「正義」に過ぎることがあってはダメです / If you go too far into “rightousness”, you may just things worse.

これまでのロシア人スタッフにもいたのですが、すべての物事がロジック通りに進まなければ素直に動かない、私の言うことを否定する人、彼らのいう「義」の通りに進まなければことごとく否定する部下がいます。そして、その取扱いが難しいのは、彼らの言い分が正しいからです。だからこそ、それを否定することもできず、否定すると一層さらに突っ込まれます。
あなたの考えは間違っている。であれば私も従わない。と。
このような人間は決して上に立つべきではありませんが、このような人間は部下の立場であるからこそいかようにでも述べることができます(時分自身の利害を中心に語っていればよく、全体の視点で物事を考える必要がない)。そして、このような人も小さな会社では日常業務のオペレーションを担ってもらっている以上、容易に彼らを否定して業務に支障をきたすことがないようにしなければならない。
どんなに話し込んで、彼らの意見を聞こうとしても一向に変わらないことがある。これはどうにもならない事実だと思われます。何を言っても揚げ足をとられる。そして彼らはそれに満足している。他にも多くの課題を抱えているこちらはこの会話をしているだけで疲れてしまう。相手も自分の言い分が聞き入れられないために疲れてくる。私の経験上、去ってもらうしか解決策はないように思えます。
世の中、このような人と一緒にいるとただただ疲れるなあ…と感じるばかりです。
私自身を評価するのはあくまで周りであって自分自身でありませんが、自らとしては日頃からのやり取りを通じて多くのスタッフと包み隠さずのコミュニケーションをできているとします(否定する人からすれば何を言ってもダメです。私の認識もすべては「あなたの勘違いです」といって一蹴されてしまいます。)そんな中でも必ずこのような人が存在する。私自身が相手のためを思って行ったとしても、それが相手にとっては素直に受け止めてもらえない。そのようなジレンマに苦悩することもあります(いまでは「ありました」の過去形となっています)。
会社の規程は非常に重要です。我々の行動は必ずその規定に沿ったものであるべきですが、細かいすべての部分ですべてのことにおいてきっちりと規定を整備し、それに沿って行動しなければならないとすると、それはただただ苦痛でしかありません。Job Descriptionにしても、それに記載がない要求を上司がすれば「これは私のJob Descriptionには記載がないのでやりません」なんていう人間もいました。一方であらゆる可能性を考慮したうえで詳細を排除した記述方法にすると「これでは曖昧過ぎてダメです」という答えが返ってきます。
どれもが正解と思える中でお互いに歩み寄りベストの解決策を見つける。各々がどれだけ相手のことも考えたうえで行動できるか、これが会社で働く上での一番といってもよい重要な点ではないでしょうか。
与えられた目の前にある問題の解決に取り組むことは容易としても(これは部下の仕事を想定して述べています)、自分の置かれた立場、今の会社の状況・規模を理解したうえで判断する課題設定、その課題のレベル、優先順位、どこに落としどころをもってゆくかというバランス・判断を下す立場の私。そのバランスを取るのに苦慮する横では、正論をただただ述べるだけの部下…。
ロシアに赴任したばかりのころ、右も左もわからずに初めて人事を見ることになりました。すべてのことがただただ初めて。部下の人事評価、昇格のルール決めについて昔から勤務していたロシア人人事マネジャーは、「私が知っている他社では、きっちり評価の点数付けができていて、全員不満なくシステム通りに昇格する人も決まってゆく、それに比べてこの会社の評価や昇格のルールはなっていない」と。
長年人事をやっておきながらそのようなとんでもないウソを堂々と語れる…衝撃的でした。今では経験からはっきりとわかりますが、人事制度をつくるのはいたって簡単。すぐにできます。問題はその制度が機能させることがどれだけ難しいことか。点数付けそのものがどれだけ難しいことか、全員素晴らしい評価を取ったら、将来会社には全員課長だらけになるのか?そのような点が人事評価の悩ましいところです。
であれば新しいポジションをどんどん作ってゆけばよいのではないか?なんていう人間もでてきます。そうなると、ロシアにいて接する営業スタッフの名刺を見ていて思いますが、やたらとManagerと名のつく方が多いこと。一体あなたとその横にいる彼、彼女はどちらが偉いんだ?という話になります。
論理で正しいことと実際の会社の管理を担うことは違う。それは経験からでしか理解できないのかもしれません。
`自分の視点で人を判断する。それは自分のレベル。もしもっと広く視点が広がるともっと人として成長して、目の前のことを冷静に判断できるのかもしれません。だからこそその点でいかに早く成長できるか?これがより上にいくために重要な要素だと思っています。
私もどちらかというと「正義感」をもって正しいと思うことを強く主張し、声を荒々しくし、周りも気にせずに声を張り上げていることがありました。今振り返ってみると、どちらかといえば自分の狭い視野に基づいて物事を判断していたのだと感じます。そしてそれが当時の自分のレベルであった、人は自分のレベルに基づいてしか物事を判断できない、ということです。経験を経て、上の立場の考えに近づくにつれて判断基準のレベルも高まる。そうすろと、必ずしも自分の「正義」が決して全体から見れば正しくない、という矛盾に気が付くわけです。その矛盾さを理解したうえで、本当の意味での正しい決断を下せること。それがマネジメントとしてやってゆくために求められている要素であり能力であるのだと、苦しい、まったく思い通りにならない部下との”バトル”を通じて学んできた事柄となっています。

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ロシアのモスクワにある日系企業の管理部門に7年間勤務した後、現在は日本で働く会社員です。モスクワでロシア人と一緒に日々仕事をする中で、私たち日本人が経験するアドミ業務についての情報、課題、考えなどを少しでも多くの方々と共有したい、アドバイスをいただければ、と思いブログをはじめました。 経理、労働法や人事制度の仕組み作り、ITスキルを応用した仕事スキル向上、EAC認証などの幅広い管理課題に取り組んでいます。 とりわけチームビルディング、部下とのコミュニケーション、モチベーションアップ、という課題は世界共通だと認識しています。そんな話題も中心テーマの一つです。

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