ロシアは外見をとりわけ重要視する文化と思います。たとえば冬。女性は外に出かける前に鏡の前で入念に帽子の位置をよく確かめる。ロシアならではだろうか、スカーフ(Платок)を頭に巻く場合もあるが、それもきっちり鏡の前で時間をかけてチェック。男性はというとこれが女性とは異なり適当かもしれない。以前、ロシア人女性はどれだけ化粧品にお金をかけていることか…と呆れたようにしゃべったら、「XXXさん、私たちがこんなに綺麗にしようと努力しているんだから満足しなくちゃだめですよ」と部下の女性に軽く怒られてしまった。でも本当に外見に気を遣う点でロシアの女性は素晴らしいと思います。
さて、今回のテーマはこの外見という点ではなくて、プレゼンにしても何かを語る時でも言葉という外見で飾り立てられた外見という綺麗さに惑わされて、現実との乖離をよく考慮しなければならない、という点です。
以前、アメリカを旅行していたときに偶然出会った女学生。彼女はワシントン大学に1年間留学をしているとのことでした。ワシントンで飛行機を降りてからInformation centerで偶然出会い、同じ方向ということで街中へ向かうバスの中で会話をすることができましたが、わずか20歳足らずで「最初は自分の語学力のレベルに躊躇していたが、2,3ヶ月ほど経ってから、アメリカの学生の話はとっても立派で聞こえが素晴らしいことを語るんだけど、中身が無いことに気づいた。長く浪々と語っても内容はほんの大したことのないこと。それが分かってからは自分の語学力や彼らの素晴らしい語り口調について怖気づかなくなった。自分自身は多くを語らずともポイントを突いたコメントをするように心がけている」と。
そんなに若くして、しかもわずか短い期間で真実を見つけたその能力におどろいたことを覚えています。私自身も(もちろんロシア人の全員がそんなことはありませんが)同様のことを数年間の彼らとの業務経験を通して感じています。ロシア人スタッフと一緒に仕事をしていて感じるのは、スタッフの説明の仕方は素晴らしく、語り口調が何だか説得力を持っており、そのまま聞いていれば素直に信じてしまいそうになります。ロシア以外の他国で勤務したことありませんので分かりませんが、欧米やロシアではこのような傾向があるのでしょうか。
日本人の良さでもある、周りとの協調性や自己主張をしすぎない観点はこちらの世界では時としてマイナスに働きます。自分自身もまだまだ苦手です。議論に入っていくために何を言いたいのか考えて英語やロシア語に翻訳し、そんなことを頭の中で考えていると話の流れを聞き失ってしまう、そんなこんなで発言のチャンスを無くしてしまう。そんなことが何度もあります。仕事では上司という立場ゆえに、スタッフもこちらの様子をうかがっているため会話に入ることは容易ですが、社外で一人間として話す場合には自分自身から入ってゆかなければならない。黙っているだけではそのうち視線をそらされ、その場にいないかのように存在を無視されてしまう…。日々よい訓練の場です。
人事面談でこの直近1年だけで20人ほどの採用面談を行いましたが、私が大切にしているポリシーは“きれいな”会話をする人との会話には注意が必要だ、ということです。自分自身も仕事に対してこうありたい、という理想を持っており、そうできるように日々努力しているので、同じ意見を持って語ってくれるスタッフを採用したいと考えるのは当然のことです。実際にそんなスタッフと出会い、これは一緒に現状を打破してくれる、と思って採用したところ、口で言っていることと本人の行動がかみ合わないこと。会社の現実はそんな理想には至らないことが多くあり、そのギャップを理解した上で、一歩ずつその溝を縮めようと努力していきたいのに、「もう我慢できない!私はこんなことをするために入社したわけではない!」とか、自分のことだけ考えた発言をしたり、あたかも裏切られてしまったかのように感じたこともありました。
採用面談では、これまで仕事で失敗したこと、そこから学んだことはありますか?と尋ねていますが、これまで誰一人として明確に失敗したことがある、と述べてその経験を語ってくれる候補者と出会ったことが実はありません。失敗もそれが次につながる経験と思えば失敗とは思わない、という考え方もありますが私は反対です。素直にその時に間違ったことは間違ったと認めて、それを次に生かす。そう素直に語ってくれる人であれば、その人の純粋な内面が見て取れてより信頼がおけるのに、といつも感じています。 一緒に仕事をしていくのですから飾り立てた内面ではなくて、その人の本当の姿を見たい。自分自身もそうあることで相手も自らも嘘偽りない関係でお互いに楽でいられるんだろうな、と信じています。