ロシアで駐在員として勤務する上で重要な点の一つに、自分自身をいつも客観的に観察し続けること。これが挙げられるのではないだろうか…と感じています。
ロシアに進出している日系企業は規模も小さく、各社で働く私たち日本人の人数も限られます。そして、日本人は大概重要なポジションを担っています。となると、どうしても部下のロシア人スタッフからの、私たちの相応しくない言動について直接指摘を受けるケースが少なくなります。私の経験上 — ロシアに限らずどの国でもそうだと思いますが — 私たちに対する評価は、彼らだけ食事や飲みに出かけている場所で、職場の中でも日本人がいないところで日々なされているわけです。わずか数人の、同じ本社から派遣されてきた日本人。その下に多くのロシア人の部下。日本人同士で指摘しない限り、なおさら自分の行動の正すべき点について注意をしてくれる人が限りなくゼロに近づきます。会社の中では自分の決定が多くの場合通ってしまう(その分責任も発生しますが)。部下もそれに従う。よく考えれば恐ろしいことです。日本にいる時には、上の人から(正しい、正しくないは別としても)何らかの指摘を受けていたのに今はそれがほとんどない。同僚が周りに多くいて何となく比較できる対象がいたのに今はそれがない。間違ってしまうと、「周りは自分の言うことを聞いていればよい、自分の意見が正しいのだ。」となってしまう可能性もあるのではないでしょうか。
社内のロシア人スタッフにしても、どうしても自分自身が仕事のノウハウを共有し、ロシア人スタッフもそれを受け入れる場面が多くなり、ロシア人スタッフと自分自身を単純に比較することは難しく感じます。(もちろん、ロシア人スタッフには、仕事だけではないとても優れた要素が備わっています。カラオケが上手、ダンスがうまい、会社のイベントでは常に率先して盛り上げてくれる。お菓子を作らせたら最高。お客さん向けのレストランの候補地をお願いしたら期待以上にアレンジしてくれる。そういった仕事以外での彼らのすばらしさには脱帽します。ただただその才能を羨ましく感じます。)
また、こちらから真摯に意見を聞きにいかない限り、相手も素直に気持ちを打ち明けてくれません。(それを打ち明けられてグサグサッっと感じることもあるのですが…。)他社の日本人と交流して自らを客観視することも可能ですが、他社の方々とのお付き合いはどうしても業務以外になってしまうのでお互いに相手の仕事について深くは理解はできない。そもそも日本人コミュニティの数も限られています。取引先のロシア企業には確実に比較対象となる方々いますが、それでも定期的に、かつ仕事に関してどっぷりと彼らの仕事ぶりを観察できるチャンスもないわけで、やっぱりできることは限られます。
やはり、自分自身で自らの言動を客観的に観察し、評価し続ける姿勢がとても重要であろうと信じています。
自らの行動、考え方があるべき原則からずれていないだろうか?長いことロシアで勤務するうちにロシアのやり方に傾倒して、日本のスタンダードを小馬鹿にしてしまっていないだろうか?自分は自分。これでいいのだ、と変に開き直ってしまっていないだろうか?自分自身に対するロシア人スタッフの評価を何とか得ようという努力を続けているだろうか?(たとえ本人が口にしてくれなくても、彼らの振る舞いから理解しようと努力しているだろうか?)
そういった自問自答を日々繰り返すことが欠かせないのだろう、と。
日本にいれば意識せずとも、自分自身がとてもかなわないレベルの方々が目に入ってくる。それがロシアにいると途絶えてしまう。そんなロシアの環境で、自分の能力を勘違いせず、どれだけ自分自身のレベルが広い世間と比べた時にまだまだなのか、を知ること。そうしていると、自然と日頃から謙虚でいられるのではないだろうか…それをロシア人スタッフにも訴えながら自分に言い聞かせているところです。