残業の真逆の評価スタンダード / The opposite evaluation standard for overtime work

日本の企業で働いている方なら同じことを感じる方が多いと思います。遅くまで残って仕事をしていると上司からの評判がよい、他の人も残っているのだから自分ももう少しだけ残って仕事をしようか、という気持ちです。

残って仕事をしている ⇒ 頑張っている ⇒ 仕事に打ち込んでいる ⇒ 素晴らしい ⇒ 心象も高くなり評価もしたくなる

でも、こんな考え方もあります。

残ってやっている ⇒ 仕事の遂行能力がない ⇒ 仕事が出来ない人間 ⇒ 評価できない

どちらが正しいのでしょうか?— 恐らく、両方とも正解だと思います。実際、私たちは自分の能力のレベルに応じて毎日の仕事を一生懸命に果たそうと努力しています。その人のレベルで一生懸命に努力している。優秀な従業員を基準に全ての従業員を評価すべきではありませんし、優秀な従業員には相応の報酬や立場が与えられるべき。決して処理能力は決して高く無いけれども真摯に努力している人がいる。そのような姿勢は評価されるべきでしょうが仕事の遂行能力がない、ということも事実。現時点ではそれ相応の評価に留まっても仕方ないかもしれません。でも、その努力を継続する時、将来に大きく花開く可能性が十分あります。(その頑張りを絶やさずに継続できること。これこそが大きな能力でもあります)

さて、ロシアで勤務していた当時ですが、終業時間になると、ほぼ残業せずにさっと帰ってゆく経理部門で働く女性スタッフがいました。その女性スタッフの上司は彼女を高く評価していました。仕事が早くて間違いも少なく正確だと。毎日定時で仕事を終えて帰ってゆく彼女に、「もっとできることがあるのでは?」と言うと、

「いつまでも残って仕事をしているのは能力がない証拠だ。早く帰ることは何も悪いことではない。やることをきっちりやっているのだから。」という答えが返ってきました。

全くその通り。

となると、なぜ会社に来て、終業時間までオフィスにいなければいけないのか、そもそもの就業時間の定義にも直結してくるテーマかもしれません。どんなに仕事をこなしても帰れない…いつまでも残らざるを得ないとすれば、これは能力だけではなくて、仕事の業務分担そのものに何か理由があるのも確かでしょう。オフィスにいると、どんなに早く来ていても、周りがまだ仕事をしている中を一人で帰るにもぺこぺこして帰宅する雰囲気。昔ほどではないのでしょうが、今でもそのような雰囲気は残っている気がします。何となくこの時間帯になるとぞろぞろと人が立って帰宅し始める時間帯のラインがある気もします。不思議です。

日本に帰国してタイムカードでの勤務管理に戻り、毎月の給与明細を確認するようになり、こう思います。残業代は重要だと。残業代を日々の生活費の一部として考えている人は少なからずいるだろうなと。その一方で、残業代を無くすと人の働き方はどう変わるのだろう?という関心があります。残業代を目当てにしてしまうと、決して高くもない残業代を得るために二度と帰ってくることの無い自分の時間が失われてゆく、という考えもできます。自分の仕事を終えたら退社する。その分自分への投資のために時間を使うことが有効だ、という主張は理解できます。難しいのは、自分で「投資」をしたとしても、それが将来に確実な報いとして返ってくる保証が無いこと。そのために自分のエネルギーと時間を費やし続けることに疑念を抱いてしまうことだってある。いつもポジティブな意識を保つことはアニメ、ドラマ、映画のようにはいかないのが実世界。どうあっても、最終的には、自分の人生は誰も代わりをしてくれない。自分のものである、自分が納得できる人生を送りたい、そのことを第一にして会社や仕事と向き合うべ木であると今は信じています。そう考えると、日々の仕事へ向き合う姿勢や無用な残業を避けるために集中して仕事に入り込むようになります。いくら同僚とのコミュニケーションが大切だと言っても、生産性のない話を30分以上も続けて、それでいて残業申請をしている人を見ると、会社のお金を盗んでいるのでは、と思いたくもなります。別の言い方をすると、ロシアへ行く前にはいつも周りの帰宅を見計らって帰り支度をしていたような、かつてはそんな受動的な私でした。

ロシアで勤務していた時には、終業時間を過ぎてもなかなか仕事を終えずにパソコンに向かっている部下がいると「さあさあ、もうこんな時間だ、仕事終えて帰ろうよ。」と呼び掛けていましたが、「XXXさん、まだ仕事が終わっていないからダメです。これだけは終えてから帰ります。」そんな回答が来ると感動してしまいました。とりわけ、周りからはミスも多くて仕事が出来ない、と評価されていたスタッフからそんな反応が返ってくると、内心では「偉い、頑張ってくれ、そして周りを見返してくれ」と応援している自分がいました。短期的には評価されずとも、その頑張りがいつか花開く時が来るかもしれません。いや、来ないかもしれません。それは誰にも分かりません。だからこそ人というのは面白いものです。短期的には評価が低くても長期的に見れば努力が実り見違える人もいる。一方で短期的には優秀でも徐々に能力が衰えてゆく人もいる。努力をしているのだけれどいつまでたっても実らないひとも。残業一つをとっても評価が180度変わってくる。結論が無いのですが、人って奥が深い。その一言に尽きます。

仕事のスキル自体は周りと比べれば劣っているとしても、社内に緊張感が張り詰めている時にその雰囲気を和らげる能力を発揮し、難しい場面でも自ら進んで協力してくれる。そんなソフトスキルも含めたトータルでのその人の”能力”が正当に皆に評価されるとステキな会社になりますね。上述の周りの同僚からの評価が低い女性スタッフはそんな女性でした。

※私の知る限り、ほとんどの剤モスクワ日系企業は法律で認められている、Irregular working hoursシフトを採用しており、それは最低3日間以上の有給休暇を従業員に付与することで残業代の支払いを免除されています。ですから、従業員にとっても残業をする意義が日本に比べて全くありません。仕事はあくまで生活を支えるために資金を得るためのもの。仕事をあるべき場所に置いて、それ以上に家族との時間や自分の好きなことに費やり生活を充実させる — これが本来あるべき私たちの生活のはずだと思うのですがいかがでしょうか。