自分自身の立ち位置を知ることの大切さ – 実はそんな大したことないもの / Understand own place in the Company (not so big as you imagine)

7月最終日。友人宅に呼ばれて夕食をご馳走になりました。彼らのダーチャで取れた新鮮な野菜と創作料理(そばと卵。うん、美味しかったです)と、そして日本のお酒。昨年、一緒に一週間日本を一緒に旅行した大切なロシア人家族の友人です。今でもいつも昨日のことのように思い出し、「温泉、刺身、富士山… 日本はとっても良かった。 」といつも話してくれます。

自分自身の立ち位置を客観的に意識して行動することの重要性を学んでいます。社内で自分自身のポジションは重要な位置にいる自分自身。本社にいる時とは違って権限の幅も広がり、スタッフにちやほやされることも。なんだか自分自身が偉くなったような錯覚にとらわれることも。可愛らしいロシア人女性スタッフからお願いもされれば心が揺らぐこともあるかもしれません。

自分自身の社内での存在を必要以上に過大に考えないように意識し続けることが必要です。むしろ、いかに自分の存在感を消すことができるか?会社の実務が流れている中で、空気のようになれればなれるほどに現地会社における自分の仕事の成功度合いを測れるのかな、と感じています。

どんなに自分自身で注意をしていても、心のどこかで「自分は日本の本社から派遣されてやってきた人間で、日本の会社のしきたりを知っていて、自分自身も仕事の経験は積んできた。自らがこの企業をよくしてみせるんだ。そのためにもできるだけロシア人スタッフの輪に入ってゆこう」という意気込みがあるかもしれません。少しでもロシア語を喋ってもっとロシア人スタッフと交流し、気に入ってもらうことが第一歩なんだ、なんてかつては思ったりしていました。

仕事を通じて作り出す信頼関係に言葉なんて関係ない

大切なことは必ずしもロシア語を話せることであったり、スタッフに近づいてより親近感を持ってもらうことではないのです。本当の信頼関係や親近感は仕事を通して自らが見せるロシア人スタッフへの誠意から自然と積み上げられるもので、最初から慣れ親しもうとスタッフに近づいて得られるものではないと思っています。駐在としてきた当初は、一生懸命にロシア語でメールを書こうとしたり、ロシア語で話そうとしてスタッフに認めてもらうと努力していたことを思い出します。スタッフを連れて食事をふるまってみたり。あくまでそれは仕事での信頼関係が出来ているからこそ一つの交友のための手段であって、食事そのものだけでどこまで自分自身の評価がスタッフ間で高まるのかは疑問です。食事で楽しく時間を過ごした翌日、何事もなかったかのようにいるスタッフの様子を見てから、日常業務でどれだけ信頼を勝ち得るているか、それには仕事を通じてスタッフから評価されることが重要であること学習しました。ロシア語を使うこと、食事をご馳走すること、日本の文化を伝えようと仕事以外の部分でのロシア人スタッフとの交流にいそしむ、そのような補足的なものが主要部分にきてしまうと失敗です。(表面的には喜んでもらえるし、自分自身も彼らに喜んでもらえるのをみると嬉しくなりますが、これだけでは長続きしないものです)

信頼を得ることができ、個別の会話の中で日本人に対する不満や愚痴も言ってくれるようになればしめたもの。そこからは仕事の進め方も容易になってきます。お願いに対するレスポンスも早く、丁寧に対応してくれる。そのサポート力のもとに自分自身の仕事も進めやすくなってくる。良いスパイラルに入ってくるタイミングです。

会社でのポジションなど大したことない ― 柔軟さと謙遜さ

ロシアで仕事をしていると、たとえ自分がそれなりの立場にいたとしてもスタッフがはっきりと自らの主張を言い張るケースに出会うことが珍しくなく、こちらも自分の意見を持つこと、議論を堂々とすることの当り前さを学べます。その過程を経て、自分自身のポジションには何ら特別なことがないこと ― 自分自身は偉い立場にあるのだから、自分の考えが正しいのだから誰もが俺の言うことを聞くべきだ、という先入観を持つことの危険性 — を教えてくれます。あらゆる考えが正解であることの可能性を認められる柔軟性の大切さ。そのためにはどんな考えも受け入れる姿勢や、最終的なゴールは全体にとって相応しい回答を見つけることで、自分の意見を押し通すことではありません。そうすると柔軟さに加えて謙遜であることも重要な要素になってきます。

どんなにロシアが好きで、どんなにこの会社が好きとしても、大切なのはロシア人スタッフが自らの手で会社を大きくしてゆくこと。日本の会社の子会社だからといっても、ロシアの子会社はロシアの会社。その顧客はロシア人。ロシア人の心を真に掴むのはロシア人スタッフでしかありません。日本人駐在員は現地企業に彩りを与えるアクセントであり、それは、あたかもお寿司に欠かすことのできないガリやワサビのような役割を担っているのではないだろうか、と考えたりするようになりました。

聖書から学ぶロシア人スタッフのマネジメント / Learning from Bible how to manage Russian colleagues

ロシアで美術館の絵画を理解するためには、聖書を知る必要がある、と聞いたことがあります。絵画の題材に聖書の中の話が多いからです。実際に勉強のために聖書を読んでみると、仕事に役立つことが多くあるなぁ、と考えさせられる点が多くあります。

何度でも人を許すこと

ペテロ「主よ、兄弟が私に対して罪をおかした場合、何度まで許すべきか?七回まででしょうか?」

イエス「七回までとは言いません。七十七回までです」

どれだけスタッフが失敗をしても、何度でも許してあげることの大切さを学べます。しかし、どんなにこちらが何度教えてあげても同じ間違いを繰り返すスタッフ、どんなに本人が頑張る意思を持って本人なりに努力しても要求基準に達しない場合…対応方法にいつも苦しみます。自分自身としては温かく許したい、と思っても、毎日の業務にほころびが生じ、日々自らがカバーに入り、周りへの迷惑を感じながら過ごすこと。会社全体への悪影響を考えると、こういったスタッフについては必要な対策を講じざるを得ないと考えています。スタッフに首を言い渡すのは全く嫌なことですが、時期を逃すことなく、決断を長引かせることない行動が必要です。不要で無意味な優しさは会社、自分自身、首になる本人にとっても誰にとっても不幸です。いずれにせよ、自分自身も数多くの失敗をおかしてきた人間ですので、スタッフが不慣れな仕事で失敗をしてしまうとしても、何度も許す心の大きさを持ち、何とか本人の強みを見つけてそれを有効活用できる努力を失いたくない、そう願っています。

自ら相手の立場になって物事を考えて行動すること

何事でも人々からしてほしいと望むことは、人々にもそのとおりにせよ。

これはとても有名な言葉で、ロシア人スタッフも誰もが知っているはずです。なぜ人はこの言葉を知っていながらにして、「相手が改善しない限り、私も変わらない」「私は悪くなくて相手が悪い」― こうも自己中心的な人が多いのか…知識として知っていることと実際に行動に表すことの難しさを痛感しています。多くの人は、週末に教会で立派な話を聞いて、その通りにしよう、と思いつつもいざ教会を離れて日常生活に戻ると何事もなかったかのようにすべてを忘れ去ってしまうしまうのでしょうか…。この原則を実行できる人は、仕事でもプライベートでも重宝されること間違いありません。でも、この当たり前のことがいかに難しいことか、よく実感しています。

部下のことをよく考えているがゆえに、部下に正しいフィードバックを日頃から与えること

わたしが悪人に向かって、悪人よ、あなたは必ず死ぬと言う時、あなたが悪人を戒めて、その道から離れさせるように語らなかったら、悪人は自分の罪によって死ぬ。しかしわたしはその血を、あなたの手に求める。
しかしあなたが悪人に、その道を離れるように戒めても、その悪人がその道を離れないなら、彼は自分の罪によって死ぬ。しかしあなたの命は救われる。

このフレーズを見つけたとき、これはとても深いな…と素直に感じました。人事評価の際、1年間の部下の業績についてほとんど適切なフィードバックを期中にしてくることなしに、期末時に「あなたのXXが足りなかったですね、この点には不満があります。そのため評価はとてもAをつけられません。」と上司に言われたらどうでしょうか?「いや、私はそんな風に思っていなかったし、なぜ上司はそう感じていたのだろう?なぜ期中に言ってくれなかったのだろう?」と思っても自然ではないでしょうか。マネジャーには定期的なフィードバックを年間を通して行うように、少なくとも1か月に1度は1-on-1 meetingを部下と行うように、と言っていますが実際に出来ている人は残念ながらほとんどいません。フィードバックは部下にもっと成長してもらいたい、もっとこうしたらパフォーマンスが上がるのでは、という愛の感情から行うもの。言うべきことを知っているのに行わないとすると、それは結果的に我々マネジャー自身の責任であり、その罪は重いのだな、とこれを読んで納得しました。

多くのスタッフが自分はキリスト教徒だと答えたとしても、きっちりと聖書の教えに沿って生きている人は少ないと思っていますが、少なくとも教養はあるはず。そんな彼らに聖書のフレーズを使って仕事に励んでもらえるきっかけにできないのだろうか、そんな風に考えています。

カザフスタンの給与計算ロジック / Salary calculation of Kazakhstan

カザフスタンの給与計算ロジックは複雑で分かりづらいものがあります。私自身の経験と以下のWebsiteを参考にして計算方法を記載しました。

注)Месячный расчетный показатель(МРП)と呼ばれる(カザフスタンの法律で毎年決定される社会保険や罰金の計算基準となる基礎数値を言うようです)数値があり、2,525 tenge*25=63,125 tengeを下回る場合には、違う計算ロジックが加わりますが、ここではこの基準以上の給与支払いがある場合のケースを想定しています。63,125 tengeというと、この記事を書いている現時点のロシアのRUBで言えば約10,000 RUBと相当低い水準であり、このレベルを下回る仕事はどのようなものがあるのでしょうか…カザフスタンのことは詳しくないために想像ができませんが、私の業務上の経験ではこの基準より高い給与を提示していることがほとんどと思われます)

(参考 Источник): https://pro1c.kz/articles/prochee/minimalnyy-raschetnyy-pokazatel-mrp/

仮に、給与額面を200,000 tengeとします。

1)年金基金への納付額は額面の10%です。200,000 tenge*10% = 20,000 tenge

2)最低保証賃金(月給)は42,500 tenge (2019年) * 50 = 2,125,000 tenge とのルールがあり、この金額と1)の計算結果を比較します。として2,125,000 tengeよりも低ければ1)の計算金額が年金基金への納付額となります。それにしても、2,125,000 tenge (執筆時点のロシアルーブル換算でおよそ350,000 RUB。このような膨大な額を基準とした理由はなぜなのでしょうか、気になるところです。)

3)次に個人の所得税を計算します。カザフスタンの所得税額は10%です。この計算式にひと手間加わっています。計算式:(給与額面ー1)の計算結果ー最低保証賃金42,500 tenge)* 10% = 13,750 tenge となります。つまり額面から年金基金への納付額を差引き、さらに最低保証賃金も控除したあとの残額に10%を掛け合わせた結果が所得税です。

4)従業員の手取り額は、200,000 – 20,000 – 13,750 = 166,250 tenge となります。

ロシアでは個人の源泉所得税は一律13%。年金基金への納付額の計算率は22%、そして、これは雇用主に納付義務があります。カザフスタンのスタッフと仕事をする時に、個人の源泉所得税を確認したところ「10%」です、との答え。へー、そうなんだ、ロシアよりもさらに低いんだな、と感じたものですが、よくよく調べてみると、年金の納付額が個人の所得から徴収されるとのこと。これは全く知りませんでした。私は税務の専門家ではありませんし、税務は率直に語るとあまり得意でもありません。それにしても、各国で年金、社会保険料(今回の記事ではカザフスタンの社会保険料計算については取り上げていません)の考え方に異なったアプローチがあること、徴収先を個人からとするのか雇用主からとするのか。非常に面白いです。その背景を調べれば、何かしらその国の社会保険のあり方のスタンスが分かるはず。そこまで調べることはできていませんが、カザフスタンの給与計算ロジックを調べる中でとてもよい勉強をすることができました。

なお、この記事の内容に誤りがあることが分かった場合には訂正いたします。また、この記事を元に読者が判断をし、その結果何らかの被害を及ぼした場合であっても、著者は責任を持てませんので、その点はご理解いただけますようよろしくお願いいたします。

まず健康で、そしてタフで打たれ強い - 駐在員として大切なこと / Being healthy and tough – key to success to work together with Russian colleagues

朝、出勤途中に見つけた販売中の飲料ケース。こんなカオスは初めて見ました。地震でもあったかのような崩れ方。帰宅時にはきちんと整列されていました。

駐在員としてモスクワにやってくることは、その会社から外に出してもよい、と認めてもらった人。海外でもやってゆけると認められた人たちだからのはずです。周りを見渡していて皆さん仕事人として、一人の人間として立派な方だらけだと思います。(私の場合は、周りの誰からも「まだ早いのでは…?」という目で見られていました。実際にそのように直接言われましたし、そうだったと思います。長い年月がたった今も毎日が闘いの日々です。)

今日のテーマでもある打たれ強さについて書く前に…優秀さの持つ危険さは、「自分のやり方、考え方は正しい」と信じてどこに行ってもそのやり方を部下に強制することです。また、優秀さの持つ別の危険さは、ことごとく周りから自らを否定される経験が少なく過ごしてきたがゆえにいざロシアでそのような場面に直面した時の衝撃が強いことです。

健康であるのは第一条件として、タフで打たれ強いこと、いやロシアで仕事をするうちにタフに成長してゆくのかもしれません、この特質がとても重要だと経験を通してしみじみと感じます。

“No, no, no, I don’t think so.(いやいや、私はそうは思いません)””Why? I don’t understand why I need to do this job(なぜですか?どうして私がこの仕事をする必要があるのか分かりません)” ― 別に何も否定されているわけではなく、ただの会話なのですが日本にいる時にはこのような会話をしたことはありませんでした。ロシア特有なのでしょうか、ロシア人スタッフがこちらによく聞えなかった時に返す言葉は「Aa?(あ~?、トーンが下から上に上がる、まるで「ア~何々、何か文句あるの?」と。こんな相槌が返ってくることも衝撃でした。

日本という国は「待ち」の文化。その一方ロシアは(多くの欧米社会も?)「取りにゆく」文化だと感じています。つまり、待っていても相手からこちらを気遣う、配慮する文化が日本だとすると、ロシアでは自ら動かなければ得られません。自分自身が上司であり立場としては上にいながらもスタッフから無視されてしまう存在になりかねません。一人の人間として自分がどれだけ通用するのかが毎日の職場で試されているようです。プライベートで出かける買い物では、英語も伝わらず、すぐに言葉が出てこないロシア語では自然と声が小さくなってしまうことも。そうすると容赦なく「Что? (シトー?!=何、聞えないわよ!)」が飛んできます。ここでも自分の主張をする訓練の場です。朝、お店の営業時間に入ったのに、「まだ準備できていないの、もう少し後に来て」と。また、時にお店が日中開いていないと思ったら”Техничесий прерыв”とても素晴らしい言葉。本当なんだろうかと疑ってしまいますが。

物理的に業務量と責任範囲が広がる仕事のカバー範囲の広さに加え、スタッフとの日々の「バトル」、そして言葉の問題。日本のようにはいきません…そんな状況を乗り切るためのタフさ、何を言われてもめげない打たれ強さ、誤解を恐れずに言うと、何事も一つ一つを抱え込みすぎない、”いい加減さ”を多少持ち合わせること。きっとこれらがロシアで仕事をし、生活をしてゆくうえで重要なことであることに間違いはなさそうです。

多様性は果たして正しいのか? / Diversity right or wrong?

“Kawaii factory” こんな名前のお店を見つけました。明らかに日本語のかわいいから来ているはず。女の子が好きそうなデザインのグッズが並んでいました。生産は主に中国製品が主であったように思えます。- モスクワ中心から北に位置するdesign factory “Flacon”にて

一般的に、グローバル化、多様性といった言葉は奨励されている、ポジティブに捕らえられる「会社が目指すべきあるべき姿」だけれど、それは前提が正しい場合であって、必ずしも正しいとは言えない。世間一般の”流行”に流されることなく、自らの置かれている状況をよく比較した上で目指すべき姿を吟味すべきである、と経験からよく実感しています。

多様性 - その難しさ

ロシアの労働法の93条「Not full time working time」ТК РФ Статья 93. Неполное рабочее времяを見ると、14歳未満の子供を持つ両親は(子供の事情によって)労働時間を短くすることができる権利がある、とあります。たとえばこのようなケース。勤務時間は18時まで、子供を預けている幼稚園が18時で閉まってしまう、家族や親戚を誰も頼れない・・・結局自分で子供を迎えに行くしかない。そのため、17時に退社し、毎日1時間の労働短縮を雇用者に要求する。短縮の分、給与も減るのですが、毎日1時間、週に5時間スタッフが不在となることによる雇用者へのデメリットは予想を上回るものです。

正社員が例えば50人の中小企業では、各部門にそれほど多くのスタッフを雇用できないはずです。それでも従業員がいる分、色々なことが起こります。同僚が病気になってしまってお休み、そんな中もう一人の従業員は17時に退社してゆく。誰も担当者がいなくなってしまう空白の1時間が生まれる・・・。そんなときに1件、2件と問題がおこったりするものです。「なぜ誰もいないのよ!」とストレートに(こちらが日本人マネジメントであるため遠慮してか直接言われることはないのですが、部屋の中でほえているのが間接的にぐさっと来ます)文句を言われることも。また、ロシアでは1年間のうちに連続して14日間の有給休暇を取得することも義務となっているため(知る限り違反したとしても罰則はありませんが)、マネジメントにとってはこの2週間をどのように管理するか、オフィスに残っているスタッフが病気にならずに問題なく出社してくれますようにと、どこかしら意識しつつ過ごすことがあります。

フレキシブル勤務時間 ― これも一概によいとは言えません。小さな会社で、かつまだ会社の基盤そのものの整備が求められているような状況では日々多くの問題が起こります。そんな中で世間の流行に流されて多様化を推し進める。フレキシブルな勤務時間を導入する。スタッフもハッピー、マネジメントもなんだか良いことをしたという感覚に。・・・いざスタッフが自由に出社してくると、朝から急ぎで議論したいことがあっても、スタッフが揃うまでに動き出せません。たとえわずか1時間のフレキシブルであっても悶々として過ごす1時間はなかなか嫌なものです。スタッフの勤務時間を管理することも一層困難となります。

仕事で大切なのはそのアウトプット、成果であって、勤務時間・勤務場所をコントロールすることではない ― これは私自身、真理であると考えています。一方で、小さな会社には小さな社会があり、小さな勤務スペースの中で各人が周りの行動をよく見ています。この小さな社会で、少数の人間が他と違う行動を取り、それによって相手が優遇されているような感覚を持ってしまうこと。人間なので残念ながら十分にあります。「自分自身は遅くまで残って仕事しなければいけないのに、なぜ彼・彼女は遅く来て(早く帰って)仕事もろくにしないの?」そんな気持ちになってしまうスタッフが少なからず出てしまうのを見てきました。上記の真理を説明しても効力はあまり無いようです。

多様性は善でもあり害でもある

お互いに距離が近いので、他人が自分と違う条件がどうしても見えてしまうことにより不公平感、不平不満が出てしまうことがネガティブに影響する。特に小さな会社であり、まだまだ会社の基盤ががっちりと整備されていない企業であれば、皆が一体となって一つのチームとして取り掛かることがより重要であり、このタイミングで多様性はむしろ阻害要因だと感じています。多様性というのは大企業で人材を豊富に揃っている、大企業で同じ会社の中でもそれぞれの部署が一つの社会となって他の部署との不公平さが目に付かない条件であること(それぞれが違う部屋やフロアで勤務している物理的な隔離も重要と思います)、小さな会社であっても会社の基盤がしっかりしておりリモートでもスタッフ同士の連携が取れるような・・・そんな状況で考えるべきなのが多様性だ、と自らの経験を通して学習しています。これまで多様性についてじっくり調べたこともありませんが、きっとどの専門家の話をお聞きしてもこのようなことが書いてあるのでしょう・・・。

本のジャンルが映し出す国民性 / The online book shop shows the national character ?

とある旅行先で乗ったバスの中での一コマ。どこの国でも女の子は同じだな、と微笑ましくなる光景でした。

モスクワのように都会であっても、日本のようにふんだんに本の揃っており手に取ってパラパラと本をめくりながら時間が経つことを忘れてしまうような書店はほぼありません。その分インターネット上のオンラインショップや海賊版がより一般的なのかもしれません。

必要な本はインターネット経由で確認するしかなく、以下のインターネットのオンライン購読を購読しています。きっと他にも素晴らしいサイトがあると思うのですが、これらを好んで利用している現状です。

Kindle(日本語)… 毎月の購読料を支払えば読み放題となるのは嬉しいです、読み放題の本に制限があるのは…ビジネスとして理解できます。

SCRIBD (英語) … ロシア人スタッフに仕事上大切だと思うビジネスの知識を共有しようと思うと、大概の本は英語で発行されているものが多いため、色々と探している中でこのサイトにたどり着きました。購読料は高いな…と感じますが(先月は850RUB、日本円にして約1,500円/月の購読料)、英語で発行されている本を幅広く見ることができ、ダウンロード・Audio bookとして聞くことができるのはよい点です。スタッフのスキルアップに繋げようと、ここで見つける本を適宜共有しています。なかなか英語ではスタッフの理解をがっちりつかむには難しいものがあるな…というのが正直な気持ちです。

ЛитРес(ロシア語)… ロシア語の本を探していて、比較的このサイトを見ることが多いです。といってもロシア語であれば、ロシア人スタッフに尋ねて良いサイトを教えてもらうことが最善でしょうね。

さて、それぞれのサイトにあるジャンルを見ていて、その国の国民性が見えてくるのだろうか、と感じることがあります。

日本

マンガは日本の特徴ですが、それに負けず日本はテクニック向上や会社での対人関係に重きを置いたテーマが特に多いのではないか、と感じています。1日30分を続けなさい!、仕事が早い人は何が違うのか、朝4:30に起きる~、XXの法則、人から好かれて人生成功するためには、雑談力を上げるためには、プレゼンテーション能力の向上、パワーポイント資料の作成方法などなど、このようなジャンルの本が他の英語、ロシア語サイトと比較して多いように感じます。

アメリカ

ビジネス関係といえば、伝記やリーダーシップといったものが目に入ってきます。そして個々人の成長に関するジャンルではHappiness、Psychology…アメリカというビジネスの先端を行く社会に住む人々が疲れてしまっているがゆえにこのようなジャンルがとりわけ必要とされているのでは、と思ってしまいます。

ロシア

物語の本が圧倒的に好まれて読まれているのではないでしょうか、そしてビジネス書に関してはほとんどロシア人著者による良書がないと感じています。大体書店で見る本は欧米系の著者のロシア語翻訳版です。その点で、日本では欧米系の翻訳もあれば、日本人著者によるビジネス書も多くあり、ビジネスジャンルに関しては恵まれているのではないでしょうか。ロシアはせめてもう少しロシア語によるビジネス書、それももっと読者に楽しく読ませるような本の内容構成が必要です。お堅い内容が一層お堅い文章構成となっていれば、どんなに内容がよいとしても自然と本を閉じてしまう…。一方でロシアは世界に誇る長編作品も存在し、そういったものに囲まれて育ってきた人々が主要なロシア企業のポストを担っているとすれば、欧米系や日本のビジネスマンとは異なる感覚を持った人々を中心としたビジネス界に、若き新たな視点を持った若い世代が入り混じってゆく。そんな過程にあるのかもしれません。ロシアの書店を数年間見ているだけでも少しずつ本の質、デザイン、内容が変わってゆくのを見ることができるのは面白いことです。

お礼もお詫びも具体的に / thank-you & sorry for exactly what ?

今年のモスクワの夏は非常におかしなことになっています。連日雨、雨、雨。せっかく唯一太陽を楽しめる季節がまるで日本の梅雨のようになってしまうとは…。束の間の太陽を楽しんだ日曜日。お気に入りの場所にて。

もう数か月もブログの更新をストップしていました。少しでも時間があるならば目の前の仕事に全てを費やす(費やさざるをえない状況にある)― そんな思いがありブログのことも忘れて目の前のことに没頭する日々を送ってきましたが、目の前のこと、将来に実を結ぶ可能性があることに今の時間を費やすこと。この狭間でバランスの取り方について日々悪戦苦闘しています。今日からは、毎日の更新は難しくとも定期性をもって更新してゆこうと気持ちを新たにして書き出しています。

私より後にロシアに赴任してきた方が先に帰国してゆくケースを少なからず目にすることが多くなった今、決して、どんなに努力してもロシア人のメンタリティを理解することは難しいものですが、ふと日本とロシアの違いに気付く機会がふと、生まれてくる瞬間があります。

「ありがとう」― よく口にする言葉ですが、幾度となくスタッフに「XXXさん、ありがとう、というけれど、一体何にありがとうと言っているのか私たち(ロシア人)には分からないです。具体的に言ってもらわないと…」と言われることがありました。なるほど、「ありがとう」というのはとても良い言葉ですが、私が口にする「ありがとう」には、お礼を伝えたい目的語が欠けているのだな、と。

ありがとう(貴重な情報を共有してくれて)                ありがとう(こんな忙しいのに自分の追加の仕事のお願いを時間通りにやってくれて)

「ごめんなさい」― これも同様です。

ごめんね(私がきちんと必要な情報を伝えていなかったので無駄な仕事をさせてしまって)                               ごめんなさい(会議の時間を守れずに会議室で待たせてしまって。前の会議が長引いてしまって、そのことについて連絡ができていなかったんだ)

「ありがとう」「ごめんなさい」をやたらと連発しないこと — この議論もありますが、今日は何事も具体的に伝えることの大切さをここに書き記しておきたく、その例として、ありがとう、ごめんなさいを取り上げました。

具体的に目的語を表現することの大切さ。これは裏を返せばそれだけ日本語での会話の回路に目的語が無くても通じてしまうから、と感じています。「ありがとう」といえば、相手はその「ありがとう」の一言で自らの心の中でその意味することを自分なりに解釈して受け止めます。そこに「何に対してありがとうと言っているの?」という疑問を挟むことはあまりないのではないでしょうか。少なくとも私は日本にいる時にこんな考えをしたことがありませんでした。

この思考回路で現地スタッフと仕事をしてゆくと、自らの仕事の指示も目的語が不足しがちで、指示が曖昧となったまま過ぎ去るために結果としてお互いに一つのことを違った形で理解していて時間が無駄になってしまう、お互いに罵り合う、そんな結果を生むリスクがあります。

私自身もそんな苦い経験を踏まえて、自らの指示の仕方、メールを書く際の指示の曖昧さの排除、そんなことを意識して実践することにより、スタッフとのコミュニケーションが改善されると同時に、自分自身のマネジメントスキルのよき訓練になっている感じています。具体的さが要求されること=自らが具体的に仕事の完成図・スケジュールについてのイメージを持っている必要があることからあやふやなイメージでは相手に仕事を振れず、イメージを明確にしておくべきことの大切さを学んでいます。


いかに唇を制することができるかー成功の秘訣 / Control the lips – key to success to work together with Russian colleagues

すでにモスクワに来てから長い年月が経っているのですが、ついに初めて—今更ながら—クレムリンの中に入りました。クレムリンの敷地内にあるホールで友人とミュージカルを楽しんだ帰りの一コマ。入るのも帰るのも厳重に警察官、軍人の警備に管理されていました。

モスクワで仕事をしていて、限られた交流関係、見分の中ですが駐在員として成功する人、成功しない人、その違いは何だろう?と考えることがあります。 

成功の定義は様々です。海外の現地法人に来て、数年の中で現地のロシア人スタッフとの関係は浅いままに終わり、ロシア人から見れば「そういえばこういった日本人がいたなぁ…」という程度の印象しか残らずとも、売上の実績を確実に上げて本社にとっての成功、ということもあります。ここでは現地ロシア人スタッフとの仕事上のやり取りに関して、ロシア人スタッフにとっても自分自身にとっても人間として共に成長できること、これを成功の定義としています。

そして、結局それはどこで、どんな仕事をしていようと要素は同じ、ということなんだと思います。 

今日は一つだけですが、 

言いたいことをすぐに言い返さないこと。まずは状況理解のために時間を取り冷静になること。そして、いかに自分の口、行動をぐっとこらえることができるか 

これは重要な要素の一つだと経験から言えます。理不尽なことがたくさんあります。この前話しあって合意したはずなのに、数日経って会話したら全く真逆のことを言っているように思えることもあります。「そんなこと聞いていません。」と言われることもあります。 

本当にイラっとします。頭に血が一気に上ることもあります。しかし、後で状況を整理すると、確かに自分の理解と相手の理解の仕方にずれがあってもおかしくない、そんな会話をしていたことが分かるケースが意外と多くあります。なるほど、確かに相手が「そんなこと聞いていません」ということも分かるな…と。 

同じ日本人同士で会話していても誤解していることがありますし、何を言っているのか一度聞いただけでは理解できないこともありますよね。であれば、ロシア人と英語で会話していればなおさらお互いの理解の内容にずれが生じてしまうこと、それをよく理解できるようになりました。 

何で約束した時間に会議室に来ないのか!と10分以上待って本人を少々苛立ちを感じつつ探しにゆくと、席にいて別の仕事をしています。会議招集をAcceptしていたのになぜこないのか?と問いただすと、「部下の女の子から会議の時間をずらした、と聞いていたのでてっきり会議は延期になったものだと思っていました」と。いや、そんなこと言っていないよ、と思いきや、確かに部下の女の子が「その会議の時間は別の要件があって難しい」と言っていたことを思い出します。その彼女と私が探していた部下が話をしているうちに、どうやら私の会議は延期になったようだ、という結論になってしまっていた…。 

私も誰を怒ってよいのか分からず、思わず苦笑してしまいました。私自身が別の会議などで席を不在にすることも多く本人たちが会議室に来ることを待っていたのですが、会議の時間に彼らの席に向かい、一言声をかければよい話です。 

こんなちょっとしたことですが、言いたいことを我慢すること。状況を整理するために冷静になること。怒りと共に発してしまった言葉とそのマイナスの印象、それをスタッフの心から拭い去ることはそう簡単ではありません。唇を制するためには、それだけ自制心がなければならない。自制心を持つためには人間として大きな器をもっていないといけない。 高校生の頃、修学旅行ででかけた沖縄旅行で、約束したルールを守れなかった我々生徒たちを臨時の集会に集められ、そこで熱く一人の教師が「お前らの器はこれっぽちなのか?そんなことないだろ?人間として大きな器を持てよな!」と言われたことを、こうして書いていて思い起こしました。

ロシアの付加価値税 (2) / Value added tax in Russia (2)

今晩の21頃の通りの様子。見えにくいですが、ベンチにはコートにすっぽりとくるまった男性ホームレスがこんなマイナスの寒い中寝込んでいる様子が写っています。観光名所のモスクワ中心街の華やかな様子から離れると、このような光景がちらほらと目に入ってきます。

最近は買い物した時にどの商品がVAT20%だろうか、あるいは10%だろうか、とつい見入ってしまう癖が付きました。システム開発業者もお店のスタッフもシステムへのVATレートの設定に苦労することもあるのだろうか、と想像してみたり。1週間ほど前に日用品雑貨のお店で買い物したときのレシートを見返していたら、VAT%が18%との表示が。ん、待てよ、なぜ18%?今年の1月からこの商品は20%のはずだろうに。設定の更新漏れ?ただの表示間違いだよな…と。すでに2019年も3か月近くが経つ頃。どう考えてもおかしいのでは…。お店に確認に行こうと思ったものの結局まだ確認できていません。

さて、日常業務では、業者から届く請求書(Счет)を一つ一つ確認していますが、ウォーターサーバー用の大きなウォーターボトルはVATが0%です。食料品店で購入するミネラルウォーターは20%。同じ水でもVATが違うのか?不思議でした。

この差は、ロシアの小規模ビジネスの会社、個人事業主によって採用可能なУпрощенная система налогообложения(簡易課税制度、Simplified taxation system、通称УСН)によっています。

この制度を適用できるのは

・従業員は100人未満

・売上が150 Million RUB未満

・固定資産の簿価が150 Million RUB未満

の条件を満たす場合。他にも他人資本が25%以上入っていてはダメ。支社を持っている場合には認められない等、幾つかの条件もあります。 このУСНを適用すると、付加価値税(VAT、Налог на добавленную стоимость)から解放されるため請求書にもVATの金額は0RUBとなっています。

(参考URL)https://www.nalog.ru/rn77/taxation/TAXES/usn/

まだまだこのシステムについても勉強が必要です。今後記載したいと考えています。


ロシア人と日本人のコミュニケーションレベルの違い / The different level of Communication between Russian and Japanese colleagues

本日の20:30。家のすぐ隣にある公園にて。今日は雪が降り、気温も体感マイナス7度。帰宅する頃には通りもうっすらと白くなっていました。その下に張っている氷に完全に足を取られ、尻餅をつくことに。頭の中にまで衝撃が響くほどにきれいにこけました。

今日はチーフアカウンタントと仕事のあとに会話をしていて、「この会社はコミュニケーションに問題を感じる。どうにも(日本人と)メールで会話していると何が言いたいのか理解に苦しむことがある。」と言われてしまいました。

質問をもらい、それに対して回答をするのだが、どうにも自分の回答が相手にとってピントがずれているのでは、と思えてしまうような反応が返ってきて「?」となるようです。ロシア人同士で会話していれば相手の反応から相手が納得しているのかすぐに分かり合えるのに、と。そして、もっとできるだけ自分たちが考えていることを教えてほしい、と。そうすればより相手の欲しい仕方で回答もしやすい、ということ。

何となく言われていることは分かる気もします。各人の性格の違いゆえ、あるいは質問がスタッフとは共有できない事柄に関係している場合もあるので、必ずしも少人数の日本人との業務経験だけをもって“日本人とは…”と固定観念を持たれることは避けたいものです。しかし、彼女曰く「日本人は、どうにも表に現れる表現があまり少ないからだろうか、何を考えているのか分かりづらい。」とのこと。メールにですらそれが表れているのだろうか、とふと我が身を振り返ることに。

私自身を振り返って思い当たる節があるのは、頭で考えていることを指に伝えてメールで文字化する作業の中で、無意識のうちに日本式で文章化してゆくために、抽象的な表現が多くなったり、相手が分かっているだろうとの認識から言葉自体を省いてしまう傾向があること、そう自分自身で理解するようになりました。チーフアカウンタントの彼女から聞くと、そのようなメールが飛んでくると、周りのスタッフと「ねぇ、これって何を聞いているのかしら?こういう意味にも取れるし、違うようにも聞こえるんだけど…」とあーでもない、こーでもないという会話がされるようです。ずばり「無駄に時間がとられてしまう(ので嫌だ)」とのこと。

どんなに意識をしていても、まだまだ抽象的な会話の仕方が染みついているな、と感じます。抽象的-そこから生まれるものは、仮に良さを無視してネガティブに捉えてみた場合には—阿吽の呼吸でお互いが察することを要求する。何となくの文化。よく分からないけれどもとにかく行き詰まったら笑ってごまかす。みんな仲良く。責任の曖昧さ。仕事の方法、期限がぼかされていて自分から確認しないと一言言われただけでは分かりづらい。―そんなことを感じています。

その(its)、これ(this)、あれ(that)、そのような(such)。今日の文章を見ていても頻繁に繰り返されています。これが英語になるとロシア人も私もお互いに母国語ではないためにさらに理解度に溝が生まれてしまいます。忙しいときには、メールを見返す時間もおろそかになってしまいがちですが、自分で書いたメールを送信前に読み返し、重大な文法ミスや、文章の構成におかしな部分がないか、サッとでも確認する時間を取ることが大切でしょうね。

「XXXさんの書いている英語はよく分からない。もっと分かりやすく書いてください。」と直接言われるとさすがに堪えるのですが、やはり時間を置いてから読み返すと、全く自分でも理解ができないことがあります…やはり振り返りは大切だと確信します。

そして大切な原則は、ビジネスメールはポイントを絞り、できるだけ短文で。箇条書きで全く問題ありません。Request、Question、Due date、Contact先など。きれいな英文が必要なく、出来る限り読ませずに、見て理解できる内容を作ること。そして具体的に。ただ、一番よいのは直接面と向かって会話をすることですね。今日もまた一つビジネススキルの改善に向けての訓練を受けた日でした。