モスクワ駐在生活の醍醐味:歴史的なアパートと景観をでの生活 / The joy of living in Moscow: living in the historic apartments and enjoying city landscapes

モスクワの駐在生活でしか経験できない醍醐味の一つは、日本には存在しないモスクワの歴史的なアパートに住むことができる、という点があります。有名なスターリン様式のアパートはまさに他の国では見ることができません。都心の中心部ということで家賃も高く、自分の負担で住むとなると難しいところを会社の補助があるからこそ選択肢に含めることができます。モスクワ駐在の際には歴史的なアパートを検討してみることをぜひお勧めします。ロシアのモスクワ以外の国に居住したことがないので、他の国ではどのような物件があるのかは分かりません。ドイツに駐在していた友人の家や他の西欧の国々を訪れたときに見たアパートは、日本のものとは異なりますが、急に日本から引っ越したとしてもあまり違和感のない雰囲気であった気がします。日本のこれまでの生活で、よく目にした映像や似たような雰囲気のものを実際に生活で経験しているからかもしれません。

今のモスクワでも現代的なアパートが立っており、現地に住む友人曰く、いまではロシア人でもそういったアパートを好む層が増えているようです。Youtubeでみる現代的なアパートは、現代の生活に適している、内装もシンプルなものが多い印象です。部屋の中を紹介するRoomTourビデオをYoutubeで見るのが好きですが、予算に制約があって、それでも部屋の中をオシャレにデザインしたい人はIKEAを好んで購入しているように感じます。

歴史的なアパートを好き好んで選ぶ人は徐々に少数派になってくるのでしょうか。確かに歴史があっても水回りや部屋の造り、古い電気設備など、古いアパートを好む理由はあまりないでしょう。

Архитектурные излишества

(辞書によれば意味は「建築の装飾過剰」。この名称を付けた背景は分かっていません)

https://www.youtube.com/channel/UCrBrH2HVtIA6-kk42E5m7yw

Youtubeで見つけたこのサイトはおすすめです。モスクワに住んでいて、ここは一体どんな住み心地なのだろうか、と建物を見上げては想っていた建物がまさに紹介されています。全てロシア語ですが、モスクワの街並みやアパート内部の様子、雰囲気がこちらにも伝わってくる、とても綺麗な映像が並んでいます。

例えばこんなアパート。日本では決して見ることができない外観と内部の雰囲気。そして窓から眺める風景。モスクワの中心部に関して言えば、赤の広場を中心に古い建造物が広がっている街並みの景観は一度は経験してみたいものです。

私は7年間のモスクワ生活のうち、3つのアパートを経験しましたが、どうしても仕事柄オフィスに近いところを選ばざるをえませんでした。その理由は不測の事態があるときにはすぐにオフィスに駆け付けられるように、生活の大半が仕事で占められていたためにオフィスへの移動を徒歩圏内にしたかったことです。モスクワの大渋滞は半端ないです。同じように渋滞がひどいと聞く東南アジアを経験しておらず比較できませんが、モスクワはあれだけ多くの車線があり、あれだけ大きな道があるにも関わらず、時間帯によってわずか1km程度を車で通過するのに1時間近くかかったこともありました。冬にもなると、オフィスへの通勤のために片道2時間もかかっている駐在員もいましたので車での移動がいかに恐ろしいものか想像していただけるのではないかなぁと。

きっと次にモスクワに住むことになればじっくりと考えてアパートを選ぶでしょう。最後に住んだアパートは、限られた選択肢の中から1930年に著名な建築家によって設計されたという由緒ある建造物を選び移り住みました。数か月前から物件情報を眺めて気になっていたのですが、しばらく経つと提示価額が下がったことをきっかけに紹介元にコンタクト。そこからスムーズに手続きも進み無事に決定です。建物はスターリン様式のようなもので(Wikipediaによれば、当時世界最大のビルとなる計画であったソビエト宮殿(スターリン死後に計画中止)の最終デザインが固まった年1933年からソビエト建築アカデミーが廃止された1955年の間に建てられた建物をスターリン様式というようです)天井は高く、外観と窓から眺める夕日は最高のものでした。違うアパートにゆけば、そこで見つける新たな最高の景観があるはずなので、終わりの無いテーマですね。オーナーの父親は日本に行ったことがあってとても日本が好きだ、というオーナー。アパート選びにはオーナーがどんな人かも非常に重要なポイントです。

今回紹介したYoutubeでは、モスクワ以外の町も紹介されていて、モスクワとは違う様子も楽しむことができます。そのうちのいくつかは私も休みを利用して出かけたことがあります。早朝にモスクワを列車で出発し2,3時間の距離にある町を散策して夜にはモスクワに戻ってくる。モスクワでの慌ただしい生活を離れて、ゆっくりとした時間が流れる違ったロシアを知ることもまた駐在していたあの日々の醍醐味でした。

モスクワで感じた不要物のリサイクルシステムの素晴らしさ / The great recycling system of unnecessary stuff that I felt in Moscow

日本に帰国して不便を感じることの中に、ゴミ収集日が決まっていること、そしてごみの分別ルールが厳密なことが挙げられます。ずっと日本で生まれ育ってきたので、それが当たり前のはずなので、それが当たり前と言われれば不便を感じないと思いますが、モスクワでの生活を経て戻ってくると、やっぱりこのシステムに不便を感じることはあります。
不要な生ごみやプラスチックごみを収集日まで自宅で管理し続けることは嫌なものです。缶詰の回収日の少なさや、可燃物の収集日を考えたうえで冷蔵庫の中身と相談する必要もありそうです。

ロシアでは、コロナウィルスの感染が始まってから不要な外出が禁止となり、外出が許可される理由の一つにゴミ捨てがありました。ゴミを毎日捨てる口実で外出しながら少し散歩もしつつ。

モスクワのゴミの処分は至ってシンプル。いらないものは何でもアパート近くにある収集場所のプラスチック箱に投げ込むだけ。電化製品でも何でもお構いなしに置いてゆきます。そんなロシアのごみ分別ルールは、違う問題があります。まったく分別ルールが整備されていない(現在は整えられつつある)、人々がそんなルールを守らない。なんでもかんでも大きなプラスチックのゴミ収集箱に放り投げる。人が処分する方法も豪快であれば、ゴミ収集車も豪快。

2019年1月より「ゴミ改革」と言われるごみ収集のルール変更があったようですが、生活している中で、大きく変わったことは感じませんでした。今思えば、通りに分別用のゴミ箱が設置されたり、ゴミ収集のプラスチックケースには分別ルールが記載され、生ごみとビン類を分けるなど、図でそれぞれのケースに入れるべきものが示されるなどの変化を感じました。


https://www.orix.co.jp/grp/move_on/entry/2019/08/09/100000

https://www.jetro.go.jp/biznews/2019/01/bcf822c7dfd0a11d.html

どんなに個人的に環境に配慮して分別しても、最後に収集される場所は一つの場所にいく。だから分別しても意味がない、なんていう冗談もよく聞くことがありました。私の見たロシアではまだまだゴミ改革はこれから…そんな印象が残っています。

今回お伝えしたいモスクワで見かけたリサイクルシステムの素晴らしさ。それは、不要なものをあえて見えるところに置いておく。そうすると、しばらく経つと誰かがそれを持ってゆく。お互いに助け合いの精神が働いているのかもしれません。廃棄する側もわざわざ処分業者をアレンジすることも必要ありません。また、夜遅くにはゴミをあさっている人が見られます。人々が処分した不要物を物色しているようです。丁寧に並べられた女性用の靴、不要となったと思われる洋服、そんなものが置いてあります。翌朝にはそれらが無くなっているのを見ると、きっと次にゴミを捨てに来た人か、夜中にゴミを漁っていた人か、誰かがもっていったのでしょう。私も引っ越しの際には、不要となった冬用のコート、洋服、靴といったものを見えやすいところに置いてきました。やっぱり翌日にはなくなっています。誰かに引き継がれて役立っているいいなぁ、そんな風に思っています。

水漏れ事件で階下の住民が早朝から押しかけてきた /Residents downstairs rushed to my room from early morning due to water leak

1930年に建築された建物が今でも十分住むに足る、という驚き。そして、内装は立派に装飾されているけれどもこうして水回りのパイプ類を目にすると、いかに建物が古く、修繕を重ねて今に至っているのだろうことが想像できます。

ついにロシアの洗礼 - アパート水漏れ。
モスクワで住んでいたアパートの建築は古く、1930年と聞いています。外見は立派な建築様式で天井も高い。しかし、中身はすっかりおんぼろです。そんなアパートでも修繕を繰り返しながら今も我々のために住居となってくれています。

何度か引っ越しを繰り返して3件目のアパートでしたが、この水漏れ事件が起こるまでの約2年間は何も問題なく過ごしてきました。

そして2020年2月8日(土)の朝7時。ドアのチャイムが鳴りました。眠くて無視していましたが止まることはなく。ドアの穴から外を覗くとご老人夫婦とおぼしき方が。ドアをあけると女性がご立腹の様子で、わめきながらずかずかと土足で私の部屋に入り、バスルームへと入ってゆきました。

どんなに私が悪いからと言っても、他人の家にことわりもなく勝手に入り込むのはどうかと思います。それはないでしょう、というのがぱっと頭に浮かんだ印象ですが怒りは最高潮に達しているようです。

「1月にも同じことがあったのよ。もうどうしてくれるの!?」

2020年の始め、私が日本へ帰国中に水漏れがあったようです。オーナーからメールが入っていて、水漏れがあったために部屋に入ったとの連絡があったことを思い出しました。

写真の通りすっかりわが部屋の水漏れが原因で侵食されている模様。それはないでしょう、というのは下の階の方のセリフかもしれません。思い返せば、金曜日の夜遅くに仕事から帰ってきた時、何かがポタポタと垂れる異常な雰囲気の音がしていたのですが、深夜で一週間の疲れも溜まっていて注意もせずに眠り込んでしまいました。翌朝になってこの女性の怒りはこれだったのか…と。

しばらくして修繕をする男性がやってきました。全体で1時間くらいだったでしょうか、無事に水の漏れも収まりました。アパートのオーナーは「1月のときに修理を担当したあの人が悪い。最後までちゃんと仕事をやらなかったに違いない」と。
怒り心頭の女性の旦那さんの会話を聞いていると、彼の奥さんはどうも裁判を始めることを考えている、という。けれでも、私はそこまでは考えていないから修繕にかかるコストを負担してくれればよいから、と。

私の思い込みで判断してはなりませんが、このような件で裁判を始めるケースはロシアの場合は決して不思議なことではないのかもしれません。私の友人も、全く同じようなケースで階下の人から訴えられ、弁護士を見つけて協議している、とのことでした。彼女はフルシチョフカと呼ばれる5階建ての古いアパートに住んでいて、いきなり古い水道管が破裂したとのこと。どうやら彼女の家の箇所が破裂したことで階下の家の家具に被害を与えてしまったのだとか。階下の人が怒っており、それなりの賠償をしなければいけないことになりそうだ、という。それでも堂々としていて、まあ仕方ないわ、と言っていました、なんともたくましい。

私の水漏れと言えば、保険適用をした結果無事に保険会社から補償されました。家は立派でも中身は古く、修繕をしながら長く使用してゆく。近隣住民との関係の大切さ。これはきっと日本と同じなのでしょうね。

モスクワでの勤務7年を振り返って / Looking back on experience of 7 years I spent for work

ただいま家で自宅隔離中。区役所から定期的に電話がかかってきます。「公共交通機関には乗らないでくださいね。」と念押しされます。

それにしても7年間のロシア、モスクワでの生活は想像以上に自分自身の生活スタイル、考え方に影響を与えているようです。近所のドン・キホーテに出かけてみました。日本のモノに溢れている様子と安売りしている食料たちを久々に見てワクワクしてしまいました。いまだに日本円をロシア・ルーブルに換算して価格が高い・安いを判断してしまいます。クレジットカードが使いづらく、現金払いの場所も多く不便も感じます。

ジョギングをしていると、小さな川(残念ながら人工のもの)で川のせせらぎの音を聞いてつい聞き入ってしまいました。モスクワ中心を優雅にゆっくりと流れていたモスクワ川。同じ「川」といってもこうも違うのですね。とにかく日本は暑い。「いやいや、まだ全然暑くないですよ。」と言われても湿度の高さも手伝ってからか、暑さを余計に感じます。体の疲れ、集中力の低さにつながっています。大丈夫。区役所から「コロナウイルスの検査結果は陰性でしたよ。」とお墨付きをもらっています。体調は一応万全です。

そんな日本に戻ってきて、ゆっくりとロシアで学んだこと、感じたこと、考えていることを綴ってゆこうと考えています。

感謝を示さないことも立派な感謝では /Not showing gratitude is also a fine gratitude

この月曜日に、計7年間勤務したモスクワを離れてロンドン経由で日本に帰国しました。モスクワ~東京間の直行便は7月末まで欠航。イギリスには多くのロシア人が住むということで彼ら向けアエロフロートがフライトをアレンジしたという。ロンドンからは日本航空で約11時間。半分も埋まっていなかったのでは、と思える機内では食事時間以外はマスク着用して羽田空港に降り立ちました。

日本航空でのサービス中で感じる素晴らしく、日本のおもてなしの美を表すと思うのですが、着陸近くなると「これから乗務員がご搭乗への感謝を表すために皆さまのもとでうかがいます。」と言って丁寧に挨拶をしてくださいます。以前に搭乗していたモスクワ~東京便でも同様のサービスがあったので、きっとこれはマニュアルにあるものなのだろうと推測します。

ヘッドフォンをして、本を読んで集中していた私。通路に乗務員が来ていることも気に留めずにいると、肩をたたかれました。なんだなんだ?と思うと「今日はご搭乗ありがとうございます。フライトはいかがでしたか?」と流ちょうな日本語を話す外国人の乗務員がそこにいました。「とてもよかったです、ありがとうございます。」とお伝えしましたが、私にとってはむしろ集中を邪魔されたことが不愉快でした。

感謝を示してもそれが果たして相手にとってありがたい感謝なのか、相手の集中を邪魔していないだろうか、相手の状態を邪魔せずに何も言わずに通り過ぎることも立派な感謝の表し方なのでは?と思った瞬間でした。

今振り返っても判断が大変難しいと思います。以前にはこのように声をかけられることはありませんでした。単に、今回は機内の乗客が大変少ないために一人一人に丁寧に声をかけてくださったのかもしれません。「なぜ私には声をかけなかったんだ?」というクレームが後からくるかもしれません。私のように、できる限りこちらの時間を遮ってもらいたくない、という客もいるでしょう。多くの航空会社が自分の国の特徴も考慮しながら特有のサービスを提供しようと切磋琢磨する中であらゆるタイプの機内サービスが生まれているのだと想像します。乗客を乗せて飛ぶ飛行機が始まったのは決して古くないはず、それと同時にスチュワーデスという女性に人気のある職業が生まれて、今では男性も普通に見られるようになってフライトアテンダントと呼ばれる現在。かつては、今普通にみられる機内サービスも大変ありがたく、飛行機に乗ることも憧れであったのかもしれませんが、今も同じようにサービスを提供することが本当に大切なことなのか、そして感謝を一方的に相手に伝えることが、果たして相手への本当の感謝なのだろうか、マニュアルに沿ったおもてなしの気持ちなど要らないなぁ…と思って飛行機を後にしました。

搭乗前には乗客に対して、ホテルで部屋の掃除を頼む・頼まないの選択肢があるように、搭乗前に「わたしにおもてなしは不要です!」「わたしにはぜひ日本式のおもてなしをお願いします!」のチェックマークシートを準備するのはいかがでしょうか?

私の意見としては、本当の感謝の気持ちを表すのって実はシンプルでは?と感じます。機械的にドリンクを順にサービスすることや食事を渡すことが多く見受けられるフライトアテンダントの皆さん。どれほど疲れる仕事か、想像ができます。それでも「今日も良い天気ですね。」子供と楽しそうにしている家族がいれば「かわいいお子さんですね。」外の風景をカメラでたくさん撮影している乗客がいれば「カメラがお好きなんですか?外の景色もきれいですよね。私がこれまで観てきた景色と比べても五本の指に入りますよ。」なんて言葉をかけられたら会話が弾みませんか?

とある週末のタクシードライバーとの会話 / Conversation with taxi drivers on weekends

コロナウイルスにより外出制限が課せられてからというもの、私用での遠出は週に2回までに制限。毎回、事前に電子パスをオンラインで取得してから出かけています。外出制限がある状況でも我が家の周りではお構いなしにジョギング、サイクリング、散歩をする人々がいる中、果たしてどれだけの人が電子パスを取得してから外出しているのだろうか、という疑念は晴れません。そんな私も、ジムが一時的にクローズされてしまった現在、ほぼ毎日ジョギングをして気晴らしと運動不足を解消するようにしています。

遠出の際にタクシーを利用すると毎回ドライバーに電子パスの有無を確認されてから搭乗開始。今の状況をどう捉えているのか?毎回ドライバーに話しかけて意見を聞いてみるのですが、それがまた興味深い。

ドライバー其の一:

「みんな、”渋滞をなくしてくれ(モスクワの日常生活における渋滞は日本の比ではない)。街に人が多すぎる、自分だけものにさせてくれ”っていう結果がこれだよ。言った通りに願いが叶っているよ。」(そういって、全く渋滞の無い、誰も歩いていない通りを指さした)…自分だけが外を歩いてよい、という状況は残念ながら叶っていないけれど、ほんとにそう。これほど日常の大通りからこれほど車が減った光景をみたことは記憶にないです。

ドライバー其の二:

「今のこの状況は神様が我々人間に与えている試練だよ。神を信じる人にはこの試練を乗り越える動機があってきっと大丈夫、この先によい未来が待っているという希望を持っているから。そうでない人にとってはただただ辛いだけだな。」(神様は人間を不公平なく愛しているはずで、なぜ人間に試練をわざわざ与えないといけないのでしょう?)

ドライバー其の三(珍しく女性ドライバーに):

「今の世の中、人間は自分たちが本来いるべき立場を超えてしまった。その罰が今の現状よ。人はますます自分のことだけ考えて悪くなっていっている。今、自分たちの間違いを認識して反省する時期にきているのだわ。お金なんてどれだけたくさんあっても幸せには関係ないの、衣食住が整っている。それで満足しないといけないわ。」(本当にその通りだと思います)

ドライバー其の四

「人生、自分は生きている、というその現実を楽しまないと。しばらく旅行に行ってたんだけど、そこで人生を楽しまないといけない、ということを学んだんだ。コロナウイルスで苦しくてもそれをどう捉えるかは人それぞれ。苦しい苦しいと言っていれば辛くなってくるけれども、例えば太陽があって緑豊かなこの自然の恵みを見てみたらハッピーじゃない?(今日は天気悪いで嫌になりますよね、という問いかけに)いや、また太陽がでることを喜べるんだからこの天気だって悪いもんじゃないよ」(まだ20代と思われる若い男性、こんなに明るい姿勢で生活していれば、こんなコロナウイルスの現実も大したことではなさそうですね。素晴らしい)

モスクワでの自宅隔離生活で考える世の中の不公平さ / Thinking about Unfairness in the world during quarantine and staying at home in Moscow

早朝。起きて家の周りを少し散歩しようと、住んでいるアパートの部屋を出て、エレベーターへ向かいます。到着を知らせる若干ヒステリックな甲高い音と共にその扉が開くとアルコールの匂いがプンプンしてくること、あります。明らかにお酒を飲んだ人が乗った後の匂いが閉じ込められていて、それが扉が開くと同時にぽわーっと開放されてゆくイメージ。家にいる時間も長くなり、お酒に溺れてしまう人もいるのではないかと。以前、まだコロナウイルスの蔓延が始まったばかりの頃に乗ったタクシーのドライバーが「こうなったらウォッカを飲むしかないなあ、ははは」と笑い飛ばしていたのを思い出します。あの頃はこれほどまでに長引くとは予想もしていませんでした。

毎日、体を動かすためにも、早朝にほんとにわずかですが家の周りを散歩し、晩にはその日と翌朝に必要な食料を買うために外出をして食料品店に出かけています。お店の前に佇む物乞いの人や、早朝や晩にゴミ箱をあさる人の数が気持ち増えた気がします。

以前私の友人が言っていました。「人の不公平はその生まれた家庭ですでに始まっている」と。生まれた家庭がどのような家庭であるかによって、既にその人はの人生はある程度決まってくるのだと。今、こうしてロシアに住んでいて、その言葉の正しさを感じています。這い上がることができない現実的に越えられないハードルが、恵まれた家庭に生まれてきた人との間に大きな差となって存在している。例えば、私の住むアパートオーナーのご家族はご両親のおかげでしょうか、中心部の立地のよい場所にご両親と、少なくとも2つのアパートを所有しています。そのうちの一つを私が借りています。きっと中心部から1時間ほど離れた場所であれば、この家賃で2か月は十分に暮らせます。社会的に成功している親がいるからといっても、その家庭内が崩壊していて、親子の関係がギクシャクしている家族、子供がゲームばかりして引きこもっている、高い学習塾に通っていても通うことに満足してその結果がついてこない子供、そんな家庭も見てきたので、社会的な成功=金銭的なゆとりがある ― に恵まれていることが常によい結果を生み出すわけではないようです。が、自分の将来に向けて投資ができる余裕の有無は大きな差だなぁ、と思うわけです。

私は本当に恵まれています。駐在員会社のお金で家賃を負担してもらっています、中心部に住んでいるのでかなりの良い値段ですが、その余った資金を自分への投資のために使用できるわけです。自宅隔離になってから、いくつか IT 機器を購入していますし、そこから恩恵と経験を得て、次はもっとこうすればよいだろう、そのためには何が必要だろうか、とさらに先を考えることができます。一方で、スタッフの給与からすれば、それよりもまずは必要な生活費に回そうと考えるかもしれません。

きっと人間の多様性というのは白人も黄色人種も黒人も、それぞれの肌の色、外見、文化などの比較できない違う価値観からなる美しさがあって、それが人間社会全体の美しさを生み出すはずなんでしょう。ところが、なぜだか人の欲が搾取を生み、不公平な世界を生み出し、結果的に肌の色による差別、住む地域での生活レベルの差といった不公平さは人間自ら作り出してしまったものだろうか、なんてことも感じます。砂漠は確かに美しいですし、アラビアンナイトの世界とかではラクダと砂漠は必須なのでしょうが、これほどまでに人が住めない不毛の土地が地上に必要なのか?と。

モスクワの平均給与は9万ルーブル(約13万円 13.05.2020時点)に満たない金額。この平均給与にしても感覚としては高いと思います。一般的に30歳を超えても10万ルーブル満たない給与の人は少なからずいる印象です。10万ルーブルいえば現時点の為替でいけばわずか14万6千円。それで一体自分の生活の野心的な将来を計画できるのか?自分の持ち家を購入できるのか?だからこそ夫婦共働きであったり、親親戚との強力な助け合いがあってこそ生活が成り立つと思います。だからこそとことん会社を利用して経験を蓄え、ビジネススキルを向上させて給与の高いところに転職できるよう目指しなさい、と言っていますが、それは各人の意思決定の問題であり、私は給与も最重要な点でありますが、それと同時にお金だけではない、この会社にいてよかった、会社に行きたい、と思えるような別の価値観をもっと充実させてゆきたいと思っています。といっても、とりわけ地方都市からモスクワに出てきた人は野心的な人が多いようです。モスクワではルームシェアをしていて、いつかは自分だけで住むアパートに住みたい、そう思うのは自然なこと。高い給与の提示を受けると転職してゆく人が一定数います。今も決して高くない給与で働いている地方から出てきたスタッフに尋ねると、親からの仕送りを生活費に回してモスクワの生活費の足しにしているとのことでした。

財政的にゆとりのある人は、余ったお金をより多くの自己投資に使う ― 多くの経験をし、多くのサービスを購入して評価ができる ― 余裕があり、その余裕を持っていない人々との差が広がる一方です。とてつもない財政的な余裕は必要なく、毎月の収入から少しでもそのような投資ができるようなゆとりがある、それだけでも十分だと思います。私は金銭的なゆとりを、おいしい食事ばかり考えることやブランド商品購入、立派な家具、使い切れない機能だらけの電化製品、最新のスマートフォンに費やす、そのような消費は浪費でしかないと考えているので、そのような、自分の将来の価値を増やしてくれるであろう投資に回すことは家計簿をつけてみればできるはずでしょうか。

今のコロナウイルスによる自宅隔離においては、家にインターネットと集中して勉強できる環境がある人もいれば、狭い部屋に複数の家族と住むことで自分の勉強スペースがなかったり、インターネットも自由に使うことができなかったり…明らかに各家庭の状況によって教育への影響も計り知れません。スタッフに「仕事の調子はどう?」と尋ねると、よくても通常の8割ぐらいの成果が出れば十分なくらいだと言っています、あるいははぐらかされてしまったり。 ―レスポンスはよいのでさぼっているわけではないと思っていますが ― 家では子供が騒ぎ仕事に集中がしづらい、アパートも決して広くない家庭が多いはず。その中に他の家族と暮らしていて彼らが会話していたり、テレビを見ていたり…そんな状況を考えると、8割くらいの生産性といわれても納得してしまいます。

世の中の不公正を是正するには一体何が何ができるのか?そんな逆境から這い上がってきた成功者が世の中に存在し、メディアにも取り上げられますが、その裏でどれだけ多くの人が泣いているか…そんな成功者は非常に稀な存在だと思います。普通、そんな苦しい生活が続いてしまうと幻滅的になります。そして、その現在から上がれない人が大勢いるのが当たり前ではないでしょうか。物乞いの人にお金をあげる、でもこの人の明日はどうなるのだろう?この人がそもそもこの状況に陥ってしまった経緯とここから一体どうして再び立ち上がる元気が出てくるのだろうか…?

おぎゃーっと生まれてきてからは、きっと誰しもが笑顔の赤ちゃんでいた時期があったはず。そんな時期がいつまでも長続きするような、そんな世界を ― たとえ一人一人の半径は小さいものですが - できることをしてゆく、それぐらいしかできることはないのかなぁ、との思いに暮れながら、今日も窓の外で日増しに成長している新緑を眺めながら家で過ごしています。

お金への接し方 / The way we treat money

この自宅隔離の間、プライベートで溜まっていることを整理し、自身の欠けている点を見直す良い機会となっています。

この週末から一層人の動きが少なくなり、車の量も減っています。通りをパトロールする警察車が目立つようになった気がします。通りを散歩している人やジョギングしている人も見かけますが、警察車両が自宅隔離をするように、とのアナウンスを大きな音量で流しています。04.04から罰金も科せられることが決まっています。お昼過ぎ、ゴミ捨て、買い物とジョギングをかけ合わせて外に出かけると、ゆっくりと後ろから警察車両が近づいてきて、こちらをじっと怖い顔をして通り過ぎていきました。実はアパートを出た時に警察車が止まっているのに遠目でみえたのでそちらのほうを見ずにしれっと違う方向に向けて歩き出したのですが、それが見つかったのでしょうか…。食料品を購入のためにお店へ行くと、店員はマスクに手袋。そして頭からヘルメットのようなものまで被ってレジ業務をしています。「日本人はなんであんなにもマスクをしているんだい?」なんて小馬鹿に」していたロシア人がこうもマスクをして歩いている姿を見ると今回の事の大きさを感じます。そして通りを歩く人の数はすっかり少なくなりました。

さて、お金への接し方について考えさせられるこの機会。
日本人は、お金の話をすると否定的な傾向がある、という話を聞くことがありますがお金に執着することと、無頓着でいること、その両方の危険なことを。
2015年の為替暴落時には、日々の仕事に追われて全く心に余裕もなかった私は、会社の資金繰りと為替の変動悪化の様子を常にチェックし続けていました。その一方で大切な私自身のRUB口座のことは全く手を付けておらず、その後当時のキャッシュは諸々と海外への旅行等で使用したため、結果的には40万円近くの給与を失ったことになります。ロシア人スタッフは、RUBからドルやユーロに定期的に変えて為替リスクを避けるように気を付けているスタッフがいます。為替の動きにも敏感です。

海外への旅行のために、格安でとれる半年以上先の航空券を買うためにチケットの価格に目を走らせている人がいます。

おそらく日本と一緒で、海外にでかけない人はRUBしか必要としないので、為替の動向に注意を払わないのでしょう。しかしながらモスクワのオフィスのロシア人スタッフは若い世代で、海外への旅行を楽しみとしており、彼らにとって為替問題は実質給与の減少を意味するので大問題です。

現在すっかり利用していないメールアドレスを整理していて気が付いたのですが、自動引き落としされるパソコンのセキュリティソフト費用を毎年支払い続けていたことに気が付きました。

一昨日は、近所のスーパーに出かけたとき、マイバッグを持参することを忘れてしまいました。袋の料金はわずか5RUB。10円にも満たないものです。それでも、日頃からマイバッグを持参しており、明らかに自分で避けることができたものに対してお金を払うこと、嫌なことです。

事前に自分で避けることができたはずなのに、自分の不手際で現金の引き落としに取られてしまう手数料。これも嫌なことです。

一方で、何年もログインしていなかったオンラインバンクの口座を見ると、知らない間に溜まっているお金。

  • 使用する複数のメールアドレスを目的別に集約し、定期的にチェックすること
  • 毎日家計簿をつけること>絶対に記録すること自体を込み入ったものにしないこと。とにかく続けることが重要。実は、こう書いている私自身、続いたためしがありません。この4月から始めたばかり。毎回購入の際には、本当に要るのか要らないのか、よく吟味したうえで購入しているつもりで、だからこそ結果的に使い方に問題はない、なんて思っていましたが、Excelで簡単に他の日常の記録と合わせて、毎日の出入金を記録しています。
  • 自分自身の持っている銀行口座の定期的な残高確認と出入金の確認をすること

こんな基本に改めて戻らなければ。そんなことを自宅隔離(на карантине)の第一週で感じています。

そして、このようにお金のことを知ると、今度は「あの時なんでこうしておかなかったのだろう、そうすれば〇〇〇円節約できたのに、なぜ長い外国生活で全くお金の運用をしなかったのだろう…。そうすれば今よりもあといくら資産が増えていただろうか。」といったマイナスの考えが浮かんできます。精神によくありません。

一般的に、駐在員として勤務している日系企業であれば、手当も考慮されているはずで、生活上何ら不自由する心配はありませんが、自分自身の仕事に集中するあまりに自分自身の資金状況の確認をないがしろにすることの危険。そして、お金のことを知るが故に生まれるマイナスの考え。その双方の中で上手なバランスを取ることの大切さと難しさ。お金への接し方について考える機会となりました。

スマートフォンのカメラが一層綺麗になりました、処理スピード0,1秒早くなりました、デザインが一層かっこよくなりました。そして周りの同僚も買っています。さあ君も!そんな宣伝文句や周りの動きに揺られて、「次のモデルを買わないと取り残されちゃう、クレジットは何か月分組んで買えば毎月の出費額も何とかなりそうだ…。」そうやってお金の地獄にはまってゆきます。

自分の持っている、あるもので足りた生活をすること。お金は増やすことが目的ではなくって、自分の生活に必要なお金を把握し、それに必要なお金のレベルを維持すること。背伸びはしない。現実をよく見ること。

それが何よりも一番の大切なお金への接し方ではないでしょうか?

お金の使い方の上手い、と、下手 / Being good with money or bad with

お金の使い方がうまくなる必要があると想っています。
基本の基本は、人がお金を使わなければ経済が発展しない、このシンプルな原則です。将来に不安を抱えるから今はできるだけ節約をして将来に備えよう。皆がそれをしてしまうと国の発展も止まってしまうはず。私は100円ショップが好きで、日本に帰国すると気をつけないと時間を忘れて長居してしまいますが、何でもとにかく安いものしか買わずに多くのお金を貯めようとすること、まずいと思います。実際にお金が溜まりますが、ずっとその思考で毎日を生きていると自分の思考が狭まり、常にお金のことを考えてしまい、お金を払えば得られていたであろう知識、経験を得そこない、結果的に自分の教養のレベルが低くなり、自分自身が安くなってしまいます。かといって何でもかんでもお金をかけられるわけがない。

自分の生活レベルに合わせて、お金を不要なものにはかけず、かけるべきものにはかける。そのバランスです。そしてそのバランスを見つけて、維持することが一番難しいところではありますが。

人はもちつもたれつの関係。

お金を介してお互いに笑顔になれます。相手は収入をえて、こちらはサービスの対価、あるいはモノを得る。会話が生まれる。今では多くのオンラインショッピングが広がり、お金自体を財布から相手に直接渡すことも少なくなってしまいました。便利な世の中ではありますが、お金のやり取りを直接行うことから生まれるちょっとした会話、笑顔、人として本来大切なことを失ってしまったのかもしれません。
自分への「投資」将来の老後に向けた生活を考えて今からけちけちしてもどうなのでしょう。死ぬときには貯金残高ゼロで死ぬ、それが最高です。といっても、いつ死ぬかわからないので老後のためにコツコツ貯めるのですが…。将来何があるか分からないからこそ貯めなければいけないのはわかっている、ただし、それが理由で今現在必要なお金まで意識的にセーブしてしまうこと、それによって今の自分への投資を忘れてしまってはどうしようもないと。

祖母が入っている老人ホームにゆき、まるで赤ん坊のようになってしまった老人の方々の様子、私のことも全く分からず他人と思い、3分経てばまた同じ質問を繰り返す祖母。そんな様子を見ていると、長生きすることが本当によいことなのか?私には分からなくなってしまうことがあります。

啓発本を定期的に購入しているとすれば、そのお金は無駄な投資です。次から次へと新しい啓発本が出てきますが、お金がもったいない。私は立ち読みでパラっと目次をめくり、気になった部分だけ目を通す。世間で話題となる本は、確実にその本のサマリーを書いてくれるブロガーがいることでしょうし、そのエッセンスをタダで知ればそれで充分ではないでしょうか?これは立派な盗みという人もいるかもしれませんが、文字も大きくて文字間のスペースも十分に取られた内容も中身も薄い昨今のノウハウ本。ありきたりのことを書いてばかりの内容で1千円以上とるのも立派な盗みではないでしょうか…。以前は頻繁に購入して成長した気になっていた自分がいます。ロシアに赴任する前にすべて中古本屋の出張買取にお願いした玄関前に並べた本の数、おそらく優に100冊を超えていたはずです。

私の経験から言えるのは、啓発本を読み漁っている時期は自分自身に自身がなくぶれている証拠。それで何かに頼ってしまい、啓発本やセミナーにでかけることで他に拠り所を求めているのだと考えています。

啓発本を決して批判するつもりはありません。必要最小限の自分自身にとってためになるものを見つけたらそれを実践してみながら自分に最適な方法を探っていくこと。ビジネス啓発書でも古典と言われる名書があります。尊敬している友人、上司、同僚におすすめを訪ねて、彼らから薦められる本を中心に選択するのがよいのでしょう。尊敬している人の頭の中をその本を通じてのぞけるチャンスかもしれません。

中古屋でわずか100円で購入した「人間の魅力」。そのタイトルに惹かれて購入しました。小さなそれほど厚くない本ですが、その辺の啓発本よりもずっと価値があります。何度も読み返し、今でも手元に置いています。


旅行先でのタクシー代のケチり方

これは人それぞれの考えがありますが、時間をかけても安い公共交通機関でゆくのか、時間がそれほどないためタクシーを使用し、ドライバーとの会話も楽しむか?ロシア地方都市にゆくと驚くほどタクシー料金が安いです。そんなお金をけちるよりも失う時間を憂います。毎回ドライバーとの会話は楽しみでもあります。一方で、ローカルの路面電車に乗って誰とも会話せずに窓の外に流れる街並みを楽しむことも素敵な時間です。ケースによって使い分けています。


付き合い、飲み会

これも時間とお金の無駄遣いの要員の大きな一つではないでしょうか。何よりも二度と帰ってくることのない時間をどれだけ有意義に過ごすことができるか?分かります、食事やお酒を通してお互いに親睦を深め、情報共有をし次につなげる。重要です。ただし、それはより役職が上のの方々にとっては重要な職務の一つとしても、私のような管理職を担う人にとってそれほど機会は多くないでしょう。結局自分の優先順位がなにか?それが「時間」であれば、その場の数時間を楽しむだけの飲み会に誘われるがままに出かけることは有益なこととは思えません。この時間が自身にとっての大切な息抜きであればもちろんそれは欠かすことはできません。とは言っても、自分にとって本当にリラックスできる仲間との時間、というのはお互いに生活があり、忙しいこともあって、毎週何回もあるものではないはずです。やっぱりそれなりに付き合いや飲み会にもある程度の相応しい時間の掛け方があるものと考えています。
飲み会に行っても、仮に知り合いは広がったとしても自分にそれだけの価値がなければその後に何もプラスが無いことを実感しています。自然と人脈が広がる人というのは飲み会に顔をださなくとも相手からやってきます。日々の努力を怠らないこと、訳s九したことは守って行うこと、そういった当たり前のことを当たり前にやっている人が結果的にすごい人になっている、周りはそんな人のところに自然と吸い寄せられる。それが真実ではないでしょうか。私もそうありたいものです。

「自己投資」と「浪費」は表裏一体

一方でこれは投資だからという理由で過度に高いホテルに泊まってみたり、電車でえらい高いクラスを体験すべく購入してみたり…それはそれで経験としてありなのだと思いますが、身分相応というものがありますし、私の限られた収入の範囲でバランスの取れた、自分に見合った投資をしてゆくことを心がけています。本当に人間の欲、というのは恐ろしいものですね。自分自身もふと冷静に過去に支払ってきたホテル代など考えるとぞっとします。
つまり、自分にとって大切ではないことに対してはとことんお金と時間をかけないことがますます大切なんであろうと。自分にとって大切なものがあり、そちらに全力投球するためにはほかのものを犠牲にする必要がある。

さて、モノを多く保有する、長期ローンを抱える。お金に縛られることになり、避けたいものです。(持ち家を持つ・持たないは単にお金の損得の問題ではないので単なるお金の問題ではありませんが)ロシア人スタッフの中には、アパートを20年以上のローンを組んで購入した人がいました。ロシアの金利は高いこともあり、とんでもない金額が金利で取られてしまいます。お金に縛られると、人はお金に対する執着が半端ない。恐ろしいくらいに人が変わる。辞めてもらう時の退職金積み増しの会話を通じて、人はこうも変わるのか…恐ろしいと思った一面でした。

ルールを逸脱した状況でヒトの本質がでる /The essence of a person comes out in a situation that deviates from the ordinary circusmtances

頻繁に利用する街中でのカフェでマクドナルドで。コーヒーを注文すると砂糖とミルクを何も言わずにカップに添えてだしてくれる。でも全員が砂糖を使うとは限らない。ひと言聞けばよいのに。一体どれだけの砂糖が無駄になっていることだろうか…どれだけその未使用のものがそのままゴミ箱に行き、経費の無駄使いとなっていることか…。いつも思います。

たった一言、コーヒーとミルクは利用しますか?そう聞けばよいだけなのに。そんな一言があるかないかでどれだけ会社の経費削減に貢献できるのだろう、そんなことを考えて自ら考えて実践できるひとがどれだけいるのでしょう。という私もこんなことを言っておきながら、何も考えずに席について、あっ、私は要らないのだけど…言ってあげればよかった…と後になって気が付くこともあります。

こんなちょっとしたことことから、ルールに従って物事を行えること自体も能力ですが、それ以上に自らが正しいと思う、あるいはそう教え込まれてきたルールを客観的に、疑問をもって見つめることの能力の重要さを一層認識するモスクワでの日々です。

日頃から自分自身でルールから外れた状況を作り出し、それに対してどのように対応できるか、ある種のトレーニングを重ねておくことの大切さを否応なしに感じています。

現在のコロナウイルスがここまで大きくなる前には、毎週末にモスクワ郊外の街へ日帰りで電車での小旅行を楽しんでいました。初めての町で勝手も分からず、余裕をもって行動するべきなのですが、どうにも大概帰りの列車にぎりぎり5分前くらいに乗り込むケースが続きます。これは訓練というよりも時間の計算の甘さでしかありませんが…その状況でどうするのか、頭を使って悩み考えて答えを出す。そんなことも訓練の一つだなぁ、と思うところです。Voronezhの町で、翌朝モスクワに到着する夜行列車に乗り遅れないようにと約5kmをひたすら走ったあの経験は二度としたくありません…筋肉痛がその後も続きました。

人は不思議なものです、もういいや、次の列車でもいい、チケットを買いなおせばいいのだから、と思った途端に一気に力が抜けるものですから。幸か不幸か、ロシア郊外の町で列車を逃すともう次がなかなかないのでそうも言っていられませんが。

さて、今のモスクワのコロナウィルス状況。確実に経済、ヒトの生活、心境にマイナス影響を及ぼしています。誰もが想定していない展開にあらゆる危機を経験してきたロシア人にとっても新たなチャレンジとなっている様相です。増してロシアと比べればずっと安定的な経済、生活環境で過ごしてきたであろう多くの日本企業の駐在員にとっては、今回の事態は会社の業務運営への影響を抑えるためにも、スタッフに広がる動揺を緩和するためにも大きなチャレンジであること間違いないはずです。私にとっては全くの新しいタイプの経験であり動揺しないと言えば全くのウソになります。日々新たな情報が更新される中で見えない先を見通す努力とそれに備えた手を打つ行動力、リーダーシップ。

ルールを逸脱した状況でそのヒトの本質が試され、あらわにされるのだと。

「XXXさん、私たち、仕事があるだけずっとましだわ」 ― 部下の女性のそんな落ち着いた発言を聞くと、改めて女性のたくましさを再認識しました。

政府の発表情報サイト(26.03.2020発表)http://government.ru/orders/selection/401/39276/

コロナウイルスに関する総合情報サイト

https://стопкоронавирус.рф//#