今も戦争が続くウクライナ東部。ウクライナの友人からドネツク地方で救助ボランティア活動を行っている人のメッセージを受け取りました。
「私たちの目標は、避難を希望する意思を持つ人たち全員を避難させること。多くの人たちは公共交通機関を利用し、危険な地区から自分たちで避難するための時間があります。それでも、時には間近に爆発や銃撃の音が迫ってきた最後の最後に避難を決断する人たちもいます。そんな時には公共の交通機関はそんな危険な前線に行くことはなく、私たちが彼らのために出かけて行って避難させることにします。避難に必要となる費用は何とかなったとしても、予想外に発生するコストもあります。例えば急いで薬を購入しなきゃいけない、避難の途上で温かい食事を取ること、緊急でどうしても必要な物品を購入しなければならない…」
こんなメッセージを読んで考えること。それは仕事で何かに追われていて深夜まで取り組まなければいけない必要が生じるとしても、少なくとも家がある、寝るところがある、食事がある、命を取られることはない。人の置かれている状況と比べて自分の方が優れている、という考え方ではなくて、何というか、ウクライナで命を危険を冒して今もこの瞬間にも逃れている人たちのことをイメージすると、自分の置かれている“当たり前のように感じてしまう”状況がどれだけ恵まれているのか、ということ。
それを毎日考えてみると、仕事で抱える不満や思わず言いたくなること、そういったものが自然と収まっていく効果があることを感じています。