自分の発言・行動に自分なりの裏付けを / Why so ? (the reasons why I do this or that)

市内を走る路面電車(трамвай)での一コマ。まだマイナスの気温の日もありますが、明らかに日の出も早くなり、太陽を見ることも増えてきました。春は着実に近づいています。

10年以上近く経つだろうか、会社研修の講師の一言をいつも思い出します。「一つだけ確かなことは…自分の行動の理由を自分なりに説明できることが重要だ。」ということ。

今でもロシア人スタッフに「なぜ?」「どうしてもこうしなければいけないのですか?」と直球で返される中、「いや、本社にそう言われたから」「上司がね…」「う~ん(なんでだっけ?と考えだす)」これは許されません。すべての上からの指示がすんなりと腑に落ちるわけではないことは確かですが、よく考えてゆけば一つ一つの指示には意味があるはず。(本当におかしいと思えば、自分の権限の中で敬意を持って自分の意見を発言すること。)部下に指示をするときには、自分なりの説明ができる準備をいつもできているように。実務からこの講師の方の発言の大切さを日々噛みしめています。

部下のために、ロシア人スタッフ全員のために良かれと思ってITの知識を共有したり、勝手にオフィスレイアウトを変えて少しでも改善できればと思ってやってみたり。「なんでそんなことが必要なんでしょうか?」「気を配ってくれるのは感謝ですが、私には前のレイアウトのほうがいいです。」など、自分の行動が全く評価されないことは日常茶飯事。

そんなときに、常に自分の行動基準が他人視点であればがっかりしてしまう度合も深いかもしれません。一方で、常に自分なりに理由をもって行動した結果であれば、もちろん、自分自身も人間なのでその時には「そんな…休日にわざわざ来てやったのに…」というショックは一時的にあるのですが、自分という支点から行動した結果であるので結果を苦笑しつつ肯定しやすくなります。

どんなときにも、Why so?なぜ自分はこうするのだろう?そう考えて仕事に取り組むことー見えない負担も心身にかかっているロシアでの日常業務の中で大切なことの一つであると学んでいます。

[VBA]Windows7でのFormulatext関数対策

地下鉄の改札18:30。モスクワの地下鉄はどこも帰宅ラッシュで大混雑。電車もあまりの人の数のために数本パスしないと乗れない駅もあります。改札のゲートは一人あたり4秒くらいかかるだろうか、いちいちゲートが開いては閉じて、開いては閉じての繰り返し。いつか壊れるだろう。数年前まではゲートも低かったのでチケットを購入せずにジャンプして飛び越えてゆく輩もちらほら見かけたことがあります。

Excelのセル内に入っている関数を、そのすぐ横あたりに書き出したいことがあります。該当のセルを毎度指定して毎回確認するのは面倒。そんなとき、セル内の関数が可視化できていれば、資料を見る他の人にも分かりやすいし、このブログで関数の入ったエクセル画面の貼付をする際にも便利。

Windows10からはそのための関数“Formulatext( )”がすでに用意されています。プライベートのPCはWindows10のため使用できますが、問題は会社標準機はWindows7。Windows7にはこの関数が標準装備されていないので使用できません。それでも同様の機能が欲しい。

解決策としてVBAを使用します。

Excelが開いている状態で、Alt+F11を押してマクロのコードを記述・編集するVBEを開く。

Insert > Moduleをクリック。Moduleに以下のコードを書きこむ。

Function FT(mycell As Range)

FT = mycell.Formula

End Function

(参照URL)https://www.mrexcel.com/forum/excel-questions/756432-there-excel-2010-equivalent-formulatext.html)

これで完了です。あとは通常の関数を使うのと同様、例えば

=FT(A1)  ‘A1に入力されている関数情報を書き出す

こんな風に無事使えました。このFunction Procedureとは自分で処理したい内容を定義して、自分で関数を作ることができる機能だそうな。今日知りました、実行できて心躍りました。とにかく面白い。

VBAの悩みを日本語で検索してゆくと気が付いたのですが、大概複数の同じWebsiteに行き当たります。いつも重宝して利用させていただいていますが、完全に自分の欲しい答えがあるとは限りません。そんなときに英語で情報を取りに行くことで得られる解決策が少なからずあります。やはり英語は重要です。まして、Codeを読めばお互いの言っていることが分かる世界なので全世界がITを通して繋がるチャンスが多いのでしょうね。

参考: https://www.mrexcel.com/

仕事の合間に自然の美しさを楽しむ / Enjoy the beauty of nature during a work break

今朝。しんしんと降り続ける雪。

今日のモスクワ市内はとっても素敵な光景が広がっていました。雪解けが始まり、春の訪れが近いことを感じていた前日。ところが深夜からこんこんと雪が降りだし、朝仕事に出かける時には辺り一面が真っ白な世界に。仕事中も絶え間なく少し湿った重い雪がしんしんと舞い降りていました。

目の前の仕事に集中できる時間が少しでも多くほしい。でもこの美しい景色を逃すと同様の景色を見るチャンスは二度とやってこないのでは?そんな心の中での葛藤がありました。

20分でも外に出よう、と決めてスタッフとの会議時間をずらしてもらいスマートフォンを持って外へ。きっとモスクワ郊外に今日出かければどんなに素敵な景色を見ることができたか…それができないのが残念ですが、オフィス近くでも雪が積もった木々の連なりの美しさを少しだけ堪能することができました。

目の前に期限の差し迫った業務に集中しなければいけない、という短期的な思考とこの機会にたとえ時間が無駄に思えようとも将来きっと役に立つであろう今という時間に経験できることを大切にしたい、その長期的な思考とのぶつかり合いがあります。どちらも大切なので、一方を取ることができませんし、実際には前者を取らざるを得ないことが多いのですが、会議室ばかりにこもることなく、ふと目を見上げて、外の様子を観察し、それを楽しむ心の余裕を持っていたいものです。そのためにも業務負担の見直し、業務内容の改善などが必要なんですね。

我々はロボットではなく、塵でできている人間。自然の中に身を置いて、その美しさを楽しむ、きっとそれが自然の造りなんだと信じています。そして、それが仕事の効率アップ、結果にもつながるはずです。

仕事中の音楽は良いこと、悪いこと? / Listening to music while Russian colleagues work – OK or Not OK?

モスクワ市民なら納得する安全志向の食品を提供するお店、Вкус Вилл(フクースヴィル)。2009年にモスクワで健康志向の食品を提供しようと始まったИзбенка(百姓の家を意味するからきている言葉)というお店がもとのようです。もともとは乳製品を主力に取り扱っていたようですが、モスクワで健康食品に対する需要が高まり、2012年にВкус Виллという新たな名前でスタート。市民のニーズとも合致して、とても成功している、成長しているお店と言ってよさそうです。おばちゃんのユニフォームには「質問があればどうぞ尋ねてくださいね」と書かれています。

日本で仕事をしていた数年前まで当たり前と考えていた「音楽を聴きながら仕事をしない。」

ロシアに来てからこの常識が完全に打ち砕かれました。「音楽を聴いて仕事をしないこと。集中力が下がるからやめたほうがよいよ。」

すると「いや、XXXさん、そんなことありません。作業をして音楽を聴きながら仕事をすると気持ちの切り替えができて効率が上がります」「他の雑音をシャットダウンするために必要なんです」

「どんな音楽を聴いてるんだい?」「チャイコフスキーです」「(ほんとかよ…)そ、そうなんだ」なんだかロシア人がチャイコフスキーを聴いている、と言われてしまうと何も言い返せませんでした。しかしクラシック…?うまく切り返されてしまいました。

さて、その後インターネットのリソースをいくつも検索してみると、一概に仕事中に音楽を聴くことは決して悪いことではないこと、これは確かなようだ、と学び目から鱗が落ちました。詳しいことは専門家の方々の見解を参照するとして、ここで大切なことは自分が常識と思ってきたこと、それが決して正しいことではない、ということ。音楽を聴こうという気持ちになる外的要因も知る必要がありそうです。オープンスペースで仕事をしているので周りの音がうるさくて集中できないのかもしれません。単純作業の繰り返しが多い経理スタッフは、仕事にリズムを付けるため、モチベーションを維持するために自分のお気に入りの音楽を聴いているのかもしれません。音楽を仕事中に聴く=悪。こんな常識を取り除き、ゼロベースでなぜこれがダメなのか、いや実は効果的なケースもあるらしい、それはどんな時なのか?さて、うちの状況はどうなのだろう、そんな風に柔軟に考えてゆくときに部下のロシア人と分かり合えるときが生まれるはずです。そしてこちらも新たな価値観を学ぶことができ、相手も上司に分かってもらえたことを喜ぶはず。

ロシア人スタッフの中にも音楽を聴いて仕事をするのは効率が悪い、と考える人がいるでしょうし、大切なのは許される範囲での個人に合った仕方での業務の結果を最大限にできる方法を発見すること。企業によってもオフィス文化の違いがあります、オフィス内で何が議論されているのか把握できるので全員がオープンスペースに座って交流できるオフィス。管理スタッフは事務職で静かな隔離されたスペースで仕事をするべきだ、という会社のオフィス。フリーデスク制度の会社(あくまで私の周りにいる多くのロシア人スタッフ曰く、フリーデスクは嫌だ、という人が大勢を占めます。机の周りをある高さで仕切りに囲まれている、そのスペースが自分の大切な個人の空間だからのようです。友人との写真や旅行の時に購入したであろうポストカード、中にはイコン(聖書にまつわる聖人やイエスキリストなどの人物が描かれた聖像)を飾っているスタッフもいます。1日の最低1/3の時間を過ごす場所。やはりそれだけ職場の自分のスペースを確立することは重要なことかもしれないですね。

さて、今では私も(滅多にありませんが)音楽を聴いて仕事をすることもあります。それは例えば、かつての職場ではほぼ無かった業務、定期的に発行している会社情報誌を作っているとき、残業中に疲れて少しリラックスして残務にとりかかる際に一時的に聴いたりするとき。いずれの場合にしていも、集中して取り組む業務の際は、やはり音楽無しが一番なのは間違いないようです。それもまた、あくまで自分の業務内容だからそう言えることかもしれませんが、自分と向き合って、何が生産性向上のために必要なことか、それは自分だからなのかもしれず、他人に同じ常識を押し付けないこと、部下の様子をみて会話してその人を観察し自分の価値観も伝えてお互いの理解度合を高める。そんな地道なステップが部門全体のパフォーマンス最大化への歩むべき(歩まざるをえない?)道なんだと学習しています。

イヤフォンを付けて仕事をしているスタッフで唯一の難点は呼んでもなかなか答えてくれないこと。ロシア人スタッフ通しでも向かいの子が長い定規を使って仕切り板をトントンと叩いて、「こらっ、何度呼んだらすむの!」と怒っている光景に思わず微笑んでしまいます。

ロシアの冬、”人間力”との闘い / Battle for “Humanity” in Russian winter

業務効率化の目的でIT機器を探しに訪れた電気屋街にて。堂々とTOSHIBAと名乗ったお店の中にはacer、Dell、LenovoなどのLaptopが並んでいました。お店の看板からTOSHIBAは取り外すべきではないだろうか?

ロシアの冬。

ただでさえロシアでの生活は行動範囲が限られているのに、それに輪をかけて制限が与えられる。雪が降って解けて凍った足元をよちよちと歩くのも一苦労。夏は10分でゆけた距離が時計を見ると15分以上かかっている。太陽の日差しも浴びること機会も少なくなり、何だかいつも眠い気がするしだるい。なぜだか分からないけれど、冬になると人も怒りの沸点が下がってしまい、ちょっとしたことでも火がついてしまう。そんなこんなで皆早く春の訪れをイライラしつつもうずうずとしながら待ち遠しく焦がれている。

といっても冬のロシアは汚い部分も一時的に白の世界で覆われて、公園も川も全く違った様子を見せてくれるのはとても好きですが、今回のテーマは主に人に関して。

冬を過ごして、いかに基本的なことがとても大切なことか学んでいます。よく寝て、健康を保ち、病気にならないこと。それに尽きます。

毎日の仕事量が多く、やるべきことに追われる中でなかなか仕事を切り上げることは難しいのが事実。でも、明日のことを考えると明日はまた明日で闘わなければならない。でも今の仕事を途中で終えるのはダメ。なのでやる。でもそうすると帰れない。実際帰れない…。そうなると業務内容そのものを見直し、効率的に働く必要が出てくるので今度は体のケアだけではなく、テクニカルな面でも取り組みが必要となってくる、そんなわけですべては一緒になっていて切り離すことはできないですね。身体が強靭であっても、24時間という有限のものは誰もが同じであり、さすがに寝ずに仕事を続けることは不可能。やはり休息が必要です。

まず身体があって、次に業務改革。身体が元気であればまず自分の気持ちをコントロールすることも容易になる。眠い、だるい、体調が悪くて気持ち悪い…そんなことでは集中力も続かず、イライラしやすくなる。身の回りで起こる大多数の問題は、怒りのコントロールができなくなった時に発生するものが多いように感じています。それは心身のどこかにストレスを抱え込んでいることが原因ではないでしょうか。自分の人間力を高め続ける。限界の無い挑戦。

決して睡眠が最善の解決力ではないものの重要なポイント。心配事があれば今度は熟睡できなくなるので「さあ、よく休んで眠りましょう!」なんて言っても全く説得力がないのですが。

かつて、4:30起床で生産性Upを、といった類の本を読み、これだ!と思い実践したことが一時期ありました。実際に行うことは大変難しく、むしろ生産性ががっくりと落ちてしまいました。ミスも連発。ハウツー本は、「どのように」の技術面を中心に記載していますが、大切なのは「なぜそうすることが必要なのか」という本質を常に考えることが大切だと、かつて何十冊もそのジャンルの本を買い込んで読み漁ったあと、実際に取り組んでみてすべてが決してうまくいかなかった経験も踏まえて学習しました。例えば、4:30に起きること、何時間勉強したか、何時間机に向かっていたか、何冊本を読むのかなど、それ自体を達成すること自体が目的となり、本来の大切な本質を忘れてしまっていたことがあります。あとは、あらゆるハウツー本に手を出しているとき、それはきっと自分に自信が無いから、読んで自分は成長した気分になる、それに浸っているだけであると経験から考えています。もっと自分の経験から学んできた自分にふさわしい方法に沿って、かつ常に自分にもっと合った方法がないか試行錯誤し続けてゆくことが必要なのでしょう。

よい睡眠をとるためには、とくに冬は長めの休息が必要。4:30起床は無理。何よりもよい睡眠を。それと共に高い集中力を。その中で可能な業務効率化を。そして何よりも人間力の向上を。そもそも人間力、という言葉自体が多くの意味を包含していて形容が難しいです。

モスクワでビジネススクールの無料セミナーへ / Visit to the free business school seminar in Moscow

訪れたビジネススクール開催による無料のセミナーにて。みな熱心に聞き入っており質問も頻繁に飛び交う、アクティブな時間でした。

この冬のシーズン、ie business schoolというスペイン発のビジネススクールモスクワ校が主催する無料のセミナー“IE Insider Day – Moscow”があったので出かけてきました。購読しているロシアビジネス紙の広告メールを見て、おっ、こんなのがあるんだ、面白そう、行ってみようと思い立ち申し込みを完了。ieがInternet Explorerのことと完全に間違った認識でもって訪れたのは赤の広場のすぐ横にあるビルオフィスの一角。一体m2単価どれだけの金額を払っているのだろう…というのが最初に頭に思い浮かんだ言葉。

後で知ったのは、このセミナーは実質学校の生徒集めのための広報活動が主な目的であることと、この学校は世界でもTop10にランキングするような大変著名なビジネススクールであること。(参考URL https://www.ie.edu/business-school/)

集まっていたのは50人くらいだっただろうか、中には小学生の女の子から中学・高校生くらいの男の子までも親と一緒に。開始前から軽食と飲み物が用意されていてそれまで時間を過ごした後、部屋に案内されてセミナーが始まった。

講師の方はアメリカから来ていたGoogleに勤務する、このビジネススクール卒業生。講師がアメリカ人ということもあってか、質疑応答も含めてすべて英語で行われた。

今回参加したテーマは“Harnessing the power of Big Data”

自分の書いたメモの字があまりにも汚すぎて判読不能なのが残念なのだが、

・今Online上にあるデータの90%はここ2年の間に作られたデータ

・Big dataの80%ほどは体系立ててきちんと分析されていない

(この情報の正確性への責任は負いかねますのでご了承ください)といった導入から始まり、なぜこれからの世の中Big dataが重要であるのか、それをどのように活用してゆけるのか、具体的に彼女が学生時代に作ったというオンライン上で利用できるシステムのモデルを見せていただいた。内容自体はとても引き込まれるもので参加してよかったと素直に思う。

一番面白かったのはここからで、「さて、それではなぜ私たちのビジネススクールに留学するのが良いことかぜひ説明させてください、さあ、卒業生の皆さん前に来てください!」と司会の女性が元気に後ろに陣取っていたスクールを卒業してロシアのビジネス界で活躍されている元生徒たちを紹介。

ここから第二部が始まり。

ロシア第一位のSberbankでマーケティング部門で活躍しているという方、その他の方は具体的な会社名を聞かなかったがいずれもIT関連の専門を生かして活躍されているようだ。留学は10か月ほどスペインに行き勉強するようで、皆さんはどれだけ学校の環境がよいか滔々と語っていた。学校の紹介Movieを観たけれど実際に本当に素晴らしい環境。時間がふんだんにあった学生時代にもっと勉強しておけばよかった…と何度思ったことか、そして今は勉強する意欲が非常に高いのに、どっぷりと毎日を勉強につかるための時間がないというギャップ。人によってロシアに戻る人、どこか別の土地で仕事を見つけてその土地に残る人もいるらしい。ただ想像するに、外国企業は外国人(この場合はロシア人)を雇うために自国の人間ではなく、VISA、雇用許可などの手間をかけてでもロシア人を雇うわけで、そこまでしてでも自分を雇う価値を企業に認めてもらうことは困難な道であるのは確かだろう。

この部屋を出ると、セミナー前に滞在していた空間に戻り懇親会の開始。再び軽食とコーヒーなどをいただきながら卒業生やスクールスタッフとの交流が始まった。一人の参加者は、もう何度か参加しているようであった。少し経緯を聞いてみると、元IT業界にシステムエンジニアとして勤務。環境を変えたかったのだろうか、会社を辞めてしばらく海外旅行に出たようだ。仕事はまた見つかるものと考えていたら、どうにも見つからず数年無職という。「この学校のセミナーテーマは面白いので何度も来ているんだ」と言って食事や飲み物をがっつりといただいている様子。見ていると周りとのコミュニケーションもなく、う~ん、タダメシを食べに来ているだけなのでは、と思ってしまった。ほぼ当たりでしょう。このビジネススクールは毎週のようにこういったセミナーを開いているらしく、ロシアにとどまらずグルジアやアゼルバイジャン、カザフスタンといった旧CIS国家でも。そのすべては生徒集めのための広報宣伝活動。そしてその中にはこういった人も混じっているんだろうな…。

別の参加者は、なんと同じビジネスセンターに入っている別の企業に勤めるスタッフでこれは驚いた。「いつもコーヒー飲むところにお昼の時間帯にはいるだろうから、またビジネスセンターで会おうや」なんて言われて笑顔で別れた。

留学するには金銭的にそれなりに余裕のある家庭しか許されないのだろうか、身なりだけでは全く判断ができないので、金銭的なゆとりについては分からないが、少なくとも教育熱心な親の方の様子や若い子たちが自らの将来を考えてスタッフの方にあらゆる質問を浴びせている熱心な様子、週末にそんな世界をのぞくことができて、有意義な朝の時間を過ごすことができました。

ロシアの車両保険 / Car insurance in Russia

高齢のおばあさんと犬の微笑ましい後ろ姿。本日の日中に散歩した公園にて。

ロシアでも日本同様、交通事故を起こしてしまった時・事故をもらってしまった時の保険は欠かせません。ただし、日本のように対人・対物賠償保険無制限、というのは聞いたことがありません。ロシアの保険に関する基本的な情報についてまとめてみました。 

ОСАГО (обязательное страхование автогражданской ответственности) 

オサゴ/Osago 日本でいうところの自賠責保険。車を運転する場合は、必ずこの保険加入が必須。この保険は自分自身ではなく、相手側の車両、相手ドライバーの被害を補償するもの。総額は500,000RUBで、相手方の車1台あたり最大120,000RUB、相手の健康被害については一人あたり最大160,000RUBと制限が課されているようです。 

この記事を書いている現時点で、Osago無しでの運転が発覚した場合の罰金は理由により500~800RUB(約800~1,300JPY)。ロシアのビジネス紙”Vedomosti“の記事によれば、Osagoを敢えて購入しないドライバーも存在すると。それはこの低い罰金が理由であり、罰則を厳しくする必要がある、と書かれていた。 

参考URL :

https://www.vedomosti.ru/finance/articles/2018/09/07/780253-osago

ДСАГО  ( Дополнительное страхование автогражданской ответственности водителя.  )

ディサゴ/Dsago この保険は上記のOsagoの保険適用上限を上回る部分をカバーするための任意保険。概ね1M RUB(約1.7M JPY)の保険をかけているのが一般的、と聞いています。周りのロシア人に尋ねると(尋ねた人数も少ないので信憑性は高くない)加入している人は決して多くない印象でした。「必須ではないこと、保険購入額が高いから」という。 

モスクワのようなメガロポリスで、ベンツ、BMW、レクサスといった高級車が日本とは比較にならないほど多く走っている場所では、修理にかかるコストを想像すればこの保険は必須ではなかろうかと思えてなりません。この保険はOsagoの保険加入期間と一致してなければなりません。複数の保険会社があらゆるプログラムを販売していますが、私の知る限り、Osagoとは別の保険会社でDsagoを後日購入しようとすると拒否されたことがありました。一つの会社で両保険加入が必要です。

КАСКО 

この保険は自らの車両にかける保険です。この単語自体が省略形ではないようでその言葉の通り、Cascoと呼びます。主に、事故による自分の車が被った損害と盗難(угон)、この2つが対象で、いずれかあるいは両者を選択するCascoを購入することになります。保険金額に制限はないようですが、保険加入時の対象車両の価値を考慮して決めることが一般的のようです。 

さて、街を歩いていると事故のケースを日本にいた頃よりも見かけます。先日は目の前で、路肩に止めていたTaxiが後方に止まっているTaxiを完全に見落としてか、しっかりと後ろ向きに突っ込んでいました。それぞれのTaxiから二人のカフカス系のドライバーが出てきて熱くなっていましたが、その後は知りません。ぶつけた側のドライバーがまるで「お前も悪い!」とでも言わんばかりの論調で言い返している、その感覚はなかなか理解できるものではありません。

業務効率化とリスペクトのはざまでもがく / Struggling between work efficiency and respect

深夜近い地下鉄駅「Парк победы(Victory park)」にて。空間の広がりの中に一人で立っていると不思議な感覚に。

ステレオタイプで申し訳ないのだが、ロシア人はやたらと立派なオーバーな言い回しで、そして少々冗長な言い回しをする人が多い気がする。といってもあくまで日頃接するロシア人スタッフとのコミュニケーションを通しての評価でしかないのですが。

それは恐らく、ロシアでは立派な詩や物語などを人前で朗々と、抑揚をいっぱいにつけて語る文化がある(ように思える)ことと関係があるのではなかろうか?きっと子供の頃からそのような場面が用意されているに違いない。テレビを観ていると、子供が聴衆の前で語る場面、それを大きな拍手でたたえる様子、(観光名所でお金目当ての目的もあるのだろうけれど)若者が大きな声で身振り手振りで立派に詩を語っている場面、先月に訪れたロシア人の友人の結婚披露宴では、新郎新婦に向けて新婦の姪にあたる小学生の女の子が立派な口調で素敵なお祝いの言葉を朗読していた。

上の立場になればなるほどに発する言葉の重要性、その言葉の持つ重さを十二分に感じる一方、日常ビジネスにおいてはむしろ逆で、“演説”や“物語”を書くのはもういいから…立派な言葉はいらないからとにかくシンプルなメールと会話を心がけてくれないか、といつも請願する日々。

また、時々かかってくるこんな電話。受話器をとって「Hello」と応えると、自動音声が流れ「あなたには、ロシア連邦第XXX条に定められている通り、(間が少しあった後に)無料の法律相談を受ける権利があります。」と。いちいち堅苦しい法律の文言を最初に持ってくるな、と言いたくなり自動音声にそんなこと言っても意味がないので仕方なくそのまま受話器を戻します。

Dear XXX

相手一人に対してメール送信の場合、誰にメールを書いているのか容易に分かるため、Dear XXXという書き出しはカットしてよいと考えています。社内ビジネスメールはいかに相手に早く的確にポイントを伝えることができるか?が重要で、メールだけ見ればドライな人に見えてしまっても、それは直接のコミュニケーションの温かさでカバーできると考えているのですが、世の中どうもそう上手くいかないようです。社内全員に向かって「これから私は一人に対してメールを出す場合、メールの書き出しに名前を入れるのを止めます、効率的に仕事をしたいからです。皆さんも私に対してメールを書く際にはXXXsan、は一切不要です。効率的に業務をしてゆきましょう。」とメールを書いたものの、受け入れられませんでした。今でも。名前を書いてメールを書くことはとても重要なことなんだ、と。人に対するリスペクトが足りない。あなたが私に名前無しでメールをしてきたら(つまりリスペクトをしていない証拠)、私も宛名無しで返事します。名前を入れてメールを書きだすことは大切です、とスタッフの一人に言われてしまいました。

業務効率化、これは正しいはずですが、そこから人への敬意を表すことを外すことはあってはならないのだ、と学習しました。今では相手の名前を入れてメールを書いています。といっても、次第にいつかはこちらの考えている意図も分かってくれるはず、日頃の態度で相手への敬意を示しつつ、それと共に徐々にメールの効率化に向けてじわじわと密かに努力中です。といっても相手の名前をカットすることは今後もないでしょう、今のところは。一つのことを全く異なって捉える、ほんとに人は深いです。

ロシア人スタッフが言うことを聞いてくれない? / If Russian colleagues don’t listen to me?

モスクワ市内にあるマクドナルド内にて。大きなタッチパネルでオーダーしています。カードで支払いを終えて、レシートに印字された番号がカウンターのモニターに表示されると自分の注文したものが準備できた印です。日本よりもずっとキャッシュレスが進んでおり、大変便利です。とある方がおっしゃっていましたが「情報統制国家になればなるほどキャッシュレス機能が発達しているのだ」と。カード使用履歴から人の行動がすべて把握できるので、確かに指摘の通りかもしれません。

自分の思い通りに物事が進まないとき、ロシア人スタッフが自分の考える通りに行動してくれないとき、どれだけそれを許容できるか、これはもう一生のテーマでしょうね…。

役職からすれば、自分の立場はロシア人スタッフよりも上。彼らは私の指示に対して、こちらが要求するとあればすぐに回答を出すべき。まだ出来ていません、という回答は許されるものではありません。実際にそう言いたくなることも多いですが、そう言ってしまうと決してうまくゆきません。

ロシア人という国民性はかつての帝政ロシア時代、現代においてはPutin大統領のような強い権力者がいて彼らが出す命令に従ってただ行動することを好む。自分で考えることをしたがらない、という話を耳にすることがありますが、それでは自分自身が弱弱しいから部下は従ってくれないのか?いや、むしろ、上司が頼りなくひ弱な人であれば誰がこんな上司についてゆきたいと考えるでしょうか?上司はリーダーシップを発揮するにしても、サーバントリーダーであるにしても部下を導いてくれるという意味で強力な人であるべきなのは万国共通のはずです。

ロシア人スタッフだって色々考えています。それががっかりするレベルであるとしても考えています。もっと考えてくれ!と言いたくなるとしても、根気よく自分が彼らのモデルとなって行動してゆくこと、そして一人でも多くの“フォロワー”をロシア人スタッフの中に作り上げてゆくことが大切なんでしょう。しかしながら、そんなに悠長にスタッフの成長を待っている時間がないのが事実なのですが、それでも一歩ずつ着実に階段を上がってゆきたいです。

長く使用している来客用のカップ、お菓子の出し方、器の変更ができるのではないか議論したことがありました。そんな小さなことでもいざ観察すればもっと違うデザインの器にして印象を変えることができること、自分がお客さんの状況であればどんなお茶の出し方をすると喜ぶだろうか、他社ではどんな風に来客のゲストをもてなしているだろうか、考える要素はいくつかあるでしょう。そのようにちょっとしたことでも、日頃目にする当たり前の日常のことでも考えるよい機会になるのではないか、そう訴えたかったのです。しかし、今でも時に言われるのですが、「XXXsanはあのときお茶の出し方云々どうしようもないことを話すだけで1時間は使った、なのにもっと大切な給料の話にはほとんど時間を割いてくれないじゃないの!」と。言葉足らずでも、もっとお互いの意思疎通がまだまだ必要なようです。

一般的に、世の中のハウツー本では、スタッフが言いたいことを言える雰囲気作りが大切と言われます。その通りです。でも、本当にそれが行き過ぎると今度は皆が疲弊します。みんなが自分に発言力があると思い、思い思いのコメントを言い続け、マネジメントが下す決定にも反対を言い出すようになるとどうでしょうか、収拾がつかなくなります。どこかでバランスが必要です。お互いに自分の持つ「限度のある自由」を理解すべきです。私も「みんなもっと声を大にして自分の意見を述べてくれ、ウェルカムだ」と言いますが、その一方で私自身の意見はすでにあるわけで、彼らに意見を述べられたところで自分の意見と相違した意見が大半を占めてしまうと、今後は自分を苦しめることになります。

社長がYesmanで固めることはよろしくない、社長に言葉を申すような人を周りに置くことが大切である ― これがハウツー本で見る多くの意見だと思います。しかし、自分でマネジメントをしてゆくと、むしろYesmanで固めることの効用も分かってきます。私としては、むしろそれは一つの正解であろうと考えるようになりました。Yesmanで固めることがなぜよくないのか?人間は弱いので自分だけの考えではぶれてしまい正しい回答を見いだせないこと、Yesmanも自分の意見に同調するので誤った方向に会社と社員を導いてしまう可能性があるからでしょう。そんなときに自分に意見をしてくれる人間がいるのは確かに重要です。

しかし一方で、リーダーが全員を正しい方向へ導ける能力を持っているとき、国や会社が非常事態の状況に陥っているとき、有能な独裁者に先をまかせて何が悪いでしょうか?(独裁が危険というのは、どんなに多くの素晴らしい独裁者としても、最後まで正しい判断のもとに民を導く力が限られているからだと思います。)そんなとき、独裁者は自分の周りにいるYesmanを使って迅速に自分の意思を実現させてゆきたいと考えるのが自然でしょうか。

話が脱線しましたが、自分の考える通りに進まないとき、どれだけ自分自身が怒りを抑えられるか、まずはそこがスタート。そこでポロっと以前から潜在的に溜め込んでいた不満を口から出してしまうか、嫌味のたっぷり詰まったメールを書いて送信してしまうか、本当にそこがすべてと感じています。スタッフを評価する際に気を付けるべき「ハロー効果」。どんなに頭で分かっていてもいざというときにはそれが如実に、無意識に表れてしまう、その事実も感じています。マネジメントというのは大変目に見えにくい、数値化しづらい、何とも形容しづらい人間力を試される一種の特殊能力なんではないか、そうも思えてきました。

さて、日系企業という、ロシアでは外資系企業にあたる会社であるがゆえにロシア人スタッフはより自由を感じて自由な発言を行うこともあるのかもしれませんが、この自由な発言が出てくるというのは国にしても会社にしても、成長していることの証拠といってよいのかもしれませんね。

ロシア人スタッフとのコミュニケーション―具体性を / Communication with Russian colleagues – “Concreteness”


信号待ちの歩行者。救世主ハリストス大聖堂(Храм Христа Спасителя)を向こうにみて。ここ最近はプラスの気温も続き、長く積もっていた雪もだいぶ解けてきています。路上は今度は氷となってかわり、足元が非常に危険な日々です。

私自身は根本的に同じ人間であるという観点から、ロシア人であろうと日本人であろうとマネジメント方法に本質的な違いはない、と自らの実体験からこのように考えるようになっています。各自が育ってきた環境=文化が染み込んでいるため、その外面にある皮膚のようなものは変わることはありませんが、ケガをすれば同じ赤い血が流れるように、嬉しいこと悲しいこと、泣きたいとき声を張り上げて怒りたいとき、心の中は同じのはずです。

コミュニケーションのスタイル

ふと自らを振り返ってみると、自分がスタッフに話す内容は具体性に欠ける傾向にあると気が付きました。よく言われるように、日本ではハイコンテクスト文化が一般的であるがゆえ、それが染み込んでいるのだと思われます。むしろ、ロシアに来る前はそれが当たり前のことでしたので…。そして、具体性のある指示、会話がいかにビジネスとして基礎であり、大切なことであるかも学んでいます。

「倉庫業者との関係改善を図るように」

この指示は、仮に彼らが要望する価格アップを100%受け入れて相手に喜んでもらうこと?相手の会社のマネジメントと会食に出かけて交流を図ること?こちらの価格値下げを飲んでもらって、コストダウン達成により倉庫業者とのビジネス面で我々として価格改善を達成すること?一体何を図るように指示されているのか、分からなくなります。

一方で、この文言を受け取った側は、会社の置かれている状況や日頃からの上司、同僚との会話から何を要求されているのかを掴む努力が必要なはずです。むしろ、この文言で部下が動き、こちらの意思を遂行できるようにするのが一番の理想でしょう。これを目指すことは間違いないです。ただ、残念ながら今時点では私の周りにそんな部下はいません…。今日も、日本人駐在員に関するビザについて一つのシンプルなことを理解するのに30分以上もかかりました。ひたすら喋るロシア人スタッフの怒涛のような会話をせき止めるのに一苦労、会話よりも絵で会話することをがお勧めです。

過去に上記の指示をスタッフに出した時、考えられるいくつかの案を出され、あなたはどれを希望しているのか教えてくれないか?と言われた際には、今会社が置かれている状況を踏まえて自分で考えられる方法で必要な選択肢を取って行動することがお前の仕事だ!と怒りのこもったメールを書き連ねたことがありました。今考えると、こちらの言わんとしていることはわかりますが、指示を出す内容としては不十分で、非があることを認めざるをえません。

具体性のない指示=具体的なゴールを自らが描けていない

「円滑に業務引継ぎを行うこと」、「全社的に最善の形となるようにプロジェクトを進めること」、「お互いにとって最善となるような~」、こういったフレーズは綺麗なプレゼンテーションの文句となるでしょうが、実際の業務をマネジメントする時に連呼していたらその先には失敗があるような気がします。という自分が失敗をこうして重ねてきました…。

自らが聞こえのよい言葉を並べてロシア人スタッフに指示をしているとすれば、それは自らの中に具体的に目指すゴールのイメージが描けていない、ということに間違いありません。具体的なイメージを持った上で、自分はXXXのような形を描いているんだ、ここにもっていくために今抱えている問題を解決するために一つ一つ取り組んでいこう、そのためには~、と具体的な指示を与えることがマネジメントとして必要なことなんだと学んできました。

「なぜ私の業績評価がBではなくてCなんですか!?」

これも同じで、そもそも自分の中に明確に定義があるのか、厳密な定義づけは実際には難しいので、そうであれば自らが考えるBのイメージを定期的にスタッフに伝えてきただろうか、そう考えるとやはり自らがイメージをクリアに持っている必要がある、そう学習させられます。

さらには、課題に取り組む過程で出てくる想定外のアイディアを受け入れる準備ができていること。最終ゴールは、当初は自分のイメージしたゴールだったとしても、さらに別の人との協働により生まれるベターなアイディアを取り入れて行ける、考えていなかったサプライズを楽しめる、そんな人間としての大きさを持てるようになること、それが一生のテーマですね。先は見えませんがそんな風になってゆきたいです。今後も具体性を持った指示を出すためにも、スタッフへの指示には十分具体的か、Something like thatといった人によって異なったレベルの理解をしかねない言葉を避けること、業務の責任、Deadlineを明確にしているかなど、振り返ればいたって当たり前のことを身に沁みついてできるようになっているのか?毎回自らを客観的にみてゆくことにします。そして、分かっていても具体性をもったマネジメント実践のためには意識が必要であること、日頃から実践してゆくことの大切さを皆さんにもお伝えしたいです。

これらの点は国の違いは一切関係なく、世界共通のことなんですね。