人とのコミュニケーションを促進する上で、研修や専門家の方々が何度も繰り返している点だと思いますが、”大切なのは、話すことよりも相手の話を聞くこと”、これは真実だと思います。
自分自身が有名人で、ファンがいて、自分の話をお金を払ってでも聴きたいと希望している人がいて…自分自身がそんな人物でない限り、”周りの人はこちらの話すことに基本的に関心が無い”、という前提でいれば気が楽だと思います。特にロシアに駐在している時には、その点を散々認識することがありました。小さな規模の会社であっても、管理部門のトップをしているのだから、私の話を多少は聞き入れてくれても良いと思うのですが、やはり聞きたくない、と思う話は聞いてくれてはいても心には入っていってないんだろうなぁ、と思いつつ。
たくさん不満をぶちまけてきた女性スタッフの話を聞くだけ聞き、ー お互いに話している内容は本社も関わるためにロシアの会社だけで判断できないことを承知の上 ー 聞き終わった後には「とにかく、話を聞いてくれてありがとう。それだけでも感謝します」とのこと。私だって言いたいことはあったけれども、仮に喋ったとしても効果は全くなかっただろうな…と。
いつも思いますが、究極の自己中とは、それは「ひたすら相手の話を聞くこと」。なぜならば、人の話を聴くことでしか、自分の知らない世界を知ることができない。もちろん、ずっと同じ人から聞いていると、新しいインプットが無い限り得られるものも減ってくることがありますし、常に人の話を聞き続けることは疲れることもあります。バランスを取ることが大切です。
もし自分の話を相手にするならば、話し方やプレゼンの方法を学べるのかもしれませんが、結局、自分が持っている以上の話をすることはできません。その話していた時間は、自分のために情報を取り入れる時間を失っていることになる。相手に自分の話を聞いてもらえるのは嬉しいとしても、冷静に考えると自分が得られるものを失っている時間でもある。自分の成長のための時間を取りこぼしていることになる。そう考えると、人の話を聞くことは自分のためになる。つまり、これは自分に役立つことばかりを考えているので、自己中心的な考えの極みでは?、と。
結果として、それが人とのコミュニケーションを円滑にする方法であるなら、一石二鳥ではないでしょうか?自分の成長にも繋がり、かつ人間関係を良好にするために役立つ方法。
このようにして書いているブログもまた、実際に声に出してはいませんが、自分の思考を整理するのに役立ち、頭の中で反芻しながら文字に起こして、実質的に”喋っている”ことになります。読むも読まないも人の自由。相手の意思次第ですので、相手に負担をかけるものではない。時間を奪ってしまうこともありません。そして、自分の思いをアウトプットすることは、きっと気持ちを落ち着けることにも繋がっていると感じています。