ロシア人スタッフの息抜きのために / How to release stress from Russian colleagues

私はロシア人スタッフのすぐ近くに席があるので、彼らが何を話しているかが耳に入ってきます。出社してきたばかりの時間帯は「ねえねえ、今朝の地下鉄でこんな変な人がいたの、信じられる?」「昨晩のあのTV番組見た?最高だったよね」「昨日はスメタナをあえて作った料理がおいしくて…今日のお昼はどうしようか?自分で作ってきた?デリバリーを頼む?外に行こうか?」そんな和気あいあいとした定番のテーマが続きます。朝から元気で、もうお昼の話か、なんて幸せそうなんだ、と朝からきりきり舞いのこちらは羨ましく思うばかり。

仕事の時間ともなると色々とトラブルが生じます。お互いにミーティング時に合意していて進んでいると思っていたことが「いや、XXXさんからの情報待ちでした」とか「てっきりこうだと思っていました。」なんてことになるとどうしても気まずくなります。(どこまで部下を信頼して任せておくか、どのように上手にリマインドして正しい方向に向かっているかの確認をするか、いまだに勉強中の毎日です。)突き詰めてゆくとこちらが正しい証拠が残っているケースが多く相手を追及することもできますが、それは長い目でみると避けたほうがよいでしょう。こちらが同様のケースに陥ったときにしっかりとやり返されます。(議事録(протокол)を作成し、お互いに約束したタスクをメールで共有しておくことは有効です)

こちらもふつふつと感じている怒りを抑えて、今後の対応方針をできる限り冷静にスタッフと合意したあとはへこみすぎずに過去は仕方がない、この先で何とかするしかない、と気持ちを切り替え。…遠くのほうで当のスタッフが近くの同僚にこそこそと何かを話し始めたら、きっとそれは「なんで私が悪いのよ、XXXが(こういうときは“さん”があえて(?)省かれる。なによ、あいつは、というスタッフの感情が伝わってきます。なんだかその使い分けがときに愉快でもあります。また、スタッフ同士も冗談で「Maria san」「Elena san」とロシア人スタッフ同士で使いあっていたり。)悪いのよ、ぶつぶつ…」と鬱憤を吐き出しているところ。そのあとまた業務に戻ってくれればOK.そんな光景は見て見ぬふり。むしろストレスを溜めない発散方法のようです。しばらく文句が続いている様子を見る時にはさすがにこちらも「いい加減にしないか!もうその件は話し合ったからそれで十分だろう。」と言ってしまう、いや、言うようにしていますが、そう気持ちのよいものではありません。ただ、自由に発言できることが許されている中にも部下としてのけじめ、制限があることは誰もが覚えていなければなりません。当初は経験もない中での指摘は挑戦でもありましたが、それだけは部下に対して態度で示しています。

さて、他にも重要なことと考えているのはこの点です。スタッフのためにも、会議などが無い日には自分のデスクにいる時間が長くなりそうなとき、あえて自分がいない時間帯を作ってあげて、自由に言いたい放題言える時間を作り出すことがスタッフの息抜きに大切なことだ、ということ。どうしても上司である私が近くにいると思うとスタッフはこそこそと話を始めます。とりわけロシア人女性にとっては話すことが大切。(といってもこれは全世界の女性に共通していることと今では確信していますがいかに。)

思ったことをすぐに口に出す傾向があるロシア人スタッフ。それが口論の原因になることが実際多いのですが、その分ストレスを溜めにくくする効用があるのは確かなんでしょう。(日本人はどうしても我慢しようとする傾向があるので、我慢強いことは美徳ですが、苦しい時には外に吐き出すことは、とりわけストレスがたまりやすい駐在生活では大切なことです。)

採用面接にきたイケメンの男性がいると「見た?あのかっこいい人?(人事スタッフに向かって)どう、面談結果はよかった?(ダメ、との答えに)なんでよ?なんであんなかっこいい人を採用しないのよ?」と盛り上がったり、「給料日いつ?もうお金がない!早く給料日がきますように!」―本当に自由に生きているな…と思うときがあります。

あくまで個人的な感覚でロシアでの経験からしか語れませんが、生活が苦しい環境で暮らす人々ほど、冗談の文化が発展しているような気がしています。ロシアはアネクドート(анекдот)と呼ばれる有名な小話の文化がありますが、インターネットを見ていても現代版の小話が随時更新されているようです。苦しい環境になればなるほど、自虐的に自分のことを笑って楽しむ、他の発展した国のことを滑稽に表現して笑って過ごす、そんな生活上の知恵が大切なのかもしれません。

誰もが正しくもあり正しくないときにどう行動するか? / When everyone thinks I am right but not always true – How to manage them?

誰もが言っていることが正しいのだけれど、それが必ずしも正しくないとき。そのときがマネジメントとしての力量が試されるときではないでしょうか?

例えば其の一

ロシアでは従業員は退職日の2週間前に雇用主に退職願を出すことで退職して去ってゆくことが可能です。雇い主としてはその2週間後までに後任を見つけることは非常に難しいです。2週間の間に未整備であった引継ぎ事項マニュアルを書き出してもらい、急いで人材紹介会社に人材紹介をお願いしたのちは日々電話をかけて「候補者は見つかりましたか?」と問い続ける。面接を繰り返すもそう欲しい人材にすぐに巡り合えることは決して簡単なことではありません。そうして2週間が経った後は、残ったスタッフに後任が見つかるまでは抜けたスタッフの分の仕事を一時的にカバーしてくれるようにお願いするしかありません。

「それは私のJob Descriptionには書いてありません。もし追加の業務をするのであればその分の給与を払ってください。」そんなことを言うスタッフもいました。字義どおりに捉えるとそれは正しいことであり批判することができません。しかし、もしそれで「はい、分かりました」となれば、今度はこれまで長期で病気になっていたスタッフの分を文句言わずにカバーしてくれていた他のスタッフへの対価支払いはなぜ支払わなかったのか?何も言われなかったから考えずにいたのか?どうしても時としてお願いせざるを得ない緊急の仕事への対価支払いは?…考え出すときりがなくなります。

こういった風にJob Descriptionを持ち出して自らの業務以外のことを拒否するスタッフは幸いにも決して多くないはずです。どれだけ他のスタッフの心をつかんでおくことができるか、彼らにうまく入ってもらって説得してもらえるのか。また、彼らを束ねるロシア人マネジャーのサポートをどれだけもらえるか、日頃からの関係づくりが重要であるかを感じる瞬間です。また、お互いが困っているときに相手をサポートし合おう、という雰囲気を会社文化として気づき上げることができるのであれば、徐々に、時間はかかりますが、その文化になじめないスタッフは淘汰されてゆく…経験からそう感じています。そしてその過程で苦しんでいる間は先が見えないもの。もがき続けながら多くの場数を経験し、人間としても成長してゆく — それが唯一の先を切り開く道の気がしています。多くの賢人の方々がおっしゃっている通りだなと、深く頷いています。

例えば其の二

こちらはお客さんの要望どおりに商品を指定された住所に出荷をして引き渡したものの、相手会社内の理由で送り先アドレスが2つに分かれていた場合。私たちの商品引き渡し状には一つの届け先住所に全数量が掲載されていることから相手側の倉庫スタッフは数量が違う、といってクレームが届く。いや、それはおたくの社内の問題でしょう、私たちとの契約書には届け先住所は一つしか載っていないのだから。でも、今度は私たちの側の問題もあり、クレームへの回答が出来ていなかった。契約書を見ると「クレームに対する回答を10日間以内に行わなかった場合にはクレームに合意したこととみなす」との条項があり、相手はそこを突いてくる。私たちの側:(経理、物流)私たちは契約書通りにミスなく処理をしていて、なぜ相手のクレームを認めたことにしなければならないのか?私たちは悪くない!(営業スタッフ)経理・物流スタッフと相手会社との間でどうしてよいのか分からない…。相手の会社はこの件を理由に支払いをしてこない。支払いがなければ売掛金の滞留扱いとなり私たちも次の出荷を止めざるを得ない。そんな悪循環に。誰もが苦笑いして「なんでこんな単純なことの解決にこれだけの時間がかかるの?」と。

誰もが正しいのだけど、それではどうしようもないとき。実務上はこんなケースがどの会社でも多いのではないでしょうか?

そんな時に全員を集めて話し合い、命令をして指示を強制的に聞いてもらうのか、うまく説得できるように協調的な姿勢で臨むのか、多少は頓珍漢なことを言いながら、部下に軽くあしらわれながら「分かったわよ、私がやるからまかせて」と言わせることができるか。やり方はそのとき、相手の性格、状況によってあらゆる方法が正解となりえますが目的はただ一つ、現状の問題を速やかに解決すること。日頃からのコミュニケーションで培ってきた関係性が力を発揮するところと思われます。

こんなこと当事者間で解決してよ…と言いたくもなるのですが、こういった日々起こる些細なできことから学ぶマネジメント方法への経験が多くあります。

体調がすぐれないとき、でも仕事にゆかなくては / Being ill, but when you have to go to work

気温の寒暖差も激しいモスクワ。どうしても体調不良のときがやってきます。今年の冬は幸いにも今のところ風邪も引かず元気にやっていますが、この週末は土曜日の晩に食べた魚が悪かったのか軽い食中毒になってしまったようでお腹の調子がひどく、手にもしびれが残った状態がずっと続きました。日曜日はずっと眠り込むことに。せっかくの貴重な日曜日が…。こんな状態で月曜日を迎える時の心境について書き出してみました。

体調が完全にダメなとき。

ひたすら寝る以外に方法がないです。病院にいって診察を受け、薬をもらう、というのもありますが、ここではあくまで自宅療養を念頭に置いて書いています。

体調がダメなんだけど決して動けないわけではないとき、でも余裕があれば休みたいとき。

多くの場合、休める余裕がないことがほとんど。決して自分がいなければ会社の事務は回らない、自分が何とかしなければ!などという過度な自意識はないものの、現実的に起こる、規定では定めきれない日常のあらゆる問題を解決するにあたっては自分自身がいなければ不都合が起こることも生じます。そんな時でも、いかに今日休めるかの理屈を頭の中で考えだします。携帯で今日の予定をチェックし、「OK,今日は来客もない、社内会議のみだから何とかなるだろう」「仕掛事項も明日以降に延ばせば何とか今日は問題ないだろうか」と、可能な理由を頭の中でぽかぽかと浮かび上がらせてゆきます。そして「あと10分寝よう、そうすれば少しは気分もすぐれるだろうか」目覚ましがなると再び「いや、あともう10分…」と。そして仕舞いにはもうこれ以上決断を遅らせることができない時間がやってきます。そして、そんな日にどうしてもオフィスに行かざるをえない事情が起こったり。

「よし、半日だけでもいこう、それでダメであれば帰ろう」、そう思って準備をしてオフィスへ。今日という日は100点は無理なので、頑張って80点が取れればよいではないか、という気持ちで。このダメな日にどれだけ最低限の合格点でまとめきれるか、それだけを心に考えて…。

まずは動き出す

この体調がすぐれないんだけれども、決して身体が動かないわけではない、動けるのであれば動きたい、そんなときは、自分の気持ちの在り方に強く依存されるな、といつも感じます。昔母親世代の女性から一言いただいたアドバイスを頭に焼き付けています。「どうしてもやる気が起こらないことがあるでしょう。その時はね、とにかく動くことよ!動いてみるとだんだん身体が動き出してくるから、とにかくダメなときには動いてみなさい!」と。この女性はずっと女手一つで娘さんを育ててきたたくましい女性で、その笑顔で語っていたこのアドバイスには非常に説得力がありました。そう、「えいや」と気持ちを決めて起き出し、まずは動き出す。少しでもよいから動いてみよう、それから考えよう」とポジティブに動けば、自然と身体がリズムに乗って何とか一日を切り抜けることができる。身体も動いていると調子が上向いてくるのか身体の違和感もなくなってくる。「今日はやっぱりだめだ…」という気持ちが強くなると、やっぱり身体もダメになってひどいときにはさらに体調が悪くなってしまうことも。体調が悪いことだけに注意してしまってもよろしくないようで、体調が悪い状態でありつつも仕事に集中することで痛みを少しは忘れることができる。人の心は不思議で強いパワーを持つんだな、と感じさせてくれます。

今日も何とか乗り切りましたが、体調不良のときには休息をとるのが一番です…。そして休息を取れるようにロシア人スタッフと業務を共有し、仕事の理解をしてもらい、会社を担ってもらえるようにすること。まだ長い道のりですが、それを目指して日々励んでいます。 ただ、風邪をひき、周りにうつしてしまいかねないときにはもちろん仕事の影響も重要ですが、周りへの風邪をうつしてしまいかねない悪影響を最優先に考えています。そして、体調がすぐれないときほど日本食のありがたみを強く感じます。

[VBA] VBA学習から得られるもの / Benefit to learn VBA

VBA学習の際、謙虚さが重要。先週末は4時間パソコンとにらめっこして色々試してみるものの進展なし。翌日はやり方を変更。3時間でそれなりの形にもってゆくことができた。

インターネット上にあらゆる種類のサンプルが準備されている。まずは素直にサンプルに従って一度コードを書いて動かしてみる。それから少しずつ自分の欲する形にできるように変化をつけ、テストしてどのようにプログラムが動くのかを見ること。そうやって経験値を積むことが、一見すると遠回りに思えるこの道が一番必要なプロセスなのではないだろうか、とそう思う。

私はプログラミング、という点ではド素人でまったく詳しくないところから始めた段階なのでまだまだ分からないことが多いのだけれど、こんな面白いものがあるのかぁ、と久々にワクワクするものを見つけたような、そんな気持ちにさせてくれます。

自分で何かを作る楽しみ、それが自分の希望通りに動くこと、業務の効率化に役立ち、周りの皆に喜んでもらえる。モノを作るとなると材料を揃えるところから始めなくてはならないけれど、VBAはパソコンさえあればいつでもどこでもOK。

上手くいかないことのほうがまだまだ多くて挫折したくなるんだけれど、これができたら周りのスタッフに喜んでもらえるはず、もっと業務を効率化できるはず、と考えて何とか踏みとどまっています。

また、プログラミングは論理的思考(Logical thinking)を鍛える上でも役立っていると感じています。もしXXXであればYYY、そうでなければZZZなど、正確に論理立てて書かなければ動いてくれない、一つ言葉が間違っていても全く別物とシステムは判断して書いたプログラムが動いてくれない。人間であれば多少間違って発音しても相手は推察して理解してくれるのに…。それはそれで時にイライラすることもあります。

また、一つの目的にに対して異なるアプローチがあり、幾つもやり方がある中でどのようにプログラミングするか、そこに人の経験や性格が表れる、そんなことも見て取れるのが面白いなぁと感じています。なかなか年を取ってくると、新しいことにゼロから取り組むことがおっくうになってきて、手を出しづらくなるのが一般的でしょうか、そうしたことから少しでも離れていて、いつも新しいことにオープンでいることの大切さをVBA学習を通して学んでいます。以前であれば全く分からなくて難しいと感じていたことも、毎日継続して続けることで自然とその難しさのハードルが下がっているように思えてくること、それもまた喜びのひと時です。

ロシア人スタッフはクリエイティブ? / Russian colleagues are creative?

ロシア人スタッフ向けのスキルアップ研修を計画するにあたって、何度かロシア人のトレーニングコーチとエージェントのロシア会社の社長と面談を設定して内容を事前協議している。 

その中で聞くのは、日本企業で見られる傾向として日本人マネジメントはスタッフにもっと意見を持ってきてもらいたい、提案をしてもらいたい、という希望とスタッフへの物足りなさがある。一方でロシア人は決して自分の意見を持っていないわけではない。いい意見を持っているんだ、と。ただ、日本人は沈黙が多いこともあり、何を考えているんだか分からなくなり、ロシア人は仕舞いには自分の意見を言うことを躊躇するようになって口をつぐんでしまうということ。なぜならば、日本人マネジメントが黙っている、あるいは反応の意味がよく分からないために自分の発言がプラスに取られているのか、ネガティブに取られているのか分からなくなってしまうからだそうだ。

ロシア人だけの会議を観察していると、ロシア人はとても活発でとにかくようしゃべること。彼らと会議をしていても、よく発言してくれるのは嬉しいのだけど論点がずれることもあり、彼らはそんな話をまた楽しんでいる。一方のこちらは時間も限られており、結論を急ぐあまりにそういった時として必要な無駄にかける時間を極力減らしたいと考えてしまう。そのバランスのとり方が難しいな…といつも悩みつつその時々のベストを探っています。以前、ロシア人スタッフから会議に招集されたので参加するも、話を聞いていても一向に内容の方向性が見えず、思わず「一体何のために集まっているんだ?目的が分からない!」と苛立ちを抑えきれずに発言すると皆から失笑を買ってしまったことがありました。

会議はきっちり固めすぎず、かつ脱線しすぎず、ファシリテーターの役割が重要ですね。 

日本人が黙っている、フィードバックがロシア人に伝わりにくいという点。会議は英語やロシア語、ということも手伝って、我々のように言語が決して堪能ではない人間にとってはただでさえ内容に入ってゆくのが奥手になりがち。かつ、日頃から自分の考えを第三者に表現する機会を決して多く得てきた人間ではないので気後れもします。また、相手にこういったら大丈夫かな?なんといえばベストかな?と常に相手のことを考えてから言語化する習慣がついており、それも日本語で考えてそれから英語あるいはロシア語にする。時間のかかる作業です。まず自分の考えを持つことは当然として、そこにきちんと発言してゆけるスキル、喜怒哀楽を自分で思っている以上に素直に表すことでスタッフにも私という人間を理解してもらいやすくなるはずでは?ロシアで勤務して数年も経ち日々怒ったり、笑ったり、喧嘩したり、少しずつ私生活のことや食べ物の好き嫌いも含めてコミュニケーションを繰り返していると、お互いに分かりあってきて摩擦も減ってきたかな、と感じている頃。上司と部下の立場上、一定の境界は必要だという認識は外さないものの、たわいもない差し障りの無いテーマだけに留まらず、人事の考え方、自分の将来の目標やポリシーなど、仕事を行うゆえでの行動の根幹となっている深いテーマについてもお互いに話し合ってゆく機会をもっととらえて仕事上でともに会社を発展できるパートナーとしての理解を一層高めてゆくことの必要性を感じる。 

さて、セミナーで感じる日本人とロシア人の違い。

日本人。講師の説明のあとのQ&Aコーナー。「質問はありますか?」とファシリテーターの方から聞かれて出てくる質問の少なさ。そして、「では以上で本日のセミナーは終了です、ご出席いただきましてありがとうございました。」の後、講師に質問の列ができる。 

ロシア人。どんな内容でも自社のみに関わる内容であっても、Q&Aの時間に根掘り葉掘り尋ねる傾向があるように感じる。分からなければさらに質問をかぶせてくる。そして他の聴衆はそれに付き合うはめに。セミナー後に何人も残って質問の列を作っている光景を見た記憶がない。 

どちらが良い悪いではなく、何に重きを置くかのアプローチの違いが表れているんだろう。日本人のそれは自分の個人的な質問で他の人の時間を取ってはいかん、という他人思いの観点からの行動だと思う。全体の中で質問する恥ずかしさもあるのかもしれないけれど、やはり周りに気を配る精神は私たちの大切な特質です。自らの時間を有意義に使うために、周りを気にせず自分の質問を続けてセミナー後はとっとと帰る。これはこれでタイムマネジメントとしては素晴らしいのかもしれないけれど、あまりに個人的な内容は個別に、別の機会を見つけるなりして質問すべきだろう。ただし、私たちが個人的な質問と思っていることが、他の方々にとっても役立つ質問であることは実際に多いという事実があります。日本人は積極的にQ&Aの時間を用いて質問してゆくのがよいのではないでしょうか。 そもそも個人的な質問なのか自分の質問が他の人にも役立つのでは…などと考えている時点でとても日本人的な思考なんでしょうね。

ブログを書くことのプラス / Benefit to keep writing blog

昨日はブログを書いている途中で気が付いたら眠ってしまい夜中の3時。約1か月何とか続いていた日々更新が途絶えてしまった。今の生活環境でどうしても毎日更新は難しいこともあり、厳格に必ず毎日、とは言わないまでもできるだけこのペースは守ってゆきたい、と静かな熱意を心に秘めています(少なくともロシアにいる間は)。なぜなら、ブログを書くことで受けるメリットが重要であることに気が付いたからです。

1.日常生活のTime managementの意識向上・行動改善

(今は晩の時間に記事を書いているのですが)今日必ず一つブログの記事をUpする、と意識すると、かつては仕事の後にだらけてしまっていた晩の時間の過ごし方が変わりました。締め切りの意識があるため、リラックスする時間を取りつつも、やるべきこととの間に明確にメリハリのある生活に変わりました。

2.自分の考えを思いめぐらす時間

書くことで、自分が何を考えているのかを頭の中で思いめぐらし、考えを整理する時間となっています。これは確かに大切なことだな、とよく感じています。大学生の最終年度頃よりずっとノートに自分の考えを書き連ねてきましたが、それと同じ効果を感じています。今でも自分の手で書くことが好きで、この類をITで行うことは好きではないものの、ブログを公開するのにIT無くしてはどうにもならず、ノートとブログを使い分けています。

3.勉強して自分の知識の曖昧さを精錬するよい機会

ロシアで学んだ経験を少しでも多くの人と共有できればきっと役に立つのではないか、と思って書き始めたブログ。書くとなると嘘は書けず、自分でこうだ、と思っていたことも再度チェックするよい機会となっています。率直に言えば、いかに自分が知らないことが多いか、数年すでにここで働いているのにこんなことも知らなかったのか…と悲しくなることが多くあります。

また、意識してロシア語・英語の単語情報にも触れるようにすることで、自分自身の語学力向上にも役立っている?気がしています。

4.自分の身の回りに対してこれまで以上の注意を向けるようになったこと

毎日書こう、写真をUpしよう、と思うと、日々出会う身の回りのことに自然と目を向けるようになりました。自分の抱えていることだけではなくて、こんなこともブログに書けば面白いのではないか、喜んでもらえるのではないか?そんな風に思うと日々の行動にもプラスの影響を与えてくれています。

5.行動する意欲を与えてくれる

日々、仕事で疲れ切ってしまいどうにもゆっくり休みたい、週末はもう少し長く(無駄に)ゴロっとしていたい、と思うことも多いのが事実なのですが、今日行動すれば何か新しい出会いがあるのでは?何か面白いことを発見できるのでは?今後それが何かに役立つのでは?-そんなことを考えさせてくれる機会となっています。そうすると次の一歩を踏み出す行動力を与えてくれる、そんな効用も感じています。

あとは、改めて自分自身が何かを書くこと自体が好きなんだな、ということを再認識する機会となりました。書いて自分の考えを検証する、実際に試してみる、その反省をまた書き出して整理する、そんなことを繰り返して自己成長を…そのためにも書くことの価値を感じています。

ロシアのワークバランスは38か国中でTOP9だけど(OECD統計)

日経ビジネスの記事、“「ワークライフバランス」は本当に人を幸せにするか“で日本について語られている中に掲載されていたグラフに載っていたロシアの文字を見て、「おっ、ロシアが38か国中9位?」と目に留まりました。

元データを見ると、取り上げていたグラフは、OECD(Organization for Economic Co-operation and Development、経済協力開発機構)のBetter Life Index 指標の一部を占めている、とはWork-Life Balanceデータから来ているらしい。

http://www.oecdbetterlifeindex.org/#/11111111111

http://www.oecdbetterlifeindex.org/topics/work-life-balance/

。このデータの内容はEmployees working long hours(仕事に費やす時間)とTime devoted to leisure and personal care(プライベートにかける時間)を基にランキングしており、まさにワークとライフのバランスを比較したもの。ロシアはこのWorking long hoursのランキングが調査対象国のうち第一位。”Only 0.2% of employees work very long hours, much less than the OECD average of 13%”(従業員のうちわずか0.2%のみが長時間労働しており、これはOECD加盟国の平均13%をずっと下回る)とのこと。このWorking long hoursの定義は、週に50時間以上働くことを基準にしているようです。

私の身の回りを見ると、9時ギリギリにやってきて18時の就業時間とともに”Good bye!”、”See you tomorrow!”、”До свидания!(さようなら)”といってサーっと帰っていくスタッフ、います。「私の今日の業務はすべて終わらせたし、仕事時間は18時まで。遅くまで残って仕事するのは仕事スキルが足りないのでは?私はこの後も自分の生活があるし、いつまでも残って仕事をしていられない。」そんなコメントを聞くと、そうだよな、まぁそうあるべきだよな、と。といってもさっと切り上げられるものではなく概ね平均すると、終業後1時間以内の範囲で残業をして帰宅するスタッフが大半であり、このWorking long hoursに当てはまるように継続して長時間労働を強いられているスタッフはほとんどいないと思えます。そう考えるとこの統計でロシアが高いランキングである点、理解できます。一方、同じように仕事にかける時間が少ないものの給与レベルが高い、ランキングトップを占めるオランダやデンマークなどと比べると一般ロシア人スタッフの給与レベルは大変低いものです。

給与を毎月貯金できているのだろうか?大半のスタッフは毎月のやりくりでやっとのはずです。スタッフは給与日になると「お金何時に入金されるの?」「あっ、給料が振り込まれた、やった!」という声がフロアから聞こえてくることあります。街中のATMも行列になっている光景を目にします。

給与レベルについては別の機会に書きたいと考えています。2018年の公式発表によるモスクワの平均給与は81,841RUB(本日現在の為替で136,400JPY)。これでも首都モスクワでの生活には安い気がしますが、この数値自体が一般市民の平均給与を上回っているような気がしてなりません。実際の感覚としてはこんなに高くないのでは?

МРОТ (минимальный размер месячной оплаты труда、ムロトゥ)とよばれるロシア労働法133条で定められた雇用者が支払うべきモスクワの最低月給額の公示額は2019年より18,781RUB(同上31,300JPY)となっています。一体これで何ができるのでしょうか…ちなみに、本日入ってみたお酒屋さんでサントリーウィスキー山崎が約9,000RUBで販売されていました。 ワークライフバランスは人を幸せにするのか?少なくとも、労働時間が短いことだけを取ってみてもその国の幸福度を評価するには難しいということでしょうね。でもロシア人スタッフが毎日ワイワイガヤガヤ楽しそうに職場での時間、お昼の時間をみなで楽しんでいる姿を見ると、なんだか幸福度は日本人より高いのでは?と思えるときもあるのです。

Detailへのこだわりー一長一短 / Stick to detail – pros and cons

この週末は青空が広がるとてもすてきな日中の陽気となりました。もちろんまだコートは必要ですが、風が優しかったです。地下から一時的にモスクワ川の上を走る地下鉄の上から眺めるロシア連邦政府庁舎のWhite house(белый дом)を眺めて。印象深いエリツィン大統領が命じてこの建物に戦車での砲撃をしたのが1993年10月。数えてみるとすでに25年以上が経っているのですね…。今でもこの建物近くには当時を物語る新聞記事が貼られたボードや、犠牲者と思われる方々への記念碑が立っています。

取引先のロシア企業のロシア人マネジャーと日本の話題になった。その方が言うには、日本はDetailへのこだわりが素晴らしい、ということ。以前に日本で生産された日本車とロシアで生産された日本メーカーの車とではDetailが異なる、とか。「自分でも確認したんだが、日本で製造された車は部品パーツを取り外すと、中に埋もれていた、外すまで見えなかった部分にまで色が塗ってある(手が施されている?)。ところがロシアで生産された日本メーカーの車となると、そうはいかなかった。」(ロシア語での会話を完全に理解できなかったため意訳になっています)

生産場所がロシアと日本とでは、コストや長年培われてきた職人技、経験なども異なるであろうし、その土地によって製造過程が異なることはあるでしょう、ここでこの方が言いたかったのは、「(自分の国民を若干自嘲的に見て)日本人はそこまで細かいところまで徹底してこだわる素晴らしい国民だ」ということ。

このDetailにこだわるレベルは、まさにロシア人スタッフと日本人会社員とで大きな差となって表れる部分だと思われます。数値資料のわずかな小数点以下の誤差、エクセル資料の罫線がが抜けていたり、ロシア語と日本語併記の資料段落がずれていたり、資料を綴じる際にファイリング用の穴を開ける位置がずれていて資料があまり見栄えよろしくなく閉じられていたり。作成資料を相手に送る際には、状況にもよりますが印刷プレビューで印刷範囲にきちんと収まることを確認してから送付すること、職場を後にするときの机の上の汚さなど…。どれもひとつずつ注意してゆかなければなかなか改善されない人もいます。決してロシア人全員がこうだ、とは言いません。中には素晴らしいロシア人女性スタッフもいて、整理整頓、他人への思いやりなどに富んだ彼女曰く、「親の教育の問題だ」とのことですがいかに?

Detailへのこだわり度合がロシア人と日本人とで異なる…と言ってもここに挙げたものはどれも当たり前のことと考えていますがいかがでしょうか、日本でも同様の状況に遭うことはあり、決して国民の違いに依るものではなく個人の問題?ただ、もちろん個人とは言い切れないものがあると思います。

例えば資料作成の際に体裁のこだわる姿勢。これも相手を想う気持ちがあってのことではないでしょうか、誰かがこの資料を見る時に見やすいようにしよう、相手が印刷したいときに時間と紙を無駄にしないようにあらかじめ印刷レンジを確認しておこう、など。一歩先を読んだ行動をしようと心がける。日本人として育ってきて、このような感覚を育む環境で生活してきたことは大きな宝物です。相手を想う自然な気持ちからの配慮。それが過度にルールとして厳格に適用されるときにもてなす側が疲弊する、そんな人に義務的に想われても逆に嫌な気分になる被害者。そんな状況が今日本でおもてなしの精神の危機として叫ばれているのかもしれません。

さて、来年度の予算計画を作成の際、ロシア人スタッフから「これだけ時間をかけて厳密に作成しても、それがどれだけ意味があるのか分からない…」言われてしまいました。彼女の言わんとしていることはよく分かります。毎年のように増える、求められる報告事項も増えるレポート達。どんなに業務改善をしても一向に出口が見えない…自分は成長しているはずなんだが、なぜこうも忙しいのだろう、誰しもがそんなことを思うこと、あるはずです。ただレポートを作成すると、準備の過程で数値の背景や自分の考えを精査するよい機会となり納得感が高まります。私はレポート作成に費やす時間を決して好きとは言えませんが、今でも重ねる失敗を経て、レポート作成にきちんとこだわることの重要さを噛みしめています。Detailを詰めることで自分の把握力が高まること、今後の毎月の業績レポートの中で計画との差異説明を要求されるときに答えやすくなる、さらにExcelスキルを高めるチャンスと思っていれば、総合的にみると無駄なことはないと感じています。

突発的に起こる大きな課題もあります、そんなときに資料のDetailにこだわっている、なんてことはできませんし、必ずしもすべてのレポートに全力投球ともゆきません。各々の場面で重要性・緊急性のPriorityを正しく付ける能力と的確に処理できる能力を鍛えることの大切さをロシア人スタッフから学んでいるところです。ソヴィエト連邦崩壊、1998年・2014年のロシア危機、そんな状況を経験してきたロシアの人々。金銭的にも自然環境も厳しい生活環境、低い給与レベルの中でもたくましく生きるロシアの人々。力強いです。

Kids向けテレビ番組でロシア語学習 / Learning Russian by watching TV for kids

モスクワの地下鉄車両内にて。最近は車内が明かるい新しいモデルの車両が増えていますが、この古いタイプではライトも弱く、乗客の黒基調の色合いも手伝ってより暗い雰囲気を醸し出しています。

ロシア語やロシアカルチャーの勉強にテレビが役立つと感じています。日本でもロシアでもテレビを全く見ない生活をずっと続けていましたが、テレビは今の社会のトレンドを表しているというのはどこの国でも同じでしょうか。テレビを観ると、その言語が持つリズム、音程などの音楽性を感じ取ることができること。さらにどのように感情表現をするのかといった人間性も学べるのがよいですね。

またKids用の番組は健全な内容ですし、言葉も多少は分かりやすく(Nativeではない我々にとってはいずれにしても難しいですが…)、子供向けに世の中のことを教えてくれる内容になっているように思えます。たとえば、今日見ていた番組では、ヘリコプターがなぜ地上から浮かぶのか、その理屈を番組内で説明していました。

参考Link:http://viks.tv/tv_detskie_kanaly

今の子供たちは、自分の子供の頃とは全く異なります。知り合いの家族の子供も誰もかまってくれなくてわめきだすと、親が「カーチャ、これを観ていなさい」と言って親がスマートフォンで子供向けのムービーを再生します。するとカーチャも静かになって、映像を観て一人で楽しんでいる-本当に時代が変わりました。日本のアニメもとても人気です。問題は、ゆっくりとテレビを観ている時間が無く、仕事に追われてしまう毎日ですが、貴重なロシアでの生活なので少しでも素のロシアに触れる機会を増やしてゆけるように毎日の業務改善に励んでいるところです。

ところで、いつも言葉と人の脳の造りについて不思議に思う点があります。「言葉を認識する方法(脳の仕組み)は各言語で異なるのだろうか?ということです。たとえば、Kids向けに”карусель(カルセーリ)”(Merry-go-round)という番組があるのですが、このカルセーリ(ロシア語のアクセントは後半)、独特な響きですのでアクセントの位置が間違っていてもこの言葉を何とか言えれば伝わるでしょう、と思いきや“カールセリ”とロシア人に何度言っても伝わりませんでした。ようやく「あ~カルセーリ!」と最後には分かってもらえたのですが、言葉を認識する脳のプロセスがどうなっているのか?面白いですね。各人の能力にも依るのかもしれませんが…。

日本語で言えば、例えば、柿(хурума)なのか牡蠣(устрица)なのか、辰(дракон)なのか立つ(стоять)なのか、言葉で書けばすぐ分かるのにイントネーションの違いで異なる意味になる、それが間違いなのかは会話の場合は文脈から把握する必要があるような場合と同様の現象なのかもしれません。

また、好き好んで利用しているNetflix。このKids用の番組メニューも多種多様です。ロシア版Netflixではロシア語でセリフを聞くことができます。素晴らしいのはセリフを常に英語・ロシア語字幕で出せること。ロシア語を聞いて英語で確認する、その逆もOK。Netflixもただ鑑賞するだけでなく語学学習に大いに役立っています。

完璧な正解のないロシア人スタッフの時間管理 / No perfect answer to the proper time control of Russian colleagues

市場の中で見つけた行列の絶えないパン屋さん。後ろに並んでいたおばちゃんが「私は昨日も来て、XXのパンが本当においしかったの。またきちゃったわ、そしてね、XXのパンも美味しいのよ、なかなかこういったものはないわよ。あのね…」と永遠に周りの人にこのパン屋さんをほめちぎっていました。こんな素敵なおばちゃんを最近のモスクワで見ることも少なくなったなぁ…。

モスクワにオフィスを構えている日系企業なら、誰もがスタッフの出勤時間の管理について多くの悩みを抱えている、抱えていた(問題に直面し解決し今に至る)であろうと想像します。

スタッフの時間を管理する立場として、難しさを感じる場面が多くあり、今でもまだ最善と思える方法を模索中です。1分であっても遅刻は遅刻。しかし、それでは交通事情の問題があるモスクワ郊外から遠く通ってくるスタッフにはかわいそう、事情を考慮してあげられないのかなどいろんな議論がありましたし、今でもあります。以前は累計遅刻が一定回数を超えたらボーナスカットなんてことも。

オフィスに入る際には、皆が入館証と入り口の電子機器にかざすので何時何分にオフィスに入ったかが分かります。遅刻してきたスタッフは入館証をあえてかざさない者もいて「今日は忘れてしまったので受付にドアを開けてもらった」という言い訳や「一緒に出社した同僚が開けてくれたのでそのまま入ってしまった」などというケースも起こりえます。データ上は遅刻せずにオフィスに入っているのだけど一向に席にやってくる様子がない。オフィスに入ってからそのままコーヒー、お茶を飲みながら同僚と話し込んでいる、なんてこともありました。その内容にもよりますが、席にいないからといって仕事をしていない、遅刻だ、とすぐに喚きたてないことが必要なんだなと。

他社の方と話をしたときには、「9時の始業時間の30分前ほどにはほとんど人がいない。ところが9時直前に一気にスタッフが遅刻せずに入ってきてみな仕事をしだすんだよな、不思議だよな」なんてことをおっしゃっていました。わが社のビジネスセンターでは、同じビルに入居する他の会社も同じ時間での始業なのでしょう、9時から10分前ほどの1階エレベータホールは大変な混雑となっています。私たちの会社スタッフもほぼ遅刻せずに出社してきます。しかし、中には「エレベータが混雑していて乗れなかったので少し遅刻してしまった、私は悪くない」という遅刻の言い訳を聞くこともあります。

早めにくれば余裕を持ってエレベータにも乗れてゆとりをもってオフィスに到着できるのになぜそうしないの?と聞けば、仕事の時間は9時からと決まっているから9時までにくればよいのだ、と。そう言われてしまうと言い返す言葉もなく、はい、その通りです、としか言えません。ロシア人の友人が働いているロシア企業では、遅刻した場合はその分残って仕事をするという運用だそうです。フレックスタイム制度にすれば遅刻の問題はなくなるのか?否、今度はばらばらにやってくるスタッフの勤務時間の管理が大変だ、朝から会議をしたいときに全員がそろわないのは困る、と意外にもマネジャーたちから否定的な意見が寄せられました。じゃあ、営業と管理部門とで勤務シフトを変化させたらどうか?と聞くと、いやそれは不公平だと。

労働契約書でも会社の就労時間は記載していますし、就業規則でも10分前には出社して仕事にゆとりをもってとりかかれる準備をしましょう、と明記しています。中には始業時間1時間前から来て仕事を始めるスタッフもいます、毎日9時ぴったりにくる人もいます。人の数だけ人の価値観がありますね。一昨年の秋口には、上期の評価として部下全員に「時間に対するその人の姿勢はその人の行動に表れる。遅刻というのはその人自身の仕事に対する取組みが欠けていることの現れでもあり、それはよく注意してみてゆきます」との趣旨を書いた資料をメールで全員に送り、後日各自と上期の面談をしたときのこと。「あれはひどい、一気に仕事のやる気をなくした、スタッフによく説明しないと問題だ」と言われてしまいました。それはそれで私の価値観を伝えたはずだったのですが、少々行き過ぎてしまったようでした。

実際、我々が会社に提供すべき時間は就業時間内と定められておりいかにその間に結果を出せるかがポイント。早めに来て遅くまで残って仕事をするようにとは一言も書かれていません。それでも日本での感覚からすると早めに来て、ある程度残って仕事をする、そんな姿が肯定的にとらえられているのが日本のビジネス文化でしょう。

なんだかんだ言ってもスタッフは始業時間までには出社してくるので、今は遅刻管理を厳密に自ら行うことはなくなりました。スタッフの数そのものが欠けている状況に直面し日々の仕事すら回らない状況を経験することが重なってからは、まずオフィスに来てくれる、それだけでも十分に感謝すべきなんだと考えるようになりました。自分が人間として成長しただけなのか、甘くなったのか分かりませんが、必要なスタッフが揃っていて、仕事をやってくれる、これは本当にありがたいことです。さて、話を戻し、遅刻データは人事スタッフが管理しているので、何か問題があった時には報告を受けるようにしています。また、我々は家庭の事情などで数時間遅刻する際には有給休暇を時間単位で取得できるような運用を許容して多少は柔軟な対応ができるようにとしています。お付き合いのあるロシア企業の中には、「交通事情も考慮した上でスタッフは時間に余裕を持って行動すべき。遅刻はあってはならないもの。私のスタッフが遅刻した場合にはペナルティとして評価に含めている」というロシア人社長の方もいらっしゃいます。こういった方は珍しいとは思いますが…。

一番カギとなるのはその会社のマネジメントがどのような方針を持っているか、それに対してどれだけ真剣に取り組むかでしょうか。それがその会社の時間管理に対する文化となってゆくはずです。9時以降もゆっくりとコーヒーを飲んでたわいもない会話をしていたり食事をしてるスタッフがいれば注意する、出社時間だけではなく、会議開始・終了時間も意識して余裕を持って行動すればスタッフも自ずとついてきます。注意すると何か言われるからいやだ、誰かに言わせよう、というのではなく、マネジメントである自らが間違いは間違いである、と発言し、また自らの姿勢でもって模範を示していくことが時間管理に限らず会社をよくしてゆくための長い道のりに思えるも正解なのだろうと感じています。日本では始業時間に厳しいにも関わらず、日々の仕事を終わらせる締切時間に対する認識が低いという事実に気づいてから今はこの点への取り組みに努力中です。この点はまた別の機会に書きたいと思っています。

何よりも一番の理想は人を管理することが必要なくなること。各自が仕事を楽しいと思い、仕事時間の開始・終わりに関係なく仕事に没頭し、仕事とプライベートの境がなくなること。管理社会から自律に基づく会社制度に向かって行ければ素晴らしい、実際にはそんな理想はなかなか難しいのですが、そんな風にわが社のスタッフもなってゆけるように何ができるのだろうか、といつも試行錯誤です。