カティンの森を訪れて人間について考えた… / Thinking of the human beings when visiting Katin forest

カティンの森事件(約22,000人ほど ― 正確な数字は不明 ― のポーランド人捕虜がソヴィエト政府によって殺害され、この場所に埋められた) ― 誰もが学生時代の世界史授業で学んだことがあるはずです。11月3日(日曜日)にモスクワからカティンの森へ日帰りで出かけてきました。まさか学生時代には自らここに行けることになるとは想像もしなかった…。まずモスクワから西へ約400 kmに位置するスモレンスクへ。ベラルーシ国境へはわずか80 kmの距離です。モスクワからここまで電車で快速列車で約4時間。さらにスモレンスク中心から西へ約20kmの位置にメモリアル・カティンがあります。

わずか23RUBの乗り合いタクシーに乗って猛スピードで走りぬけて20分も経たなかったでしょうか、あっという間に終着駅に到着しました。そこは人通りがなければ廃墟といっても信じてしまうような場所…このような場所に人が住んでいるのか…と。乗り合わせたタクシーは目的地の手前までしか行かないルートでしたので、そこから徒歩で30分くらいかけてうっそうと白樺が生い茂った森へ徐々に到着しました。

正面のメインゲートではなく携帯電話で示された裏通りに入り、誰もいない一本道を一人でしばらく歩いてゆきます。天気も悪く、風に揺られた高々とそびえたつ白樺がときどき、ギギギギギ…ともウウウウウとも聞こえるような音を不気味に立てています。ガサガサ、と左手で音が急にし振り向くと犬が。一気に遠くに走ってゆきます。視線を上げるとその先には一人の年配の男性が動きもせずにずっとこちらを向いているのが分かります。犬と散歩中のようでした。なぜこんなところに人が…いや、相手も同じことを考えているだろうか…。そして相手は犬の動きに合わせて再び前を向き、こちらに背を向けて歩き出しました。こういうのは苦手ですね…誰もいない中を二人の人間がお互いの距離感を意識しながら歩調を合わせる。どんなにゆっくり歩こうにも相手のほうが遅いため、その距離が縮まります。もうこれ以上無言ではいられない、静寂の中で何も言わずに素通りはできない。そこで「こんにちは」と声をかけると、最初は無表情ながらも会話が始まり、こちらがなぜこの道を歩いているのかを説明すると、「道を教えてあげるから途中まで一緒に来なさい」と、途中までガイドしていただけることになりました。そして当時の歴史を語ってくれました。ロシアの人にとってはあまり触れたくない負の歴史でしょうか。こちらから何か感想を言うわけでもなくずっとその方のお話を聞いていました。「Это наша история…(これは我々の歴史だからな…)」と感慨深く発言していたのが印象深く残っています。この場所で約80年間に凄惨な事件が起こっていたのか、当時の状況をこの森はずっと見ていたのだろうか…ただただ考えてしまいました。まして毎日のようにモスクワの煌びやかな世界だけを見て生活していると、生きることの根本的な何か…を忘れてしまいます。犬は楽しそうに我々の周りを駆け回っています。男性に話しかけるやいなや、人懐っこく「おいおい、その人の邪魔するんじゃないぞ」というご主人の声をなんのその、こちらにぶつかってきました。なんだかんだと気が付けば49年もここに住んでいる。サンクトペテルブルクから100km北にいった町で生まれ、ここには建設労働者としてやってきてすっかり土地の人になってしまった。静かで空気もよい、この場所が大変気に入っているよ。とのことでした。短い時間の中の会話を楽しんでから、私の目的としていた入り口にたどり着き、そこで握手をしてお別れ。

敷地の中にはわずかな訪問者だけで、時折この場所を一人で貸し切っているのではと錯覚するような時間も何度かありました。そのおかげで静寂の中で一層、「人間って一体…なんなのだろう?」そう考える時間が生まれました。カトリック、正教会、ユダヤ教、イスラム教のエンブレムが並ぶ碑を見て考えてしまう、宗教って一体なんだろう。いずれも同じ神様を崇拝しているはずなのになぜ?疑問は消えません。犠牲となった方の中には正教の祭司と思われる人の写真もありました。神という名のもとでお互いに殺し合い、ただ政治のために善人が犠牲になったのだ、と。ここまで歴史を見ていても、ではなぜこのようなことが起こるのか?人は考えることを止めてしまっている気がします。どのように考えているのか不思議なので、ロシア人に尋ねてみるのですが、自分なりの答えを見つけて、それ以上深く考えないようにしている、そんな気がします。ロシア人を観察していても、神というものが形骸化している。神を信じているとは言っても、その存在の実態を感じない中で、教会に行きあの荘厳な雰囲気に酔っている…。そして、生活も国の経済も一向によくならない。毎日をただ楽しもう、と。

時々、人というのは生きていることのほうがずっとつらいこともある、と感じることも時にあります。病んでいる、というわけではなく、スモレンスクの町中でも苦しそうな顔をしてたどたどしく歩くおばあちゃん、足を引きずりながら歩いているおじいちゃんの顔を見てその思いが強まりました。それでも当時何も知らずにこの場所で殺害された人たちのことを思うと、その無念さは想像を超えるものがあります。今日、この場を歩き、一つ一つの見る場所を訪れ、足を止めて観察する中で、命の大切さについて考えさせられる時間となりました。ロシア人にとっては自国の負の歴史を目のあたりにする場ですが、このような歴史教育がどれだけ大切か考えさせられます。子供を連れて歩いている親子連れや若いカップルの姿。そんな人たちはどんなことを考えてこの場所を跡にしていったのでしょうか…。定期的にこのような場所を訪れることで当時のことを想像し、自分自身の今のあり方を客観的に見つめてみる。そんな時間が貴重です。

相手のことを想っているからこそ素直にフィードバックを。 / Being honest to provide feedback to Russian colleagues because we are taking care of each other

10月はじめに出かけたサンクトペテルブルクで子供たちによるバレー「白鳥の湖」を鑑賞しました。当日たまたま見つけたチケットで、約4,000円ほど。正直なところ、本物とは程遠いレベルでこれだけお金をとるのはどうかと…音楽の演奏レベルも決してよいとは言えないレベル…。途中で席をたちました。ほとんど中国人観光客で占められた客席。演奏前の「携帯電話での撮影禁止」アナウンスもしっかりロシア語、英語だけではなく、中国語で流されていました。といってもごらんのとおり、客席には私のこの写真も含めてビデオ撮影している人も何人も見られます。この禁止ルールは根本から考えて変えたほうがよいのではないか、と思ってしまいます。撮影を禁止するのではなく、逆に撮影をしてもらって世の中に広めてもらうことに利用すること、撮影してはいけない理由が何か他にあるのであればそれを説明し、その対策を取った人には撮影許可する(たとえばライトが邪魔になるのであれば、ライトが絶対につかないように設定を確認させ、それから開演するなど)、といった方法のほうが賢いのでは…と後ろから携帯ユーザーと、それをライトで注意する会場スタッフのバトルを見ながら考えてしまいました。みんな撮影したいです。

相手のことを想っているからこそ、素直に相手に直接フィードバックをする。当たり前のことがなかなか難しくてできない。それは世界共通のことかもしれません。

ロシア人スタッフとの定期的なミーティング ― 1週間に1度の定期的な頻度を保つようにしています ― を行っていると、話の内容がとある特定の人間であったり、とある課全体についての不平不満が聞かれることが幾度とあります。

「試用期間中の —(特定の人物)はひどい。みんな彼女のことをよく思っていません。採用活動を続けてもっとよい 別の人を採用するべきです。XXXさん(わたし)は表面的に彼女のよいところしか見ていないから、もっと周りのの意見を聞いて採用する、しないを判断したほうがよいです。 」

「— 課のみんなはひどい。ディーラーとのコミュニケーションのやり方も分かっていないし、私が手取り足取り教えてあげないといけない。あそこのマネジャーは一体どうしているのかしら。」

そのような感想を率直に伝えてくれることはとてもうれしいことです。わたしにそれを話しても大丈夫、と思ってくれているだろうから…一方で、それを伝えられたわたしは、逆に試されているのかもしれません。わたしに伝えてくれたスタッフはわたしにとって大切な戦力です。その人の信頼を失わないためにもその意見に従うべきなのか。いや、ぶれずにわたし自身の考えを貫くのか。

もちろん後者を選択しますが、その場合でもこのコメントを伝えてくれた本人に対して、相手の感想に感謝を示しつつ、それでもわたしがどう考えているのかを丁寧に説明することの大切さ。それは私自身の課題であって、以前は過度に感情的になってしまって気まずい空気を作り出してしまったこともありますが、どれだけ感情を抑えて、相手の意見を汲み取りながら自分の意見を伝えてゆくこと ― これは決してマニュアル化できないもので、経験を通して、そのケースごとに、その相手ごとに自分の言動を変えてゆけるスキルを培ってゆくことでしか得られないものと考えてます ― そんなことを反省しながら身に着けてゆく終わり無き途上にいます。

さて、そんな感想を言ってくれる人に伝えていることは ― 先週は同じ日に立て続けにこのような面談が連なったもので、素直に相手に私の思いを吐露しました ―

「なぜ、私に言って自分から本人に言わないの?相手のことを想っているのであれば、言葉を選んで率直に伝えることが本当に大切なことなんじゃないの?それが愛でしょう?」ということです。

必ず相手にとって大切と思えることがあれば、必ず私の思いを本人に言葉を選んで伝えること。これをいつまでも守り行ってゆこうと決めています。相手のことを想っているのだから相手にそれを言わずにいたら、それは私の責任に跳ね返ってくる。そのロシア人スタッフがひどい言動を改めずに他社に転職してゆく、その転職後の会社で引き続き相応しくない言動を改めないならば、「一体前の会社ではどんな教育をしていたのか…なんて会社だ…」と言われてしまうかもしれません。(言動を改めるのは本人次第なのでわたしにそれを強制する力はなく、あくまで指摘し続けることしかできませんが、それが自分にできることの最大限なのかな、と考えています。それでも変わらないことについて悩み苦しんだこともありましたが、それは自分を苦しめるだけで意味を成さない。それを実体験で噛み締めました)

伝え方には悩みます。どんな言葉を選んだらよいのだろうか、もしこういってこんな反応が返ってきたどうやって切り換えそうか。自分の想定している言葉が相手の人格否定となってしまうことはないだろうか…帰りの家路では「今にもメールで伝えてしまいたい」という苦々しい思いもありつつ、いや、そんなことしたら過去の二の舞だ。今日は我慢して、明日に直接伝えよう。こんな風に伝えたら本人に響くだろうか、など考えたりしながら。(考えていてもほとんどのケースで自分の予想していたように進むことはなく、その場での切り返し方を実際にその場で学んでゆくことが最善の勉強題材でしょう)

あとは、自らも周りからフィードバックを自然と得られる関係と雰囲気作りを心がけること。相手が何もいわなくとも顔の表情、振る舞いや空気から自らの至らない点を感じ取ろうと努めること。それも大切なことなのではないだろうか、と考えています。日本の文化で育ってきたわたしたちは、これはロシア人と比べて容易にしやすいのではないでしょうか。答えのない人事マネジメント。このやり方がよいのだ、と思ったことが、違うケースではひっくりかえされる。再び違う方法を模索する。この繰り返し。難しくもあり嫌になることもありますが、とてつもなく深い分野でいつも考えに耽ってしまいます。しまいには人間って一体どんな生き物なのだろう…と。

さて、私の気持ちを吐露した二人のロシア人スタッフからは「う~ん…」という納得とも拒否とも言えない反応が返ってきたのみで明確な答えは聞けませんでした。何か考えるきっかけになればよいなぁ、そしてロシア人スタッフ同士の中でお互いに、相手のことを想った温かみのある日常的なフィードバックをする文化が根付くこと、それを願っています。

ロシアで自分自身を客観的に観察し続けることの大切さ / The importance of continuing to observe yourself objectively in Russia

昨日、ついに本格的な冬が雪と共に始まりました。道行く人は、帽子、手袋を着用してすっかりみんな冬の装いになっています。厚手のコートに切り替えが必要です。通りにしばらく動かずに立っていると体の芯が冷え込んで震えてしまいます。

ロシアで駐在員として勤務する上で重要な点の一つに、自分自身をいつも客観的に観察し続けること。これが挙げられるのではないだろうか…と感じています。

ロシアに進出している日系企業は規模も小さく、各社で働く私たち日本人の人数も限られます。そして、日本人は大概重要なポジションを担っています。となると、どうしても部下のロシア人スタッフからの、私たちの相応しくない言動について直接指摘を受けるケースが少なくなります。私の経験上 — ロシアに限らずどの国でもそうだと思いますが — 私たちに対する評価は、彼らだけ食事や飲みに出かけている場所で、職場の中でも日本人がいないところで日々なされているわけです。わずか数人の、同じ本社から派遣されてきた日本人。その下に多くのロシア人の部下。日本人同士で指摘しない限り、なおさら自分の行動の正すべき点について注意をしてくれる人が限りなくゼロに近づきます。会社の中では自分の決定が多くの場合通ってしまう(その分責任も発生しますが)。部下もそれに従う。よく考えれば恐ろしいことです。日本にいる時には、上の人から(正しい、正しくないは別としても)何らかの指摘を受けていたのに今はそれがほとんどない。同僚が周りに多くいて何となく比較できる対象がいたのに今はそれがない。間違ってしまうと、「周りは自分の言うことを聞いていればよい、自分の意見が正しいのだ。」となってしまう可能性もあるのではないでしょうか。

社内のロシア人スタッフにしても、どうしても自分自身が仕事のノウハウを共有し、ロシア人スタッフもそれを受け入れる場面が多くなり、ロシア人スタッフと自分自身を単純に比較することは難しく感じます。(もちろん、ロシア人スタッフには、仕事だけではないとても優れた要素が備わっています。カラオケが上手、ダンスがうまい、会社のイベントでは常に率先して盛り上げてくれる。お菓子を作らせたら最高。お客さん向けのレストランの候補地をお願いしたら期待以上にアレンジしてくれる。そういった仕事以外での彼らのすばらしさには脱帽します。ただただその才能を羨ましく感じます。)

また、こちらから真摯に意見を聞きにいかない限り、相手も素直に気持ちを打ち明けてくれません。(それを打ち明けられてグサグサッっと感じることもあるのですが…。)他社の日本人と交流して自らを客観視することも可能ですが、他社の方々とのお付き合いはどうしても業務以外になってしまうのでお互いに相手の仕事について深くは理解はできない。そもそも日本人コミュニティの数も限られています。取引先のロシア企業には確実に比較対象となる方々いますが、それでも定期的に、かつ仕事に関してどっぷりと彼らの仕事ぶりを観察できるチャンスもないわけで、やっぱりできることは限られます。

やはり、自分自身で自らの言動を客観的に観察し、評価し続ける姿勢がとても重要であろうと信じています。

自らの行動、考え方があるべき原則からずれていないだろうか?長いことロシアで勤務するうちにロシアのやり方に傾倒して、日本のスタンダードを小馬鹿にしてしまっていないだろうか?自分は自分。これでいいのだ、と変に開き直ってしまっていないだろうか?自分自身に対するロシア人スタッフの評価を何とか得ようという努力を続けているだろうか?(たとえ本人が口にしてくれなくても、彼らの振る舞いから理解しようと努力しているだろうか?)

そういった自問自答を日々繰り返すことが欠かせないのだろう、と。

日本にいれば意識せずとも、自分自身がとてもかなわないレベルの方々が目に入ってくる。それがロシアにいると途絶えてしまう。そんなロシアの環境で、自分の能力を勘違いせず、どれだけ自分自身のレベルが広い世間と比べた時にまだまだなのか、を知ること。そうしていると、自然と日頃から謙虚でいられるのではないだろうか…それをロシア人スタッフにも訴えながら自分に言い聞かせているところです。

全てを自分で把握することと、全てが自らの意向どおりに進むことが異なることについて / Understanding everything by myself and everything goes according to my own intention are different

”Мужчна в кризисе 危機に面している男性” — 一体どんな内容なのでしょうか…街の中心部にある公共図書館にて。このテーマで講演が開かれているようで、ほとんどが女性によって占められていました。ロシアの図書館は平日は22時の遅くまで開いているところもあるようです。ほとんど利用はしていないのですが本に囲まれた生活にはいつも憧れます。どんなに電子書籍が広まったとしても、紙の良さには絶対にかないません。自分のお気に入りの本は紙のものをいつまでも手元に置いておきたいものです。

駐在員として現場で責任感を持って仕事をしていると、規模も決して大きくない会社であればなおさら、全て自分の思ったとおりになっていないと嫌になること ― よくあります。全てを自分で把握しておくことはもちろんですが、 それと全てが自分の意向通りのやり方で進むことは別物。この違いを受け入れることができることが、自分にとってもロシア人スタッフにとっても大切な一歩であると考えています。それは、自分の至らなさと良さをよく把握すること。シンプルな人間でいること。何でも自分で物事を管理しておこうとしないこと、みんなでお互いの良さを生かしてゴールをめざしたらいいじゃないか、そんなことではないかと思ってます。

仕事には目指すゴールがあります。しかし、そこにたどり着くためのアプローチは人それぞれ。ファイルの保存方法、仕事の進捗管理をExcelでやるのか紙の手帳で行うのか、資料の雑さの許容レベル、進捗管理の打ち合わせは今週の進捗結果の総括ができる金曜日がよいのか、いや週の初めの月曜日がよいのか…例を挙げるときりがありません。

それらの一つ一つの多くについて自分のやり方を周りに強要するべきか?(なぜなら、最終的な仕事の結果責任は自分に返ってくるので、自分のやり方を周りに強要し、彼らがついてくることが最善だから。)…いや、

多少細かいことは気にせずに、各自の裁量の限度を多く持たせてあげてその中で自由に行動できるようにしてあげるべきか?(なぜなら、いくら自分が最終的な責任者だからといっても、一つ一つの積み重ねは部下の協力無しでは成り立たないものであり、そうであれば彼らに気持ちよく働いてもらったほうがよいから。)

後者のほうが聞こえがよいように捉えられますが、部下の中には、裁量を与えるとどうしてよいのか分からなくなってしまう人間も出てくることを学んでいます。そういった人は上からきちんと指示とやり方を与えられて、それに従って仕事を進めることを好みます。人はある程度の自由を与えることがよいのだ、と信じていましたが、それができない人には自由そのものが苦痛となってしまう。残念ながら自らで物事を考えて、組み立てて仕事を進めることができないとしても、マニュアルに沿った処理能力は他人と比較して高いのかもしれない。仮にそのような業務がAIに取って代わってしまう可能性をはらんではいても、今その能力が必要であれば、その人に合った仕方で仕事を振ること。

多くの業務をこなしてゆく、仮に嫌としても、こなしていかざるをえない中で、自分の得意・不得意が見えてきます。自らの不得意な部分で誰か他の人が明らかに上を行っている様子が目に入ってきて内心落ち着きません。「いや、自分はもっとできるはず。こんなんじゃない。負けてなるものか」なんてプライドが邪魔してきます。その一方で、自分が思ってもいないことでも周りから見れば得意なことであったり。彼らは彼らで内心同じような気持ちを抱いているのかも。自分のできないこと、結果が期待できないことを素直に認めて(それも早めに)、相手に打ち明ける。助けてもらう。いつまでもそんな謙虚で、シンプルな人間でいたいものです。”多様性”とは、 ― それはよく言われる女性の活用、性的嗜好の異なる人たち、異なる文化背景、考えをを持つ人たちの活用だけにとどまらず ― 仕事のスキルの得意、不得意を組み合わせてゆくことで共にゴールを目指すこと、そんな多様性について意識することが、ロシア人スタッフと働く中で多くなりました。私自身、素直に自分の不得意な部分=弱い部分を嫌と言うほど意識させられています。しかも、それは私が責任を持って管理しなければならないにも関わらずうまくゆかない。悔しい気持ちがないといえば嘘になりますが、他の同僚や部下にお願いして助けてもらうしか術がありません。

お互いに「ごめん、これは苦手なんだ、なんとかしてもらえないかな…。」そんな人間性のある上司でいれば、部下も「私もこれできないんです…でも、あれはできます。」― きっと少しは気を楽にして気持ちを打ち明けやすくなるものです。そして、お互いに頼られると思って仕事を進めてゆけば、お互いに人間として、仕事のスキルもきっと伸びるはず。それをこれまで実際に現場で見ています。

さて、なかなか時間を割いて業務を事細かに教えることができないとしても、ロシア人部下も成長しています。たとえば自分の作成した資料をどんどん共有してゆくこと。ビジネスメールの書き方を勉強して、それを実践してゆくこと。いつの間にか、ふとした時に、「あれ?彼女これまでこんなファイル作成したことないのにすごいな…いや、これは以前に自分が作成したファイルだったっけか。」なんて場面に出くわすことがあります。「あれ?彼女のメールの書き方変わったな、シンプルで分かりやすくなったよ。(きっと自分のスタイルを多少意識してくれたのかもしれない…自己満足でなければよいのですが)」

時間がかかったとしても、少しずつ間接的に自分自身の勉強した結果を仕事で実践してゆくことでそれがスタッフの間に広まり、それが素材となってスタッフの意識に何かのきっかけを与えられること。そんな日々の積み重ね。 今はすぐに目につかなくても、スタッフの中には何かを感じ取って、学んでくれている人が少なからずいることを信じてゆきたいものです。 それだけ自らも日々勉強し、部下から喜んで学ぼうとするシンプルさが大切なんですね。

ロンドンとモスクワを見て感じた両者の違い / The difference from Moscow that I felt in London while having a walk in London

老人と老犬 ― 火曜日の朝、Hyde parkにて。 どちらが主人なのか分からないほど老犬の堂々たるくつろぎぶりが微笑ましい光景でした。

イギリスのロンドンで数日過ごしてきました。到着した土曜日、ホテルのテレビをつけると、まさに議会はBrexitの議論の真っ最中。週末に議会が開かれたのは1982年のフォークランド紛争以来だそうです。EU離脱の採決を延ばす、いや延ばさないの議論が繰り広げられている様子が。イギリスで議会制度がイギリスで生まれ、そしてイギリスで崩壊するのでは。混沌してゆく世の中。人(国・議会)が人々(一般大衆)を導いてゆくことの難しさを感じざるをえません。

さて、ロンドンの街は多くの観光客のリラックスした、楽しそうな様子もあって、そんなBrexitの混沌はなんのその。大いに盛り上がっていました。街を歩いていて感じたモスクワとの違いを書いてみました。

直感的に分かりやすい標識

飛行機で到着してからパスポートコントロールまで歩く途上にて。今自分の歩いている場所がどの段階にいるのかを直感的に示してくれています。それにしても、飛行機を降りて狭いタラップを歩いてゆくと渋滞。なんだろうと思うと、空港警察が4人ほど立ちはだかり、乗客一人ひとりのパスポートチェックしていました。以前にはこんなことは無かったので驚きました。

ロンドンに来て毎回感じるのは、直感的に分かりやすい標識の表示方法。パッと見てパッとどこにゆけばよいのかが分かりやすくなっている点。その色使い。これらの要素を自分の作成する仕事のプレゼンテーションにも参考となっています。どのようなコンセプトが背景にあるのか分かりませんが、よく考えられているなぁ、と素直に尊敬しています。街中の広告にしても、このような空港の標識にしてもおそらく多くのお金がコンサルティング会社やデザイナーに支払われているはず。その仕事の結果をこうして無料で見ることができるのですから、くまなく観察してその色使いやデザインのコツを真似るべき。なんとお得な題材が街中に広がっているでしょう、素晴らしい。

街中の公園の構造

私はモスクワの公園が大好きです。モスクワ自体が大きいこともあるのでしょうが、首都モスクワの中には大きな公園が点在しており、街中に自然を感じます。ロンドンは日本の東京に近いでしょうか、大都市の一角に大きな公園が寄せられて存在している、そんな印象です。

そして、このHyde parkでは人間中心に考えられて整備されたまっすぐな道、人が自然をコントロールしている。木々の配置もなんだか人工的なものを感じています。一方のモスクワでは白樺などが豊かに広がる森の中をくねくねと曲がって続く散歩コース。どちらかというと、自然のありのままを生かしつつ、人のための道を後から整備している、そんな気がしています。

公園の鳥たち。さすがにこれはモスクワにはありません。こんな光景を見ていると、日ごろのストレス、嫌な気持ちも随分と和らぎますね。Hyde parkではリスをよくみかけますが、リスはモスクワの公園にも住んでいますよ。

写真に写っていませんが、池の周りを掃除するゆっくりと移動する車に追い立てられるように鳥たちが一斉移動しているところです。

歩行者向けに注意を促す道路の表示

初めて見たとき、このアイディアには惚れました。歩行者信号が青になったからといって、左右を見ずに一歩を踏み出すことはモスクワでは絶対にやってはいけません。決して高い頻度ではありませんが、すごい勢いで車が突っ込んでゆくこともあります。赤信号でも信号待ちが嫌なのか強引に信号無視している車も見かけることも。中国やインドネシアと比べればマナーは良いほうだ、という話を聞きますが、モスクワでは、いずれにせよ歩行者信号が青になった場合にはきちんと車が来ていないことを確認した上で一歩を踏み出しましょう。

工事現場の標識

こんな案内あったら思わず立ち止まってしまいます。工事現場を魅力的に、安心に見せるためにとても素敵なアイディアではないでしょうか。サイトを訪れてみると、子供たちに工事現場の危険や、建築の面白さを伝えようとしている、そんなサイトのようです。この工事現場では花の鉢植えも飾っていて、殺風景になりがちな工事現場に彩を添えていました。こんなちょっとした一ひねりを加えることで印象も変わるもの。勉強になりました。

Ivor Goodsite

地下鉄の駅と観光名所を示した地図

こんな地図はモスクワの地下鉄にはありません。率直に言って、決して分かりやすいとは思いませんが、こんな地図を掲示しているアイディアは素晴らしいですね。

施設の防災に関するレベルの高さ

2018年3月25日にシベリアに位置する都市ケメロヴォのショッピングセンターで発生した火災で64 名の死亡者を出し、そのうち41人が幼い子供たちであった事件。これ以降、ロシア各地で防災設備の監査が入り、ショッピングセンター、ビジネスセンターを始めとした設備の防災対策強化が高まっています。

https://www.bbc.com/news/world-europe-43552165

非常口ドアには内側からレバーを押し下げると容易に開くことができるタイプを設置することや、オフィスのドアは必ず内側から外側に開くタイプにすること(火災時には内側から多くの人が外に逃げるため、内側に開くタイプはその動きに反するため。押して広げられるようにしておくこと)、非常口へ通じる通路には不要なものを置かずに一定の間隔を確保しておくこと。ガラスなどは一定の時間、防火性のある材質を用いるべきことなど・・・各社は対策を求められています。

ロンドンに来ると、至るところでこのような写真のマークを扉の上に目にします。イギリスでは防火対策のルール徹底がどれほどなのか、私には分かりませんが管理部門を担う私としては大変興味があるところです。モスクワでもショッピングモールなどに出かけて避難経路図を見つけると、立ち止まって自社の地図と比べてみたり。そんな違ったショッピングモールの歩き方もお勧めです。

本や新聞を読んでいる乗客の数

モスクワの地下鉄に乗っていると、本を開いている人をほとんど見かけません。単に数が多くてなかなか目に付かないだけかもしれませんが・・・。大概携帯電話を操作している人が主です。読書と言えば携帯電話で電子書籍を呼んでいる人が多いのかもしれません。ロンドンでは新聞や本を読んでいる人々をよく見かけました。携帯電話が普及しているとはいえども、本を開いて読むことは目に優しい気がします。なお、これも思い込みかもしれませんが、最近出かけたサンクトペテルブルクでも街中や地下鉄で本を開いている人をモスクワ以上に見かけることが多かった印象です。

顧客満足度の情報提供

これはモスクワの空港でも頑張っています。顧客サービスの向上を目指しているのはどこでも同じですね。ロンドンの空港では顧客満足度情報のグラフがディスプレイに表示されていました。

サンクトブルクでのSynergy Global Forum 2019を振り返って / Looking back on

会場に向かう、金曜日の朝のサンクトペテルブルクの地下鉄にて。朝からベンチでうなだれるように眠っている男性。一体どんな人生を過ごしてきて、そしていまこのベンチに座っているのだろう…半年働いてもらえるほどの金額、1枚の500,000RUBのビジネスフォーラムチケットを購入する人もいれば、日々の生活がやっとの人もいる世の中…そんなことを考えてました。

サンクトペテルブルクで10月4日(金)、5日(土)に開催されたSynerge Global Forum 2019。そこで感じたことを振り返って —

日頃から感じることに、ロシア人の多くはノートを取らないなぁ、と。会場ではじっくりと聞いている人が多い印象。あとは携帯でビデオをとっている人。日本の場合だと、ノートを取る人がもっと多いのではないだろうか。ノートを取っても取らなくても、大切なのは話の要点を頭に叩き込むこと。とあるロシア人に言わせると、「ノートを取っていると、書きとっている間に今話されている内容を聞き逃してしまうのが嫌だからとらない」のだとか。私自身を振り返ると、ノートになんでもメモを取ろうと一生懸命であった新入社員の時代。ベテランの女性社員に「ねぇねぇ、そんなにメモを取ってほんとに後で見返すの?」といわれてドキリ。メモを取るべし、とのハウツー本のアドバイスに従っていただけだったが、その本来の目的を見失っていたことがありました。メモを取るのはポイントのみでよし。すべての話される内容が重要なわけではなく、要所を押さえて聞き取り、後で時間がたっても思い起こせるようにメモを取っておく。振り返ることは前提として、要点メモは大切ですね。

セミナーなどで世界的に著名な方のお話を聞くのは、今回が初めてでとても貴重な体験でした。ロシアという場でどんな人たちが参加して、どんな様子で耳を傾けているのだろう、とても関心があり、実際に見て感じることができたことは素晴らしい経験となっています。それと同時に感じたのは、何度も出かけるものでもないんだな、と。高いお金を支払い、立派なお話を聞いて…その日は何だか賢くなったような錯覚に陥るのです。が、話の内容は決して目新しいものではなく、誰でも知っている内容が説かれているだけ。でも、なぜこのようなセミナーが世界各国で繰り返されているのかといえば、誰もが分かっていても、それを実際に行動に動かすことがどれだけ難しいことか…。だからこそ、このようなセミナーの需要が常にあるのだろうことが想像できます。私もそうです。どれだけ行動することが難しいことか実感しています、それも歳を取るほどに守りに入ってしまう…。

このようなセミナーに参加することの意義?それは、本屋に出かけて本をパラパラとめくることにもつながりますが (ハウツー本はもう自分自身のために買うことはないだろうなぁと。どれだけ大量の本を購入して、架空の自分の成長を妄想してきたことか…そしてお金の浪費…) 、”今の自分の方向性の正しさを確認することだろう”と。

話を聞くこと、本に書いてある内容をめくりながら確認してうん、そうそう、そうだよな、よし、自分の方向は間違っていないな。あれ、これは考えたほうがいいなぁ、今やっていることを継続することが目的化してしまっていて、本当の目的はなんだっけ…?など、熟考する機会に。

そして、もう一つの目的は、こんな風に大勢の同じような志を持っている人が世の中にいるんだ、自分自身も努力してゆこう、そんな気持ちにさせてくれるのが今回のセミナーでした。新入社員の1年目。メンターを務めてくれた年齢が倍ほどの方の言葉を覚えています。「正直、努力してもそれが本当に実るのか分からない。けれども、風が吹いたときに自分の行きたい方向に進むためには、船の帆を挙げておかなければならない。その帆を上げる準備ができているのか?それは日頃からの準備(努力)が大切なんだ」と。(我々は機械ではないので、日頃ぶつかる問題とも向き合いつつ、無理しすぎることなく自分なりに努力してゆきたいものです)

Управление изменениями by Ichak Adizes in Synergy Global Forum 2019

地下鉄の駅を降りてから会場まで広がる大きな公園の中にある一本道にて。自己啓発に気合の入った?女性たちが足早に会場のゲートに向かって歩いている姿の一コマ。

Ichak Adizes氏の話は、一度聞いただけでは理解が難しい。英語で、かつ難しい英単語と話の組み立て方の複雑さゆえになおさら理解が難しかった。そして深い。インターネットで検索していた見つかったこの本の内容がおそらく今回聞いた講演の内容のようです。

https://www.adizes.com/wp-content/uploads/masteringchange_freechapter.pdf

Decision is not enough. Implementation is important! Make good decision and implement rightly, good luck, it is very difficult. 決断するだけでは不十分。実行しないと!みんな、Good luck、難しいですよ。

これを聞いた最初の印象はといえば、「なぜこんな当たり前のことをいうためだけにロシアにきて、きっと大きな報酬を受け取って・・・なんて不公平な世の中なんだ・・・」

The best decision becomes not not perfect. Because change, even god made mistake. flood after 40 days, rainbow. God regretted. どんなに今ベストの決定を下したからといって、それは完璧ではない。なぜなら”チェンジ”するからだ。ノアの方舟の話では、40日間の洪水のあとに虹が出た。神様だって後悔した。神だって完璧ではないんだ。

1st secret of managing is humility. Don’t try to be god, don’t accuse myself for mistake. マネジメントの秘訣のひとつは謙虚さ。神のようになろうとしてはいけない。

You need complementarity. 相補性が必要。 ― 日本語でも難しい言葉。お互いに支えあえる関係を相手と築きあげるように、ということか。

to make good decision, you need who disagrees a bit who you respect. よい決断をするためには、少しだけあなたと意見を異にする、あなたが敬意を払っている人が必要です。

Respect means to recognize that people is different 尊敬するというのは、人はそれぞれ異なるということを認識すること。

Be different.

What finger is important ? First finger (親指)– the most important finger. (なぜ親指が最も大切なのかの理由を聞き取れなかったのですが、親指がなければモノを挟むことができないから、他の指と唯一対になれるのが親指だから、ということだったと理解しています) this is the future. Women is the beginning of new civilization in the future. (会場の女性たちから拍手喝采)女性が親指の役割を担っているんだ、という応援の言葉なのかもしれません。

Change is accelerating, Problem is accelerating.

Why problem is changing? – because it is system, world, country, company, system is everywhere. System is composed of subsystems. Everything has sub sub sub sub………subsystem doesn’t have change.

All problem comes from disintegration. You cannot stop change. Integration causes problem and solution is integration. 融合が問題を起こす、そして解決策もまた融合。

Now we are in brain world, information, analytic, the power is brain, but now already next is coming, AI starts replaces. what is the future ?– Heart.(心臓を指して)。今の時代は脳の時代。体の大きさ、強さを競う筋肉の時代ではない。情報、分析すべてここ(頭を指して)。それでも、すでに次が来ている。それはAI。AIが脳にとって変わろうとしている。それでは未来はどうなのか?ここ、ハートです。(会場から拍手喝采)

Money is side effect. Love gives energy. The loving company lives more longer.

Listen to your wife. 奥さんの言うことをよく聞きなさい。

A lot of women try to be like men – Don’t. 多くの女性が男性のようになろうとしているけれど・・・やめておきなさい。(会場の男性たちから拍手が沸きおこる)

Complimentary team, mutual respect. How to make successfully implementation – difference, common interest お互いに補完し合えるチーム。お互いに尊敬し合える関係を。どのように上手に実行できるか ― それぞれが異なっていること、ただしお互いに共通の関心を持っていること。

Don’t expect utopia, There is conflict of interest, all the time. Because of change. conflict happens all the time. ユートピアを期待してはいかん。衝突はいつでも起こるもの。変化しているのだから。

In Turkey “Take and Give”  not give and take, Give and Trust. トルコではTake & Giveという言葉があるらしいが、それじゃあ駄目。Give & Trustだ。と。

Trust and respect – Secret of success. 信頼と敬意 ― 成功の秘訣

You find “(own) success” – how you define success? I don’t care. .

If you cannot respect, you waste your energy.

integrated > free energy > to fight together the world

Summary: Culture of trusting and respecting = Love. If the person has love, this person survive in this world. Change is accelerating.

参考URL https://adizes.com/

Старые методы не работают: путь в сверхлидерства by Marshall Goldsmith in Synergy Global Forum 2019

会場内の別の場所でも、このように異なる話し手によるセミナーが定期的に開かれており多くの観衆が詰め寄せていました。

今回のSaint Petersburgで開かれたSynergy Global Forum 2019での話を聞いていて、内容は大きく2つの形式に分かれるな、と感じました。

1つは、自分自身がどのようにビジネスで成功してきたか、その実際的な方法を具体的に話すことでこれが大半でした。2つめは、具体的ではないのだけれど、全ての物事に共通する人としての成長に必要となる本質的な原則について語るもの。より哲学的なものというのでしょうか。Marshall Goldsmith (Маршалл Голдсмит)氏の話は後者でした。

今回聞いたマーシャル・ゴールドスミス氏のお話は インターネット上で検索すると繰り返されており、ここで再びすべての詳細を書く必要はなさそうです。自らに言い聞かせるために幾つか残しておきます。

講演の主題:Старые методы не работают: путь в сверхлидерства / Old schemes don’t work: The way to Super Leadership.

“Help more, Judge less.”(自分の部下に対して)

“My suggestion becomes the order” (理解できなかったのですが、大手薬品会社のCEOがおっしゃっていた言葉だ、と。私自身、部下に対して、「あくまで自分で感じることだけれど、・・・としたらいいんじゃないのかな。でも、決して今の内容を変えなくてもいいよ。」ということがあります。私としては相手に無理に強いるつもりはないとしても、部下からすれば私の意見を聞かなければと考えて、結果的に私が指示を与えることになってしまう、それが事実だと。)

”毎日自分に問いかける6つの質問。すべては「自分がベストを尽くしたか?」という問いで始まるもの(娘のKelly氏が与えてくれた質問)、

1. Did I do my best to increase my happiness?
2. Did I do my best to find meaning?
3. Did I do my best to be engaged?
4. Did I do my best to build positive relationships?
5. Did I do my best to set clear goals?
6. Did I do my best to make progress toward goal achievement? “

”想像してみてください。今皆さんは95歳で、まもなく死を迎えようとしています。自分の人生を振り返ってください。幸せでしたか?やりたかったことがあってけれども、できなくて後悔していることがありませんか?友人や家族との幸せな関係が一番大切です。”

“もし何かやり残しているものがあれば、まずはやってみましょう。At least you try. ”

何事も挑戦してみることの大切さ。これを言わない人は一人としていませんでした。

私としては、このような場で聞く話は正しく、この通りだと理解しています。しかし、このような正論が機能しないことが現実的に会社では起こっています。どんなにきっかけを与えようとしても、相手にこのような話を聞かせても、頑なに受け入れない人がいます。どんなに本人なりに頑張っているのでしょうが、一向によくならない人がいます。人の能力は決して大きな差はない、私には疑問です。平等に能力が与えられているとしても、それを阻むエゴなどの別の要素があって能力の差を大きく見せてしまっているのでしょうか、よく分かっていません。

人の多くは、なぜ、一日の仕事時間の8時間、嫌でも会社で過ごさなければならないのであれば、この時間を自分のためにもっと使ってやろう、会社を自分のために使ってやろう、と思わないのか。なぜ「今日一日を何とかやりこなして、定時で帰ってやろう」という思いに駆られてしまうのか。避けられない時間を過ごさざるをえないとしても、そうであれば、「会社で少しでも自分にとってプラスとなるような収穫を最低1つでも今日ゲットして帰ってやろう。」という気持ちに向かないのだろうか。そんな、人の内奥にある、行動できない真の原因を探ってゆくことが本当の意味でのコーチングなのかなぁ、と考えているところです。

そして、人に対してできる限りのものを提供することは持っている人(この場合は会社のマネジメント)の責務。しかし、人が変わるか変わらないかは、受ける側の任意。責務ではなく、本人の意思。私たちの善意を否定されたかのように捕らえる必要はありません。少なくとも自分自身の責務を果たすためにベストを尽くした、と言えるようでいたいものです。

(我々も人間です。たまにはゆっくりして、何も考えずにボーっとする休息も必要です。今日は完全に寝坊しました。)

(参考URL) https://www.marshallgoldsmith.com/

成功への近道はない、猛烈に努力しろ!(シュワちゃん)/ “There is no shortcut to Success! “(Arnold Schwarzenegger)

ステージ上のシュワちゃんを遠くから見て。ステージ前には多くのVIPチケットを持つ観客やイベント関係者(?)が集まっていました。

Synergy Global Forum 2019の初日(10月4日 金曜日)に参加して聞いたシュワちゃんの話を始めとして、各方面で成功した語り手たちがステージ上で語っていたことは共通してとてもシンプルだった。

成功したければ行動しよう。

失敗を恐れてはいけない。

シュワちゃんの話で興味深かった点をメモをめくりながら思い返すと

  • VisionとGoalをもつこと、これが成功の秘訣
  • そもそも自分にとって「成功」が何を意味するのか、何に自分が幸せを感じるのか、自分なりの定義をすることが必要
  • 毎朝起きたら、何も考えるな、とにかく動くことだ。考えてしまう時点で間違っている。
  • 成功への近道はない、猛烈に努力しよう(”There is no shortcut to success, Work ass off”)。失敗を恐れるな。
  • ボディービル競技で勝つ、とGoalを決めてからは、ジムで周りの人が苦しそうにしている中、自分だけが笑顔だった
  • 常にリーダーでいたかった。”TERMINATOR SCHWARZENEGGER” ではだめなんだ。”SCHWARZENEGGER TERMINATOR”でなければならなかったんだ。
  • 州知事の仕事はいんちき(Monkey business)だ。別に知事になりたかったわけじゃない。でもカリフォルニアの知事になりたかったんだ。アメリカ、中国、日本、ドイツに続く、世界のGDPトップの5番目の州知事に。
  • 州知事になるまでまさか自分が自分の学校(Institute)を持つことになるとは思わなかった。知事になってから、人に教えたい、という気持ちが生まれた。今は学校で生徒にリーダーシップを指導している。

その後のセッションでは、ステージに聞き手(Софико Паатовна Шеварднадзе氏)が上がり、シュワちゃんとの1対1の質疑応答が始まりました。シュワちゃんの話をさえぎったり、「それだけ努力してきて幸せですか?」といった否定的な聞き手のやり取りを見ていて、これは建設的なのだろうか?と感じてしまったのだが、面白かったのは、

「あなたは失敗を恐れずにチャレンジしろ、といいますが、ロシアでは失敗することを恐れる。失敗者は敗者だ、というHistorical DNAが伝統的に根付いています。メンタリティが違うんです」との言葉。会社のスタッフの中には”日本人とロシア人のメンタリティが異なっていて、たとえ私が日本に生まれて育ったとしてもロシア人としてのDNAが人知れず備わっており、どんなに努力しても日本人のメンタリティを完全に理解することはできないでしょう”という人もいます。その思い込み自体、すでに自ら勝手に自分の所属する国民のメンタリティを決め付けている・・・のではと思うのですが。

行動することの大切さ。これだけ多くの方が同じことを言う。つまり、それほど人にとって何か新しい行動を起こすことが簡単ではないか。その難しさを感じました。子供時代の頃のように、何も考えずに周りのすべてのものに興味を示してゆきたいものです。

サンクトペテルブルクでタクシードライバーと語る。 / Talking with taxi driver in Saint Petersburg

サンクトペテルブルク市内の薬局にて。番号札順に並んで窓口で用件を済ませます。参加したビジネスフォーラムはあまりにも会場がうるさいために二日目は耳栓を購入して会場へ。正解でした。

サンクトペテルブルクで、モスクワに戻るためにホテルから空港へ向かうタクシーに乗ると、それは珍しく女性ドライバー。決して豊かそうには見えないけれど、知性が伝わってくる方で、生まれも育ちもサンクトペテルブルク。話を聞いていると自分の街を誇らしげに思っていることが話からよく伝わってきた。

聞いた話をそのまま書き出しています。私自身がその一つ一つに感じる点はあえて記載していません。中には事実とは異なる点もあるかもしれないことを予めお伝えさせていただきます。

「モスクワと比べたらペテルブルクは田舎よ。私は街の中心に住んでいるけれども、静か。街の人も親切で知性があって。うるさくて、攻撃的な人が多いモスクワとは大違い」

サンクトペテルブルクの街の中心を歩いていて、すぐにモスクワとの違いに気が付くのが建物の高さ。いずれも低く、その統一感と歴史を感じる建物のデザインが一層街を綺麗に際立たせているようだ。そんな建物も、その多くが第二次世界大戦後に再建されたということだったが、決して古いわけではないはずなのに、重厚感と歴史を感じさせる様子は立派だった・・・スターリン建築(そのあたりは他に多くの方が記載されていらっしゃるはずなので割愛)の建物が空港に至る道の両側にそびえたち、その脇には高層マンションが建築中でした。

「今の建築中のマンションは、スターリン建築に似せて建設されているけれども、質はひどい」らしい。ロシア独特のアパートのデザイン、私は好きです。なんでこんな発想になるんだろう・・・と思うようなデザイン。

そのうち、会話は今の世の中、生活への不満。

「昔は、見知らぬ人でも無償で泊めてあげる文化があった。今では一泊するにも2,000~2,500RUBもとるらしいけれど、そんな高いお金を払うなんて信じられない」

「タクシードライバーとして働いているけれども、ドライバーも街の歴史をきちんと知っていて、乗客にきちんと説明できるようになるべきだ」と言って、通りの真ん中に立った立派なモニュメントを見て、「これは戦勝記念30周年の時に設置されたモニュメント。今ではもう戦勝から75年にもなるけれど、当時にどうやってこのモニュメントが建てられたか、小学生のころのこと、よく覚えているわ」と。

「今ではタジキスタン、ウズベキスタン、キルギス・・・そんなところから街のことなんか知らず、ただお金のためだけにやってきたドライバーが増えている。彼らは安い金額で仕事を私たちから奪い、車の運転免許だって違法に取得し、車で人をはねたら捕まらないようにそのまま自分の国に帰るだけ。」

「彼らは、ロシア人は働かないから、というけれど、そんなことない。ソヴィエト時代には全員働かなければならなかった、働かないことは法律違反であったので工場などで、近くにすむご近所さんと同じ工場で働いていたの」

日本人である私にとって関心のあるテーマは、当時と今の争いごととキリスト教。

なぜナチスとロシアは同じ神様を信じているはずなのに戦ったのか、なぜロシアとウクライナは同じ神様を信じているはずなのに領土をめぐってお互いにいがみあっているのか?正教会同士ももめているのか?

「宗教と政治はまったく別だ」という。「クリミアも元々はロシアの領土であって、正式にウクライナにクリミアを与えたのではない。」

「私は宗教も決して綺麗なものではないと思う。司祭も信じることはできないし。(ロシア正教会のモスクワ総主教)キリル氏は立派な家を持ち、会社も経営していて銀行も3つも持っている。立派なビジネスマンだ!」

「私も神を信じているけれども、教会には出かけず、毎日神様に「ありがとうございます」と日々の生活を自分のなかで感謝しています」とのことでした。

タクシードライバーと会話していて、その内容の多くは、こんなテーマが続きます。私が個人的に関心のあるテーマであるので、質問を投げかけて、後はドライバーの話すに任せているだけなのかもしれませんが・・・。人が日頃生きている中で感じている世の中への疑問、考えを聞くことほど興味深いことはなかなかありません。

この会話の中には、感情の部分も強くて筋道立った論理が成立しているとも思えませんが、一般市民の多くが心の底で感じている気持ちが現れているのではないか、そう考えながら空港に到着しました。

「それでもやっぱりサンクトペテルブルクが好きだわ」

わずか数日の滞在でしたが、綺麗な紅葉の風景と、綺麗な街の光景をすっかり楽しみました。