ロシア語(英語)での会議で気をつけるべき誤解 / Be careful to misunderstand in the meeting organized by Russian colleagues, in Russian language

時々、業務の関係でロシア人のための、ロシア人による、ロシア語でのビジネスミーティングに出席する機会があります。その際の注意点です。わが身への自戒も込めて。

・年齢

・声の落ち着き

・外国語

・流暢な説明、多くの情報をちりばめた説明

これは大きなバイアス要因となりうるので注意が必要と思います。外国人で自分自身より年齢が上で貫禄がある。これだけで、この人は自分よりも人生経験も仕事経験も私よりもすごいので、この方の発言内容は信頼できるに違いない、と勘違いしてしまう危険があります。実は頓珍漢なことを話しているだけで内容はたいしたことがないケースもあります。

冷静に話す人、低い声で。低い声で話すことは、安定感を相手に与えるので勧められていますが、その話す内容をよく聞くことが必要です。声の音質から感じられる落ち着きにだまされることがないように注意が求められます。

外国語。ロシア語を母国語とする人に私たち日本人が勝てるわけがありません。ロシアという場でロシア語で話される。そのことに対して自動的に、この人の言っていることはよく分からないけれども、よく分からないからこそ、とにかく頷いて、信じたくなる。そんな思いにかられてしまうことがあります。

たくさん話す人は結果としてポイントを分かっていない人が多い気がします。それで?何がいいたいの?と。物事の本質、要点を分かっている人の話は的を射た説明ができるがゆえに話の最初の部分で言いたいことを把握できます。一方で、話が長い人は、自分でも何を言っているのか分からなくなっているのでしょう、話せば話すほどに自らを苦しめるのですが、どのように話を終えてよいのか自身でも分からなくなってしまっているのでしょう。

最後に、ロシア人の面々の前でロシア語(英語)で皆の前で発言するときの大切なことについて。心臓のドキドキ、バクバクが止まりません。いかに通常通りの声の質で話すことができるか?完璧な言葉で話せるわけがありません。大切なのはとにかくしっかりと話すこと。相手に理解してもらえるように言葉を選んでゆっくりと相手に伝わるように話すこと。そんな一つ一つの経験、こんないい歳をしたおっさんがこの年齢にになってロシア人の前で失敗して苦笑いされたり、恥ずかしい気持ちにもなるのですが、いつまでも失敗してでも挑戦してゆくこと。これが年齢を重ねる歳をとるほどに一層大切になってくるなぁ、と感じます。失敗すると、やっぱり嫌な気持ちになり、なにくそ、と思わないわけがありませんが。

でも失敗する、ということは挑戦していることの証拠でもあるので、その時々に感じる感情、思いを大切にしてゆきたい、そう思います。

いつまでも素直でいたいものです / Being always acceptable and flexible

人の成長にもっとも大切な要素は一体何だろう、とロシア人の部下と働いていていつもいつもどこでも考えてしまいます。

素直さ。

これが全てではないか、と。そして、細かいこだわりを持たないこと。これも素直さと繋がっているのだろうと。こだわりを持てば持つほどに自分と周りを苦しめる。自分と異なる価値観を持つ他人の見方を許容できる素直さ。

人にアドバイスされて言われたとおりにやってみる。すぐにやってみる。余計なことを考えずにやってみる。それが出来る人がどれだけ少ないことか。私も年を重ねるにつれてそうなりつつあるなぁ・・・と、時に振り返ってふと思うことがあります。己として、絶対に譲ってはならない芯を持つことは必要ですが、どのレベルでのこだわりなのか。自分として強いこだわりを持つものの、そのこだわりがどれだけ高い次元のものか?マネジメントを担う人間にはその高さが求められているのかもしれない、と。

オフィスの棚を入れ替えたい。そんな意見が部門から届きました。どんなデザイン、どんな大きさにしようか?そんなことでも女の子たちは細かいデザインの違い、サイズ、色にこだわって議論している様子を見て、う~ん・・・自分だったら違うかなぁ、という思いもよぎるのですが、本人たちが納得して購入する、それで仮に失敗してもたいした金額ではなければ、またやり直せばよい。そこに私自身の色やデザインの好みを強く主張する必要はないんだなぁ、と。たとえ自分の家ではこだわりがあるとしてもです。そこにあるべきマネジメントとしてのこだわりは、一人でも多くのスタッフは自由に自分の意見を発言し、議論をして自らで決めてゆくこと。会社の決定の中で、自身の主張が同僚との議論の間で考慮されていることを実感すること、なのかもしれません。

繰り返しになりますが、私ももちろん、人は年齢を重ねるほどに、自分のこだわりが強くなり、素直さを持つことが難しくなってゆくのが自然だと思います。以前にはすんなりと従っていたのに、次第に自分も“賢く”なってきたと感じ、自分のこだわりも増えて、それを他人にも強要し始める。まずい兆候です。

いつまでもどんなことでも受け入れられる素直さを持っておくためには、こだわりをもたないことは非常にプラスだな、と。どんなものでも受け入れられるので、進めてくれる相手から喜ばれるし、自分も新しいことを経験できる。良いことだらけです。

レストランでも、メニューを見ても何に決めてよいのか分からない時。サービススタッフに、「あなたのお薦めは何ですか?」と聞くと、「私はこれをおすすめです!」そう返ってくれば、喜んで「OK!ではそれを持ってきて」。そうすれば相手も喜ぶし、なぜ相手がこのお店でこれを薦めてくれるのか(結果のよしあしに関わらず)分かるものです。

スタッフの中には、経験を積んできて私が何もあなたから教えてもらうことはない、と考えているのか、どれだけアドバイスをしても聞き入れない部下がいます。目の前でノートにすべき仕事をメモしているのに、しばらくして進捗確認をすると全く進んでいない。しまいには” don’t know”ときます。本当の馬鹿なのか(いや決してそうではなさそう)、よほど喧嘩を売っているのか(これも違う)、私自身を単に気に入らずに分かっていてもやらないのか(口論になることは一週間に亜何度かありますが、だからといって決して私を嫌って何もしないわけではない)・・・。人はどんなに言っても変わらない。手を常に差し伸べる努力は欠かしてはならないものの、どこかのタイミングでその手を引っ込める時期があること。この決断が必要なことも感じています。

素直さの大切さを説いたノウハウ本が幾つも世の中には存在すると思われますが、果たしてどれだけの人が口では他人に「さあ素直に、謙虚にいましょう」と発言しても、実際の行動にそれが現れているだろうか ― そう考えると疑問が湧いてくるものです。これだけ世間に同じ内容のノウハウ本がありとあらゆる国に存在するということは、つまりそれだけ需要が絶えないわけなので・・・。いかに頭の中では知識として素直でいることの大切さを理解していても、心に到達していないことか。

素直でいること。簡単なようで非常に難しい、でも自分次第ですね。

仕事で両手を正しく使用することの大切さ / The importance of using both hands at work

モスクワ川遊覧船から見るモスクワの街の光景。 21:00出発、23:30に出発点に戻るコースで船上で夕食を楽しみつつゆったりとした時間を過ごした晩でした。

ロシア人スタッフの働きぶりを見ていて、両手を正しく使用できていないなぁ、ということが気になって仕方がありません。主にパソコンのマウスとキーボードの使用方法のことです。IT読み書き知識以前に、基礎の基礎として両手をキーボードの上に置くこと。これ大切です。そして、片手をキーボード、もう片方をマウスの上に、という基本スタイルは誤りだ、ということを認識する必要があります。パソコンの技術的な向上は、まずはこの基本姿勢ができてから。

たまたま書棚にあった「計算力を強くする」著:鍵本 聡氏の本の中に興味深い記述がありました。

計算間違いをしそうな学生の具体的なイメージ・・・左手(右手)を使わない学生・・・計算・・・は、頭と体を同時に使った作業・・・頭だけでなく、体の状態も大切なのです。・・・これはあくまで筆者の経験で書いていますが、左手をノートの上に置くことを実行させるだけで、計算力が格段に向上する学生が何人もいます。鉛筆を持っているほうの手だけでなく、反対側の手が大切なのです。

これは仕事のスタイルとして、両手をキーボードの上に置くことを基本姿勢とすることと同じことだと思います。 学校の勉強でも、ペンを持っている反対の手に消しゴムを持ち、必要に応じて使い分ける。経理スタッフは、ペンを持つ反対の手で電卓を叩いて計算する。両手で書くことができるようにすること。両手があるのだから、両手を効果的に使用する。そんなことを実践中です。両手を使用することで脳のよい訓練にもなっているのではなかろうか、と感じています、明確な根拠を示すことができないのですが、私自身の経験から述べると、仕事のアイディアがどんどん浮かんできたり、業務の生産性が上がっている。そんな風に思う場面が増えました。

ショートカットとマウスを適切に使用する

マウスを使う意味とショートカットの活用方法の境を理解した上で、双方を上手に使用できること。(マウスなしですべてキーボードとタッチパッドで処理する、という考え、マウスに頼ってばかりの操作方法の双方が誤りです)そして、両手を使うことで仕事にリズムが生まれます。

楽器を演奏するように、キーボードのタイピングにはリズムがあります。私が考えるに、このリズムを途切れさせないこと、このリズムに”音楽性”を持たせることが大切なのではないかと。マウスを使って悠長に対角線上に矢印を移動して画面をとじたりメニュを一つ一つ探す、こうなるとこのリズムが崩れます。

ショートカットを使用することはこのリズムを維持するのに重要ですし、その合間に入ってくるマウス操作のゆるさが緩急を生んでいる(はず)。

以前勤務していた経理スタッフの女性に「ショートカットを覚えるのは大切だよ。」と言うと、以前に韓国企業での勤務経験もあった彼女曰く、「東洋の人はショートカットにこだわるけれど(決して嫌味ではなく、笑いながらです)私にはそれほど必要ではありません。時間内で業務を終えられているし」とのこと。実際残業もなく仕事を処理していました。

時間に対する意識の仕方が考えと行動を変える第一歩

どんなに私の考えを伝えても、スタッフ全員に強制することはできないので、少しずつスタッフと会話して、IT読み書き力が上がってゆくのを眺めているところです。何よりも、自分の持っている、二度と戻ってくることのない「時間」に対する意識の度合いが人の行動を大きく変えるのだ、ということを今とても実感しているところです。1秒でも、とは言いませんが、今このときに1分あればどれだけ多くのことを成し遂げられるのだろうか、いかにこの無駄な作業を終えられるだろうか、たとえ業務量が多いとしても、どれだけ残業をせずに仕事を確実に終えらセルことができるのだろうか、そんなことを真に意識することから行動が変わってくる。そんなことを言ってもロシア人スタッフの多くには理解してもらえないのですが・・・。毎日、どんなに忙しくてもきっちりと1時間のランチタイムを取り、大きな声で笑う声が聞こえてくるのを微笑ましく見ながら、一体どっちが幸せなのだろう・・・?と自己吟味する毎日です。

ロシア人部下のマネジャーの権限を飛び越えて自ら全てを掌握したいと思うとき、我慢です。/ Patience – when you want to get full control of everything jumping over the responsibility of Russian managers

郊外に向かう列車の中で、民族衣装を着た高齢の女性が突然大きな音で音楽を流し、カラオケを始めました。くるくる回る踊り付きです。思わず車両に乗っているみんなも笑顔になるほかありません。こんな年配でもこんなにも活力があって、少しでも生活の足しにしようとお金を稼いでいる。こんな女性の姿を見て、どれだけ一生懸命に日々を生きているのだろうか、と考えずにはいられませんでした。

部門責任者として各課の業務に責任を持つ者としては、各スタッフの働きぶり、仕事の進捗状況がとても気になるものです。どうしてもやってしまう過ちは、各課のロシア人マネジャーを飛び越えて末端の部下と業務進捗を直接確認し、指示を出してしまうことです。会社規模も小さいがゆえすべてが見えること、自ら動いて指示を出すことが安心でもあるゆえ、課にはマネジャーがいることが分かっていてもその上に立つ者として、マネジャーの気持ちを考えずに行動してしまいかねない。そんな過ちをしばしば犯してしまいました。

課のマネジャーからすると、「私の部下なのに、なぜXXXさんは私に言わずに直接指示をするのかしら?私のことを信用していないのだろうか」と。マネジャーと私の間の関係の雲行きが怪しくなる瞬間です。

課のマネジャーとの会議で「じゃあ、あとは課の中で話し合って報告してね」「はい、分かりました」と。そう言ったあとで、よかれと思ってその課全体にマネジャーにお願いした内容を改めて私がメールで書き出します。そうすると「さっきは私に部下と話し合って報告してね、と言って合意したのに、なぜXXXさんは私の部下にも含めてメールをだすのかしら?」とマネジャーは疑問を持ってしまいます。

今年春にあったことです。スペシャリストの女性スタッフの給与昇給とポジションタイトルを変更することになりました。課のマネジャーには、この女性に給与とポジションの変更を一緒に伝えよう、と予め会話をしていました。このスペシャリストの女性はアウトソース契約であるため、彼女のポジションタイトルが変更すること自体、社内の人事に大きな影響を与えるものではありません。アウトソース、という認識が強く、私自身が深く考えていなかったことが原因ですが、彼女が私の席に別の用事でやってきた時に「ちょっと時間ある?話したいことがあるんだ」といって彼女と会議室に行き、待遇の変更を伝えました。課のマネジャーと私のスケジュールの調整がなかなか出来ず、頭の中では「はやくスペシャリストの彼女に待遇変更を連絡しないと、しなければ」という焦りの気持ちもありました。そんな時に彼女と話す機会が生まれ、咄嗟に「ちょっと時間ある?話したいことがあるんだ」となったわけです。それを後から知ったマネジャーは激怒。

「あなたは私との約束を裏切った。あなたは私が同席のもとで彼女に待遇の変更を伝えると約束したじゃないの。そんなことをする人だなんて思わなかった。失望しました」とのメール。「申し訳なかった、今さっきの話だから、まだやり直せる。もう一度あなたも入れて面談をさせて」と。「今更そんなことやっても無駄。あなたがすべて伝えてしまったのだから、今になって私が同席して同じ内容を繰り返しても意味がない。ひどすぎる」と続きます。あとはごめん、もう一度面談を設定しようよ、と言っても頑なに「あなたはすべてを台無しにした。」と返ってきます。マネジャーの彼女としては、自身の評価によってスペシャリストの彼女の昇給とポジション変更が叶ったことを本人の前で伝えてもらいたかったようです。そして、いくらアウトソース契約だからといって、マネジャーにとっては毎日接している部下で、日々自らが彼女の成長のために教育をしている身です。そんな彼女にとっては自らの提言によりマネジメントからの承諾を経て、自分の部下が昇給し、ポジションタイトルも上がることを大変誇りに思っている。それを伝える貴重な機会に自分が不在であった、自分に約束したことが反故にされたこと。それに深い失望を覚えたようです。マネジャーの彼女の気持ちを汲み取っていなかったことをその日は深く反省しました。

そのあとしばらくその彼女とのコミュニケーションが途絶えたのはご想像の通りです。後日、マネジャーの彼女からメールが届きました。「もし本当に先日のことを申し訳なかったと思っているのであれば、今日、ぜひ一緒に彼女に再度伝える場を設定しましょう」と。しっかりとマネジャーの彼女に絞られてしまいました。「今日の面談はどうだった?」と聞いたら「Не плохо(ネ、プローハ)悪くなかったわよ」と合格点をいただきました。これでも一応部門のトップなんですけど…と内心思ったのですが、人によってこの考えは千差万別とは思いますが、私は時に部下のマネジャーから怒られること、いじられること、そんなスキを与えることも円滑に部門を束ねるために必要な点なのだろうな、と考えているところです。

「日本人と仕事をするのは疲れる!」/ “Really feel tired of working with Japanese!”

モスクワ中心街の高層ビル群、Moscow Cityの85階にあるレストラン”Ruski”(ロシア料理店)からのモスクワ市街の眺め。世界が小さく見えます。自分の悩み事もちっぽけに見えてくる?写真左手に見える塔とその周りの広場は第二次世界大戦の勝利を記念して作られた”Victory Park”です。お気に入りの場所のひとつとなっています。

「日本人と仕事をするのは疲れる!」

これがずばりロシア人スタッフの本音ではないでしょうか。毎日ロシア人スタッフと働いていて、彼らの反応を見ていてそんな気がします。

我々日本人にとっては当たり前のような資料作りも「分かりました。」・・・その表情をみると、“まったく面倒くさいこと要求してくるな。分かったよ、上司だし・・・聞いておくか”なんて様子がちらっと見えることも。ロシア語には、”Ладно”という、何度となくロシア人スタッフから聞くスバラシイ言葉があります。 あまり賛成ではないんだけど、まあ分かりました、という消極的な賛成の言葉です。(Дадно = Если кто-то говорит ладно (уж), значит, он сначала на что-то не соглашался, а затем решил (или был вынужден) согласиться. )

エクセル資料は、作成後は必ず印刷範囲に収まっていることを確認すること。不要なシートは除くこと。罫線のデザインがばらばらなのはダメ。フォント・文字の大きさが違うから直して。分かった、問題は分かったので、もっとこの問題を含めて全体像が分かるようなロジカルに説明した説明資料を持ってきて、など。「このような小さなことにどれだけ注意を払えるかで、その人の仕事に対する姿勢が分かる。だから小さなことに気を配ることが大切なんだ」との信念を曲げずにロシア人スタッフと余計にこじれます。これは大筋では真実であると私は考えていますが、実は正しくもあり正しくないのだろうな、と今では思ってます。

ロシアに長く住み、ロシア人スタッフと勤務していて、ロシアから学ぶことが多くあります。日本とロシアのどちらが正しい、というわけではありません。ロシアにあって日本にないもの、それが今の日本で必要とされているものではなかろうか、と。ロシアも然り。ロシア人、お願いだからもっと日本のよさを学んでくれ!と毎日一度は心の中で叫ぶのです。「日本はすばらしい。トイレがきれいだ、ウォッシュレットが最高だ」なんてことはどうでもよいので、仕事に対する取り組み方も学んでくれ・・・と。

細かいことに注意を払うからこそ、日本の美しい工業製品、芸術が生まれる。細かいことに注意を払うからこそ一つ一つの行動が慎重になり、会社の稟議にも時間を要する。でも、その行動の結果は想定内に収まる可能性が高くなる。そして、それが日本全国の各レベルで機能しているので、結果として“安定した”国家が生まれる。そんな”安定”にロシア人は魅力を感じる。そんな“安定した”日系企業で働きたい、というロシア人。 通貨暴落を何度か経験している国であり、”安定”という言葉が存在しない(?)ロシア。面談に来るロシア人の中には、絶対にロシア企業で金mしたくない、と言い張る 人も少なくありません。

一方、ロシアでは細かいことよりももっと大きなことに目を向ける。(宇宙に船を飛ばせる国であり、そのためには非常に精密さが求められるはずなので、ロシア人は細かいことがだめだ、という偏見の目で判断することは控えます)。細かいことは気にしない。問題が発生したときに何とかしましょう、という意識を感じます。悪く言えば、すこぶる雑です。他方、相手のことを考えず、自分のことを優先に考える傾向、はっきりと自己主張できる強さ、感情を自然に表せること。これらは、決して良いとは言えませんが、結果がどうであれ物事を前に動かすためにはプラスです。

今後はますます、日本人が自然と培ってきた特質が大切になると感じるようになりました。それは、「他人がどう考えているか、他人にどうすれば喜んでもらえるのだろうか。」という他者のことを考えられることです。相手とのコミュニケーションの中で、相手の心の中を読み取る能力、それに合わせて自分自身の対応を変えてゆける力、相手と自分の相違をどの着地点で決着させるかを見極める。これは本当に大切です。これはマニュアルとして記載して後任者に渡しても人に引き継げる能力ではなく、成功・失敗の経験を踏まえて自らに培ってゆくしかないのだろうと。

他人のことを配慮できる能力 ― 日本人が誇るべき特質の一つ ― は違う見方をすれば、他人からどうみられるか気にして行動できなくなる、という消極的な捉え方もできます。私自身、この考えに強く縛られていました。というか、それすらも感じずにずっと長く日本で生きてきました。長年働いてきました。しかし、この考えが自らを勝手に縛っていることに気が付いたのは、ロシアで働いている中でのことです。

人の目が行き届かない部分でも妥協せずに細かい点を意識する。だからこそ今の日本がある。それにロシア人も羨望の目を向ける。しかし、実際に自らやれと言われるとそれは別。「私は見てるだけで十分!私はなんだかんだ言ってもロシア式の雑さが好きだ!」というのも本音なのかもしれません。

日本人にしてもロシア人にしても、自らの強み・弱みを理解した上で他者の良さを素直に受け入れて自らを変えてゆける、成長してゆける人。そんな人材がもっともっと増えてゆくことを会社の従業員に期待するばかりです。

今年初のダーチャにて束の間の休息をとる。/ Taking a momentary rest in Dacha.

モスクワ中心の住まいから地下鉄、電車を乗り継いで約2時間半。この日曜日は友人のダーチャでゆっくり過ごしてきました。ダーチャについては多くのウェブサイトがその良さを説明しているので説明の必要はありません。

ただただ、本当に癒されます。

私はただのゲストですので、実際にダーチャを所有し建屋や敷地を整備する時間とお金は一体どれだけかかるのか…想像ができませんが、モスクワに住んで日々忙しく過ごしていると、どうしてこれだけダーチャの文化がモスクワの人々に根差しているのかがよく理解できます。

わずか一日でしたが、帰りの電車に乗り込む21時半まで、とてもゆったりとした日曜日を過ごすことができました。あとは写真にこの一日を語ってもらいます。

Электричкаと呼ばれる重々しいロシアの郊外列車で目的の駅に到着。人の流れ乗って通りへ向かいます。
ビニールハウスの家庭菜園。トマトが生っていました。
早速お昼からバーベキューです。トマト、ナス、パプリカをしっかり火で焦がします。あとで水につけて焦げを取り出すと中はしっかりジューシーな果肉があつあつの状態となっていました。これをしっかり混ぜてお肉と一緒にご馳走になりました。
こんがりと焼けて、ほくほくのお肉たち。
青空のもと、心地よい風を浴びながら、今朝森で採ってきたというキノコのスープ、モスクワ市内から持参してきたウィスキーとワインと一緒にランチの時間です。
ご近所のダーチャ。見るからに古い木造建ての家屋ですが、とても大事に手入れがされている様子が感じられました。このお宅のお庭にお邪魔させていただき…
洋梨を広い集め…
小麦粉、砂糖を混ぜ合わせたものと順に重ね合わせてオーブンへ。すっかり美味しそうにこんがりと焼け上がりました。調理方法はとてもシンプル。そして、とてもおいしく。
しばらくゆっくりした後は、森へ散歩へ。
こんな立派なキノコたちが森の至るところにすくすくと生えていました。森の地面の一面にはっている緑の草たちは非常に柔らかく、フワフワとしていてまるでカーペットのよう。
森から出て、ダーチャに戻る頃にはこんなにきれいな夕日が。目でみる夕日はもっともっと大きく見えたのですが、写真ではどうしてもその雄大さは伝わらないことが残念です。

仕事の生産性を向上するには / How to increase work productivity

今日、お気に入りのカフェにて。通りから入ると、中庭があり、この空間がモスクワの中心で外界との別世界を作り出してくれています。青空のもと、心地よい風を感じながら、今年ももうわずかとなった最後の夏を楽しみました。甘い香りに惹かれて蜂が空になったレモネードのグラスにやってきました。

膨大な業務量に追われる毎日。生産性の向上についてもがいています。(この記事では、生産性と切り離せないIT技術の記載はせず、主に自らとの闘いについてです)

生産性を高める方法(いたって目新しいものはなく。むしろあったら教えていただければ嬉しいです)

週の初めに必ずその週にやるべき仕事のスケジュールを作成する。

一日の仕事の振り返り。自分のしてしまった失敗・こうすれば良かった点を記録すること

複数のことを同時にしてはいけない。一つの仕事に集中し終わらせる。(仕事の内容によります)

音楽はなし。繰り返しの仕事で単調作業であれば音楽が必要だと部下は言いますが、私の仕事はそのようなタイプではないので音楽はなし。

時間を区切って勝負するのが大切。やると決めたらその時間にやりきる。トイレに行きたくなってきてもやりきる。トイレに行きたければやりきれ!と自分に言い聞かせて。

仕事のイメージを作り上げるために、気分を入れ替えるために一つの仕事を終えた後に机の周りやオフィスの掃除をしてみたり。

確実に1つ1つの仕事をその日に終わらせる。明日まで延ばそうという考えは無し。

残業すれば大丈夫、時間がなければ週末にやればよい、という甘い考えが頭の中に巣食うことを絶対に許さないこと。この意識が頭の中で大きく占めてしまうと、その途端に仕事のスピードが落ちてしまう。

このような上記の点は、日本にいた時に大量に購入したノウハウ本を通して知識として持っていました。しかしながら、見聞きして知っていることと、自身の中に根差して理解し、実際の行動に移すことの差には、とてつもなく大きな違いがあることを今になってはっきりと認識することができました。

仕事の見積もり時間の精度を上げることはとりわけ重要

この記事の一番最後にあるLink先のブログ記事を参考にさせていただき、私自身もこの方のファイルに似せたマクロで動くExcel仕事管理リストを作成し、毎日更新しています。私の問題は、少しでも多くやらなければ、という意識で幾つものタスクを今日のやるべきこととしてしまい、その結果見積もり時間が24時間を越えてしまうことがあることです。つまり、寝ずにひたすら作業をしても今日やるべき仕事の完了時間は翌日の同じ時間、というわけです。無理です。優先順位を定めて、現実的にできることを見極めつつ、さらに一つ一つの作業時間の見積もり時間の精度を高めることが課題です。

ドラッカーは時間管理の大切さを説いています。私自身の経験からすれば、自らの仕事時間を管理することが習慣として定着した後、記録集計を継続し、データ集計をして、その結果を見て満足してしまう。つまり、その時間管理の行為自体が目的と化してしまうことの問題を感じました。原則として、自らの時間管理ができている、と納得できることは、時間の記録をせずとも自らの時間利用方法を客観的に観察できていること、正しい時間の用い方ができていることと言えます。そのため、時間管理が現時点で問題なくできていると判断した段階で、記録はストップして問題ないと考えています。 定期的に見直しの時期を設けることで十分なのかもしれません。

行為が目的化してしまう ― これはすべてのことにおいて当てはまりますね。毎月的敵に作成するレポート(それで?何に使うの?「いや昔から作成していて引き継がれたので・・・」、でもそれって本当に役立ってる?「いや誰も見ていない気がします」・・・であれば作成する意味ありますか?)

定期的な会議(集まりあうことが問題になっていませんか?「この会議は大切なんです。なぜならそれが課のターゲットですから。」…でも集まる理由はなぜでしょう。目的が明確ではない。議論の結果の結論が決まらない。議事録が作成されず共有されない。その結果次に集まったときに前回話し合った内容を忘れてしまっている。そんな会議に二度と取り戻せない自らの時間を捧げる必要があるのでしょうか…)

時間管理も大切ですが、本来の目的とその手段が目的化していないか、これこそ徹底的に棚卸しを継続してゆくべきだと考えています。会議を見ていると、なぜだか話に詰まったときに笑いが起こる。それで内容がごまかされてしまう。それで結論が何か曖昧になってしまう。これは忌み嫌うことの一つです。

集中できないとき

解決策 ― その日は止めて帰宅するのがよいでしょう。仕事を終える時間の目安となるときは?

それは集中できないとき。私の場合、それを感じるのは、誤字脱字が増えてきたとき。なぜだかYoutubeを見出してしまうとき。Excelの数式Inputにやたらと時間がかかり頭が混乱しだすとき。携帯電話をいじりだすとき。他のことを考え出してボーっとしてくるとき。

各自それそれに何かしらのサインがあると思います。その時には、よほど締め切りに終われていない限り、早く帰宅して翌日の早朝から仕事を開始するほうがずっと生産性が高いことを私の経験は物語っています。昨日さっぱり原因不明でエラーが出続けており意味不明であったExcelの計算式が、翌日に取り掛かるとわずか5分程度で解決したり。「あっ、なんだ、こんなことか」と。翌日朝起きてボーっとしていたら、「あれっ、これはいけるんやないか」というアイディアがポッと浮かんできたり。

でもやっぱり我々は人間

自ら、「ながら勉強」は絶対にダメだ、と分かっていても、今でも時にやってしまうのです。それが人間の弱さでもあるのかもしれません、悲しい。でもそこから残りの一日をどれだけ「まあ、何とかそれでもよくやったよな」と自分に言い聞かせられる一日でできるか。そんな自分のリカバリー力を見るときに、自らの成長を感じる機会かもしれませんね。また、「ながら勉強やってしまった…」と思うのですが、そんな弱さを許容しながら生きてゆくほうがより人間的だと思います。あくまで”時にやってしまう”程度に留める必要がありますが。

生産性を上げるための極端な方法は、締め切りぎりぎりに一気にやりとげる。それが一番スピードアップの理由の気がしています。毎回経験するこの苦々しい経験を避けるために計画を立てるのですが、どうにもそう簡単にいかないところが人間です。

周りに頼ることもとりわけ重要

最後に生産性向上にとりわけ重要なことをもう一つ。それは周りに頼ることです。部下に素直にお願いすること。自分の弱さを見せることです。部下も私がそんな完璧な人間ではないことをよく分かっています。「オルガ、お願いしますよ、もうあなたに頼むしかないんです、だって私ではできないので…。よろしく、ね」(顔色を伺いつつ)。「エレナ、ごめん、もう疲れた!帰っていい?あとはお願いします、あなたならできるから、信じてるよ」(そうは言っても後で受け取った資料はしっかり自分自身で確認するしかないのですが。何かあったときの責任は私ですので。)周りに頼れる人は素晴らしいと思います。自分の弱さを認める謙虚さを持ち、自分の出来ないことを周りに頼れる、つまり周りを信じる。それによって周りも彼らが信頼されていると感じることができる。良いことばかりです。やっぱりみんな不完全な人間ですから。

参考情報

Excelタスク管理で使っているExcelテクニック+マクロ

https://www.ex-it-blog.com/Excel-Macro-Task

9月―ロシアの新学期の時期に15年前に起こったベスラン学校占拠事件を想う / September – New school season – remembering Beslan school siege 15 years ago

9月は学校の新学期の始まり。ロシア人の子供を持つ親たちは、子供を学校につれて行き期の始まりをお祝いするために休暇を取ったり、遅れて会社に来るケースが多くあります。私の勤務する会社は比較的まだ年齢層も若いため、目立って多いな、という印象はありませんでしたが、4,5名の女性スタッフが実際に休暇を取ったり遅れて出社していました。実際にこんな記事がロシアの著名な新聞の一つ、Vedomostiにありました。

「9月2日(1日は日曜日のため、学校初日は2日)は従業員の1/3が休暇を取って学校の始業式に出かける ― この事実について雇用者は何を考えるか」

https://www.vedomosti.ru/management/articles/2019/08/28/809894-tret-rabotnikov-sentyabrya-poidut-shkolnuyu

こんなおめでたい日ですが、その一方で、15年前の9/1に北オセチア共和国のベスラン市で起こった悲惨な学校占拠事件があったことをロシア人スタッフに言われて思い起こしました。

Юрий Дудь (Yury Dud)というジャーナリストが特集した約3時間の長いビデオがYou tubeで公開されています。「これをぜひ見てください」と。ロシアでは有名なYoutuberのようですが、この中では当時を生き延びた人たちの話や、唯一占拠されていた建物に入って、話し合いの結果26人の人質を外に連れ出すことができた元イングーシ共和国大統領Руслан Султанович Аушев (Ruslan Aushev)氏の直接のインタビューが掲載されています。

教えてくれたロシア人スタッフによれば、いかにロシア政府が無能であったか、ロシア政府の要人が及び腰であったか、テロリストの攻撃情報を事前に入手していたにも関わらず行動しなかった、なぜこんな悲惨な事件が起こるのか・・・滔々と語ってくれたのですが、今となっては何が真実なのか、一方的な話だけでは分かりません。

目の前の自分自身のことに追われてしまい、どんなに悲惨な事件でありながらも、そのような事件も自然と風化してしまうことを恐ろしく感じます。過去を定期的に振り返ることの大切さを教えてくれました。

この事件があった体育館は、雨などによる老朽化を防ぐためか、その外側を覆う建屋が建てられ、当時のままで保存されています。その隣には亡くなった方々を弔うかのように教会が建築されていますが、そもそも、「なぜ神様がいるのであればあんなにも可愛らしい子供たちが幼い命を失わなければならなかったのか・・・」と考える人が多くいるのではないでしょうか。訪れる価値のある貴重な場所です。

大祖国戦争(第二次世界大戦)モニュメント”Перемиловская высота” / Peremilovskya Vysota

この週末、家族連れやカップルが訪れて高台から眺める美しい光景を楽しんでいました。

モスクワに住んでいると、2回の大きなモスクワ攻防戦について思い返す場面に遭遇します。Отечественная война 1812 года (ナポレオンとの祖国戦争)、Великая Отчественная война (ナチスドイツとの第二次世界大戦 ―大祖国戦争)。

主にナチスドイツとの大祖国戦争に関するモニュメントを目にする機会が多いのですが、モスクワ郊外(Подмосковье)にも有名なモニュメントが存在します。

“Перемиловская высота” / Peremilovskya Vysota

モスクワ市内の鉄道駅から北に電車で1時間。Яхрома(Yakhroma)駅で降りると、通りに出るためにプラットフォームから上った階段の上から遠くにモニュメントが見えました。”Перемиловская высота”の意味はPeremilovoという村の”Vysota”(直訳で「高さ」の意味)、高台という意味と解釈しました。

モスクワの良いところは、電車に自転車を積んで郊外に出かけてゆき、新鮮な空気、人気の少ない静かな空間の中でのサイクリングを楽しめることです。自転車で10分も走ることなく、モニュメントの下に到着しました。高台にあるモニュメントまでジグザグの道を上ってゆきます。

モスクワ中心の赤の広場からわずか北に約80km。自転車でもわずか6時間もあれば到着してしまうほどの距離。

このポイントは、モスクワ攻略を目指すナチスドイツが1941年冬に最もモスクワに近づいた場所だそうです。1941年12月5日、ソヴィエト軍は10日間の攻防の末、ナチスドイツの攻撃を撃退することに成功し、ここからナチスドイツ撃退の第一歩が始まった重要なメモリアルのポイントとなっています。町には決して横幅の大きくないモスクワ運河が流れています。この東西にソヴィエト軍とナチスドイツが陣取り攻防していたようで、今では非常にゆったりと静かに流れる運河。この町を巡って1941年に同じ場所で、この運河の場所でそのような血みどろの戦いがあったとはとても想像が難しいものがあります。訪れた時にはそれほど本当に平和な空間が広がっていました。モニュメントにたどり着く道の途中にあった詩:

駅から眺めるモスクワ運河

Запомните:
От этого порога
В лавине дыма, крови и невзгод,
Здесь в сорок первом началась дорога
В победоносный
Сорок пятый год.

電車でわずか1時間のところでこのような歴史があった、という事実。これほどの近距離(赤の広場から約80kmです)までナチスドイツがたどり着いた、という事実を知ったモスクワ市民の動揺。当時の市民の思いを想像すると非常に複雑なものがあります。本土への上陸が無く、空爆がメインであった日本での戦争とは違う、日本人の自分には分かりたくても分からないものがある…そんなロシアの大祖国大戦です。

帰る時には、路肩にある家からバーベキューの匂いが。みんな良い天気のもと、庭でお肉を焼いて家族、親族で楽しく週末の夜の時間を過ごす。日本での週末というと、平日の仕事に疲れ果てて土曜日は潰れる…日曜日は街中に出かけてショッピング、レストランで食事して帰ってゆく、そしてもう明日は月曜日、仕事だ…というのがイメージにあります。が、ロシアでは金曜日の夜から「さあ、ダーチャへ」。土曜日の朝から郊外の新鮮な空気の中で目覚め、日曜日までのんびりと過ごす。こんな時間の過ごし方がとても人間らしい素敵なあり方だな、とロシアに来て思うようになりました。(訪問日 2019年8月31日土曜日)

到着してから数時間ここで過ごし、帰る間際の美しい夕日の景色。多分、この自然の美しさは1941年から変わっていないのでしょう。

参考情報

https://mosregtoday.ru/rayony-kvartaly/bitva-v-kamne-znamenitye-podmoskovnye-pamyatniki-velikoy-otechestvennoy-voyny/

https://tourism.restexpert.com/russia/place/peremilovskaya-vysota/

ロシア人スタッフの時間管理-其の2 / Time management of Russian staff – part 2

赤の広場横に隣接する公園、Зарядье(Zaryadye)から眺める赤の広場の美しさ。先週訪れた際の一コマ、20時くらいの光景です。Zaryadyeの言葉の由来は「(12あるいは13世紀頃に構築された区画で)Behind the row(赤の広場に隣接する市場のお店の”列”の後ろにある場所)」だそうです(Wikipediaより)

以前に記載したロシア人スタッフの時間管理テーマの続きです。朝9時の始業時間に遅刻した時にスタッフに書いてもらっていた用紙一式を、部下から受け取りました。そのユーモアセンスのレベルの高さ、内容の面白さにただただ笑うしかありませんでした。そもそも朝の9時に全員が来なければいけない理由はなぜなのでしょう?会社制度の在り方を考えさせられます。

ロシア人の友人との会話 ―

「学生時代には時間管理が厳しくて、とても遅刻なんかできなかった。」

私「なぜ就職した途端に突然時間を守れなくなるの?学生時代には遅刻せずに学校に行っていたのに?」

「卒業するといろいろあるのよ…。家のことや家庭を持って忙しくなるし。」

私「学校と同じように、会社でも時間管理を厳密にしたらどうだろうか?」

「そしたら誰も居なくなるわよ。」

私「…」

Arrival time 9:08 “Я спала, потому что хотела спать!”(寝ていました。だってもっと寝たかったんだもん!)そうだよね。でも…頑張って来よう。

Arrival time 9:23 “Вышла к электричкам, не могла найти выход в город.”(電車の(出口の)方面に出てしまい、街への出口を見つけることができなかったの。)そんなアホな。

Arrival time 9:05 “Забыла перевести часы на зимнее время.”(冬時間に時計をずらすのを忘れてしまってました。)いやいや、2014年10月26(日)からはサマータイム制度は終わっていて一年中時間は同じですよ。

Arrival time 9:03 “Забалтать с продавцом роз”(ばら売りの売り子とおしゃべりをしてました)おしゃべりしている時間があったら遅刻せずにオフィスに来い!

Arrival time 9:23 “Не хотела приехать.”(会社に来たくなかったんだもの)なんと応えてよいのか…。私もそんな気持ちになること、あります。

Arrival time 9:03 “Monday morning :(“ (月曜日の朝だし。)うん、分かります。でも…頑張って来ようかね。

Arrival time 9:05 “Еще раз спросите – уволюсь.”(もう一度(遅刻した理由を)聞いてきたら辞めてやる)彼女は大切な人材だったので、この時に辞めることなく続けてもらってよかった…。