今現在購読しているNewsPicksの上記の番組が面白かった。そして、大学時代に授業で教授がかつて話していた、”ソ連は一周遅れで世界の先を行っていた。”という話を思い出しました。
この番組のオチは、今の熾烈なAI時代の闘いにおいてアップルがすっかり出遅れている。でもそれって実はアップルが安泰なのかもしれないっていうこと。なぜならば、AIをやっている人物がアップルにいないがために他の企業からの人材の引き抜きもないから。取られていないのは他社から見れば取りたい人材がいないからとも言えるのだろうけど。AI時代に真っ先に死んでいるのはデジタルメディアであって、紙媒体で読者に読んでもらっている新聞社のほうが実は生き残るのでは、と。「勝ったと思ったら地獄の一丁目かもしれない。」なんてことも…。というのがこの番組です。
冒頭の”ソ連はエコにおいて一周遅れで世界の先を行っていた”、という話の内容は牛乳瓶のことです。世界では牛乳の容器を紙パックに移行する中でソ連は牛乳瓶が利用され続けていた。世の中リサイクルの価値が認識される中で実はロシアが世界の先に行っていたということを教授は話していたのでした。
Wikipediaより:牛乳瓶について
さて、こんな以下の質問をGoogle Geminiに質問してみました。
Q:牛乳瓶はエコなのか?世の中が紙パックに移行する中で、ロシアは牛乳瓶を利用し続けたというのは本当か?牛乳瓶は結果的に再利用で地球に優しい、よって牛乳瓶が利用続いていたロシアは世界の一周遅れで世界の先を行っていた、と言える?
その回答はというと、以下のように客観的に分析された答えが返ってきました。
A:牛乳瓶のエコフレンドリー度とロシアでの利用状況についてですね。複雑な問題なので、一つずつ見ていきましょう。
牛乳瓶は本当にエコなのか?
牛乳瓶が紙パックよりエコかどうかは、一概には言えません。 確かに、ガラス瓶は何度も洗浄・殺菌して再利用できるため、リサイクルではなく「リユース」の観点では優れています。しかし、エコかどうかを判断するには、製品のライフサイクル全体を考慮する必要があります。
考慮すべき点:
- 製造時のエネルギーと資源: ガラス瓶の製造には高温が必要で、多くのエネルギーを消費します。
- 洗浄・殺菌に必要な水とエネルギー: 再利用するためには、高い衛生基準を満たすための洗浄・殺菌プロセスが必要で、これにも水とエネルギーがかかります。
- 輸送時の重量: ガラスは紙やプラスチックに比べて重いため、輸送時の燃料消費が増えます。
- 破損率: 輸送中や消費者の手元で破損するリスクがあり、その場合は再利用できません。
- 回収システム: 消費者からの回収システムが効率的に機能しているかどうかも重要です。回収率が低いと、再利用のメリットは薄れます。
一方で、紙パックも一見エコに見えますが、防水加工のためのプラスチックやアルミ箔が使われているため、完全に紙としてリサイクルできない場合もあります。また、製造には森林資源が必要です。
結論として、単に「リユースできるからエコ」と断じるのは難しいです。それぞれの素材が持つ特性と、それを運用するシステム全体のエコ効率を比較する必要があります。
ロシアは牛乳瓶を利用し続けたというのは本当か?
はい、本当です。 ソ連時代からロシアにおいては、牛乳やケフィアなどの乳製品がガラス瓶で流通しているのが一般的でした。ソ連崩壊後も、紙パックやプラスチック容器の普及は進みましたが、ガラス瓶の利用は根強く残っていました。 特に地域によっては現在でもガラス瓶の牛乳を見かけることがあります。
これは、社会主義経済下での計画生産、リユースシステムの確立(デポジット制など)、そして国民の慣習が背景にあります。欧米諸国が紙パックや使い捨てプラスチック容器に急速に移行したのに対し、ロシアは異なる経済・社会システムの中で、既存のインフラを維持し続けた結果と言えます。
ロシアは世界の一周遅れで世界の先を行っていた、と言えるか?
これは非常に興味深く、議論の余地がある視点です。
- 「一周遅れ」の側面: 多くの先進国が使い捨て容器による大量生産・大量消費の効率性を追求し、消費者の利便性を高める方向へ進んだという点では、ロシアは「遅れている」と見られるかもしれません。経済的な効率性や多様なパッケージングの選択肢という点では、確かに欧米に後塵を拝していました。
- 「世界の先を行っていた」の側面: 現代において、使い捨てプラスチックによる環境問題が深刻化し、各国が「脱プラスチック」「リユース推進」へと舵を切りつつあります。この文脈で見ると、ロシアが結果的にリユース型容器を使い続けていたことは、ある意味で時代の「先を行っていた」、あるいは「未来を見据えていた」と評価できる可能性があります。
これは、意図せずして環境負荷の低いシステムを維持していた、という見方もできます。当時、環境問題への意識が今ほど高くなかった中で、社会システムの結果として環境に優しい側面が維持された、という皮肉な状況です。
したがって、「一周遅れ」と「世界の先を行っていた」は、それぞれ異なる価値観や時間軸で評価された結果と言えます。経済成長と利便性を追求した結果、環境問題が顕在化した現代において、かつてのシステムが再評価される動きがある、ということが言えるでしょう。
モスクワを離れてすでに何年も経過するので、今の現地の生活様式を実感できませんが、当時モスクワに住んでいた頃に好んで利用していた健康志向の食料品店、ВкусВилл。瓶に入っている牛乳は当時あっただろうか…記憶にありませんが、私がよく購入していた牛乳はプラスチック容器に入っていたもの。それほど日数が経過していないにも関わらず、気が付けばヨーグルトのようにドロドロなっていたことがありビックリしたことが何度もありました。果たしてВкусВиллの乳製品はとりわけ新鮮だったということでしょうか。