日本を長いこと離れて、ロシアに住み、客観的に日本語を観察し、ロシア人とも会話する中で日本語表現について考えることが多くなりました。
~したいと思います。
よく見ることが多いYoutubeのチャンネルにしても、日本人の会議の場面でも、何度も、どこでも「~したいと思います」というフレーズをよく耳にします。「思う」、とは、~である、と発言者本人が断定はしないけれども、そう考えていますよ。ということであって、100%それを実行するか分かっていない場合ではないだろうか、と”思っている”のですが、どうでしょうか?
今、一般的に使用されている「~したいと思います。」というのは、それを100%実行する前のの場面です。この場合は、シンプルに「~をしてゆきます。」とはっきり述べるのが正しいのではないだろうか、と私は”思います。”
ちょっと、
ねえ、ちょっとちょっと、の声をかけるときのちょっとではなくて、少し何か違うんだよね、とか何か納得できないんだよな・・・、このちょっとねぇ…、でもありません。あまり意味もなく、言葉の間と間の沈黙を埋めるために使われるときのちょっと。そんな風に利用される機会が増えているのではないだろう。この”ちょっと”の意味が分からないです。
~だと……。
言葉の語尾が曖昧になる傾向があるのではないか、と感じます。最後まではっきり言い切ることを避ける人が多い気がしています。その分相手の言いたいこと、その人の言いたいことの確信度合を慮る必要が生じます。
日本語について考える中で、こう感じています — 言葉を少しでも多く表現することで丁寧の度合が増すのだろうか、と。そして断定を極力避ける。だから比較的日本語のメールは長くなるのかなあ、かつ何を言いたいのか分かりづらいのだ、とも。
日本の慣習ならではの、相手の気持ちを考えるが故の”考えすぎ”
ビジネスメールでは、「了解です。」で済むのに、これだと冷たく聞こえるから、
「了解です。ご苦労さまです。」だったり「かしこまりました。ありがとうございます。」
しまいには、「了解です、ご連絡に感謝いたします。またよろしくお願いいたします。」であったり、「かしこまりました。ご回答いたありがとうございました。次回も何卒よろしくお願いいたします。」徐々に長くなってゆく。そして、ありがとうございました、なのか、感謝いたします、がよいのか…考え出してしまう…
ロシア人スタッフのメールやり取りを見ていると、”Thank you”に”Thank you!” とExclamation markをつける。この”!”マークが多いなぁ、という印象です。これで受信者が少しは好意的に受け止めてくれるのであれば”!”をつけるのもありかもしれませんね。ただ、”!”に惑わされて、実際に本人のロシア人スタッフのところに行くと、面倒な顔で対応されることがあります。!が付いているといって騙されてはいけません。
メールという無機質な媒体でコミュニケーションをとるが故の人間の苦労。面倒なものが作り出されてしまいました。人間は科学の力で世界をどんどん便利にしていっているはずなのに、世の中をどんどん複雑にしていっているように感じてなりません。それに加えて、仕事を複雑化することが好きな社員がいるからたまったものではありません。仕事もコミュニケーションもシンプルに。