新入社員の頃、本当に時間に対する意識が欠けていました。上司に報告するために作成した資料の説明。上司に質問されて堪えられない自分。その場で沈黙が流れる…。今思えば、そこで切り上げずに時間を取り続ける上司もどうだったのだろうか、と思ってしまうが、それだけ部下思いの上司であった、とも言えます、決して怒ることなく、いつも頭をポリポリとかきながら黙々と机に向かう仕事熱心な方でした。
上司も優しいので、なんと言われたか忘れたけれど、苦笑いしながら、頭をポリポリかきながら、「XXXさん、もう少し事前に準備できませんかねぇ…」そんなことを言われたことを覚えています。
その頃からずっと時間も経ち、自分が部下を持ってかの上司と同じ立場になったときにようやく気が付くあの時の上司の気持ち。自分ならどうするか?どうしたら一番時間を大切にした方法が選択できるか?その判断の繰り返しです。
会議。Outlookでデフォルトとなっているからか、大概1時間の会議招集を送ってくる人がいます。しかし、情報交換だけが目的であれば、30分の設定でよいのでは?と思ってしまいます。あるいは、そんなこと、メールで済む話でないの?
新入社員の頃の初々しい気持ちを今でも覚えています。初めて会社のメールアドレスが与えられて、パソコンを目の前にして机に座ったあの時。待てども一向に自分あてのメールがやってこない。受信ボックスは空っぽのまま。早くメールがこないだろうか…自分だって仕事をしたいのみ…。そしてようやく受け取ったメールに気持ちが高揚した瞬間。
今ではOutlookを立ち上げるたびに、はあ、こんなに着ている…と幻滅し、それから気を取り直していかに不要なメールを無視し、厳選した必要なメールだけ拾って回答してゆくかの作業。自分のやりたい仕事に集中するには早朝、スタッフが帰った後の夜、あるいは休日。それ以外は懐疑やら予定外の招集に呼び出されて対応しての繰り返し。
3月の終わりから始まった自宅隔離生活もすでに一か月半が経過。オフィスでは、皆と同じ場所に座って、騒ぎが起これば何が始まったのか聴き耳を立て、会計の締め状況がどうなっているのかスタッフの会話から把握し、人事のところでコソコソと話が始まれば私的なことなのか何か人事関係のことなのか注意が向き…そんな風に何となく全体を把握できる状況でした。今では一切何が行われているのか分からない。定期的にMicrosoft Teamで招集する会議やチャットで状況を把握しない限り、毎日の動きは分かりません。お互いへの信頼をベースに仕事を進めてゆかなければ不安や疑いによって関係が損なわれ、チームが崩壊してしまうでしょう。マネジメントの仕方も大きく見直しの時となっています。
さて、本題に戻ると - 会議室の予約時間が決まっているのだが、前の会議が15時に終わるから15時から次を入れましょう、とするとまずうまくいったためしがほとんどありません。大概の会議は延びます。その内容によりますが、ディスカッションの場合には時間内に終わることが少ない。会議の設定の方法については、前の会議の終了予定時間から30分は空けて次の会議予定を入れるといったゆとりを入れる工夫をしないと過密スケジュールとなってしまい対応ができなくなります。自分が上司であり、自分の指示に部下が従う必要ある、けれども、彼ら3,4人が私が来るのを待つ時間、それが15分とか馬鹿にできないほどの遅れになると、彼らの貴重な時間を奪っていることになります。確かに彼らは何かすごい責任を持った仕事をやっているわけではないかもしれない。それでも手元の仕事を切り上げて会議室にやってくる、その時間を失ってしまっているのは事実。せめて自分自身が前の会議にもでており、次の会議を別のスタッフと設定する場合には、一定のゆとりを設けること、そうすることで他人の時間への敬意を示したいです。
全体集会で、営業にのみ関係するテーマが熱くなって延々と個人的な質問をする人。コンサルティング会社の説明会で質問時間になると「私のビザは現在〇×△■な状態なんです、うちのスタッフに聞いたのですがよくわからなくて、教えてもらえませんか」そのやり取りがしばらく続くことも。個人的なことは自社で利用しているコンサルティング会社と個別に話し合ってください、というのが素直な気持ちです。銀行主催によるセミナーでの質問タイム。「今日のお話はありがとうございました。えー、私は自分のビジネス分野に従事してかれこれXX十年近く経ちます、それでもなかなかまだわかっていないことが多くてぜひアドバイスをいただければ嬉しいのですが…」といって質問が始まる。謙虚のつもりのようですが、全くもって不要な言葉ではないでしょうか。
他人の時間に敬意を払い、犠牲にしたくないからこそ自らの時間を多く費やして、資料やメールの準備に時間を取ってしまうこともありますが、それは決して正しいとは言えません。なんでもかんても考えすぎても今度は自分が動けなくなるのが危険、やっぱりどこか頭の中で客観的な目を自分の中に持っておいたほうがよいだろうと思っています。
「お前考えすぎだ、それ、その完成度で問題ない、とにかく早く送信してしまいなよ」そんな自分の声に「うん、そうだね」と胸の中で回答して送信ボタンを押してしまう。そんなやり取りを無言で行いながら、他人の時間への敬意と同時にスピードを意識して動く、そのやり取りとその検証結果の見直しが永遠に続いてゆきます。はっきり言えるのは、社内のメールに文法、言葉の使い方、てにをは、そのような点に過度に意識することはない、ということ。とにかく意味が通っているのであれば、何よりもスピードを最優先とすること。それこそが他人への敬意でもある、それを学びました。