やる気がないとき、でもやらなければいけないとき / No motivation… but when I have to job

今晩、空から眺めたクレムリン、赤の広場の眺望。…というのは冗談で、本日集中して仕事をするために訪れたRaddison Hotel, Ukraine 1Fに設置されているジオラマ(diorama)です。写真でパッとみるとそれらしく見えますか?

愛読している複数の方のブログを読んでいて、やる気がないときの対処法について記載がありました。そういう自分も色々と試行錯誤をしてきましたが、その時々に応じて取る方法・順番は異なりますが。結果として同じような内容にたどり着いています。

やる気がないとき(休日)

ぐっすり寝る、何もしない。これが一番の対処法と今は思っています。以前は今日何をするかと、そのために何時に起きるか、どれだけ効率よく多くのことを達成できたか?― こだわりを持っていましたが、実はこれが大きな問題で、一日の中に物事を詰め込みすぎると、それを達成することが目的となり、一つ一つの質がスカスカでした。そして、身体も疲れてしまいそれが翌日のパフォーマンス低下につながり、結果としてよいことがなく…。

2週間前に体調不良で寝込んだ時は、疲れていたこともあったのかもしれませんが、丸一日以上眠り込んでいました。我ながら驚きです。朝7時に目が覚めて具合の悪いことに気が付きそのまま休んでいたらお昼12:000。またそのまま眠り込み、外が暗いな・・と思って時計を見ると19時すぎ。少し軽くおなかに入れてから、再びベッドへ。気が付くと23時。これはもう寝れないだろう、と思いきや翌朝までぐっすり眠りこみ、月曜日は職場へお腹をさすりながら向かうことに。

まだ未経験ですが、もしこの状態が数日続くとすると、それはあまりにも忙しい毎日からくるストレスで鬱状態になっているのかもしれません。そうならないために心身の健康を大切にしたいものです。

やる気がない、でもやらなければならないとき(平日)

このようなことが起こること自体を出来る限り少なくなるよう意識していますが、人間ですからプライベートで嫌なことがあったり、体調不良であったりすると仕事のパフォーマンスに響いてきます。この日はもう”負け試合”なので、いかに負けによる被害を最小限にするかを意識し、最低限のことを行ったあとは速やかに退社するようにしています。スタッフも同様で、明らかに反応が鈍いとき、非常に機嫌が悪そうな様子をみると、これはダメだな、と思いその日は出来る限りそっとしておくようにしています。

また、定期的に職場の中でも仕事をする場所を変えるのは効果的です。自分の定位置ではなくて、会議室に入ってみたり、他に空いている席に座ってみたり、パソコンを持ってビジネスセンター内のカフェにでかけてゆき、そこで仕事に集中してみたり。環境を変えることで人間はスイッチの入り方が違うようです。

最近、おっと思ったのは、軽く走ってみること。ジョギングができないとしても、会社に向かう途中で小走りしてみたり。身体を動かすことがよいのか、なんだか気分が上向いてくることが感じられます。

すきな音楽を聴く、食べたいものを食べる、好きな映画を観る、自分の将来の目標を振り返る、などいろんなノウハウはあるようですが、これも人それぞれなんでしょうね。私自身は今では、“みんな人間。ロボットではないのだからダメなときはダメでいいじゃないか。”と気楽に考えられるようになりました。どうも今の世の中、もっと頑張らなければ、弱音を吐いているんじゃない、とでも後ろから周りから突っつかれているような気がします。そんな世の中で常に生活していると疲労もたまるのは当たり前ですね…。サラリーマンは短距離走ではなく、長距離走ですから長い距離をどうペース配分して結果を出すかを考えること、これも大切なことですよね。

やる気がない、でもやらなければならない(祝日あるいは時間があるとき)

カフェに行って強制的にその場で時間を決めて行うようにしています。甘いものが好きなのでコーヒーや紅茶と共にデザートを食べながら、最高2時間まで集中してタスクを完了させるようにしています。仮に終わらないとしても、全く手の付かなかったことが進展したのを見ると嬉しいです。休日に職場で行う、あるいは自宅で行うでもよいのでしょうが、誘惑も多く色々と手にしてしまい結果が伴わないケースも残念ながら多くありました…。休日は自分自身のプライベートの時間でもありますし、仕事以外のことから得られるインプットも重要なのでいかに集中してやるべきことを効率よく終わらせられるか、この点が毎回勝負となっています。

絶対に避けたいのは、終業時間後や週末の時間まで業務時間として潜在的に考えてしまうことです。どうしても業務量が多い駐在員生活。現実的に毎日全く残業せずに帰宅することは不可能です…が、毎日終業時間を意識し、月曜日から金曜日までの業務時間でどれだけ達成できるか、その締切の意識を強く持つことが一つ一つの業務に対するスピード、取組み方を向上させてくれるものになっています。 といってもなかなか毎日そう高いレベルを保つことはやっぱり人間ですので難しいですね。一番望ましいのは、先を読み、業務量をためないこと。そのためには常に先をゆくこと。そう頭では分かっているのですが…どうにも頭の指令に聞き従わない弱い自分自身とときに闘っています。

外見と現実の乖離 / The gap between appearance and reality

時刻は19:00。クレムリンの方向を眺めて。どんどん日も長くなってきました。まだ連日の最低気温はマイナスを表示していますが、日中の風は明らかに春です。

ロシアは外見をとりわけ重要視する文化と思います。たとえば冬。女性は外に出かける前に鏡の前で入念に帽子の位置をよく確かめる。ロシアならではだろうか、スカーフ(Платок)を頭に巻く場合もあるが、それもきっちり鏡の前で時間をかけてチェック。男性はというとこれが女性とは異なり適当かもしれない。以前、ロシア人女性はどれだけ化粧品にお金をかけていることか…と呆れたようにしゃべったら、「XXXさん、私たちがこんなに綺麗にしようと努力しているんだから満足しなくちゃだめですよ」と部下の女性に軽く怒られてしまった。でも本当に外見に気を遣う点でロシアの女性は素晴らしいと思います。

さて、今回のテーマはこの外見という点ではなくて、プレゼンにしても何かを語る時でも言葉という外見で飾り立てられた外見という綺麗さに惑わされて、現実との乖離をよく考慮しなければならない、という点です。

以前、アメリカを旅行していたときに偶然出会った女学生。彼女はワシントン大学に1年間留学をしているとのことでした。ワシントンで飛行機を降りてからInformation centerで偶然出会い、同じ方向ということで街中へ向かうバスの中で会話をすることができましたが、わずか20歳足らずで「最初は自分の語学力のレベルに躊躇していたが、2,3ヶ月ほど経ってから、アメリカの学生の話はとっても立派で聞こえが素晴らしいことを語るんだけど、中身が無いことに気づいた。長く浪々と語っても内容はほんの大したことのないこと。それが分かってからは自分の語学力や彼らの素晴らしい語り口調について怖気づかなくなった。自分自身は多くを語らずともポイントを突いたコメントをするように心がけている」と。

そんなに若くして、しかもわずか短い期間で真実を見つけたその能力におどろいたことを覚えています。私自身も(もちろんロシア人の全員がそんなことはありませんが)同様のことを数年間の彼らとの業務経験を通して感じています。ロシア人スタッフと一緒に仕事をしていて感じるのは、スタッフの説明の仕方は素晴らしく、語り口調が何だか説得力を持っており、そのまま聞いていれば素直に信じてしまいそうになります。ロシア以外の他国で勤務したことありませんので分かりませんが、欧米やロシアではこのような傾向があるのでしょうか。

日本人の良さでもある、周りとの協調性や自己主張をしすぎない観点はこちらの世界では時としてマイナスに働きます。自分自身もまだまだ苦手です。議論に入っていくために何を言いたいのか考えて英語やロシア語に翻訳し、そんなことを頭の中で考えていると話の流れを聞き失ってしまう、そんなこんなで発言のチャンスを無くしてしまう。そんなことが何度もあります。仕事では上司という立場ゆえに、スタッフもこちらの様子をうかがっているため会話に入ることは容易ですが、社外で一人間として話す場合には自分自身から入ってゆかなければならない。黙っているだけではそのうち視線をそらされ、その場にいないかのように存在を無視されてしまう…。日々よい訓練の場です。

人事面談でこの直近1年だけで20人ほどの採用面談を行いましたが、私が大切にしているポリシーは“きれいな”会話をする人との会話には注意が必要だ、ということです。自分自身も仕事に対してこうありたい、という理想を持っており、そうできるように日々努力しているので、同じ意見を持って語ってくれるスタッフを採用したいと考えるのは当然のことです。実際にそんなスタッフと出会い、これは一緒に現状を打破してくれる、と思って採用したところ、口で言っていることと本人の行動がかみ合わないこと。会社の現実はそんな理想には至らないことが多くあり、そのギャップを理解した上で、一歩ずつその溝を縮めようと努力していきたいのに、「もう我慢できない!私はこんなことをするために入社したわけではない!」とか、自分のことだけ考えた発言をしたり、あたかも裏切られてしまったかのように感じたこともありました。

採用面談では、これまで仕事で失敗したこと、そこから学んだことはありますか?と尋ねていますが、これまで誰一人として明確に失敗したことがある、と述べてその経験を語ってくれる候補者と出会ったことが実はありません。失敗もそれが次につながる経験と思えば失敗とは思わない、という考え方もありますが私は反対です。素直にその時に間違ったことは間違ったと認めて、それを次に生かす。そう素直に語ってくれる人であれば、その人の純粋な内面が見て取れてより信頼がおけるのに、といつも感じています。 一緒に仕事をしていくのですから飾り立てた内面ではなくて、その人の本当の姿を見たい。自分自身もそうあることで相手も自らも嘘偽りない関係でお互いに楽でいられるんだろうな、と信じています。

ВыとТы / “You” and “You”

色取り取りの野菜、フルーツが並ぶ市場。(注:昨年5月に撮影した写真です。時期によって市場に並ぶ野菜、フルーツ類は異なります)

ロシアに来てから、いまだにВы(遠い関係、敬意のこもった”あなた”)とТы(君、お前、親しい間柄での”あなた”)の正しい使用方法が分からずどうしてよいものか悩んでいます。

市場にでかけたとき、Что ты хочешь?(お真似は何が欲しいんだ?)と乱暴に言われると、きっと下に見られているのだな、と感じます。一方で、Здравтвуйте, что вы хотите?(こんにちは、何を入用ですか?)と丁寧に尋ねられると、あっこの人の教養レベルは高いなぁ、と思ったり。

現在の職場に来て本当に間もない頃、会社のドライバーと会話をしていて「これからあなたのことをТыで読んでもいいですか?」と尋ねた瞬間、これまで勢いよく楽しく会話していたドライバーの顔が一気に硬直して少しの間固まっていたことを思い出します。あれは完全に失敗してしまった。親しい間柄だから、という気持ちからの発言だったのだが、どうもそうは取られなかったのかもしれない。

ロシア人の友人にこのВыとТыの使い分けが自分にとって難しいことを伝えると、彼女も「私もそれは分かる。私もお年寄りの方を呼ぶときに親しいのでТыを使っても良いのか、それでも相手を敬うためにВыを使うべきか、悩むことがある」と言っていました。ロシア人でさえもこうなのだから外国人の自分にとってはもっと難しいに決まっている。

さて、今日、ジムのサウナに入っていたら、よくある会話で「(熱した石に)水をかけてもいいか?」と一人が尋ねると、もう一人が「おぉ、いいね、賛成だ(Да, я за.)А ты?(ところで、お前は?)」とこちらに尋ねてきました。ときに、人によってはその質問がВы?になることもあるので人によって違うのですね。

会社で部下に対してТыを使用して会話したときのこと。頻繁にコミュニケーションを取っているスタッフで決して遠い間柄ではないと思うのですが、「職場ではВыではなしてください」と言われてしまいました。相手にはそんな近い関係とは思われていなかったのだろうか…。あるいは上司と部下の線引きを明確にしておく意図があったのかもしれません。かつていた経理責任者(Главный бухгалтер、英語Chief Accountant)は年齢も60歳に近く他のスタッフと年齢も離れていたが皆とТыでコミュニケーションを取っていました。一方、今の経理責任者は年齢も部下からそこまで離れていないもののお互いにВыで会話している様子です。大変皆仲良くやっているけれど、Выで呼び合うところに一定の距離とお互いに対する敬意が感じられます。

また、業務上の取引先の方にメールを書くときには、文中であってもвыではなく、ВыとВを大文字にして書くことがよい、とロシア人スタッフから習いました。相手への敬意を表すことになるようです。また、通常はТыで呼んでいたのに、Выに変えると二人の間に何かあったのでは、ということもあるようです。こんなちょっとした短い言葉、ВыとТыであっても大変深い意味がある。こんな部分からもロシア語の奥深さを学んでいます。 ロシア語の教科書では紋切型のВыとТыの使用方法が書かれているように感じられるのですが、実際に使用する場面では、相手に応じてその人のキャラクターや雰囲気を感じる会話能力、対人関係の感覚能力をもって相応しい選択肢を掴んでゆく力が大切と考えています。教科書で学んだこととは違うことが世の中多く、それを実践中です。

一を見聞きして十を想像する感度を / Being sensitive to be quick on the uptake

永田音響設計(http://www.nagata.co.jp/sakuhin/concert_halls.html)の音響設計家豊田泰久氏によって音響設計されたコンサートホール「ザリャージエ」。とても素敵なホールのデザインでした。気になるのは、この方が設計された有名なハンブルグにあるホール”Elbphilharmonie”の音響が決して高い評価を受けていない、という記事(https://gendai.ismedia.jp/articles/-/60008)。私は音楽に疎いため判断はできませんが、このモスクワの現代的なホールの音響に対する評価はどのようなものなのでしょうか。静寂の中にサーっと走る空調設備の音?が耳障りであったのが残念です。

今晩、2018年9月にオープンしたクレムリンのすぐ横に位置するコンサートホール「ザリャージエ(Концертный зал «Зарядье»)にピアノ演奏を聴きに出かけてきました。

「お客様にお願い申し上げます。携帯電話の電源はマナーモードの設定にしていただけますようよろしくお願いいたします。」

いつも演奏会前には必ず聞くフレーズです。すでに日本での記憶が薄いのですが、少なくとも私の経験からすると、モスクワで訪れた演奏会では最低一回は演奏会中に携帯電話が鳴り出すように感じられます。今日は二回ありました。それも、ピアノが静かに余韻を残して演奏を終える曲の最後の部分でいきなり鳴り出したので周りも失笑…。雰囲気が台無しに。

不思議に思うのですが、なぜ演奏会が始まる前のアナウンスで注意を聴いたときに自分の携帯電話を確認しないのでしょうか?

アナウンスの注意を全く聞いていない。

アナウンスを聞いても自分の携帯は問題ない、と決めてかかっている。

演奏会で自分の携帯が鳴ったとしても演奏の妨げにはならない、という価値観を持っている。

と、いくつか理由がありますが、仕事でも全く同じことが言えます。何度注意しても使用後の会議室ではケーブル、椅子が滅茶苦茶なカオスのままとなっている。昼食スペースがゴミと使用したあとの汚い食器が散乱したままとなっている。総務スタッフが何度注意しても、です。ほんのちょっとした原則、「もし、自分が相手の立場で同じことをされたらどう思うか?」「もし次の人がこの状態で来たらこのカオスを見てどう思うだろうか?」、そんなことを想像してみればよいのに、と思うのです。総務スタッフも立派に、定期的にメールでリマインドをしていますが、それだけでは一向に改善されるとは思えません。罰則規定を設けるべきか?それも根本的な解決とはなりません。根気よく、ことあるごとに目についたときに本人に直接注意し、原理原則を合わせて伝えることで改善されてゆくことを待つしかないと考えています。

少なくとも、私の周りには改善を期待できるロシア人スタッフしかいないので、あとは彼らにきっかけを与えられるように、自分に賛同してくれるロシア人スタッフのサポートを得ながら毎日さらに良い会社となるように闘っているところです。

私自身、数多くの失敗を行ってきました。失敗した後には、なぜもっと前にこの潜在的なリスクを正しく認識していなかったのだろう…あの時にアクションをとっていればこんなことにはならなかったのに…と反省し、悔しく思うことだらけです。自社で起きていなくても他社で発生した問題を耳にしたとき、新聞を読んでいて事件が発生したとき、セミナーに参加してはっと思うことを感じたとき。今はたとえ社内で問題が起こっていないとしても、そのようなきっかけを得たときに、“はて、自社は果たして大丈夫だろうか?”と一歩立ち止まって考え、自分自身で納得するためにも自社の状態を振り返ってみることが大切です。この感度をどれだけ高く保つことができるか、ロシアで働く管理責任者としての重要な能力である、とあらゆる失敗を経て今はっきりと断言できます。不完全な人間なので避けることはできませんが、あの悔しさ、悲しさはできる限りもう二度と経験したくはありません…。

ロシアの付加価値税 / Value added tax in Russia

バスの中にて。МОСКВА АВТОДОРと背中に書かれたユニフォームを着た男性二人。この格好をしたスタッフを街中で頻繁にみかけます。国有企業で、幹線道路などのインフラ整備を担っている企業です。ホームページを見ると、2030年までの成長戦略をうたっています。すごい、どんな計画なのだろうと思い、Linkをクリックすると”404 Not found”…。

ロシアでは2019年1月1日より付加価値税(Налог на добавленную стоимость, 英語Value Added Tax, VAT)が18%から20%に上がったことが話題となりました。実際にVATの詳細を見てゆくと、10%や0%の場合もあります。

ロシア連邦の税法第164条「税率」に定義されています。

https://base.garant.ru/5167814/fc0f475aca39671aa05ff2fbe93e24ae/

0%

商品を輸出した場合、国際輸送にかかる費用など。私の勤める会社でも関税同盟の国へ輸出の場合、輸出した証拠となる会計書類と共にレターを税務署に提出することで0%付加価値税の適用を受けています。

10%

食品、子供用品、本や定期的に発行される出版物、医療品といったものが10%の適用を受けます。私もすべてを理解できていませんが、食品や子供用だからといってすべてのものが適応されるわけではないようです。164条を見ると、大半の食品(肉、乳製品、卵、野菜、魚など)はこの10%が適用されていますが、たとえばミネラルウォーター、チョコレート、ミカンといったものを最近購入した際には20%課税でした。なぜだか蕎麦は10%となっています。その原材料が10%の対象品だからでしょうか。

なんだか、この10%の項目の中の最下段に、

овощей (включая картофель); 野菜(ジャガイモを含む)

とあることに、へーそうなんだ、と目が留まりました。ジャガイモが野菜とみなされるのか?という疑問に応えてきちんとジャガイモも野菜の一部とみなしますよ、と補足説明を加えているのですね。今回、野菜の定義、じゃがいもが野菜に該当しない可能性がある所以を初めて知ることになりました。

20%

上記以外のケースすべてに適用されます。

ロシアの連邦税務当局のサイトを見ると、ロシア語・英語でサイトが整備されていて(英語版はロシア語版には劣ります)、デザイン・内容もよくサイトを訪れる人のことを考えて作られているな、と感じました。そもそも母国語で読んでいても税金のことは難しいので、ロシア語となると大変難しく感じますが、ポイントを強調した、字体も読みやすいデザインとなっています。

https://www.nalog.ru/rn77/TAXATION/TAXES/NDS/

会社のドライバーと会話したとき、「かつては新年といえば家族、親戚で集まって食べて飲んで楽しいひと時を過ごす時間で新年を楽しみにしていて待ち遠しかった。…今は、新年といえばイコール物価の値上げ。プーチン大統領の新年の挨拶がまるで値上げの合図に聞こえるようで、新年なんか来ても嬉しくない」ということでした。実際、VATの影響は2%ですが、明らかに街中の商品の値段は2%以上上がっている様子です。スタッフからもお店はどこも便乗値上げをしていて生活が苦しくなった、と言われます、つまり、会社も昇給のことを真剣に考えてほしい、と言われているのと同じことです。春の季節となると、人事評価、給与更改と、春の訪れは嬉しいもの神経を使う季節となってきました。

さて、こんな付加価値税の仕組みを調べてみると、その国の政府がどういった考えで国を運営しているのか、そんなことが税金の構造から分かるような気がしています。

自分自身の軸で情報の正しさの判断を / Possess the axis of judging information

赤の広場横の公衆トイレで順番を待つ女性。かつて初めてモスクワに来たとき、どれだけトイレを探すのが大変だったか…あの苦しんだ経験は今ではよい思い出となっています。それにしても何度も経験したくありませんが。今では街中でもトイレの設置数がずいぶんと増えました。

一つ見聞きしたことで全てを判断することがいかに危険なことか。どんなに相手が信用のおける人であっても、自分自身で情報の正確さを確かめること、その他の周りの人からも付加的な情報収集することが大切。

会社の社内でケーキをスタッフに振る舞った時のこと。一人で3つ4つのケーキをお皿に乗せて満面の笑みで歩いているロシア人スタッフを見かけました。それを見た同僚のスタッフがすれ違いざまに「お皿の上がとんでもないことになってるね(つまり、取りすぎじゃないの?と少々驚きのニュアンスで)」と声をかけると、彼女は「エへへ」と笑って何も言わずに席に戻ってゆきました。お前だけの分じゃないのだ、そんなたくさん一人で取るな!と思いつつもその時は別のことで忙しく、後ほど個人的に会話の際に「ケーキには限りがあるのだから、他の人の分も配慮して取ってもらえないかな?」と伝えました。そうすると、「あれは自分のチームのためにまとめて取ってあげたもので自分ひとりの分ではありません。」と。同僚との会話の際に何も言わずに笑って過ごした様子や、日頃からのネガティブな潜在的に自分自身の中にあるスタッフへの評価がそうした、ほんのちょっとしたことから言葉となって現れてしまう危険がある。

一対一で会話している時、「なぜあの子が昇格したのかまったく分かりません!人間的に彼女はまったくそんな資格ないです。」また、「(とあるマネジャーのことについて)彼女のことを部下の誰一人として評価していません。言っていることが分からないし、まるで教師のように指示するけれども部下たちはそんな上司を必要としていない、まるで説教されているようです。その割に実務のことを分かっていないし、部下からは信頼されていません。」と、そんなことを言っている当人が、日常の職場でふと顔を上げてみると、なんとうまいこと、良い笑顔でお互いに会話して楽しそうにやっていることか!あの豹変ぶりには驚くばかりです。いやいや、ちょっと待てよ、一体本当に彼女は相手のことをあんなに悪く言っていたのになんなんだ、と。

よく考えてみると、このように正直な気持ちを私に吐露してくれるのはありがたいことです。こいつには何を言っても口外しないだろう、と思ってくれているのであればのことですが…。しかしながら、最近はこう思います。「このスタッフは敢えて意図的にこの気持ちをこちらに伝えて、自分自身が何らかの行動を取らせようとしているのだろうか?」と。どうしても部下に言われてしまうと、そうか、と。自分が何とかするよ、と言ってあげたくもなります。しかし、経験からすれば、とりわけ女性の場合には聞いてあげることですっきりするケースがほとんどのような気がします。それで自分にできることをしてあげて、それが相手に伝われば十分彼らからの評価がアップ。何もしないとしても、まずは聞いてくれた、ということで合格点。とりわけ、他人のことを悪く言う場合には、たとえそのスタッフとよい関係を保っている仲であったおしても、そのスタッフの指標に乗せられてしまうのではなく、自分自身の指標を軸として冷静に判断することが大切です。

さて、そんなわけで日々あらゆる情報が飛び交うロシアの職場。何だかロシア人部下からいつも逆評価を受けているような気がしてなりません。また、彼らからの感情のこもったフィードバックを受けるときに、その回数、その熱量をもって社内のスタッフ間の雰囲気の危険度合を測るバロメーターとして利用するようにしています。

ロシアビジネスで参考となるメディア / Useful Russian media

春は近い…はず。が、時にマイナス10度近くになる日も。雪が溶けたと思いきや、再び降って積もることも。この写真のように。この週末、おばあちゃんが足元を確かめながらゆったりと歩いていました。天気予報ではこの週半ばの気温はマイナス13度となっています。

Ведомости / Vedomsti

Missionは,”to promptly provide the business community with objective, high-quality and useful information needed for decision making”

Financial TimeとThe Wall Street Journalの世界的に著名なビジネス紙により、真に独立した依存していないビジネス紙をロシアに作ろうというプロジェクトにより1999年に生まれたメディアのようです。定期購読していますが、デザイン、記事内容共に好きです。КАРЬЕРА И МАНЕЛЖИМЕНТというタイトルで、マネジメントスタッフにとって役立つ記事が定期的に掲載されていて実際にその通りに行うかは別としても記事内容は勉強になります。

・部下との気難しいテーマについて議論する際、どうしたら”勝ち”をおさめられるか?

・雇い主はどうしたら従業員に仕事への意味を与え、そして給与を抑えることができるか?

・2019年にはロシアの大企業のうち、どの部署で人材の需要が増えるか?減るか?

など、ここ数日で届いた内容の記事を見ても雇用者にとっては興味深いテーマが続きます。

https://www.vedomosti.ru/

РБК / RBK

日本で言えば、日本経済新聞のロシアバージョンというところでしょうか。上記のVedomostiと合わせて同じく定期購読しています(Kommersantというさらに堅苦しい新聞があります。これも日経に近いものを感じますがただでさえ難しいロシア語。そのうえ難しい記事内容。私にとっては近づきがたく、面白くなく、たまにレストランやカフェで見かけると手にするくらいです)

Velomosti同様にビジネス紙で同じテーマを取り扱っていることもありますが、新聞の記事の見せ方にまだ改善の余地があるように感じます。といってもビジネス紙としてはRBKは欠かせないもので、テレビ番組もあります。コンサルティング会社や銀行などが入ったオフィスに出かけるとRBKをずっとテレビで流しているビルもあります。

私はときたま掲載されるベンチャー企業を起こして成功している経営者の方々の記事を楽しみにしています。不正がまかり通っていてグレーなこと無しにはビジネスが成功しないと聞くロシア。その方々たちがどのようにしてここまで成功されているのかは分かりませんが、どのようにビジネスのきっかけとなるアイディアを見つけたのか、そのあとどのように苦労を重ねて今に至ったのか、そんな内容を読んでいるとこれまた勉強になります。

https://www.rbc.ru/

RT

取引先のロシア人の方からこのRTは中立的な立場からニュースを書いているメディアなのでバランスが取れていると薦められました。ただ、会社のスタッフにそのことを伝えるときっぱりと否定されました。ロシア政府によって運営されている企業なので、確かに政府寄りのメディアと言えそうです。英語版でも読むことができます。

https://www.rt.com/

Meduza

これはラトヴィアの首都リガを拠点にしたオンライン紙。歴史をかいつまんで読んでみたところ、Galina Timchenkoという方をトップとして2014年に打ち立てられたメディア。かつて彼女が勤務していたLenta.ruのポジションをPutin大統領に近い人物Alexander Mamut氏によって追われ、彼女とともに勤務していた約20人のジャーナリストを中心にスタートしたようです。見方によっては反政府的なメディア?と一見思えるかもしれないけれど、ロシア人の同僚に聞くと、記事の内容はバランスが取れている、とのことでした。最近読んだ記事では、ロシアの国会では現在、インターネットを遮断する可能性をめぐる法律が議論されている、とのこと。同僚がMeduzaの記事ページを開き、ロシアが世界から孤立するかもしれない!そうしたらとんでもないことになる!とニュースを共有してくれました。

https://meduza.io/

Moscow Times

オランダ出身の方によって1992年に設立されたWeekly紙。世界各国からの駐在員なら誰しもがこのメディアをチェックしているのでは…と思うのですがいかがでしょうか。かつてはよく街中のレストランやホテルなどでフリーの紙版を目にし、英語の勉強も兼ねて読んでいましたが、今はOnlineだけになったような気がします。英語でロシアの情報を入手することができます。

https://www.themoscowtimes.com/

春の訪れ、マースレニッツァ / Coming of Spring, Maslenitsa

3月2日(土)の晩、クレムリン赤の広場に入る手前の場所にて。まるでおとぎの国のような世界。

3月1日、ロシアでは“Масленица(Maslenitsa)”が始まりました。このマースレニッツァは一週間続くようですが一体これが何かというと、この単語、「マースレニッツァ」で詳しい説明が載っているサイトを検索するのが一番早いです。詳しくやそちらへ。…という自分自身もこれを機会に幾つかサイトを読んでみて勉強になりました。

もともとはロシアがキリスト教を受け入れる前からあった春分の日の前に行う春の訪れを祝う異教徒の祝祭だというのが一般的な理解と思われます。あるロシア語サイトでは「多くの人はマースレニッツァがもともと異教徒の祝祭であると誤って理解している。正教会員にとってこのイベントは別の意味を持つ。この週はВеликий пост(ポスト、正教会では「大斎」。英語でLent、辞書によれば<キリスト教>四旬節、受難節)に備えるための時期」なんだと。

一方で別のサイトを見ると、「(異教徒であった祖先たちは)太陽をあがめ、春の訪れを神に請い、人々自身も暖かい日々が少しでも早く来るように努力をした、それを表すのがこのイベントの伝統的な行事、人形(冷たい冬を表す)を火で燃やすこと(火は地球の熱を表している)で大地が眠りから覚めて、再び大地が穀物で潤うように願った」ようだ。

このイベントの時期、丸いクレープ生地のようなロシア伝統の食べ物(ブリニィ複数形блины)を食べる習慣がありますが、これは太陽を表しているようです。そして、「この時期にたくさんのブリニィを焼けば焼くほど、この春に家族がより豊かになり幸せになるといわれている」そうです。

この時期は肉や乳製品を控える40日間。私たちの会社のスタッフの中にもこれを守る人と守らない人で分かれます。食事に一緒に出掛ける際には、守る人は守る人で食事を制限しますし、守らない人はこのポストを守る人に敬意を示しつつも食事は特に気にせずにいつも通りのような気がします。街中のレストランはこのポスト専用のメニューを準備して、ポストを守る方々をサポートしています。

ロシアがキリスト教を受け入れたときに過去から続く異教の習慣をうまく取り込んだ、というのが一番正しい理解だと考えています。宗教心があることは立派で、こういった習慣を守っている人たちに敬意を表したいですし、こういった時期にロシア人と日本人の宗教、神様に対する認識の違いについても思いめぐらす良い時間ともなっています。

参考URL:

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E6%96%8E_(%E6%AD%A3%E6%95%99%E4%BC%9A)

https://dailyhoro.ru/article/maslenitsa-istoriya-i-traditsii-prazdnika/?from=related_slider

https://dailyhoro.ru/article/pochemu-na-maslenitsu-szhigayut-chuchelo-i-pekut-blinyi-narodnyie-poverya-i-obyichai/?from=related_slider

ロシア人部下同士の衝突のマネジメント / Solve the conflict between Russian subordinates

金曜日は、スタッフが周りの同僚がだれもいないタイミングを見計らい、つかつかと私のところにやってきて言い放ちました。

「XXXさん、(彼女の上司である)ZZZが来週開催される無料のセミナーに行くのを拒否された。私はこんなに業務ばかりやって、彼女はただTalk, talk, talk。なんでダメなのか理解できません。このAttitudeはフェアじゃない。」と。

何も聞いておらず、いきなり怒り心頭の様子で発しての発言。なんだなんだ、これは何らかの大きな問題に発展するやもしれず…。マネジャーの彼女には一言、あなたの部下が直接こちらに言ってくること自体が不自然ではないか?もう少し話が必要なのでは?とメール。

その後、マネジャーのZZZと直接会話してみると、仕事の優先順位、セミナーの内容からして重要なではないことからセミナーに参加する必要性が無い旨を部下に伝えたようでした。それならそれで正しく、彼女の意見を尊重します。一方で、先日書いたように、正しいことが本当に正しいのか、その判断にはいつも難しさを感じています。どうしても人間なので感情の問題が入ってくることは間違いない。なぜ私ばかり事務作業を延々と忙しくやっていて、ZZZはただしゃべっている(しゃべてっているからといってそのことイコール仕事をしていないと判断すべきではありませんが、ZZZは日頃からしゃべってばかり、というイメージが頭の中できていると、ちょっとしたことでそのイメージが悪感情と共に大げさになりえます)

以前、会社の研修で受けた内容が印象的だったのですが、「人は(この場合は部下)、“何を”言うかではなく、“誰が”言うかで判断する。」とのこと。ずっと昔に先輩社員から「こいつなんだ、とたとえ思ったとしても、その人が発言する内容が正しければ、その人が言うから嫌だ、ではなくて、その発言が正しければそれを受け入れなければダメだぞ。」と教わりました。はて、それが出来る人はどれくらいいるのだろうか…?頭で分かってはいても、実際にそれを行おうとすると、やっぱり人間なのでなかなか難しいことも多くあるのではないでしょうか?自分自身も先輩社員の言葉を思いに留めて努力してきましたが、「この人に言われたくはない…」と思ってしまうケースも事実何度もありました。

人は「うん、この人が言うのだったらその通り、私もそうしよう、従いたい。」ふつうはこのように感じるものだと思います。だからこそ、マネジメントは日頃から、いざというときのために、部下と意見がぶつかったときに、部下同士がぶつかりあったときに決断を下しそれを部下に受け入れてもらう必要があるときのために、「この人の言うことだったら従おう」、そんな風に感じてもらえるように準備をしておくことが必要なんだ、と実務から学んでいます。

あとで、その晩SMSがそのスタッフから飛んできて、「あとでZZZと会話しました。Now everything is OK.」と。日頃からZZZとはぶつかることもあるのですが、どうやらZZZも何がいけなかったのか彼女なりに考えたようで行動してくれたようです。ただ単に、目の前の仕事が忙しいからセミナー参加は不要、セミナーのテーマが私たちには必要のないテーマなので参加不要、と言うだけではなくて、「○○○といったテーマについては特に気になっているので、その内容のテーマのセミナーがあれば教えてね、参加を考えてみるから。」「今は社内の業務が優先なので今はどうしてもオフィスにいてほしい。ただセミナーへの参加はスキルアップのためにも重要だと認識しているので、今の直近で急ぎの課題を終えて来月以降で出席できそうなセミナーを探してみようか。」そんな一言を付け加えてあげればきっと部下も“否定された”とは感じることなく、優しく配慮してくれた上司に感謝を表してくれるのではないか、そんなこともZZZと共有し、お互いにまた一つ勉強をした一日となりました。

ちょっとした一言の大切さ / A few simple words make things big different

今日はちょっとしたことで深く考えさせられることがありました。

お昼過ぎに社用車を利用してオフィスを出発。14:30くらいだろうか、目的地に到着し車を降りてドライバーと別れた。行きのみ車が必要で、帰りは自ら地下鉄で帰宅。(夕方からのモスクワ中心街の渋滞は大変ひどく、歩いたほうが早いのではと思うくらい進まない。場所によっては500mくらい進むのに1時間近くかかった経験もあり、車での移動は大嫌いだ)

19:30過ぎにドライバーからロシアで大変ポピュラーに利用されているメッセンジャーアプリ、What’s upに“Извините, а вы когда вы выйдете?”(すみませんが、いつ出発しますか?)とのメッセージ。こちらはしばらく携帯を見ておらず、20時過ぎくらいに気づく。?と思い連絡すると、どうやらこれまで私が降りた場所でずっと待っていたらしい。彼の勤務シフトは午前中なので夕方前には勤務を終えるべきところ、こんな遅くまで待たせてしまうことに。彼は私に連絡してくる頃に夜の勤務シフトのドライバーに交代し、私がまだ建物内にいることを伝えて、夜間担当のドライバーが引き続き私を同じ場所で待っているという。すでに私は建物を出て帰っていることを伝えて勤務を終えてもらった…。

ここで「なぜドライバーは電話してこなかったのか?一本電話すればそれで済んだ話では?」という疑問もあるものの、今回のテーマは、ほんとに小さな一言が後に大きな問題となりうる芽をつむことにつながる、というもの。

社用車を総務スタッフに手配するとき、メールに赤字にて「One wayだけ必要です」と強調したことから問題なく伝わっていると思っていたものの、ドライバーは「その指示は聞いていない」という。手配ミスはこれまでにほとんど無く安心しきっていたこともあるのだが、あのとき、車を降りる時に一言「今日の帰りの車は不要だからね、もう帰っていいよ。」と、その一言をかけられなかったことが心残りとなってしまった。たった一言、まったく時間も取らず、仮に分かりきっていることとしても、もしかしたら50回に1回かもしれないけれど、その一言が役立つことがあるかもしれない。出発するまえの目的地確認、降りる時に何時頃に車を必要とするか、車は要らないのか、それをドライバーと確認することをスタンダードとする。そして、以前にも書いた“自分で決めたスタンダードを守る”の通りに決まったこととしてルーティン化すること。今日はまた一つ学習した。

ところで、この一言でお互いの理解を確認することの大切さ。

オフィス内でももちろん大切なことだけれど、相手によってやり方を考える必要があることも学んでいる。例えば、タイミングの問題。経理スタッフが電卓で計算をしているとき。相手を気遣うならば計算が終わるまで声をかけるのを待つこと。大概計算してきた途中で止まるとやり直しとなってしまう可能性が高い。スタッフ同士で仕事に関する議論をしている最中。いくら上司だからといって自分の権限で会話に割って入って自分のことを優先するのは上司として失格だ(ただし緊急時を除く)。例えば相手の性格の問題。部下によっては仕事中にむやみに声をかけられることを嫌うスタッフがいる。たった一言だからいいでしょう、と思うのだが「XXXさん、私はメールでコンタクトしてもらうほうが集中力が切れないのでうれしいです。メールしてもらえませんか?」と言われてしまう。なので、彼女とは簡単なメールで済ますことも多い。会議のときはきっちりと時間を割いて議論し合うけれども。また、こんなスタッフとは彼女が席を立って歩きだしたタイミングが目に入ったときに声をかけるのが有効だな、と感じている。一方でこちらもちょっとした時間のかからない報告は私が席にいる時には声をかけて、とお願いしているので、スタッフも進捗があれば適宜「XXXさん、この件進捗があって、YYYです。いまZZZからの連絡を待っています。」そんな風に報告してくれる。といっても自分自身も集中力が切れるのを極度に嫌うので頻繁に声をかけられるのはさすがにやめてくれ、と。そんなときは苦笑いしつつも若干しかめっ面をして「…ごめんね、ちょっと今は…。」というと、部下も慣れたもので「あっ、今はまずい…」と思って近づいてこなかったり。あるいはもう席を外す…、だって「席にいるときにはいつでも声をかけていいよ。」と言ったのが自分なので言い訳ができない…。

マネジメント業務は非常に人への気を遣う、まさに現代の日本人の極度なおもてなし精神と同じかそれ以上に大変な仕事なのだ、と感じている今日この頃です。