恥をかくことを恐れない - 行動する原動力が生まれる、失敗を恐れない、にもつながる。ロシアでやってゆくうえで、いや、チームを上手に率いていくために大切な特質の一つです。
後々まで自分がやってしまった・・・ということをひきずらない、と言われても、いやいやけっこう引きずってしまいます。考えない、考えない。そう決めてもふとした時に思い出してふさぎ込んでしまう。そんなこと、よくありますよね。失敗を失敗とは考えないから私はこれまで失敗というものをしたことがない、という人がいます。そのいわんとすることは分かりますが、私は反対です。私も同じ考えでゆけばこれまでほとんど失敗したことがないことになりますが、その各場面では失敗は失敗であって、やってしまった…という気持ちにかられるはずです。
業務量が多い中で失敗は当たり前。一つ一つを引きずっていては鬱になる可能背が高まるでしょう。私が無事に今のところ鬱になっていない理由はいくつかありますが、何事も深く考えすぎないこと、相手に笑われてなんぼ、社内で恥をかいて何が悪い?と開き直る。失敗したらとにかく自分で自分を笑う、平謝り。そして次に向かう、です。
オフィスが小さいので、私が送ったメールの内容に対してロシア人スタッフが「なにこれ?」と鼻で笑っている様子も聞こえることがあります。わたしの目の前ではXXXさん、と必ず言うのに、私のいないところでは「さん」なしで会話していることも普通です。きっと、ロシアでは「さん」の習慣がないので何気なくそう呼んでいるのか、機嫌が悪いのか、ただ嫌われているのか、XXXと呼び捨てにして会話していることもあります。とにかく一つ一つを気にしていては仕方がない。
ロシアで仕事をしていて、生活をしていて感じるのは、何か人の失敗や言動をすぐにちゃかしてそれを笑いにすることがよく見られること。日本でもそうでしょうか?日本にいるときには意識したことがなかったので分かりませんが…。もしかすると私の周りには女性スタッフしかおらず、女性にみられる傾向なのか。分かりません。これらは今日のテーマと直接関係がありませんが、言えることは、気になりだすと身の回りのあらゆることに敏感になり、自分自身の中で勝手な妄想が広がり、結果的に自分の行動を拘束してしまう見えない怖さがあります。
実際に失敗をすると、わたしたちは人間なので、まったく思いださないのは無理。たまにふとした時に頭に浮かんできます。きっとそれを笑って済ませるか、「いつも自分が仕事で怒っているスタッフにはどう思われただろうか?誰かに転送されて笑いのネタにされているのではないか…悔しいなぁ」などあれもこれも考えだすと目の前のことも手につかなくなります。
忘れることは無理としても、ふと思い返すときには自分の失敗を自分で笑えるようになればOK。このつまらないことが多い世の中で笑いをひとつロシア人の部下に提供してあげた、なんて良いことを私はしたのだろう、と思えばそれでOK。そうです、ただでさえつまらない世のなか、笑いのある世界にしようと一人一人が努めていると思えばそれで十分なのかもしれません。
また、失敗をすることは、その時の自分の鼓動が大きな音を立ててバクバクと体中に音を立てるあの響き、その時の自分の日頃は見られない慌ただしさの中で自分のパフォーマンスの低さを観察し、その時点での自分のレベルを把握することにもつながる気がしています。
昨年年末の会社イベントで尺八の演奏を試みました。4年前くらいだったか、随分前に購入してから全く手をつけずにいた尺八。少しでもイベントを日本人の私としても盛り上げたいと思い、わずか2週間前くらいから、仕事のために限られた時間の中を少しずつ練習。何とか目標とした曲のメロディまで吹けるようになり、当日のリハーサルもOK。いざ本番です。曲を演奏しようとするも、全くといっていいほど音が出ませんでした。ほぼ一度も音が出ず、恥ずかしい思いをしたことは想像に難くありません。ただただ穴が入りたいとはこのことです。そのあと、呆れた顔のスタッフたちがさ~っと離れていく中で「XXXさん、気持ちだけはとても伝わってきました、ありがとうございました。」と言ってくれたスタッフがおり救われましたが。それでもこの失敗の経験はよい機会となりました。あの気持ち、準備の大切さ(土台がないものをいきなりやっても上手くゆかないこと)、上司自らが自らの失敗や弱さを皆に見せてゆく重要性、など。
いまだにロシア人のようにダンスは全くできません。音楽を聞いても身体が動きません。これもまた恥をかく、笑いのネタにできるかなぁ、と思っていますが、やなりダンスはしなくて済むのであればできる限り避けたいです…。