9月―ロシアの新学期の時期に15年前に起こったベスラン学校占拠事件を想う / September – New school season – remembering Beslan school siege 15 years ago

9月は学校の新学期の始まり。ロシア人の子供を持つ親たちは、子供を学校につれて行き期の始まりをお祝いするために休暇を取ったり、遅れて会社に来るケースが多くあります。私の勤務する会社は比較的まだ年齢層も若いため、目立って多いな、という印象はありませんでしたが、4,5名の女性スタッフが実際に休暇を取ったり遅れて出社していました。実際にこんな記事がロシアの著名な新聞の一つ、Vedomostiにありました。

「9月2日(1日は日曜日のため、学校初日は2日)は従業員の1/3が休暇を取って学校の始業式に出かける ― この事実について雇用者は何を考えるか」

https://www.vedomosti.ru/management/articles/2019/08/28/809894-tret-rabotnikov-sentyabrya-poidut-shkolnuyu

こんなおめでたい日ですが、その一方で、15年前の9/1に北オセチア共和国のベスラン市で起こった悲惨な学校占拠事件があったことをロシア人スタッフに言われて思い起こしました。

Юрий Дудь (Yury Dud)というジャーナリストが特集した約3時間の長いビデオがYou tubeで公開されています。「これをぜひ見てください」と。ロシアでは有名なYoutuberのようですが、この中では当時を生き延びた人たちの話や、唯一占拠されていた建物に入って、話し合いの結果26人の人質を外に連れ出すことができた元イングーシ共和国大統領Руслан Султанович Аушев (Ruslan Aushev)氏の直接のインタビューが掲載されています。

教えてくれたロシア人スタッフによれば、いかにロシア政府が無能であったか、ロシア政府の要人が及び腰であったか、テロリストの攻撃情報を事前に入手していたにも関わらず行動しなかった、なぜこんな悲惨な事件が起こるのか・・・滔々と語ってくれたのですが、今となっては何が真実なのか、一方的な話だけでは分かりません。

目の前の自分自身のことに追われてしまい、どんなに悲惨な事件でありながらも、そのような事件も自然と風化してしまうことを恐ろしく感じます。過去を定期的に振り返ることの大切さを教えてくれました。

この事件があった体育館は、雨などによる老朽化を防ぐためか、その外側を覆う建屋が建てられ、当時のままで保存されています。その隣には亡くなった方々を弔うかのように教会が建築されていますが、そもそも、「なぜ神様がいるのであればあんなにも可愛らしい子供たちが幼い命を失わなければならなかったのか・・・」と考える人が多くいるのではないでしょうか。訪れる価値のある貴重な場所です。

大祖国戦争(第二次世界大戦)モニュメント”Перемиловская высота” / Peremilovskya Vysota

この週末、家族連れやカップルが訪れて高台から眺める美しい光景を楽しんでいました。

モスクワに住んでいると、2回の大きなモスクワ攻防戦について思い返す場面に遭遇します。Отечественная война 1812 года (ナポレオンとの祖国戦争)、Великая Отчественная война (ナチスドイツとの第二次世界大戦 ―大祖国戦争)。

主にナチスドイツとの大祖国戦争に関するモニュメントを目にする機会が多いのですが、モスクワ郊外(Подмосковье)にも有名なモニュメントが存在します。

“Перемиловская высота” / Peremilovskya Vysota

モスクワ市内の鉄道駅から北に電車で1時間。Яхрома(Yakhroma)駅で降りると、通りに出るためにプラットフォームから上った階段の上から遠くにモニュメントが見えました。”Перемиловская высота”の意味はPeremilovoという村の”Vysota”(直訳で「高さ」の意味)、高台という意味と解釈しました。

モスクワの良いところは、電車に自転車を積んで郊外に出かけてゆき、新鮮な空気、人気の少ない静かな空間の中でのサイクリングを楽しめることです。自転車で10分も走ることなく、モニュメントの下に到着しました。高台にあるモニュメントまでジグザグの道を上ってゆきます。

モスクワ中心の赤の広場からわずか北に約80km。自転車でもわずか6時間もあれば到着してしまうほどの距離。

このポイントは、モスクワ攻略を目指すナチスドイツが1941年冬に最もモスクワに近づいた場所だそうです。1941年12月5日、ソヴィエト軍は10日間の攻防の末、ナチスドイツの攻撃を撃退することに成功し、ここからナチスドイツ撃退の第一歩が始まった重要なメモリアルのポイントとなっています。町には決して横幅の大きくないモスクワ運河が流れています。この東西にソヴィエト軍とナチスドイツが陣取り攻防していたようで、今では非常にゆったりと静かに流れる運河。この町を巡って1941年に同じ場所で、この運河の場所でそのような血みどろの戦いがあったとはとても想像が難しいものがあります。訪れた時にはそれほど本当に平和な空間が広がっていました。モニュメントにたどり着く道の途中にあった詩:

駅から眺めるモスクワ運河

Запомните:
От этого порога
В лавине дыма, крови и невзгод,
Здесь в сорок первом началась дорога
В победоносный
Сорок пятый год.

電車でわずか1時間のところでこのような歴史があった、という事実。これほどの近距離(赤の広場から約80kmです)までナチスドイツがたどり着いた、という事実を知ったモスクワ市民の動揺。当時の市民の思いを想像すると非常に複雑なものがあります。本土への上陸が無く、空爆がメインであった日本での戦争とは違う、日本人の自分には分かりたくても分からないものがある…そんなロシアの大祖国大戦です。

帰る時には、路肩にある家からバーベキューの匂いが。みんな良い天気のもと、庭でお肉を焼いて家族、親族で楽しく週末の夜の時間を過ごす。日本での週末というと、平日の仕事に疲れ果てて土曜日は潰れる…日曜日は街中に出かけてショッピング、レストランで食事して帰ってゆく、そしてもう明日は月曜日、仕事だ…というのがイメージにあります。が、ロシアでは金曜日の夜から「さあ、ダーチャへ」。土曜日の朝から郊外の新鮮な空気の中で目覚め、日曜日までのんびりと過ごす。こんな時間の過ごし方がとても人間らしい素敵なあり方だな、とロシアに来て思うようになりました。(訪問日 2019年8月31日土曜日)

到着してから数時間ここで過ごし、帰る間際の美しい夕日の景色。多分、この自然の美しさは1941年から変わっていないのでしょう。

参考情報

https://mosregtoday.ru/rayony-kvartaly/bitva-v-kamne-znamenitye-podmoskovnye-pamyatniki-velikoy-otechestvennoy-voyny/

https://tourism.restexpert.com/russia/place/peremilovskaya-vysota/

本のジャンルが映し出す国民性 / The online book shop shows the national character ?

とある旅行先で乗ったバスの中での一コマ。どこの国でも女の子は同じだな、と微笑ましくなる光景でした。

モスクワのように都会であっても、日本のようにふんだんに本の揃っており手に取ってパラパラと本をめくりながら時間が経つことを忘れてしまうような書店はほぼありません。その分インターネット上のオンラインショップや海賊版がより一般的なのかもしれません。

必要な本はインターネット経由で確認するしかなく、以下のインターネットのオンライン購読を購読しています。きっと他にも素晴らしいサイトがあると思うのですが、これらを好んで利用している現状です。

Kindle(日本語)… 毎月の購読料を支払えば読み放題となるのは嬉しいです、読み放題の本に制限があるのは…ビジネスとして理解できます。

SCRIBD (英語) … ロシア人スタッフに仕事上大切だと思うビジネスの知識を共有しようと思うと、大概の本は英語で発行されているものが多いため、色々と探している中でこのサイトにたどり着きました。購読料は高いな…と感じますが(先月は850RUB、日本円にして約1,500円/月の購読料)、英語で発行されている本を幅広く見ることができ、ダウンロード・Audio bookとして聞くことができるのはよい点です。スタッフのスキルアップに繋げようと、ここで見つける本を適宜共有しています。なかなか英語ではスタッフの理解をがっちりつかむには難しいものがあるな…というのが正直な気持ちです。

ЛитРес(ロシア語)… ロシア語の本を探していて、比較的このサイトを見ることが多いです。といってもロシア語であれば、ロシア人スタッフに尋ねて良いサイトを教えてもらうことが最善でしょうね。

さて、それぞれのサイトにあるジャンルを見ていて、その国の国民性が見えてくるのだろうか、と感じることがあります。

日本

マンガは日本の特徴ですが、それに負けず日本はテクニック向上や会社での対人関係に重きを置いたテーマが特に多いのではないか、と感じています。1日30分を続けなさい!、仕事が早い人は何が違うのか、朝4:30に起きる~、XXの法則、人から好かれて人生成功するためには、雑談力を上げるためには、プレゼンテーション能力の向上、パワーポイント資料の作成方法などなど、このようなジャンルの本が他の英語、ロシア語サイトと比較して多いように感じます。

アメリカ

ビジネス関係といえば、伝記やリーダーシップといったものが目に入ってきます。そして個々人の成長に関するジャンルではHappiness、Psychology…アメリカというビジネスの先端を行く社会に住む人々が疲れてしまっているがゆえにこのようなジャンルがとりわけ必要とされているのでは、と思ってしまいます。

ロシア

物語の本が圧倒的に好まれて読まれているのではないでしょうか、そしてビジネス書に関してはほとんどロシア人著者による良書がないと感じています。大体書店で見る本は欧米系の著者のロシア語翻訳版です。その点で、日本では欧米系の翻訳もあれば、日本人著者によるビジネス書も多くあり、ビジネスジャンルに関しては恵まれているのではないでしょうか。ロシアはせめてもう少しロシア語によるビジネス書、それももっと読者に楽しく読ませるような本の内容構成が必要です。お堅い内容が一層お堅い文章構成となっていれば、どんなに内容がよいとしても自然と本を閉じてしまう…。一方でロシアは世界に誇る長編作品も存在し、そういったものに囲まれて育ってきた人々が主要なロシア企業のポストを担っているとすれば、欧米系や日本のビジネスマンとは異なる感覚を持った人々を中心としたビジネス界に、若き新たな視点を持った若い世代が入り混じってゆく。そんな過程にあるのかもしれません。ロシアの書店を数年間見ているだけでも少しずつ本の質、デザイン、内容が変わってゆくのを見ることができるのは面白いことです。

春の訪れ、マースレニッツァ / Coming of Spring, Maslenitsa

3月2日(土)の晩、クレムリン赤の広場に入る手前の場所にて。まるでおとぎの国のような世界。

3月1日、ロシアでは“Масленица(Maslenitsa)”が始まりました。このマースレニッツァは一週間続くようですが一体これが何かというと、この単語、「マースレニッツァ」で詳しい説明が載っているサイトを検索するのが一番早いです。詳しくやそちらへ。…という自分自身もこれを機会に幾つかサイトを読んでみて勉強になりました。

もともとはロシアがキリスト教を受け入れる前からあった春分の日の前に行う春の訪れを祝う異教徒の祝祭だというのが一般的な理解と思われます。あるロシア語サイトでは「多くの人はマースレニッツァがもともと異教徒の祝祭であると誤って理解している。正教会員にとってこのイベントは別の意味を持つ。この週はВеликий пост(ポスト、正教会では「大斎」。英語でLent、辞書によれば<キリスト教>四旬節、受難節)に備えるための時期」なんだと。

一方で別のサイトを見ると、「(異教徒であった祖先たちは)太陽をあがめ、春の訪れを神に請い、人々自身も暖かい日々が少しでも早く来るように努力をした、それを表すのがこのイベントの伝統的な行事、人形(冷たい冬を表す)を火で燃やすこと(火は地球の熱を表している)で大地が眠りから覚めて、再び大地が穀物で潤うように願った」ようだ。

このイベントの時期、丸いクレープ生地のようなロシア伝統の食べ物(ブリニィ複数形блины)を食べる習慣がありますが、これは太陽を表しているようです。そして、「この時期にたくさんのブリニィを焼けば焼くほど、この春に家族がより豊かになり幸せになるといわれている」そうです。

この時期は肉や乳製品を控える40日間。私たちの会社のスタッフの中にもこれを守る人と守らない人で分かれます。食事に一緒に出掛ける際には、守る人は守る人で食事を制限しますし、守らない人はこのポストを守る人に敬意を示しつつも食事は特に気にせずにいつも通りのような気がします。街中のレストランはこのポスト専用のメニューを準備して、ポストを守る方々をサポートしています。

ロシアがキリスト教を受け入れたときに過去から続く異教の習慣をうまく取り込んだ、というのが一番正しい理解だと考えています。宗教心があることは立派で、こういった習慣を守っている人たちに敬意を表したいですし、こういった時期にロシア人と日本人の宗教、神様に対する認識の違いについても思いめぐらす良い時間ともなっています。

参考URL:

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E6%96%8E_(%E6%AD%A3%E6%95%99%E4%BC%9A)

https://dailyhoro.ru/article/maslenitsa-istoriya-i-traditsii-prazdnika/?from=related_slider

https://dailyhoro.ru/article/pochemu-na-maslenitsu-szhigayut-chuchelo-i-pekut-blinyi-narodnyie-poverya-i-obyichai/?from=related_slider

体調がすぐれないとき、でも仕事にゆかなくては / Being ill, but when you have to go to work

気温の寒暖差も激しいモスクワ。どうしても体調不良のときがやってきます。今年の冬は幸いにも今のところ風邪も引かず元気にやっていますが、この週末は土曜日の晩に食べた魚が悪かったのか軽い食中毒になってしまったようでお腹の調子がひどく、手にもしびれが残った状態がずっと続きました。日曜日はずっと眠り込むことに。せっかくの貴重な日曜日が…。こんな状態で月曜日を迎える時の心境について書き出してみました。

体調が完全にダメなとき。

ひたすら寝る以外に方法がないです。病院にいって診察を受け、薬をもらう、というのもありますが、ここではあくまで自宅療養を念頭に置いて書いています。

体調がダメなんだけど決して動けないわけではないとき、でも余裕があれば休みたいとき。

多くの場合、休める余裕がないことがほとんど。決して自分がいなければ会社の事務は回らない、自分が何とかしなければ!などという過度な自意識はないものの、現実的に起こる、規定では定めきれない日常のあらゆる問題を解決するにあたっては自分自身がいなければ不都合が起こることも生じます。そんな時でも、いかに今日休めるかの理屈を頭の中で考えだします。携帯で今日の予定をチェックし、「OK,今日は来客もない、社内会議のみだから何とかなるだろう」「仕掛事項も明日以降に延ばせば何とか今日は問題ないだろうか」と、可能な理由を頭の中でぽかぽかと浮かび上がらせてゆきます。そして「あと10分寝よう、そうすれば少しは気分もすぐれるだろうか」目覚ましがなると再び「いや、あともう10分…」と。そして仕舞いにはもうこれ以上決断を遅らせることができない時間がやってきます。そして、そんな日にどうしてもオフィスに行かざるをえない事情が起こったり。

「よし、半日だけでもいこう、それでダメであれば帰ろう」、そう思って準備をしてオフィスへ。今日という日は100点は無理なので、頑張って80点が取れればよいではないか、という気持ちで。このダメな日にどれだけ最低限の合格点でまとめきれるか、それだけを心に考えて…。

まずは動き出す

この体調がすぐれないんだけれども、決して身体が動かないわけではない、動けるのであれば動きたい、そんなときは、自分の気持ちの在り方に強く依存されるな、といつも感じます。昔母親世代の女性から一言いただいたアドバイスを頭に焼き付けています。「どうしてもやる気が起こらないことがあるでしょう。その時はね、とにかく動くことよ!動いてみるとだんだん身体が動き出してくるから、とにかくダメなときには動いてみなさい!」と。この女性はずっと女手一つで娘さんを育ててきたたくましい女性で、その笑顔で語っていたこのアドバイスには非常に説得力がありました。そう、「えいや」と気持ちを決めて起き出し、まずは動き出す。少しでもよいから動いてみよう、それから考えよう」とポジティブに動けば、自然と身体がリズムに乗って何とか一日を切り抜けることができる。身体も動いていると調子が上向いてくるのか身体の違和感もなくなってくる。「今日はやっぱりだめだ…」という気持ちが強くなると、やっぱり身体もダメになってひどいときにはさらに体調が悪くなってしまうことも。体調が悪いことだけに注意してしまってもよろしくないようで、体調が悪い状態でありつつも仕事に集中することで痛みを少しは忘れることができる。人の心は不思議で強いパワーを持つんだな、と感じさせてくれます。

今日も何とか乗り切りましたが、体調不良のときには休息をとるのが一番です…。そして休息を取れるようにロシア人スタッフと業務を共有し、仕事の理解をしてもらい、会社を担ってもらえるようにすること。まだ長い道のりですが、それを目指して日々励んでいます。 ただ、風邪をひき、周りにうつしてしまいかねないときにはもちろん仕事の影響も重要ですが、周りへの風邪をうつしてしまいかねない悪影響を最優先に考えています。そして、体調がすぐれないときほど日本食のありがたみを強く感じます。

仕事の合間に自然の美しさを楽しむ / Enjoy the beauty of nature during a work break

今朝。しんしんと降り続ける雪。

今日のモスクワ市内はとっても素敵な光景が広がっていました。雪解けが始まり、春の訪れが近いことを感じていた前日。ところが深夜からこんこんと雪が降りだし、朝仕事に出かける時には辺り一面が真っ白な世界に。仕事中も絶え間なく少し湿った重い雪がしんしんと舞い降りていました。

目の前の仕事に集中できる時間が少しでも多くほしい。でもこの美しい景色を逃すと同様の景色を見るチャンスは二度とやってこないのでは?そんな心の中での葛藤がありました。

20分でも外に出よう、と決めてスタッフとの会議時間をずらしてもらいスマートフォンを持って外へ。きっとモスクワ郊外に今日出かければどんなに素敵な景色を見ることができたか…それができないのが残念ですが、オフィス近くでも雪が積もった木々の連なりの美しさを少しだけ堪能することができました。

目の前に期限の差し迫った業務に集中しなければいけない、という短期的な思考とこの機会にたとえ時間が無駄に思えようとも将来きっと役に立つであろう今という時間に経験できることを大切にしたい、その長期的な思考とのぶつかり合いがあります。どちらも大切なので、一方を取ることができませんし、実際には前者を取らざるを得ないことが多いのですが、会議室ばかりにこもることなく、ふと目を見上げて、外の様子を観察し、それを楽しむ心の余裕を持っていたいものです。そのためにも業務負担の見直し、業務内容の改善などが必要なんですね。

我々はロボットではなく、塵でできている人間。自然の中に身を置いて、その美しさを楽しむ、きっとそれが自然の造りなんだと信じています。そして、それが仕事の効率アップ、結果にもつながるはずです。

モスクワでビジネススクールの無料セミナーへ / Visit to the free business school seminar in Moscow

訪れたビジネススクール開催による無料のセミナーにて。みな熱心に聞き入っており質問も頻繁に飛び交う、アクティブな時間でした。

この冬のシーズン、ie business schoolというスペイン発のビジネススクールモスクワ校が主催する無料のセミナー“IE Insider Day – Moscow”があったので出かけてきました。購読しているロシアビジネス紙の広告メールを見て、おっ、こんなのがあるんだ、面白そう、行ってみようと思い立ち申し込みを完了。ieがInternet Explorerのことと完全に間違った認識でもって訪れたのは赤の広場のすぐ横にあるビルオフィスの一角。一体m2単価どれだけの金額を払っているのだろう…というのが最初に頭に思い浮かんだ言葉。

後で知ったのは、このセミナーは実質学校の生徒集めのための広報活動が主な目的であることと、この学校は世界でもTop10にランキングするような大変著名なビジネススクールであること。(参考URL https://www.ie.edu/business-school/)

集まっていたのは50人くらいだっただろうか、中には小学生の女の子から中学・高校生くらいの男の子までも親と一緒に。開始前から軽食と飲み物が用意されていてそれまで時間を過ごした後、部屋に案内されてセミナーが始まった。

講師の方はアメリカから来ていたGoogleに勤務する、このビジネススクール卒業生。講師がアメリカ人ということもあってか、質疑応答も含めてすべて英語で行われた。

今回参加したテーマは“Harnessing the power of Big Data”

自分の書いたメモの字があまりにも汚すぎて判読不能なのが残念なのだが、

・今Online上にあるデータの90%はここ2年の間に作られたデータ

・Big dataの80%ほどは体系立ててきちんと分析されていない

(この情報の正確性への責任は負いかねますのでご了承ください)といった導入から始まり、なぜこれからの世の中Big dataが重要であるのか、それをどのように活用してゆけるのか、具体的に彼女が学生時代に作ったというオンライン上で利用できるシステムのモデルを見せていただいた。内容自体はとても引き込まれるもので参加してよかったと素直に思う。

一番面白かったのはここからで、「さて、それではなぜ私たちのビジネススクールに留学するのが良いことかぜひ説明させてください、さあ、卒業生の皆さん前に来てください!」と司会の女性が元気に後ろに陣取っていたスクールを卒業してロシアのビジネス界で活躍されている元生徒たちを紹介。

ここから第二部が始まり。

ロシア第一位のSberbankでマーケティング部門で活躍しているという方、その他の方は具体的な会社名を聞かなかったがいずれもIT関連の専門を生かして活躍されているようだ。留学は10か月ほどスペインに行き勉強するようで、皆さんはどれだけ学校の環境がよいか滔々と語っていた。学校の紹介Movieを観たけれど実際に本当に素晴らしい環境。時間がふんだんにあった学生時代にもっと勉強しておけばよかった…と何度思ったことか、そして今は勉強する意欲が非常に高いのに、どっぷりと毎日を勉強につかるための時間がないというギャップ。人によってロシアに戻る人、どこか別の土地で仕事を見つけてその土地に残る人もいるらしい。ただ想像するに、外国企業は外国人(この場合はロシア人)を雇うために自国の人間ではなく、VISA、雇用許可などの手間をかけてでもロシア人を雇うわけで、そこまでしてでも自分を雇う価値を企業に認めてもらうことは困難な道であるのは確かだろう。

この部屋を出ると、セミナー前に滞在していた空間に戻り懇親会の開始。再び軽食とコーヒーなどをいただきながら卒業生やスクールスタッフとの交流が始まった。一人の参加者は、もう何度か参加しているようであった。少し経緯を聞いてみると、元IT業界にシステムエンジニアとして勤務。環境を変えたかったのだろうか、会社を辞めてしばらく海外旅行に出たようだ。仕事はまた見つかるものと考えていたら、どうにも見つからず数年無職という。「この学校のセミナーテーマは面白いので何度も来ているんだ」と言って食事や飲み物をがっつりといただいている様子。見ていると周りとのコミュニケーションもなく、う~ん、タダメシを食べに来ているだけなのでは、と思ってしまった。ほぼ当たりでしょう。このビジネススクールは毎週のようにこういったセミナーを開いているらしく、ロシアにとどまらずグルジアやアゼルバイジャン、カザフスタンといった旧CIS国家でも。そのすべては生徒集めのための広報宣伝活動。そしてその中にはこういった人も混じっているんだろうな…。

別の参加者は、なんと同じビジネスセンターに入っている別の企業に勤めるスタッフでこれは驚いた。「いつもコーヒー飲むところにお昼の時間帯にはいるだろうから、またビジネスセンターで会おうや」なんて言われて笑顔で別れた。

留学するには金銭的にそれなりに余裕のある家庭しか許されないのだろうか、身なりだけでは全く判断ができないので、金銭的なゆとりについては分からないが、少なくとも教育熱心な親の方の様子や若い子たちが自らの将来を考えてスタッフの方にあらゆる質問を浴びせている熱心な様子、週末にそんな世界をのぞくことができて、有意義な朝の時間を過ごすことができました。

ロシアで参加した結婚式 / Wedding in Russia

7月上旬、金曜日、土曜日と二件連続でロシア人の友人の結婚式に出かけきました。初めて参加するロシアの結婚式で勝手も分からず途方に暮れてしまった経験豊かそうな年配のロシア人女性に聞いてみると、「恰好は何でも大丈夫よ、ネクタイも不要でジャケットを羽織るだけでもいいのよ」と。お金の相場はあるのか?聞くと、一言、「望む分だけ包みなさい(по женанию)」とのこと。それでは欲しい答えになっていない…。一番良識のありそうな身近な同僚に尋ねると、彼女曰く、「親友であれば15K~20K RUB、一般的な友人であれば8K RUBくらい」と具体的な返事が返ってきた。この日は式の前日。直前の準備となってしまい少々焦りと共に24時間営業のロシア郵便局(Почта России)に出かけてポストカード、お金を包むための祝儀袋も合わせて購入した。

結婚式 其の一:
10.00 ЗАГС(Запись актов гражданского состаяние)と呼ばれる婚姻関係を合法的に登録するための場所に到着。すでに建物内ホールでは多くの友人たちが集まって二人を祝福していた。新郎はウクライナ出身で、キエフなどの都市から親戚も来ていた。新郎は以前の奥さんがすでに亡くなっており、今回の結婚は2回目。彼の娘さんご夫婦がキエフから、モスクワ近郊に住む息子さんも父親の結婚を祝福していた。だいぶ待ったが婚姻届にサインするセレモニー専用の部屋のドアが我々のために開かれる(予約に沿って各組順番でこの部屋でセレモニーをするようだ)。スタッフ女性は慣れた様子で式を盛り上げ、書類サインを完了後の参列者による祝福で最高潮に達して式典は終了。ここでも二人を祝福しプレゼントを手渡していた。自分は渡しそびれてしまい次のチャンスをうかがうことに。

12.00 このセレモニー自体は短いもので、その後近くの公園に出かける。今はモスクワでも広まっているカーシェアリング(каршеринг ロシア語では英語をそのままロシアアルファベットで表記)を使い、わずか30RUB(60円未満)程度で2,3キロほどを仲間と移動。公園では先ほどの参列者たちが順番に新郎新婦と記念写真。そして持ち寄りのサンドイッチ(бутерброд)やジュース(сок)などで小腹を満たす。公園では、他の街からやってきたゲストと会話し、知り合い、グループツアーの中国人観光客が興味本位で近づいてくるのに笑顔で答えながら時間が経っていった。その後披露宴会場へ移動。ここでもご祝儀袋を渡しそびれる・・・。

14.00 貸切のカフェへ到着。披露宴の準備にとりかかる。手作り感が満載で、自分も一緒になって子供たち、おばあちゃんと一緒にお手伝い。いつ来ても結婚式は素敵だな、と思う。なぜ人が一緒になるのか、改めて考える時間となるし、新郎新婦の周りであふれかえる親、親戚、友人たちの笑顔。こちらまで幸せな気分になってくる。仕事や日常生活の問題をひと時の間忘れて感じる幸せ。

15.00 予定より遅れて披露宴が始まる。聞くと、ロシアの披露宴は日本と同様にきっちりとしたプログラムに基づいて出し物が進行していくようだ。司会スタッフと音楽担当の息もぴったりで徐々に進んでゆきダンスタイム…が、大音量の音楽を流し続けることにオーディオ機器が耐えられないのか何度も何度も音楽が中断しブーイング。しまいには音楽無しでみんなで歌を歌い出す。こんなハプニングもあって時間通りに行かないものの、終始みんなで笑い、踊り、出し物で盛り上がり、同じテーブルのゲストと知り合いロシアや日本のことを語り合ったり。じっと静かに座っていたおばあちゃん(恐らく80歳近くだろうか)、この人は踊りとは縁が無さそう…そう思っていたけれど、ふと気が付いたら、何ともアクティブに立ち上がって踊っていたことには驚いた。時間が経つのはあっという間で、遠方から来ているゲストは深夜の夜行列車に乗るため、車で来ている人は何百キロも離れたところに帰るため少しずつ去り始める。

22.00 最終的に全員が帰途についたのは22.00を回ったころ。今日は食べて飲んで少しだけ踊って(残念ながら踊りは全くだめ。勝手に身体が動くままにすればいいのよ、と言われても身体が動かずどうすればよいのか…次回に備えて、といっても明日も結婚式がある…いつかに備えて少しは家で練習してみようと誓った)幸せな気分に。無事にご祝儀袋も渡すことができ、満足して帰宅。

結婚式 其の二:
13.00  会場に到着。ビジネスセンターの一室を貸し切って行われた披露宴は前日と違い、大変シンプル。皆顔見知りの仲である、すでに到着していた他のゲストと久しぶりの再会を喜んだ。この新郎新婦は面白くて、ロシア人なのに全く踊らない。どんなに周りが促しても頑なに断る。ダメダメダメ(“Нет Нет Нет”)と新郎は断り、会場の端っこで新婦は「靴はいているのが疲れた」といって靴を脱いでリラックスしている。どうやらすでに主役は参列者に移り、終始ダンス、ダンス、ダンス。気づいたのは、世代を超えて?好まれる歌が2曲ある。といってもこれは自分の周りにいる友人だけかもしれないが。
White Roses(Белые розы 1989年)
Black eyes(Черные Глаза 2005-2006年にヒット)
共に古い曲だけれど、これが流れ始めると歓声とともに大いに盛り上がる。世代を超えて愛される曲なんだろうな。曲のテンポも丁度よくて踊りやすいのだとか。

ダンスは自分を自己表現する一つの手段と思うが、昔から自由に自分の感情や考えを人前で素直に表現する機会が無かったことも影響するのか、どうも踊りはよく分からない。比較的長く接してきたクラシック音楽は、演奏中は静かに音を立てずに聞くもの。どんなに演奏家が自分の演奏に入り込んでいても観客はじっと見つめて静かに見守っている。ゲストとしてきていたアルメニア人の男性曰く、アルメニア人の結婚式では、食事と音楽があればそれでOK!あとはみんな勝手に踊っているから、とのこと。それぞれに人間が作り出したしきたりがあり、それによって音楽の楽しみ方も変わってくるけれど、慣習に縛られない、自由に音楽を感じるままに楽しむ、そんな自然な在り方が素晴らしい。今日もまた、70代以上の高齢者女性が自分のペースで楽しそうに踊っていた。

新郎のご両親も来ていたが、普段着で来ていて驚きであった。日本では結婚式となると厳粛なもので、しっかり着飾って失礼なことをしないようにしなければと。新郎新婦の家族はテーブルを回ってビールを注いで挨拶に回る、長いスピーチが延々と続き、一体いつ終わるのだろうかと思いつつ耳を傾けるが、しまいには脈略の無い話に耐えかねて食事に戻る…(「私の話は短くさせていただきます。え~それでは…」といって話し出す人こそ話が長い、と思うのは私だけだろうか)。そしてなんとまあ式のコストが高いことか…。というのがイメージ。

少なくとも今回の結婚式から分かったことは、祝福の仕方はいろいろあって良いこと、懐事情の差が主要因に違いないが、きっちりと着飾る人もいれば、一方では失礼の無い程度に着飾って参加する人もいる。共に幸せを共有するために厳密なプログラムはいらない、とにかくありのままでその場を楽しむ、あとは踊る!日本の良さはたくさんあるけれど、ロシアで過ごしていて大変居心地が良いと感じる一つの最大の理由は、自分のありのままでいられる、ということだろうか。もちろん、ロシアでも育つ家庭や小さな地方都市に行くと周り近所の目を気にするなど、日本と同様の観衆があるようなので、私のこの理解が当てはまらないことも事実かもしれないけれど。この式は17時を過ぎた頃に終わり、酔っぱらうこともなく皆が家路についた。

ЗАГС(Запись актов гражданского состаяние)について
ザックス、と呼ばれる国家機関は、出産・死亡・養子縁組(усыновление)・結婚・離婚の登録を管轄している。現在はこれ以外にも個人情報の変更も管理しているようです。ソ連時代以前は、これらの機能を教会が担っていたが、この機関の原型がピョートル一世の時代(在位1682年~1725年)に生まれたようだ。ソ連政府から宗教は「民衆のアヘン(опиум для народа)」と呼ばれ、司祭達が所有していた権利は街・地区の行政に移っていきました。1917年12月18日の法令によってЗАГСは正式に結婚、死亡、出生を特別な書類に記録するようになったようです。
ЗАГСでの合法的な登録がなければ、政府が提供するサービスの受給資格が無いことから苦労する場面が増える模様。例えば出産の際には出産手当の受給や医療機関への登録が出来ないこと。婚姻届がなければ親戚関係の証明ができないことなどのデメリットが挙げられています。
参照:www.mnogo-otvetov.ru/pravo/chto-takoe-zags-i-dlya-chego-on-nuzhen/

素のロシアで過ごした週末 / Weekend in “natural” Russia

先週末は、友人の別荘(ダーチャ)にてゆっくりとした時間を過ごしてきました。日本で別荘というと贅沢でお金に余裕のある人たちだけのもの、という認識が自分の中にあるけれどもロシアはちょいと違う。確かにお金に余裕のある層は立派な邸宅を郊外に構えるのだろうけれど、ちょっとした木造の小屋とちょっとした家庭菜園付き、ロシアのダーチャというとそんなイメージが強い。夏の金曜日の夕方 ― 郊外に向かう道は車の数々で大渋滞。恐らく列車もそれなりに混んでいるのだろう。ダーチャを持つ人々の多くは金曜日はいそいそと仕事場を後にして郊外のダーチャへ向かい、週末をそこで過ごす。概ね多くのダーチャは中心部からロシアの重々しく足取りの重い電車で2時間前後、距離でいうと100km圏内に位置するのではないだろうか。家庭菜園では自分の家族用に野菜を育て、近くの森では木の実やキノコを採集。ジャムや酢につけたりして瓶に入れて保存。それ以外にはガーデニングや家族団らんの時間をゆっくり楽しむようだ。夏も終えて家にお邪魔すると自家製のジャムやピクルスをご馳走にいただくこともよくある。
古い情報だけれど、2015年の調査では、ロシア人の約半数がダーチャを所有しているらしい。なお、ダーチャにも夏のみ専用、夏冬兼用があるようで、自分の身近では夏用を所有している人がほとんどの気がする。自分の勤務する会社ドライバーは、ダーチャで自家製ウォッカ(ロシア語でサマゴンсамогонというEng: hooch, rotgut)を作っていて、彼曰くお店で販売しているものよりずっと美味しいとのこと。もう別のドライバーは「ダーチャは要らない。行って帰ってくるだけで疲れる」と何とも冷めた反応。

さて話は戻ると、友人のダーチャはモスクワ中心部の鉄道駅から約2時間。

車両には自分と同様郊外のダーチャに出かけると思われるたくさんの乗客がいる。定期的に車両内をダーチャ用の日常雑貨類を販売して回っている。次から次に違う人がやってくるから面白い。果たしてどれだけ利益が出るのだろう?

今回訪問したご家族は、曰く、決してお金に恵まれているわけではないけれども10年ほど前に100m*20m(2,000m2)を800,000 rub(当時の為替で換算して、仮に1RUB=3円と置くと240万円、Approximate 26,700 USD , if USD=30RUB)で購入したようだ。

更地から自分たちで図面を考え資材を購入し、労働者を雇って立派な2階建てのダーチャを立てた。地下にも立派な部屋が整っており、一歩ずつ階段を下りてゆくとだんだんと感じる、あの自然のひんやりとした感覚。なにも考えずに済んでいるモスクワ中心部のアパートでは見ることのない、家の壁を這う配管類、家の素材、壁・屋根に敷き詰められた空間材。決して複雑ではない造り。家って実はこんなシンプルな構造なんだ、と気づかされる。トイレは少し離れたところにある落下式便所(ボットン便所)/non flash lavatory。匂いはそれ相応に…。もし自分が将来自分で家を建てるとしたらどんなデザインにするかな…と思いを巡らしつつ家の中を見て回っていた。

何をするでも無しにただテラスに座って、ワインやフルーツをほおばりながらボーっと中庭を眺める時間。ビニールプールではしゃぐ小さな子供の遊び相手になってたわいもない時間を過ごす。友人のご両親も来ていて、リンゴの木、イチゴ、キュウリなどの家庭菜園に水をやっている。

朝の移動の疲れもあり1時間ほど昼寝…。そんな時間を過ごした週末はこれまでにあっただろうか、思い返す限り出てこない…たぶん一度も無かったと思う。以前の自分を振り返ると、とにかく何かしら予定を入れて動き回り、忙しい(と感じる)ことに大きな意味合いを求めていたような気がする。

昼寝から目を覚まし身体を起こして森に出かける。

ダーチャに行けば定番の木の実採集へ。秋口になるとこれがキノコ狩りになるようだ。ロシアの大きな蚊の猛攻に耐えつつ少しずつ木の実をかごに収集してゆく。木漏れ日が本当に美しい。


夜は皆でバーベキュー。トマト、きゅうり、肉(恐らくこれがバーベキューの定番ではないだろうか)。夕日がゆっくりと落ちていくのを眺めつつ皆で楽しく会話しながら取る食事は全く格別の味だった。

しばらくするとFIFAワールドカップの時間がやってきた。各々家の中へ戻りテレビの前にそれぞれが陣取る。テーブルの上にはメロン、おやつ、そして紅茶に先ほど取ってきた木の実を入れて美味しくいただくことに。自然の幸をこんなにも堪能。

夜23時。まだ夏のモスクワ郊外は空が明るい。ロシアに来てから空の大きさ、美しさを一層感じるようになった。日本にいる時には下ばかり向いて歩いてたんだろうか…。きっと日本の空だって美しいはず。日本に帰国した際にはもっと上を向いて歩いてみよう。

今日一日がこんなにも充実していたことに感謝し、みんなにおやすみなさい、と挨拶してから部屋のベッドに横になる。果たしてこんな生活が毎日続くと飽きてしまうのだろうか?この時間があるからこそ仕事に戻った時に頑張る張り合いが生まれるのだろうか?でも、その一方で、もともと人間はこうやって素晴らしい自然と共に大切な家族や親族、友人たちと毎日を美味しい食事を囲んで過ごすようにつくられているのだろうな、とも思う。そう考えると、大都市で毎日仕事に行き、ストレスを抱え、決して大きくないアパートに住み、縦横の近隣との騒音問題でわめくこと…こういった生活自体が偽物なのだろうか。正直今はよく分からない。

翌日、さわやかな太陽の日差しを感じながら、そんなことを昨晩に引き続き考えつつ再びモスクワ中心の日常生活へと戻る帰途についていた。大半のロシア人は「モスクワは本当のロシアではない」と言う。この週末は本来の、素のロシアを垣間見ることができたような気がする。