自分の専攻(ロシア語)*勉強(熱意と時間)=強力な個性 / Russian * Studying (passion and time) = Strong individuality

とある知り合いから、Youtuberのヨビノリで宇宙の成り立ちや量子力学の勉強をするとよい、という勧めをいただき、最近じっくりと見ることが増えてきました。そんな中、このチャンネルで、関西学院大学の新入生を対象に行われた講演でとても印象的だったのが、「個性を身につけたければ勉強をすれば良い」という話でした。自分の強みとなるしっかりと大きな円を作ることの大切さ、それは自分が所属する学部・学科の勉強をすることだ、ということ。その根拠は、大学生のほとんどは勉強しない!!つまり、勉強(を一生懸命に行うと、それ)は意外と強みになる。専門分野の知識があること、それ自体が個性になる。ということでした。

振り返ってみて、自分自身が大学で勉強したロシア語。私の知るかぎり、1学年で約70人ほど一緒にロシア語を学習した人で、今でもロシア語と深く関わっている人って一体どれだけいるのだろう?卒業する時点で、当時の私を含めてロシア語と深い関係のある分野に進んだ人はおらず、いたとしても卒業生の片手で数えられるくらいではなかっただろうか、と思います。さらに時も進み、ロシア語を離れることにした人もいれば、後から思いも寄らず、私のようにロシア語に再び浸かる環境に戻ってくる人もいる…。人生は何があるかわからないから面白い。勉強もろくにせずに何とか卒業したものの、まさかロシア語にここまで関わるとは露程も思わず。ロシアやウクライナから届く画像やストーリーを聞き、それを周りの友人に伝えることで現地のことを近くに感じてもらえる。そんなちょっとしたことでも自分に出来る役割に喜びを味わっています。

モスクワで働いていた頃、現地を調査のために訪れていた大学時代からの旧友と再会したことがあります。非営利団体と定められた契約期間の中でロシアに関係するテーマの研究を続けているようでした。その先のことを考えると不安が有ることを認めてはいたけれど、自分の打ち込めるものがあるっていうのは、毎日が生き生きと生活するためにとても素晴らしいことだと思う。同じように、現地の日本人社会には、日本で勤務していた一般企業を退職して、非営利団体の期限付きのモスクワ駐在派遣の立場を選んで転職した男性もいました。親がこの先のことを心配している、と言っていた(もちろん本人も)。それでも、その選択が単なる現状からの逃避ではなくて、自分の意思で選択したものであればやっぱり素晴らしい。あの時は、ロシアを取り巻く情勢がこうも変わるとは誰もが想像すらできませんでした。モスクワシティにドローン攻撃があったと聞いた時、その近くに住むロシア人の友人に連絡すると、「大丈夫。何も変わりなく生活しているよ」とのこと。ニュースで映し出される情勢と、現実の世界に身を置く人が眺める景色はきっと違うのだろう。

私自身、社会人になってからというもののすっかりロシア語の勉強から離れていたけれど、モスクワでの駐在生活を通じてロシアとの距離がぐっと縮まり、今でもロシアやウクライナの友人とやり取りが続く中、こんなことを考えることが増えました。大学時代から勉強し、曲がりなりにもずっとロシア語と関わりのある生活を送り、むしろその関係が強くなってきた今、自分が専攻した分野を真剣に学ぶ良いチャンスなのでは?と。そして、やっぱり言語が好きなんだな、と。冒頭の知り合いの方との話をきっかけとして、書棚にずっと残していたロシア語文法の教科書を取り出して読んで見ることにしました。正直なところ、文法の勉強は一番嫌いかも。使える時間も限られていてどこまでできるか分からないけどまずはやってみる。ということで、少しずつ基礎から復習しているところです。有言実行なのか、ただの意気込みで終わるのか…今後の勉強の成果をこのブログでも書いてゆこうと思います。

なお、素直に感じていますが、NHKのラジオ講座をしっかりやるだけで語学は十分に成長できる。そう思います。他の国のことは知りませんが、日本にはこれほどに素晴らしい学習教材が無償で提供されている、そう思うとどれだけ恵まれている国なのだろうって思います。自動翻訳がどれほど発展しても、語学を学ぶことの面白さは永遠に残ると信じています。

最後に、私の好きな英語学習の動画リンクを載せました。この動画を見ていると、おばあちゃん先生が、この年齢になっても人に教えることを心から楽しんでいる様子が伝わってきます。こんな風に楽しく自分の好きなことを学び、尚且つ、その好きなことを誰かに教えるチャンスまであれば、どんなに幸せなことでしょう。

NATO phonetic alphabet – Russian version / NATOフォネティックコードのロシア語版を作成してみた。

■目指したこと:

  1. NATO phonetic alphabetなるものがある。そのロシア語版を作成すること。
  2. 希望すれば、音声自動読み上げ機能を利用して表示されたロシア語の発音を聞けること。

■構成要素:

main.py

voicing_rus.py

nato_phonetic_alphabet_rus.csv

■作成の流れ:

音声読み上げに必要となる”pyttsx3をInstallした(”pip install pyttsx3”)

自分の利用しているPCにダウンロードされている音声読み上げ機能を確認し、ロシア語の”name”を確認する。その結果、”Microsoft Irina Desktop – Russian”をnameとして指定すればよいことが分かった。

以下のWikipediaサイトからロシア語版のphonetic alphabetリストを作成し、csvファイルに保存した。

Russian spelling alphabet – Wikipedia

下記リンクのウェブサイトを参考にしながら、main.py, voicing_rus.pyファイルを作成した。

■苦労したこと:

voicing.pyで、関数内に”self”を呼び出す必要があったが、その入力がないために以下のエラーが発生したこと。必要な個所に”self”を入力することでエラーを解消できた。なお、他の任意のアルファベットを代用してもエラーを解消することができた。

それで、”self”を利用するのは一つの流儀であり、必ずしもselfでなくてもよい。でも、きっとselfとしておくのがマナーである、と理解した上で”self”を利用しています。

エラー画面:

“takes 0 positional arguments but 1 was given”

■作成するにあたり参考にしたサイト

Pythonの学習に利用しているUdemyのコース:

100 Days of Code: The Complete Python Pro Bootcamp for 2023 | Udemy

Day26: 244. Solution & Walkthrough for the NATO Alphabet Project

上記以外にYoutubeで参考にしたサイト:

■エラー解消のために参考にしたサイト

https://office54.net/python/error/python-typeerror-argument

python – TypeError : takes 0 positional arguments but 1 was given – Stack Overflow

他人はこちらに関心がない、という前提でいれば気が楽。/ It’s easy if you assume that other people aren’t interested in you.

人とのコミュニケーションを促進する上で、研修や専門家の方々が何度も繰り返している点だと思いますが、”大切なのは、話すことよりも相手の話を聞くこと”、これは真実だと思います。

自分自身が有名人で、ファンがいて、自分の話をお金を払ってでも聴きたいと希望している人がいて…自分自身がそんな人物でない限り、”周りの人はこちらの話すことに基本的に関心が無い”、という前提でいれば気が楽だと思います。特にロシアに駐在している時には、その点を散々認識することがありました。小さな規模の会社であっても、管理部門のトップをしているのだから、私の話を多少は聞き入れてくれても良いと思うのですが、やはり聞きたくない、と思う話は聞いてくれてはいても心には入っていってないんだろうなぁ、と思いつつ。

たくさん不満をぶちまけてきた女性スタッフの話を聞くだけ聞き、ー お互いに話している内容は本社も関わるためにロシアの会社だけで判断できないことを承知の上 ー 聞き終わった後には「とにかく、話を聞いてくれてありがとう。それだけでも感謝します」とのこと。私だって言いたいことはあったけれども、仮に喋ったとしても効果は全くなかっただろうな…と。

いつも思いますが、究極の自己中とは、それは「ひたすら相手の話を聞くこと」。なぜならば、人の話を聴くことでしか、自分の知らない世界を知ることができない。もちろん、ずっと同じ人から聞いていると、新しいインプットが無い限り得られるものも減ってくることがありますし、常に人の話を聞き続けることは疲れることもあります。バランスを取ることが大切です。

もし自分の話を相手にするならば、話し方やプレゼンの方法を学べるのかもしれませんが、結局、自分が持っている以上の話をすることはできません。その話していた時間は、自分のために情報を取り入れる時間を失っていることになる。相手に自分の話を聞いてもらえるのは嬉しいとしても、冷静に考えると自分が得られるものを失っている時間でもある。自分の成長のための時間を取りこぼしていることになる。そう考えると、人の話を聞くことは自分のためになる。つまり、これは自分に役立つことばかりを考えているので、自己中心的な考えの極みでは?、と。

結果として、それが人とのコミュニケーションを円滑にする方法であるなら、一石二鳥ではないでしょうか?自分の成長にも繋がり、かつ人間関係を良好にするために役立つ方法。

このようにして書いているブログもまた、実際に声に出してはいませんが、自分の思考を整理するのに役立ち、頭の中で反芻しながら文字に起こして、実質的に”喋っている”ことになります。読むも読まないも人の自由。相手の意思次第ですので、相手に負担をかけるものではない。時間を奪ってしまうこともありません。そして、自分の思いをアウトプットすることは、きっと気持ちを落ち着けることにも繋がっていると感じています。

街中のファミリーレストランはきっと現代に欠かせないセーフティネット。/ Family restaurants in the city looks indispensable safety net in the modern age

いつも同じ席で競馬の新聞を読んでいる人。店員に「久しぶりね~、元気にしてた?」と嬉しそうに語るおばあちゃん。そこは街の中にあるファミリーレストラン。お互いに生活で辛いことや苦しいことがあったとしても、こうしてコミュニケーションをとることで笑顔になれる。お互いに元気に生きていることを確かめ合える。重要な場所だと思います。きっと、朝早くからから働いているお店の女性たちだって、職場を離れれば、きっと大変な問題を抱えながらも笑顔を振る舞っているのではないでしょうか。

つい最近訪れたとき、すぐ隣の席では、「(ご近所でのことか)朝から元気におはよう、と挨拶してくれる人がいるけれど、私にはそんなことはできない…」ととつとつとした女性二人の会話が聞こえてくる。それぞれの近況を語り合っているのでしょうか、すぐ近くに私がいることも気にせず、どんどん話が進み声もいくばくか大きくなっている様子。店員の女性はとても元気で、かつバランスが取れていて決してうるさくない接客で素晴らしい。こちらも元気をいただけました。浮浪者?!とは言わないけれど、ボロボロの服、ボサボサの髪の男性がいたり。とにかく色んな人が同じ空間に同居していました。

何もかもが電子化、オンライン化することで、会話する機会がどんどん無くなっているからこそ、機会がある時には人と会話することの大切さを感じます。だからこそ、デジタル化が進む世の中において、「すみません、どうしてもあと1円が見つからないんです(汗)」なんて言いながら現金を渡す時、そこに会話が生まれる現金での精算は貴重な価値を生み出すのではなかろうか、と思えてくることも。(といっても、現金だから会話が生まれるということもないのかな…。QR決済の世界をリードするPaypayの導入費用もゼロ円のようですし、デジタル時代の良さを取り入れて決済方法の多様化を整備することはお店側の使命でしょうか。)

興味深い記事が日経の記事に掲載されていました。これからは、デジタル化に乗り遅れてしまった人々をサポートできる体制であったり、人と人との繋がりを感じることができる人間関係が重要になってくるということだろうと思っています。

「DX祭り」に取り残された人々に商機を見いだす

下記はこの記事で取り上げられていた企業のウェブサイト。

https://www.papa.com/

We all need a pal sometimes. That’s why Papa’s here.

Papa helps health plans and employers connect members and their families to real people for help with companionship, everyday tasks, transportation, and more. It’s vital human connection, right to the front door.

“papa”のウェブサイトにあるトップページのメッセージより

そういえば、最近、住んでいる建物内のロビーにいたところ、同じ建物に住む全く知らないご年配の女性から「あのね、ちょっと聞いていい~?」と声をかけられ。何かと思ったら、iphoneのロックの解除方法が分からないから教えてほしい、とのことでした。新しいiphoneを手にしていて、かかってきたLINEの電話にかけ直したいだが、画面がロックされているので電話もかけられず、今からタクシーで知人のところにでかけようと思っていたのだという。娘さんが来てくれた時にしっかりと携帯の設定を行い、メモを残していってくれだけど結局訳が分からなくなってしまったそうです。こういった問題は決して珍しいことではなく、これからもどこでも起こってゆく課題だと思われます。電話ケースの内ポケットを探っていると、娘さんが書き残していったというパスコードらしきものがあり、それを使って無事に解除。「きっとこれかもしれません。でも、個人情報なので他の人に知らせない方がよいのでは…。」と言ったものの「いいの、いいの。気にしないで進めて。」ということで操作して無事に解除。まったくの知らない人間を信頼していただいたことにも感謝ですが、最新技術から取り残されている人たちがいる(いや、むしろ日常で不必要な技術が多すぎる)。また、便利になったからこそ、違う不便を生み出している事実も目の当たりにすることになりました。

究極的には、人は食べ物があれば何とかゆくのであって、自然と食料調達ができるのであればお金は不要。「これ、うちの畑で取れたの。ぜひ食べてみて。」といって友人が差し入れてくれる野菜。人間って、もとはと言えば土のちりから作られた、ということであれば、どんなにIT技術が発展し、デジタルの世界に没入するとしてもそれを使っているユーザー(人間)は自然からできているモノ。結局自然に帰ってゆく。ウクライナの友人から連日届く動画やメッセージを見ていると、どれだけ友人同士がお互いの必要をケアして、その必要を助け合うことが大切なことか。それを身に染みて感じることができています。インフラが破壊されてしまったために厳しい冬となったウクライナ。その寒さを乗り切れるように、部屋で履けるフェルトでできた履物とそれに添えたちょっとしたメッセージカード。あるいはチョコレートやクッキー。そんなちょっとしたプレゼントがどれだけ人の身体を暖かくするだけでなくて、その人の心を温めてくれることか。生活の中で出会うちょっとした場面で一言でも二言でも、「ありがとう」「すごい」「よくやっているね」…そんな風に、相手を元気づけられるような言葉をかけられる人間でいれたら…と思います。

[IT機器] Jabra Evolve 40 Stereo

ワイヤレスの耳を塞がないイヤフォンが一番好きです。日本で名が知れ渡る前から愛用していた、と勝手に自負しているのですが、休暇でアメリカに出かけた時、現地の空港の売店で発見したAftershokz。これだ!と思い、即購入し愛用していました。帰国してからもテレワーク用として同じメーカーのマイク付きのものを文句なく購入しました。装着感は文句なし。

…しかし、Teamsを利用時にはMute状態にするとビープ音が止まらなかったり、無線接続の問題であったり、安定して会議に参加することを考えると、有線のヘッドフォンが気になり。色々と検索したところ、以下の動画を見てこのヘッドフォンが特におすすめされていました。検討のうえで購入してみました。

IT機器は自分で試してみるしかない。それに尽きると思います。どんなにインターネット上の情報を収集して知識を得ても、なかなか体感して得られる情報のレベルからは程遠いのが現実です。幾らまで支出を許すか、というのは悩ましい問題ですが、全ての製品を事前に試してから購入することが難しい中、購入してから判断することも選択肢の一つかもしれません。(私は購入時には必ず、これは本当に必要なもの?浪費?それとも投資?と考え、納得した後に購入を決定している…つもりですが、投資だからという聞こえの良い決定をして購入してしまうと、振り返った時にとんでもない出費の金額になっていることがあるので注意が必要です。)

Jabra Evolve 40 Stereoの良いところ

【音質】

音楽を聴くために購入しておらず、あくまで仕事の会議用に利用しています。その目的のためであれば、この音質は十分です。

【耳当たり】

パッドも柔らかいものを利用していて、耳にあたる感触も優しく、十分納得です。

【手元で操作できるマイクのオンとオフ】

本来ならば、この機能はこの製品を押す要素の一つであったのですが、— 現時点で何が問題か不明ですが、— Teamsを利用している時のマイクのミュートオン、オフが機能しなくなりました。そのため、ミュートにしていると思いきや声が聞こえているので注意が必要です。今は直接Teamsの画面上のマイクをクリックしてオン・オフの切り替えを行っています。本来であれば、手元で操作できるのは大変便利で重宝していました。この機能はこの製品を購入するうえで重要視したポイントでした。

【軽量でコンパクト】

言い換えると、扱い次第では壊れやすい、ということの裏返しでもあります。とはいっても、私のとっては自宅とオフィス間の持ち運びも全く苦にならない大きさ・重さであって満足しています。

Jabra Evolve 40 Stereoのいまいちなところ

【コードがよく絡まる】

でも、これって有線であるからこそ悪いと言ってしまったらこのヘッドフォンを使うな、という話になるのかもしれませんね。コードの太さがしっかりしているので何だか安心感があります。仕事を終えて、サッと荷物を片付けて帰ろうとするときに、少々このヘッドセットのケーブル巻き取りに時間がかかっている気がしています。

【ケースにいれるのが億劫】

コンパクトなんだけれど、それなりにしっかりと畳んで、マイク部分やケーブル部分が引っかからないように、慎重にケースに収める必要があります。そのため、乱暴に扱ってしまうと危険です。薄手で軽量のハードケースがあれば、そのほうがずっと扱いは楽かな、なんて思ったりもします。

【付け根部分のケーブルがとっても危なっかしく弱そう】

これは毎回ケースに入れる時に神経を使う箇所です。付け根部分も脱着可能式であれば良いのにな、というのが第一印象でした。壊れるとしたらここが一番注意を要する箇所かもしれません。

ヘッドセットをこれまでたくさん利用した経験がないため、他のものとの比較感がない、という点を認めなければなりません。今回の購入は、実物をみていないために上記動画を信じての購入でしたが、これは購入して十分に満足できる製品で、現時点では日々愛用している製品です。

良いものを買うと、基本的に無駄になるリスクは低いと考えています。もし実際に利用してみて、仮に外れであったとしても、それを家族だったり身近な人にプレゼントするのはどうでしょうか?新品ではないけれども、まだ新品に近い状態のものであればきっと喜んでくれるはず。「ありがとう」という言葉の価値を感じられる良い機会になるかもしれません。Youtubeなどの評論を見ると、一つの製品であっても高く評価する人もいれば低い評価の人もいます。そうであっても、良いものは良いもの、と思えば決して悪い買い物ではないのかな、なんて。残念ながら、高い評価を得ている製品であっても、購入して使い始めたその瞬間に、なんて無駄な出費をしてしまったのだろう、こんな製品を高く評価する人は何を考えているのだろう…と思う製品も中にはありました。それも経験と思って割り切っています。

こんな下記のレビュー動画も参考になりました。商品を購入する時、”自分がIT機器に求めている大切な点は何か?(最新機能、値段、軽さ、大きさなど)”、これまでの経験を通して、他人が何を言おうと自分にとって譲れないポイントをしっかりと意識して判断すること、これが失敗を防ぐにも役立つ要素なのかな、と思うところです。

1日1日一歩ずつ。それ以外に成長への秘策はなし / One step a day. No other secret to growth

「先のことを考えるのをやめたんだ。…大事なのは結局”今だ”。今この訓練がどうやったら最高のもんになるかだけを考えることにした」

宇宙兄弟のセリフから。宇宙兄弟、中年オヤジに元気を与えてくれるアニメ。曲もストーリーも大好きです。

モスクワ生活でお世話になっていた、恐らく20歳くらい年上でしょうか、ロシア人女性の友人と久しぶりにチャットでやり取りした時のこと。これまでにも時々ユーモアのある動画を共有してもらっています。

私「こんなに恵まれている日本だけど、ここにはここなりに自分たちの問題で喜びを簡単に失ってしまうことがある。元気をもらってありがとう。」

彼女「Ну…(んー)、それはどこでも一緒。ロシアについて言えば、問題は決して少なくないし。大切なことに時間を費やすこと — (自分にとって価値のある)趣味を持つこと — は問題のことをあまり考えすぎないようにするのに役立つわ。私たちは音楽が好きで劇場の演奏会に出かけたりしているのよ。」と。

思い込みかもしれませんが、趣味なんですか?と聞いたときに、パッと答えが返ってくる人が周りにそれほど多くない気もします。今年の年始に久しぶりに学生時代の友人と会話したときのこと。「ところで、週末は何をやってるの?」という彼からの質問。彼曰く、年を重ねるごとにこの質問にすぐにパッと答えられない傾向があるとか。こちらが何を行っているか答えたところ、「そうやって答えられる、それはつまり充実している証拠だ」ということでした。そうですね…確かに彼の言っていることは当たっている気がします。

先のことを考えずに一歩ずつ、その日にすべき仕事を終わらせる。仕事はいくらでも新しく降ってくるので、いくら時間を費やしてもきりがない。計画した今日の分を終えたら(もちろん、突然降ってくる仕事もありますので、計画通りにいかないことが多いことも少なくありません)、あとは自分のやりたいことも毎日継続してゆく。そんなコツコツとした積み重ねでしか将来の自分の成長はない、それ以外に方法が無いんじゃないかな、と実体験を踏まえて深く思います。

かつて、簿記の勉強をしていたときには、早朝、晩、そして週末はとにかく図書館で勉強。問題を解いた紙は自分の努力を見える化するために溜めておく、なんてことをしていましたが何度も落ちました。(努力してもなかなか結果が出ないものは、きっと自分には向いていないものなのかもしれない、というグサッとくる言葉をどこかで見聞きした記憶があります。振り返ってみると、間違っていると言えない要素もあります。でもそれは、もしかすると単に努力の仕方が誤っているからだったりするかもしれません。自分では気が付かないものの、他の人と会話していて、ふとした時に、あれっ?もしかして自分が当たり前に出来ていることって実はすごいことなのかもしれない、なんて気がつくこともきっとあるはず。)今度は勉強の仕方を変えて、勉強の時間を減らし、他に重要なことに時間を割くきつつも、残りの限られた時間の中で集中して努力した結果…ついに合格。不思議なもので、努力を続けるにしても意味のない努力をしていては自己満足で終わってしまう。ITツールを利用したスケジュール管理もどこかしら自己満足になってしまっていないか注意が必要だな、と思ったものです。そして、他のことにも目を向けて時間を確保することの大切さ。

最近見た面白いYoutubeの動画より。

長期記憶への定着方法のうちの一つである、Interleaving(学習の合間に全く別のことを勉強し再び覚えたい情報に戻る方法)。つまり、記憶を高めるには異なるものを行うことが役立つとか。一つのことをずっと行い続けるよりも、例えば、小休止を置いてちょっとだけギターを弾いてみたり。それでギターが上達するのであれば、頭の切り替えに役立ち、かつ友人たちに喜んでもらえる演奏ができる日も近い! — なんて素晴らしいことでしょう。

「ノートにそれだけ(そんなに沢山)メモを取っているけど、読み返さなかったら意味がないでしょ。」と(決して嫌味ではなく)ベテラン女性に言われた新人時代を思い出します。目に見える形でノートをため続けるのも一つですが、そこから何も学んでいないとすれば…きっと、ノートを取っていることの大きな効用の一つは、書きながら自分の心の中で物事を整理するプロセスなんだと思います。きっと手を動かして書いている過程の中に大きな意味があるのだろうと。脳みそ(論理的な思考)と心(感情)のバランスが、この書く行為を通して徐々に落ち着いてゆく — こうして書いているブロブもその一つ。あまり気が付かないものの、きっと何かのプラスがあるのだと思っています。何よりも、何かを書いていることは、時間が経つことを忘れてしまうくらい好きなことですから…。

言葉を正しく選ぶことの大切さ /правильно подбирать слова

このところ、モスクワに住んでいる、とても立派な息子さん二人を育てているロシア人のご主人と定期的に会話する機会があります。画面上に写る3人の様子が大変仲の良いものだったので、その秘訣を訪ねたところ、「いつもそう上手くいくもんじゃないよ。」と笑いながら話してくれました。といっても、人間関係で大切なこと、それは「言葉選びだ」ということでした。言葉は発してしまったら元に戻れない。発言する前に自分の言葉を選ぶ必要がある(”правильно подбирать слова”)、ということ。頭では分かっているけれど、自分自身よりもずっと人生経験を重ねてきた方の言葉にはずっしりとした重みを感じました。

Harvard Business Reviewの記事にこんなものがありました。

https://hbr.org/2021/06/words-and-phrases-to-avoid-in-a-difficult-conversation

Don’t assume your viewpoint is obvious(自分の見方がはっきりしていてクリアである、と思い込んではダメ)

そもそも、世の中には白か黒かはっきりしている状況はそれほど多くないし、どんなに自分では明白である、と思っていても、他の人たちは同じ物事を異なる仕方で見ていることは至って当然のこと。(確かにロシア人のベテラン人事コンサルの方に同じようなことを言われたことがあったなぁ…と当時を振り返って思い出します)

Don’t exaggerate(誇張して話してはダメ)

「あなたはいつも~」「あなたは決して~」(イライラしているとつい口から出てきてしまう言葉かもしれませんね)

Don’t tell others what they should do(”~すべき”と言ってはダメ)

IT会社を経営している女性経営者に言われたことで覚えているのは、「他人に対して絶対に”You should”という言葉を言うべきではない」、というもの。「他人の行動をこちらが決めつけることはだめだ。相手に行動を促す仕方で発言すべし」ということでしたが(そうはいっても、仕事上は上司の立場からそうする必要があることも事実ではあると思われますが)、この記事ともつながるものがあります。言語が異なるとはいえ、人間関係を良好にするために言葉を選ぶことがどれほど大切なことか。アメリカで勤務したことはありませんが、きっとあのような世界でも良い人間関係を他人と築けるひとは、きっと常に自分の発言する言葉選びに注意しているのだと思います。

Don’t blame others for your feelings(自分の気分を他人のせいにしてはダメ)

明らかに意図的な行為でない限り、誰だって「私がこんな気分になっているのはあなたのせいだ!」なんて言われて気分を害しない人はいないはずです。(自分自身を振り返ってみて、ロシア人の人事スタッフとの会話が紛糾してイライラしていた時の失敗があります。話し合いを終えてから、感情を抑えることができてたと思いましたが、「(会議室で仕事を続けたいので)一人にさせてくれ」と言うところ、「部屋から出ていけ」と悪意のある言葉がポロっと出てきてしまったことがありました。)

Don’t challenge someone’s character or integrity(相手のキャラクターやインテグリティを否定してはダメ)

これだけは決してしてはならないこと。かつて苦しんだ経験があります。あの感情はなんと表現してよいのか…同じことを他の人にしてはならない、と誓いました。

(”Integrity”は、簡単に訳すことができない難しい言葉です…)

https://www.jstage.jst.go.jp/article/jabes/26/0/26_article07/_pdf/-char/ja

Don’t say “It’s not personal”(”これは個人的なことではない”というのはダメ)

著者の言葉をそのまま借りると、「”これは個人的なことではないから”、とか、”自分のこととして受け取らないでください”、と誰かが言う時、それを発言する人は、(そのことが)相手にとって非常に個人的なものだと(無意識のうちに)理解して発言しています。」これもまた然り。

こうして、改めて考えてみると、世界中のどこでも真実は一つ。言葉の持つ力は恐ろしく、言葉一つで相手との関係をすぐに壊してしまう恐ろしい側面を持っている、ということ。遠回しに言うことを日本は好む、欧米社会でははっきりと相手に伝えることを好む、という潜在的な認識がどこか心の中にあるかもしれませんが、実際はそうでもないのかも。ロシアにいた7年間、相手の気分を害する可能性がある事柄は、直接言うことを避ける傾向を感じました。これは、ロシアで仕事をするまで持っていた自分の想像とのギャップであり、意外な発見でした。もう少し直接伝えることに気後れすることなく発言する人たちなのかな、と思っていたので…。

程度の差こそあれど、結局人は皆一緒なのかな、と思います。そして、年齢を重ねるごとに周りの人は、こちらの誤まりを指摘することなく、心の中で思うに留める…だからこそいつも人から何でも言ってもらえる人間でいられる謙虚さ、いつも自分で自分を理解し続ける習慣が大切なんだと、毎回の失敗から学んでいます。

言語の面白いところは、学べば学ぶほどに奥が深く、意味も分かると発言に慎重になってきて、結局言いたいことを言えなくなってしまうことがあるってことです。もしかしたら、知識をそこまでインプットしないほうがずばずばと発言できるのかもしれません。とはいえ、最後には言葉は相手の心とのコミュニケーションであり、相手のことを知りたいと思うからこそ言葉を学んでゆく。知れば知るほどに相手の気持ちが分かるようになってきて一層言葉を選ぶようになる。また、日本語で聞いたときには心に響かないものでも、ロシア語で短くもストレートに心に刺さるものがあることも。言葉の奥深さであると同時に、外国語学習の醍醐味の一つかもしれません。

Жизнь как по нотам / 美しいメロディを奏でる素敵な人生を(我流解釈)

昔の日記ノートを整理していると出てきた、当時切り抜いて保存していた新聞記事より。中身は読んでいなかったけれど、きっと、当時はそのタイトルと文章に散りばめられた音符との洒落た文章構成に魅了されてノートに保存していたんだろうと思います。

ロシア中部に位置する都市ウファにある、子供のための芸術学校の校長先生が寄稿した記事。2018年が成功裏に終わった実り豊かな年であったことを語っている記事で、その内容に特筆すべきものはないのですが、ドレミファソラシド(До, Ре, Ми, Фа, Соль, Ля, Си, До)が太字で記事の中に散りばめられています。何だか素敵な発想ですよね。そう思って、インターネットで検索してみると同じような発想で書かれた詩、動画などがヒットしましたので決して珍しくないようです。

Все успехи и достижения складываются из кропотливого, ежедневного труда учавщихся и их наставников. Случаются и победы, и маленькие неудачи. И это естественно – весь творчество, подобно черным и белым клавишам рояля, являет собой гармоничый аккорд.

すべての成功と成果は、生徒一人一人と先生たちが一生懸命に日々積み重ねてきた努力の賜物。うまくいったこともあれば、ちょっとした失敗もあります。 これは当然のこと。それらすべての”創作物”は、ピアノの黒鍵と白鍵のように調和のとれた和音となっています。

とか、

Пусть новый 2019 год подарит нам не меньше событий и эмоций, которые выстроятся в прекрасном звучании любимых ДО, РЕ, МИ, ФА, СОЛЬ, ЛЯ, СИ

新しい年、2019年が私たちのために、愛しくて美しい響きを奏でるドレミファソラシ…の音となって一層の出来事と熱い気持ちを与えてくれますように。

など。音楽と掛け合わせた文章表現が素敵だな、と思います。

ロシア語の辞書を見ると、”как по нотам”の意味は、Как по нотам (разг.) — без неожиданных затруднений; как было подготовлено. Всё прошло, как по нотам.(kartaslov.ruより)とあり、「予想外の困難もなく、すべてが前もって準備されていたかのよう」な意味となっていて、必ずしも音符の意味を持つнотаの意味とは関係がなさそうです。

とっても短いこの表現ですが、その意味するところは深いなぁ、と思いながら色々と調べていました。率直に言って、いまだに100%の理解に至っていないのですが、この記事について言えば、上記の意味と共に、ドレミファソラシドの美しい音から成る音楽とをかけ合わせて「子供たちが芸術学校で学んだことは、これからの人生においても大きな役割を果たし、素晴らしい人生を送ることに役立つに違いありません。」と言っているのかな、と理解しました。(面白い方法だな、と思った学習方法をYoutuberの方が言っていたのを思い出しますが、全く分からない言語が出てきたら、それをGoogleの検索ボックスに貼付し、検索結果を画像で表示させるそうです。そうすると、頭の中にイメージで入ってくるので、そのイメージを意識して脳に納得させることが有効だ、とのこと。)

(参考記事)

Детская школа искусств – не кружок
по интересам, а «увертюра» к взрослой жизни

ところで、Youtubeでこんな面白い動画を見つけました。音楽を演奏することがどれだけ脳にとって有益か、ということ。音楽を演奏している時、脳の中では花火が飛び交っているようです。外国語の勉強もボケ防止に役立つ、なんてことも聞いたことがあります。音楽、言語…、言葉も音楽の一種と思いますので、きっと両者の結びつきは深いものと信じています。ふと目を上げると、壁際では長いこと埃を被っているしまったギターが部屋の飾りと化しています。今年こそは、と憧れのジャズギターを練習しようと決意して、時は既に3月…。

以下の動画は、ユーモア溢れるロシアの先生による”Жизнь как по нотам”

お金を”正しく”使うことの大切さ / I am learning how important to use money “wisely”

お金を節約して貯金をする。不要なものは購入しない。そういった、生活コストを切り詰める姿勢は限られた収入の中でやってゆくためにも,将来の必要に備えるためにも重要な姿勢だと思います。

ロシアで生活している頃から交友が続いている一人のロシア人の友人は、どうも全く違う人間のようです…。他のロシア人の友人に聞いても,彼はどうもロシア人の中でも普通ではないように思えます。持ち家を売却し,そのお金を利用してキャンピングカーを購入。自分はこれに住んでどこでも行くんだ,と言っていたものの,どうやら冬は寒すぎて車で寝泊まりは断念。結局友人の家に泊めてもらっていたとか。また,彼とずっといると同居している人は時々耐えられなくなるのか,喧嘩をして2,3度家を追い出されたことがある,と語っていました。今ではロシアの田舎町の山小屋に住んで自給自足に近い生活を送っています。初めて出会ったばかりの人に、「今度遊びにおいでよ。」と言われると、― それは社交辞令に近いこともあると思いますが ― その言葉をそのまま信じるタイプです。この前はウズベキスタンへ、今度はベラルーシが自分を呼んでいる、とか。まったく次は何を考えるんだ…と誰しもが思うのですが、それでもそんな彼をみんなが愛しています。ウクライナ侵攻が始まりロシアへの送金が閉ざされるまでは送金を行っていましたが、今では細々と年金でなんとかやりとりしていることと思います。

最近送ってきてくれた画像には,懐かしの仲間たちがそこに写っていて、カフェで皆で過ごしている様子でした。その友人を見ていて感じるのは、お金の本当に大切な使い方のことです。心を許せる友達がいて、その交流を楽しむためにお金を使うことの大切さ。私の友人たちは,モスクワに住んでいる頃には彼らの自宅にもお邪魔して交流を楽しんでいましたが,その生活ぶりを知る限り決して裕福な生活を送っているわけではありませんでした。その日をただただ懸命に生きている。そんな彼らが、お金の力を利用し、日頃楽しめない場所で楽しくおしゃべりする時間を過ごす、そういった時間を生み出すために使われるお金は非常に価値がある、という事実。

ウクライナにいる友人の話を聞くと、戦争の影響で仕事を失ってしまい今月の家賃を支払うお金が無い、という状況に陥っている人もいます。そんな中でもお金を出し合ってお互いが助け合って生活をしています。他人のために使うお金には,自分が欲しいものを購入するために費やすこと以上の価値があると思います。友人から感謝され,友人たちが貴重な交流の時間を持つことができる(そのお金で経済も回る)。お金の使い方によってはお金では測れない人の心まで十分に潤すことができる。そんな目的のために活用されるお金の大切さ。正直なところ、お金を払いさえすれば手に入るもの、そこにある幸福感は持続しないですから…。

彼から、「手元に残っていたお金を賢く使うことにしたよ」というメッセージと共に届いたカフェの様子の動画を見て、このブログの記事を書くことにしました。彼の言葉を見て、なんかこの生活の仕方、無茶苦茶だけど、なんと逞しいのだろう…と思います。一体、明日からの生活をどうやってゆくのか。それでもいつもニコニコしてサバイバルしている彼を見て、お金の価値を考えさせられました。

同じ情報を人は自分の見たいように見て、聞きたいように聞くという事実 / The fact that people see the same information the way they want to see it and hear it the way they want to hear it

テレビを見ていないので、ニュース動画は専らYoutubeで流れてくるものを見ることが多いですが、ニュースで目につくのは西側のメディア。日本の専門家が解説している動画もそのほとんどが欧米と同じ論調。ロシアに否定的な見方が主流です。

一方で、ロシア国営のTass通信, РИА НОВОСТИ, RTを見ると目にするのはロシア側を擁護する内容。

「ヨーロッパの軍隊はロシアに侵攻する準備をしている」

「ウクライナ軍はドネツクの平和に暮らす一般市民を攻撃した」

「世界は西側諸国の罪と過ちのために長いこと代償を払わなければならない」

パッと見るだけでもそんなタイトルが目に飛び込んできます。

以前に見たビデオでは、ロシア国内でもボランティアたちが兵士のために暖かい衣服をミシンで縫っている様子が映し出されていました。彼女たちの内心は分かりませんが、駆り出される兵士のために出来ることを行い、闘いに勝利するために国のために皆が貢献しましょう、という国民の意識を高揚する目的もあるのでしょうか。

一方で、西側メディアでは兵士たちが約束された手当がいまだに履行されていないことや、お粗末な訓練について不平不満をぶちまけている様子を映し出しているものがあったのを覚えています。きっとその一つ一つの情報は正確なのだと思います。しかし、それらが映し出しているのは全体の中でのわずかな一部。でもそれが全てだと思いたい。そんな風に自分たちの意識の中で勝手に想像がふくらみ、それが思考の中で徐々に、あたかも事実であろうと確定してゆくのだろうかと。

人は自分の見たいものだけを見て、聞きたいことだけを聞く。何が正しい情報で何が間違いであるか、その理解をするのがますます困難な時代になっている気がします。以前にモスクワで働いている時、一スタッフが言っていたことを思い出します。「きっと、昔から今見聞きするような凶悪犯罪は存在していたはず。いまはIT技術が進んだことで、以前には見聞きしなかったことを簡単に入手できるようになった。そのために世の中が悪くなったように感じるんだ。」といったことを言っていました。素直にその通りに賛成はしませんが、言えることは、Youtubeでもロシアの兵士がウクライナ側の攻撃で倒れていく様子が毎日のように配信されているという事実。いまこの同じ時間に別の場所では戦争が起きていて、兵士が倒れていく様を撮影し、それがすぐに世界に広まっている…そんな時代に生きているということは確かだと認めざるをえません。

情報を取ることは大切ですが、常にその内容を吟味すること、自分の感情の向くままに内容を解釈をしてしまわないことの重要性を認識させられる日々です。

(参考情報)

Донбасс. Геноцид. 2014-2022

「ドンバス。ジェノサイド。2014~2022。」きっとこのサイトをずっと眺めていて、読み込んでゆくと、知らずのうちに自分の思考がロシア政府の意図するようにコントロールされてしまうのかもしれません。(不快な画像も含まれていましたので、閲覧にはご注意ください)

“Украина за 30 лет столько не сделала”.

РИА НОВОСТИの中で一点興味深いものがありました。この記事が発行された日付を見つけることができなかったのですが、「半年の間にマリウポリでは新しい集合住宅が22棟建築された」ようです。この記事のタイトルにもあるように、アナトリーという住民は「ウクライナ政府はこの30年間、何もしてこなかった」と強く訴えている様子です。今では、学校はロシアのシステム“Дневник.ру”と連携されていて、親は子供の成績、授業のテーマもオンラインで把握することができるとか。記事の写真を見ると綺麗なアパートが建設されている様子が分かります。もしウクライナが再びマリウポリを奪還するのであれば、再びこの場所で砲弾が飛び交い、アパートは破壊されるのでしょうか…

記事の最後では、

Все мариупольцы, добавляет она, хотят поскорее забыть пережитый ужас. И надеются, что их город не просто быстро восстановят, а сделают еще лучше.

РИА НОВОСТИの記事より

「マリウポリの全ての住民は、経験した恐怖をすぐにでも忘れたい…そして、自分たちの街がすぐに元通りになるだけでなく、さらに良くなることを望んでいます。」— という住民の言葉で結ばれていました。

この同じ事実を、もしウクライナを支持するマリウポリの住民が語るとどのようになるのでしょうか…。