一般的に、グローバル化、多様性といった言葉は奨励されている、ポジティブに捕らえられる「会社が目指すべきあるべき姿」だけれど、それは前提が正しい場合であって、必ずしも正しいとは言えない。世間一般の”流行”に流されることなく、自らの置かれている状況をよく比較した上で目指すべき姿を吟味すべきである、と経験からよく実感しています。
多様性 - その難しさ
ロシアの労働法の93条「Not full time working time」ТК РФ Статья 93. Неполное рабочее времяを見ると、14歳未満の子供を持つ両親は(子供の事情によって)労働時間を短くすることができる権利がある、とあります。たとえばこのようなケース。勤務時間は18時まで、子供を預けている幼稚園が18時で閉まってしまう、家族や親戚を誰も頼れない・・・結局自分で子供を迎えに行くしかない。そのため、17時に退社し、毎日1時間の労働短縮を雇用者に要求する。短縮の分、給与も減るのですが、毎日1時間、週に5時間スタッフが不在となることによる雇用者へのデメリットは予想を上回るものです。
正社員が例えば50人の中小企業では、各部門にそれほど多くのスタッフを雇用できないはずです。それでも従業員がいる分、色々なことが起こります。同僚が病気になってしまってお休み、そんな中もう一人の従業員は17時に退社してゆく。誰も担当者がいなくなってしまう空白の1時間が生まれる・・・。そんなときに1件、2件と問題がおこったりするものです。「なぜ誰もいないのよ!」とストレートに(こちらが日本人マネジメントであるため遠慮してか直接言われることはないのですが、部屋の中でほえているのが間接的にぐさっと来ます)文句を言われることも。また、ロシアでは1年間のうちに連続して14日間の有給休暇を取得することも義務となっているため(知る限り違反したとしても罰則はありませんが)、マネジメントにとってはこの2週間をどのように管理するか、オフィスに残っているスタッフが病気にならずに問題なく出社してくれますようにと、どこかしら意識しつつ過ごすことがあります。
フレキシブル勤務時間 ― これも一概によいとは言えません。小さな会社で、かつまだ会社の基盤そのものの整備が求められているような状況では日々多くの問題が起こります。そんな中で世間の流行に流されて多様化を推し進める。フレキシブルな勤務時間を導入する。スタッフもハッピー、マネジメントもなんだか良いことをしたという感覚に。・・・いざスタッフが自由に出社してくると、朝から急ぎで議論したいことがあっても、スタッフが揃うまでに動き出せません。たとえわずか1時間のフレキシブルであっても悶々として過ごす1時間はなかなか嫌なものです。スタッフの勤務時間を管理することも一層困難となります。
仕事で大切なのはそのアウトプット、成果であって、勤務時間・勤務場所をコントロールすることではない ― これは私自身、真理であると考えています。一方で、小さな会社には小さな社会があり、小さな勤務スペースの中で各人が周りの行動をよく見ています。この小さな社会で、少数の人間が他と違う行動を取り、それによって相手が優遇されているような感覚を持ってしまうこと。人間なので残念ながら十分にあります。「自分自身は遅くまで残って仕事しなければいけないのに、なぜ彼・彼女は遅く来て(早く帰って)仕事もろくにしないの?」そんな気持ちになってしまうスタッフが少なからず出てしまうのを見てきました。上記の真理を説明しても効力はあまり無いようです。
多様性は善でもあり害でもある
お互いに距離が近いので、他人が自分と違う条件がどうしても見えてしまうことにより不公平感、不平不満が出てしまうことがネガティブに影響する。特に小さな会社であり、まだまだ会社の基盤ががっちりと整備されていない企業であれば、皆が一体となって一つのチームとして取り掛かることがより重要であり、このタイミングで多様性はむしろ阻害要因だと感じています。多様性というのは大企業で人材を豊富に揃っている、大企業で同じ会社の中でもそれぞれの部署が一つの社会となって他の部署との不公平さが目に付かない条件であること(それぞれが違う部屋やフロアで勤務している物理的な隔離も重要と思います)、小さな会社であっても会社の基盤がしっかりしておりリモートでもスタッフ同士の連携が取れるような・・・そんな状況で考えるべきなのが多様性だ、と自らの経験を通して学習しています。これまで多様性についてじっくり調べたこともありませんが、きっとどの専門家の話をお聞きしてもこのようなことが書いてあるのでしょう・・・。