10分間のチカラ / 10 minutes of Power

たかが10分間、されど10分間。5分だと短すぎる…か。何か作業するとき、勉強するときにはカウントダウンのアイテムを利用してピピ、ピピ、ピピと鳴るまでトライしているのですが、10分間を続けるのであれば、これほどまでに活用できるのかと驚いたり。

内容にもよるけれど、本を10分間集中して読むだけでもけっこう進みます。10分間で家事を始めてみると、あれ?まだこんなに時間が余っているということも。10分間でロシア語の短い文章を繰り返し音読練習していると、5分経過しただけでも随分できたな、という実感があったり。違う見方をすれば、ちょっとだけだから…といってYoutubeを見続けていると積もり重なって有意義な時間の使い方が全くできていなかったな反省することも。

家の中で何かする時、タイマーをセットしてからスタートすると時間の感覚が鍛えられる気もします。この作業を行うにはこれくらいの時間がかかるのか、これにはもっと時間が必要なのか、自分の見積もりが甘いな…といった風に。電子レンジをスタートしてから別の作業を始めると、それもまた時間感覚を養う良い訓練になったり。

物事を達成するためには、長い目で見た時に(あらゆるケースに必ず適用できるわけではないとしても)たとえ中途半端な進捗状況であっても時間が来たらそこでスパッとやめる。そして次の予定に着手する。それくらいの割り切りが必要なのかな、それが日々のタスクをこなしていく上での大切なことなんだろうな、と現時点では納得しています。。以前は今日やりきると決めたところまでやりきってから一日を終えるぞ、というスタンスでいたものの、結果的に他にやるべきことへのしわ寄せがあり、就寝時間が遅くなり…。やりきったという自己満足はあれども長期的に安定して物事を進めるにあたってはマイナス効果が大きい。

また、私の場合には日々のTo Doリスの中でどうしても生じてしまう「必ず毎日取り組みたいんだけど、寝る前にTo Doリストを確認するとどうしても未着手で残ってしまう」傾向があるタスク。そのタスクを習慣化するためには朝のうちに仕事を始める前に取り掛かるしかない。そう思います。大抵、習慣化できているタスクは自分が好きなことであったり、何も意識しなくても自然と取り掛かれているものなので心配不要かと。To Doリストを減らすのが解決策なんだろうと思いますが、自分の立てた目標と自分の限界との間でせめぎ合いが続いています。

ソ連時代におけるタイムマネジメントはどうであったのでしょうか?インターネットで検索してヒットしたものに「ソヴィエト・タイムマネジメント」なる面白い記事がありました。読破できていませんが、このポスター!もしロシアにいるときに知っていたらオフィス内にデカデカと掲示したかった。一方で、あの時のオフィス内でわいわいがやがやとうるさいくらいに元気いっぱいであったロシアのスタッフたち。今ではあのオフィスの雰囲気が懐かしくもあります。

Всё идёт по плану: советский тайм-менеджмент — от ускорения времени в эпоху ГОЭЛРО до замедления при застое

“おしゃべりは仕事時間の無駄遣い。仕事中は口に閂(かんぬき)を!”

Gill先生逝去。英語学習だけでない、もっと何か大きなことを教わりました。/ Teacher Gill passed away. I learned something much more than just English from her.

Gill先生逝去。こんなショッキングなニュースが。

こんな年齢の重ね方ができる人生が送れたらどんなに素晴らしいことだろう、と思える理想的な方。この方の動画を見ていると英語を教えることを心から楽しんでいる様子、教える相手をリスペクトしている様子が伝わってきます。

もちろん、Youtubeだけで知るこの方の印象と実際のご本人とのギャップがどれだけ存在するのかは分からないけれど、仮に実際にお会いできていたとしたらきっとその裏表の無い性格に感銘を受けたのではないかなと思っています。もう今の世界ではお会いすることはできませんが…

何歳になっても自分の好きなことに携わって喜びを見つけて生きる。その内面からの喜びは必ず外面に出てくる、一人で道を歩いているときにもその顔は生き生きとしている(街中で見かける人の中にはどんよりと、希望の無い顔で歩いている方が多いことか。そう言っている自分の顔はどうなんだ、という声も聞こえてきますが…)。Gill先生を見ていてそう感じました。

効果的な英語学習だけを考えた時、このGill先生のチャンネルよりもずっと良いものがあることに間違いありません。このGill先生の動画を通して学ぶもの、それは英語をしっかりと学習することよりも、自分の好きなことを行うことの楽しさ、好きなことを行っていると内面からにじみ出てくる幸福感。この方のそんな様子から醸し出されるものを受け取ってこちらも元気をもらう。単なる英語学習というよりもっと大きな何かを得られる、そんなチャンネルでもあると思っています。

さて、自分のことを観察してみると、年を重ねるごとに打ち込めるものを見つけることって難しくなってきているような気がしています。そんな中でも自分が全く知らない世界のものを友人に勧めてもらった時にまずやってみること。それが思わぬ方向に自分の関心を引き出してくれるということ。自分では全く知らない世界であり接点もなかった世界であっても実際に挑戦してみるとハマることがあるんだなあ。そんな新鮮な発見が最近ありました。

それなりの年数を仕事に費やしてきた経験から言えること — 仕事は常に楽しくて仕方がないとはとても言えない — ということ。むしろ、随分と回り道をしつつもある程度自分で仕事の内容が理解できたとき、ふと「あっ、そういうことか」「おっ、これはすごい。」自分のやっていることがそんな風に面白くなってくる瞬間がある。その瞬間がいつ来るのかが分からないので苦しいのだけれど、その瞬間があるとやっぱり良いですね。自分がやっていることの意味合いも分かってくる。それはある程度年数を重ねてみなければ到達できないこと。自分が思ってもみなかった分野で見つかることもある。だから人から勧められたものに挑戦してみることって損はない。

ずっと昔に受けた研修で、MUST、CAN、WANTの三つの輪の重なりをどれだけ広げることができるかの大切さを学びました。仕事はMUSTの部分が大きくて与えられた仕事を果たす義務がある。自分のWANTは仕事のMUSTにとってあまり重要ではないことが多い。WANTを行うためには自分のCANを広げるしかない。そしてMUSTの部分と重なってくると仕事も楽しくなってくるはず。でもMUSTが多すぎて忙しすぎてCANとWANTにかける時間がないという袋小路。そんな葛藤の中で模索しながらMUSTの部分の中にどれだけ自分のWANTとか、MUSTの中に楽しいという気持ちを重ねてゆけるか…。きっとGill先生も長い人生の中でそんな場面がきっとあったはず。それを経験してきたからこそのあの笑顔があるのかな、と思っています。