お金への接し方 / The way we treat money

この自宅隔離の間、プライベートで溜まっていることを整理し、自身の欠けている点を見直す良い機会となっています。

この週末から一層人の動きが少なくなり、車の量も減っています。通りをパトロールする警察車が目立つようになった気がします。通りを散歩している人やジョギングしている人も見かけますが、警察車両が自宅隔離をするように、とのアナウンスを大きな音量で流しています。04.04から罰金も科せられることが決まっています。お昼過ぎ、ゴミ捨て、買い物とジョギングをかけ合わせて外に出かけると、ゆっくりと後ろから警察車両が近づいてきて、こちらをじっと怖い顔をして通り過ぎていきました。実はアパートを出た時に警察車が止まっているのに遠目でみえたのでそちらのほうを見ずにしれっと違う方向に向けて歩き出したのですが、それが見つかったのでしょうか…。食料品を購入のためにお店へ行くと、店員はマスクに手袋。そして頭からヘルメットのようなものまで被ってレジ業務をしています。「日本人はなんであんなにもマスクをしているんだい?」なんて小馬鹿に」していたロシア人がこうもマスクをして歩いている姿を見ると今回の事の大きさを感じます。そして通りを歩く人の数はすっかり少なくなりました。

さて、お金への接し方について考えさせられるこの機会。
日本人は、お金の話をすると否定的な傾向がある、という話を聞くことがありますがお金に執着することと、無頓着でいること、その両方の危険なことを。
2015年の為替暴落時には、日々の仕事に追われて全く心に余裕もなかった私は、会社の資金繰りと為替の変動悪化の様子を常にチェックし続けていました。その一方で大切な私自身のRUB口座のことは全く手を付けておらず、その後当時のキャッシュは諸々と海外への旅行等で使用したため、結果的には40万円近くの給与を失ったことになります。ロシア人スタッフは、RUBからドルやユーロに定期的に変えて為替リスクを避けるように気を付けているスタッフがいます。為替の動きにも敏感です。

海外への旅行のために、格安でとれる半年以上先の航空券を買うためにチケットの価格に目を走らせている人がいます。

おそらく日本と一緒で、海外にでかけない人はRUBしか必要としないので、為替の動向に注意を払わないのでしょう。しかしながらモスクワのオフィスのロシア人スタッフは若い世代で、海外への旅行を楽しみとしており、彼らにとって為替問題は実質給与の減少を意味するので大問題です。

現在すっかり利用していないメールアドレスを整理していて気が付いたのですが、自動引き落としされるパソコンのセキュリティソフト費用を毎年支払い続けていたことに気が付きました。

一昨日は、近所のスーパーに出かけたとき、マイバッグを持参することを忘れてしまいました。袋の料金はわずか5RUB。10円にも満たないものです。それでも、日頃からマイバッグを持参しており、明らかに自分で避けることができたものに対してお金を払うこと、嫌なことです。

事前に自分で避けることができたはずなのに、自分の不手際で現金の引き落としに取られてしまう手数料。これも嫌なことです。

一方で、何年もログインしていなかったオンラインバンクの口座を見ると、知らない間に溜まっているお金。

  • 使用する複数のメールアドレスを目的別に集約し、定期的にチェックすること
  • 毎日家計簿をつけること>絶対に記録すること自体を込み入ったものにしないこと。とにかく続けることが重要。実は、こう書いている私自身、続いたためしがありません。この4月から始めたばかり。毎回購入の際には、本当に要るのか要らないのか、よく吟味したうえで購入しているつもりで、だからこそ結果的に使い方に問題はない、なんて思っていましたが、Excelで簡単に他の日常の記録と合わせて、毎日の出入金を記録しています。
  • 自分自身の持っている銀行口座の定期的な残高確認と出入金の確認をすること

こんな基本に改めて戻らなければ。そんなことを自宅隔離(на карантине)の第一週で感じています。

そして、このようにお金のことを知ると、今度は「あの時なんでこうしておかなかったのだろう、そうすれば〇〇〇円節約できたのに、なぜ長い外国生活で全くお金の運用をしなかったのだろう…。そうすれば今よりもあといくら資産が増えていただろうか。」といったマイナスの考えが浮かんできます。精神によくありません。

一般的に、駐在員として勤務している日系企業であれば、手当も考慮されているはずで、生活上何ら不自由する心配はありませんが、自分自身の仕事に集中するあまりに自分自身の資金状況の確認をないがしろにすることの危険。そして、お金のことを知るが故に生まれるマイナスの考え。その双方の中で上手なバランスを取ることの大切さと難しさ。お金への接し方について考える機会となりました。

スマートフォンのカメラが一層綺麗になりました、処理スピード0,1秒早くなりました、デザインが一層かっこよくなりました。そして周りの同僚も買っています。さあ君も!そんな宣伝文句や周りの動きに揺られて、「次のモデルを買わないと取り残されちゃう、クレジットは何か月分組んで買えば毎月の出費額も何とかなりそうだ…。」そうやってお金の地獄にはまってゆきます。

自分の持っている、あるもので足りた生活をすること。お金は増やすことが目的ではなくって、自分の生活に必要なお金を把握し、それに必要なお金のレベルを維持すること。背伸びはしない。現実をよく見ること。

それが何よりも一番の大切なお金への接し方ではないでしょうか?

お金の使い方の上手い、と、下手 / Being good with money or bad with

お金の使い方がうまくなる必要があると想っています。
基本の基本は、人がお金を使わなければ経済が発展しない、このシンプルな原則です。将来に不安を抱えるから今はできるだけ節約をして将来に備えよう。皆がそれをしてしまうと国の発展も止まってしまうはず。私は100円ショップが好きで、日本に帰国すると気をつけないと時間を忘れて長居してしまいますが、何でもとにかく安いものしか買わずに多くのお金を貯めようとすること、まずいと思います。実際にお金が溜まりますが、ずっとその思考で毎日を生きていると自分の思考が狭まり、常にお金のことを考えてしまい、お金を払えば得られていたであろう知識、経験を得そこない、結果的に自分の教養のレベルが低くなり、自分自身が安くなってしまいます。かといって何でもかんでもお金をかけられるわけがない。

自分の生活レベルに合わせて、お金を不要なものにはかけず、かけるべきものにはかける。そのバランスです。そしてそのバランスを見つけて、維持することが一番難しいところではありますが。

人はもちつもたれつの関係。

お金を介してお互いに笑顔になれます。相手は収入をえて、こちらはサービスの対価、あるいはモノを得る。会話が生まれる。今では多くのオンラインショッピングが広がり、お金自体を財布から相手に直接渡すことも少なくなってしまいました。便利な世の中ではありますが、お金のやり取りを直接行うことから生まれるちょっとした会話、笑顔、人として本来大切なことを失ってしまったのかもしれません。
自分への「投資」将来の老後に向けた生活を考えて今からけちけちしてもどうなのでしょう。死ぬときには貯金残高ゼロで死ぬ、それが最高です。といっても、いつ死ぬかわからないので老後のためにコツコツ貯めるのですが…。将来何があるか分からないからこそ貯めなければいけないのはわかっている、ただし、それが理由で今現在必要なお金まで意識的にセーブしてしまうこと、それによって今の自分への投資を忘れてしまってはどうしようもないと。

祖母が入っている老人ホームにゆき、まるで赤ん坊のようになってしまった老人の方々の様子、私のことも全く分からず他人と思い、3分経てばまた同じ質問を繰り返す祖母。そんな様子を見ていると、長生きすることが本当によいことなのか?私には分からなくなってしまうことがあります。

啓発本を定期的に購入しているとすれば、そのお金は無駄な投資です。次から次へと新しい啓発本が出てきますが、お金がもったいない。私は立ち読みでパラっと目次をめくり、気になった部分だけ目を通す。世間で話題となる本は、確実にその本のサマリーを書いてくれるブロガーがいることでしょうし、そのエッセンスをタダで知ればそれで充分ではないでしょうか?これは立派な盗みという人もいるかもしれませんが、文字も大きくて文字間のスペースも十分に取られた内容も中身も薄い昨今のノウハウ本。ありきたりのことを書いてばかりの内容で1千円以上とるのも立派な盗みではないでしょうか…。以前は頻繁に購入して成長した気になっていた自分がいます。ロシアに赴任する前にすべて中古本屋の出張買取にお願いした玄関前に並べた本の数、おそらく優に100冊を超えていたはずです。

私の経験から言えるのは、啓発本を読み漁っている時期は自分自身に自身がなくぶれている証拠。それで何かに頼ってしまい、啓発本やセミナーにでかけることで他に拠り所を求めているのだと考えています。

啓発本を決して批判するつもりはありません。必要最小限の自分自身にとってためになるものを見つけたらそれを実践してみながら自分に最適な方法を探っていくこと。ビジネス啓発書でも古典と言われる名書があります。尊敬している友人、上司、同僚におすすめを訪ねて、彼らから薦められる本を中心に選択するのがよいのでしょう。尊敬している人の頭の中をその本を通じてのぞけるチャンスかもしれません。

中古屋でわずか100円で購入した「人間の魅力」。そのタイトルに惹かれて購入しました。小さなそれほど厚くない本ですが、その辺の啓発本よりもずっと価値があります。何度も読み返し、今でも手元に置いています。


旅行先でのタクシー代のケチり方

これは人それぞれの考えがありますが、時間をかけても安い公共交通機関でゆくのか、時間がそれほどないためタクシーを使用し、ドライバーとの会話も楽しむか?ロシア地方都市にゆくと驚くほどタクシー料金が安いです。そんなお金をけちるよりも失う時間を憂います。毎回ドライバーとの会話は楽しみでもあります。一方で、ローカルの路面電車に乗って誰とも会話せずに窓の外に流れる街並みを楽しむことも素敵な時間です。ケースによって使い分けています。


付き合い、飲み会

これも時間とお金の無駄遣いの要員の大きな一つではないでしょうか。何よりも二度と帰ってくることのない時間をどれだけ有意義に過ごすことができるか?分かります、食事やお酒を通してお互いに親睦を深め、情報共有をし次につなげる。重要です。ただし、それはより役職が上のの方々にとっては重要な職務の一つとしても、私のような管理職を担う人にとってそれほど機会は多くないでしょう。結局自分の優先順位がなにか?それが「時間」であれば、その場の数時間を楽しむだけの飲み会に誘われるがままに出かけることは有益なこととは思えません。この時間が自身にとっての大切な息抜きであればもちろんそれは欠かすことはできません。とは言っても、自分にとって本当にリラックスできる仲間との時間、というのはお互いに生活があり、忙しいこともあって、毎週何回もあるものではないはずです。やっぱりそれなりに付き合いや飲み会にもある程度の相応しい時間の掛け方があるものと考えています。
飲み会に行っても、仮に知り合いは広がったとしても自分にそれだけの価値がなければその後に何もプラスが無いことを実感しています。自然と人脈が広がる人というのは飲み会に顔をださなくとも相手からやってきます。日々の努力を怠らないこと、訳s九したことは守って行うこと、そういった当たり前のことを当たり前にやっている人が結果的にすごい人になっている、周りはそんな人のところに自然と吸い寄せられる。それが真実ではないでしょうか。私もそうありたいものです。

「自己投資」と「浪費」は表裏一体

一方でこれは投資だからという理由で過度に高いホテルに泊まってみたり、電車でえらい高いクラスを体験すべく購入してみたり…それはそれで経験としてありなのだと思いますが、身分相応というものがありますし、私の限られた収入の範囲でバランスの取れた、自分に見合った投資をしてゆくことを心がけています。本当に人間の欲、というのは恐ろしいものですね。自分自身もふと冷静に過去に支払ってきたホテル代など考えるとぞっとします。
つまり、自分にとって大切ではないことに対してはとことんお金と時間をかけないことがますます大切なんであろうと。自分にとって大切なものがあり、そちらに全力投球するためにはほかのものを犠牲にする必要がある。

さて、モノを多く保有する、長期ローンを抱える。お金に縛られることになり、避けたいものです。(持ち家を持つ・持たないは単にお金の損得の問題ではないので単なるお金の問題ではありませんが)ロシア人スタッフの中には、アパートを20年以上のローンを組んで購入した人がいました。ロシアの金利は高いこともあり、とんでもない金額が金利で取られてしまいます。お金に縛られると、人はお金に対する執着が半端ない。恐ろしいくらいに人が変わる。辞めてもらう時の退職金積み増しの会話を通じて、人はこうも変わるのか…恐ろしいと思った一面でした。

自分の感情ノートをつけることが自分を知り、チームのロシア人スタッフを知るのに役立っています / Keeping to write your emotion in notes is a good way to get to know yourself and the Russian staff in your team

モスクワでは3月30日から全淳民に対して自宅隔離が強く要請されています。食料品や薬局などの市民の生活に不可欠な仕事を除いて一般的な企業は今週は有給扱いとなっています。そんなわけで私も自宅に閉じこもって仕事をする日が続いています。人が集まる場所も入り口がテープやフェンスで閉じられています。人との間は2mの距離を保ってください、とのことです。3月の終わりに雪が降り、街中が白でおおわれています。

日々の業務で自分の感情が高まる場面があります。その理由がなぜか?自分自身でその時の状況とその時の感情をノート(OneNoteやEvernoteといったオンラインのノートブック、メモ帳も活用)につけることが役立っています。

そうすると、なぜこの時に自分はイラっとしたのだろうか、なぜこういった時に自分は嬉しいと感じたのだろうか、徐々に自分の中での価値基準が見える化できてきます。そして、同様のことを他の人にした時にはきっと彼らも同様な気持ちを抱いているのではないか、と思えるようになります。

一つ一つの相手の感情を気にしすぎていると、逆に自分のの動きがとれなくなってしまう恐れがありますが、それだけ相手の気持ちも推察することが出来たうえで自分の行動ができるとすれば、損することはないのではないかと思います。

私自身がイラっとすることの多くは、とりわけ私の時間を意味もなく取られることです。その会話によって仕事への集中が阻害されること。電話がくること。別に必ずしも電話でなく、SMSでも問題ないのでは、と思います。自分の集中を切らされることに非常に敏感です。そんなわけで人の足音も気になります。歩き方一つをとっても周りに圧迫感を感じさせる人もいれば、ただただうるさい人もいる、歩き方にも人それぞれの個性が表れていて面白くもあります。人の業務中にどかどかとやってきて話し出す人。考えもなくとめどなく話されても困ります。その人の時間に対する意識がその人の行動、態度に表れているようです。言うまでもなく、延々と続く会議も非常に嫌悪します。

大切だな、と思っているのは、自分がどういった場面で感情のパルスを乱されるのか、毎回記憶しておくことです。今年の冬、モスクワ郊外の英雄都市Tulaからモスクワに帰る電車の中で私がテーブル上にパソコンを置いて仕事をしていると、ご老人がのぞいてきて、お~Interestingだ、なんだこれは、стажер(学生)か?、と尋ねてきました。いや違います。何ですか?と笑いながらロシア語で返すも、シトー(What)?と顔をしかめて何を言っているかわからない、と一点張り。そちらから声をかけてきて、こちらも間違ったロシア語で返しているわけではないのに。しかめつらで全く理解ができない様子。単に耳が遠いのかもしれないですが、このようなやり取りは疲れも手伝ってイライラさせられました。それはないですよね。こちらはパソコンに向かって集中していたところを邪魔されて、それでその態度ですか…と。イラっとします。

そんなちょっとしたことでも、あっ、相手に聞き返すときにしか目面をすることが相手にこれだけ嫌な感情を与えるのか…自分はやってはならない。という教訓となります。そんな日々の積み重ねを重ねて、記録し、振り返ることで日々の地道な前進があるのでしょう。

それにしてもやっぱり完璧主義は絶対よくありません。自分で疲れてしまいます。自分に独りよがりの期待値を上げてしまい、精神を病んでしまってはどうしようもないと思いますので…。時分自身への期待値を過度に高めないこと。自分の中で今の自分に相応しい負荷レベルを見つけ、それを徐々に高めてゆくこと。日々これの繰り返しでしかないと思います、自分の成長というのは。この相応しい負荷のバランスを見つけることも難しく、これもまた日々自分で負荷のかけ具合をかえてゆくことでしか自分の現時点の能力を理解できないと思われます。

感情のコントロールは一体どうすればよい? / How to manage to control own emotions?

自分で思うほどに物事はうまくゆきません。むしろ、生きていると上手く行くことの方が少ない。これは誰もが理解しているのではないでしょうか。

全体として、一言余計な発言が多いのがロシア。そう思うことがあります。いや、実はどこの国でもそう?人はきっと相手よりも上でいたい、それを示したいと思う生き物なのでしょう。去り際に繰り出される一言でカチンとくること、一度ならずあります。しかし、それが理由で相手に手を出てしまったら…言い訳のしようがありません。日々の業務で負荷がずしりとのしかかっている中ではそんな危険もあり得る。どれだけ自分自身の感情のコントロールが大切なことでしょう。身体が震えるくらいの怒りの感情があってもそれを上手にコントロールできるスキルの大切さを、ここモスクワで感じます。

メールでの感情表現の管理も大切です、思わず気持ちのブレに揺られて、あとで後悔することをすぐに書き出して送信しまうこともあります。後で、何てとんでもないことをいってしまったんだ…という気持ち。繰り返したくありません。

マネジメントの仕事はどれだけ怒りをコントロールできるか、それに尽きるのではないでしょうか。どんなに相手のことを思って、正しいと思うことを訴えても一向に聞いてくれる人がいるようには見えない。下をうつむいている、パソコンで別のことを行っている…そんな光景もあります。悲しく、時に怒りの気持ちすらでてきます。

”どれだけ人間的に成長できるか、その成長が早い人ほど上のポジションにいっている気がする。”そんなアドバイスを数年前にいただいたことがあります。その言葉の重みを今感じます。

怒りのメールをしたいとき。危険です。メールでの感情を抑えるための対策:

定型文の利用を最大限に利用しています。このようにすれば、自分の感情がメール文章に影響を与えるリスクを抑えることができます。

  • 決まった文言はMicrosoft IME の単語登録
  • 英語の場合はPhraseExpressで文言の登録

を使っています。メールにより余計な問題を生み出してしまうことの無いように、自分の感情が入る余地を減らすこと。そんな心がけも重要だと私自身の失敗から学びました。

すぐに言葉に出さない。

負けを認めたことになるような気持ちもあるかもしれませんが、ぐっとこらえることは結果的にプラスとなること、多くあります。そして、不思議なことですが、自分の思っていたこと、でも言い出せなかったことを上のポジションの方がタイミングよく発言されることがあります。自分自身が性急に口に出さなくてよかった…そう思います。

ルールを逸脱した状況でヒトの本質がでる /The essence of a person comes out in a situation that deviates from the ordinary circusmtances

頻繁に利用する街中でのカフェでマクドナルドで。コーヒーを注文すると砂糖とミルクを何も言わずにカップに添えてだしてくれる。でも全員が砂糖を使うとは限らない。ひと言聞けばよいのに。一体どれだけの砂糖が無駄になっていることだろうか…どれだけその未使用のものがそのままゴミ箱に行き、経費の無駄使いとなっていることか…。いつも思います。

たった一言、コーヒーとミルクは利用しますか?そう聞けばよいだけなのに。そんな一言があるかないかでどれだけ会社の経費削減に貢献できるのだろう、そんなことを考えて自ら考えて実践できるひとがどれだけいるのでしょう。という私もこんなことを言っておきながら、何も考えずに席について、あっ、私は要らないのだけど…言ってあげればよかった…と後になって気が付くこともあります。

こんなちょっとしたことことから、ルールに従って物事を行えること自体も能力ですが、それ以上に自らが正しいと思う、あるいはそう教え込まれてきたルールを客観的に、疑問をもって見つめることの能力の重要さを一層認識するモスクワでの日々です。

日頃から自分自身でルールから外れた状況を作り出し、それに対してどのように対応できるか、ある種のトレーニングを重ねておくことの大切さを否応なしに感じています。

現在のコロナウイルスがここまで大きくなる前には、毎週末にモスクワ郊外の街へ日帰りで電車での小旅行を楽しんでいました。初めての町で勝手も分からず、余裕をもって行動するべきなのですが、どうにも大概帰りの列車にぎりぎり5分前くらいに乗り込むケースが続きます。これは訓練というよりも時間の計算の甘さでしかありませんが…その状況でどうするのか、頭を使って悩み考えて答えを出す。そんなことも訓練の一つだなぁ、と思うところです。Voronezhの町で、翌朝モスクワに到着する夜行列車に乗り遅れないようにと約5kmをひたすら走ったあの経験は二度としたくありません…筋肉痛がその後も続きました。

人は不思議なものです、もういいや、次の列車でもいい、チケットを買いなおせばいいのだから、と思った途端に一気に力が抜けるものですから。幸か不幸か、ロシア郊外の町で列車を逃すともう次がなかなかないのでそうも言っていられませんが。

さて、今のモスクワのコロナウィルス状況。確実に経済、ヒトの生活、心境にマイナス影響を及ぼしています。誰もが想定していない展開にあらゆる危機を経験してきたロシア人にとっても新たなチャレンジとなっている様相です。増してロシアと比べればずっと安定的な経済、生活環境で過ごしてきたであろう多くの日本企業の駐在員にとっては、今回の事態は会社の業務運営への影響を抑えるためにも、スタッフに広がる動揺を緩和するためにも大きなチャレンジであること間違いないはずです。私にとっては全くの新しいタイプの経験であり動揺しないと言えば全くのウソになります。日々新たな情報が更新される中で見えない先を見通す努力とそれに備えた手を打つ行動力、リーダーシップ。

ルールを逸脱した状況でそのヒトの本質が試され、あらわにされるのだと。

「XXXさん、私たち、仕事があるだけずっとましだわ」 ― 部下の女性のそんな落ち着いた発言を聞くと、改めて女性のたくましさを再認識しました。

政府の発表情報サイト(26.03.2020発表)http://government.ru/orders/selection/401/39276/

コロナウイルスに関する総合情報サイト

https://стопкоронавирус.рф//#

モスクワの現状とこれから(COVID-19) / Current situation in Moscow and from now

書きたいことはたくさんあるのだけれど、あまりにも目の前の業務に追われて、ゆとりがなくなっている、というのが本当の気持ちです。これほどまでに先行きの見通せない、予測のつかない事態にこうも急激になろうとは誰が想像したでしょうか…原油価格の下落によるルーブルの暴落、そしてCoronavirusの蔓延は確実にモスクワにも大きな影響を及ぼしています。

「ロシアはこれまでもありとあらゆる危機を経験してきたので慣れっこです」なんて冗談を言っているスタッフもいます。決して嘘ではないのですが、今直面している状況は、長年モスクワに勤務する経験の中でかなりタフな経験となっています。この週末は疲れもあり、全く仕事から遠ざかっていました。全く何もせずに好きなYoutubeの動画やNetflixを観たり、キッチン回りを掃除したり。かつてならこのような”何もしない”時間を極度に嫌ったものですが、いまはこの”何もしない”時間の中で、今の置かれている物事を客観的に考える時間を持つことの大切さを感じます。

平時にどれだけ当たり前のことを当たり前にこなすことができているか、そのことの重要性と、日頃からの積み重ねが会社や個々人の力の差としてこのような臨時の場にはっきりと表れる - それを否応なしに体感しています。その一方で、ヒトというのは弱いもので、このような場になるまで日頃の当たり前の積み重ねの大切さを学習することができない生き物であるなぁ、ということも学んでいます。少なくとも、こんな体験をしたからには私自身、そしてロシア人マネジャーをはじめとするスタッフ全員が、この危機をまずどう乗り越えることができるか?乗り越える過程でどれだけ成長し、将来やってくるであろう次の危機に向けた意識と行動を高めることができるか?そこに会社と個々人の先がかかっているはずです。

さて、明らかに金曜日の夜にしても、この週末にしても通りを出歩く人の数が少ない気がいます。お店に出かけてもレジでの会話はコロナウイルスのことばかりです。「商品が少なくなってない?」「ないよりはあるだけましでしょ?」

さて、ニュース媒体Meduzaによれば、いくつかの情報が掲載されており、(別のビジネスニュース媒体)РБКがレポートしたところによればモスクワのロシア内務省は、コロナウイルス状況が一層悪化した場合のアクションプランを3月末までに準備するように指示をした、とのこと。この計画の中にはモスクワへの自動車の出入りの制限と、外出禁止令の導入といったものが挙げられています。

それ以外の媒体の情報も掲載されており、

19.03時点:モスクワのコロナウイルス感染者が800人に達する場合、モスクワ市を封鎖する計画を検討中であること、

22.03時点:モスクワではコロナウイルスの状況が今後悪化すれば、より一層の厳しい検疫手段を導入する計画がある。(大型ショッピングセンターや地下鉄の閉鎖、といううわさも聞いていましたが、 この記事によれば)”モスクワ市長セルゲイ・ソビャーニン氏は地下鉄の閉鎖、軍隊の投入の可能性といった噂はばかけだ話だ、ということで一蹴した”とのことです。(Мэр Москвы Сергей Собянин также развеял слухи о возможном закрытии метрополитена и вводе войск в столицу, назвав их чушью. )

最新の状況によればロシアでは367のコロナウイルス感染ケースが報告されており、そのうち191のケースがモスクワで報告されている、とのこと。

https://meduza.io/news/2020/03/22/rbk-politsiya-gotovitsya-k-vvedeniyu-komendantskogo-chasa-v-moskve

「正義」に過ぎることがあってはダメです / If you go too far into “rightousness”, you may just things worse.

これまでのロシア人スタッフにもいたのですが、すべての物事がロジック通りに進まなければ素直に動かない、私の言うことを否定する人、彼らのいう「義」の通りに進まなければことごとく否定する部下がいます。そして、その取扱いが難しいのは、彼らの言い分が正しいからです。だからこそ、それを否定することもできず、否定すると一層さらに突っ込まれます。
あなたの考えは間違っている。であれば私も従わない。と。
このような人間は決して上に立つべきではありませんが、このような人間は部下の立場であるからこそいかようにでも述べることができます(時分自身の利害を中心に語っていればよく、全体の視点で物事を考える必要がない)。そして、このような人も小さな会社では日常業務のオペレーションを担ってもらっている以上、容易に彼らを否定して業務に支障をきたすことがないようにしなければならない。
どんなに話し込んで、彼らの意見を聞こうとしても一向に変わらないことがある。これはどうにもならない事実だと思われます。何を言っても揚げ足をとられる。そして彼らはそれに満足している。他にも多くの課題を抱えているこちらはこの会話をしているだけで疲れてしまう。相手も自分の言い分が聞き入れられないために疲れてくる。私の経験上、去ってもらうしか解決策はないように思えます。
世の中、このような人と一緒にいるとただただ疲れるなあ…と感じるばかりです。
私自身を評価するのはあくまで周りであって自分自身でありませんが、自らとしては日頃からのやり取りを通じて多くのスタッフと包み隠さずのコミュニケーションをできているとします(否定する人からすれば何を言ってもダメです。私の認識もすべては「あなたの勘違いです」といって一蹴されてしまいます。)そんな中でも必ずこのような人が存在する。私自身が相手のためを思って行ったとしても、それが相手にとっては素直に受け止めてもらえない。そのようなジレンマに苦悩することもあります(いまでは「ありました」の過去形となっています)。
会社の規程は非常に重要です。我々の行動は必ずその規定に沿ったものであるべきですが、細かいすべての部分ですべてのことにおいてきっちりと規定を整備し、それに沿って行動しなければならないとすると、それはただただ苦痛でしかありません。Job Descriptionにしても、それに記載がない要求を上司がすれば「これは私のJob Descriptionには記載がないのでやりません」なんていう人間もいました。一方であらゆる可能性を考慮したうえで詳細を排除した記述方法にすると「これでは曖昧過ぎてダメです」という答えが返ってきます。
どれもが正解と思える中でお互いに歩み寄りベストの解決策を見つける。各々がどれだけ相手のことも考えたうえで行動できるか、これが会社で働く上での一番といってもよい重要な点ではないでしょうか。
与えられた目の前にある問題の解決に取り組むことは容易としても(これは部下の仕事を想定して述べています)、自分の置かれた立場、今の会社の状況・規模を理解したうえで判断する課題設定、その課題のレベル、優先順位、どこに落としどころをもってゆくかというバランス・判断を下す立場の私。そのバランスを取るのに苦慮する横では、正論をただただ述べるだけの部下…。
ロシアに赴任したばかりのころ、右も左もわからずに初めて人事を見ることになりました。すべてのことがただただ初めて。部下の人事評価、昇格のルール決めについて昔から勤務していたロシア人人事マネジャーは、「私が知っている他社では、きっちり評価の点数付けができていて、全員不満なくシステム通りに昇格する人も決まってゆく、それに比べてこの会社の評価や昇格のルールはなっていない」と。
長年人事をやっておきながらそのようなとんでもないウソを堂々と語れる…衝撃的でした。今では経験からはっきりとわかりますが、人事制度をつくるのはいたって簡単。すぐにできます。問題はその制度が機能させることがどれだけ難しいことか。点数付けそのものがどれだけ難しいことか、全員素晴らしい評価を取ったら、将来会社には全員課長だらけになるのか?そのような点が人事評価の悩ましいところです。
であれば新しいポジションをどんどん作ってゆけばよいのではないか?なんていう人間もでてきます。そうなると、ロシアにいて接する営業スタッフの名刺を見ていて思いますが、やたらとManagerと名のつく方が多いこと。一体あなたとその横にいる彼、彼女はどちらが偉いんだ?という話になります。
論理で正しいことと実際の会社の管理を担うことは違う。それは経験からでしか理解できないのかもしれません。
`自分の視点で人を判断する。それは自分のレベル。もしもっと広く視点が広がるともっと人として成長して、目の前のことを冷静に判断できるのかもしれません。だからこそその点でいかに早く成長できるか?これがより上にいくために重要な要素だと思っています。
私もどちらかというと「正義感」をもって正しいと思うことを強く主張し、声を荒々しくし、周りも気にせずに声を張り上げていることがありました。今振り返ってみると、どちらかといえば自分の狭い視野に基づいて物事を判断していたのだと感じます。そしてそれが当時の自分のレベルであった、人は自分のレベルに基づいてしか物事を判断できない、ということです。経験を経て、上の立場の考えに近づくにつれて判断基準のレベルも高まる。そうすろと、必ずしも自分の「正義」が決して全体から見れば正しくない、という矛盾に気が付くわけです。その矛盾さを理解したうえで、本当の意味での正しい決断を下せること。それがマネジメントとしてやってゆくために求められている要素であり能力であるのだと、苦しい、まったく思い通りにならない部下との”バトル”を通じて学んできた事柄となっています。

Электронная “Почта России” / デジタル「ロシア郵便」

注文した商品を受け取るために訪れたロシア郵便局。到着のSMSを受け取ってから2週間ほど遅れてやってきたので間違いなく届いているかと思いきや「ここにはきていないわね、また1週間に1回くらい来てくれる?」との一言。デジタル化がすっかり現場のオペレーションにまで浸透するのは発展途上のようです。

2019年における「ロシア郵便」の電子サービス関連の売上が21,2 B RUB - 2018年のそれのほぼ3倍 - に上った。これはロシア郵便の売上の約10%を占めている。

2018年の電子サービス売上は7 B RUBであった。今では、毎月の売上は約2B RUB、毎月のサイト訪問者は20百万人ほどにのぼっている。

ロシア郵便の見込みでは2024年には電子決済による売上は157 B RUBに達するとみている。これは会社全体の半分の売上に相当する。この売上に到達するために必要とされる投資額は47B RUBという。

ロシア郵便の電子サービス売上に占める主要なラインは3つあり、一つ目はオンラインショップなどによる手紙や小包のオンライン発送サービス。このサービスは発送準備を自動化してくれて、2019年には13,7 B RUBの売上を計上した。

https://otpravka.pochta.ru/

二つ目はロシア郵便のウェブサイト - pochtaruの役割が大きい。https://www.pochta.ru/

このサイトと携帯電話アプリは、個人利用による大量の小包発送のオンライン受付業務、および発送作業を担っている。このサービスでの売上は4,1 B RUB。オンラインでの発送受付は1百万個となり、全体の10%に上っている。

3つ目は電子書留だ。これは交通警察からの交通ルール違反の罰金に関するものだけでなく、裁判、調停、その他にも外国機関からの通達といったものを受け取ることが可能となる。2019年にこのサービス利用者の数は1,9百万人から2,8百万人へと45%以上もの増加がみられた。そのうち法人が占める数は3千以上。

インターネットショップ”Ozon”の商品がロシア郵便経由で顧客に届けられた数は2018年に比べて4倍に増え、Ozonとロシア郵便の提携によりロシアの全85地域(ロシア連邦構成主体)の住民がオンラインショップができるようになり、配達日数が半分に縮まった地域もあるという。

出典:Vedomosti 29.01.2020

後記:昨年12月上旬にアメリカの会社のリュックを購入し、アメリカからの発送となりました。今でも到着を待っています。しばらく確認をしていないのでもしかするとそろそろ届いているかもしれません。利用運送会社のサイトで オーダーナンバーを入力すると現在の商品所在地が分かるサービスは今や当たり前。日ごとに更新されてゆき、このままゆくと年末までには届くかしら? - 年末にRussianPostの名前でSMSが届きました。”Отправление XXXXXXX(オーダーナンバー) прибыло на территорию РФ. Телефон XXXXXXX(最寄りの郵便局の電話番号)”となっています。1月に入ると再びSMSが。”Отправление XXXXXXX(オーダーナンバー)поступило в отделеине почтовой связи XXXXX (郵便番号) Телефон XXXXXXX (最寄りの郵便局の電話番号)”となっています。きちんと連絡が届き、私の住む近所のロシア郵便局まで荷物が届いている。すごい、ロシア郵便やるではないか、サービスがきちんとしている(全くサービスレベルに期待もしていないので逆に驚きました。間違いなくロシア人の多くがまだ同様の意見を持っています)、そう思ってでかけてゆきました。探しに探して普通の住宅街の1回の角に分かりづらくその入り口がありました。窓口でパスポートを見せて荷物が届いたとの連絡があった旨を告げます。 - 待っても待っても一向に荷物が出てきません。窓口の女性が戻ってきて言いました。「まだ届いていないから、今後1週間に1回くらい来てもらえます?いつ来るか分からないから週に1回くらい来てもらえるといいわね」と。「あの~、この通りSMSが届いているのですが…」と携帯を見せると「システムは正しくないの、この情報と実際は合っていないから。なのでまた来てね。」とのことでした。

ミニマリズムは単に生活における優先順位のつけ方 / Minimalist – just making things in own life priority

仕事では、何をしないか(何を捨てるか)を決めることが大切だ、とよく言われますが、世の中で気にする人は気にしているであろう”ミニマリズム”というのは、仕事で取捨選択をするのと同様に、自らの生活においても同じことをしているに過ぎない、と感じています。

ミニマリズムを意識するようになったのは、NetflixでみたDocumentary film “Minimalism” を見てから。

https://www.youtube.com/watch?v=0Co1Iptd4p4  とても興味深く鑑賞しました。皆さんにお勧めです。

モノにあふれた世の中。それに疑問を持ちモノを持たない選択をする。納得できます。(それはマテリアリズムを追求してきた先進国に住む人々の贅沢な選択であるとも思っています)さて、家の中をみても私は自然とそれに近いものがあるのかなぁと思っています。長く滞在したロシアでの仕事生活も残りがわずかとなり、少しずつ年末から家の中を整理しています。日本にいるときには、新入社員で入社したばかりでわくわくした気持ちでセミオーダースーツ、約10万円もする革靴を幾つかそろえ、コートもブランド物の何万円もするものを複数そろえ…不要で高価なものをいくつも手に入れて満足した時期がありました。カードのクレジット利用額増加を一時的に申請したとき、電話口で「差し支えなければ申請理由をお伺いしてもよろしいですか?」と尋ねられて、「はい、実はバーバリーのコートを買いたいんです。」と答えた時の電話の相手口の女性の笑いがいまでも記憶に残っています。そんな微笑ましい時期もありました。今となっては全く使っていませんし、どこにいってしまったのか…不明です。質がよいだけ高品質を保っていたのは事実ですが、今の価値観からすれば複数も買いそろえるとは無駄な出費であったとしか思えません。過度にブランド物の購入に走る人というのは、それだけ自分にコンプレックスがある人なのかなあ、と考えています。私も大切なものはそれなりにお金をかけます。やはりビジネスの場面ではその場に相応しいモノがあると思います…が、それほどたくさんのものは不要であることは明白でしょう、決してお金に溢れているわけでもなく、家も決して大きいわけではありません。

限られた時間の中で、際限なく降ってくる情報、溢れるばかりのマテリアリズム。何を優先してよいのかさっぱりわからなくなってしまいます。決してお金が沸いているわけでもないため、無限には存在しない自らのお金の使い道を考える必要があります。となると、自分の人生で大切なものに集中するためにも、自分にとって必要のないこと、重要でないことに自分の労力と時間とお金を費やしたくない。そうなってくると自然とミニマリズム、つまり自分にとって大切なことだけ身の回りに、家の中にに残ってきます。

これの問題点は、別に家の中にあっても問題ないものでも、それが残っていることを嫌がり、なんとかしたいとうずうずしてしまうこと、自分の中で許せないことがでてきてそれが逆にマイナスの影響を及ぼすこと。やはりバランスが大切だな、と。You tubeで見かけるミニマリストとの方の家の完璧さを見ると、この方たちの生活はどれだけ幸せなのだろうか…と思ってしまいます。何事も行き過ぎるのはどうなのでしょうか、その人たちには当たり前なのかもしれませんが、やはり完璧すぎる人にはなぜだか魅力はないものです。結果として起こるバランスの取れたミニマリズム。それがよいですね。

しかしながら、人によっては物に囲まれているのが幸せだ、という人もいるはず。そういう人が無理にものを処分して自分を苦しめることは不要なはずです。ミニマリズムの考えに私は賛同しますが、それがすべての人に適用されるべきだとは思いません。

モノを買うこと、そういったことが重要ではない中で、そういったものに余分に考えたくない、そう考えると、自然とそれらに費やすお金もショッピングの時間も必然的に減りますし、それが結果としてお金がたまることにもつながる。余分なものが家や冷蔵庫に溜まらないために、目の行き届く範囲が広くなり、管理も容易となり食料も無駄にすることが減る。そして、自分にとって大切なことに時間とお金をかけて集中できる環境が自然と生まれる。そんなプラスの循環を感じています。

Как победить бедность в России / どのようにロシアにおける貧困層を克服するか

レフ・トルストイが長編「Anna Karenina」で書いたように「幸福な家族は、どの家族も似通っている、他方、不幸せな家族というのはその不幸さはそれぞれで異なっている」。

ロシアの貧困の克服も一筋縄ではいかない。有効な改革が必要であることは明白でプーチン大統領が2020年の連邦会議にて表明したように、貧困層を2024年までに現在の半分にするという野心的な課題がある。

広大なロシアでは、貧困のデータは都市と村落とではとりわけ異なる。貧困層はモスクワやペテルブルクでは8%足らずの一方でカルムキアでは20%に達し、(南シベリアの)トゥーヴァでは40%にも至る。

経済成長が貧困層の減少に重要であることは重々承知であるが、2000~2011年には貧困層が30%から11%未満に減少したものの、2017年にはそれが13,2%にまで再び上がってしまった。ロシア統計に基づく世界銀行の見込みによれば、2024年までは貧困層は9,7%まで削減される見通しで、ロシア政府のデータによれば6,6%となっている。

どのような改革がロシアの経済成長を促進するのだろうか?投資と製造メーカーの増加だ。とりわけ中小企業(малый и средный бизнес)が不可欠だ。現在、ロシアのGDPに占める中小企業の割合は22%であり、OECDのそれ(50~60%)には大きく後れを取っている。

子供を持つ貧困層の家族にとっては社会保障が不可欠だ。また、そのような家族は職を見つけることが困難で、必要な知識もないことが問題となる。あるいは医療のために必要な金銭面での不足や、子供にかけるための支出が制限されてしまうことも問題だ。

ロシアの政策面に責任を担っている人々に期待されていることは何か?それはとくに仕事を見つけることが難しい地域により注意を向けることだ。若い人から年老いた世代にも一定のレベルの教育と専門的な準備を備えることが大切で、それによって子供に必要な医療や必要な支出を賄うことができることにもつながる。

ロシアは今、必要な改革に向けた財源、制度も用意ができている。あとは、すべての国民の生活に寄与する 包括的なアプローチをとってゆくことが必要だ。

出典:Vedomosti 19.02.2020

後記:誰もが分かっている、誰もが語れる内容を伝えたところでどうなのだろう…もっと大切なことは、このような当たり前のことがなぜ実現しないのか?そこにあるのは政治家をはじめとした”持っている”人々自身が各個人の利益を優先する実態、この国の将来に希望を抱いていない国民が多い(自分と家族がよければよし、それ以外のことは知らない、という態度)など、さらに根深い問題がかかわっているに違いない。きっとこれはロシアだけではなくて日本でもどこにでも程度の差はあれども共通して存在する事実なんだと改めて思いました。