言葉があります。 あまり賛成ではないんだけど、まあ分かりました、という消極的な賛成の言葉です。(Дадно = Если кто-то говорит ладно (уж), значит, он сначала на что-то не соглашался, а затем решил (или был вынужден) согласиться. )

エクセル資料は、作成後は必ず印刷範囲に収まっていることを確認すること。不要なシートは除くこと。罫線のデザインがばらばらなのはダメ。フォント・文字の大きさが違うから直して。分かった、問題は分かったので、もっとこの問題を含めて全体像が分かるようなロジカルに説明した説明資料を持ってきて、など。「このような小さなことにどれだけ注意を払えるかで、その人の仕事に対する姿勢が分かる。だから小さなことに気を配ることが大切なんだ」との信念を曲げずにロシア人スタッフと余計にこじれます。これは大筋では真実であると私は考えていますが、実は正しくもあり正しくないのだろうな、と今では思ってます。

ロシアに長く住み、ロシア人スタッフと勤務していて、ロシアから学ぶことが多くあります。日本とロシアのどちらが正しい、というわけではありません。ロシアにあって日本にないもの、それが今の日本で必要とされているものではなかろうか、と。ロシアも然り。ロシア人、お願いだからもっと日本のよさを学んでくれ!と毎日一度は心の中で叫ぶのです。「日本はすばらしい。トイレがきれいだ、ウォッシュレットが最高だ」なんてことはどうでもよいので、仕事に対する取り組み方も学んでくれ・・・と。

細かいことに注意を払うからこそ、日本の美しい工業製品、芸術が生まれる。細かいことに注意を払うからこそ一つ一つの行動が慎重になり、会社の稟議にも時間を要する。でも、その行動の結果は想定内に収まる可能性が高くなる。そして、それが日本全国の各レベルで機能しているので、結果として“安定した”国家が生まれる。そんな”安定”にロシア人は魅力を感じる。そんな“安定した”日系企業で働きたい、というロシア人。 通貨暴落を何度か経験している国であり、”安定”という言葉が存在しない(?)ロシア。面談に来るロシア人の中には、絶対にロシア企業で金mしたくない、と言い張る 人も少なくありません。

一方、ロシアでは細かいことよりももっと大きなことに目を向ける。(宇宙に船を飛ばせる国であり、そのためには非常に精密さが求められるはずなので、ロシア人は細かいことがだめだ、という偏見の目で判断することは控えます)。細かいことは気にしない。問題が発生したときに何とかしましょう、という意識を感じます。悪く言えば、すこぶる雑です。他方、相手のことを考えず、自分のことを優先に考える傾向、はっきりと自己主張できる強さ、感情を自然に表せること。これらは、決して良いとは言えませんが、結果がどうであれ物事を前に動かすためにはプラスです。

今後はますます、日本人が自然と培ってきた特質が大切になると感じるようになりました。それは、「他人がどう考えているか、他人にどうすれば喜んでもらえるのだろうか。」という他者のことを考えられることです。相手とのコミュニケーションの中で、相手の心の中を読み取る能力、それに合わせて自分自身の対応を変えてゆける力、相手と自分の相違をどの着地点で決着させるかを見極める。これは本当に大切です。これはマニュアルとして記載して後任者に渡しても人に引き継げる能力ではなく、成功・失敗の経験を踏まえて自らに培ってゆくしかないのだろうと。

他人のことを配慮できる能力 ― 日本人が誇るべき特質の一つ ― は違う見方をすれば、他人からどうみられるか気にして行動できなくなる、という消極的な捉え方もできます。私自身、この考えに強く縛られていました。というか、それすらも感じずにずっと長く日本で生きてきました。長年働いてきました。しかし、この考えが自らを勝手に縛っていることに気が付いたのは、ロシアで働いている中でのことです。

人の目が行き届かない部分でも妥協せずに細かい点を意識する。だからこそ今の日本がある。それにロシア人も羨望の目を向ける。しかし、実際に自らやれと言われるとそれは別。「私は見てるだけで十分!私はなんだかんだ言ってもロシア式の雑さが好きだ!」というのも本音なのかもしれません。

日本人にしてもロシア人にしても、自らの強み・弱みを理解した上で他者の良さを素直に受け入れて自らを変えてゆける、成長してゆける人。そんな人材がもっともっと増えてゆくことを会社の従業員に期待するばかりです。