名前の大切さ / Name – How important it is

冬になると、モスクワの街中のいたるところでIlluminationが咲き乱れます。ここではロシアのシンボルでもある聖ヴァシリー聖堂が煌々と行き交う人々を照らしています。


ロシア人の名前には名前、性に加えて父親の名前から作成される「父性」が存在する。名前に父性を付けて呼びかける時は、より目上の人や距離がある人に対して使う言葉。通常、仕事では社内の言葉は英語のため、Anna, Sergey,といった風に名前で呼び合う。(より親しい間柄の場合には、AnnaAnnyaSergeySeryozha、のように砕けた表現があるけれども今回のテーマからは対象外)ただ、時としてお互いの意見がぶつかったり、理解し合えず埒が明かないこと、いい加減にしてくれよ全く、なんて言いたくなる時がある。そんな時、かしこまった言い方でAnna Alexandrovna Sergey Ivanovich!といったように名前+父性で相手に呼びかけることも一つ効果的ではないでしょうか。

仕事では名前+性をセットで使うことが多く、各人の父性まで覚えきれていないのですが、ここぞという時に、「ねえ、ちょっとお願いだから聞いてください、Anna Alexandrovna。」と言われたらロシア人スタッフはきっとあなたのことを「おおっ、この人はロシアを分かっている。」といって態度が変わるかもしれないですね。

ロシア人とビジネス上の関係で、かつお互いに距離がある場合には、ビジネスメールは名前+父性はセットで書き出したほうがこちらのリスペクトが伝わり相手への印象も良いでしょう。

また、子供が何度言われても親の言うことを聞かない時、親は一言「Anna Ivanovna!!」と。いつもは「Anochka」といった優しい言葉で呼びかけていたのに、そんな風にかしこまって呼びかけることがある。

見知らぬ人とでも、会話を初めてすぐに、「あなたの名前は何というのですか?(Как вас зовут?」と尋ねられて、そこから名前を相手に呼び掛けて会話が続くことも多い。

ロシアで仕事をしていると、我々が持っている名前というものの大切さを何だか感じさせられる機会が日本以上に感じられるのではないでしょうか。

人事評価で一番大切なもの / The most important thing for Evaluation

仕事で出かけたモスクワ郊外の本日の様子。車窓から撮影した一光景。今日は仕事に戻るのが嫌になるくらいとても良い天気だった。


仕事に人事評価で一番大切なものは?と聞かれたらどんな答えが出てくるだろうか?しっかりとした人事評価システムの構築、評価制度の説明ガイダンスの設定、評価マニュアルの作成と対象者全員への配布、評価者研修による評価者のレベルアップ、スタッフとのコミュニケーション、信頼関係の構築などなど…いずれもが大切でどれかを一番、ということはできない。そもそも、ロシアでネットやアマゾンを眺めていても、今の世の中では評価制度自体の意義に疑いの目が向けられ、半年・年に一回の評価制度そのものを見直す、という動きが世界的に起こっていることを見ている。日本の大会社でガッツリと根付いた制度そのものを見直すことを考えると、その労力は想像を絶する。簡単ではない。今ある制度は決して悪いものではないのだから、それをいかに有意義にできるか?まずはそこから考えることが一番現実的で有効に違いない。

ロシアでの人事評価

ロシアに来てからの当初は毎回の評価でスタッフとお互いに理解し合えない終わり無き評価面談を繰り返してきた。それにしても、ロシアに来て早々に人事評価を担当。こんな30代で部下を持ったこと、人の評価すら人生で一度たりともしたことの無い人間によく評価をやらせるなぁ…と思った記憶がある。本社からすれば若手の訓練を積ませる実践の場。聞こえは良いけれど、日本人、ロシア人、同じ人間。彼らにだって大切な家族があり自分の将来を考えている。どんなに会社の規模が小さかろうと連結決算上の売上規模が0.1%であろうと、評価の重みはどこでも同じなはずで、自分の行う評価の重みをよくズシッと感じなければならないのだろう。日本での評価経験は課長でもその中でグループ長に就かなければ経験がつめないのだろうけれど、若くしてロシアでこの経験が積める機会があることにいつも感謝している。日本よりもロシア人スタッフの評価をするほうがずっとタフではないだろうか。おそらく、日本の大会社における人事制度はすでに大多数の人間が諦めているか、形式的にこなしている(?)ためか、それほど苦労もせずに淡々とこなすマネジャーが多いのでは…と失礼ながら想像している。こちらのロシアの会社では、「なんで私の評価がこれなんですか!?納得できません、ちゃんと説明してください!」「これはBだと思います、なぜCなんでしょうか、意味が分かりません。」、「どうしたら私のこときちんと評価してくれるんですか?どれだけ一生懸命やっているか分かっていますか?(そして泣き出す)」そんなやりとりがが繰り返されてきた。右も左も分からず、なんて申し訳ないことを当時してしまったのだろう…と今でも切なくなる記憶もある。時には意味のない長時間の話し合いがのらりくらりと続いたことも…10歳以上も上の相手に、お互い冷静だけど、皮肉たっぷりの笑顔と言葉で続いた冷戦。計3時間。相手になめられていたのだろう。今となれば良い勉強となった時間とプラス思考でいたい。

インターネットで見る多くの宣伝。「評価システムで困っていませんか?評価制度の解決なら私たちにお任せください!」という類の文句の裏には、御社にあった最善の評価システムを構築します、というものがほとんどと感じている。それも非常に大切で、自分自身も毎度日本に帰国する度にドサッと本を購入し、ロシアでもアマゾンKidleで本を購入し、色々と勉強してみるとあれま、これは役立つことばかり、と読みふけってしまう。…でも待てよ、と。最も大切な答えはもっと違うところにあり、ずっとシンプルなのではないか。それらの宣伝文句のポイントは的を外しているのでは、といつも感じている。

人事評価の成功=相互理解が日頃からどれだけ出来ているか

評価システムが基本的に最低限整備されているのであれば、何よりも大切なのは「相互理解」でしかない(自分の経験上、それ以外に答えが見当たらないのだ)。語弊を恐れずに言えば、評価システムはそんな重要ではない(むしろ立派なシステムを構築するよりもシンプルなほうがずっと良いのでは?)。相互理解のためにはやはりコミュニケーション(対話)。そのために自分自身はWeeklyでの1対1の面談が最も考えられる現実的な方法なのではないだろうか。今、1on1ミーティングの重要性が多くの媒体で推薦されており、それだけ日頃からコミュニケーションを取ることの重要性が叫ばれているのを見ると、だれしもがその真実を分かっているわけだ。

1対1の対話の大切さ

個人個人に目を配り、ケアをしてあげるのがマネジャーの仕事。自分の勤務する管理部門は経理、人事、法務、物流、ITとあり、各部門には多くても最大5名。各課にはロシア人マネジャーがおり彼らが部下の評価を見ており、十分に個人個人に気を配ることができるはず。この面談をマネジャーは欠かすべきではないと思う。Playing managerである管理職はどんなに努力したって月に一度の面談がやっと、というのが現実なのかもしれないけれど、それでも週に一度、個別に話す機会を必ずもつことが必要と経験を通して、自分の犯してきた失敗を通して自分は皆に伝えたい。評価で一番難しいところは、なぜ上司がCをつけ、部下はBを自己評価でつけるのか、そのお互いの認識の相違を埋めること。そのために上司は部下に対して自分の評価基準、期待していること、部下に現時点で不足している点などを日頃から定期的に伝えてゆくこと。これができるのは毎日の積み重ねでしか成しえない。だからこそ1対1の定期的な面談を継続してゆくしかないのではないだろうか。以前、日本にいた頃の評価で思い出すのは、年間を通して一切マネジャーと話す機会もなく、日常業務では仕事の相談のみ。上司はとても忙しそうに朝から晩までLaptopに悶々とうなっている。期末には1時間の面談が設定され、それが唯一上司と1対1で自らの業務について会話する機会。面談では「う~ん、そうですか、どうですか調子は?」など拍子抜け。評価結果のフィードバックもない形だけの評価面談。別の上司は毎回5分程度(!)「XXX君、特に何もないかな?よくやってるね、よし!」これも違うでしょう…。それでも、大会社で誰しもが制度に疑念を抱く気持ちはよく分かる。4-5次審査まであり、直属上司の評価は途中の段階で知らないところで調整がなされる。その説明は無く、上司からは「自分はXXX君に良い評点を付けたんだけど上で変えられてしまったようで…。」これでは制度を信じること自体難しい。少なくとも、自分たちでフルコントロールできるロシアの会社だけはそうあってはならない。

完璧な評価制度など無い

評価は人間が行うものである以上完璧なものはない。むしろ、評価制度に完璧を求めてくるスタッフがいると正直疲れるのも事実なわけで…。何度も読み返している本「戦略人事のビジョン」著:八木洋介氏、金井壽宏氏(光文社新書)の中で“人事評価は、組織のパフォーマンスについて最終的な責任を負う人が下すもの…ということは、最終責任者がどういう人かによって、評価される人材は変わってきます…ですから、上司と相性が悪く、そのため低い評価を受けてしまう部下がいたとしても、それはあながち不公平とは言えない…。言ってみれば「上司との相性も実力のうち」です。”とある。これに自分は賛成だ。上司は自分のパフォーマンス結果に責任を取り、それの一端を担うのが部下になるわけで、部下は上司の意思を理解し自分のパートを果たそうと努めることが要求されている。日々、すべてをきっちり整理したがるわが社のロシア人人事マネジャーとはなかなか理解し合えず毎回苦労している。どちらも正しいからこそお互いに見解の相違を埋めてゆくことに毎度時間がとられる。それでもそんな人間がいかに変わるのか、どうしたらもっとよく説明して理解してもらえるのだろうか、それを一生懸命に考え、実行し、それが目に見えてくる過程を時に恨めしく思いつつも面白がるしかない。

先日の人事スタッフとの会議では「日本人はエイリアンだ!」と断言された(笑)。何を考えているのかさっぱり分からないらしい。正直、自分も長くロシアにいて、たまに日本に帰るとそう思う。感情の表し方がどうも下手なのではないだろうか。周りに気を配る文化が行き過ぎると、周りの視線を気にしすぎて自らを抑制する結果となり、それが当たり前となる時に人間性が失われてゆくのだろうか?すべてがマニュアル化されており、それに逸脱した行為をする人間を敵とみなして攻撃態勢に入るのではと。日々ロシア人とバトルしつつ、自分の感情を自然に表現できるようになってゆきたい。

グローバル人材=英語で堂々と喧嘩を / Global business person = can fight with anyone in English.

10月に入ってからめっきりと寒くなったモスクワ。名残惜しく夏のお気に入りの写真を一枚。犬が気持ちよさそうに飼い主の投げたボールめがけて池をスイスイと泳ぐ光景をパシャリ。

最近、約20か国の子会社のスタッフが日本に集まって開かれたかグローバル会議に出席して感じたこと。今の世の中、グローバル人事部、グローバル人材育成、グローバル人事制度…といった言葉を聞くようになり、世の中が我々はグローバルにならなければ、という風潮にあるようだ。けれども、そもそもグローバルな人材って何なのだろう。そんなことを考える機会となった。一言で表現すると“英語で外国人と喧嘩できるようこと”―そんな気がする。リベラルアーツを身に着けるなど、他にも大切なことはあるけれど、まずは喧嘩をしよう。

これはいろいろな意味を含んでいて決してシンプルではない。ずっと日本の文化に育ってきた自分にとってもとても難しいと日々感じる。失敗を繰り返し、学びながらまた一歩前へ。

英語力。
英語は世界の共通言語であり、国際ビジネスにおいて絶対に必須。喧嘩をする場合、自分の感情がそのまま表れる。母語で自分の怒り、思いの丈を表す際、何も考えず自然と言葉が続くように、英語で喧嘩となるとそれなりに言葉が自然と出てこなければならない。英語で話すこと、これ自体が一つのハードル。母語で言いたいことをまとめるのも大変なのに、英語で相手に物事を伝えるにはより頭が疲れる。あらかじめ準備をした原稿を頭に入れて流暢に話すのとは違う。その場で相手の出方に合わせて発言してゆかなくてはならない。

喧嘩ができること。
これが何よりも一番重要な気がしている。喧嘩することって簡単なことではない。自分をさらけ出す必要もある。自然とそうなってしまうことだってある。どんな人種、国籍の相手であろうと、相手に自分の意見をはっきりと伝えることができること、時には正当な怒りの感情も含めて。伝えたいときにすぐに行動できる瞬発力。これこそがグローバルな人材になる道なのかもしれない。小さい頃はあんなに喧嘩して泣いて悔しい思いをしたのに、振り返れば年を取るつれて“大人な”自分を自然と演じていた。人とぶつからることを避け、事なかれ主義を信奉し、自分の思いを内心に押しとどめ、仕舞いにはそれが無意識に当たり前になっていた数年前。

会議では、決して英語が得意ではないスタッフもいたけれど、たどたどしい言葉でもしっかりと自分の言葉を発言していた。「このプログラムでは内容が不十分ではないだろうか、せっかくみんながここに集まったのだからぜひこの機会を活用してXXXの情報も共有してくれませんか」と。時には聞いているこちらがこの方の上層部からの評価が心配になるような発言もあったのだけれど…。後で発言の要旨を聞くと「だってせっかくの貴重な機会なのだから海外から来てくれているスタッフのことを考えるたら情報を共有してもらうことは大切でしょう、そう思わない?」と。このように他人を思う人がこの会社にいてくれること、そして行動で模範を示してくれることを思うと自分もそうありたいと改めて動機づけられる。ところで、私が本当に嫌いなのは、議論が進んでゆくといきなり笑い出す人。最後は苦しくなれば笑いで濁せばよい、と思っているのだろうか、全く理解ができない。そして、少なからずこういう人を多くの日本人に見かけるような気がするのだけれど…議論の相手に失礼だ、と内心怒ってしまう。

さて、ロシアで仕事をすることは素の自分を出してスタッフとぶつかり合う機会が多い。それを自分で逃さずにいれば、がっつり組んで立ち向かってゆけば、きっと成長できる場となるはず。ロシアで日頃からスタッフと言葉の取っ組み合いの喧嘩を繰り返す毎日を送る中、自然と“喧嘩力”がつく訓練の場が与えられていることがありがたい。また別の機会に書き連ねたいのだけど、今日も人事評価制度の在り方について1時間半、人事スタッフと議論に議論を重ね、どっと疲れが…。でも、自分の反対意見を率直に語ってくれる相手に感謝。それだけ同僚のことを思ってくれている証拠なのだから。

そもそもグローバルな人材って?そもそもグローバルになる必要があるのだろうか?永遠のテーマ。最終的には周りに流されず、己の信じる道を貫くのみ、だろうか。

ロシア人スタッフとのコミュニケーション / Communication with Russian colleagues

モスクワの夏の終わりもすぐそこに…お気に入りの公園にて。向こうに見えるのはモスクワ大学。


嬉しいこと、悲しいこと、怒ること…表現の方法は異なっていても”みな同じ人間”という事実はどの国でも全く同じ。ロシア人だから何か特別に接しなければ、ということは無いと確信してる。自分が重ねてきた数々の失敗をもとに重要だと思う点を書き出してみた。

「相手をリスペクトすること」
いたって当たり前なのだが、これがすべての源泉。頭で知っていることと心で理解していることは大きく違う。今でも忙しさに追われて日々の振り返りの中で反省も多い。相手をリスペクトする、というのは、相手を名前で呼ぶ。下の名前だけでなく、ロシア人スタッフ全員の苗字も覚える。少しでもロシア語を話せるよう頑張る。お菓子を時に買ってはオフィスで配る。そんなちょっとしたことの積み重ねもあるけれど、ここではもう少し深いテーマについて書き出してみた。
リスペクトするにあたって具体的には、

・感謝すること

「ありがとう」と心から言うことの大切さ。メールで“Thank you!!”というだけではなくて、直接本人に「助かったよ、ありがとう」と言葉で伝えることの大切さ。メールの言葉は薄っぺらいけれど、直接語る「ありがとう」の重みはまったく違う。なおのこと、日本人ならではのお辞儀(軽く会釈)することも良い効果があると思う。通っているジムの更衣室で一緒になった男性に何かの時にお礼をした際、自然と会釈をすると「お前は日本人か?日本の年上を敬う文化、そうやってお辞儀をする文化は素晴らしい。自分はチェチェン人(ロシア南部の一ロシア共和国)だが、自分のところにも同じような文化があり、自分はそういった習慣を持つ日本人を尊敬している」と言われたことがある。

・出退勤時の挨拶

“Good morning”, “До свидания(Good bye)”, “See you tomorrow”
朝早くにオフィスに来て、自分の仕事に集中しているといつの間にか挨拶のタイミングを逃すことがある。近くに座るスタッフとは問題ないが、離れた違う部屋に座るスタッフとの挨拶は難しいこともある。部下もすでに仕事に入り込んで机やPCに向かっていると、自分自身の性格の問題もあり、こちらから声をかけるタイミングを見つけられずに遠慮がちになってしまうことも…。努力して声をかける、何らかの仕事の話をもって近寄ってみたり。その時々で相手の様子もみつつアプローチしている。挨拶―これは一番シンプルで、とっても重要なコミュニケーションツール。

・自分が自分の仕事に集中しているときに声をかけられたときに必ず手を止めて、身体と顔を相手に向けること

”Excuse me, XXX san, could you give me signature?”, “I have a question.”, “XXX san, sorry, could you tell me?” このような会話が続くと、「なんだよ、まったく。そんなことで時間取るなよ、こっちに聞くなよ…」と心で思ってしまう→顔に出る→相手に伝わる→気まずくなる。これが常に続く場合は、会社運営に根本的な問題があると思われるが、こういったケースはどうしても起こる。気軽に聞ける雰囲気づくりが重要と感じている。誰かが自分の席に来た時には、手を止める。身体ごと相手に向ける、相手の目を見て話す。この基本を大切にしてゆきたい。このことの大切さは先輩社員に教わり、貴重な教訓となっている。相手のために自らの時間を捧げること―とっても重要なリスペクト。

・第三者との会話に同席するロシア人スタッフの面前で不在の部下ついて発言する際の注意

例えば、社外の方とのミーティングで、「わが社には優秀なスタッフがいて、HRのSpecialistは非常に優秀ですよ、よくやってくれています。」と言う。けれども、その場にHRのマネジャーが同席していて、彼女には日頃から「いつもありがとう、You are great、仕事に感謝しているよ」と自分は伝えていなかったとする。横で座っている彼女の心境はどうだろうか?「私の部下のSpecialistは優秀って言っているけれども、自分のことは一度もほめてくれていない…。」そんなことでがっかりさせてしまう可能性があるのではないだろうか。これは自分自身の場合にそのように感じることであり、他人にどう思うか直接聞いたことはない。相手の感情に傷つけてしまうのではないか、そう自分で感じていることで日頃から自分の言動に気を付けようと意識している。

・自分の中にバイアスが無意識にできているのだ、という事実を認識し、それをできる限りコントロールすること

日頃から多くの時間をスタッフと接していると、自然と自分の心の中に各スタッフに対するバイアスが出来る。彼女はいつも仕事が丁寧、彼は仕事が遅い、いつも何か間違いが多い、など。でも時に自分のバイアスを前提に相手のことを決めつけてしまうと判断を誤り大事に至る。
受付のソファに長いこと掛けているゲストがいる。気になっていたけれど、しばらくして会議室をのぞくと営業マネジャー、スタッフと彼女が面談をしているようだ。会議室の予定を見ると確かに面談らしき事由でBookingされている。HRマネジャーが見当たらず、HRスタッフに「なぜHRスタッフが同席していないんだ?」と聞くと、「私は面談があるなんて聞いていない」という(またか、というバイアス)。しばらくしてマネジャーが戻ってきたので、「なぜHRが面談に入らないの?通常、人事面談はHRが入るものでしょう、ずっとあなたが席を外していたから彼らは先に始めてしまったのでは?もっと営業とコミュニケーションを密に取らないと」という(いつもこうなんだから、というバイアス)。この時点ですでにHRに対するネガティブな、また、営業スタッフにはHRのサポートが無く申し訳ない、という決めつけができてしまっている。なぜならば、必要採用数が複数ある現状で、営業スタッフから人事スタッフはどうも我々をサポートしてくれていないようだ、何とかしてもらえないか?というフィードバックを一度ならず受けていること、自分自身も何かと人事スタッフと仕事のコミュニケーションがうまくいっていないことが重なっていた、そんなことが前提となっていた。でもよく確認すると、その面談は採用とは違うものであったというオチ。

・”自分のための逃げ場”を常に意識した言動をすること

これは結局、自分の言動によく注意を払う、ということ。あとで自分の非が判明するときに、日頃から自分が常に相手に寄り添える関係を持っていないと修復が難しくなる。多くの可能性で単なる自分の勘違い、状況の把握不足による誤解であったケースが多くあり、不必要に関係を一時的に悪くしてしまうことがあった。上記のバイアスの例も然り。何かを言葉にする前に可能な限り時間を取って熟考することで余計な発言を抑えられる。時間がない場合でも、批判的な言葉は避けて事実確認から入ることで雰囲気を悪化させないこと。相手に傾聴すること(とりわけ女性は話が長くなる傾向もあり次から次へと話を繰り出すので、よく遮ってしまうこともあり反省もあるのだが…)。入社早々に退社してしまった女性に「この会社は、余計な一言を発言する人が多いように感じる。言わなくてもいいのに。それも退社の理由の一つ」と言われたことがある。人は自分のほうが正しい、相手よりも上である、それを見せるために、あるいは自らのプライドのためにそのような発言をしたがる傾向にあるのだろうか。不思議な生き物だ…人間というのは。
この注意によって、いつか別の機会に自分が苦しんでいると、スタッフが率先して助けてくれる。そんな場に遭遇するときに自分の日頃の言動の大切さを学び続けている。

・何か叱責と取られてしまう発言をする際、発言する前に時間をとってよく熟考すること。感情のままに動いてしまうと関係が気まずくなり修復に時間を要する。

これは上記と重複する点。自分の言動に気を付けることで防げる。でも気を付けていないといつの間にか過ちをおかしている自分がいる。

・相手を自分と対等の一人の人間として敬い、自分(会社)の決定がその人だけでなく、その人の家族・親戚にまで影響を及ぼすのだ、という認識を持つこと。

残念ながら日々多くの要件を抱えている中で、一つ一つの問題を同様に扱うゆとりがなくなってしまうことが多い。どこかしらで自分はボスで相手は部下、という上下関係を無意識に持っていることも事実。こんな例があった「他のスタッフの行動で私の感情が非常に害された、この状況で今後毎日会社にくることは気持ちとして難しい、会社としての対応案を教えてくれないでしょうか」とのメール。こちらからすれば「率直に伝えてくれてありがとう、分かりました。今週中に話し合おう」と回答。木曜日の業務時間も終わったころに、帰りがけに当人がやってきて、「まだ話し合いの時間を教えてもらっていなけれども、今週中って約束しましたよね」と言われる。「分かった、分かった、約束は守るよ」と回答しても、相手の顔を見ると「私のことをその程度にしか考えていないのね」という感情が明らか。自分自身の他の業務の優先順位もあり日時設定できていなかった点は自分の誤り。このようなアクションの遅れによって問題を余計に複雑にしてしまうことにもなりかねない。どこかしら無意識に自分の行動に自分の心の優先順位が表れてしまう、恐ろしいことにそれが顔にも出てくると元に戻すのは大変だ…。

このテーマは大げさだけど、ただ、少なくとも10人以上のスタッフにクビを宣告して去ってもらった実体験からすると、相手をリスペクトするというのはこういうことだと思う。その人の収入に依存している、自分の知らない彼・彼女の関係者がどれだけいるのだろうか、彼らの生活にクビという決断がどれだけ影響を与えるのだろうか、そこにまで責任を持てるはずもないけれど、少なくともそんなことを考えてゆきたい。そうすればおのずから日頃の相手に対する接し方が変わってくるはず。それは相手の人間性までは否定することなしに、なぜクビになるのかを可能な限り当人に理解してもらう努力、これはクビを言い渡す面談時ではなく、日頃からの接し方にかかっていると言って過言でないということ。だからこそ、相手の仕事に対する日々のフィードバック(”それいいね、ありがとう”、”それはあかんよ、頑張っている姿勢は感謝するけど評価できない”など)、時には適切に口論も辞さずに叱ることが(ほめて伸ばす、という風潮には素直に賛成しかねる。必ずしも良い効果を生み出さない結果を見てきたので、どのようにほめるか、何をほめるかがカギだろう)相手の納得感を高めるためにとっても大切なことなんだと体験している。

このように書き出してみると、多くの企業で抱える人のトラブルの内容は万国共通であり、いかに小さな問題であってもその問題を受けた上位の人間がどれほど相手をリスペクトできるのか、その問題から逃げずに対応するかという真摯さが求められているのだろう。リスペクトの元になるのは他人に対する”愛”だろうか。何だか非常に堅苦しいけれども、いかに他人を愛せるか、そうすればリスペクトも自然と培われるはず…これが今の時代のマネジメントに要求されていることだと認識している。実行するのは本当に大変で、人間は不完全なので常にできるなんて約束は無理だけれど、それを自然と身に着けられる、そんな人間になれるように努力してゆきたいといつも思う。

部下の課題管理の方法/Task management

部下のタスク進捗管理をどのように行うか?

この課題は誰もが抱える課題と思う。日々試行錯誤を繰り返しつつ最適解を見つけようと努力中です。自分自身が今分かっているのは「組織、部下、状況に合わせたやり方からその時に相応しい方法を取り入れること」。

今、自分は人事、経理、法務、IT、物流の各セクションに責任を持っている。各セクションには課長がおり、定期的に彼らと課題確認を行っている。ただし、会社規模も決して大きくなく、各セクションの人数は2~5人と小規模であることから課長の部下ともコミュニケーション機会は多い。

”欧米では個人の自主が尊重され、双方の信頼関係をもとに仕事を任せるべき。そのため、締め切りを定め、部下から報告が上がるのを待つこと”なんていうアドバイスを読んだことがあり、そのように始めてみた。また、全く定例会議もなかったため、毎月一回集まるようにしてみたり。それでは足りず、昨年は各セクションと週一度のミーティングを設定。このコラムも役立ちました。

コラム:The 15-minute weekly habit that eased my work anxiety and made my boss trust me more

やっぱり上手くゆかないセクションとは日々話合いをするしかない…。人もそれぞれで、きちんと自主的に管理し、定期的にレポートしてくれるスタッフには必要以上にチェックを入れる必要もなく、一方で頻繁にケアしてあげる必要があり、それを望んでいるスタッフもいる。その場合は意識して声がけすることが大切なんだ、とも学んでいます。

最近読んだ本では、とある企業では毎朝の15分のブリーフミーティングを行うことで業務に関する疑問が減り、総合的に会議時間を減らすことに成功した、とあった。そう、会議、会議、というけれども、日頃からコミュニケーションが取れていれば頻繁に会議を開く必要もないはず。自らを振り返ると、自分のことばかりに忙殺されていてスタッフへの気配り、声がけが足りないなぁ…と反省することばかり。

今ではオフィスの中をできる限り歩き回り、スタッフの近くを通るその都度、声をかけて数分ほど各課題の進捗を教えてもらう、複雑な課題は別途会議を設定して議論する。といったやり方に落ち着きつつある。