今の時代に新聞を紙で読むことの価値について / The value of reading newspapers in print in this day

何か月か前に海外に出張したときのこと。私の席は3座席列の真ん中。通路側の隣は70代の男性でした。実のところ、搭乗する前からこの方に気づいていて、搭乗開始前から周りにいる見知らぬ外国人の方にも全く躊躇せずに話しかけている男性でした。この人の積極さはすごい…と思っていた方でしたが、まさかその方が自分の隣になるとは。席に座ってからというもの離陸直前まで新聞を開いて隅から隅までじっくりと読んでいる様子。話しかけてみたところ、女性には優しいけれども男性には取っ付き難いのだろうかなんて印象があったものの、いざ話し始めてみるとフライト中に随分と長いこと人生の先輩としての大切なアドバイスをいただきました。

そんなアドバイスの中の一つにあったのが新聞を紙で読むこと。

「おれは新聞は紙で読むと決めているんだ。みんなにも勧めているんだけどあなたもそうしなさい」と。

ネットの悪いところは自分の興味があるところばかりに目が行ってしまい、ほかの記事に目がいかないことだと。紙で読むからこそあらゆるテーマに触れることができて勉強になるのだということでした。

紙だと溜まりに溜まっていく新聞を古紙回収に出すのが面倒なんです…。そんな言い訳をしてみたところ、そんなことを悩むのか、と呆れ顔に。読み終えた新聞をこちらに手渡して「あげるから読みなさい」と。

飛行機の旅では、同じ共通の関心事を持った方と隣になって話を楽しめることはそうあることではないと思います。窓際の席には日本旅行を楽しんで自国に帰る外国の女性で、彼女も本が大好きのようでした。日本での旅行のこと、お勧めの本のことなど会話も弾み、3人で会話を楽しむことができました。この男性から「連絡先を教えて。あとで名刺をちょうだい」とのことでしたが、いざ10時間以上のフライトをようやく終えて飛行機の目的地に到着し、シートベルト着用サインも消えてさぁ降りるぞ、と荷物を整理していたらその方は何処へ?。飛行機を降りて歩き出すと、その方らしき姿は遠くに見えるか見えないか彼方のほうに。窓際にいた親切な女性はその男性を街中に向かう地下鉄の駅まで案内してあげる約束で、その女性と男性の姿はすでに視界から消えかかっていました。彼らはそのまま入国ゲートに、一方の私はトランジットのため途中から異なるルートへ。今でも時々思い出す、記憶に残るフライトとなりました。

さて、その方のお話を聞いてからというものの定期購読している日経新聞は「紙面ビューワー」のアプリをダウンロードして通常のネット版と併用しています。また、今では週末にコンビニで日経以外の新聞を購入して他社新聞のコラムなどを読む楽しみができました。どんなに電子機器が発展したとしても、我々ヒトが人間である限り、紙で活字を読むことに勝るものはないんじゃないかな、と思うところです。