自宅隔離の2週間を終えて、新たな職場での仕事が始まりました。生活の基盤を整えること、以前の仕事の引継ぎであったり新たな仕事に慣れること、荷物の整理など、多くのやるべきことが同時に降りかかり、落ち着いて物事を考えるゆとりがありませんでした。少しずつ自分のペースを取り戻してゆこうと調整中です。
さて、7年という年月は思っていた以上に自身に大きな影響を与えているようです。ロシアと日本のよさを融合してゆけたらと考えています。
ロシアでも日本でも女性が大切な業務を担っていることは明らか。モスクワではロシア人女性の部下と時に声を張り上げてやり合っていたのが、日本では言葉遣いにより気を付けながら女性にどれだけ上手に仕事をお願いして物事を滞りなく進めることができるか。そんな違いがあるのかもしれない?と感じています。
日本とは~こうである、他方ロシアは~こうです。とステレオタイプに語ってしまうことの誤り。私自身、気を付けていないとこのような論調で語ることがあり、気をつけなければと思っています。「モスクワは本当のロシアではない」という人もいます。私は周りの他社駐在員の方々と比べるとだいぶロシアの深い部分も含めて足を運んだほうだと思いますが、生活のベースはモスクワ。どうしてもモスクワでの生活を基準に「ロシアとは」を判断してしまいがちです。そうはいっても、日本からやってきて管理部門の駐在員として勤務する大半はモスクワ。このブログではモスクワを中心にして仕事に関する話を進めて問題はなさそうです。
思ったように働いてくれないことに対しても 文句を言わないことを学びました。よく考えると、現地スタッフは、例えば30歳という年齢でも20万円に満たないような安い月給で働いてくれている人は少なくありません。それでも言ったことはそれなりにやろうと努めてくれる。それ事実に感謝 すると自然と不平不満も消えてゆきます。
一般的に駐在員は外に送り出してもよいと判断され、仕事ができるであろうとみなされる優秀な人が選抜されていると思います。その駐在員の基準で 仕事を要求すれば彼らの仕事のレベルは駐在員からすれば物足りないでしょう。もちろん、イライラすることは実際に多々あります。まずは徹底的に自ら仕事をして、困っている現地スタッフの仕事を助けてあげて一緒に仕事をすることで信頼関係を築き上げて、ある程度の時期が来た時に、”強気”に出るのが良いのだろうと思います。「なんでこんな仕事を自分にさせるんだ?これは上司である自分の業務ではないでしょう、自分でやろうよ?」といいながら仕事を振ってゆく、というイメージ。
見ていると、現地スタッフの多くは、私たちが仕事の枠組みを作ってあげて、その中で絵をかいてね、というと描いてくれますが、キャンバスの大きさがどれくらいで、どんな絵に仕上げるべきか?ここまで考えられる人はいません。そもそも何が問題なのか?という問題の設定能力に努力が必要というか ある下書きの枠線をある程度書いてあげてから渡すことが求められています。(きっとこれはマネジメントの仕事であるので当たり前なのかもしれません)
長年ロシアで仕事をしていると どうしても日本人とロシア人の間での ギャップを見聞きします。表面上はうまくやっていても裏ではお互いに悪口をいっています。それは決して辛辣なものではありません、よく日本でもあるように陰で相手を小馬鹿にしたような会話が大半です。これを見聞きする時にはとても残念だな、と感じます。ロシア人スタッフは大変合理的で、英語も上手で、自己プレゼンの上手さは日本人駐在員よりも高いと思っています。日本企業としてのやり方がおかしく思える点も多いです。私自身がそう感じるのですから。そんな中でも その日本のやり方もありなのでは、そんな風に理解してくれるロシア人スタッフが増えると素晴らしいと思います。また、そんな様子を見ながら可能な改善方法を上司や本社にフィードバックをしてゆくのも我々管理部門に勤める人間の仕事だと考えています。
日本に戻ってから勤務する中で感じること。それは、どこに行っても抱える課題は似通っているということ。「なぜこの人はこんなにやる気がないんだろう、あなたの業務でしょう?」「かつてはきっと目をキラキラと輝かせた新入社員でいたはずなのに、なぜ今はこれほどまでに新しい仕事へ取り組むことを嫌がるのだろう?」ー このようなモチベーションの問題。「何を言いたいのか分からない、やるべきなのかやらないべきなのか。」- 指示の曖昧さから来る現場の混乱(現場ではそのあと、やるべきだ、いや、あの口調からすればやらなくてよい、ということだ、といった空虚な時間が過ぎてゆく)「なんで初めにそれを言ってくれなかったんだ?」「いったいこのレポートはそのあと何にしようされるのか?なぜこれが必要なのか?」- 情報共有の低さ。「いつも一緒に仕事をしているけれども、彼が具体的にどんな仕事をしているのか分からない。」「(いきなりこのレポートを作成してね、と言われたけれど)どうやってこのレポートを作成すればよいのだろうか?」- 業務の文書化ができていないという問題。
組織が大きくなればなるほどに自分で分かっていても自分ではどうしようもない、変えられない現実がある。そこに悩みを抱えていても仕方がない。今できることは自分の行動を変えること。そこから何かが動いてくれればよし、動かなければそれも致し方なし。結局は自分がどうしたいのか、どうすべきなのか。目の前のことに自分ができることに取り掛かるしかないのだな、と。自分を軸に物事を取り扱ってゆけば、どんな困難な問題にぶつかっても、その結果が必ずしも成功する保証はありませんが、少なくともやってやる、という気持ちがまず湧いてくる。まずはその一歩を踏み台にして目の前の一歩一歩を着実に進めてゆくことが、気が付けば次の人たちに進むべき道を示すことにつながっている、そんな風に思いたいものです。
今はなんだか順調だなと思っているその時に想定外の 事件が発生したり、本社から新たなレポートの報告要請がきたり、いきなり原油価格が落ち込んでロシアルーブルが一気に暴落に向けて進んだり…本当に想定不可能なことが、必ずといってよいほど「今日はなんだかうまく進んでいるな…」という時に起こります。いかに定例的な作業を 現地スタッフに落とし込んでゆけるか、そして不測の事態や将来に備えて 自分の体と時間にゆとりを持たせておくことが出来るか、それが駐在員の務めのすべてかもしれません。そうは言っても現実的には、実務にも多くの時間を割く必要があります。
スタッフのスキルのレベルで悩むのであれば、いっそのこと、高い報酬を提示して優秀なスタッフを外部から雇えばよいではないか、と。私はきっとそれが一番早い解決策だと思います、それが簡単にできるのであれば…。私の勤務していたロシアの会社は決して大きな規模ではなく、勤務しているスタッフもお互いの待遇をある程度知っている、モスクワの労働市場と比べると我々の給与が他社と比べて低いという事実も周知している。そんなところに特別待遇の人間をいきなり引っ張ってくることができるのか?また、そんな待遇を、販管費の管理を厳しく行っている本社が容易に認めるのか?…複数の要素が関係しています。なかなか簡単ではありません。そんな中でもできることはある。そして、決してそのコト自体は難しいことではない。結局、難しくしているのは人間。そしてこの人間というのが仕事をする上では一番厄介なもの…そんな現実と闘いながらよりよい仕事をすべくみんな頑張っている。ロシアも日本も何も変わりがないですね。