ロシアで日々業務に携わっていて感じていることは、企業で働く中での専門性、というのはその業務に関する知識の深さではない。その分野で業務を進めてゆくプロジェクトの導入過程で生まれる他の部門とのトラブル、実際の法律と会社の事情のギャップを把握したベストの解決策を提供できるか、予想していない二次的な災害が起こる可能性への対処、そういった、その場その場で求められる目に見えない経験値によるノウハウをどれだけ持っているか。これがいわゆる”専門性”と言われるものなんだろうか、と思うところです。
人事、経理、物流、IT、法務という営業活動とは直接関与しない管理要素のある業務を管轄していますが、”専門性”が果たして何を意味するのか? — 考えてしまいます。知識ならば、いくらでも専門書を読めばよいだけです。インターネットでもそれなりの専門的な知識を得ることができます。
ロシア人の従業員でよく出会ったのですが、知識を持っていることを専門性と思っている人がいます。「ロシアのLabor Codeにはこう書いてあります。だから会社のルールはこうあるべきです。」
確かに法令ではこう書いてある、だからそうしなければならない。それは分かっています。一方で、マネジメントからすると色々な事情もあり完全にそのルールに沿って行うことができない事情もあるかもしれません。ロシア人スタッフもそれを分かっている。であれば、マネジメントと法令の間に立って、現時点でのベストの回答を考えだす。それができることこそ真の専門性なのではないかと思うわけです。
今の世の中、ますます物事が複雑となっています。知識だけで言うならば、外部の会社に委託して情報収集やアドバイスを得ることがより適切となってきています。一方で、彼らはあくまで情報を持ってきてくれるのであって、私たちの会社が抱える内部の課題に関して理解を持っていません。それができるのはまさに”専門性”を持った社内の従業員だけです。その”専門性”は、単に自分の仕事の分野に留まって勉強していればよいものではなく、営業も含めた社内のありとあらゆる分野の事情について情報を持っていること。それぞれの部門が抱えている問題を大なり小なり知っておくこと。一見すると「そんなこと、私の仕事ではありません」と言いたくもなるようなことをどれだけ知っているか。そこから自分の持っている知識と組み合わせて会社にとって必要とされる解決策を提案できるか。まさに今の私たち — 管理業務に携わる人 — にとってますます重要とされるスキルだと考えています。
ロシアに来るまでは、経理業務に専門的に携わっており、会計士になりたいと思い、仕事に出かける前の朝、終わった後の晩、仕事中の休憩時間、週末は図書館で勉強漬け、そんな時を過ごした時期もありました。でもダメでした。目指す過程で日商簿記1級は取得できましたが、会計士の試験に1度チャレンジしたものの、到底自分のレベルが及ばないことを実感した試験体験でした。友人には、日商簿記1級の試験に2回目でパスした人がいます、それも、勉強のほとんどは通勤時間の電車で参考書をめくっただけだという。私は何度落ちたことか…そういった事実を踏まえても、友人の話を聞いたときには自分自身の才能の無さを感じた体験でした。
今となっては経理というベースを越えて、雑多なものに携わる中で特定の分野に従事している人には気づかないアイデアをポッと提案してみたり、ITという全体に関係のある知識を用いて他の部署に話を持って行ったり。自分自身の専門性が一体なんなのか、答えに窮しますが、そんな曖昧さ一杯の”スーパージェネラリスト”という一つの専門性を構築しているロシアでの仕事の日々です。