ロシア人スタッフ向けのスキルアップ研修を計画するにあたって、何度かロシア人のトレーニングコーチとエージェントのロシア会社の社長と面談を設定して内容を事前協議している。
その中で聞くのは、日本企業で見られる傾向として日本人マネジメントはスタッフにもっと意見を持ってきてもらいたい、提案をしてもらいたい、という希望とスタッフへの物足りなさがある。一方でロシア人は決して自分の意見を持っていないわけではない。いい意見を持っているんだ、と。ただ、日本人は沈黙が多いこともあり、何を考えているんだか分からなくなり、ロシア人は仕舞いには自分の意見を言うことを躊躇するようになって口をつぐんでしまうということ。なぜならば、日本人マネジメントが黙っている、あるいは反応の意味がよく分からないために自分の発言がプラスに取られているのか、ネガティブに取られているのか分からなくなってしまうからだそうだ。
ロシア人だけの会議を観察していると、ロシア人はとても活発でとにかくようしゃべること。彼らと会議をしていても、よく発言してくれるのは嬉しいのだけど論点がずれることもあり、彼らはそんな話をまた楽しんでいる。一方のこちらは時間も限られており、結論を急ぐあまりにそういった時として必要な無駄にかける時間を極力減らしたいと考えてしまう。そのバランスのとり方が難しいな…といつも悩みつつその時々のベストを探っています。以前、ロシア人スタッフから会議に招集されたので参加するも、話を聞いていても一向に内容の方向性が見えず、思わず「一体何のために集まっているんだ?目的が分からない!」と苛立ちを抑えきれずに発言すると皆から失笑を買ってしまったことがありました。
会議はきっちり固めすぎず、かつ脱線しすぎず、ファシリテーターの役割が重要ですね。
日本人が黙っている、フィードバックがロシア人に伝わりにくいという点。会議は英語やロシア語、ということも手伝って、我々のように言語が決して堪能ではない人間にとってはただでさえ内容に入ってゆくのが奥手になりがち。かつ、日頃から自分の考えを第三者に表現する機会を決して多く得てきた人間ではないので気後れもします。また、相手にこういったら大丈夫かな?なんといえばベストかな?と常に相手のことを考えてから言語化する習慣がついており、それも日本語で考えてそれから英語あるいはロシア語にする。時間のかかる作業です。まず自分の考えを持つことは当然として、そこにきちんと発言してゆけるスキル、喜怒哀楽を自分で思っている以上に素直に表すことでスタッフにも私という人間を理解してもらいやすくなるはずでは?ロシアで勤務して数年も経ち日々怒ったり、笑ったり、喧嘩したり、少しずつ私生活のことや食べ物の好き嫌いも含めてコミュニケーションを繰り返していると、お互いに分かりあってきて摩擦も減ってきたかな、と感じている頃。上司と部下の立場上、一定の境界は必要だという認識は外さないものの、たわいもない差し障りの無いテーマだけに留まらず、人事の考え方、自分の将来の目標やポリシーなど、仕事を行うゆえでの行動の根幹となっている深いテーマについてもお互いに話し合ってゆく機会をもっととらえて仕事上でともに会社を発展できるパートナーとしての理解を一層高めてゆくことの必要性を感じる。
さて、セミナーで感じる日本人とロシア人の違い。
日本人。講師の説明のあとのQ&Aコーナー。「質問はありますか?」とファシリテーターの方から聞かれて出てくる質問の少なさ。そして、「では以上で本日のセミナーは終了です、ご出席いただきましてありがとうございました。」の後、講師に質問の列ができる。
ロシア人。どんな内容でも自社のみに関わる内容であっても、Q&Aの時間に根掘り葉掘り尋ねる傾向があるように感じる。分からなければさらに質問をかぶせてくる。そして他の聴衆はそれに付き合うはめに。セミナー後に何人も残って質問の列を作っている光景を見た記憶がない。
どちらが良い悪いではなく、何に重きを置くかのアプローチの違いが表れているんだろう。日本人のそれは自分の個人的な質問で他の人の時間を取ってはいかん、という他人思いの観点からの行動だと思う。全体の中で質問する恥ずかしさもあるのかもしれないけれど、やはり周りに気を配る精神は私たちの大切な特質です。自らの時間を有意義に使うために、周りを気にせず自分の質問を続けてセミナー後はとっとと帰る。これはこれでタイムマネジメントとしては素晴らしいのかもしれないけれど、あまりに個人的な内容は個別に、別の機会を見つけるなりして質問すべきだろう。ただし、私たちが個人的な質問と思っていることが、他の方々にとっても役立つ質問であることは実際に多いという事実があります。日本人は積極的にQ&Aの時間を用いて質問してゆくのがよいのではないでしょうか。 そもそも個人的な質問なのか自分の質問が他の人にも役立つのでは…などと考えている時点でとても日本人的な思考なんでしょうね。