もう数か月もブログの更新をストップしていました。少しでも時間があるならば目の前の仕事に全てを費やす(費やさざるをえない状況にある)― そんな思いがありブログのことも忘れて目の前のことに没頭する日々を送ってきましたが、目の前のこと、将来に実を結ぶ可能性があることに今の時間を費やすこと。この狭間でバランスの取り方について日々悪戦苦闘しています。今日からは、毎日の更新は難しくとも定期性をもって更新してゆこうと気持ちを新たにして書き出しています。
私より後にロシアに赴任してきた方が先に帰国してゆくケースを少なからず目にすることが多くなった今、決して、どんなに努力してもロシア人のメンタリティを理解することは難しいものですが、ふと日本とロシアの違いに気付く機会がふと、生まれてくる瞬間があります。
「ありがとう」― よく口にする言葉ですが、幾度となくスタッフに「XXXさん、ありがとう、というけれど、一体何にありがとうと言っているのか私たち(ロシア人)には分からないです。具体的に言ってもらわないと…」と言われることがありました。なるほど、「ありがとう」というのはとても良い言葉ですが、私が口にする「ありがとう」には、お礼を伝えたい目的語が欠けているのだな、と。
ありがとう(貴重な情報を共有してくれて) ありがとう(こんな忙しいのに自分の追加の仕事のお願いを時間通りにやってくれて)
「ごめんなさい」― これも同様です。
ごめんね(私がきちんと必要な情報を伝えていなかったので無駄な仕事をさせてしまって) ごめんなさい(会議の時間を守れずに会議室で待たせてしまって。前の会議が長引いてしまって、そのことについて連絡ができていなかったんだ)
「ありがとう」「ごめんなさい」をやたらと連発しないこと — この議論もありますが、今日は何事も具体的に伝えることの大切さをここに書き記しておきたく、その例として、ありがとう、ごめんなさいを取り上げました。
具体的に目的語を表現することの大切さ。これは裏を返せばそれだけ日本語での会話の回路に目的語が無くても通じてしまうから、と感じています。「ありがとう」といえば、相手はその「ありがとう」の一言で自らの心の中でその意味することを自分なりに解釈して受け止めます。そこに「何に対してありがとうと言っているの?」という疑問を挟むことはあまりないのではないでしょうか。少なくとも私は日本にいる時にこんな考えをしたことがありませんでした。
この思考回路で現地スタッフと仕事をしてゆくと、自らの仕事の指示も目的語が不足しがちで、指示が曖昧となったまま過ぎ去るために結果としてお互いに一つのことを違った形で理解していて時間が無駄になってしまう、お互いに罵り合う、そんな結果を生むリスクがあります。
私自身もそんな苦い経験を踏まえて、自らの指示の仕方、メールを書く際の指示の曖昧さの排除、そんなことを意識して実践することにより、スタッフとのコミュニケーションが改善されると同時に、自分自身のマネジメントスキルのよき訓練になっている感じています。具体的さが要求されること=自らが具体的に仕事の完成図・スケジュールについてのイメージを持っている必要があることからあやふやなイメージでは相手に仕事を振れず、イメージを明確にしておくべきことの大切さを学んでいます。