Старые методы не работают: путь в сверхлидерства by Marshall Goldsmith in Synergy Global Forum 2019

会場内の別の場所でも、このように異なる話し手によるセミナーが定期的に開かれており多くの観衆が詰め寄せていました。

今回のSaint Petersburgで開かれたSynergy Global Forum 2019での話を聞いていて、内容は大きく2つの形式に分かれるな、と感じました。

1つは、自分自身がどのようにビジネスで成功してきたか、その実際的な方法を具体的に話すことでこれが大半でした。2つめは、具体的ではないのだけれど、全ての物事に共通する人としての成長に必要となる本質的な原則について語るもの。より哲学的なものというのでしょうか。Marshall Goldsmith (Маршалл Голдсмит)氏の話は後者でした。

今回聞いたマーシャル・ゴールドスミス氏のお話は インターネット上で検索すると繰り返されており、ここで再びすべての詳細を書く必要はなさそうです。自らに言い聞かせるために幾つか残しておきます。

講演の主題:Старые методы не работают: путь в сверхлидерства / Old schemes don’t work: The way to Super Leadership.

“Help more, Judge less.”(自分の部下に対して)

“My suggestion becomes the order” (理解できなかったのですが、大手薬品会社のCEOがおっしゃっていた言葉だ、と。私自身、部下に対して、「あくまで自分で感じることだけれど、・・・としたらいいんじゃないのかな。でも、決して今の内容を変えなくてもいいよ。」ということがあります。私としては相手に無理に強いるつもりはないとしても、部下からすれば私の意見を聞かなければと考えて、結果的に私が指示を与えることになってしまう、それが事実だと。)

”毎日自分に問いかける6つの質問。すべては「自分がベストを尽くしたか?」という問いで始まるもの(娘のKelly氏が与えてくれた質問)、

1. Did I do my best to increase my happiness?
2. Did I do my best to find meaning?
3. Did I do my best to be engaged?
4. Did I do my best to build positive relationships?
5. Did I do my best to set clear goals?
6. Did I do my best to make progress toward goal achievement? “

”想像してみてください。今皆さんは95歳で、まもなく死を迎えようとしています。自分の人生を振り返ってください。幸せでしたか?やりたかったことがあってけれども、できなくて後悔していることがありませんか?友人や家族との幸せな関係が一番大切です。”

“もし何かやり残しているものがあれば、まずはやってみましょう。At least you try. ”

何事も挑戦してみることの大切さ。これを言わない人は一人としていませんでした。

私としては、このような場で聞く話は正しく、この通りだと理解しています。しかし、このような正論が機能しないことが現実的に会社では起こっています。どんなにきっかけを与えようとしても、相手にこのような話を聞かせても、頑なに受け入れない人がいます。どんなに本人なりに頑張っているのでしょうが、一向によくならない人がいます。人の能力は決して大きな差はない、私には疑問です。平等に能力が与えられているとしても、それを阻むエゴなどの別の要素があって能力の差を大きく見せてしまっているのでしょうか、よく分かっていません。

人の多くは、なぜ、一日の仕事時間の8時間、嫌でも会社で過ごさなければならないのであれば、この時間を自分のためにもっと使ってやろう、会社を自分のために使ってやろう、と思わないのか。なぜ「今日一日を何とかやりこなして、定時で帰ってやろう」という思いに駆られてしまうのか。避けられない時間を過ごさざるをえないとしても、そうであれば、「会社で少しでも自分にとってプラスとなるような収穫を最低1つでも今日ゲットして帰ってやろう。」という気持ちに向かないのだろうか。そんな、人の内奥にある、行動できない真の原因を探ってゆくことが本当の意味でのコーチングなのかなぁ、と考えているところです。

そして、人に対してできる限りのものを提供することは持っている人(この場合は会社のマネジメント)の責務。しかし、人が変わるか変わらないかは、受ける側の任意。責務ではなく、本人の意思。私たちの善意を否定されたかのように捕らえる必要はありません。少なくとも自分自身の責務を果たすためにベストを尽くした、と言えるようでいたいものです。

(我々も人間です。たまにはゆっくりして、何も考えずにボーっとする休息も必要です。今日は完全に寝坊しました。)

(参考URL) https://www.marshallgoldsmith.com/

成功への近道はない、猛烈に努力しろ!(シュワちゃん)/ “There is no shortcut to Success! “(Arnold Schwarzenegger)

ステージ上のシュワちゃんを遠くから見て。ステージ前には多くのVIPチケットを持つ観客やイベント関係者(?)が集まっていました。

Synergy Global Forum 2019の初日(10月4日 金曜日)に参加して聞いたシュワちゃんの話を始めとして、各方面で成功した語り手たちがステージ上で語っていたことは共通してとてもシンプルだった。

成功したければ行動しよう。

失敗を恐れてはいけない。

シュワちゃんの話で興味深かった点をメモをめくりながら思い返すと

  • VisionとGoalをもつこと、これが成功の秘訣
  • そもそも自分にとって「成功」が何を意味するのか、何に自分が幸せを感じるのか、自分なりの定義をすることが必要
  • 毎朝起きたら、何も考えるな、とにかく動くことだ。考えてしまう時点で間違っている。
  • 成功への近道はない、猛烈に努力しよう(”There is no shortcut to success, Work ass off”)。失敗を恐れるな。
  • ボディービル競技で勝つ、とGoalを決めてからは、ジムで周りの人が苦しそうにしている中、自分だけが笑顔だった
  • 常にリーダーでいたかった。”TERMINATOR SCHWARZENEGGER” ではだめなんだ。”SCHWARZENEGGER TERMINATOR”でなければならなかったんだ。
  • 州知事の仕事はいんちき(Monkey business)だ。別に知事になりたかったわけじゃない。でもカリフォルニアの知事になりたかったんだ。アメリカ、中国、日本、ドイツに続く、世界のGDPトップの5番目の州知事に。
  • 州知事になるまでまさか自分が自分の学校(Institute)を持つことになるとは思わなかった。知事になってから、人に教えたい、という気持ちが生まれた。今は学校で生徒にリーダーシップを指導している。

その後のセッションでは、ステージに聞き手(Софико Паатовна Шеварднадзе氏)が上がり、シュワちゃんとの1対1の質疑応答が始まりました。シュワちゃんの話をさえぎったり、「それだけ努力してきて幸せですか?」といった否定的な聞き手のやり取りを見ていて、これは建設的なのだろうか?と感じてしまったのだが、面白かったのは、

「あなたは失敗を恐れずにチャレンジしろ、といいますが、ロシアでは失敗することを恐れる。失敗者は敗者だ、というHistorical DNAが伝統的に根付いています。メンタリティが違うんです」との言葉。会社のスタッフの中には”日本人とロシア人のメンタリティが異なっていて、たとえ私が日本に生まれて育ったとしてもロシア人としてのDNAが人知れず備わっており、どんなに努力しても日本人のメンタリティを完全に理解することはできないでしょう”という人もいます。その思い込み自体、すでに自ら勝手に自分の所属する国民のメンタリティを決め付けている・・・のではと思うのですが。

行動することの大切さ。これだけ多くの方が同じことを言う。つまり、それほど人にとって何か新しい行動を起こすことが簡単ではないか。その難しさを感じました。子供時代の頃のように、何も考えずに周りのすべてのものに興味を示してゆきたいものです。

本来、仕事というのは簡単。/ Originally, the job should be easy.

今週木曜日、19時前にモスクワ川を眺めて。

今回の記事でも、誤解を恐れずに言えば、本来、仕事というのは簡単。そう考えています。ただし、お客さんの心を読むこと、コントロールすることは出来るわけがなく、そればっかりは最高難易度の仕事です。

とりわけ、会社の管理に関する業務は自らでコントロールできる割合が高い故に、問題解決できる確率も高いはずです。その意味で、仕事は簡単。

…のはずですが、ところがそうはいかない。なぜ?!いつも自らの思いと現実との大きな乖離に悶々としつつも、そのギャップにある人間という生き物について深く考えてしまいます。

一人ひとりが、同じ会社で働く仲間として同じゴールを目指している。お互いにそれを分かっているはず。なのに、一人ひとりにエゴがあったり、どうしても他人よりも自分が(自分の課が)上の立場にいたい、有利になりたい、一言何か言わなければ気がすまない。何か文句を言わなければ納得しない。結局、物事の結論がまとまらない、先に進まない、いらいらする。お互いに険悪になる。そんなことが皆さんの周りでもないでしょうか?私は何度も経験してきました。その度に、「なぜこの人はこんな考え方をするのだろう?何か昔に経験してきたこと、家庭での環境が彼・彼女の考えを形成するのに影響を与えたのだろうか?」と考えることあります。

ただただみんなが、一言いいたいことを我慢して、”今回は彼・彼女の言うことを聞いてあげよう”、”思うことはあるけれども、会社全体のことを考えて提案してくれているのだろうから支えてあげよう”、(年齢が上であれば)”私もそんな時代があったなぁ、私にできるアドバイスを言葉巧みに伝えるけれど、彼・彼女のよい経験になるに違いないのだから、言われた通りに従ってあげよう”など、そんな風に優しく、謙虚にいることができれば、やっぱり仕事は簡単に進むはずだと思うのです。いかに人間という生き物が難しいか…イライラするのを通り越して、ただただ感心してしまいます。

街を歩いていて、弱い犬ほどよく吠える。そう思います。人間社会も同じではないでしょうか?能力があまり高くないスタッフほどやたらと些細なことに口を出してくる、文句を言う。会社という組織にいる以上、そんなスタッフの声もあからさまに無視をすることはできず、会社全体にとっての、その状況での最善な回答を導き出す。悔しいですが、毎回自分で考えている物語のようにはいきません。それでも、自らの目指す方向に持ってゆくためには、日頃から可能なところで仕事では”あえて負けておく”ことの大切さ。それによって、こちらが譲れない決定の時には、相手に認めてもらえる関係を築いておくこと。結局のところ、将来を見据えた一日一日の行動が重要であることを学んでいます。本当のWin-winな関係というのは、日頃のLose-winの回数をどれだけ積み重ねて、相手を尊重しているかを示すことにあるのだと思っています。

”仕事はどうでもよい” / “What’s the reason to worry about your job so much?”

つい先日、赤の広場すぐ横にあるボリショイ劇場にでかけてオペラを観てきました。芸術にはさっぱり疎い私に、部下たちが「一度はボリショイ劇場に行ってくださいな」と、プレゼントしてくれたボリショイ劇場のチケット。とても有難く貴重な時間を満喫しました。私の席をステージから遠い後ろの席に座っていたおばあちゃんに譲ってあげると、何度も「ありがとう」とお礼を言われ、何だかとてもよいことをした気分になりました。素晴らしい劇場でおばあちゃんも私もそれぞれ幸せな気分に。

仕事について。

どこか俯瞰的に見て、誤解を恐れずにはっきりと言うと、「仕事はどうでもよい。」という観点を持っておくのは重要だなぁ、と。

仕事のためにウツとならず、最悪の場合自殺まで考えるようなことにならないためにも。部下にも上手に働いてもらい、逆にやる気になってくれて、仕事がむしろうまく回ることも期待できます(すべての場合にうまくゆく保証はないのですが)。また、”どうでもよい”と言っても、このバランスが非常に重要で、これはいい加減に仕事をしてもよい、というのとは決して違います。

いつも自分の仕事は完璧に、納得のゆくまできっちりと詰めたい。そんな気持ちがあります。資料作りも文章も納得のゆくまでこだわりたい。そのためにはいくらでも時間と労力をかける覚悟はある。この心意気が非常に重要だ、ということに間違いありません。一方で、何かしらの問題が降りかかってくる毎日の中で自分のペースで仕事はできない。どうしても自分の持ち時間と処理能力の限界にぶつかります。それでもあえて妥協せずに完璧さを目指すのであればできることは限られます。

プライベートを犠牲にして仕事にとことん時間を費やす。ひたすら自らの処理能力を高め、IT機器・ソフトウェアなどの処理スピードを高めてくれるアイテムへの投資をする。 ― 確実に遅かれ早かれ限界にぶつかります。なぜならば、ここに関わっている人間はわずか、私ひとり。そして、悪いことに、この自分の要求するレベルを周りのロシア人スタッフに強要し始めると、軋轢が生じます。ほとんど人はそんな完璧さをすべての仕事に求めていませんし、おそらく必要ないのだと思っています。

日本の芸術、工業製品の素晴らしさは細部にとことんこだわっていること。人の目にふれないところまでも。それは誇るべきことですが、仕事は芸術品とは異なり、外してはいけない仕事と、多少物足りない点があってもとにもかくにも進めるべきものがあります。その判断をするのがマネジメントの責任ですが、日常生活の多くでぶつかる問題の多くは、スピード重視。「あなたの完璧さなど求めていません。とにかく早く決断してください。進めてください、明確な指示を出してください。」と一つ一つの課題がまるで言っているかのようです。

どこかにもう一人の自分を常に持ち、自らを客観的に見ることの大切さ。そのもう一人に「どうでもええやないか。」と言わせることでバランスを保つ。どうでもいい、だからこそ楽をしたい(その分、自らはもっと大切で重要な仕事に時間を割く)。そのためにはロシア人の部下にとことんお願いする。「頼みますよ、お願い。あなたの助け無しにはどうにもならないんだよ」と、上手く甘えることができるほうがずっと完璧主義よりも良い結果につながっています。

仕事の結果だけではなく、ロシア人部下とのよい関係も築けるというおまけつき。

「仕事はどうでもよい。」 ― 誤解を恐れずに、改めてはっきりとこの言葉の持つ重要性を強調したいです。

ロシア語(英語)での会議で気をつけるべき誤解 / Be careful to misunderstand in the meeting organized by Russian colleagues, in Russian language

時々、業務の関係でロシア人のための、ロシア人による、ロシア語でのビジネスミーティングに出席する機会があります。その際の注意点です。わが身への自戒も込めて。

・年齢

・声の落ち着き

・外国語

・流暢な説明、多くの情報をちりばめた説明

これは大きなバイアス要因となりうるので注意が必要と思います。外国人で自分自身より年齢が上で貫禄がある。これだけで、この人は自分よりも人生経験も仕事経験も私よりもすごいので、この方の発言内容は信頼できるに違いない、と勘違いしてしまう危険があります。実は頓珍漢なことを話しているだけで内容はたいしたことがないケースもあります。

冷静に話す人、低い声で。低い声で話すことは、安定感を相手に与えるので勧められていますが、その話す内容をよく聞くことが必要です。声の音質から感じられる落ち着きにだまされることがないように注意が求められます。

外国語。ロシア語を母国語とする人に私たち日本人が勝てるわけがありません。ロシアという場でロシア語で話される。そのことに対して自動的に、この人の言っていることはよく分からないけれども、よく分からないからこそ、とにかく頷いて、信じたくなる。そんな思いにかられてしまうことがあります。

たくさん話す人は結果としてポイントを分かっていない人が多い気がします。それで?何がいいたいの?と。物事の本質、要点を分かっている人の話は的を射た説明ができるがゆえに話の最初の部分で言いたいことを把握できます。一方で、話が長い人は、自分でも何を言っているのか分からなくなっているのでしょう、話せば話すほどに自らを苦しめるのですが、どのように話を終えてよいのか自身でも分からなくなってしまっているのでしょう。

最後に、ロシア人の面々の前でロシア語(英語)で皆の前で発言するときの大切なことについて。心臓のドキドキ、バクバクが止まりません。いかに通常通りの声の質で話すことができるか?完璧な言葉で話せるわけがありません。大切なのはとにかくしっかりと話すこと。相手に理解してもらえるように言葉を選んでゆっくりと相手に伝わるように話すこと。そんな一つ一つの経験、こんないい歳をしたおっさんがこの年齢にになってロシア人の前で失敗して苦笑いされたり、恥ずかしい気持ちにもなるのですが、いつまでも失敗してでも挑戦してゆくこと。これが年齢を重ねる歳をとるほどに一層大切になってくるなぁ、と感じます。失敗すると、やっぱり嫌な気持ちになり、なにくそ、と思わないわけがありませんが。

でも失敗する、ということは挑戦していることの証拠でもあるので、その時々に感じる感情、思いを大切にしてゆきたい、そう思います。

仕事の生産性を向上するには / How to increase work productivity

今日、お気に入りのカフェにて。通りから入ると、中庭があり、この空間がモスクワの中心で外界との別世界を作り出してくれています。青空のもと、心地よい風を感じながら、今年ももうわずかとなった最後の夏を楽しみました。甘い香りに惹かれて蜂が空になったレモネードのグラスにやってきました。

膨大な業務量に追われる毎日。生産性の向上についてもがいています。(この記事では、生産性と切り離せないIT技術の記載はせず、主に自らとの闘いについてです)

生産性を高める方法(いたって目新しいものはなく。むしろあったら教えていただければ嬉しいです)

週の初めに必ずその週にやるべき仕事のスケジュールを作成する。

一日の仕事の振り返り。自分のしてしまった失敗・こうすれば良かった点を記録すること

複数のことを同時にしてはいけない。一つの仕事に集中し終わらせる。(仕事の内容によります)

音楽はなし。繰り返しの仕事で単調作業であれば音楽が必要だと部下は言いますが、私の仕事はそのようなタイプではないので音楽はなし。

時間を区切って勝負するのが大切。やると決めたらその時間にやりきる。トイレに行きたくなってきてもやりきる。トイレに行きたければやりきれ!と自分に言い聞かせて。

仕事のイメージを作り上げるために、気分を入れ替えるために一つの仕事を終えた後に机の周りやオフィスの掃除をしてみたり。

確実に1つ1つの仕事をその日に終わらせる。明日まで延ばそうという考えは無し。

残業すれば大丈夫、時間がなければ週末にやればよい、という甘い考えが頭の中に巣食うことを絶対に許さないこと。この意識が頭の中で大きく占めてしまうと、その途端に仕事のスピードが落ちてしまう。

このような上記の点は、日本にいた時に大量に購入したノウハウ本を通して知識として持っていました。しかしながら、見聞きして知っていることと、自身の中に根差して理解し、実際の行動に移すことの差には、とてつもなく大きな違いがあることを今になってはっきりと認識することができました。

仕事の見積もり時間の精度を上げることはとりわけ重要

この記事の一番最後にあるLink先のブログ記事を参考にさせていただき、私自身もこの方のファイルに似せたマクロで動くExcel仕事管理リストを作成し、毎日更新しています。私の問題は、少しでも多くやらなければ、という意識で幾つものタスクを今日のやるべきこととしてしまい、その結果見積もり時間が24時間を越えてしまうことがあることです。つまり、寝ずにひたすら作業をしても今日やるべき仕事の完了時間は翌日の同じ時間、というわけです。無理です。優先順位を定めて、現実的にできることを見極めつつ、さらに一つ一つの作業時間の見積もり時間の精度を高めることが課題です。

ドラッカーは時間管理の大切さを説いています。私自身の経験からすれば、自らの仕事時間を管理することが習慣として定着した後、記録集計を継続し、データ集計をして、その結果を見て満足してしまう。つまり、その時間管理の行為自体が目的と化してしまうことの問題を感じました。原則として、自らの時間管理ができている、と納得できることは、時間の記録をせずとも自らの時間利用方法を客観的に観察できていること、正しい時間の用い方ができていることと言えます。そのため、時間管理が現時点で問題なくできていると判断した段階で、記録はストップして問題ないと考えています。 定期的に見直しの時期を設けることで十分なのかもしれません。

行為が目的化してしまう ― これはすべてのことにおいて当てはまりますね。毎月的敵に作成するレポート(それで?何に使うの?「いや昔から作成していて引き継がれたので・・・」、でもそれって本当に役立ってる?「いや誰も見ていない気がします」・・・であれば作成する意味ありますか?)

定期的な会議(集まりあうことが問題になっていませんか?「この会議は大切なんです。なぜならそれが課のターゲットですから。」…でも集まる理由はなぜでしょう。目的が明確ではない。議論の結果の結論が決まらない。議事録が作成されず共有されない。その結果次に集まったときに前回話し合った内容を忘れてしまっている。そんな会議に二度と取り戻せない自らの時間を捧げる必要があるのでしょうか…)

時間管理も大切ですが、本来の目的とその手段が目的化していないか、これこそ徹底的に棚卸しを継続してゆくべきだと考えています。会議を見ていると、なぜだか話に詰まったときに笑いが起こる。それで内容がごまかされてしまう。それで結論が何か曖昧になってしまう。これは忌み嫌うことの一つです。

集中できないとき

解決策 ― その日は止めて帰宅するのがよいでしょう。仕事を終える時間の目安となるときは?

それは集中できないとき。私の場合、それを感じるのは、誤字脱字が増えてきたとき。なぜだかYoutubeを見出してしまうとき。Excelの数式Inputにやたらと時間がかかり頭が混乱しだすとき。携帯電話をいじりだすとき。他のことを考え出してボーっとしてくるとき。

各自それそれに何かしらのサインがあると思います。その時には、よほど締め切りに終われていない限り、早く帰宅して翌日の早朝から仕事を開始するほうがずっと生産性が高いことを私の経験は物語っています。昨日さっぱり原因不明でエラーが出続けており意味不明であったExcelの計算式が、翌日に取り掛かるとわずか5分程度で解決したり。「あっ、なんだ、こんなことか」と。翌日朝起きてボーっとしていたら、「あれっ、これはいけるんやないか」というアイディアがポッと浮かんできたり。

でもやっぱり我々は人間

自ら、「ながら勉強」は絶対にダメだ、と分かっていても、今でも時にやってしまうのです。それが人間の弱さでもあるのかもしれません、悲しい。でもそこから残りの一日をどれだけ「まあ、何とかそれでもよくやったよな」と自分に言い聞かせられる一日でできるか。そんな自分のリカバリー力を見るときに、自らの成長を感じる機会かもしれませんね。また、「ながら勉強やってしまった…」と思うのですが、そんな弱さを許容しながら生きてゆくほうがより人間的だと思います。あくまで”時にやってしまう”程度に留める必要がありますが。

生産性を上げるための極端な方法は、締め切りぎりぎりに一気にやりとげる。それが一番スピードアップの理由の気がしています。毎回経験するこの苦々しい経験を避けるために計画を立てるのですが、どうにもそう簡単にいかないところが人間です。

周りに頼ることもとりわけ重要

最後に生産性向上にとりわけ重要なことをもう一つ。それは周りに頼ることです。部下に素直にお願いすること。自分の弱さを見せることです。部下も私がそんな完璧な人間ではないことをよく分かっています。「オルガ、お願いしますよ、もうあなたに頼むしかないんです、だって私ではできないので…。よろしく、ね」(顔色を伺いつつ)。「エレナ、ごめん、もう疲れた!帰っていい?あとはお願いします、あなたならできるから、信じてるよ」(そうは言っても後で受け取った資料はしっかり自分自身で確認するしかないのですが。何かあったときの責任は私ですので。)周りに頼れる人は素晴らしいと思います。自分の弱さを認める謙虚さを持ち、自分の出来ないことを周りに頼れる、つまり周りを信じる。それによって周りも彼らが信頼されていると感じることができる。良いことばかりです。やっぱりみんな不完全な人間ですから。

参考情報

Excelタスク管理で使っているExcelテクニック+マクロ

https://www.ex-it-blog.com/Excel-Macro-Task

ロシアで働くにあたってのGeneralistとしての価値 / The Value as Generalist in Moscow work life

モスクワの地下鉄Трубная(Line 10)のチケット売り場。”We speak English!”と窓口にありました。先日見つけた地下鉄でのトイレ設置いいモスクワも変わったなぁ・・・と。

モスクワでの勤務経験の数年を経る中で考えるに至ったことは、この世の中に生きる中で、一つのこと(専門性)を突き詰めることー Specialistになることーが果たして正しいことなのか?、ということです。少なくとも自分自身の中では、これまでの経験に基づき自らの将来を勝手に決めつけてしまうことのないようにしたい、と考えるようになりました。初めて経理という学問を知った大学最終学年、常にすべての処理が借方と貸方とでバランスすることの素晴らしさに感動を覚えて、そこから会計を自己学習するようになりました。それからというもの、就職してからも会計に関して時間を割いて勉強し、経理部門で働くことに。その後、会計の資格を目指すようになり、日商簿記、そして次は税理士や会計士?そんな目標を抱きつつも現実の難しさにぶつかり先がまったく見えない中でのモスクワ行き。資格教材を一式持ってモスクワにやって来ましたが、まったく勉強に費やす時間はなく、日々起こる仕事のことで精一杯。赴任して前任者がいなくなってから、いきなりまったく経験もない物流で問題が発生。「今借りている倉庫のキャパシティが足りないため、これから入荷する商品を保管する場所がないんです。何とかしなければいけません。(さあ、何とかしてください)」とまるで新人の素人がどのように事態を取り扱うか様子見とでも言うかのように、自ら動かない物流マネジャーを連れて仮のスペース探しに動き回ったことがありました。人事のことではソビエト時代の生きた化石のようにまったく営業サポートどころか営業活動を否定するような頭の固い経理トップがいたり・・・。そういった日々のバトルを闘い、切り抜けて、切り開き明るい光の差す未来へ・・・そんなことの繰り返し。そんなわけで赴任してからというもの全く経理という業務に携わることができず、世の中の会計の世界の潮流についてゆけずに悶々としていた時期がありました。今では完全にGeneralistになっていますが、結果として、それは自分の望んだ形ではありませんでしたが、その仕事人生を楽しんでいます。

Generalistとして

Generalistとして幅広い分野と携わっていると別の分野を知ることができます。その結果、その経験・知識を他の分野に応用できることがあります。例えば、IT技術はとりわけ他の分野と密接な関係があります。毎日物流スタッフが翌日の商品出荷情報を顧客にメールで連絡する場合。一つ一つのメールを作成してはクリックして送付する・・・その繰り返しのなんと時間のかかること。エクセルから各顧客向けの情報ファイルを作成し、各顧客向けのメールを作成しファイルを添付する。そんなこともITを把握していれば提案が可能となります。

Generalistとして多くの問題と接していると、自分で物事の理由を考える力が付くように感じます。ロシア人経理スタッフを見ていて、何かファイルでトラブルがあるとすぐにITスタッフに電話。「XXX、Excelに何かトラブルがあって進まないから助けて、早く来てね。」と。何でその原因を探ろうと少しでも自分で考えないのだろう?と思います。(残念ながらもうあきらめました。どんなに言っても変わらない人は変わらないので)

「私は営業、あなたは管理」という発言も嫌いです。人はだれもが営業であり管理でもあるというのが持論です。あくまで日頃取り扱う商品や業務内容が異なるだけで、人間誰でも自分自身を売る、という意味では皆営業です。営業だからといって数値管理ができない、最低限の法律知識を知らずにいてもよいわけではない、という点では皆管理です。

好奇心や「なぜ?」という問いかけ

今の世の中、あまりにも世の中の根底が変わってゆく中、自分が信じていたものが覆されてしまうことがあります。自分の強みであったものが将来的にそれほど必要とされなくなってしまう可能性があります。結果的にそんな時がどれほど近くにあるのか、突然にやってくるのか、きっとゆっくりと注意してみていなければいつの間にか気が付かずにその時を迎えてしまうのかもしれません。

最終的には、他のことに関する興味、関心を示す度合。なぜなんだろう?という問いかけ。それがその人の成長につながるのだろうと。逆に考えると、それができる人間が現地企業に少ない…と思うと残念です。

自分のことを勝手に決め付けない

このように書いていて分かるのは、どんなに自分自身の専門性があったとしても、すべては自分のことをこうあるべきだ、自分はこうなんだ、と決めつけることを避けるべきである、という真理です。どんな可能性も自分にあるのだ、ということを意識してゆきたい、そんなことをロシア人スタッフにも伝えてゆこうと努力中です。インターネットの記事を読んでいると、ジェネラリストを擁護する記事も散見されました。

https://hbr.org/2016/06/generalists-get-better-job-offers-than-specialists

つまりそれだけ世の中でGeneralistに対して否定的な見方が強い証拠なのかもしれませんが・・・。

モスクワでの労働市場を見ていると、幅広い分野での業務経験を持っている人材が少ないと同時に、ジェネラリストであることに否定的な印象を感じます。ロシアでのビジネスは欧米や日本とは違った特徴があるとしても、若い世代は欧米の影響を受けていますし、教養のある世代はロシアのあり方について良さ悪さを客観的に見れる人たちではと付き合う中で感じています。そんなことから、ロシアにおいてもそんなマインドも将来的には徐々に緩和されてくるのでは・・・そんな風に思えます。

また、このようなそれぞれの専門性に固執したSpecialistが多く見られるからこそ、多くのことを幅広い観点から客観的に見て適切な状況判断と、各関係者と温和に議論をして着地点を見つけることができる人間の価値が高まっているに違いありません。

そもそもGeneralist、Specialistという区分自体が不要では?

それにしてもGenralist、Specialistという区分も人間が勝手に作り上げた分類であり、ただ結果として見える事象にそれを“Generalist”や“Specialist”という言葉を作り上げただけなんだと思います。ただ単に、あらゆることに興味を持ち、それぞれに入り込んでは時には飽きて他のことに行ってみたり。そんなことから幅広い見識と経験を持っている人をGeneralistと呼ぶ。たまたま一つのことに強い興味を持ち、それにとことん打ち込む結果他の人よりもその分野について深い知識を持つようになった人をSpecialistと呼んでいる。そもそも自分はいずれかの人間だ、なんて考えずに自分の持つ興味・関心事に素直になってみるのが良いのかな、とこの記事を書く中で至った結論です。

ロシアに駐在するにあたってのストレスとの向き合い方 / How to come to face-to-face with the stress in the work life in Russia

このテーマはロシアで働くから、ではなくどこにいてもぶつかることだと思いますが、ロシアで仕事をする上で、心理的な負担が多いがために精神的なストレスは日本で勤務する以上に高いものがあります。それとどのように向き合えるか、これは駐在員としてロシア生活を上手に過ごす上で大切なことであるに違いありません。

人によってストレスとの向き合い方は異なり、人の数だけあるでしょう。仕事のあとの他社日本人駐在員との交流やクラブ活動を楽しんだり、日本から買い込んできた日本食材や日本食レストランでの食事を楽しんだり。

私は時々こういったことがあるのですが、皆さんはどうでしょうか?「(自転車に乗っていて)今日はやたらと行く先々で赤信号にぶつかるな、何か悪いことがあるのだろうか…」「(通りを歩いていて)何だかすれ違う人と違う方向によけて歩こうと思うのに、今日はやたらと何度も同じ方向にお互いが避けてしまってぶつかってしまう。何で今日はこうもこんなにうまくゆかないのだろう…」「(仕事でExcelを操作していて)何でか今日はこうもフリーズばかりしてせっかく作ったファイルが台無しだ…セーブもしていなかったので自分のこの費やした時間、一体だれが返してくれるんだ?!(誰も返してくれるわけがない)」「(ロシア人のグループやカップルとすれ違ったときに彼らが声を立てて笑い出したのに気が付いて)自分のことを笑われているのだろうか…」

こんなちょっとしたことですが、ちょっとしたことから自らネガティブに考え始めてしまう危険があります。こういった時は、私の経験から言えるのは、大概自分自身の気分が落ちているときです。ロシアで日本以上に感じる生活上、業務上のストレスから、この落ちるタイミングが多くなりがちなのが駐在員生活だと思います。

― 雨ばかりの今年のロシアの夏。夏の日差しをもっと楽しみたいのになぜこうも雨ばかり…でも、それだけ太陽のありがたさを感じることができる機会になります。塵ばかりの空気の悪いモスクワの空気が、雨のおかげで新鮮な気がします。緑の匂いが香ってきます。

― 信号待ち。日頃青信号で通り過ぎている時には目に留まらなかった街の風景や構造に目をやる機会となります。少しぼっとしてちょっとしたことを考える時間ともなります。

仕事の効率化を徹底して追及してゆく日々の中で、果たして生活のすべてにおいて効率化が正しいことなのか?ロシアに来てから疑問を抱くようになりましたし、あえて無駄と思える選択肢を取ることも逆に必要なんだ、と悟りました。

日本は多くのことが整備されており、多くのことが予定通りに進むことが重要視されている気がします。一方のロシアはまだまだ混沌としており、日々とても思い通りに事が運ぶことがありません。ソ連崩壊、ルーブル貨幣の大幅な価値下落などの不安定さをベースとして生活しているがゆえに物事が思った通りに進めば素晴らしい、うまくいかなくても当たり前。そんな感覚を持っているのだと思います。だからこそロシア人のマインドはロシアでの駐在生活を上手に過ごす上で学べる点が多くあります。

ロシアでの勤務を経験することで、かつて日本で抱いていた常識の非常識さ、根本的な考え方の変化など、多くのことをロシアから、ロシア人から学びました。今もロシア人スタッフとの交流を通じて、ロシアでの生活を通してロシア人から学んでいる日々です。

ソフトスキルの重要性 ― ロシアも日本も関係なく / The importance of “Softskill” in Russia, Japan everywhere

観光客、バイカー(biker / байкер)が夏には特に集まるモスクワ市街を一望できる丘、 Воробьевы горы (Sparrow hills)にて。展示されているクラシックカーを懐かしそうにおばあさんが眺めてたたずんでいました。

今の時代、ソフトスキルの重要性がとても重要であると感じていて、さらに、この、目に見えない自身の持っているソフトスキルをどれほど簡便に、分かりやすく、見える化して違うバックグラウンドを持つ世界に住む人に表現、説明できるか?これが一層困難だけれども、これまた重要なテーマだと感じています。こうしてブログで書いているテーマ ― 今日で言えば「ソフトスキル」 ―はまったく新鮮味はなく、インターネット上やビジネス書でよく目にすることだと思いますが、仕事の経験を重ねてゆく中で、なんだかストンっと落ちて納得するタイミングがあるのですが、まさにこのソフトスキルの重要性も、他社の方の客観的な話を聴く中で「あっ、そうなんだ、自分が日ごろ感じていることってソフトスキルのことだったのか」と、知識として知っていることと、真に理解して知恵として自分のものになっているか。この違いは天と地の差です。自分自身が経験してきたことをどうやって他人に伝えることができるか、書き物であっても面談を通してでも、同じ共通土台を持っていない人に伝えることの難しさを感じます。人事の採用面談で彼らがどんな人なのか物語るようなエピソードをロシア人候補者に毎回語ってもらいますが、今のところ、これまで納得のいく形で説明をしてくれた候補者には一度も出会ったことがありません。日ごろから意識していないからこそ、いきなり説明を要求されても相手に納得のゆく形で、例えを用いたり、相手のバックグラウンドを考えずに自分の視点で言葉足らずの表現で語ってしまうことに問題があるのでしょう。以前にアメリカで出会った方は「ソフトスキルを見える化するものとしてMBA資格があるんだ」とのことでした。見える化のテクニックとしてそうなのかもしれませんが、それはMBAはあくまでハードスキルであろうと思います。ソフトスキルを鍛えるために専門課程となっているのがハードスキルのMBA?というところでしょうか。やはりこのハードスキル、というのは目に見えるので分かりやすいために、良くも悪くも働いてしまう部分であって危険な匂いを感じてしまうのです。

ソフトスキルの見える化の方法としては、考えてみるとこのブログで自分自身を表現してゆくことも一つの形なのかな、と。どれだけ自分の体験を自身の体験として書くことができて、それを読者が納得できる形に表現してゆけるか、それをどれだけ頷いていただけて、「役立ちましたよ」と言っていただけるか。定期的にサイトを開いて「どれどれ、新しい記事があったら読んでみてやろうか」と思っていただけるか。

また、その人と一緒に勤務した人からの評判、出来る限り正直なコメントを幅広く拾い上げること。そして、仮に素直な前向きのフィードバックが出てこない場合、(多くの人が本人のことを悪く言わないと思われますが)彼らが発言するコメントの発言や文面ではなく、それらに共通して見出される何かをどれだけ汲み取れるか。そこが大切なんだと感じています。

ロシア人と日本人のコミュニケーションレベルの違い / The different level of Communication between Russian and Japanese colleagues

本日の20:30。家のすぐ隣にある公園にて。今日は雪が降り、気温も体感マイナス7度。帰宅する頃には通りもうっすらと白くなっていました。その下に張っている氷に完全に足を取られ、尻餅をつくことに。頭の中にまで衝撃が響くほどにきれいにこけました。

今日はチーフアカウンタントと仕事のあとに会話をしていて、「この会社はコミュニケーションに問題を感じる。どうにも(日本人と)メールで会話していると何が言いたいのか理解に苦しむことがある。」と言われてしまいました。

質問をもらい、それに対して回答をするのだが、どうにも自分の回答が相手にとってピントがずれているのでは、と思えてしまうような反応が返ってきて「?」となるようです。ロシア人同士で会話していれば相手の反応から相手が納得しているのかすぐに分かり合えるのに、と。そして、もっとできるだけ自分たちが考えていることを教えてほしい、と。そうすればより相手の欲しい仕方で回答もしやすい、ということ。

何となく言われていることは分かる気もします。各人の性格の違いゆえ、あるいは質問がスタッフとは共有できない事柄に関係している場合もあるので、必ずしも少人数の日本人との業務経験だけをもって“日本人とは…”と固定観念を持たれることは避けたいものです。しかし、彼女曰く「日本人は、どうにも表に現れる表現があまり少ないからだろうか、何を考えているのか分かりづらい。」とのこと。メールにですらそれが表れているのだろうか、とふと我が身を振り返ることに。

私自身を振り返って思い当たる節があるのは、頭で考えていることを指に伝えてメールで文字化する作業の中で、無意識のうちに日本式で文章化してゆくために、抽象的な表現が多くなったり、相手が分かっているだろうとの認識から言葉自体を省いてしまう傾向があること、そう自分自身で理解するようになりました。チーフアカウンタントの彼女から聞くと、そのようなメールが飛んでくると、周りのスタッフと「ねぇ、これって何を聞いているのかしら?こういう意味にも取れるし、違うようにも聞こえるんだけど…」とあーでもない、こーでもないという会話がされるようです。ずばり「無駄に時間がとられてしまう(ので嫌だ)」とのこと。

どんなに意識をしていても、まだまだ抽象的な会話の仕方が染みついているな、と感じます。抽象的-そこから生まれるものは、仮に良さを無視してネガティブに捉えてみた場合には—阿吽の呼吸でお互いが察することを要求する。何となくの文化。よく分からないけれどもとにかく行き詰まったら笑ってごまかす。みんな仲良く。責任の曖昧さ。仕事の方法、期限がぼかされていて自分から確認しないと一言言われただけでは分かりづらい。―そんなことを感じています。

その(its)、これ(this)、あれ(that)、そのような(such)。今日の文章を見ていても頻繁に繰り返されています。これが英語になるとロシア人も私もお互いに母国語ではないためにさらに理解度に溝が生まれてしまいます。忙しいときには、メールを見返す時間もおろそかになってしまいがちですが、自分で書いたメールを送信前に読み返し、重大な文法ミスや、文章の構成におかしな部分がないか、サッとでも確認する時間を取ることが大切でしょうね。

「XXXさんの書いている英語はよく分からない。もっと分かりやすく書いてください。」と直接言われるとさすがに堪えるのですが、やはり時間を置いてから読み返すと、全く自分でも理解ができないことがあります…やはり振り返りは大切だと確信します。

そして大切な原則は、ビジネスメールはポイントを絞り、できるだけ短文で。箇条書きで全く問題ありません。Request、Question、Due date、Contact先など。きれいな英文が必要なく、出来る限り読ませずに、見て理解できる内容を作ること。そして具体的に。ただ、一番よいのは直接面と向かって会話をすることですね。今日もまた一つビジネススキルの改善に向けての訓練を受けた日でした。