パソコン二台での作業が結果的に一番効果的な仕事のやり方ではないでしょうか / Working with two computers is the most effective way to work

管理の仕事をする上で効果的な仕事をするためにはIT機器のセッティングが欠かせないもの。ラップトップにモニターをつなぐのは一般的で、そうすると、選択肢はモニターサイズと接続する個数をどうするかに行き着きます。制約条件は、自分の個室がなく、机の大きさも限られている。

会社で標準モデルの22インチに始まり、それを2つ使ってラップトップと合わせて3画面で作業をしたり、24、27インチと大きさを変えてみたり。昨年は、インターネットで見つけたコラムに魅了されて34インチの湾曲型モニターに切り替えました。値段は75,000RUB。モスクワのタイトルで言えばスペシャリスト ― 概ね20代の年代をイメージ ― の約一か月分の給与に相当するお値段です。何と高いこと。「このビジネスセンターに入っているテナントのうちで、XXXさんが初めて34インチを購入した人に違いない」なんてITスタッフから笑われました。あまりにも重く、二人してやっとの思いで机まで運びセッティングしました。梱包箱もでかいこと…。これまで活用してきて、結果的には使用した上での経験が得られたこと、作業効率が確かに上がったことを踏まえれば良い買い物をしたと思っています。

34インチのモニターについては、多くの方の動画がYoutubeで流れており、それらを参考にできます。

私が34インチモニターを使用して感じているのは、

  • 大きなモニター1つで複数画面を確認するほうが良い(複数モニターをパソコンに接続してファイルを分散するよりも)
  • 月別のProfit and LossやBalance sheetを見るうえで、12か月分をスクロール無しで全て見れること、Wordファイルで作成された契約書やマニュアルを 確認する際に、字は小さくなりますが3枚、4枚をまとめて一画面で確認できること。これは素晴らしい。
  • もう34インチでも物足りなさを感じ、49インチはどうだろうか、という思いが募っていますが、オープンスペースで各スタッフが机を並べているオフィスであれば、34インチが許容できる大きさの限度なのかなという点です。

そして、より重要なことに思えるのは、ラップトップ2台を仕事に活用することです。1台は会社から支給されているもの。もう一つは私物です。個人契約している回線経由でインターネットに接続し、常時会社では机に2台を並べて作業をする。これが一番効果的な方法だな、と現時点では感じるところです。

何事も一人でやるには可能性が限られる。一人がどんなに強力な人であったとしても、多少弱いとしても二人いてくれればなおさら強力になる。ノートパソコンにも同じことが言えるのでしょうか。いくら最強のパソコンを利用していても、会社の標準機はあくまで一般的なビジネス上のモデルであってとりわけ抜きんでた性能を持つパソコンが与えられることはないと思います。

ロシアで勤務していて、ロシアのERPシステムの1C、エクセルなどのファイル、Outlookメール、Google Chromeといったアプリケーションを常に開いていることが多い環境のなかで ― それに複数のファイルを開くことも日常茶飯事 ― 画面の切り替えをしては戻って…の繰り返し。ショートカットを使用するとしても面倒なことだ…と感じてしまう。そうであれば2台のパソコンを使うことが効率的ではないか、そう思います。

また、職場以外の場所で仕事をする機会もあります。そして、万が一の盗難、紛失といったリスクを考えると、いくらラップトップが暗号処理されているとはいえ出来る限り会社のラップトップを外部に持ち出したくない。無くしてしまった後の業務への支障、データは本当に大丈夫なのかという不安の気持ち、社内での顛末報告云々。やはり持ち出したくありません。そんなことから鞄の中には自分自身のパソコンが常に入っており、結果としてオフィスでは2台を利用できる環境が整っているというわけです。

個人用のパソコンには会社のデータは絶対に保存しないこと。これはセキュリティ上も会社の機密情報管理規定上も守ります。ですから、個人用パソコンは主にGoogle Chromeでの検索であったり、個人で利用しているOffice365やEvernoteへの気づきや日記、課題を入力することに利用しています。また、この点はなぜ外部回線を利用して自分自身のパソコンを日頃から利用することが大切であるか、と私が考えていることですが、外部環境で会社の会社のOffice365のメールやOneDriveといったインターネット上のアプリケーションにアクセスして利用することで、会社のパソコン以外での業務環境に慣れておくことに役立つからです。会社のパソコンではOutlookの専用アプリケーションを使用しています、インターネット上のアプリケーションとはメールの表示、機能も異なります。Dictation(音声認識)機能があったり、メールをボタン一つでロシア語や日本語を英語に翻訳してくれたり。機能を探ってゆくと新たな発見があります。

と言っても、会社もメールやり取りをいち早く確認するには、スマートフォンに届くメールを読んでゆくことが最善だと感じています。画面も小さく、文章全体をパッと把握できるのでラップトップでメールを読むよりもずっと早い。ただし添付資料がある場合には(特にExcel)スマートフォンでは少々辛いものがあります。そんなわけで定期的に自分自身の業務の方法を見直し、変更してみながら改善を重ねてゆく日々です。

1つの事象の捉え方次第でこんなにも状況が好転する / The situation improves so much depending on how you capture the event

今年1月のロシア人家族と一緒の箱根旅行。台風の影響で登山鉄道が走っておらず代わりにバスが運航している。なかなかやってこない、待たされる。外は寒い。タクシーを頼んだのですがなかなかやってこない。

「こんな寒い中待たせてしまいごめんなさい。」というと、「(交通手段が)あるんだから、無いよりいいじゃないの。」とお母さん。無いものに目を留めて文句を言うのではなくて、今あるものについての感謝の気持ちが出てくることにその時、アッと思いました。良い衝撃でした。

それ以来、自分の物事が何か悪いほうに行きそうに思われた時、彼女に倣って考え方の転換をするようにしています。現実逃れではなく。不思議なことに、自分の感じるストレスも減りますし、他の人に接する態度も柔らかくなり、争いを避けることにつながります。前は一言いってやりたい、と思ってつい口走っていたことも、目の前のことがそれほど大きな問題に思えなくなる、そんな効果もありました。

きっと何でも周りに対して不満を持っている人はこの考え方を当てはめてみることがよいのではないかと思っています。すべてがそんなに思うほどうまくゆかないことだってありますが…。

苦しいと思うことがあって、自分のルーティンができないとしたら、今は新しいやり方にチャレンジしてみる時期なんだと思えばよい。今は室内に留まって仕事をせざるをえない、不便もあります。オフィスに行く必要もないので、誰も見ていない。自分次第で毎日の仕事の量も質も変わってしまいます。そんな時には自分の仕事のやり方を見直す機会と考え方を転換すればよい。年齢を重ねてあとでどうにもならないよりも、今この問題と向き合って何かレッスンを得られるよいチャンスと思えばよいのかもしれません。

今はCoronavirusの影響でテレワークが進みMicrosoftのTeamの利用が増えていると聞きます。私も使用したことがありませんでしたが、今はその機能の恩恵を受けています。手元にあるIT機器でどれだけ効果的に働けるだろうか、そんなことを考えながら毎日を過ごしています。オフィスでは周りに同僚がいてワイワイガヤガヤしていますが、家では自分一人の環境を作り出せます。Dictate(音声認識)機能もあり、書きたいメール内容をコンピュータに向かって話すと勝手に書き上げてくれる、なかなか使いこなせていませんが、英語も日本語も認識してくれる、質も決して悪くない。そんな機能が今のお気に入りです。

人のよいところに集中することの難しさ、感謝することの大切さ / Difficulties to focus on people’s good points and importance of gratitude

人の悪いところばかりを見てしまう傾向があるのが人の傾向なのかな、と感じています。何か一言言いたくなる。それによって自分が他の人よりも少しでも上に立っている事を示したい。人の悪いところを見つけてやろう、そんな傾向、人の常なのでしょうか?

Of course, Always.. Why you didnt …? I told you etc
その言葉の裏にあることを想定してしまいます。Of course(まるであたかも、何アホなことを聞いているんだ?)Always(いつもと同じにきまっているだろう、そんな馬鹿な質問をするなよ)Why you didnt…? (なんでそんなこ馬鹿なことしたんだ?そんな当たり前のこともやっていないのか?言わなくても分かるだろうが)I told you (前に言ったでしょう、何度言わせるつもり?)

もっと一言、自ら声をかけませんか?他人と会話する際にはなんとなく話す人を選んでしまう。歳を取るほどに他の人とオープンに語り合うことが難しくなる。それをどれだけ自分から打ち破れるか。課題です。モスクワの日本人の社会を見ていて、多くの方々が、それぞれプライベートで出来た関係性をベースに、セミナーで出会う仲間との付き合いを楽しんでいる気がします。それは決しておかしなことではありませんが、プライベートでの比重が仕事での関係性に与える割合が多いのではないかと。

逆に言うと、プライベートの場に身を置いていない人にとっては、セミナーやそれに続く懇親会に出席した時にすでにプライベートの会話で盛り上がっている会話の中に入ってゆくのがとても難しく感じられるということです。そんな光景を見ていると、一人でいる人にもっと声をかけてあげることができないのだろうか、といつも思います。

話しかけてみると、面白い経歴を持っている人だったり、深い考えを持っているひとであったり。いろいろな良い発見があります。

医いたことはあるけれど、文句を言わずにやってくれていることに感謝しませんか?

私たちは部下を見ていて、仕事が遅かったり、間違いがあったり、イライラしてしまうことが一度ならずあります。彼女のパソコンをのぞき込むと、いつまでも経理システムとExcelファイルの両方をにらめっこしています。「それ、今朝もやっていたよね…大丈夫?何が問題なのかね?」と尋ねると「一か月前にまとめたはずなのに、先月締めた数値の修正があったために前の月の数値を改めて見ているんです。数値が組み替えられている(ロシアの会計システムでの処理と日本向けの数値レポート間で勘定科目の組み換えを行っている)ために、数値がどうしても合わず見直しているんです」といった回答が返ってきます。

このやり方自体に問題があるのですが、今回のテーマは「良いところに目を留めて、感謝すること。」そのテーマについて考えると、彼女のように一生懸命にやってくれる姿勢に感謝をしなければと思わされます。先月は彼女の上司と一緒に深夜近くまでレポートのバグ出しをしてくれていました。私は一足先に帰り、あとでメールをチェックすると23:30に報告が来たのには驚きました。金曜日にです。「家族も待っていることだし、もう金曜日で疲れているから帰ろうよ。」と言っても「いや、どうしても今日終わらしていきたいんです。数字が合わないのがどうしても気になるんです」と言ってききません。まだまだ彼女の会計知識、Microsoftスキルをとっても改善の余地がまだまだありますが、そのような姿勢はきっと将来に化けるのではないかと期待しています。

人の成長にとって大切なのは大きく分けて二つ。「仕事スキル」と「人間スキル」。若い頃は仕事スキルがあれば十分ですが、とあるレベルに来た時に必ずぶつかります。年齢を重ねるごとに仕事スキルだけでは周りが付いてこなくなる。なぜならば仕事スキルはいくらでも替えが利くものであり、限界がありません。年齢を積み重ねて一層大切になってくるのは、例えば、周りを鼓舞出来て、人と人がぶつかって生み出される問題を解決できる能力、そういった人間スキルだと考えています。ただし、仕事スキルが無い人が人間スキルだけを持っていても有能なマネジャーになることは難しいのではないか、というのが私の考えです。周りを圧倒させるにも、他の人よりも何かに秀でた仕事スキルを持っている必要があると思うからです。その仕事スキルというのは単に仕事が早い、コンピュータが得意、といった目に見えるものだけではなく、なぜだかこの人からは買いたくなってしまうんだよなぁ…と思わせて営業成績を上げ続けるような人たらしの性格も含まれるのかもしれません。

さて、家族を大切にしている彼女、子供のことを大切にしている彼女。そんな彼女が将来マネジャーになるとすれば、きっとバランスの取れた人望のあるマネジメントになるに違いありません。

お金への接し方 / The way we treat money

この自宅隔離の間、プライベートで溜まっていることを整理し、自身の欠けている点を見直す良い機会となっています。

この週末から一層人の動きが少なくなり、車の量も減っています。通りをパトロールする警察車が目立つようになった気がします。通りを散歩している人やジョギングしている人も見かけますが、警察車両が自宅隔離をするように、とのアナウンスを大きな音量で流しています。04.04から罰金も科せられることが決まっています。お昼過ぎ、ゴミ捨て、買い物とジョギングをかけ合わせて外に出かけると、ゆっくりと後ろから警察車両が近づいてきて、こちらをじっと怖い顔をして通り過ぎていきました。実はアパートを出た時に警察車が止まっているのに遠目でみえたのでそちらのほうを見ずにしれっと違う方向に向けて歩き出したのですが、それが見つかったのでしょうか…。食料品を購入のためにお店へ行くと、店員はマスクに手袋。そして頭からヘルメットのようなものまで被ってレジ業務をしています。「日本人はなんであんなにもマスクをしているんだい?」なんて小馬鹿に」していたロシア人がこうもマスクをして歩いている姿を見ると今回の事の大きさを感じます。そして通りを歩く人の数はすっかり少なくなりました。

さて、お金への接し方について考えさせられるこの機会。
日本人は、お金の話をすると否定的な傾向がある、という話を聞くことがありますがお金に執着することと、無頓着でいること、その両方の危険なことを。
2015年の為替暴落時には、日々の仕事に追われて全く心に余裕もなかった私は、会社の資金繰りと為替の変動悪化の様子を常にチェックし続けていました。その一方で大切な私自身のRUB口座のことは全く手を付けておらず、その後当時のキャッシュは諸々と海外への旅行等で使用したため、結果的には40万円近くの給与を失ったことになります。ロシア人スタッフは、RUBからドルやユーロに定期的に変えて為替リスクを避けるように気を付けているスタッフがいます。為替の動きにも敏感です。

海外への旅行のために、格安でとれる半年以上先の航空券を買うためにチケットの価格に目を走らせている人がいます。

おそらく日本と一緒で、海外にでかけない人はRUBしか必要としないので、為替の動向に注意を払わないのでしょう。しかしながらモスクワのオフィスのロシア人スタッフは若い世代で、海外への旅行を楽しみとしており、彼らにとって為替問題は実質給与の減少を意味するので大問題です。

現在すっかり利用していないメールアドレスを整理していて気が付いたのですが、自動引き落としされるパソコンのセキュリティソフト費用を毎年支払い続けていたことに気が付きました。

一昨日は、近所のスーパーに出かけたとき、マイバッグを持参することを忘れてしまいました。袋の料金はわずか5RUB。10円にも満たないものです。それでも、日頃からマイバッグを持参しており、明らかに自分で避けることができたものに対してお金を払うこと、嫌なことです。

事前に自分で避けることができたはずなのに、自分の不手際で現金の引き落としに取られてしまう手数料。これも嫌なことです。

一方で、何年もログインしていなかったオンラインバンクの口座を見ると、知らない間に溜まっているお金。

  • 使用する複数のメールアドレスを目的別に集約し、定期的にチェックすること
  • 毎日家計簿をつけること>絶対に記録すること自体を込み入ったものにしないこと。とにかく続けることが重要。実は、こう書いている私自身、続いたためしがありません。この4月から始めたばかり。毎回購入の際には、本当に要るのか要らないのか、よく吟味したうえで購入しているつもりで、だからこそ結果的に使い方に問題はない、なんて思っていましたが、Excelで簡単に他の日常の記録と合わせて、毎日の出入金を記録しています。
  • 自分自身の持っている銀行口座の定期的な残高確認と出入金の確認をすること

こんな基本に改めて戻らなければ。そんなことを自宅隔離(на карантине)の第一週で感じています。

そして、このようにお金のことを知ると、今度は「あの時なんでこうしておかなかったのだろう、そうすれば〇〇〇円節約できたのに、なぜ長い外国生活で全くお金の運用をしなかったのだろう…。そうすれば今よりもあといくら資産が増えていただろうか。」といったマイナスの考えが浮かんできます。精神によくありません。

一般的に、駐在員として勤務している日系企業であれば、手当も考慮されているはずで、生活上何ら不自由する心配はありませんが、自分自身の仕事に集中するあまりに自分自身の資金状況の確認をないがしろにすることの危険。そして、お金のことを知るが故に生まれるマイナスの考え。その双方の中で上手なバランスを取ることの大切さと難しさ。お金への接し方について考える機会となりました。

スマートフォンのカメラが一層綺麗になりました、処理スピード0,1秒早くなりました、デザインが一層かっこよくなりました。そして周りの同僚も買っています。さあ君も!そんな宣伝文句や周りの動きに揺られて、「次のモデルを買わないと取り残されちゃう、クレジットは何か月分組んで買えば毎月の出費額も何とかなりそうだ…。」そうやってお金の地獄にはまってゆきます。

自分の持っている、あるもので足りた生活をすること。お金は増やすことが目的ではなくって、自分の生活に必要なお金を把握し、それに必要なお金のレベルを維持すること。背伸びはしない。現実をよく見ること。

それが何よりも一番の大切なお金への接し方ではないでしょうか?

お金の使い方の上手い、と、下手 / Being good with money or bad with

お金の使い方がうまくなる必要があると想っています。
基本の基本は、人がお金を使わなければ経済が発展しない、このシンプルな原則です。将来に不安を抱えるから今はできるだけ節約をして将来に備えよう。皆がそれをしてしまうと国の発展も止まってしまうはず。私は100円ショップが好きで、日本に帰国すると気をつけないと時間を忘れて長居してしまいますが、何でもとにかく安いものしか買わずに多くのお金を貯めようとすること、まずいと思います。実際にお金が溜まりますが、ずっとその思考で毎日を生きていると自分の思考が狭まり、常にお金のことを考えてしまい、お金を払えば得られていたであろう知識、経験を得そこない、結果的に自分の教養のレベルが低くなり、自分自身が安くなってしまいます。かといって何でもかんでもお金をかけられるわけがない。

自分の生活レベルに合わせて、お金を不要なものにはかけず、かけるべきものにはかける。そのバランスです。そしてそのバランスを見つけて、維持することが一番難しいところではありますが。

人はもちつもたれつの関係。

お金を介してお互いに笑顔になれます。相手は収入をえて、こちらはサービスの対価、あるいはモノを得る。会話が生まれる。今では多くのオンラインショッピングが広がり、お金自体を財布から相手に直接渡すことも少なくなってしまいました。便利な世の中ではありますが、お金のやり取りを直接行うことから生まれるちょっとした会話、笑顔、人として本来大切なことを失ってしまったのかもしれません。
自分への「投資」将来の老後に向けた生活を考えて今からけちけちしてもどうなのでしょう。死ぬときには貯金残高ゼロで死ぬ、それが最高です。といっても、いつ死ぬかわからないので老後のためにコツコツ貯めるのですが…。将来何があるか分からないからこそ貯めなければいけないのはわかっている、ただし、それが理由で今現在必要なお金まで意識的にセーブしてしまうこと、それによって今の自分への投資を忘れてしまってはどうしようもないと。

祖母が入っている老人ホームにゆき、まるで赤ん坊のようになってしまった老人の方々の様子、私のことも全く分からず他人と思い、3分経てばまた同じ質問を繰り返す祖母。そんな様子を見ていると、長生きすることが本当によいことなのか?私には分からなくなってしまうことがあります。

啓発本を定期的に購入しているとすれば、そのお金は無駄な投資です。次から次へと新しい啓発本が出てきますが、お金がもったいない。私は立ち読みでパラっと目次をめくり、気になった部分だけ目を通す。世間で話題となる本は、確実にその本のサマリーを書いてくれるブロガーがいることでしょうし、そのエッセンスをタダで知ればそれで充分ではないでしょうか?これは立派な盗みという人もいるかもしれませんが、文字も大きくて文字間のスペースも十分に取られた内容も中身も薄い昨今のノウハウ本。ありきたりのことを書いてばかりの内容で1千円以上とるのも立派な盗みではないでしょうか…。以前は頻繁に購入して成長した気になっていた自分がいます。ロシアに赴任する前にすべて中古本屋の出張買取にお願いした玄関前に並べた本の数、おそらく優に100冊を超えていたはずです。

私の経験から言えるのは、啓発本を読み漁っている時期は自分自身に自身がなくぶれている証拠。それで何かに頼ってしまい、啓発本やセミナーにでかけることで他に拠り所を求めているのだと考えています。

啓発本を決して批判するつもりはありません。必要最小限の自分自身にとってためになるものを見つけたらそれを実践してみながら自分に最適な方法を探っていくこと。ビジネス啓発書でも古典と言われる名書があります。尊敬している友人、上司、同僚におすすめを訪ねて、彼らから薦められる本を中心に選択するのがよいのでしょう。尊敬している人の頭の中をその本を通じてのぞけるチャンスかもしれません。

中古屋でわずか100円で購入した「人間の魅力」。そのタイトルに惹かれて購入しました。小さなそれほど厚くない本ですが、その辺の啓発本よりもずっと価値があります。何度も読み返し、今でも手元に置いています。


旅行先でのタクシー代のケチり方

これは人それぞれの考えがありますが、時間をかけても安い公共交通機関でゆくのか、時間がそれほどないためタクシーを使用し、ドライバーとの会話も楽しむか?ロシア地方都市にゆくと驚くほどタクシー料金が安いです。そんなお金をけちるよりも失う時間を憂います。毎回ドライバーとの会話は楽しみでもあります。一方で、ローカルの路面電車に乗って誰とも会話せずに窓の外に流れる街並みを楽しむことも素敵な時間です。ケースによって使い分けています。


付き合い、飲み会

これも時間とお金の無駄遣いの要員の大きな一つではないでしょうか。何よりも二度と帰ってくることのない時間をどれだけ有意義に過ごすことができるか?分かります、食事やお酒を通してお互いに親睦を深め、情報共有をし次につなげる。重要です。ただし、それはより役職が上のの方々にとっては重要な職務の一つとしても、私のような管理職を担う人にとってそれほど機会は多くないでしょう。結局自分の優先順位がなにか?それが「時間」であれば、その場の数時間を楽しむだけの飲み会に誘われるがままに出かけることは有益なこととは思えません。この時間が自身にとっての大切な息抜きであればもちろんそれは欠かすことはできません。とは言っても、自分にとって本当にリラックスできる仲間との時間、というのはお互いに生活があり、忙しいこともあって、毎週何回もあるものではないはずです。やっぱりそれなりに付き合いや飲み会にもある程度の相応しい時間の掛け方があるものと考えています。
飲み会に行っても、仮に知り合いは広がったとしても自分にそれだけの価値がなければその後に何もプラスが無いことを実感しています。自然と人脈が広がる人というのは飲み会に顔をださなくとも相手からやってきます。日々の努力を怠らないこと、訳s九したことは守って行うこと、そういった当たり前のことを当たり前にやっている人が結果的にすごい人になっている、周りはそんな人のところに自然と吸い寄せられる。それが真実ではないでしょうか。私もそうありたいものです。

「自己投資」と「浪費」は表裏一体

一方でこれは投資だからという理由で過度に高いホテルに泊まってみたり、電車でえらい高いクラスを体験すべく購入してみたり…それはそれで経験としてありなのだと思いますが、身分相応というものがありますし、私の限られた収入の範囲でバランスの取れた、自分に見合った投資をしてゆくことを心がけています。本当に人間の欲、というのは恐ろしいものですね。自分自身もふと冷静に過去に支払ってきたホテル代など考えるとぞっとします。
つまり、自分にとって大切ではないことに対してはとことんお金と時間をかけないことがますます大切なんであろうと。自分にとって大切なものがあり、そちらに全力投球するためにはほかのものを犠牲にする必要がある。

さて、モノを多く保有する、長期ローンを抱える。お金に縛られることになり、避けたいものです。(持ち家を持つ・持たないは単にお金の損得の問題ではないので単なるお金の問題ではありませんが)ロシア人スタッフの中には、アパートを20年以上のローンを組んで購入した人がいました。ロシアの金利は高いこともあり、とんでもない金額が金利で取られてしまいます。お金に縛られると、人はお金に対する執着が半端ない。恐ろしいくらいに人が変わる。辞めてもらう時の退職金積み増しの会話を通じて、人はこうも変わるのか…恐ろしいと思った一面でした。

自分の感情ノートをつけることが自分を知り、チームのロシア人スタッフを知るのに役立っています / Keeping to write your emotion in notes is a good way to get to know yourself and the Russian staff in your team

モスクワでは3月30日から全淳民に対して自宅隔離が強く要請されています。食料品や薬局などの市民の生活に不可欠な仕事を除いて一般的な企業は今週は有給扱いとなっています。そんなわけで私も自宅に閉じこもって仕事をする日が続いています。人が集まる場所も入り口がテープやフェンスで閉じられています。人との間は2mの距離を保ってください、とのことです。3月の終わりに雪が降り、街中が白でおおわれています。

日々の業務で自分の感情が高まる場面があります。その理由がなぜか?自分自身でその時の状況とその時の感情をノート(OneNoteやEvernoteといったオンラインのノートブック、メモ帳も活用)につけることが役立っています。

そうすると、なぜこの時に自分はイラっとしたのだろうか、なぜこういった時に自分は嬉しいと感じたのだろうか、徐々に自分の中での価値基準が見える化できてきます。そして、同様のことを他の人にした時にはきっと彼らも同様な気持ちを抱いているのではないか、と思えるようになります。

一つ一つの相手の感情を気にしすぎていると、逆に自分のの動きがとれなくなってしまう恐れがありますが、それだけ相手の気持ちも推察することが出来たうえで自分の行動ができるとすれば、損することはないのではないかと思います。

私自身がイラっとすることの多くは、とりわけ私の時間を意味もなく取られることです。その会話によって仕事への集中が阻害されること。電話がくること。別に必ずしも電話でなく、SMSでも問題ないのでは、と思います。自分の集中を切らされることに非常に敏感です。そんなわけで人の足音も気になります。歩き方一つをとっても周りに圧迫感を感じさせる人もいれば、ただただうるさい人もいる、歩き方にも人それぞれの個性が表れていて面白くもあります。人の業務中にどかどかとやってきて話し出す人。考えもなくとめどなく話されても困ります。その人の時間に対する意識がその人の行動、態度に表れているようです。言うまでもなく、延々と続く会議も非常に嫌悪します。

大切だな、と思っているのは、自分がどういった場面で感情のパルスを乱されるのか、毎回記憶しておくことです。今年の冬、モスクワ郊外の英雄都市Tulaからモスクワに帰る電車の中で私がテーブル上にパソコンを置いて仕事をしていると、ご老人がのぞいてきて、お~Interestingだ、なんだこれは、стажер(学生)か?、と尋ねてきました。いや違います。何ですか?と笑いながらロシア語で返すも、シトー(What)?と顔をしかめて何を言っているかわからない、と一点張り。そちらから声をかけてきて、こちらも間違ったロシア語で返しているわけではないのに。しかめつらで全く理解ができない様子。単に耳が遠いのかもしれないですが、このようなやり取りは疲れも手伝ってイライラさせられました。それはないですよね。こちらはパソコンに向かって集中していたところを邪魔されて、それでその態度ですか…と。イラっとします。

そんなちょっとしたことでも、あっ、相手に聞き返すときにしか目面をすることが相手にこれだけ嫌な感情を与えるのか…自分はやってはならない。という教訓となります。そんな日々の積み重ねを重ねて、記録し、振り返ることで日々の地道な前進があるのでしょう。

それにしてもやっぱり完璧主義は絶対よくありません。自分で疲れてしまいます。自分に独りよがりの期待値を上げてしまい、精神を病んでしまってはどうしようもないと思いますので…。時分自身への期待値を過度に高めないこと。自分の中で今の自分に相応しい負荷レベルを見つけ、それを徐々に高めてゆくこと。日々これの繰り返しでしかないと思います、自分の成長というのは。この相応しい負荷のバランスを見つけることも難しく、これもまた日々自分で負荷のかけ具合をかえてゆくことでしか自分の現時点の能力を理解できないと思われます。

感情のコントロールは一体どうすればよい? / How to manage to control own emotions?

自分で思うほどに物事はうまくゆきません。むしろ、生きていると上手く行くことの方が少ない。これは誰もが理解しているのではないでしょうか。

全体として、一言余計な発言が多いのがロシア。そう思うことがあります。いや、実はどこの国でもそう?人はきっと相手よりも上でいたい、それを示したいと思う生き物なのでしょう。去り際に繰り出される一言でカチンとくること、一度ならずあります。しかし、それが理由で相手に手を出てしまったら…言い訳のしようがありません。日々の業務で負荷がずしりとのしかかっている中ではそんな危険もあり得る。どれだけ自分自身の感情のコントロールが大切なことでしょう。身体が震えるくらいの怒りの感情があってもそれを上手にコントロールできるスキルの大切さを、ここモスクワで感じます。

メールでの感情表現の管理も大切です、思わず気持ちのブレに揺られて、あとで後悔することをすぐに書き出して送信しまうこともあります。後で、何てとんでもないことをいってしまったんだ…という気持ち。繰り返したくありません。

マネジメントの仕事はどれだけ怒りをコントロールできるか、それに尽きるのではないでしょうか。どんなに相手のことを思って、正しいと思うことを訴えても一向に聞いてくれる人がいるようには見えない。下をうつむいている、パソコンで別のことを行っている…そんな光景もあります。悲しく、時に怒りの気持ちすらでてきます。

”どれだけ人間的に成長できるか、その成長が早い人ほど上のポジションにいっている気がする。”そんなアドバイスを数年前にいただいたことがあります。その言葉の重みを今感じます。

怒りのメールをしたいとき。危険です。メールでの感情を抑えるための対策:

定型文の利用を最大限に利用しています。このようにすれば、自分の感情がメール文章に影響を与えるリスクを抑えることができます。

  • 決まった文言はMicrosoft IME の単語登録
  • 英語の場合はPhraseExpressで文言の登録

を使っています。メールにより余計な問題を生み出してしまうことの無いように、自分の感情が入る余地を減らすこと。そんな心がけも重要だと私自身の失敗から学びました。

すぐに言葉に出さない。

負けを認めたことになるような気持ちもあるかもしれませんが、ぐっとこらえることは結果的にプラスとなること、多くあります。そして、不思議なことですが、自分の思っていたこと、でも言い出せなかったことを上のポジションの方がタイミングよく発言されることがあります。自分自身が性急に口に出さなくてよかった…そう思います。

ルールを逸脱した状況でヒトの本質がでる /The essence of a person comes out in a situation that deviates from the ordinary circusmtances

頻繁に利用する街中でのカフェでマクドナルドで。コーヒーを注文すると砂糖とミルクを何も言わずにカップに添えてだしてくれる。でも全員が砂糖を使うとは限らない。ひと言聞けばよいのに。一体どれだけの砂糖が無駄になっていることだろうか…どれだけその未使用のものがそのままゴミ箱に行き、経費の無駄使いとなっていることか…。いつも思います。

たった一言、コーヒーとミルクは利用しますか?そう聞けばよいだけなのに。そんな一言があるかないかでどれだけ会社の経費削減に貢献できるのだろう、そんなことを考えて自ら考えて実践できるひとがどれだけいるのでしょう。という私もこんなことを言っておきながら、何も考えずに席について、あっ、私は要らないのだけど…言ってあげればよかった…と後になって気が付くこともあります。

こんなちょっとしたことことから、ルールに従って物事を行えること自体も能力ですが、それ以上に自らが正しいと思う、あるいはそう教え込まれてきたルールを客観的に、疑問をもって見つめることの能力の重要さを一層認識するモスクワでの日々です。

日頃から自分自身でルールから外れた状況を作り出し、それに対してどのように対応できるか、ある種のトレーニングを重ねておくことの大切さを否応なしに感じています。

現在のコロナウイルスがここまで大きくなる前には、毎週末にモスクワ郊外の街へ日帰りで電車での小旅行を楽しんでいました。初めての町で勝手も分からず、余裕をもって行動するべきなのですが、どうにも大概帰りの列車にぎりぎり5分前くらいに乗り込むケースが続きます。これは訓練というよりも時間の計算の甘さでしかありませんが…その状況でどうするのか、頭を使って悩み考えて答えを出す。そんなことも訓練の一つだなぁ、と思うところです。Voronezhの町で、翌朝モスクワに到着する夜行列車に乗り遅れないようにと約5kmをひたすら走ったあの経験は二度としたくありません…筋肉痛がその後も続きました。

人は不思議なものです、もういいや、次の列車でもいい、チケットを買いなおせばいいのだから、と思った途端に一気に力が抜けるものですから。幸か不幸か、ロシア郊外の町で列車を逃すともう次がなかなかないのでそうも言っていられませんが。

さて、今のモスクワのコロナウィルス状況。確実に経済、ヒトの生活、心境にマイナス影響を及ぼしています。誰もが想定していない展開にあらゆる危機を経験してきたロシア人にとっても新たなチャレンジとなっている様相です。増してロシアと比べればずっと安定的な経済、生活環境で過ごしてきたであろう多くの日本企業の駐在員にとっては、今回の事態は会社の業務運営への影響を抑えるためにも、スタッフに広がる動揺を緩和するためにも大きなチャレンジであること間違いないはずです。私にとっては全くの新しいタイプの経験であり動揺しないと言えば全くのウソになります。日々新たな情報が更新される中で見えない先を見通す努力とそれに備えた手を打つ行動力、リーダーシップ。

ルールを逸脱した状況でそのヒトの本質が試され、あらわにされるのだと。

「XXXさん、私たち、仕事があるだけずっとましだわ」 ― 部下の女性のそんな落ち着いた発言を聞くと、改めて女性のたくましさを再認識しました。

政府の発表情報サイト(26.03.2020発表)http://government.ru/orders/selection/401/39276/

コロナウイルスに関する総合情報サイト

https://стопкоронавирус.рф//#

モスクワの現状とこれから(COVID-19) / Current situation in Moscow and from now

書きたいことはたくさんあるのだけれど、あまりにも目の前の業務に追われて、ゆとりがなくなっている、というのが本当の気持ちです。これほどまでに先行きの見通せない、予測のつかない事態にこうも急激になろうとは誰が想像したでしょうか…原油価格の下落によるルーブルの暴落、そしてCoronavirusの蔓延は確実にモスクワにも大きな影響を及ぼしています。

「ロシアはこれまでもありとあらゆる危機を経験してきたので慣れっこです」なんて冗談を言っているスタッフもいます。決して嘘ではないのですが、今直面している状況は、長年モスクワに勤務する経験の中でかなりタフな経験となっています。この週末は疲れもあり、全く仕事から遠ざかっていました。全く何もせずに好きなYoutubeの動画やNetflixを観たり、キッチン回りを掃除したり。かつてならこのような”何もしない”時間を極度に嫌ったものですが、いまはこの”何もしない”時間の中で、今の置かれている物事を客観的に考える時間を持つことの大切さを感じます。

平時にどれだけ当たり前のことを当たり前にこなすことができているか、そのことの重要性と、日頃からの積み重ねが会社や個々人の力の差としてこのような臨時の場にはっきりと表れる - それを否応なしに体感しています。その一方で、ヒトというのは弱いもので、このような場になるまで日頃の当たり前の積み重ねの大切さを学習することができない生き物であるなぁ、ということも学んでいます。少なくとも、こんな体験をしたからには私自身、そしてロシア人マネジャーをはじめとするスタッフ全員が、この危機をまずどう乗り越えることができるか?乗り越える過程でどれだけ成長し、将来やってくるであろう次の危機に向けた意識と行動を高めることができるか?そこに会社と個々人の先がかかっているはずです。

さて、明らかに金曜日の夜にしても、この週末にしても通りを出歩く人の数が少ない気がいます。お店に出かけてもレジでの会話はコロナウイルスのことばかりです。「商品が少なくなってない?」「ないよりはあるだけましでしょ?」

さて、ニュース媒体Meduzaによれば、いくつかの情報が掲載されており、(別のビジネスニュース媒体)РБКがレポートしたところによればモスクワのロシア内務省は、コロナウイルス状況が一層悪化した場合のアクションプランを3月末までに準備するように指示をした、とのこと。この計画の中にはモスクワへの自動車の出入りの制限と、外出禁止令の導入といったものが挙げられています。

それ以外の媒体の情報も掲載されており、

19.03時点:モスクワのコロナウイルス感染者が800人に達する場合、モスクワ市を封鎖する計画を検討中であること、

22.03時点:モスクワではコロナウイルスの状況が今後悪化すれば、より一層の厳しい検疫手段を導入する計画がある。(大型ショッピングセンターや地下鉄の閉鎖、といううわさも聞いていましたが、 この記事によれば)”モスクワ市長セルゲイ・ソビャーニン氏は地下鉄の閉鎖、軍隊の投入の可能性といった噂はばかけだ話だ、ということで一蹴した”とのことです。(Мэр Москвы Сергей Собянин также развеял слухи о возможном закрытии метрополитена и вводе войск в столицу, назвав их чушью. )

最新の状況によればロシアでは367のコロナウイルス感染ケースが報告されており、そのうち191のケースがモスクワで報告されている、とのこと。

https://meduza.io/news/2020/03/22/rbk-politsiya-gotovitsya-k-vvedeniyu-komendantskogo-chasa-v-moskve

「正義」に過ぎることがあってはダメです / If you go too far into “rightousness”, you may just things worse.

これまでのロシア人スタッフにもいたのですが、すべての物事がロジック通りに進まなければ素直に動かない、私の言うことを否定する人、彼らのいう「義」の通りに進まなければことごとく否定する部下がいます。そして、その取扱いが難しいのは、彼らの言い分が正しいからです。だからこそ、それを否定することもできず、否定すると一層さらに突っ込まれます。
あなたの考えは間違っている。であれば私も従わない。と。
このような人間は決して上に立つべきではありませんが、このような人間は部下の立場であるからこそいかようにでも述べることができます(時分自身の利害を中心に語っていればよく、全体の視点で物事を考える必要がない)。そして、このような人も小さな会社では日常業務のオペレーションを担ってもらっている以上、容易に彼らを否定して業務に支障をきたすことがないようにしなければならない。
どんなに話し込んで、彼らの意見を聞こうとしても一向に変わらないことがある。これはどうにもならない事実だと思われます。何を言っても揚げ足をとられる。そして彼らはそれに満足している。他にも多くの課題を抱えているこちらはこの会話をしているだけで疲れてしまう。相手も自分の言い分が聞き入れられないために疲れてくる。私の経験上、去ってもらうしか解決策はないように思えます。
世の中、このような人と一緒にいるとただただ疲れるなあ…と感じるばかりです。
私自身を評価するのはあくまで周りであって自分自身でありませんが、自らとしては日頃からのやり取りを通じて多くのスタッフと包み隠さずのコミュニケーションをできているとします(否定する人からすれば何を言ってもダメです。私の認識もすべては「あなたの勘違いです」といって一蹴されてしまいます。)そんな中でも必ずこのような人が存在する。私自身が相手のためを思って行ったとしても、それが相手にとっては素直に受け止めてもらえない。そのようなジレンマに苦悩することもあります(いまでは「ありました」の過去形となっています)。
会社の規程は非常に重要です。我々の行動は必ずその規定に沿ったものであるべきですが、細かいすべての部分ですべてのことにおいてきっちりと規定を整備し、それに沿って行動しなければならないとすると、それはただただ苦痛でしかありません。Job Descriptionにしても、それに記載がない要求を上司がすれば「これは私のJob Descriptionには記載がないのでやりません」なんていう人間もいました。一方であらゆる可能性を考慮したうえで詳細を排除した記述方法にすると「これでは曖昧過ぎてダメです」という答えが返ってきます。
どれもが正解と思える中でお互いに歩み寄りベストの解決策を見つける。各々がどれだけ相手のことも考えたうえで行動できるか、これが会社で働く上での一番といってもよい重要な点ではないでしょうか。
与えられた目の前にある問題の解決に取り組むことは容易としても(これは部下の仕事を想定して述べています)、自分の置かれた立場、今の会社の状況・規模を理解したうえで判断する課題設定、その課題のレベル、優先順位、どこに落としどころをもってゆくかというバランス・判断を下す立場の私。そのバランスを取るのに苦慮する横では、正論をただただ述べるだけの部下…。
ロシアに赴任したばかりのころ、右も左もわからずに初めて人事を見ることになりました。すべてのことがただただ初めて。部下の人事評価、昇格のルール決めについて昔から勤務していたロシア人人事マネジャーは、「私が知っている他社では、きっちり評価の点数付けができていて、全員不満なくシステム通りに昇格する人も決まってゆく、それに比べてこの会社の評価や昇格のルールはなっていない」と。
長年人事をやっておきながらそのようなとんでもないウソを堂々と語れる…衝撃的でした。今では経験からはっきりとわかりますが、人事制度をつくるのはいたって簡単。すぐにできます。問題はその制度が機能させることがどれだけ難しいことか。点数付けそのものがどれだけ難しいことか、全員素晴らしい評価を取ったら、将来会社には全員課長だらけになるのか?そのような点が人事評価の悩ましいところです。
であれば新しいポジションをどんどん作ってゆけばよいのではないか?なんていう人間もでてきます。そうなると、ロシアにいて接する営業スタッフの名刺を見ていて思いますが、やたらとManagerと名のつく方が多いこと。一体あなたとその横にいる彼、彼女はどちらが偉いんだ?という話になります。
論理で正しいことと実際の会社の管理を担うことは違う。それは経験からでしか理解できないのかもしれません。
`自分の視点で人を判断する。それは自分のレベル。もしもっと広く視点が広がるともっと人として成長して、目の前のことを冷静に判断できるのかもしれません。だからこそその点でいかに早く成長できるか?これがより上にいくために重要な要素だと思っています。
私もどちらかというと「正義感」をもって正しいと思うことを強く主張し、声を荒々しくし、周りも気にせずに声を張り上げていることがありました。今振り返ってみると、どちらかといえば自分の狭い視野に基づいて物事を判断していたのだと感じます。そしてそれが当時の自分のレベルであった、人は自分のレベルに基づいてしか物事を判断できない、ということです。経験を経て、上の立場の考えに近づくにつれて判断基準のレベルも高まる。そうすろと、必ずしも自分の「正義」が決して全体から見れば正しくない、という矛盾に気が付くわけです。その矛盾さを理解したうえで、本当の意味での正しい決断を下せること。それがマネジメントとしてやってゆくために求められている要素であり能力であるのだと、苦しい、まったく思い通りにならない部下との”バトル”を通じて学んできた事柄となっています。