日々の業務で自分の感情が高まる場面があります。その理由がなぜか?自分自身でその時の状況とその時の感情をノート(OneNoteやEvernoteといったオンラインのノートブック、メモ帳も活用)につけることが役立っています。
そうすると、なぜこの時に自分はイラっとしたのだろうか、なぜこういった時に自分は嬉しいと感じたのだろうか、徐々に自分の中での価値基準が見える化できてきます。そして、同様のことを他の人にした時にはきっと彼らも同様な気持ちを抱いているのではないか、と思えるようになります。
一つ一つの相手の感情を気にしすぎていると、逆に自分のの動きがとれなくなってしまう恐れがありますが、それだけ相手の気持ちも推察することが出来たうえで自分の行動ができるとすれば、損することはないのではないかと思います。
私自身がイラっとすることの多くは、とりわけ私の時間を意味もなく取られることです。その会話によって仕事への集中が阻害されること。電話がくること。別に必ずしも電話でなく、SMSでも問題ないのでは、と思います。自分の集中を切らされることに非常に敏感です。そんなわけで人の足音も気になります。歩き方一つをとっても周りに圧迫感を感じさせる人もいれば、ただただうるさい人もいる、歩き方にも人それぞれの個性が表れていて面白くもあります。人の業務中にどかどかとやってきて話し出す人。考えもなくとめどなく話されても困ります。その人の時間に対する意識がその人の行動、態度に表れているようです。言うまでもなく、延々と続く会議も非常に嫌悪します。
大切だな、と思っているのは、自分がどういった場面で感情のパルスを乱されるのか、毎回記憶しておくことです。今年の冬、モスクワ郊外の英雄都市Tulaからモスクワに帰る電車の中で私がテーブル上にパソコンを置いて仕事をしていると、ご老人がのぞいてきて、お~Interestingだ、なんだこれは、стажер(学生)か?、と尋ねてきました。いや違います。何ですか?と笑いながらロシア語で返すも、シトー(What)?と顔をしかめて何を言っているかわからない、と一点張り。そちらから声をかけてきて、こちらも間違ったロシア語で返しているわけではないのに。しかめつらで全く理解ができない様子。単に耳が遠いのかもしれないですが、このようなやり取りは疲れも手伝ってイライラさせられました。それはないですよね。こちらはパソコンに向かって集中していたところを邪魔されて、それでその態度ですか…と。イラっとします。
そんなちょっとしたことでも、あっ、相手に聞き返すときにしか目面をすることが相手にこれだけ嫌な感情を与えるのか…自分はやってはならない。という教訓となります。そんな日々の積み重ねを重ねて、記録し、振り返ることで日々の地道な前進があるのでしょう。
それにしてもやっぱり完璧主義は絶対よくありません。自分で疲れてしまいます。自分に独りよがりの期待値を上げてしまい、精神を病んでしまってはどうしようもないと思いますので…。時分自身への期待値を過度に高めないこと。自分の中で今の自分に相応しい負荷レベルを見つけ、それを徐々に高めてゆくこと。日々これの繰り返しでしかないと思います、自分の成長というのは。この相応しい負荷のバランスを見つけることも難しく、これもまた日々自分で負荷のかけ具合をかえてゆくことでしか自分の現時点の能力を理解できないと思われます。