モスクワに住んでいると、2回の大きなモスクワ攻防戦について思い返す場面に遭遇します。Отечественная война 1812 года (ナポレオンとの祖国戦争)、Великая Отчественная война (ナチスドイツとの第二次世界大戦 ―大祖国戦争)。
主にナチスドイツとの大祖国戦争に関するモニュメントを目にする機会が多いのですが、モスクワ郊外(Подмосковье)にも有名なモニュメントが存在します。
“Перемиловская высота” / Peremilovskya Vysota
モスクワ市内の鉄道駅から北に電車で1時間。Яхрома(Yakhroma)駅で降りると、通りに出るためにプラットフォームから上った階段の上から遠くにモニュメントが見えました。”Перемиловская высота”の意味はPeremilovoという村の”Vysota”(直訳で「高さ」の意味)、高台という意味と解釈しました。
モスクワの良いところは、電車に自転車を積んで郊外に出かけてゆき、新鮮な空気、人気の少ない静かな空間の中でのサイクリングを楽しめることです。自転車で10分も走ることなく、モニュメントの下に到着しました。高台にあるモニュメントまでジグザグの道を上ってゆきます。
このポイントは、モスクワ攻略を目指すナチスドイツが1941年冬に最もモスクワに近づいた場所だそうです。1941年12月5日、ソヴィエト軍は10日間の攻防の末、ナチスドイツの攻撃を撃退することに成功し、ここからナチスドイツ撃退の第一歩が始まった重要なメモリアルのポイントとなっています。町には決して横幅の大きくないモスクワ運河が流れています。この東西にソヴィエト軍とナチスドイツが陣取り攻防していたようで、今では非常にゆったりと静かに流れる運河。この町を巡って1941年に同じ場所で、この運河の場所でそのような血みどろの戦いがあったとはとても想像が難しいものがあります。訪れた時にはそれほど本当に平和な空間が広がっていました。モニュメントにたどり着く道の途中にあった詩:
Запомните:
От этого порога
В лавине дыма, крови и невзгод,
Здесь в сорок первом началась дорога
В победоносный
Сорок пятый год.
電車でわずか1時間のところでこのような歴史があった、という事実。これほどの近距離(赤の広場から約80kmです)までナチスドイツがたどり着いた、という事実を知ったモスクワ市民の動揺。当時の市民の思いを想像すると非常に複雑なものがあります。本土への上陸が無く、空爆がメインであった日本での戦争とは違う、日本人の自分には分かりたくても分からないものがある…そんなロシアの大祖国大戦です。
帰る時には、路肩にある家からバーベキューの匂いが。みんな良い天気のもと、庭でお肉を焼いて家族、親族で楽しく週末の夜の時間を過ごす。日本での週末というと、平日の仕事に疲れ果てて土曜日は潰れる…日曜日は街中に出かけてショッピング、レストランで食事して帰ってゆく、そしてもう明日は月曜日、仕事だ…というのがイメージにあります。が、ロシアでは金曜日の夜から「さあ、ダーチャへ」。土曜日の朝から郊外の新鮮な空気の中で目覚め、日曜日までのんびりと過ごす。こんな時間の過ごし方がとても人間らしい素敵なあり方だな、とロシアに来て思うようになりました。(訪問日 2019年8月31日土曜日)
参考情報
https://tourism.restexpert.com/russia/place/peremilovskaya-vysota/