Gill先生逝去。英語学習だけでない、もっと何か大きなことを教わりました。/ Teacher Gill passed away. I learned something much more than just English from her.

Gill先生逝去。こんなショッキングなニュースが。

こんな年齢の重ね方ができる人生が送れたらどんなに素晴らしいことだろう、と思える理想的な方。この方の動画を見ていると英語を教えることを心から楽しんでいる様子、教える相手をリスペクトしている様子が伝わってきます。

もちろん、Youtubeだけで知るこの方の印象と実際のご本人とのギャップがどれだけ存在するのかは分からないけれど、仮に実際にお会いできていたとしたらきっとその裏表の無い性格に感銘を受けたのではないかなと思っています。もう今の世界ではお会いすることはできませんが…

何歳になっても自分の好きなことに携わって喜びを見つけて生きる。その内面からの喜びは必ず外面に出てくる、一人で道を歩いているときにもその顔は生き生きとしている(街中で見かける人の中にはどんよりと、希望の無い顔で歩いている方が多いことか。そう言っている自分の顔はどうなんだ、という声も聞こえてきますが…)。Gill先生を見ていてそう感じました。

効果的な英語学習だけを考えた時、このGill先生のチャンネルよりもずっと良いものがあることに間違いありません。このGill先生の動画を通して学ぶもの、それは英語をしっかりと学習することよりも、自分の好きなことを行うことの楽しさ、好きなことを行っていると内面からにじみ出てくる幸福感。この方のそんな様子から醸し出されるものを受け取ってこちらも元気をもらう。単なる英語学習というよりもっと大きな何かを得られる、そんなチャンネルでもあると思っています。

さて、自分のことを観察してみると、年を重ねるごとに打ち込めるものを見つけることって難しくなってきているような気がしています。そんな中でも自分が全く知らない世界のものを友人に勧めてもらった時にまずやってみること。それが思わぬ方向に自分の関心を引き出してくれるということ。自分では全く知らない世界であり接点もなかった世界であっても実際に挑戦してみるとハマることがあるんだなあ。そんな新鮮な発見が最近ありました。

それなりの年数を仕事に費やしてきた経験から言えること — 仕事は常に楽しくて仕方がないとはとても言えない — ということ。むしろ、随分と回り道をしつつもある程度自分で仕事の内容が理解できたとき、ふと「あっ、そういうことか」「おっ、これはすごい。」自分のやっていることがそんな風に面白くなってくる瞬間がある。その瞬間がいつ来るのかが分からないので苦しいのだけれど、その瞬間があるとやっぱり良いですね。自分がやっていることの意味合いも分かってくる。それはある程度年数を重ねてみなければ到達できないこと。自分が思ってもみなかった分野で見つかることもある。だから人から勧められたものに挑戦してみることって損はない。

ずっと昔に受けた研修で、MUST、CAN、WANTの三つの輪の重なりをどれだけ広げることができるかの大切さを学びました。仕事はMUSTの部分が大きくて与えられた仕事を果たす義務がある。自分のWANTは仕事のMUSTにとってあまり重要ではないことが多い。WANTを行うためには自分のCANを広げるしかない。そしてMUSTの部分と重なってくると仕事も楽しくなってくるはず。でもMUSTが多すぎて忙しすぎてCANとWANTにかける時間がないという袋小路。そんな葛藤の中で模索しながらMUSTの部分の中にどれだけ自分のWANTとか、MUSTの中に楽しいという気持ちを重ねてゆけるか…。きっとGill先生も長い人生の中でそんな場面がきっとあったはず。それを経験してきたからこそのあの笑顔があるのかな、と思っています。

自分の好きを大切に。若宮正子さんの講演会を聞いて / Cherish what you love. From Masako Wakamiya’s lecture

プログラミングの勉強をちょこちょこしている中で知った世界最高齢のプログラマー若宮正子さん。私の住む街に本物がやってくる、ということでご本人から直接話を聞くことができるこんなチャンスは滅多にあるものではない!ということで出かけてきました。

講演会では撮影、録音は禁止だったのでメモだけとなりましたが、内容はYoutubeでも見聞きすることができる内容と概ね同じもの。そうはいっても、生の姿を直接見て、生の声を直接聞いてその熱意を感じることはYoutubeでは体験できないこと。とっても貴重な経験となりました。インタビュー記事にもありましたが、各地の講演会には一人で出かけてゆくそうです。実際に講演の後には一人でタクシーに飛び乗って帰ってゆく姿をみると、元気なおばあちゃんなんだなぁ、と。これだけすごい方だからこそ日本中で引っ張りだこであり、政府主催会議の有識者メンバーをも務める立場なのですが、面白かったのは、政府から有識者としてメンバーに招待されたときのエピソード。会議メンバーに連なる周りの方々の経歴は錚々たるもので、〇〇大学教授、経団連の〇〇など。「高卒の私が有識者メンバーなんていいんでしょうか?」と尋ねると、担当の方の答えは「時代が変われば有識者の定義も変わるのです」と。本当にそうだなって。自分が今行っていることが周りから見れば頓珍漢なものとしても、後から時代が付いてくるっていうことも。そして、学歴なんか関係ない。年齢を重ねても勉強し続けること。周りに振り回されず、自分の信じることを大切にこつこつと継続してゆくこと。きっとそれが将来に繋がる、自らモデルケースとなった若宮正子さんのように。

私がお聞きした内容もこのYoutubeに出てくるものと概ね同じ内容。各地の講演会では基本的なベースは同じ資料を利用していて、その時々で異なるものを差し替えているのかもしれません。

込み入った言い方をせず、シンプルで分かりやすい言葉がとっても良かった。聴衆の私たちの心にすっと入ってくる。メモした内容のいくつかを抜粋すると、

  • これから大切なのは”意地悪なお嫁さん”になることよ。(なんでも親のためにスマホを操作してあげることは本人のためにならない。むしろ本人にやらせることが本人のためになる、という意味で)
  • 短絡的な正解を求めない。
  • ベストではなくベター
  • 取り越し苦労をしない
  • 100点主義✖
  • 自分の考えを人に押し付けない
  • 頭を自立させる。=自分の頭で考える。人が言っているからではない。
  • 自分の好きを大切に。(私は特にこの言葉が気に入りました)
  • 携帯電話は万能電動小箱
  • AIとの付き合い方は、機長=自分。副操縦士=AI

常に新しいことにオープンで好奇心旺盛。まずはやってみることの大切さを説いている若宮さん。人生って年を重ねるほどに面白くもつまらなくもするのは自分次第。そんなことを生き方で示してくださっているのだろうなぁと思って聞いていました。

ふと後ろの方に座って講演会を聞いていて気になったこと。そしてこれは勝手な自分の思い込みかもしれないけれど。インターネットで調べてみると他の方々が述べているように、良い話を聞いても実際に行動する人は全体の20~25%くらい、そして継続できる人は4~5%くらいだとか。この数値の信憑性を証明する文献を見つけることができなかったのだけれど、ここで大切なことは実際に実践する人や継続できる人がどれだけ少ないかということ。会場から時折起こる笑いは、単に面白い話を聞けた、あるいは88歳にもなる高齢のおばあちゃんがこんなにも頑張っているんだ、という温かい笑いであってそこには88歳になっても学び続ける若宮さんの姿勢に対する倣いたいという気持ちがあるのかなぁ、と思えてきました。この会場に来るという選択をした時点でこの会場にいる方々の行動力は素晴らしいことだけれど、ただただ良い話を聞いたな、こんな年齢になってまで各地を飛び回っていてすごいな、もしそんなところで終わってしまっているとすれば勿体ない。会社の中でも退職の年齢が近くなってもまだまだ仕事や新しいことを学ぼうとする姿勢を持ち成長し続ける人っていうのは少ないように思えます。実際に私もこんな偉そうことを書いているけれど、成長し続けることがどれだけ大変なことか!そんな世界だからこそ常に学ぶことを楽しむ若宮さんの姿が光ります。果たしてそういう自分自身はどうなのか?…そんなことを思い巡らしながらちょっぴり冷や汗もかきつつ今このようにしてブログに書いています。自分の好きを大切に。成長しよう、ではなくて自分の好きなことを大切に、日々こつこつと継続してゆく。ふと気が付くと若宮さんのようになれるはず。そんな自然体でいようと思います。

厳しい教師が優れた成果を上げるのはなぜか ― ジェリー・カプチンスキー氏の教育方法から学べること/ Why Tough Teachers Get Good Results – learning from Mr. Jerry Kupchynsky’s teaching methods

日記を書き留めていた昔のノートを取り出して中身を整理をしていたところ、ちょうど10年前のWall Street Journalによる記事の切り抜きが出てきました。自分自身の父親と重なる部分もあってずっと印象に残っていた記事でしたので、ぜひここに記述してみようと思いました。

Why Tough Teachers Get Good Results

引用: Wall Street Journal, By Joanne Lipman Sept. 27, 2013

記事のタイトルは「厳しい教師が優れた成果を上げるのはなぜか」

昔、生徒が失敗すると「ばかもの」と言う先生に教わったことがある。私たちのオーケストラの指揮者で、名前はジェリー・カプチンスキー。ウクライナからの移民で気性が荒い人だった。誰かが音を外すと、オーケストラを止めては怒鳴っていた。「第1バイオリンで耳が聞こえないのは誰だ!」私たちに指に血がにじむこと練習させた。手や腕の位置を修正する時には鉛筆で突っついた。今なら首になっているだろう。だが、先生が数年前に亡くなると40年間に教えた生徒や同僚が全国から古い楽器を携えてニュージャージー州にやってきた。追悼コンサートにはニューヨーク・フィルハーモニックに劣らないほどの人数が参加した。ミスター・Kと呼ばれていたぶっきらぼうの先生にみんながこれほどの感謝の気持ちを抱いていたことに驚いたが、昔の生徒が成功していたことは衝撃的だった。音楽家になった生徒もいたが、ほとんどが法律や学問医学など音楽以外の分野で活躍していた。

このミスター・K氏の教育手法をまとめてみると以下の8つになるようです。

  1. 多少の痛みなら子供のためになる(A little pain is good for you)― 技能の獲得には「建設的でつらい意見」を言う教師が必要である。
  2. 基礎訓練が大事(Drill, baby, drill.)
  3. 失敗しても構わない(Failure is an option.)― 学習に失敗は必要だと分かっている子供のほうが成績がいい。
  4. 優しいより厳しい方がいい(Strict is better than nice)
  5. 想像力は習得できる(Creativity can be learned)― 伝統的な教育は創造性を損なうと批判されている。しかし、テンプル大学のロバート・W・ワイスバーグ心理学教授の研究によると、それは逆だという。トーマス・エジソンやフランク・ロイド・ライト、ピカソなど創造性豊かな天才を研究した結果、教授は生まれながらの天才は存在しないという結論に達した。天才の多くは猛烈に努力して、(外の世界)には突然のひらめきや大発見のように見えるものを徐々に達成する。
  6. 根性は才能に勝る(Grit trumps talent)ー ペンシルバニア大学のアンジェラ・ダックワース心理学教授(によれば)、根性で将来の成功を予測できることが分かった。この場合の根性とは、長期的な目標に向かう情熱や粘り強さである。
  7. 褒めると人は弱くなる(Praise makes you weak…)
  8. ストレスは人を強くする(…while stress makes you strong.)

一時期、”GRIT(Guts: ガッツ, Resilience: 粘り強さ, Initiative: 自発, Tenacity: 執念)”という言葉をよく聞くようになった ー そして今ではそれほど聞かなくなったような…? ― この言葉が定義されるよりもずっと昔から、ヒトは成長するためにはこの4つの要素を必要不可欠なこととして行っていた。そして後世の人が題してその要素をGRITと名付けた、ということでしょうか。

私自身の育った環境に照らし合わせてみると、このカプチンスキー氏の教育と自分の父親のそれとが似たものを持っていることもあってかこの教育方法に実感を持てました。中小企業のエンジニアで音楽とは全く関係のない仕事でありながらも趣味でヴァイオリン演奏を楽しんでいる姿。まったく音楽に興味もなく外で遊ぶことしか考えていなかったこの私にも毎日ヴァイオリンを必ず練習しないと怒る姿。どんなに嫌でも5分でもやれ!と。そんな当時の厳格な教育方法を見ていると、このカプチンスキー氏と似たものを感じました。果たしてカプチンスキー氏の生徒の皆さんのように数十年後に活躍できているかは別としていただき…、絶対に必要不可欠だと思うのは、基礎訓練の大事さ。才能は関係なく頑張り続ける根性。そして、新しいことに挑戦する限り失敗しても許されること。毎日小さなことの継続でしか大きな成長につながらない。そのためには基礎の積み重ねと粘り強い根性さが不可欠。そして、失敗はどうしても避けられない。失敗しても大丈夫。自分で自分を笑ってしまえば大丈夫。

それ以外の要素ついて言えば、この教育方法がすべての人にとって成功するために絶対的なものであるか、私には分かりません。厳しく接すると、それをバネにして伸びる人もいれば心が折れてしまう人もいる。頑張って頑張って才能を持つ人に勝ることもあれば、どんなに頑張ってどんなに根性があったとしても常に先を進み続ける才能を持つ人に勝ち目がないこともあります。褒めて伸びる人もいれば褒めてわがままになる人もいる。ストレスも時によって人のやる気を奪ってしまう強い負の働きを持つ力です。適度なストレスは、自分が人間社会に生きていることを実感させてくれますが、過度なストレスは人の心を立ち上がれないほどに押しつぶしてしまうことも。

何十年も経ってからミスター・Kの元生徒の一人が言った。「先生は自律を教えてくれた」。この生徒は元バイオリン奏者で、アイビーリーグの大学を卒業し、医者になった。「自発性だ」と言ったのはテクノロジー企業の役員となった元チェロ奏者だ。プロのチェリストとなった生徒は「立ち直る力」だと言った・「私たちに失敗する方法を、そして自分で再び立ち直る方法を教えてくれた。」

少なくとも、これまでの限られた私の経験から言えるのは、何かを学習するときには心の中に湧き立つ感情やドキッとするようなアクセント、そういったものを体験するときに記憶に残ることが多い。言い換えると、その感覚を経験する時が学習する機会となるのではないかな、と。カプチンスキー氏の教育方法はその感覚を経験することができるという意味で必要な要素を兼ね備えている方法なんだろうと思います。若い頃には声を荒げてしっかりと怒ってくれる上司がいて、その経験があってこそ今に生きているものがあります。自分の父親、ヴァイオリン、家や会社で経験を重ねてきたことがカプチンスキー氏の教育方法との重なり…その幾つもの類似点もあってより一層共感を得た記事であったのかもしれません。

人はそれぞれに自分が好きで取り組んできたものがあると思います。例えば、ある漫画を大好きでその内容であれば全て把握していたり。ゲームが大好きでひたすら打ち込んでみたり。サッカーや野球 ― 在宅勤務をしていると、近くの学校で大きな声を出して野球の練習に一生懸命に打ち込んでいる学生たちの声が聞こえてきます。情熱を注げるものがあることは大変素晴らしい ― 、あるいは勉強の一つの分野にとことん取り組んでみたり。それらがどんな媒体であっても、そこから得られた自分にしか分からない感情の湧き立ちを大切にして、その経験を他の分野においても適用してゆくこと。そうすれば他者とは比べることのない、自分なりの成功や満足感につながるのではないでしょうか。

他人はこちらに関心がない、という前提でいれば気が楽。/ It’s easy if you assume that other people aren’t interested in you.

人とのコミュニケーションを促進する上で、研修や専門家の方々が何度も繰り返している点だと思いますが、”大切なのは、話すことよりも相手の話を聞くこと”、これは真実だと思います。

自分自身が有名人で、ファンがいて、自分の話をお金を払ってでも聴きたいと希望している人がいて…自分自身がそんな人物でない限り、”周りの人はこちらの話すことに基本的に関心が無い”、という前提でいれば気が楽だと思います。特にロシアに駐在している時には、その点を散々認識することがありました。小さな規模の会社であっても、管理部門のトップをしているのだから、私の話を多少は聞き入れてくれても良いと思うのですが、やはり聞きたくない、と思う話は聞いてくれてはいても心には入っていってないんだろうなぁ、と思いつつ。

たくさん不満をぶちまけてきた女性スタッフの話を聞くだけ聞き、ー お互いに話している内容は本社も関わるためにロシアの会社だけで判断できないことを承知の上 ー 聞き終わった後には「とにかく、話を聞いてくれてありがとう。それだけでも感謝します」とのこと。私だって言いたいことはあったけれども、仮に喋ったとしても効果は全くなかっただろうな…と。

いつも思いますが、究極の自己中とは、それは「ひたすら相手の話を聞くこと」。なぜならば、人の話を聴くことでしか、自分の知らない世界を知ることができない。もちろん、ずっと同じ人から聞いていると、新しいインプットが無い限り得られるものも減ってくることがありますし、常に人の話を聞き続けることは疲れることもあります。バランスを取ることが大切です。

もし自分の話を相手にするならば、話し方やプレゼンの方法を学べるのかもしれませんが、結局、自分が持っている以上の話をすることはできません。その話していた時間は、自分のために情報を取り入れる時間を失っていることになる。相手に自分の話を聞いてもらえるのは嬉しいとしても、冷静に考えると自分が得られるものを失っている時間でもある。自分の成長のための時間を取りこぼしていることになる。そう考えると、人の話を聞くことは自分のためになる。つまり、これは自分に役立つことばかりを考えているので、自己中心的な考えの極みでは?、と。

結果として、それが人とのコミュニケーションを円滑にする方法であるなら、一石二鳥ではないでしょうか?自分の成長にも繋がり、かつ人間関係を良好にするために役立つ方法。

このようにして書いているブログもまた、実際に声に出してはいませんが、自分の思考を整理するのに役立ち、頭の中で反芻しながら文字に起こして、実質的に”喋っている”ことになります。読むも読まないも人の自由。相手の意思次第ですので、相手に負担をかけるものではない。時間を奪ってしまうこともありません。そして、自分の思いをアウトプットすることは、きっと気持ちを落ち着けることにも繋がっていると感じています。

言葉を正しく選ぶことの大切さ /правильно подбирать слова

このところ、モスクワに住んでいる、とても立派な息子さん二人を育てているロシア人のご主人と定期的に会話する機会があります。画面上に写る3人の様子が大変仲の良いものだったので、その秘訣を訪ねたところ、「いつもそう上手くいくもんじゃないよ。」と笑いながら話してくれました。といっても、人間関係で大切なこと、それは「言葉選びだ」ということでした。言葉は発してしまったら元に戻れない。発言する前に自分の言葉を選ぶ必要がある(”правильно подбирать слова”)、ということ。頭では分かっているけれど、自分自身よりもずっと人生経験を重ねてきた方の言葉にはずっしりとした重みを感じました。

Harvard Business Reviewの記事にこんなものがありました。

https://hbr.org/2021/06/words-and-phrases-to-avoid-in-a-difficult-conversation

Don’t assume your viewpoint is obvious(自分の見方がはっきりしていてクリアである、と思い込んではダメ)

そもそも、世の中には白か黒かはっきりしている状況はそれほど多くないし、どんなに自分では明白である、と思っていても、他の人たちは同じ物事を異なる仕方で見ていることは至って当然のこと。(確かにロシア人のベテラン人事コンサルの方に同じようなことを言われたことがあったなぁ…と当時を振り返って思い出します)

Don’t exaggerate(誇張して話してはダメ)

「あなたはいつも~」「あなたは決して~」(イライラしているとつい口から出てきてしまう言葉かもしれませんね)

Don’t tell others what they should do(”~すべき”と言ってはダメ)

IT会社を経営している女性経営者に言われたことで覚えているのは、「他人に対して絶対に”You should”という言葉を言うべきではない」、というもの。「他人の行動をこちらが決めつけることはだめだ。相手に行動を促す仕方で発言すべし」ということでしたが(そうはいっても、仕事上は上司の立場からそうする必要があることも事実ではあると思われますが)、この記事ともつながるものがあります。言語が異なるとはいえ、人間関係を良好にするために言葉を選ぶことがどれほど大切なことか。アメリカで勤務したことはありませんが、きっとあのような世界でも良い人間関係を他人と築けるひとは、きっと常に自分の発言する言葉選びに注意しているのだと思います。

Don’t blame others for your feelings(自分の気分を他人のせいにしてはダメ)

明らかに意図的な行為でない限り、誰だって「私がこんな気分になっているのはあなたのせいだ!」なんて言われて気分を害しない人はいないはずです。(自分自身を振り返ってみて、ロシア人の人事スタッフとの会話が紛糾してイライラしていた時の失敗があります。話し合いを終えてから、感情を抑えることができてたと思いましたが、「(会議室で仕事を続けたいので)一人にさせてくれ」と言うところ、「部屋から出ていけ」と悪意のある言葉がポロっと出てきてしまったことがありました。)

Don’t challenge someone’s character or integrity(相手のキャラクターやインテグリティを否定してはダメ)

これだけは決してしてはならないこと。かつて苦しんだ経験があります。あの感情はなんと表現してよいのか…同じことを他の人にしてはならない、と誓いました。

(”Integrity”は、簡単に訳すことができない難しい言葉です…)

https://www.jstage.jst.go.jp/article/jabes/26/0/26_article07/_pdf/-char/ja

Don’t say “It’s not personal”(”これは個人的なことではない”というのはダメ)

著者の言葉をそのまま借りると、「”これは個人的なことではないから”、とか、”自分のこととして受け取らないでください”、と誰かが言う時、それを発言する人は、(そのことが)相手にとって非常に個人的なものだと(無意識のうちに)理解して発言しています。」これもまた然り。

こうして、改めて考えてみると、世界中のどこでも真実は一つ。言葉の持つ力は恐ろしく、言葉一つで相手との関係をすぐに壊してしまう恐ろしい側面を持っている、ということ。遠回しに言うことを日本は好む、欧米社会でははっきりと相手に伝えることを好む、という潜在的な認識がどこか心の中にあるかもしれませんが、実際はそうでもないのかも。ロシアにいた7年間、相手の気分を害する可能性がある事柄は、直接言うことを避ける傾向を感じました。これは、ロシアで仕事をするまで持っていた自分の想像とのギャップであり、意外な発見でした。もう少し直接伝えることに気後れすることなく発言する人たちなのかな、と思っていたので…。

程度の差こそあれど、結局人は皆一緒なのかな、と思います。そして、年齢を重ねるごとに周りの人は、こちらの誤まりを指摘することなく、心の中で思うに留める…だからこそいつも人から何でも言ってもらえる人間でいられる謙虚さ、いつも自分で自分を理解し続ける習慣が大切なんだと、毎回の失敗から学んでいます。

言語の面白いところは、学べば学ぶほどに奥が深く、意味も分かると発言に慎重になってきて、結局言いたいことを言えなくなってしまうことがあるってことです。もしかしたら、知識をそこまでインプットしないほうがずばずばと発言できるのかもしれません。とはいえ、最後には言葉は相手の心とのコミュニケーションであり、相手のことを知りたいと思うからこそ言葉を学んでゆく。知れば知るほどに相手の気持ちが分かるようになってきて一層言葉を選ぶようになる。また、日本語で聞いたときには心に響かないものでも、ロシア語で短くもストレートに心に刺さるものがあることも。言葉の奥深さであると同時に、外国語学習の醍醐味の一つかもしれません。

「タイプレーサー」 – 英語学習におすすめです / “TypeRacer” – recommended for learning English

英語のタイピングのスピードは、その人の英語のレベルを表す一つの指標である気がしています。あながち嘘ではないかもしれません。頭の中で言えるフレーズがその通りに指に伝わり指が動く。つまり、それだけ頭の中でその単語やフレーズの塊を言えるか言えないかを表しているのではないかと。スピードが速い=頭の中でその単語を言えている、フレーズの塊が自然と出てくる。そして単語のスペルの理解も正しいことの証拠。言い方を変えると、頭からの指令が伝わらない=指が動かない=それだけ英語の理解ができていない。その単語のアルファベットがL一つだったかLLだったか、rなのかlなのか分かっていなかったり。一つのお決まりの英語のフレーズの塊が頭の中で言えていなかったり…なお、これは自分自身の課題を述べていることでもあります。

キーボードをこれまで色々と試す中、偶然に見つけたITガジェットを紹介するYou tube動画(以下リンク)では、どのキーボードがタイピングスピードを上げるのに適しているかを説明するものがありました。その中で利用されていたウェブサイトが「TypeRacer」。ゲーム感覚でタイピングの練習ができて面白いなぁ、と思います。私がこれまで利用していて頻繁に見るのは、歌の歌詞だったり映画の一フレーズだったり。時に覚えていて損はない名台詞もあるので、タイピングしながら声に出してみると暗記するのに役立つかもしれません。ユーザーが外から引用句を持ってきて追加することも可能なようです。

タイピングのスピードを練習モードで一人で黙々とこなすこともできますし、他の人とのレース形式で競うことも可能で、気を付けないと中毒性が強いものだな、と。自分で決めた時間や達成したいスピードまで到達したらその日は終了するなどしなければ、結果的には他のオンラインゲームに多くの時間を割くこととあまり変わりがないかもしれません。ちょっとだけだから、と思っていたらあっという間に15分くらい経過していることも少なからず。

なぜこのTypeRacerがお勧めなのか?(単に私が他の同様のタイピング練習用のサイトを知らないだけで、きっと他にも良いサイトがあるのかもしれません)一番初めに述べた点と関係していますが、このタイピングのスピードが上がるにつれて、自然と自分の中で英単語やフレーズが蓄積されてゆく。それはつまり、英語の語彙力が増えていっていることの証拠になるからです。黙々とタイピングだけを練習する、というよりも、タイピングしながら実際に発声しながら行ってゆくとより効果的なのかな、なんて思ったりします。なお、タイピングの練習だけをしていても英語力がアップする保証はなく、あくまで英語学習の中の一環として含めるのが良いのだと思います。

また、タイピングのスピードを意識しだすと、どのキーボードがふさわしいのかが分かってくる気がします。また、これまではあまり意識することが無かった日本語キーボード、英語キーボードの違いについてもその重要性を意識するようになりました。キーボードについては、たくさんの方がYoutubeなどで紹介していますし、自作キーボードの世界もあるようで奥が深い…。私自身、幾つも試してきましたが、現時点では以下のキーボードに落ち着いています。すべての種類を試すことは難しいとしても、自分が一番気に入って利用している今のものが常にベストとは限らない、という気持ちを持ち、来年も探索してゆきたいものです。(なお、メカニカルキーボードは選択肢が幾つもあり、全く知識が無いままに購入をした私の経験からすると、まずはお店や友人の持つキーボードに触れ、実際に体験してみたうえで購入することをお勧めします。)

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駐車場に車を停める際に分かる、自分の権利と適度な人間関係 / Parking your car in the parking lot can tell you having the good balance between own rights and good relationships with others

小さな会社になればなるほど、そこで働く人たちの人間関係は時として辛いものとなることはご想像の通りです。駐在員であれば、小さな会社の中でさらに小さな小さな日本人社会という囲いの中で生きています。駐在してから初めての本社出張の際には、本社で子会社を管轄する部長に個別に呼ばれ、「人間関係は大丈夫?社長とはうまくいっている?いつも本社に出張する駐在員に必ずこの点を確認しているんだ」と。上手くゆかずに精神的に辛い思いをしてしまう人もいるようでした。幸いにも私は人間関係には恵まれており、また、営業系の駐在員が多い中で管理部門の責任を持つ立場である、という点で日本人の囲いから外れて自由に仕事ができていた気がします。日本人だからこその悩みを語り合い、耳を傾ける場も大切と思いますが、同じ人間といつも一緒に語っていても得るものは限られます。同じ日本人といっても適度に付き合いのバランスを取ることは大切だと思います、不要と思われる付き合いは断っていました。日本の階層社会で生きる会社員としてそれが正解なのかは分かりませんが…。自分の気持ちに正直でいる。それが心を病まない最善の方法だと信じています。

さて、ロシア人スタッフも狭いコミュニティの中で働いています。きっと、会社の雰囲気に合わない人間は自然に会社を離れていくからだと思いますが、社内で働いているロシア人スタッフはそれぞれに自分の居場所を見つけていたようです。毎回新しいスタッフが入社してくると、どのように既存の仲間と知り合い、自分の居場所を見つけてゆくのか興味深く観察していましたが、人それぞれ。一人でいることを好むスタッフはランチを社内の休憩スペースで取ったり、外に食べに行ったり。昼食の時間はフレキシブルでしたので、仲の良いスタッフ同士でランチを取る場合には時間を決めて皆でランチを楽しく取っていたり。朝から「今日はデリバリーのランチを食べよう!」といって「私は何を注文しようかなぁ」と仕事中に盛り上がっていたり。「(スタッフ共有の)冷蔵庫に入れていた、私のものを誰か勝手に取ったでしょ!ひどい!」なんて怒り心頭のメールが社内全員宛てに飛んできたこともありましたが…。小さな会社での人間社会を観察することも良い勉強となりました。

狭い世界での上手な人間関係を築くにはどうすればよいのか?駐車場で車を停める時、そのヒントがあった気がしました。私の駐車スペースは両側を別の住人の車に挟まれています。そのスペースに車を停める時、お隣の車がやたらとこちらのスペースに寄っていたり、別の日には離れていたり。お互いに白線の内側が自分のスペースなのでその空間をどう使うかは自由です。しかし、もしこちらと相手の車のスペースが白線を境に近づきすぎていればお互いに心地よいものではありません。車を乗り降りする時には窮屈になり、相手の車にドアをぶつけないかと神経を使います。そんな時には白線から離して車を停める。相手の車が今日は白線から離れていればこちらは白線に近づけて停めてもOK。線の中が自分の権利。でも、その日によって相手がこちらに近づきすぎている時もあればそうでないときも。そんな時には相手との距離感によってその白線の間の自分の立ち位置を調整する。人それぞれが白線の内側をどう利用するかは自分の権利であり、自由である。相手がどうであろうと関係ない。そう言ってしまうと、それは正論ですが、小さな人間社会で生きてゆくにはどこかで行き詰まってしまう気がします。権利ばかり主張してしまうと相手が車に乗る時に苦労する。自分が先に停めた場合、きっと相手も自分の停めている距離に合わせて調整してくれているかもしれません。

全く止まっていない時には逆にどうしよう、なんて思ってしまうことだってあります。基準がないから自分の権利を存分に利用することができる反面、合わせるところが無いから逆にそれに戸惑いを感じることも。人間は必ずしも完全な自由があるよりも、他人との関係から自分の在り方を探るほうが容易なのかもしれません。

こんなことを車を停める中で感じたものでした。

Todoリスト:消し込み方式 vs 積み上げ方式。ポジティブに生産性を高めてくれるのはどちら? / Todo list: erasing method vs stacking method. Which one will positively increase your productivity?

オフィスで会社で雇っているロシア人運転手と雑談していた時のこと、日々のタスクの管理方法について話題になりました。「何かで読んだんだけど、一般的な日々のTodoリストはその日にやることを書き出し、完了したら消してゆくものだけど、そうじゃなくて、完了したことを一つずつ書き出してゆくといいらしい。そうすると、自分の達成したことが目に見えて気持ちがポジティブになるんだって。」という。

Todoリストにやるべきことを書き出すと、いくら書いても終わらない。あれもこれもやりたい、と欲が出てきて、きりがない。そして一日の終わりに手を付けられずに残ったタスク一覧を見ていると気持ちも憂鬱になってくる。そうであれば、そんな方法は止めて、今日できたことを書き出してゆくほうが健康的というわけだろう。

「生産性をあげるためには、やることを減らせばよい。」これは聞けば当たり前だし、多く方がずっと以前から発言されている真実だと思いますが、初めて聞いた時には衝撃的でした。生産性を高めるためには、いかにできることを増やせないかと苦心して、早起きして、集中して取り組み、無駄(と思える)ことを削り、食事の時間も…と考えていた。けれども、生産性を高めるための答えは実はとてもシンプルな発想の転換。実際にやらなくてよいことは実は多い。不要と思われる事柄を削ってゆくと、必然的に残ったものにかけられる時間と気力が増える。

といっても、やるべきタスクの一覧表は何かしらの形で持っている必要があるわけで、何も考えずに今日やったことを書き出してゆけばよい、というわけではないけれど。実際、私自身はいまでもTodoリストの一覧表を見て、今日やるべき仕事に取り掛かっているので、ドライバーから勧められた方法を活用しているわけではありません。今日完了したことを書き出すのは日々の日記の中くらいです。

運転手との会話から学んだのは、日々の仕事の中でポジティブな状態にもってゆける自分に合った方法を試してみること。人によっては今日やる予定のタスクが一つずつ消えてゆくことに満足を覚える人もいれば、達成できたことを書き出して積み上げてゆくことを喜ぶ人もいる。何が正解なのかは人それぞれ。これまで考慮してこなかった方法にも先入観持たずにトライしてみて自分に合っているかどうか確かめる。日々出会う新たな考え方を学び、その方法を取り入れてみる。そんな風にしながら自らに合う生産性を高める自分なりの方法を生み出したいものです。

これだけは真実だと信じているのは、タスクを管理するツールやその高度な機能を活用することや定期的にメンテナンスすることに時間を取られないようにすることの大切さ。あらゆる種類のTodoリストのアプリが世の中に存在する中で、色々と試してきましたが、実は何の変哲もない「メモ帳」が一番シンプルで実用的では?と思ったりしています。起動もサクサク、中身も文字だけのシンプルさ。自分の脳ミソにヒントを与えてくれるキーワードを入れておくだけでも(あまりにも抽象的なものは後から見直しても助けてくれないかもしれませんが)やるべきことを頭の中にリマインドしてくれる。チームでプロジェクト管理するならば別ですが、個人のTodoを管理するには、そんなシンプルさが十分では、と。今日一日で達成したこと、感じたことや反省点は日記へと。そうすればポジティブな気持ちも保てます。反省点が多い日には早く寝てしまい、新鮮な気持ちの翌朝に昨日を振り返るほうが良いかもしれないですね…。

着任時に学んだ先輩社員からの教え / What I learned from a superior when I started working in Moscow

着任したときに先輩社員から教えていただいた教え。今でも思い出すことがあります。シンプルですが、仕事をするうえで大切なことを学びました。

1.言葉遣いに気を付けること。

これは自分自身の口癖でもあったのですが、着任したばかりの頃は、会話の中で「ぶっちゃけ」という言葉を乱発していました。「そのような言葉遣いは今後は止めたほうがよいよ。きちんとした日本語を話すように気を付けるように」と。管理部門を取り仕切る役割を担い、他社の上の立場の方々とやり取りが増える中で、会社の代表ともなる立場の人間が砕けた日本語を恥じることなく使うのは、ビジネスパーソンとして論外であり自覚を持つように、という意味であったと思います。現在、少々フォーマルなビジネス番組でも、会社の役職についている年配社員の口からもまれに聞くことがあります。そんな時、当時先輩社員に言われた言葉を思い出します。実際、聞こえのよくない言葉だなぁ、と。この教えは海外に赴任したからとりわけ必要、ということではなく、自分が日頃から利用する日本語の正しさを意識することの大切さを学ぶきっかけともなりました。一方で、相手のために丁寧で正しい日本語を書こうとするあまりに、結局何が言いたいのか相手に伝わらないということもあります。何度か読み返してからようやく、「もしかして、この人は自分にこれをしてほしいのか?」と。また、会話していても、「XXXってこうだったらいいんじゃないかな、どうかな」「いや、自分はかくかくしかじかのためこう思います。」と回答。…でもなんだか相手は腑に落ちない様子。…あれっ、つまり、これは自分の意見を尋ねられているのではなくて、「XXXはこうしてください」という指示なのかもしれない、と後から気が付くことも。なぜ直接指示してくれないのだろう…と思いますが、それは相手の気遣いなのかもしれません。綺麗な日本語≠分かりやすい日本語。相手を意識して使う日本語≠仕事で必要となるはっきりとした伝わりやすい日本語。それらの正しい使い分けの難しさ。言葉って難しいと感じるばかりです。

2.本社からの依頼と現地スタッフからの依頼が重なる時には、何よりもまず現地スタッフの対応を最優先すること

これは全てのケースに当てはまるわけではありません。ここでいうポイントは、本社からの依頼は多少締切に余裕があることが多い。一方で、スタッフからの問い合わせは喫緊の問題である場合が多い。また、本社の場合には、関係者の中には着任前に顔を合わせたことがある知り合いも少なくない場合もある。そうすると、こちらの都合も多少考慮に入れてもらえるであろう。そうであれば、期限を守ることが難しい場合には、まず本社には待ってもらい、現地スタッフからの依頼を先に解決すること。その結果、現場で起こり得る問題を未然に防ぐことにもなりますし、現地スタッフからの信頼を得ることもできます。特に着任したばかりの頃に、いかに早く現地スタッフからの信頼を得られるかは重要だと思います。これは私自身が最初の頃に失敗してしまった経験ですが、現地スタッフに仕事で認めてもらうことは、率先してロシア語で会話をしたりメールをすること、ロシア文化を積極的に学んで話題を振ったりしながら相手と親しくなることではない、と考えています。言葉はあくまで手段の一つでしかなく、真に仕事が出来る人は言葉はつたなくとも、意思決定、資料のまとめ方、ダメなことはダメと言える意思表示(たとえ説明がたどたどしくとも)などからスタッフにはっきりと伝わります。人は結局仕事ができるか、できないかで判断され、ロシア語ができるか、ロシア文化を好きかどうかはその次の問題だと思われます(といっても、ロシアの管理部門の仕事をするにあたっては、ロシア語ができることは大いにメリットがある、という事実に間違いはなさそうです)。親しみのあるスタッフの笑顔の裏で、相手はどのように私自身を評価しているか、その本当の顔を意識し続けたいものです。

日本というものがロシアでも高く評価され、日本人や日本の文化製品に対する敬意も高いことを考えると、むしろ、私たちはもっと日本という国や文化に高い誇りを持ち、もっと自国の文化を知ることが重要である、と考えさせられました。例えば、歌舞伎。ロシアに行くまでは全く関心もありませんでしたが、一緒に旅行したロシア人から「絶対に行きたい」と言われ、なんとかチケットを予約・購入。初めての歌舞伎があれほどまでに面白いとはかつては考えもしませんでした。入って1時間くらいで途中退散かと思っていたら、気が付けば(5時間くらいでしょうか)、最後まで満足に楽しんだ時間となりました。

出したら片付けよう。(デスクトップ編)/ Let’s put it back where it was after using. (Desktop)

職場の会議で自分のパソコンを利用して画面共有する場面が幾度となく訪れます。画面がモニターやプロジェクタに映し出されて、その方のデスクトップが見えた途端に、「うっ…」となることがあります。デスクトップ上にあらゆるファイルが散乱していて、「えっとー…」と探すことに。どんなに身なりを整えていても、パソコンのデスクトップがごちゃごちゃしていると、きっとこの人の頭の中はこんな状況でタスク管理しているんだなあ…と思ってしまいます。デスクトップはその散乱の様子を実感することが難しいからこそ、各々のビジネスマンの素の姿を示しているのかもしれません。

デスクトップはあくまで一時的な作業場であること。基本的に何も保存しない。ファイルを使ったら元の場所に戻す。日常生活の中で当たり前に行っていることををそのままパソコン上でも行うだけ。

「使ったら元に戻しなさい!」小さい頃には親に怒られたものです。それを同じように自分の子供にも教えている。でも自分のパソコンのデスクトップは無茶苦茶な状態。子供に見られたら子供に何と言われるか想像するとちょっぴり怖い。パソコンのファイルの恐ろしさは、どんなに容量が大きくてもそれを目に見て感じ取ることができないこと。ファイルデータが重くなってきたらパソコン自体も重くなったり、パソコンの画面から何かが飛び出てくるような可視化ができたら面白いのですが。

デスクトップがファイルで溢れ返っているいるとしても、決してその人がいい加減な人だ、とかではなくて、実はそれで上手く回っているのかもしれませんし、その人が仕事のファイルの整理整頓をどれだけ重要視しているか、という価値観の違いでもあるのかもしれません。あとはただただ業務量が多すぎて抱えている仕事が多すぎる、ということも。

私としては、一週間の業務の中で継続して取り組んでいる仕事ファイルは常にデスクトップにあるとしても、その週が一区切りつくタイミングではデスクトップ上のファイルを整理する時間を取り分けることが重要だな、と考えています。どんなに忙しくても。結局、「ファイルが無い!どれが最新版だっけ?」と後で苦しむのは自分自身。そうであれば、その苦しみを避けるために日頃から定期的にチェックするタイミングを設けておくことで大きな事故を防げる。そのルールを固く守ろうと決意したのは、私自身が数々の失敗を経ているからでもあります…。

とりわけ管理業務で数値を管理する人間としては、仕事道具、持ち物、服装その他のものへのこだわり有無は全く関係無しに、ファイリングのルールは徹底するべき。所定のフォルダにマスタファイルを保存し、作業するときだけデスクトップに取り出して編集工する。更新したものを所定のフォルダに保存して古いものは削除するなり、分かるようにして保存しておくなりして整理整頓を徹底する。そこだけは絶対に崩したくありません。(どうしても忙しくて余裕がないと弱い自分が出てきます、それが人間です…。)

日本語のタイトルは好きになれません。英語のオリジナルタイトルは”The Personal Efficiency Program”とシンプルなもので、仕事の整理の仕方、タスクの管理の仕方などの技術的なことに多くの教訓をいただきました。数多くのハウツー本を読んできた中でこの本は今でも手元に置いています。時代の流れと共に、中身が古くなってきているかもしれませんが、その本質は今でも色あせることはなくお勧めの本です。