ブログは、徒歩とオートバイの間、自転車に乗っている、そんなイメージです。(オートバイと車は私にとっては自分の理解の範疇を超えている、とてもじゃないけど自分でいじれないという意味で同じカテゴリーに入ってます)自分で全ての部品をいじることができる、理解ができる。そしてかつ自分の力加減次第で十分なスピードも出せるし、ゆっくりとしたスピードも保てる。そんな自転車のような感覚です。
1.スピード
サラリーマンとして働くうえで、学生時代のように自分のやりたいことだけを中心に考えていればよいわけではなく、仕事の比重も大きくなります。とにかく時間がない。でも勉強のための時間は削りたくない。
私はノートの自分の手で書いてゆくのが大好きです。ノートで書いていると、後で振り返った時に、コーヒーをこぼしてしまったページだったり、意味もなく描いていた絵があったり、その瞬間を思い起こすことが楽しくもあります。そんな効果がノートにありますが、やっぱり時間がない。大学3年生の頃に挑戦した半年間のバックパッカーの時代から初めて日記をつけ始めました。それがただの日記から徐々に自分の考えを書き連ねる内容へと変わり、毎日ではないのですが今もずっと続いてます。大学時代も受験勉強のためにひたすらノートに英単語を書き連ねていました。手で書く作業が歩くことだとすると、ブログは自転車です。パソコンを利用することで、適度なスピードを持った有効な方法です。
今は声で話して音声入力をする機材も出ていますが、いつの日か自分の頭の中で考えたことばが電気信号に変換されて、それが自動的にパソコンに打ち込めることが標準化される時代がくるはず。そうなると、文字入力のスピードは自転車からオートバイクラスへ段階があがるのでしょう。次の「頭に刻み込む」ためのプロセスにはキーボードで打ち込む作業が重要と思うため、このプロセスをカットすることに今は素直に賛成はできないのですが。スピードアップが単純にインターネットで検索すると、言語化することに成功した実験結果の論文情報に行き着きました。https://www.nature.com/articles/s41586-019-1119-1.epdf?referrer_access_token=9I4rzoGIXyG4jlZvowH8UdRgN0jAjWel9jnR3ZoTv0PrAYuou8HGBumf5856SOeMP3yatwCdGGdYG2as4_NZVyrw8XnCtlEIm6RmcqHvH201iTWornZCuAPh_aluHS_XyXjOqd7sNLJ8_-xHRh4x4gUWOgNG6EJtZIJyN227giD5RzTFYLuxiavKCXiqUIhuY8Jih2DF6PKf1AfHyfqsu7FBI0bG8V1WBHuq_Jx5Jxraf1ZUsmhUNpPoGmeeBOMb&tracking_referrer=www.nhk.or.jp
2.頭に刻み込む
手を使って書くことは、やり方を間違えさえしなければとても大切です。
大学受験の勉強時代、上記の通りひたすら小さな字で英単語をノートに書き連ねてました。それを見た同級生からは「そんな書いて覚えられるの?」なんて笑われて茶化されたこともありました。正直に申すと、その友人の言う通り、書いた労力のほどにはあまり覚えていなかった、というのが事実です。おそらく、当時は自身もなく、プレッシャーに負けないために、ただただ書くことしかできなかったのではないだろうかと。
パソコンで文字を打つとき、大切なのは頭の中で入力するフレーズを語りながら、リズムを持って入力してゆくこと、まるで楽器を演奏しているかのように。すべてのことに言えますが、一つ一つの自分の行動を意識して行うことでそれが脳に刺激となって残るのだと感じます。周りに迷惑でなければ、声に出すことで耳からの刺激も伝わりますし、使えば使うほどに頭に刻み込まれる確率が高まるのだと思います。
私が考えるに、手で書く効果は、適度なスピードで手を動かし、その過程の中で頭に刻み込まれる時間が他のプロセスと比べて多くとれることにあるのではないだろうかと。その点、パソコンは、例えば「あいうえお」とキーボードを打ち込むと、5回打てば完了。手で書いてもそれほど時間はかかりませんが、一つ一つ書くのにパソコンよりも時間は必要です。パソコンはそれだけ意識せずに書いてしまう可能性が高いのかもしれません。だからこそ、ただ時間をセーブしたいがゆえに、どれだけ早く入力できるかに意識を捕らわれてしまうのではなく、意識して頭の中で自分が書いているこの内容を反芻すること。そして脳に刺激を与えながらキーボードを打ち込むことで記憶への定着が高まるのではないかと、それがブログを書く意味で勉強した内容が頭に入ってくる効果を実感しています。
それでもやっぱりノート
それでも、ノートに書くことは、それ以外の貴重な達成感があるので一概にノートを捨て去ることはできません。自分の書いたノートが積もり重なっているのを見て、自分史ができていることに満足を感じること(ただノートの数量を増やすことが目的とならないように注意が必要です。定期的に中身の見直しをしてこそ、ノートに記録する意味があるはずです)。また、利き手とは反対の手で記述することで、両手を使うことができるように練習となり、それが脳への刺激にもなっている。そう思っているのでやっぱりノートは自分にとってとても大切です。