ロシア会計 勘定科目コード01 固定資産(основные средства) / Russian accounting code o1. Fixed assets

会計科目コード01 固定資産。ロシアの固定資産の減価償却の償却期間の考え方が面白いな、とロシアで仕事をしているときに感じていました。

日本の企業で減価償却期間は、私が経験上知る限り税法上で定められている期間を利用している会社がほとんどと思われます。実際に日本公認会計士協会のウェブサイトにこのような通達が掲載されていました。

…23.耐用年数及び残存価額に関しては、本来であれば各企業が独自の状況を考慮して 自主的に決定すべきものである。したがって、資産を取得する際には、原則として 適切な耐用年数及び残存価額を見積もり、当該見積りに従って毎期規則的に減価償 却を実施することが必要である。 24.しかしながら、多くの企業が法人税法に定められた耐用年数を用いており、また 同様に残存価額の設定についても、多くの企業が法人税法の規定に従っているのが 現状である。…

参照:https://jicpa.or.jp/specialized_field/files/2-8-81-2-20120216.pdf

適正な償却期間を自ら定めるにはそれだけの根拠を用意する必要があり、税務とのギャップが生じることで税務上の償却期間とのずれも管理する必要が生じる。それであれば税法が定める耐用年数を会計上も適用するのが合理的、というところでしょうか。

ロシアでは、減価償却には10個の大きなグループがあります。

https://www.audit-it.ru/amortizaciya/

面白いな、と思ったのは各グループの中で耐用年数には一定の幅があり、各企業がその期間のうちからふさわしいと思うものを選択できる自由があることです。日本の場合には、ルール上は企業が会計上の減価償却期間は各々で定めることができるとはいえ、実際は税法上の耐用年数を利用していることがほとんどであることから、何も考えずに該当する資産を見つけ、その耐用年数を適用すればよいだけ。

が、ロシアの各企業は、新規の固定資産を取得すると、まずその資産がどのグループに属するのかを確認し、その資産の耐用年数を検討する必要がある…。これだけ見ると難しそう…と悩んでしまいそうです。

あくまで私の限られた知識の経験ですが、実際のところは、多くの企業で、該当するグループの償却年数の一番小さい年数を自動的に選んでいるケースが多いのではないでしょうか、そんな風に想像しています。自由が与えられても、選択した説明責任が生じてしまい、それを証明するための補足的な根拠を練りださなければならない。実際に多くの企業で各固定資産の使用年数をルール化して定めているところがあるのか…あまり多くない気がします、日本と同じように。また、少しでも多くの費用を償却することが節税効果・資金繰り上もメリットとなることを考えれば、耐用年数を短くしたほうが企業にとってメリットもあります。そんなことを考えると、許容されている年数のうちの最小の年数(月数)を選択するのが自然な流れではないのかな、と思っています。

その最小の耐用年数は各グループの最小耐用年数*12ヶ月+1ヶ月。つまり、例えばグループ3の償却期間は3~5年ですので、3年*12ヶ月+1ヶ月=37ヶ月となります。この月数を記載した所定の書類を作成します。

ロシア固定資産

https://www.audit-it.ru/terms/accounting/ppe.html?sphrase_id=5748579

数値集計レポートを作成するときの自動化と手入力のバランスの難しさ / Difficulty in balancing automation and manual input when creating numerical reports

ロシアから帰国した後、現在の業務では主に子会社の毎月の損益計算表実績をまとめています。限られた時間の中、多くの数値を取り扱う資料を作成、報告することが求められています。また、隣の島で働く別の課でも似たような数値を集計していることがあります。そんな中、どこまで自動化(ここでいうのは主にExcelの数式を組んだりマクロを取り入れて効率的に資料を作成すること)を進めて、どこまで手入力の部分を残すか、このバランスが難しいなと思う場面に出会います。手で入力するからこそ得られる大切なことがあるからです。

先日、オフィスで他グループの先輩社員から、為替影響額を控除した対予算、対前年の売上達成率を見たいのだがどのように計算したらよいのか…と相談を受けて、細かい数値が並んでいるExcelファイルを一緒に見ていました。

― 毎月、各国の子会社から月初に報告される売上実績を円に換算するために、前年の為替実績レートを毎月掛け合わせるのは大変だぁ…

ー ではシステムから毎月自動的に数値をダウンロードしてExcelにファイルを作成できるのでそれを準備しましょう

ー いや、手で入れることで子会社の数値が頭に入るのが良いんだ、だからシステムに頼るところまでは必要ないよ、と。

私自身は、どちらかというと、できる限り手入力の部分を減らしてExcelを駆使して効率化を目指しているのですが、手で自ら入力をするときに、頭の中で数値を認識しながらExcelに自分で入力してゆくとき、それが後で数値を頭の中に残すために役立っていることを感じています。なので、この意見にはとても賛成です。

「資料作成の時間はある意味”無駄”なので、そのあとの分析のための時間に費やすべき」という言葉を管理部門で数値の集計をしている皆さんであればよく聞くと思います。それも正論です。一方で数値を手入力している時間に全く”分析”をしていない、かというとそうでもありません。今はノートとペンを持ってメモをする機会が以前よりも減りました。意識していなければ一日の中で使用しないこともあります。今では専用のシステムを利用して、自分の欲しい値を出せるように必要なコードを指示し、あとはボタンをワンクリック。これだけです。

紙を使用する機会が減った今、その時にパソコンで入力してゆく作業がけっこう重要だったりします。どんなにスキルアップして入力スピードを上げたとしても限界のあるこの入力にかかるスピード感、これが脳みそに程よい刺激を残しているのだ、と。あえて手入力の部分を意図的に残しておくことが結果的に作業をしながら頭の中に数値を残し、と同時に分析も行っているのかもしれません。

日本って面白い / Japan is interesting when I watch out carefully what I though it is normal

長いこと日本を離れて生活し、ロシアでの経験を踏まえた上で自分の生まれ育った国を見ると、不思議に思うことに遭遇しました。

冒頭にアップロードしたこの写真。レジで見かけたコメントです。これは普通の日本語でしょうか?あまりに丁寧に伝えようとして、結果的に何を言いたいのかが分からなくなっているのでは…外国人で日本語を勉強していてもこれは全く理解できないと思います。フロアの責任者もこのようなものを見ておかしいと思わないのか…あるいはこの表現は今の時代には普通なのでしょうか?

また、「~をしてもらう」の尊敬語として「いただく」を利用する場合には、頂く、と漢字で書くことは誤りのようです。紙のスペースを節約できるので漢字を利用したくなりますが、それでも正しい日本語を利用したいものです。

レジの支払いにて

レジ店員「お店のポイントカードxxxカードの利用はございますか?」

私「いえ、持ってないです。」

レジ店員「失礼いたしました。」
それにしても、利用はございますか?という日本語も不思議です。また、なぜ失礼しました、と謝るのか分かりませんでした。

平常時にもマスクを着けている人がたくさんいること

黒やグレーまでも。形も怖い。(このメモを書いていたのは2020年1月。まだコロナウィルスも流行る前で、ロシアでは「なぜ日本人はマスクを着けているのか?」なんて笑われていた頃。コロナウィルスが流行するようになってから、すっかりロシア人もマスクを着用するように様変わりしました。今現在ロシアにいる友人に尋ねると、ロシア人はマスク無しの通常のライフスタイルに戻っているようです。)また、平常時にマスクをつけるのはできるだけ自分の表情を人に見られたくない、という心情もあるのでは、と聞いたことがありますが真実はどうなのでしょうか。

サラリーマンが集う新橋にて

(2020年1月に散歩したとき)だいぶお疲れの会社員の方々がいます。その一方、夜の飲み屋街で働く人たちのほうが元気で礼儀正しい人が多いのでは?近くにあった蕎麦屋で蕎麦とかつ丼を食べながら出入りする人たちの人間観察をしていてそう思いました。サラリーマンとして大きな組織に所属すればするほど、個人としての戦闘能力が気が付かないうちに奪われてゆくように感じられるのは気のせいでしょうか…

日本の電車やバス

アナウンスがやたらうるさい人がいませんか?。自動音声で次の駅名を伝えるのは分かります。しかし、アナウンスに続けて、運転している方が繰り返しだみ声で続けるあの音声。無用としか思えないのですがいかがでしょうか?スピーカーの音質もよくないですし、耳が痛いです。あなたの個人的な楽しみのために乗客はその騒音に頭を痛めています。

日本は街のデザインのセンスが低いのでは

そう思って一緒に旅行したロシア人の友人に伝えると、逆に統一感がない街のデザインは良い、という違う反応が返ってきました。見方を変えると、自分にとっておかしなものも実はよいものであったりするのですね。統一されたデザインをきれいと見るか、乱雑さの中に美しさを見出すのか。どちらも異なる美の観点で、どちらも正解なのかもしれません。

公共バスの料金支払いシステム

私は自分自身の地元しか知らないので比較感がありませんが、乗った地点でパスカードをチェックし、下りた時点で必ず前方の運転手横にある機会にて支払いをして降車する。乗り降りの効率さの視点で見ると非効率的ではないかと感じることがあります。載った距離に応じて課金されてゆく方法と一回ごとに運賃が固定のケース、そのどちらが適切なのかは分かりませんが…。モスクワやそのほかに出かけたことのある町の様子しか分かりませんが、ロシアでは距離に関係なく、一回乗ると固定の金額を支払います。それにしても田舎の町に行くと、現代でも、乗客から料金を回収する恰幅の良いおばさんが乗ってい回収して回っている。料金を支払うとチケット代わりに紙切れを手渡す。こんなシステムが生き残っています。

日本旅行記 其の2:日本人、決して”おもてなし”の国ではありません / Travel to Japan Part 2: Japanese people are not a country of “hospitality”

そもそも、日本人~ではありません、というタイトル。これこそステレオタイプでよくありませんね…。言えることは、偶然に自分自身がそのような人に多く出会うことでその国の評価を悪く言うも、良い出会いが重なってその国のことを良く伝えることも自分次第ということ。決して自分の体験したことで全体を判断してしまうことは避けたいところです。

さて、すでに2020年も10月ですが、今年1月に約1週間の短い日本旅行で遭遇した、これはないよね…と感じたことを書いています。

当時はまだモスクワ勤務でしたので、約1年半ぶりに日本に”一時帰国”したわけですが、新鮮な目で自分の生まれ育った国を観察できた休暇となりました。おもてなしの国、と言われる日本でありながら、まったくもってそんなことがない。一番の問題点は、おもてなしが形式的であって、そこに心がこもっていないケースに出会うことが多かったこと。そして想定されるマニュアルから外れるやり取りが生じると、そこに何となく嫌な雰囲気が生じる(顔や態度、声にその方の本質が出てくる)ことも。だからこそ形としておもてなしを示してくれてはいても、それが本質的ではないものを感じ取る場面に幾度も接すると、一体この国が言う”おもてなし”とは一体なんなのだ?と思ってしまうわけです。

数年前、日系航空会社が無料で行っているという「日本のおもてなしセミナー」をロシア人スタッフのために開いていただきました。例えばお辞儀の角度の違い、日本で買い物をすると袋の上を留めるテープの端はテープの内側に織り込んで留めることで、お客様が後で簡単にテープをはがすことができる、そんな日本の礼儀作法の説明があったことを覚えています。

もしかすると、日本は”おもてなしの国”と強調しているものですから、このおもてなしの精神をどの場面においても期待して(そんなことはあるはずがないのに)、その期待を裏切られた気持ちになりがっかりし、残念な気持ちを過度に味わうのかもしれません。一方、日本語を理解しない外国人にとっては、目に見える形でのお辞儀や袋のテープ、そういった”おもてなし”をもって日本をポジティブに捉える方もいるのかもしれませんね。(ロシア人の友人に聞いた日本の良いところは?で、大体耳にするのは「公共トイレの綺麗さ」でした。あくまで私の交友範囲に限ります)

成田空港:パスポートコントロールのところで交通整理をしているおじいさん。日本国籍と外国籍とで進む窓口が異なりますが、私の前のほうには明らかにロシア人と思われる女性が「日本旅券所有者」専用の方向に歩き出しながらも、どちらにいってよいのか悩んでいる様子。それを見たおじいさん「あなたこっちは日本旅券専用だよ、あんた日本のパスポート持っているの、持っていないでしょ、あっちだよ」といいながら手でしっし、というような手振りであっちにゆけと女性に案内しています。国際線の到着側で働くのであれば、せめて簡単な英単語を少しだけ覚える。笑顔と腕の動きで”あなたはあっちですよ”と示す。そんな程度で十分におもてなしになる。それにしてもあの態度には驚きました。

フジテレビの展望店のレジにて:自分の思っていること以外のことが起こったときに違う人柄が出てるくるというか…逆にこちらが驚いてしまった。ロシア人の友人が購入するものを選び終え、レジで支払いの際クレジットカードをトレーに提示したのですが、そこで時間が経過する中でバッグや店内を見渡して目を離している間に支払いを終えたと勘違いしてしまったようです、どうやら店員がカードの支払い処理を済ませる前に財布にカードを商品の入った袋をとってレジをあとにしようとしました。私もその後ろに並んでいたのですが、他の友人と会話をしていてよく見ておらず。とすると、先ほどまで淡々とレジ作業をこなしていた女性。目の玉が飛び出るかのような非常事態の顔で、「お客さん、お金払ってないよ。Pay money, pay money!」と大きな声で騒ぎました。こちらも一体何事かと驚き振り返りました。その友人も状況を理解し、カードを再提示して支払いを終えることができました。

この場合に限ったことではなく、レジスタッフの業務を見て感じるのは、レジの作業には一定の流れがあるようです。いらっしゃいませ、商品お預かりいたします、お支払い方法は?ポイントカードはありますか?ありがとうございました。その流れを少しでも乱すような作業が入ると、あたかもお客さんが敵であるかのような怪訝な顔。おもてなしの精神がない形骸化した接客業。それであれば、マニュアル化が必ずしもされていないロシアで時として出会う素晴らしい接客。こちらも決して期待をしているわけではないので、良い接客に出会うとよい印象が強く残るのかもしれません。モスクワの店員の接客は、今日は機嫌が悪そうだな、と様子がよく伝わってきます。ずっと自然で、笑顔もありますし、こちらがむにゃむにゃ自身が無さそうに会話すると「もう一度いってください」と怪訝な顔をする、でも伝われば笑顔になる。そう、自然。おもてなしの精神も礼儀やマニュアルがあり、それを土台として対面する相手に合わせた応対をすること。それがまず原則のはずです。

おじいちゃん、それはないでしょう:エスカレータで一方の側に立っている人にぶつかっても何も言わずにエスカレーターを降りてゆく。それはないでしょう。きっとその人の問題でしょうが、ふと、日本では、お年寄りでずいぶんとひどい振舞いの人が増えている、とどこかで読んだ記事を思い出してしまいました。お年寄りの絶対数が増えているので、そのようなケースが増えてゆくのは必然ではないでしょうか。

浅草の売店:創業百年以上の小さなお土産店でしたが、そんなお店の中で、「部長、社長から電話です」こんな小さな従業員がいないであろうお店でこんなタイトルでのやり取りがあるのかあ、と。それはよいとしても、この部長である高齢の女性の接客がひどいこと。お客をさばいている、早く買って帰ってちょうだいね、といった様相があからさまに感じ取れました。

ロシア人の友人がしばらく時間をかけて孫への着物を選んでいました。その間に彼女が商品を包んでレジのそばにおいておきました。その間にその方が着物を紙に包んでくれました。ようやく会計です。時間が経過していることもあり友人がレジにやってきて何を購入したかもう一度再確認したがっています。部長さんは紙包みの上に色をかいてくれていましたが、私は本人に商品をもう一度見てもらうほうが確実で安心できると思い、「もう一度商品を見せてもらえますか?」とお願いすると、あからさまに嫌な顔をして「創業百年以上ですから。信頼してください」と。それでも包みを開いてくれましたので感謝ですが、ただ一つテープをとるだけです。それに、私は色を確認したく、友人にも今一度確認してもらおうとの気持ちからであり、お店の商品の質などを信頼していないわけではないのですが…。自分自身の思った通りに物事がすすまないときに余計なことにピリピリしている様子がはっきりと見て取れる。これで接客業かぁ…と。もちろん、毎日ありとあらゆるタイプのお客さんが来るのでいつも良い客ばかりではないはずですので、面倒だな、と感じることもあるのでしょうが、それを言っていたら接客業は務まらないのではないでしょうか。

芦ノ湖の売店にて:レジのカウンターにアジア系(おそらく中国か韓国の方)購入客が置いた荷物を邪魔な様子で手の甲でどかす。その人の態度にはどこかしら中国人や韓国人のお客さんに対する見下したような様子を感じてなりませんでした。そして、「このレジ間もなく終了します。買い物をお済ませでないお客様はお早めに会計をお済ませください!」店内に日本語で大きな声でアナウンスしています。そんなこと日本語で、どれだけ大きな声で言ってもその場にいる外国人に伝わるでしょうか?芦ノ湖には日本人だけではない外国からの観光客が来ているのですから…

小田原行きのバス運転手対応がひどい:ロシア人の友人たちを芦ノ湖の宿へ送ってお別れ。そこから私は滞在する実家に向けて帰路につきました。小田原駅に向かうバスが到着。口をあけたままの牛乳パックを手にもって乗り込もうとすると、「お客さん、それをもったまま乗ってもらっては困ります。それを持っては乗車できません」と、ぶっきらぼうな態度。その場で処分して乗り込みました。小田原駅で降車の際、支払い方がよくわからず、お札をどうしてよいのか少しの間試行錯誤していたら、お札はこちらね、といってお札専用の入れ口を示してくれました。そんなこと最初から言ってくれてもよいのでは、と内心思いつつ、「あ~すみません・・ありがとうございます」と。彼もその日は仕事でお疲れだったのかもしれませんね。日本の友人に話すと「う~ん、バスの運転手だったらありえるかな、運転手はあまりよくないよね」とのことでした。これもステレオタイプですよね。確かに蓋のついていない飲料を車内に持ち込むことはよくなかったかもしれません。