成長したいと思っていても出来ない人がいる、という衝撃の事実 / The shocking fact that there are people who say “I want to grow” but cannot

今日は久々にとてもよい天気の週末となりました。モスクワ川沿いをサイクリング中に発見したこんな建築中のアパート群。この”足”が魅惑的です。日本では見られないデザイン。ある意味、一歩先を行くデザインではないか、と思うのですが皆さんの感想はいかがでしょうか。

人材育成。ロシア現地法人で働くにあたって、駐在員に課せられた重要な任務の一つ。私にとって衝撃的だったのは、

「本人が成長したいと思っていても成長できない人がいる」この事実。

人は自分に意思があれって努力すれば成長できる、この信念を持っていただけにこれは衝撃的でした。

ロシアに来る前に勤めていた会社の総務スタッフにいた先輩男性社員。業務に関する質問1つを別部署の男性に電話で尋ねたあと、1時間もだらだらと仕事に関係の無い話を続ける男性。「別にいいじゃないですか~」「しょうもないっすね~」「なんで明日できるのに今日やんなきゃいけないんですか?」を口癖のように連発する人でした。その会話が終わったあとに「1時間も電話で会話する内容ですか?」とだけ一言発言したものの、当時はまだ強く言える勇気もなく会話途中で口を挟むことができませんでした。職場を離れる最後の時、タイトル「仕事の心得」と銘打ち、A4で3枚ほどの彼宛に書きました。封筒に入れて「これを読んでください」と言って渡しました。私の一方的な主張であり効果はなかったはず。もう随分昔の話です。この男性には、明らかに成長したい、との意思はありませんでした。あのときに「人を変えようと思ってはダメなんだ。逆に自分が人を変えられないことのストレスで病んでしまう…」と学習し、周りの友人からも諭されて納得した真実。ここロシアでは、成長したい、と本人が望んでいるのにできない。こんな真実があるのか、と。それを否定しようと一生懸命に取り組んできたのですが、どうやら真実のようです。

成長の阻害要因

・その人には硬い硬い信念が根付いており、それから外れることをアドバイスされても聞く耳をもたない

・その信念が自分の成長阻害の原因である自身の変えるべき点を認めたくない、認められない頑固さ(自分が何かしら人よりも上であることを認めさせたい)

・周りからのアドバイスに対して、その正しさよりも、その中の細かい点の誤りを逐一見つけては反論し、まったく先に進まない(アドバイスを行う側の私について言えば、完璧ではないので細かい部分でのいい間違いや不明確な点はあります。といっても伝えたい芯にゆらぎはないので、主要ポイントを掴んでくれればよいだけなのですが・・・)

・かといって自分の力だけでは成長するために何をしてよいのか分からず途方にくれる

・周りの人間も関わりを持ちたくないゆえにその本人の改善すべき点を伝えることを止めてしまう。本人は周りから指摘がないために自分に問題はないのだ、と思い込んでいる(周囲の中での自分の立ち位置や自分が回りとのコミュニケーションにおいて問題を抱えているとの自覚力の欠如)

あるいは

・ほんとうの馬鹿、

それとも

・「私は成長したい」と口だけで言っている、本心は別に成長しなくても、なんて思っている

のかもしれません。

大切なのは必要なポジションに必要な能力を備えた適切な人材を据えること

会社がポジションに任命したスタッフが必要な能力を持っているのかを判断するのは、かなり難しい。口で言うほど、頭で分かっているほどに簡単ではありません。日々起こる種々の課題への取り組みと結果を見る中で分かってくるもので、試用期間3ヶ月(マネジメント層、経理責任者は除く※彼らの試用期間は6ヶ月)の中ではっきりと分かるものではない、というのが私の結論です。だからこそ、試用期間中は出来る限りスタッフの能力を見極めるために深く関わってゆくことが大切なのだな、と過去の採用の痛い失敗経験を踏まえて学んでいます。

成長できるレベルは人それぞれに応じて違う – その判断を正確に、迅速に

同じ時間が皆に平等に与えられているのに人によって成長の度合いが異なる。これは事実。ただ、せめて各自のできるところで日々成長目指そうよ、って思います。でも、毎日オフィスに来て同じ仕事のパターンを繰り返し、お昼にみんなで楽しく笑って過ごし、終業時間がきたら“Пока~(パカ~:またね~)”といって帰っていく。みんな若いんだし、もっと自分の可能性を信じようよ、って思います。ただ、きっと皆持っているパイの大きさは同じとすると、そのような人は仕事以外のことにより多くの情熱を捧げていて、私の見えない部分で、その分野では飛び切りの成果を出しているのかもしれません。そうはいっても、昼食時間の1時間も含めると9時間も会社に人生を捧げるわけです。その取り返しのつかない時間を毎日何かしら1つでも新しいことを学ぼうという思いで過ごせればもっと充実した時間を過ごせるだろうに…と。

マネジメントに必要なことは、それぞれの部下の強さと弱さ、能力の限界に対する正しい判断力。それに応じて業務配分を行うこと。そして、その判断に至るまでの時間をいかに最小限にできるか。これが大切なスキルなんだと考えています。

自由とその許容範囲のレベルの狭間でもがくロシア人スタッフの管理 / Management of Russian staff – struggling between promising freedom and the limit of the freedom

立ち寄った食料品のお店入り口にて。ご主人の帰りをじっと待っていました。

会社では自由闊達な議論が行われ、どんなポジションにも関係なく自由な意見を言える、これが目指すべき会社の姿であることは一般的に言われています。しかし、私自身が実際に会社でマネジメントする中でそれが必ずしもうまく機能せず、良かれと思って行ったことが自分自身を苦しめることに繋がることも経験しています。

上の立場にいる私からすれば、部下がものを言えども、最終的には私自身の決定に素直に決定してくれることを望みますが、時にスタッフが一線を越えることがでてきます。それは日ごろから自由を尊重し、どんな点でも言ってね、むしろ言わないとダメだ、というスタンスでいるがゆえに、スタッフも(彼彼女からすれば)私の決定が間違っているのだ、と主張してくるわけです。最終的な決定に従ってもらうには、日ごろからの信頼関係の問題も出てくるため、どれだけ日常的に部下とのよい関係を築けているのかが問われる場面となっています。とは言っても、関係づくりもどれだけ強固なものが築けるのか、それまた難しい。どんなに考えて行動していても、お互いの一言、たった一つのメールが原因だったり、ただ朝から機嫌が悪いことから言葉はなくとも、自然と伝わってしまう態度、行動から険悪な雰囲気となってしまう、徐々に話す機会もなくなり、仕舞いには挨拶もせずに目をそらしてしまう…。そんなことが小さな会社の中で起こっているのを目にしてきました。

次元は違えども、国の政府も同様で、政府、民間企業の大小の規模関わらず、あらゆるところで同じことが起こっているのであろうと想像しています。おそらく、政府にしても会社の首脳陣にしても、国民や一般従業員が意思を持って政府、マネジメントの判断に対して公に声を上げる事を内心嫌がっているのであろう、と。国で言えば、国民に選ばれた人たちが、選んでくれた人たちの声を政府に届けるどころか、彼らの意思とは違う行動を取ることがある、そんなことがあるに違いありません。上の立場になると、一般の人が持っていない情報や人脈ができ、それによって将来を見据えた行動を取るべきであると認識する。その一方で一般大衆は自分の身の回りのこと、毎日の自分の生活環境内で起こる出来事を重要視する。将来の国民全体の利益や他の州や自治国で起こってることは関係ないわけです。そのため、国を治める側になると、将来を見据えた上で、自分を選んでくれた人たちにも一部犠牲を強いる必要がある。それを分かってもらうのがどれだけ大変なことか・・・。ロシアでの年金制度の改革で各地で大騒ぎとなったこともまだ記憶に新しい事です。

こういったことが自分の周りでも、ここロシアでの小さな会社でも起こっています。部下との関係の距離をどのように取るべきか、ここは人を管理する立場になって感じる非常に苦しい部分でもあります。自由を尊重し率先して薦めてゆく一方で、どこかに制限をかける必要性がある。その狭間で悩み、苦しむことがあります。何か素晴らしい解決策があるとは言えず、いつも飾らずに素の自分で接しています。それが自然ですし、自分も苦しくならずにいられます。そのうえで、話を聞き、意見に感謝しふさわしいところは相手の意見を取り入れたうえで最終的には自分の決定に従うように指示をする。おそらく当たり前のことなのでしょうが、なかなかこの当たり前のことをできるようになるには多くの時間と経験を要してきました。

情報の透明化について一言

情報の透明化がよい、という論調が勝っているように感じられますが、それもどうでしょうか。素直にその通りだ、とも言い切れないものがあります。会社のPLBSを見せて会社の財務諸表に関心をもってもらうとすると、駐在員に関係する経費の情報の取り扱い方の問題にぶちあたります。情報を公表して、会社の販売管理費、対売上比率にも目を向けてもらいたい一方、向けてもらってはいけない経費情報もその費用の中には含まれている。さてどうしたものか・・・、どんなに説明しても一向に基礎的な会計知識が身についてゆかない姿、しかし、とあるときに「販売管理費の具体的な内訳を教えてください。一体、Otherで集約されている経費の中には一体何が含まれているのですか?」なんて言われたらどう説明すべきか…。情報を公開すればするほど、むしろ自らの首を絞めることもある、という錯覚に陥ってきます。知らないほうが幸せであることも実際あるのは確かなようです。この狭間で苦しむことがあります。もちろん、言わずともロシア人スタッフも日本人とロシア人とでは待遇も異なる、というのは容易に理解している点ではありますが。

どんなに隠していてもどこからともなくいつの間にかロシア人スタッフに情報が広まっていると言って間違いありません。給与情報、ボーナスの金額もその日のうちにお互いになぜだか伝わっています。日本では考えられません・・・。(新入社員として入社した時の初めての給与明細を同期全員で同じ研修部屋で受け取り、皆で封を開けたとき。そんな時代がありました。人事教育担当者が笑いながら「こんなことできるのは最初だけだ、ありえないなぁ」と言っていたのを思い出します)逆に言えば、伝わってほしいことを意図的にスタッフに話して社内に広めることもテクニックです。

最良の独裁者 > 民主主義

ロシアでは、欧米諸国ほどに民主主義に対する支持が高くない、と聞いたことがあります。実際に今回インターネットでいくつかリソースを探してみたところ、以下の記事に出会いました。著者がロシア人に行ったアンケート結果から導き出された回答のまとめによれば、ロシア人は“imperfect democrats”である、と。個人の自由を重んじるが、民主主義の特質については疑問を持っている。とりわけ国の公的機関について信用していない。政府関係者、行政機関の役人については低い信頼レベルである、と。アンケートせずとも納得です。

民主主義こそが素晴らしい、皆の意見を聞いて多数決の意思を尊重する、という点については、会社のマネジメントを経験している上では諸手を挙げて賛成できず。むしろ誤った方向に向かってしまう危険性を大いにはらんでいます。一般市民のことも深く理解したうえであるべき、正しい決断を下すことができる独裁者。こんな方は滅多にいないでしょうし、これも危険がありますが、これこそが理想なのだろうな、と感じるところです。

https://www.jstor.org/stable/2697274?read-now=1&seq=1#page_scan_tab_contents

ロシア人スタッフの時間管理 / Time management of Russian staff

赤の広場から北方面に約2kmほどの距離に位置するHermitage Gardenにて開かれていたJazz festivalに出かけてきました。雨が降りそうで振らないぎりぎりの天候の中、このように一般市民が集まって楽しんでいました。一人で踊りだす男性もいたり。ソヴィエト時代にはサックスはアメリカ ― 敵 ― の楽器とみなされており、「 От саксофона до ножа – один шаг! (サックスからナイフまではたったの一歩」(サックスを吹いたら明日の命はないぞ)なんていう言葉があったようです。

朝の始業時間にスタッフが仕事の準備ができていない!そもそもオフィスにいない!いや、数分遅刻してやってきた!始業時間はオフィスに入ってくる時間ではなく、仕事をする用意ができている状態のことを言うんだぞ!朝の出社時間の管理については、多くの日系企業が悩んでいる点だと思います。

朝遅刻した場合には、必ずスタッフが通過する受付にて名前を遅刻した理由を書かせるメモを取り入れました。しばらくすると、その運用は受付スタッフの入れ替えと共に自然に終わってしまい、私もそのメモの存在を忘れてしまったのですが、オフィス内のキャビネットを整理していたところそのメモが出てきました。なんだかギャグを読んでいるかのような遅刻理由に思わず褒めてあげたいくらいになりました。

「次に私に遅刻の理由を訊いたらこの会社辞めてやるわ」(こんなメモがあったとは知らず。幸いにも彼女はその後も勤めてくれました。)

「遅刻する理由もないけれど、なぜだか遅刻してしまいました」とか。そのコメントセンスにあっぱれです。

ロシア企業に勤める友人に聞けば、彼らの会社では遅れてきた分は、遅れた分だけその日に働く運用にしている、とのこと。

同じグループ会社でヨーロッパのドイツで勤務する友人によれば、彼らの会社では週40時間の勤務時間の決まりがあり、その時間の裁量内で個人が調整して働いているとのこと。以前に出張ででかけた際、朝の早い時間から女性スタッフが一人で仕事をしていました。聞いてみると朝の7:30から出社しているとのことです。子供を迎えに行く必要もあって早めにオフィスを後にしなければならないために会社とこの勤務シフトで合意しているようです。ここまで個人の自己裁量の範囲が広くなってくると、大切なのは個人個人を信じることと、パフォーマンスの結果を正しく管理できる制度作り。小さな規模の私が働く会社では、まだまだこのような体制には至っていません。

全員が同じ場所で、同じ時間シフトで働くことだけが正しいことではない、大切なのは個人の多様性の尊重と生産性である。これは正しいことと分かっていながらも、この風潮をあるべき姿であると一辺倒に信じることには疑問です。その会社ごとに何が大切なのか、何を今の優先事項とすべきなのか、自らが勤める会社についてより深い理解が必要であろうと自らに言い聞かせているところです。

正直なところ、数分遅刻しようがほとんど問題はありません。多少遅れてこようとも概ね遅刻は数分で収まっている、それの何が悪い? ― よくよく考えればあまり悪いことではないと思います。ただ、組織で働く上でそのような小さなことを守れるか、守れないか。一つ一つの行動がその人自身の仕事や規則に対する態度を表していますし、その行動の積み重ねが周りからの信用を生んでゆくのではないかな、ということはスタッフに伝え続けてゆきたいと考えています。

昨年、「遅刻してくるという事実は、仕事に対するあなたの態度を表していて、そのこと自体が問題である」と部下全員に上期の総評としてメール一斉配信したところ、後から個別に「あれはショックを受けました、みんな謝ってもらいたいと希望しています」と部下からの逆パンチをもらってしまいました。明確な正解にはいまだ至っていないテーマ ― ロシア人スタッフの時間管理 ― です。

ロシア勤務で感じるMBOシステムの欠陥 / The defect of MBO system in my job career in Russia

この週末、街の中心部ではデモ行進があったようで、至るところに警察官が立ちゆく人々の動向を見守っている様子がうかがえました。夜もすでに21時を回っていましたが、このような随分と古めかしいモデルの警察車両が路肩に夜遅くまで止まっていました。管理を担当する身としては、この週末の警察官の動員により、一体どれだけの人件費負担がモスクワ市にかかるのだろう…と思わずにはいられませんでした。(休日の出勤日は通常勤務時の2倍の賃金支払い義務が発生)

今の会社で、ロシア人従業員のMBO(Management by Objectives目標管理)システムを構築しましたが、MBOシステムの根本的な弊害は、KPIが主な評価対象となり、その裏に日々起こるあらゆる日常業務が考慮されていないことだと考えるようになりました。きっと、日本のように人が定着し、ノウハウも蓄積されており、特段の問題もなく日常業務が滞りなく回る体制になっているのであれば、KPIをモニターしてゆけばMBOシステムは目論見通りに回るのでしょう。しかしながら、ロシアの企業で現場を管理してきた経験からすると、常に何かが起こる。スタッフも一定の期間で転職をしてゆき、スタッフの入れ替えが起こる。それが現実です。週次計画を立てても、自分のために時間が取れるのは皆が帰宅した終業後、ということも多々あります。スタッフも日常業務で起こる出来事に想像以上時間と労力を取られることがあります。このような現状を踏まえた時に、評価制度の運用を管理する立場として、KPIのみが部下の評価基準となってしまう、この問題を一層感じています。

世の中にはあらゆるMBOシステムが存在し、コンサルティング会社によって提供されていますが、評価システム自体は、言葉が悪いですが、何だってよいと思います。どんなに素晴らしい内容のMBOシステムを作り上げたところで、運用する人間が正しく運用できないのであれば意味がない。むしろシステムはシンプルであればあるほどよいのではないでしょうか。そして何よりも大切なのはそれを運用する人のMBOシステムに対する理解力です。

私自身は以下のように考えており、これをロシア人スタッフにも定敵に会話するたびに訴えているところです。

自分の人生における芯をもとう

一般的に容易に想像できることは、何千人もの正社員を抱える会社では、全ての社員の評価を適正に確認して相応しい評価をつける、そんなことは無理です。自身の上司が評価をプラス(マイナス)につけても、その上のライン、さらにその上のラインでの相対評価にて評価が下がることもあれば上がることもある。その一つ一つに対して「不公平だ、おかしい、私は過小評価されている」といったフィードバックを細かく指摘して、私は納得しない、と言い張ってもそれがかける労力ほどに良い結果に繋がるのかどうか・・・。個人的な意見では、人間が作り上げた制度、人間が管理するものに完全なものなどなく、したがって評価制度に完全な公平さがあるわけがなく、おかしいと思えることはあって当然です。評価は自分と直属の上司のコントロールが効かないところでどうしても動かざるをえない部分もあり、そんなものに一喜一憂して何になるのでしょう?

ここロシアの現地法人では、規模が小さいがゆえに直接の上司の評価がそのまま直接部下のボーナス・昇進に響く度合が高いことは事実です。部下は「納得できない。この評価はおかしい、私は過少評価されている!」と、一つ一つの評価にとりわけ注目するのは分かります。そのため、慎重に評価を熟考すべきなのは事実です。それであっても、昇進可能なポジションは限られています。どうしても違う部門であっても同じポジションのスタッフ同士で相対評価をする必要がでてきます。ボーナスとして支払える額も限られているために全員に満点をつけるわけにはいかない、というのがマネジメントとしての本音です。過小評価されている、というのは彼・彼女が自分自身を過大評価しすぎていることも否めないと思いますが・・・。

そんな中でも、被評価者に対して伝えたいのは、評価について過度に意識することがないように、自分の人生における価値基準を持とう、ということ。自分の人生における大切なことを持とう。そうすれば世の中に見られる不公平さや理不尽さに対して ― この評価制度についても ― やり場のない怒りを開放するのに役立つのではと考えています。そうは言ってもなかなか理解してくれる人がいないのですが…。ただし、この私のスタンスは自分の価値観が会社や上司の考えと相反することがあるために、局面に応じては注意が必要であろうと。それはある意味目先の評価を犠牲にすることになり、もしかすると将来に評価される可能性がある、ある意味会社の出世を願う人にとっては謝った考え方であるのかもしれません。

上司と定期的に会話をしよう 上司はきちんと部下に1対1ミーティングでフィードバックをしよう(私の経験上、Weeklyベースでのがベスト)

不公平なMBOシステムに少しでも公平さを与えるための努力が常に求められます。目標に関して上司と会話する機会が無く、半年(一年間)ごとの上司との面談で詳しく議論する時間をとるだけとすれば、もはや面談時間は大して意味がないものと言えます。そうなってくると、上司と部下の仕事以外での人間関係や、付き合いの度合いなどが評価に作用される事態も生まれてくるのでしょう。人間なので仕事以外の部下に対する感情が評価に与える影響、これはどうしても生じてしまうはずです。

目標に対する上司の希望、要求と達成状況をきちんと1対1で語り合う場を設けることが非常に重要です。私は毎週部下と定期的にKPIについて語り合う時間を、たとえわずかとしても自分の部下と設けることが大切だと考えています。決して毎週のはじめ、おわりに全員と行う義務はありません、一週間の中で日時をずらしてゆけば自分の負担にもならないと思われます。

ロシア人マネジャーの中には「いつも部下と近くに座って一緒に仕事をしているのだから仕事内容は分かっている。目標の達成状況だってクリアだ。なのでOne-on-one meetingなんて必要ない」という人もいます。しかしながら、目標に対して真剣に議論する場を個別に設けることは非常に重要です。時に厳しいことを言わなければいけないのに、皆のいる場では言えませんし、お互いの意見をぶつけ合うことも必要です。私自身、自分でできる努力を一生懸命にしていたものの上司の反応は芳しくなく。後から上司からは「自分の優先順位とXXXさんの優先順位は違うので・・・」と言われてしまいました。定期的なフィードバックは重要です。

会社以外の大きな枠組みで、もっと広い分野で自分自身を捉えよう

会社で上司のお気に入りで、社内政治をうまくできて評価されているからといって、それが他の世界でも通用するはずはありません。でも一方で、その重要性をよく認識することも大切だと思います。それをあからさまに否定する人もいるのでしょうが、これもやはり人間が運用するシステムであるがゆえに、その側面を理解して行動することも必要ではないかと考えています。

そんな中でも、大切なのは会社という小さなコミュニティの中だけで自分を捉えることなく、汎用的に通用するスキルと経験を持とう。そんな風に定期的にロシア人部下に言い伝えているのです。が、どうしても目の前のこと、自分の所属するコミュニティの中での自らの位置づけに目を奪われる傾向が強いのが人の常なのかもしれません。長年同じ会社で一つの部門を管理しているという自負が強すぎるがゆえに、こんな小さなコミュニティの中だけで自らの位置にこだわってしまう人がいるように感じられます。

給料が低い、と文句を言うのであれば、適正に自身を評価してくれる会社へ転職するのがよいのでは?と思ってしまいますが、日本と比べて転職がいたって普通に行われるロシアであっても、就職活動をすることはエネルギーを要することであり、そう簡単ではないのかな、とも思うことがあります。

最終的には直接の上司が、部下の日常業務で発生する種々の課題に対してどれだけの理解力を持てるか ― どれだけ時間と労力を要しており、どれだけ期のはじめに設定したKPIに影響を及ぼすのか ― この理解がすべてではないでしょうか?KPIはある種、挑戦。一方で日常業務で発生することはルーティン業務。しかし、それ無くしては挑戦もできない。目立たなくても非常に重要なルーティンです。日常業務に時間を割かざるをえないがゆえにKPIの進捗が滞ってしまう。KPIだけを見れば満足できない結果ですが、上司が部下の業務を理解しているのであれば、どうして目標に対する進捗が芳しくないのか、上司は理解してあげるべきです。そして、ふさわしい目標管理の着地点を一緒に見出すべきではないでしょうか。もちろん、部下ができることをしておらずにさぼっていないのであれば、の話です。

ロシアの経理書類(Акт / Счёт-фактура / Товарная накладная)Russian Accounting documents for payment

ロシアでのビジネスは契約書のなんと多いこと。たとえ数千円程度の取引であっても数枚から成る契約書の作成を要求されることがあります。対策としては、契約書に記載している必要な情報を請求書に記載することで契約書作成を省くこと。重要性の基準から考慮して、契約書のサイン権限を社長から部門責任者に委譲することでしょうか。今は可能な範囲で契約書作成を不要とできるように努力中です。

今回は、日常の取引で頻繁に見かける経理書類について書いています。

Акт(アクト)

これは、約束されたサービスや活動が完了したことを証明する書類全般を指していて、アクトにはあらゆる種類が存在します。在庫品の棚卸しが終わったときに作成するアクト、イベントでホテルの部屋を借りたときに作成するアクト、商品を納品したときの納品手続きが完了したことを証明するアクトなど。権限を持った人がアクトにサインをして、両者がそれぞれ原本を保管します。

Счёт-фактура(ショトゥ・ファクトゥーラ)

この書類はVATに関係する税務上必要とされている書類で、税法で要求されている内容が記載された所定のフォーマットで作成されています。VAT対象の取引には必ず付いてくるものです。この書類をもとに私たち商品購入者、サービス受領者は支払い額のVAT相当額をVAT申告から控除することができます。

ただし、簡易課税方式を適用している業者の場合には、このショトゥ・ファクトゥーラが付いてこないので注意が必要です。「あれっ?この商品ってVAT0%対象商品だっけ?なぜショトゥ・ファクトゥーラが無いのだろう?」と思う場合には、この簡易課税方式の可能性が第一に考えられるかもしれません。あるいは単なる書類の紛失なんてことも・・・。

今回参照したLinkでの説明によれば、「ショトゥ・ファクトゥーラは、実際に商品が出荷されたことやサービスが提供されたことを証明する書類である。このショトゥ・ファクトゥーラは、相手方が最終的に商品やサービスを受領した後に発行されます。そのため、この書類には(VATに関するだけではなく)、注文内容やサービスが適切に提供されて完了したことを証明する目的がある書類です。」とのことでした。この書類についてはVATのことだけを考えていたので、この目的を知ることができて勉強になりました。

Товарная накладная(タヴァールナヤ・ナクラドゥナーヤ)

この書類は、物品を購入した場合についてくる書類です。この書類をもって物品の売買が行われたことを正式に証明することになります。日本でいうところの商品受領書や納品書をイメージしていましたが、その意味も包含した、もう少し大きな意味合いを持つ印象を受けました。このフォーマットは「ТОРГ-12」(トルク-ドゥヴェナッツァツィ)というレポート名称があり、仕事をしているとこの名称がオフィス内でよく耳に入ってくることがあります。販売側と購入者のそれぞれがサイン、社印を押す必要があります。

商品を購入する場合、右側の下にサインをするのですが、”Груз принял”(商品を受け取りました)”Груз получил грузополучатель”(商品受領者が物品を受領しました)という二つのサイン箇所があります。一体何が違うのか?背景について正しく理解できていなかったので調べてみると、(参照Link  https://www.audit-it.ru/articles/account/assets/a12/256039.html

ロシア民法509条によれば、商品は購入者 ― 契約書に記載されている人物(つまり会社責任者)― に届けられる。つまり、後者は発注した商品を間違いなく受領しました、ということを証明するものであり、それはこの条項を解釈するに、受領側の会社責任者にサインできる権限があるということです。通常はその商品発注に責任を持つマネジャーなどに権限を委譲し、彼らがサインをしているのが一般的だと思われます。前者(”Груз принял”)に関しては、その商品を直接受け取ったスタッフがサイン可能です。

トップの社長に権限が集中するのは当たり前ですが、ロシアで仕事をするにあたり、この権限委譲の範囲、管理も重要な仕事の一部となっています。徐々に管理しきれず、どの権限が誰に委任されているのかあやふやとなってしまう危険が多いにあります・・・。

憂鬱な月曜日を迎えるにあたってのロシア人と日本人の違い / How to meet Gloomy Monday – the difference between Russian and Japanese

”Работа & зарплата (Job & Salary)” より(1-7 July 2019)

街のスタンドで見つけた仕事広告冊子”Работа & зарплата (Job & Salary)” (Link: http://rabotamedia.ru/)の見開きページにこんな面白い記事がありました。月曜日が憂鬱に感じるのはどこの国でも同じなのかもしれませんね。「仕事に行く気にならない時、あなたはどうしますか?」とのアンケートへの回答結果には日本では想像できない回答結果が。日本で同様のアンケートがされたらどんな結果が出るのか分かりませんが、インターネットで幾つか検索してみてもロシア人の回答にあった、「仕事を休む」という回答は、見つかりませんでした。回答にあたってのそもそものマインドに両国民の間で違いが見られるのは興味深い特徴ではないでしょうか。

月曜日 つらい日

1.仕事日に向けて早めに準備を始めること

金曜日。明日は休日だ、ということで気が緩んでしまい、終えられる仕事を後にしてしまう人が多くいるけれど、これは誤った選択です。月曜日には新しいタスクが現れます、金曜日に終えられることは月曜日に持ち越さないようにしましょう!

2.早めに寝ること、例えば23時までに就寝すれば、翌日はより気持ちよく起床できるでしょう。爽やかな気持ちで起床でき、朝食を楽しみ、ゆとりを持って出発ができます。渋滞や地下鉄のうんざりする人ごみもなんのその、気持ちよくオフィスに到着できます。

3.月曜日の朝を気分を盛り上げてくれることから始めてみませんか。同僚と最近のニュースを話してみたり、お茶やコーヒーを飲みながら5~10分ほど同僚とちょっとした会話を楽しんでから(послетничайте с ними)仕事を始めるのはどうでしょうか。

4.仕事中に何回か短い休息をとること。オフィスを出て外で新鮮な空気を吸うことほどよいことはありません。身の回りを楽観的に、ポジティブに見てみましょう。きっと憂鬱な気持ちも軽くなるでしょう。

8時間?もしくは5時間?

英国のJohn Ashton教授によると、勤務日数は週4日に短縮されるべきである、ということ。それが仕事上の成果と家族生活、ストレスの影響を最小限に抑えるために、近しい人との関係をより良くするためのバランスを保つ上で大切だ、という。仕事のアウトプットが高い人は業務時間のうち、5時間以内に結果を出している、というデータがあるようです。

(参照Link)

https://www.theguardian.com/society/2014/jul/01/uk-four-day-week-combat-stress-top-doctor

アンケート結果 「仕事に行く気にならない時、あなたはどうしますか?」

面白いなぁ、と感じたのは「仕事に行く気が起こらない時、あなたはどうしますか?」との質問に対して、26%もの人が、「仕事に行かない」と答えていること。きっと冗談も交えて回答した人も含まれていると思うので、この数字を正直に信じてはいけないのだと思います。それにしても、13%「オフィスに行かなくてもよい、それらしき理由を考え出して仕事に行かない」、8%「無給休暇あるいは有給休暇を取得する(ロシアの給与計算は複雑です、別の機会に記述予定です)」、5%「誰にも言わず、ただ仕事に行かない」(ひどすぎます)

モスクワで働いていて、ロシア人スタッフからすると私自身も含めて多くの日本人は業務の開始時間にとりわけ厳しいようで、この点でお互いに理解し合うことは難しさを感じます。多少遅れる分には許されるもの、との暗黙の理解があり、遅れる人は数分~10分以内の範囲で遅れてやってきます。すごいのは、それ以上遅れてくることはない、ということ。遅刻はしているのですが、決してひどい遅刻ではないのです。その数分の遅れに対してどれだけ厳しく接するべきか?この点は多くの日系企業マネジメントが格闘しているテーマだと思います。

業務時間に関して、日本的美徳の意識を変える

始業時間になっても共同スペースでスタッフ同士がコーヒーやお茶を飲みながら歓談している様子を今でも見ます。かつての私であれば、この点に目を尖らせていましたが、今では「この時間も大切な仕事時間の一部なんだ」という思いを持つようになりました。よく聞いてみると、彼らもただ世間話をしているだけではなく、イベントの情報交換や、お客さんとの仕事上のハプニングなど、業務に関係あることで盛り上がっているようです。ただデスクにいないから、別の場所で話をしているからさぼっている、そんな風に形だけで判断することがないように気をつけたいと思います。形から入るというのは正しいことでもあり、間違っていることでもあるのかもしれません。

今のモスクワの若い世代も日本の若い世代も考え方が我々とは異なっており、仕事に対して柔軟な考えを持っています。仕事は一日8時間労働の契約、勤務時間が終わればオフィスを出て友人と遊ぶ、家族との時間を楽しむ。そんな当たり前を犠牲にしてきた我々日本人は、私たち日本人の働き方そのもののあり方を考える必要があるのでしょうか。ロシアに来て有りのままに生活しているロシア人スタッフと一緒に働く中で多くのことを学ぶことができています。

さて、先週の金曜日。ロシア人スタッフと週末の過ごし方を会話したところ、ダーチャで過ごすとのこと。その彼女と金曜日の午後から一緒に外出の用事がありました。彼女曰く、「XXXさん、オフィスを出る出発時間が遅すぎる。モスクワの金曜日は大変なんです。みんなダーチャに出かけるから渋滞もすごいの。私もダーチャで過ごすことがとても大切なんです、ダーチャに出かけるのが遅くならないように早めに出ましょう」と急かされました。結局長引いてしまい、ご主人から「まだか?」の電話にも「こっちはまだ忙しいの!仕事が終わっていないのよ!」と一蹴。そんなこともあって外出先では、「もうそろそろ終業時間だし、ダーチャの出発しないといけないのでは・・・?」と気を利かせたのですが、彼女が仕事モードに入ってしまったのが原因で、外出先での用事が終わったのは19時過ぎでした。「いいの、いいの、大丈夫」とのことで、金曜日はなんとも彼女のペースに周りの皆が苦笑しながら振り回されてしまいました。そんな事態を経験できるのもまたロシアでの勤務の楽しさの一つです。

ロシアで働くにあたってのGeneralistとしての価値 / The Value as Generalist in Moscow work life

モスクワの地下鉄Трубная(Line 10)のチケット売り場。”We speak English!”と窓口にありました。先日見つけた地下鉄でのトイレ設置いいモスクワも変わったなぁ・・・と。

モスクワでの勤務経験の数年を経る中で考えるに至ったことは、この世の中に生きる中で、一つのこと(専門性)を突き詰めることー Specialistになることーが果たして正しいことなのか?、ということです。少なくとも自分自身の中では、これまでの経験に基づき自らの将来を勝手に決めつけてしまうことのないようにしたい、と考えるようになりました。初めて経理という学問を知った大学最終学年、常にすべての処理が借方と貸方とでバランスすることの素晴らしさに感動を覚えて、そこから会計を自己学習するようになりました。それからというもの、就職してからも会計に関して時間を割いて勉強し、経理部門で働くことに。その後、会計の資格を目指すようになり、日商簿記、そして次は税理士や会計士?そんな目標を抱きつつも現実の難しさにぶつかり先がまったく見えない中でのモスクワ行き。資格教材を一式持ってモスクワにやって来ましたが、まったく勉強に費やす時間はなく、日々起こる仕事のことで精一杯。赴任して前任者がいなくなってから、いきなりまったく経験もない物流で問題が発生。「今借りている倉庫のキャパシティが足りないため、これから入荷する商品を保管する場所がないんです。何とかしなければいけません。(さあ、何とかしてください)」とまるで新人の素人がどのように事態を取り扱うか様子見とでも言うかのように、自ら動かない物流マネジャーを連れて仮のスペース探しに動き回ったことがありました。人事のことではソビエト時代の生きた化石のようにまったく営業サポートどころか営業活動を否定するような頭の固い経理トップがいたり・・・。そういった日々のバトルを闘い、切り抜けて、切り開き明るい光の差す未来へ・・・そんなことの繰り返し。そんなわけで赴任してからというもの全く経理という業務に携わることができず、世の中の会計の世界の潮流についてゆけずに悶々としていた時期がありました。今では完全にGeneralistになっていますが、結果として、それは自分の望んだ形ではありませんでしたが、その仕事人生を楽しんでいます。

Generalistとして

Generalistとして幅広い分野と携わっていると別の分野を知ることができます。その結果、その経験・知識を他の分野に応用できることがあります。例えば、IT技術はとりわけ他の分野と密接な関係があります。毎日物流スタッフが翌日の商品出荷情報を顧客にメールで連絡する場合。一つ一つのメールを作成してはクリックして送付する・・・その繰り返しのなんと時間のかかること。エクセルから各顧客向けの情報ファイルを作成し、各顧客向けのメールを作成しファイルを添付する。そんなこともITを把握していれば提案が可能となります。

Generalistとして多くの問題と接していると、自分で物事の理由を考える力が付くように感じます。ロシア人経理スタッフを見ていて、何かファイルでトラブルがあるとすぐにITスタッフに電話。「XXX、Excelに何かトラブルがあって進まないから助けて、早く来てね。」と。何でその原因を探ろうと少しでも自分で考えないのだろう?と思います。(残念ながらもうあきらめました。どんなに言っても変わらない人は変わらないので)

「私は営業、あなたは管理」という発言も嫌いです。人はだれもが営業であり管理でもあるというのが持論です。あくまで日頃取り扱う商品や業務内容が異なるだけで、人間誰でも自分自身を売る、という意味では皆営業です。営業だからといって数値管理ができない、最低限の法律知識を知らずにいてもよいわけではない、という点では皆管理です。

好奇心や「なぜ?」という問いかけ

今の世の中、あまりにも世の中の根底が変わってゆく中、自分が信じていたものが覆されてしまうことがあります。自分の強みであったものが将来的にそれほど必要とされなくなってしまう可能性があります。結果的にそんな時がどれほど近くにあるのか、突然にやってくるのか、きっとゆっくりと注意してみていなければいつの間にか気が付かずにその時を迎えてしまうのかもしれません。

最終的には、他のことに関する興味、関心を示す度合。なぜなんだろう?という問いかけ。それがその人の成長につながるのだろうと。逆に考えると、それができる人間が現地企業に少ない…と思うと残念です。

自分のことを勝手に決め付けない

このように書いていて分かるのは、どんなに自分自身の専門性があったとしても、すべては自分のことをこうあるべきだ、自分はこうなんだ、と決めつけることを避けるべきである、という真理です。どんな可能性も自分にあるのだ、ということを意識してゆきたい、そんなことをロシア人スタッフにも伝えてゆこうと努力中です。インターネットの記事を読んでいると、ジェネラリストを擁護する記事も散見されました。

https://hbr.org/2016/06/generalists-get-better-job-offers-than-specialists

つまりそれだけ世の中でGeneralistに対して否定的な見方が強い証拠なのかもしれませんが・・・。

モスクワでの労働市場を見ていると、幅広い分野での業務経験を持っている人材が少ないと同時に、ジェネラリストであることに否定的な印象を感じます。ロシアでのビジネスは欧米や日本とは違った特徴があるとしても、若い世代は欧米の影響を受けていますし、教養のある世代はロシアのあり方について良さ悪さを客観的に見れる人たちではと付き合う中で感じています。そんなことから、ロシアにおいてもそんなマインドも将来的には徐々に緩和されてくるのでは・・・そんな風に思えます。

また、このようなそれぞれの専門性に固執したSpecialistが多く見られるからこそ、多くのことを幅広い観点から客観的に見て適切な状況判断と、各関係者と温和に議論をして着地点を見つけることができる人間の価値が高まっているに違いありません。

そもそもGeneralist、Specialistという区分自体が不要では?

それにしてもGenralist、Specialistという区分も人間が勝手に作り上げた分類であり、ただ結果として見える事象にそれを“Generalist”や“Specialist”という言葉を作り上げただけなんだと思います。ただ単に、あらゆることに興味を持ち、それぞれに入り込んでは時には飽きて他のことに行ってみたり。そんなことから幅広い見識と経験を持っている人をGeneralistと呼ぶ。たまたま一つのことに強い興味を持ち、それにとことん打ち込む結果他の人よりもその分野について深い知識を持つようになった人をSpecialistと呼んでいる。そもそも自分はいずれかの人間だ、なんて考えずに自分の持つ興味・関心事に素直になってみるのが良いのかな、とこの記事を書く中で至った結論です。

ロシアに駐在するにあたってのストレスとの向き合い方 / How to come to face-to-face with the stress in the work life in Russia

このテーマはロシアで働くから、ではなくどこにいてもぶつかることだと思いますが、ロシアで仕事をする上で、心理的な負担が多いがために精神的なストレスは日本で勤務する以上に高いものがあります。それとどのように向き合えるか、これは駐在員としてロシア生活を上手に過ごす上で大切なことであるに違いありません。

人によってストレスとの向き合い方は異なり、人の数だけあるでしょう。仕事のあとの他社日本人駐在員との交流やクラブ活動を楽しんだり、日本から買い込んできた日本食材や日本食レストランでの食事を楽しんだり。

私は時々こういったことがあるのですが、皆さんはどうでしょうか?「(自転車に乗っていて)今日はやたらと行く先々で赤信号にぶつかるな、何か悪いことがあるのだろうか…」「(通りを歩いていて)何だかすれ違う人と違う方向によけて歩こうと思うのに、今日はやたらと何度も同じ方向にお互いが避けてしまってぶつかってしまう。何で今日はこうもこんなにうまくゆかないのだろう…」「(仕事でExcelを操作していて)何でか今日はこうもフリーズばかりしてせっかく作ったファイルが台無しだ…セーブもしていなかったので自分のこの費やした時間、一体だれが返してくれるんだ?!(誰も返してくれるわけがない)」「(ロシア人のグループやカップルとすれ違ったときに彼らが声を立てて笑い出したのに気が付いて)自分のことを笑われているのだろうか…」

こんなちょっとしたことですが、ちょっとしたことから自らネガティブに考え始めてしまう危険があります。こういった時は、私の経験から言えるのは、大概自分自身の気分が落ちているときです。ロシアで日本以上に感じる生活上、業務上のストレスから、この落ちるタイミングが多くなりがちなのが駐在員生活だと思います。

― 雨ばかりの今年のロシアの夏。夏の日差しをもっと楽しみたいのになぜこうも雨ばかり…でも、それだけ太陽のありがたさを感じることができる機会になります。塵ばかりの空気の悪いモスクワの空気が、雨のおかげで新鮮な気がします。緑の匂いが香ってきます。

― 信号待ち。日頃青信号で通り過ぎている時には目に留まらなかった街の風景や構造に目をやる機会となります。少しぼっとしてちょっとしたことを考える時間ともなります。

仕事の効率化を徹底して追及してゆく日々の中で、果たして生活のすべてにおいて効率化が正しいことなのか?ロシアに来てから疑問を抱くようになりましたし、あえて無駄と思える選択肢を取ることも逆に必要なんだ、と悟りました。

日本は多くのことが整備されており、多くのことが予定通りに進むことが重要視されている気がします。一方のロシアはまだまだ混沌としており、日々とても思い通りに事が運ぶことがありません。ソ連崩壊、ルーブル貨幣の大幅な価値下落などの不安定さをベースとして生活しているがゆえに物事が思った通りに進めば素晴らしい、うまくいかなくても当たり前。そんな感覚を持っているのだと思います。だからこそロシア人のマインドはロシアでの駐在生活を上手に過ごす上で学べる点が多くあります。

ロシアでの勤務を経験することで、かつて日本で抱いていた常識の非常識さ、根本的な考え方の変化など、多くのことをロシアから、ロシア人から学びました。今もロシア人スタッフとの交流を通じて、ロシアでの生活を通してロシア人から学んでいる日々です。

ソフトスキルの重要性 ― ロシアも日本も関係なく / The importance of “Softskill” in Russia, Japan everywhere

観光客、バイカー(biker / байкер)が夏には特に集まるモスクワ市街を一望できる丘、 Воробьевы горы (Sparrow hills)にて。展示されているクラシックカーを懐かしそうにおばあさんが眺めてたたずんでいました。

今の時代、ソフトスキルの重要性がとても重要であると感じていて、さらに、この、目に見えない自身の持っているソフトスキルをどれほど簡便に、分かりやすく、見える化して違うバックグラウンドを持つ世界に住む人に表現、説明できるか?これが一層困難だけれども、これまた重要なテーマだと感じています。こうしてブログで書いているテーマ ― 今日で言えば「ソフトスキル」 ―はまったく新鮮味はなく、インターネット上やビジネス書でよく目にすることだと思いますが、仕事の経験を重ねてゆく中で、なんだかストンっと落ちて納得するタイミングがあるのですが、まさにこのソフトスキルの重要性も、他社の方の客観的な話を聴く中で「あっ、そうなんだ、自分が日ごろ感じていることってソフトスキルのことだったのか」と、知識として知っていることと、真に理解して知恵として自分のものになっているか。この違いは天と地の差です。自分自身が経験してきたことをどうやって他人に伝えることができるか、書き物であっても面談を通してでも、同じ共通土台を持っていない人に伝えることの難しさを感じます。人事の採用面談で彼らがどんな人なのか物語るようなエピソードをロシア人候補者に毎回語ってもらいますが、今のところ、これまで納得のいく形で説明をしてくれた候補者には一度も出会ったことがありません。日ごろから意識していないからこそ、いきなり説明を要求されても相手に納得のゆく形で、例えを用いたり、相手のバックグラウンドを考えずに自分の視点で言葉足らずの表現で語ってしまうことに問題があるのでしょう。以前にアメリカで出会った方は「ソフトスキルを見える化するものとしてMBA資格があるんだ」とのことでした。見える化のテクニックとしてそうなのかもしれませんが、それはMBAはあくまでハードスキルであろうと思います。ソフトスキルを鍛えるために専門課程となっているのがハードスキルのMBA?というところでしょうか。やはりこのハードスキル、というのは目に見えるので分かりやすいために、良くも悪くも働いてしまう部分であって危険な匂いを感じてしまうのです。

ソフトスキルの見える化の方法としては、考えてみるとこのブログで自分自身を表現してゆくことも一つの形なのかな、と。どれだけ自分の体験を自身の体験として書くことができて、それを読者が納得できる形に表現してゆけるか、それをどれだけ頷いていただけて、「役立ちましたよ」と言っていただけるか。定期的にサイトを開いて「どれどれ、新しい記事があったら読んでみてやろうか」と思っていただけるか。

また、その人と一緒に勤務した人からの評判、出来る限り正直なコメントを幅広く拾い上げること。そして、仮に素直な前向きのフィードバックが出てこない場合、(多くの人が本人のことを悪く言わないと思われますが)彼らが発言するコメントの発言や文面ではなく、それらに共通して見出される何かをどれだけ汲み取れるか。そこが大切なんだと感じています。

モスクワの職探し・給与事情 / Job searching, Salary in Moscow

今年の5月に地下歩道にて撮影したマクドナルドの人材募集広告。時給200 RUBです。外資系企業を好んで応募してくる理由として比較的聞くことが多いのは「外資系企業は安定しているから。給与がきちんと支払われるから」だとか。ロシア企業では給与がきちんと支払われないこともある、と聞くこともあります。ただし、それは母数自体が絶対的にロシア企業のほうが多く存在するために、そのような企業は必然的にロシア企業の中に存在するからだとも思われます。それにしても200 RUBといえば、本日のレートで換算すると約326円/時間です。ロシア人の若い人たちが働いています。安すぎると思うのは私だけでしょうか…。

モスクワでの給与構造は今もって理解できません。家族・親戚同士での助け合いがなければモスクワで生活してゆくことは難しいのではないかと感じます。昨年、監査対応のために大学生にアーカイブから書類探しのアルバイトを頼んだ際、とにかく非常に安かったことに驚きを覚えたのを覚えています。確か500円/時間も払っていなったはずです。その学生はその金額でまったく問題ない、とのこと。賃金というのは、単なる市場平均だけではなく、会社が持つ無形価値とそれを認める被雇用者側の合意のもとで成り立つものであり、標準化して語ることができないと思いますので、難しいテーマです。ロシア人スタッフはそんなことお構いなしに、「私の給与は低すぎる。適切に評価されていない!」なんて平気で言ってきます。何も言わずに去ってゆくのではなく、このような話を直接言ってくれる人には感謝しないといけない、なんてアドバイスも受けたことがありますが、どうでしょうか・・いなくなっても困らない人間もいますので。 

 モスクワでの職探しは、概ねインターネットが主流です。多くのリクルートエージェント会社が存在し、その中で複数の会社と契約をして採用活動をするのが一般的ではないでしょうか。

以下に挙げるサイトが主流と思われます。私自身も人材採用を担当する中でよく見るウェブサイトはHeadhunterですが、それ以外のサイトも見聞きすることのあるサイトです。

  • Headhunter (hh.ru) – https://hh.ru/
  • Indeed – https://ru.indeed.com/
  • Avito (avito.ru) – https://www.avito.ru/moskva/rabota
  • «Яндекс Работа» – https://rabota.yandex.ru/
  • Rabota.ru - https://www.rabota.ru/

モスクワの平均給与は直近のデータによれば89,045RUB(参照:ロシア統計局の公式サイトより。なお、ロシアの企業は毎月、毎四半期、毎年とそれぞれ定められた統計を提出することが義務付けられてます。今回のようにデータを調査する中で、定期的に提出しているデータがこのように統計データの一部として集計されているのであろうことを理解できました)

実際、モスクワで生活する者としての感覚では、一般的な給与レベルはこれほど高くありません。どこかのウェブサイトでは、【この平均給与には高い給与を得ているマネジメントクラスの金額が含まれており、その高い給与のために平均が上振れしているのであろう」とのコメントがありました。私も同意見です。食料品購入のために日頃出かけるお店の人材募集を見ていると、店頭スタッフは概ね40,000RUBというのが一つの目安なのかな、と勝手に思ってます。オフィススタッフについては50,000 ~ 60,000 RUBではないかと。その中でもIT業界の平均給与の高騰には目をみはるものがあり、200,000RUBを超えることは珍しくありません。他のスタッフとの給与バランスを考えると、小さな会社ではITスタッフにこれだけ払える会社はそう多くないのではないでしょうか。いかにITスタッフにその他の分野でのベネフィットを感じてもらえるか、いかに本人が葉たらやきやすい環境を作ってあげることができるか、そういったお金以外の分野での福利厚生の整備が重要になってきます。この点はまだ会社規模がまだ決して大きくない日系企業にとっても給与バランスの取り方に苦労する場面であろうと想像します。

参照したリンクでは、職探しをしている信仰心の熱い人は、St. Spyridon(Святой Спиридон Тримифунтский)―  仕事での成功に力のある方だそうです ― へ祈ることもアドバイスされていました。ロシア正教会の国らしい情報です。 祈りも大切でしょうが、それに合わせて行動することが重要ですね。

 今回の記事の参考Link

https://hiterbober.ru/work/kak-ustroitsya-i-gde-najti-rabotu.html

http://moscow.gks.ru/wps/wcm/connect/rosstat_ts/moscow/ru/statistics/indicators/?id=149eea00477480468b81fb6923df9336