ロシア人と日本人のコミュニケーションレベルの違い / The different level of Communication between Russian and Japanese colleagues

本日の20:30。家のすぐ隣にある公園にて。今日は雪が降り、気温も体感マイナス7度。帰宅する頃には通りもうっすらと白くなっていました。その下に張っている氷に完全に足を取られ、尻餅をつくことに。頭の中にまで衝撃が響くほどにきれいにこけました。

今日はチーフアカウンタントと仕事のあとに会話をしていて、「この会社はコミュニケーションに問題を感じる。どうにも(日本人と)メールで会話していると何が言いたいのか理解に苦しむことがある。」と言われてしまいました。

質問をもらい、それに対して回答をするのだが、どうにも自分の回答が相手にとってピントがずれているのでは、と思えてしまうような反応が返ってきて「?」となるようです。ロシア人同士で会話していれば相手の反応から相手が納得しているのかすぐに分かり合えるのに、と。そして、もっとできるだけ自分たちが考えていることを教えてほしい、と。そうすればより相手の欲しい仕方で回答もしやすい、ということ。

何となく言われていることは分かる気もします。各人の性格の違いゆえ、あるいは質問がスタッフとは共有できない事柄に関係している場合もあるので、必ずしも少人数の日本人との業務経験だけをもって“日本人とは…”と固定観念を持たれることは避けたいものです。しかし、彼女曰く「日本人は、どうにも表に現れる表現があまり少ないからだろうか、何を考えているのか分かりづらい。」とのこと。メールにですらそれが表れているのだろうか、とふと我が身を振り返ることに。

私自身を振り返って思い当たる節があるのは、頭で考えていることを指に伝えてメールで文字化する作業の中で、無意識のうちに日本式で文章化してゆくために、抽象的な表現が多くなったり、相手が分かっているだろうとの認識から言葉自体を省いてしまう傾向があること、そう自分自身で理解するようになりました。チーフアカウンタントの彼女から聞くと、そのようなメールが飛んでくると、周りのスタッフと「ねぇ、これって何を聞いているのかしら?こういう意味にも取れるし、違うようにも聞こえるんだけど…」とあーでもない、こーでもないという会話がされるようです。ずばり「無駄に時間がとられてしまう(ので嫌だ)」とのこと。

どんなに意識をしていても、まだまだ抽象的な会話の仕方が染みついているな、と感じます。抽象的-そこから生まれるものは、仮に良さを無視してネガティブに捉えてみた場合には—阿吽の呼吸でお互いが察することを要求する。何となくの文化。よく分からないけれどもとにかく行き詰まったら笑ってごまかす。みんな仲良く。責任の曖昧さ。仕事の方法、期限がぼかされていて自分から確認しないと一言言われただけでは分かりづらい。―そんなことを感じています。

その(its)、これ(this)、あれ(that)、そのような(such)。今日の文章を見ていても頻繁に繰り返されています。これが英語になるとロシア人も私もお互いに母国語ではないためにさらに理解度に溝が生まれてしまいます。忙しいときには、メールを見返す時間もおろそかになってしまいがちですが、自分で書いたメールを送信前に読み返し、重大な文法ミスや、文章の構成におかしな部分がないか、サッとでも確認する時間を取ることが大切でしょうね。

「XXXさんの書いている英語はよく分からない。もっと分かりやすく書いてください。」と直接言われるとさすがに堪えるのですが、やはり時間を置いてから読み返すと、全く自分でも理解ができないことがあります…やはり振り返りは大切だと確信します。

そして大切な原則は、ビジネスメールはポイントを絞り、できるだけ短文で。箇条書きで全く問題ありません。Request、Question、Due date、Contact先など。きれいな英文が必要なく、出来る限り読ませずに、見て理解できる内容を作ること。そして具体的に。ただ、一番よいのは直接面と向かって会話をすることですね。今日もまた一つビジネススキルの改善に向けての訓練を受けた日でした。

やる気がないとき、でもやらなければいけないとき / No motivation… but when I have to job

今晩、空から眺めたクレムリン、赤の広場の眺望。…というのは冗談で、本日集中して仕事をするために訪れたRaddison Hotel, Ukraine 1Fに設置されているジオラマ(diorama)です。写真でパッとみるとそれらしく見えますか?

愛読している複数の方のブログを読んでいて、やる気がないときの対処法について記載がありました。そういう自分も色々と試行錯誤をしてきましたが、その時々に応じて取る方法・順番は異なりますが。結果として同じような内容にたどり着いています。

やる気がないとき(休日)

ぐっすり寝る、何もしない。これが一番の対処法と今は思っています。以前は今日何をするかと、そのために何時に起きるか、どれだけ効率よく多くのことを達成できたか?― こだわりを持っていましたが、実はこれが大きな問題で、一日の中に物事を詰め込みすぎると、それを達成することが目的となり、一つ一つの質がスカスカでした。そして、身体も疲れてしまいそれが翌日のパフォーマンス低下につながり、結果としてよいことがなく…。

2週間前に体調不良で寝込んだ時は、疲れていたこともあったのかもしれませんが、丸一日以上眠り込んでいました。我ながら驚きです。朝7時に目が覚めて具合の悪いことに気が付きそのまま休んでいたらお昼12:000。またそのまま眠り込み、外が暗いな・・と思って時計を見ると19時すぎ。少し軽くおなかに入れてから、再びベッドへ。気が付くと23時。これはもう寝れないだろう、と思いきや翌朝までぐっすり眠りこみ、月曜日は職場へお腹をさすりながら向かうことに。

まだ未経験ですが、もしこの状態が数日続くとすると、それはあまりにも忙しい毎日からくるストレスで鬱状態になっているのかもしれません。そうならないために心身の健康を大切にしたいものです。

やる気がない、でもやらなければならないとき(平日)

このようなことが起こること自体を出来る限り少なくなるよう意識していますが、人間ですからプライベートで嫌なことがあったり、体調不良であったりすると仕事のパフォーマンスに響いてきます。この日はもう”負け試合”なので、いかに負けによる被害を最小限にするかを意識し、最低限のことを行ったあとは速やかに退社するようにしています。スタッフも同様で、明らかに反応が鈍いとき、非常に機嫌が悪そうな様子をみると、これはダメだな、と思いその日は出来る限りそっとしておくようにしています。

また、定期的に職場の中でも仕事をする場所を変えるのは効果的です。自分の定位置ではなくて、会議室に入ってみたり、他に空いている席に座ってみたり、パソコンを持ってビジネスセンター内のカフェにでかけてゆき、そこで仕事に集中してみたり。環境を変えることで人間はスイッチの入り方が違うようです。

最近、おっと思ったのは、軽く走ってみること。ジョギングができないとしても、会社に向かう途中で小走りしてみたり。身体を動かすことがよいのか、なんだか気分が上向いてくることが感じられます。

すきな音楽を聴く、食べたいものを食べる、好きな映画を観る、自分の将来の目標を振り返る、などいろんなノウハウはあるようですが、これも人それぞれなんでしょうね。私自身は今では、“みんな人間。ロボットではないのだからダメなときはダメでいいじゃないか。”と気楽に考えられるようになりました。どうも今の世の中、もっと頑張らなければ、弱音を吐いているんじゃない、とでも後ろから周りから突っつかれているような気がします。そんな世の中で常に生活していると疲労もたまるのは当たり前ですね…。サラリーマンは短距離走ではなく、長距離走ですから長い距離をどうペース配分して結果を出すかを考えること、これも大切なことですよね。

やる気がない、でもやらなければならない(祝日あるいは時間があるとき)

カフェに行って強制的にその場で時間を決めて行うようにしています。甘いものが好きなのでコーヒーや紅茶と共にデザートを食べながら、最高2時間まで集中してタスクを完了させるようにしています。仮に終わらないとしても、全く手の付かなかったことが進展したのを見ると嬉しいです。休日に職場で行う、あるいは自宅で行うでもよいのでしょうが、誘惑も多く色々と手にしてしまい結果が伴わないケースも残念ながら多くありました…。休日は自分自身のプライベートの時間でもありますし、仕事以外のことから得られるインプットも重要なのでいかに集中してやるべきことを効率よく終わらせられるか、この点が毎回勝負となっています。

絶対に避けたいのは、終業時間後や週末の時間まで業務時間として潜在的に考えてしまうことです。どうしても業務量が多い駐在員生活。現実的に毎日全く残業せずに帰宅することは不可能です…が、毎日終業時間を意識し、月曜日から金曜日までの業務時間でどれだけ達成できるか、その締切の意識を強く持つことが一つ一つの業務に対するスピード、取組み方を向上させてくれるものになっています。 といってもなかなか毎日そう高いレベルを保つことはやっぱり人間ですので難しいですね。一番望ましいのは、先を読み、業務量をためないこと。そのためには常に先をゆくこと。そう頭では分かっているのですが…どうにも頭の指令に聞き従わない弱い自分自身とときに闘っています。