人は一体いつ、どのタイミングでかつてのやる気をなくしうるのだろう。
ってここ最近いつも思う。
会社に入社した研修でお会いしたとある工場での工場長の話。「今、ここにいるみんなは全員同じ位置にいるけど、10年間我武者羅に仕事してみてください。きっと大きな違いになっているから。」
そんな言葉がけっこう印象に残っています。それはずっと昔のことで、それが実際にどう自分自身に生きているのかは分かりませんが、その言葉の重みをいつも感じます。当時の同期として入社したメンバーが実際に現在どのように仕事をしているかを見るとき。今、ロシアにいて、ロシア人スタッフを見ていてはっきりと分かること。それは、人によってどんなに同じ時間を過ごしても、その結果が実るのは1倍であったり、2倍になったり、10倍になる、ということ。
よく考えれば当たり前なのでしょうが、なんだか前までは、自分の期待するレベルまでできれば到達可能なんだ。だから「がんばれ、やればできる、何でも必要なことは終えてあげるから。」という意識で。できなければ、「なんで出来ないんだ?仕事時間集中してがんばろうよ、黙々と仕事をしてくれ!長い雑談はするな!」というふうに。その中でもどんなにこちらが努力して支えても、伸びる人伸びない人は明らかに分かれる ― これを頭の中でどこか否定しつつも、はっきり理解できたことは大きかったです。
伸びなくなる人 ― その原因はいろいろですが、その一つに仕事にやる気をなくすタイミングが訪れた、というのはあると思います。それが、もしかすると、自分で思っているようにできない自分がいることに気がついたとき、それを周りから指摘されたとき、いやもう少しはできるのではないか、と反骨心をもつことなく、もうどうでもいい、と思ったとき。そんなときがあるのだろうか、と。
つい先日、近畿大学での又吉氏の卒業記念講演を見て、このお話をYou tubeで聴いてから、自分が悩んでいることへの答えはこれなのだろうか、と。新鮮でした。とても重みのある言葉でした。自分で自分に対する期待が裏切られたことが分かったとき、人はどう行動するのか・・・ここが大きな転換点なのだろうか、と考えてみたり。自分の能力を把握し、それを認めて、自分のに合ったレベルでどれだけ自分で伸びてゆけるか。自分と定期的によく向き合うことの大切さ。
自分自身も素の自分に正直になって、変に期待しすぎること無しに有りのまま進んでゆこう、と。ロシア人スタッフのことを見ていてわが身のことを振り返る時間となりました。