長いこと日本を離れて生活し、ロシアでの経験を踏まえた上で自分の生まれ育った国を見ると、不思議に思うことに遭遇しました。
冒頭にアップロードしたこの写真。レジで見かけたコメントです。これは普通の日本語でしょうか?あまりに丁寧に伝えようとして、結果的に何を言いたいのかが分からなくなっているのでは…外国人で日本語を勉強していてもこれは全く理解できないと思います。フロアの責任者もこのようなものを見ておかしいと思わないのか…あるいはこの表現は今の時代には普通なのでしょうか?
また、「~をしてもらう」の尊敬語として「いただく」を利用する場合には、頂く、と漢字で書くことは誤りのようです。紙のスペースを節約できるので漢字を利用したくなりますが、それでも正しい日本語を利用したいものです。
レジの支払いにて
レジ店員「お店のポイントカードxxxカードの利用はございますか?」
私「いえ、持ってないです。」
レジ店員「失礼いたしました。」
それにしても、利用はございますか?という日本語も不思議です。また、なぜ失礼しました、と謝るのか分かりませんでした。
平常時にもマスクを着けている人がたくさんいること
黒やグレーまでも。形も怖い。(このメモを書いていたのは2020年1月。まだコロナウィルスも流行る前で、ロシアでは「なぜ日本人はマスクを着けているのか?」なんて笑われていた頃。コロナウィルスが流行するようになってから、すっかりロシア人もマスクを着用するように様変わりしました。今現在ロシアにいる友人に尋ねると、ロシア人はマスク無しの通常のライフスタイルに戻っているようです。)また、平常時にマスクをつけるのはできるだけ自分の表情を人に見られたくない、という心情もあるのでは、と聞いたことがありますが真実はどうなのでしょうか。
サラリーマンが集う新橋にて
(2020年1月に散歩したとき)だいぶお疲れの会社員の方々がいます。その一方、夜の飲み屋街で働く人たちのほうが元気で礼儀正しい人が多いのでは?近くにあった蕎麦屋で蕎麦とかつ丼を食べながら出入りする人たちの人間観察をしていてそう思いました。サラリーマンとして大きな組織に所属すればするほど、個人としての戦闘能力が気が付かないうちに奪われてゆくように感じられるのは気のせいでしょうか…
日本の電車やバス
アナウンスがやたらうるさい人がいませんか?。自動音声で次の駅名を伝えるのは分かります。しかし、アナウンスに続けて、運転している方が繰り返しだみ声で続けるあの音声。無用としか思えないのですがいかがでしょうか?スピーカーの音質もよくないですし、耳が痛いです。あなたの個人的な楽しみのために乗客はその騒音に頭を痛めています。
日本は街のデザインのセンスが低いのでは
そう思って一緒に旅行したロシア人の友人に伝えると、逆に統一感がない街のデザインは良い、という違う反応が返ってきました。見方を変えると、自分にとっておかしなものも実はよいものであったりするのですね。統一されたデザインをきれいと見るか、乱雑さの中に美しさを見出すのか。どちらも異なる美の観点で、どちらも正解なのかもしれません。
公共バスの料金支払いシステム
私は自分自身の地元しか知らないので比較感がありませんが、乗った地点でパスカードをチェックし、下りた時点で必ず前方の運転手横にある機会にて支払いをして降車する。乗り降りの効率さの視点で見ると非効率的ではないかと感じることがあります。載った距離に応じて課金されてゆく方法と一回ごとに運賃が固定のケース、そのどちらが適切なのかは分かりませんが…。モスクワやそのほかに出かけたことのある町の様子しか分かりませんが、ロシアでは距離に関係なく、一回乗ると固定の金額を支払います。それにしても田舎の町に行くと、現代でも、乗客から料金を回収する恰幅の良いおばさんが乗ってい回収して回っている。料金を支払うとチケット代わりに紙切れを手渡す。こんなシステムが生き残っています。